そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.532  年の瀬

 「年の瀬」年の暮れのこと。「瀬」には「ふし」「点」の意味もあるから「年の節目」ということだろうか。2005年もあと2週間しかない。

 12月としては珍しい大雪になった。12月13日には,私の家の前は33センチを記録した。「気象統計順位表」(『山陰の気象暦・統計』)で見ると,1983年12月25日に日降雪量69センチというのがある。そうだ。そのころ私は浜村小学校に勤めていた。2学期の終業式の日で,忘年会を鳥取でして,その帰りがたいへんな雪になったのだった。妻は三朝で忘年会があって,翌日にも帰ることができなくなってしまった,と記憶する。
今回のはそれほどではないが,ここ20年間にはない大雪である。その後穏やかになって,だいぶとけたと思ったが,またまた寒波の到来。今年は厳冬らしい。
 畑の野菜が雪の下になってしまった。と言っても,今作っているのは大根とニンジンと白菜とねぎとブロッコリー。まあ,少しすれば雪も解けるだろうから,あわてず待とう。

 年賀状にようやくとりかかる。はがきを買うのは11月の半ばだが,とりかかりはいつも12月の後半になってしまう。退職して,少しずつ年賀状のやり取りが少なくなって,ここ何年か年に10枚ずつ減らすことにしている。今年も「喪中につき」のはがきがかなり届いている。そんな年齢なのかなあ,と思う。
 年賀状にはデジタルカメラの写真をつけてパソコン印刷。最近は旅行の写真にしている。今年は海外に2回出かけたから,写真は十分にある。トルコとエジプト,ベトナムも使うかな。

 大学時代の同窓会のことは10月に書いたが,鳥取市付近の気の合った者同志が集まって忘年会をしようということになった。寒さの中行ってみると,私も含めて8人集まっていた。またまたいろいろと思い出話や近況を話し合う。なぜか私の卒論が話題になる。
「中原中也で書いた」と私が言うと,「えっ,中也で」と驚く人,「いや,わざわざ聴きに行った後輩もあったそうだ」など。そんなことは聞いたことがなかった。
たった2か月しか経っていないのに話はつきない。今度は新年会でもしようか,とずいぶん調子のいい話だ。

 そろそろ正月準備にかからなければならない。息子たちは帰らないが,ちょっと掃除をしたり,障子の張り替えをしたり,ガラス拭きをしたり。近年は餅つきもしないが,正月食べる分くらいは買うとするか。二人だけの正月だから,のんびりと過ごすのがよかろう。