そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.500  5百号

 このページ「空の山通信」がNo.500になった。このページを立ち上げたのは2002年,退職の年の1月だったと思う。たまたま帰省していた長男に教えられながら何とかホームページらしきものを作った。その後,一緒に勤めていた学校の先生たちが,退職土産と言う気持ちからか体裁を整えてくれた。以来3年10か月,よく書き続けてきたものだと我ながら思う。
 平均すると2.7日に一回の更新をしていたことになる。実際には,最初の何か月かはよくわからなくて5日,10日経ってからでないと更新できなかったから,その後の密度はもっと濃かったし,パソコンの故障で上げられなかったこともあったから,パソコンが実働しているときには2日に1回の更新をしてきたと思う。幸い書くことがないということはあまりなかった。
 ときたま「どんな目的で『通信』を書いているのですか」と尋ねられることがある。
「そのときそのとき思ったことや考えたことを,日記風というか随筆風というか書き留めているのです。」と私は答える。この「通信」のNo.1空の山(解題)で私はこう書いている。

〜〜 私が30年以上前に出した小さな詩集に『空の山』がある。
   たくさんの日々がぼくらの中で過ぎた
   ぼくらは何をしなければならないか
   ぼくらの中でかすむ山がある
   ぼくらは背負わなければならない
   ぼくらは登らなければならない
   ぼくらの出発はいつでも始まっている (以下略)
 この中にある「山」は私にとっての原風景とも言える鷲峰山である。
 人は誰でも原風景を持つ。しかし,いま子どもたちにわたせる原風景はあるか,これがこのページの課題である。
 このページを通して話し合うことができ,思いを伝え合うことができたら,私にとって大きな幸せだと思っている。〜〜

 果たしてこのページを通して話し合うことができているか,思いを伝え合うことができているか,というとちょっと自信はない。どちらかというと,私が一方的に送っているという感じがする。それでもたまには「読んでいますよ」という声を聞き,「ものすごい量になっていますね」と感心する人もあるので,まだまだやめられないかな,と思ったりもする。
 500という数にはそんなに大きな意味はない。でも,「数は力なり」ということもある。これからも書けるだけ続けよう。「お前の勝手な独り言」と思って読んでいてくださる方に感謝しながら,No.501からの前進を目指す。