そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.519  トルコ・エジプトの旅9
シルクロード
 コンヤを出発してカッパドキアまで230kmの移動。昨日に比べると距離的にはずいぶん短い。途中の道路の大部分は中国の西安(当時の長安)とヨーロッパを結んだ交流の道「シルクロード」である。
 予定表を詳しく見ていなかった私たちは,この日たまたま一番前の座席に座っていた。「長い旅ですから,毎日同じ席に座っていないで,いろいろと変わってみてください」と,添乗員の前川さんも言っていたので,一番前というのは初めてだった。そして,広がる景色を見たとき「これはついていた」と思ったのだった。
 道はまっすぐに西に向かって伸びている。このはるか向こうに西安があるのだろうか。その昔人々はラクダや馬に荷を乗せ,隊を組んでひたすら交易の地を目指した。東方からは絹を初めとする品物が運ばれ,西方からは宝石や織物などが運ばれた。イスラム教が東洋の国々に伝わったのもこの道を通ってである。今でこそ,畑地や牧草地になっているところも点在するが,そのころはまさに砂漠の中を,何を目印にして旅をしたのであろうか。
 シナンさんが,
「バスを止めるわけにはゆきませんが,私の席を空けますから,どうぞ前に出て写真を撮ってください。」
というと,みながかわるがわる前に出てきて写真を写す。私たちはゆっくりと景色を選んで写すことができる。
「隊商宿」の跡がところどころにあった。ラクダの一日の歩行距離に合わせて,50kmおきくらいにあったらしい。建物もきちんと残っているものもあり,小さな村ができているところもあるが,崩れてしまって遺跡のようになっているものもある。大きな隊商宿だと,ラクダも人も中に入って休めるくらいの広さがあった。隊商の一行は人もラクダも馬もいっしょになって眠った。それはこの地方の厳しい寒さを防ぐための唯一の方法であった。
 こんなところにも電柱があって電線が走っている。ところどころに村があり,そこに電気を送っているのだ。道路の両側には農業機械の入ったあともある。牧草か麦か栽培しているのだろう。海岸の地方や低地に見られたオリーブやイチジク,ブドウなどの果樹,野菜,少し高いところで見られたワタなどもここでは姿を消している。何かとり入れをしていると思ったら,サトウダイコンだという。一つの畑に何人もの人が見られるので,近所で共同作業をしているのだろう。
 シルクロードから離れてカッパドキアに近づくと,人々の姿が多く見られるようになる。子どもたちが手を振る。ここを訪れる観光客を歓迎しているようだ。私たちも手を振ってそれにこたえる。