そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.545  編纂室への訪問者

 不定期な勤めで,ほとんど事務室もない庁舎の2階なので,めったに来訪者もない。1日1人もないことも多い。先日も書いたが,1階にいる担当者が時たま事務連絡等でやって来る,編纂委員が原稿を持って来る(それもここまで作業が進むとやってくる事は少なくなった)。あとは,別の用事で来ることがちらほら程度である。

 部屋はもと教育長室だから,1人で事務を執るにしてはゆったりと広い。応接セットがあったところには長机を置き椅子を4脚,私は南側に2組の事務机を向かい合わせて置き,仕事をする。1つの事務机にはパソコンと電話(内線なのでかかることはめったにない),1日のほとんどはここで原稿の入力作業。向かい側の机にはカッターマットや定規を置いて必要なときに作業机となる。来客があれば向かい合って話もできる。何人かの来客があれば長机で話し合いもできるが,そんなことはまだない。

 ロッカーも戸棚も書架もあるが,使用頻度が多いのは書架だけ。ここには仕事に関係のある図書,書類が収まっている。あと,ここの特色ともいえるダンボール箱が30ばかり。明治時代からこちらの役場関係の書類である。古くて紙と紙がくっついてしまってはぐれないものや,紙魚(しみ)が食っていて読めないもの,あまりにも達筆で私には判読できないものもあるが,中には貴重な記録もある。私の担当した近代から戦後のあたりの記述には随分役に立った。
しかし,このまま置いておくと散逸してしまったり,損傷がもっと進んだりする恐れがあるのではないか,と心配する。
 この資料は集落の歴史を調べるのにも役立つ。私の同級生のM君も2・3度やってきて調べて帰った。昔の村役場の資料も保管されているから,探せば何かはあると思う。私は,読める読めないは別にして一応目を通したから,できるなら私がいる間のほうが,探す手間が短くて済むと思う。

 さて,訪問者そのほか。
 以前の教育委員会の事務局は,支庁舎になってから人数が約半数になり,教育委員会分室と名前も変わった。そこからたまに写真探しにやってくる。私のところで保管している写真資料が何百枚かあるので,どこかから「こんな写真がないか」と尋ねられた時の唯一「あてになる場所」らしい。
 先日も「観音山の写真はありませんか」と探しにこられた。「観音山」については以前にも書いているが城があったとされている場所で,現在は公園になっている。
「確かあったはずですけどねえ。」とありそうな封筒を探す。「あった。普通のフィルムとは違う(リバーサルと言ったかな)のですが……。」
 2・3日して返しにこられた。「とてもいい写真だと感心していました。」よかった,よかった。

「浜村砂丘のことについて記事にしたいと思いまして。何か資料はありませんか。」
情報誌を発行しているところだという人が訪ねてきた。
「そうですねえ。」
 まず私の記憶を話す。
「ここから見えるあの丘陵は全部砂地です。浜村砂丘の上に家が建っています。鉄道近くから南の地帯以外は昔は砂丘地だったのです。あの斜面を利用して観光客はサンドスキーをしていました。」
「サンドスキーってなんですか。」
「砂の上を滑るスキーです。雪のスキーのようには滑りませんけど。写真はありますよ。」
「今はそこが町になって広がっているのですね。」
 1か月も経ってからその情報誌が届いた。サンドスキーの写真が小さく載っていた。「浜村は砂丘の上にできた町なのである」紹介記事にはそう結んであった。ん,そうだったかな?。