そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.544  長尾から浜村・鳥取

 前回の続き,長尾トンネルが完成して浜村・鳥取まで通じた鉄道のことをもう少し書こう。

 浜村駅周辺の湿田や沼沢地は浜村の灘屋と呼ばれる素封家,木下六蔵の所有地が多く,葦も生え,稲刈り時も腿までつかる状態だったので,無償提供が行われたという。勝見の田中国太郎らは勝見温泉のさびれるのを恐れ,駅を南側に向け「勝見駅」にする運動を起こす。それが「浜村駅」と決まり北を向いてしまうのには次のような訳があったといわれる。当時の正條村長田中直治は浜村出身であり,ひそかに「浜村停車場」にしようと鉄道管理と結託して決定してしまったのだ。もちろん明治17年に発見されて発展しつつある鉄道北側の浜村温泉が影響しているかもしれないし,駅南の勝見住民の中にも反対の声があったことも推測される。

 こうして青谷駅の開業(明治38年5月15日)から2年遅れの明治40年(1907)4月28日,浜村,宝木,湖山,仮鳥取駅(現鳥取市古海)が開業。困難を極めた千代川鉄橋(長さ375m)も完成し,現在の鳥取駅まで延びたのは翌41年4月5日であった。
 
 そのころ珍しさから多くの人々がわざわざ汽車見物にやってきたという。全国に広がる鉄道網に次のような童謡も生まれた。汽車のリズムをうまく取り入れたもので,現在も多くの人たちに親しまれている。

   汽車(作詞不詳・作曲大和田愛羅 明治45年の作品)
1今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと 思う間もなく トンネルの 闇を通って広野原
2遠くに見える村の屋根 近くに見える町の軒 森や林や田や畠 後へ後へと飛んで行く
3回り灯籠の絵のように 変わる景色の面白さ 見とれてそれと知らぬ間に 早くも過ぎる幾十里

   汽車ぽっぽ (作詞・作曲本居長世 昭和2年の作品)
お山の中行く汽車ぽっぽ ぽっぽ ぽっぽ 黒い煙を出し しゅしゅしゅしゅ
白い湯気噴いて 機関車と機関車が 前引き後押し なんだ坂こんな坂 なんだ坂こんな
坂 トンネル鉄橋 ぽっぽ ぽっぽ トンネル鉄橋 しゅしゅしゅしゅ トンネル鉄橋
トンネル鉄橋 トンネルトンネル とんとんとんと のぼり行く

   汽車ポッポ(作詞富原薫・作曲草川信 昭和13年「兵隊さんの汽車」という題で発表。戦後,          歌詞を変えて歌われている)
汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ
僕ら(兵隊さん)を乗せて シュッポ シュッポ シュッポッポ
スピード スピード 窓の外 畑も とぶ とぶ 家もとぶ
走れ 走れ 走れ 鉄橋だ 鉄橋だ 楽しいな