そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.518  トルコ・エジプトの旅8
イスラム
 オリーブを初めとする果物などの農産物は見えなくなり,所々に見られるサクランボの林の紅葉,大理石を掘り出しているところが見られるほかは,人家はもとより何もない高原である。季節によっては羊の群れも見られようが,牧草も今は刈り取られてしまっているのか,本当に何もない。砂漠と同じ状態。遠くかすんで高山の山脈が続いている。
 延々と続く同じような景色の退屈を紛らすように,シナンさんがイスラム教について熱をこめて語ってくれた(ただし,その全体をここに書くことは私の知識と能力ではとても書くことができない。また,多少の間違いはあるかもしれない)。それによると〜〜
 それによると,トルコ人の96%が信徒である。しかし,政治と宗教は別のものであり,いわゆる政教分離である。政治についてどうこう言うことは一切してはならず,また,キリスト教など別の宗教を信じることも自由である。
 イスラム教の教えでは,富める者は貧しいものに施しをすることである。(その場面は実際にあちこちで見かけた。旅行者にも施しを求めて手を出す人もある。中には車道に出て運転している人に手を出すものもあり,実際に施しをしている運転者もあった。)そうすることによって貧しさや苦しさを共有するというのである。
 また,ラマダン(ラマザンとも。断食)も,そこに身を置いてみる,ことなのだ。ラマダンをしている人に「お気の毒に」とか「がんばってください」とか言う人があるが,そういうことではない。その苦しさを経験することによって,より深い信仰の心が持てるようになる。ありがたいことなのである。
自殺について言うと,イスラムを正しく学習し,信仰している人にはできないはずだ。人の体は神からの借り物であるから,自殺するということは神の心にそむくことになる。ましてテロ行為,自爆テロなどあってはならないことだ。神から借りている自分の命ばかりか,他人の命まで奪うなど言語道断だ。それは正しいイスラム信者ではない。
 シナンさんは30分以上にわたってこのような話をした。彼自身がラマダンの最中。ガイドの仕事はきっちり果たし,「味見してみてください」と観光地の土産物の菓子を配ったりする。もちろん彼は決して食べない。水分もとらない。〜〜
 イラクなどで起こっている問題からイスラム教やイスラム世界を,私も偏見の目で見ていたのかもしれない。
 予定よりも早くコンヤ到着。メブラーナ博物館観光。シナンさんの言葉によると,イスラム教徒の町らしいところという。
「今夜はコンヤ。」
などと添乗員の前川さんが冗談を言っているが,コンヤ(Konya)にはメブラーナ博物館という宗教博物館がある。メブラーナ教団は13世紀に神学者メブラーナによって興ったイスラム教団である。ぐるぐる旋回しながら踊ることによって神と一体になれるという一風変わった修行で知られているという。聖者たちの棺やじゅうたんなどを見学。町にはコーランが流れ,人々の祈りが続いている。