そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.471  隠岐は絵の島花の島

 猛暑の後の豪雨が少し落ち着いて,関東地方は梅雨明けという。山陰はまだ雨が少し残っていて,出発の朝も雨模様だった。
 自然観察の会が「隠岐・島後自然観察旅行」(2泊3日)を計画したので参加することにした。一昨年の「沖縄の旅」では,西表島,竹富島,石垣島,本島と沖縄の自然を満喫したものだった。昨年は「屋久島の旅」だったが,個人的な都合で参加できなかった。それだけに今年の旅を楽しみにしていた。私は国内外かなり旅行をしている方だと思うが,鳥取県に一番近い「海外」隠岐の島には行ったことがない。
 今回の参加者,清末先生を含めて21名。島袋先生は沖縄から駆けつけてくださった。ふだんの会にはあまり出られない山田さんや谷村さんもいっしょである。

 ずいぶん前のことになる。私が教員になって勤め始めたのは郡家町(現八頭町)の兵庫県との県境の地だった。分校の宿直室が宿泊施設となっていて,そこで3年暮らした。
当然村の人たちとの交流もあり,酒を飲み歌も歌った。なぜかそのときよく出てきたのが隠岐の民謡「しげさ節」だった。何かの旅行で覚えてきた歌として,たまたま歌われたのかもしれない。それに付き合わされて私もその歌詞や節回しを覚えてしまった(と言っても,それが果たして正しいものかどうかは分からないが)。
そんなことから,私にとって隠岐は浜村「貝がら節」に次ぐ民謡の故郷となっていたのである。

 雨はやんで空は次第に梅雨明けを示してくるようだった。境港11時30分発の高速艇レインボー(写真・隠岐汽船パンフレットより)に乗船。波はないが靄がかかっていて視界は悪い。時速70kmで走る。時々かもめの飛ぶのが見える以外には何も見えない。しばらく航行した所で船内放送。
「これから鯨の出没するところにかかります。スピードを落とします」
 先日の新聞をにぎわしていた。この高速艇が鯨に衝突してスクリュー(というのか正確な部品名は知らない)を破損したため,運航に支障をきたしていたのだった。乗船客に,なんとなくこれまでと違った動きが生まれる。靄ではっきりしない海上を見つめる人。立ち上がったり,窓の近くに寄ったりして外を見つめる人。ひょっとしたら鯨に出合えるかもしれないという期待感(不安感)が生まれたようだ。

 しかし鯨は現れなかった。レインボーはほぼ予定通りに西郷港に入港。雨の心配はなさそうだ。鳥取では雨の心配もあったので,一応傘も持った,登山に備えて雨着も準備した。そのため普段の旅行より少し荷物が多い。季節の変わり目の旅行はこのことがある。しかし,万全の備えをするがよい。
 さあ,隠岐上陸だ。   (以下次回)