そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.497  いざ鎌倉

 2日目に泊まったホテルの冷房が,少し強くすると寒いし下げると暑いしで寝不足になっている。でも予定通り観光をしよう。
 東京には見るところがたくさんあって,何度来ても飽きない。はとバスも何度か使ったし,演劇やオペラの鑑賞もした。しかし,その周辺となるとあまり行くことがない。奈良,京都は修学旅行でも個人的な旅行でも何度も訪れた。東京(江戸)も年に1・2回は来ている。そうだ,鎌倉を抜かしてはならない。ここを見なくては日本の歴史がつながらない。今回は鎌倉まで足を延ばしてみようということになった。
 あらかじめインターネットで調べてみると,定期遊覧バスが走っているようだ。「よしつね号」という半日コースで主な見所をまわって,午後は自由に散策しよう。

 新宿から鎌倉まで電車で1時間あまり。9時20分駅前発の観光バスに乗り込んだ。今ちょうど義経ブーム,連休明けの平日だが8割くらいの席が埋まっていた。よく見ると70歳から上くらいの男性が多い。何かの団体らしい。
 まず長谷寺へ。ここには「鎌倉」の歌にも歌われている長谷観音(十一面観世音菩薩)が祀られている。像高9.18メートル,「本邦でも最大級の木彫観音像」とパンフレットにも紹介されている。予想していたよりも暑いが。ヒガンバナが咲いて,秋を感じさせる。そういえばもう彼岸だ。ここのところ忙しくしていて家の近くにこの花を見ることもなかった。

 次は大仏。「露座の大仏」として知られている。パンフレットでは,もともとは大仏殿に収まっていたのだが,明応4年(1495)の台風で大仏殿が崩れ,それ以来露座になってしまったという(バスガイドは津波で壊れてしまったと説明していたが,どっちが本当だろう,かなり高い位置にあると思われるので台風説のほうが正解かもしれない)。
 高さ11メートル,重さ120トン,金箔を施していたというが,今は緑青の姿となっている。

 鎌倉宮は護良親王を祀っている神社である。護良親王は建武中興の中心的な人物。しかし,足利高氏に捕らえられ土牢の中で非業の死をとげる。
 明治天皇は,この親王の遺志を高く称え,親王終焉の地,東光寺跡に神社を造営した。それがこの鎌倉宮である。土牢もそのまま残っている。覗いて見たが,真っ暗でよく見えなかった。
 鶴岡八幡宮は源頼義が京都の石清水八幡宮から移したものだという。高い石段の上にあったが,そばの坂道をバスが上がったので,歩かなくてもよかった。年寄り向きのコースになっているのかな。
 最後は建長寺。建長5年(1253)北条時頼が建立した。鎌倉五山の一つ。臨済宗建長寺派の大本山として,現在でも日夜厳しい修行が行われているという。

 午後は案内所で近場の散策のコースを聞き,歩く。20人くらいの団体が歩いている。植物の観察をしながら歩いているみたいだ。自然観察の団体かな。
 海蔵寺のハギがすばらしい。ピンクの花,赤い花,ちょうど満開で,写真を撮っている人も多い。我が家のハギはばらばらに咲いていたが,一斉に咲いている姿は見事だ。
 その後,にぎやかな「小町通り」を抜けて,帰路に着く。