そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.533  どこかで春が

 先日,「赤い実」という題でこのページに書いたが,なんだか前にも同じようなことを書いたような気がして,調べてみるとやっぱりあった。何年も書いていると忘れてしまうことがある。今回も「春を待つ」という題で書こうと思ったが,「待てよ」と考えた。調べてみるとやはり以前に書いている。急きょ上の題に変更した。

 〜 どこかで「春」が 生まれてる, どこかで水が ながれ出す。
          (「どこかで春が」百田宗治作詞・草川信作曲) 〜
 まだ12月で,冬が始まったばかりである。先週からの寒波がようやく落ち着いて,今日は雨。それでも雪はまだ平地で15センチは積もっている。気象庁は「今年も暖冬だ」と言っていたが,改めることになるのかもしれない。私の少ない経験では,寒さが早くやってくる年は冬が長い。そうならねばいいが。

 動植物だってそう思っているだろう。このページに何度か登場したアゲハチョウはどうしているのだろうか。今年は秋の終わりごろからずっとさなぎを探していた。確かに家のまわりのミカンやサンショウに来ていたから,今頃はさなぎになっているはずだと思った。ところがどうしても見つけられない。別のところで過ごしているのだろうか。
 あきらめて家のまわりの冬越しの準備をしていると,「いた。」
 使用しないで置いていたレンガとレンガの隙間に,さなぎはしっかりとくっついている。レンガで風を防いで,しかもレンガは急激な温度変化は少ないから,さなぎにとっては過ごしやすい場所と思われたのだろう。
「でも,そこは雪に埋もれてしまうよ」
さなぎが雪に耐えて生きるかどうかは知らないけれど,レンガにくっついたまま物置に入れておく。寒さの中,さなぎの中では春がふつふつと生まれているのかもしれない。春にはまた蝶の姿を見ることができるか。楽しみなことだ。

 庭の日陰で夏を過ごしたフクジュソウの鉢を室内に入れてやる。今年の春はたくさん咲いたから,来年もうまくいくといいが。枯れた木の葉が上に積もっているので,そっと取り除いてみると,「あった。」
 しっかりしたフクジュソウのとがった芽が3つ顔を出している。去年は初めは1つだったと思うから,今年はたくさん咲くのかも知れない。ラジオで,しばらく寒さに当ててから暖かい日の当たる場所におくと,20日間くらいで花が咲くようになる,と言っていた。うまくいけば正月早々には黄色い花を見ることができるかもしれない。