そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.535  雪続く

 20日ごろから雪が続いている。「冬至寒波」というのか。1日の降雪量が30センチを越えて,観測史上5位以内になることは前に書いたが,積雪量も40センチを超えたので,12月としては1983年12月27日の53センチに次ぐ記録となるようだ。
 我が家から車を出すためには,40メートルほども雪をあけなければならない。どうしても仕事で車を使わなければならないこともあり,また,消火用車両が出入りできるようにしなければならないから,妻と二人であける。近所で手の空いているのは年寄りばかり。少子高齢化がこんなところにも影を落とす。妻は,
「除雪機を買おう。」
と言うが,いくらくらいするものやら,どこに売っているものやら分からない。とりあえずスノーダンプ(手押しそり型の除雪の道具)を買う。1980円なり。スコップよりも一度に多くの雪をすくいとることができるので,大分能率が上がる。しかし,新雪には効果的な道具だが固まった雪にはちょっと弱い。
「冬至冬中,冬初め(冬至といえば太陽は最も低く冬の最中ということになるが,気候の面では冬の初めである)」の言葉の通り,これから長い冬を考えると大変なことだ。

 雪は多くの文学作品に登場する。ここでは二人の詩人についてだけ取り上げる。
 宮沢賢治(1896〜1933) 多くの童話を書き詩を書いた。「永訣の朝」は高校の教科書にも載った賢治の代表的な作品である。その冒頭は次のようである。
 けふのうちに/とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ/みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ/ (あめゆじゆとてちてけんじや) /うすあかくいつそう陰惨な雲から/みぞれはびちよびちよふつてくる/ (あめゆじゆとてちてけんじや)
   【註】あめゆじゆとてちてけんじや=雨雪をとってきてください
 大正11年(1922)11月,賢治は愛する妹としを失った。東北地方の暗い初冬の自然と,妹としの繰り返し言っている声が,詩全体を覆っている。私は冬の霙が降る頃になるとこの詩を思いだす。そしてこの風景までもが浮かんでくる。そんなすごさをこの詩は持っている。

 中原中也(1907〜1938) 山口県生まれのこの詩人については卒業論文のテーマにしたので,すべての作品に目を通した。「生い立ちの歌」という作品がある。
 T 幼年時     私の上に降る雪は/真綿のやうでありました
   少年時     私の上に降る雪は/霙のやうでありました
   十七〜十九  私の上に降る雪は/霰のやうに散りました
   二十〜二十二 私の上に降る雪は/雹であるかと思はれた
   二十三     私の上に降る雪は/ひどい吹雪とみえました
   二十四     私の上に降る雪は/いとしめやかになりました……
                (以下略)
 1930年に発表された作品である。ということはそれぞれの年代に降っている雪は,24歳の彼が振り返って感じている過去の姿であろう。また,そんな過去を誰でも持っているのかもしれない。自分自身についても考えさせるところのある詩である。
もう少し書こうかと思ったが,またの機会にする。

 少し年末の休みを取ります。また来年お目にかかりましょう。よいお年を。