そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.498  板画展

 長谷川富三郎遺作展が倉吉博物館で開かれているので行ってみることにした。彼は生まれ(1910年)は姫路市だが,倉吉に住み,鳥取師範学校卒業後鳥取県中部の小学校に勤務していた。昨年8月94歳で亡くなった。
 教職を退いたのは1966年のことで,その面での私とのつながりは全くないし,話をしたこともない。しかし,彼は板画作家として有名だった。そして,私の家にも3点の板画作品がある。また,親戚の新築祝いには彼の板画を贈ったりもしている。人を知らなくても作品を通してのつながりがある。遺作展を見に行ったのはそういうわけがあった。

 鳥取県には県立の美術館がない。何年か前につくる話が持ち上がって,ほとんど決まりかけていたが,知事が「うん」といわず結局話が流れてしまった,といういきさつがある。それ以来話がなかなか起こらない。私としては中部辺りにつくればいいのに,と思うが,「箱物」をつくっても金がかかるばかりだし,県も手が出せないところだろうか。
 というわけで,この遺作展も倉吉博物館で開かれることになった。

 彼は若いころは油絵を描いていたらしい。その作品も何点か出品されていた。棟方志功と出会ったのが30歳のとき,志功に勧められて本格的に板画をはじめたのが37歳のときとある。また,色摺りや裏彩色を始めたのは55歳のころだという。かなり歳をとってからさまざまなことに挑戦をしているようだ。教員をしながら,しかも最後は校長を勤めながらの芸術活動は大変だったであろう。
 最晩年のころの作品も最後の部屋に数点出されていた。90歳くらいまで精力的に創作活動をしていたのだ。

 そういえば10年位も前になろうか。私が中部小学校校長会の広報の役をしていたとき,全国広報誌に「この人」(というような題だったと思うが)というコラムの原稿が割り当てられたことがあった。会では迷うことなく長谷川先生にお願いしよう,ということになった。もちろん快諾され,誌面を飾った。

 作品展は連休ということもあってかなりの人が入っていた。数多い作品でゆっくり見てもいられなかったが,私の家にあるものも2枚は確認できた。
「市の日」昔の田舎の市に来ている人の様子である。7人の人が前向き横向き後ろ向き,物を持って売りに来たのだろうか,買いに来たのだろうか。犬も1匹いる。
 打吹山の天女。笛を吹く天女,鼓を打つ天女。天女伝説を朱色の板画に表している。
 我が家にはもう1枚「鯉」があるのだが,同じものは出されていなかった。ということは,まだまだ多くの作品があるということか。