そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.54 言葉考2 「じゃないですか」?

  若者の言葉はいつの時代も問題になる。それは一時期の流行で消えてしまうものもあり,定着して言葉としての位置を占めるものもある。だから,お互い通じるものであれば,あまり目くじら立てることはないと思う。
 では,今の若者言葉の特徴は。いやいやそんなにまとめているわけではないからわからない。でも,「あれっ?」と思うことはある。

「キレル」「ムカツク」はよく使われた。今でも若者の間に使われているかどうかはよくわからない。「ウザッタイ」はテレビで聞くことがあるがどうか。これらは,言葉に新しい意味を見出したり,より的確に意味を表現する言葉を生み出したりしているものではないかと思われる。それがある範囲の人々に受け入れられ,使われるようになると流行語となる。

「ら抜き表現」はかなり市民権を得てきているという。「食べられる」を「食べれる」と言ったとしても特に疑問に思わない人が増えている。(このコンピュータは「間違った表現だ」と波線をつけて指摘しているが)
「ている」の「い」を抜いた表現,「使ってる」「勉強してる」も多く使われている表現だ。初めにも述べた「定着して言葉としての位置を占める」ものになるのかもしれない。 

「的」をつけて言うのも気になる。「私的には……だと思う」という具合だ。接尾語「的」の用法から考えると間違いであろう。しかし,「私は……だと思う」という場合と比べると,そこには断定を避けて自分の意見を話そうとしている話し手の気持ちが潜んでいるように思われる。
 若者の言葉にはこの「断定を避ける」話し方が多い。「半クエスチョン」や文節で延ばして話すのも同じ感覚だ。相手の反応をいちいち確かめているのではなかろうが,少しずつの間を取りながら話しているところに,話し手の狡猾さや弱さが見える。(というのはちょっと考え過ぎか)
 
「じゃないですか」も最近よく聞く変な言葉だ。
「ああじゃないか。こうじゃないか。」というのは,一般によく使われる。その敬体であれば別に問題にするものではない。ここで問題にしたいのは,自分の行動や考えを相手に確かめる場合の言葉だ。
「私がそんなとき……するのは,……考えるからじゃないですか。」なんで自分の行動や考えを相手に確かめるのだ。もっとも,話し手は相手に答えを求めているのでもなさそうだ。
 ここにも断定を避け,相手の反応をうかがう若者の心が見えるような気がしてならないのだが。 (2002.6.28)