そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.514  トルコ・エジプトの旅4
ユーラシア
 カイロは一泊してアブディーン宮殿観光の後,トルコ・イスタンブールに空路移動。何か飛行機の都合で一日だけのカイロを設定したような感じだ。エジプト航空なのでそうしなければならないのだろうか。夕方にはイスタンブール到着。
 関空で円をドルに両替したが,少し少なかったような気がして,イスタンブールの空港でできないかと聞いてみるができないという。まあ,高価な土産物はカードですればよいからなんとかなるだろう。それにしても10泊もするから,まくら銭だけでも20ドルは必要になる。やっぱり13日の旅行というのはいろいろたいへんだ。
 26日朝5時起床。最初の夜は眠いのにあまり眠られなかったが,夕べは7時間は眠った。時差ぼけはすっかり取れたようだ。ただ,夜中3時半ごろに太鼓の音が聞こえたような気がする。あれはなんだったのだろうか。イスラム教の人たちは今ラマダン(断食)の時期なので,それに関係があるのかもしれない。
 後でガイドに聞いたところ,ラマダンの期間中イスラムの人たちに起きてラマダンの準備をするように知らせる太鼓だそうだ。ラマダンの断食といっても,一か月食べないということではない。朝から夕方まで食べたり飲んだりしないということである。したがって,この太鼓の合図で起きて,夜が明けないうちに食べるものを食べて水分をとって,ラマダンの準備をするということだ。イスラムのこの習慣についてはまた後で書こう。  今日はトロイ遺跡観光の後アイワルクに移動することになる。トルコのガイドはシナンさん。アンカラの外語大で日本語を勉強,卒業後日本の外語大でさらに勉強をした後,企業で語学関係の仕事をして現在の仕事に就く。28歳,独身。トルコ語風の癖はあるが,日本語はペラペラ。トルコの歴史にも国情にも,政治にも宗教にも,トルコ人の人間性にもたいへん詳しい。
 バスは西へ西へとマルマラ海を見ながら進む。トルコはその一部がヨーロッパに属する国である。アジアとヨーロッパをつなぐ国,政治の面でもヨーロッパと政情不安定なイラン,イラクなどと接している国である。ユーラシア(シナンさんはヨーロアジアと言っていた)の国とも言える。そのヨーロッパ側に一歩踏み込んで,ゲリボルというところからフェリーでダーダネルス海峡をフェリーでラプセキに渡る(写真はフェリーからゲリボルの町を望む)。  マルマラ海とエーゲ海をつなぐダーダネルス海峡は,トロイ戦争,トルコの独立戦争の地として有名なところとシナンさんは言う。何十万人もの犠牲者を出した「聖地」とも言えるところだそうだ。「1924年」という言葉がシナンさんの説明の中にたびたび入る。トルコが共和国として独立した年である。「まだ80年しか経っていない若い国です。」
 トロイ遺跡を前にして,昼食となる。今日の昼食は魚料理。なるほど,大きな切り身の焼き魚がトマトやレタスと皿に乗って出てきた。   〜 続く 〜

【前回の答え】バッグでした。カメラは今誰かに写してもらっているから確かにここにある。ザックは妻がもっている。バッグをセキュリティのところに置いたままだったのです。気づいて行ってみると,持ち主を探しているところでした。