そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.520  トルコ・エジプトの旅10

カッパドキア
 この奇岩群はどのようにしてできたものだろうか。ガイドブックによると,エルジェス山とハサン山の300万年前の火山活動で堆積した溶岩や火山灰が長い年月をかけて浸蝕されたものだという。形の変化といい色の変化といい,どう表現すればいいのだろう。三角錘状に浸蝕された形のものが多いが,キノコ状になっているもの,上部が細くとがっているものなど実に変化に富んでいる。そしてそれらの岩石群が,96?にも広がっているのだ。
 遠望すれば砂丘の砂が降り積もって数々の三角形を形成しているかのようだが,それは火山灰土の山である。また,やわらかい凝灰岩は風雨によって浸食し,複雑な洞窟ができ,さらに掘削によってそこを住居として暮らした人々もあった。現在もそこは洞窟ペンションとして使われている。
 私たちはシナンさんのはからいでそこに生活する一家を訪問した。洞窟の中は思ったより広く,私たち37人が入って座れる。テレビも置いてある。ここの住人であるおばあさん(立っている右の人)が,私たちにここでの暮らしについて話をしてくれた。
「世界遺産のこの洞窟にどうして住むようになったのですか。」
「前からここに住んでいる者は続けて住んでいいのです。住み心地もとてもいいですよ。」
なるほどなあ,夏は涼しく,冬は暖かく過ごせるのだろう。
「絨毯を敷いて客を迎えて,とてもよい暮らしです。そちらの部屋が台所,離れには子や孫が暮らしています。」

 カッパドキアには36の地下都市が確認されているという。そのうちのカイマルクに入ってみた。炊事場,井戸,食堂,ワインセラーまである。推定1万人の人々が住める構造になっているという。
 奇岩群は住居として使われ,キリスト教徒が迫害を逃れ住んだ場所としても使われた。ギョレメ(ギョレメというのは「見てはいけないもの」という意味だそうで,イスラム教徒から信仰を守ろうとするキリスト教徒の心の現れといわれる)国立公園の洞窟修道院を見てまわる。ギリシアで見たメテオラと似ているので,
「何か共通点はあるのですか。」と尋ねると,
「多分ないと思います。」とシナンさんは答える。地理的にもかなり離れているので,直接のつながりはないかもしれない。しかし,修行の場,あるいは逃避・避難の場というキリスト信徒の考えは類似したものだろうと考えられる。
 明日はもう半日カッパドキアを見てまわる。

【註】カッパドキアでは,洞窟や地下都市,教会,さまざまな形の岩などいろいろなところを見てまわったため,また,予定が変更になった部分があり,順番がよくわからなくなってしまいました。従って,実際のコースとは少しちがっているところがあるかもしれません。