そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.522  トルコ・エジプトの旅12

Tuz Lake・アンカラ・イスタンブールへ
 カッパドキアに別れを告げてアンカラへ。イスタンブールのほうが名前が知られているように思うが,首都はアンカラ。またまたバスは砂漠のような景色を見ながら走る。途中左手に大きな湖が見えてきた。
「Tuz Lake(テュズ・レイク),テュズはトルコ語で塩のこと,塩の湖です。塩を取る工場もあります。トルコの塩の大部分はここで取ります。でも最近は水が汚れてきて,なかなか塩が取りにくくなってきた。もうどれだけ持つか分かりません。」
 シナンさんの説明が入る。湖にだいぶ近づいて,湖岸に近いところが白く見える。
「あれは塩です。塩の上を渡ることもできます。ちょっと寄って行きましょう。」
 観光客相手の店もあって(必ずトイレつきなのだ),ちょっとしたみやげ物もある。
「どうぞ。」
と店の人が塩を出してくれた。別に買ってくださいというのでもなかったから,指でつまんで舐めてみる。うん,確かに塩だ。しかし,家で使うのと違って甘みも感じられた。
 みんなが湖に近寄ってみる。氷が張るような様子なのかと思ったが,どこまで行っても白い岸辺が続くばかりだった。
「なんだ,これはもう塩の上なのだ。」
 私たちは塩の上を歩いているのだった。折しも夕日が湖の向うに沈んで,初冬の湖面を染めている。

 オスマントルコの時代,トルコの首都はイスタンブールであったが,1923年トルコ共和国となってからアンカラに移った。トルコの歴史に詳しいシナンさんは,細かい年代を言いながら新しいトルコの発展を語る。
 残念ながら私たちがアンカラに到着したのはもう暗くなった夜の9時ごろ。町のようすは灯りの下にしか見ることができない。これから1時間ばかり待って寝台特急でイスタンブールまで帰ることになる。駅の売店で缶ビールを買って,ベンチに座って待つ。
 アンカラ10時半発イスタンブール行きの寝台特急はそろりと動き出した。1等寝台といっても広さ4u程の個室に二段ベッド,物入れと冷蔵庫(その上は棚),洗面台がついている。トイレは車輌共同,シャワーはない。

 ボーイがベッドメイクにやってくる。トランクとビギーバッグをわずかな隙に立てると,座って話をするスペースもない。イスタンブール着は朝8時半ごろという。なぜ「ごろ」なのか。そういえば出発も「10時半ごろ」だった。この国には列車時刻表がないのか。間隔もないくらいに走り回っている日本の電車や列車も異常だが,こちらも変だ。添乗員の前川さんは,
「9時ごろまでにはイスタンブールに着くでしょう。」
と,悠々と構えている。