そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.495  夏から秋へ(歌編)

〜〜誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた〜〜
 サトウハチロー作詞・中田喜直作曲の「ちいさい秋みつけた」がタイトルぴったりの歌だろうか。この詩の中でどんな秋を見つけたか。
 1 めかくし鬼さん 手のなる方へ すましたお耳に かすかにしみた
   よんでる口笛 もずの声
 2 お部屋は北向き くもりのガラス うつろな目の色 とかしたミルク
   わずかなすきから 秋の風
 3 むかしのむかしの 風見の鳥の ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
   はぜの葉あかくて 入日色
 耳に感じる秋,肌に感じる秋,目に映る秋,それも最初はぼんやりと,次第にはっきりとしてくる秋の気配。実に見事に「ちいさい秋」が歌われている。

 読売新聞文化部刊の『唱歌・童謡物語』(1999岩波書店)には,秋の歌が22曲上げてあるが,その中に「故郷(ふるさと)」(高野辰之作詞・岡野貞一作曲)も取り上げられている。高野は長野県出身,岡野は鳥取県出身の人だが,この歌はまさに全国区でもトップ当選しそうなくらい親しまれている。
 この歌について二つの思い出がある。一つは鳥取市で中国地区の教頭会を持ったとき(1995)の講演会のこと。講師の徳永進さん(現野の花診療書所所長・当時鳥取赤十字病院内科部長)は,長島愛生園(瀬戸内海の癩療養所)を見学したときの思い出を話された。
「そこで流されている音楽は『故郷』でした。この曲は鳥取の歌のようになってしまって,市役所でも流されていますが,私はこれは鳥取で流す歌ではないという気がしています。愛生園で流れていることに胸を打たれるわけです。あるいは国外にいて,この歌を歌っている人たちにとってこそ意味の深い歌ですね。国内にいても,いろんな理由で故郷に帰れない人たちの中で大事な歌だという気がするわけです。」
 ハーモニカで曲を吹きながらの話に聴衆は聞き入った。
 もう一つは中国での話。
 1999年8月,北京・西安を旅行した。そのときのガイドは趙さんと言って,西安生まれの西安育ちということだった。西安はその昔の中国の都で,玄宗皇帝と楊貴妃の話がよく知られている。もちろん西安のガイドにとっては格好の材料だろう。彼もたびたび私たちに聞かせてくれた。また,白楽天の「長恨歌」も大好きという。最初は日本語訳で四分の一ばかり,中国語で120行の全文を暗唱してくれた。漢詩を中国語で聞くのは初めてだったが,そのリズムと抑揚がすばらしい。意味はわからなくても引き込まれてしまいそうな感じがする。漢詩はやっぱり中国のものだ。そんな彼が,
「日本の歌を歌います。」
と言って「ふるさと」を歌った。もちろん日本語で,である。まさに正調「ふるさと」という感じで歌い上げた。作曲の岡野貞一が鳥取県出身ということが私の意識にあることもあって好感がもてたということもあろう。彼の故郷は日本ではないことは確かだが,この歌は国境を越えて外国の人にも理解できるものを持っているのかも知れない。

 秋の歌についてもっと書くつもりでいたが,たった2曲で終わってしまった。だんだん秋の気配が濃厚になってきたので,このシリーズはひとまず終わることにする。