空の山通信11

No.558  トリノ・オリンピック

 トリノ・オリンピックでラジオ,テレビがにぎやかい。何か「鳥のオリンピック」と聞こえるような感じもする。
 私はオリンピックを直接見たことはない。東京オリンピックのときは大学卒業の年で,ほやほやの教員,分校の宿直室で白黒テレビを楽しんだものだった。面白そうな競技は,授業を「テレビ視聴」に変更して子どもたちと見ていた。

 それより少し前のメルボルン大会のときは,中学3年生だった。高校受験を半年後に控えて,中学校では正規の授業の後「補習授業」なるものをしていた(今もしているのかどうかは知らない)。
この大会では水泳陣の活躍が期待されていた。平泳ぎの古川は優勝候補の1人だった。そのころはまだラジオの時代だった。実況放送は補習授業の真っ最中だった。多分聞きたかったのは生徒よりも先生のほうだったのだろう。授業を中断して校内に実況が流れた。
「古川がんばれ,古川がんばれ」

 ずうっと時間は飛ぶ。シドニー大会の前の年,シドニーを中心にした観光旅行をした。なにしろ広い土地だから,どこでどんな準備がされているのかわからなかった。ただ,準備が着々と進んでいると聞かされ,建設途中の中心会場を遠望しただけだった。しかし,大会目指してランニングをしている人もあった。それがマラソンコースとなったかどうかは知らないが,高橋尚子もあんなところを走り,優勝したのだろうと思った。

 ギリシア旅行もアテネオリンピックの前年だった。準備がずいぶん遅れているということで,「間に合うだろうか」と心配の声が上がっている最中だった。しかし,どんな大会も間に合わなかったということはない。何とかつじつまをつけるから不思議だ。このときの旅行では,聖火採火式を行うヘラ神殿や,スタジアム,ギムナシオン,アテネの古代オリンピック競技場などを見た。

 アテネオリンピックの翌年イギリス(ロンドンを中心)の観光旅行をした。ブレナム宮殿のティータイムで店の人が私に話しかけてくる。ことばがわからないが,私の着ているTシャツのことらしかった。そのとき私はアテネオリンピックのシンボルマークつきのもの(ギリシア旅行で買ったもの)を着ていたのだった。「ギリシアに行ってきたのか」というような話だったのかもしれない。

 夏季大会のことばかり取り上げた。冬季大会については日本で2度の大会を持ったにもかかわらずあまり私か強く思い出すことはない。スキー場といっても近くて大山,スケートといっても市街地でなければ施設もなくなじめないという環境から来るものが大きいのだろう。だから,マスコミが騒ぎ立てているほどの期待も興味もない。
 そんな中にフィギュアスケートで荒川静香の金メダルニュースが入ってきた。期待されていたスキーのジャンプも,モーグルも,スピードスケートも次々沈む中で,今大会初の快挙であった。