空の山通信11

No.566  殺陣師段平

 3月にしては珍しいくらいの雪になった。予報でも真冬なみの寒気がやってくるといっていたが,ぴたりとあたった。天気予報は1週間くらい先ならよく当たる。13日から雪模様になって,14日は朝から雪だった。午後3時ごろには15センチ以上もの積雪となった。この冬何度目かの雪かきである。道路も県道は除雪車が遅くなってかいたが,市道はしてくれない。車の走ったあとが固く凍りついて帰って走りにくい。そんな中での3月例会,早めに出発して県民文化会館付属の食堂で夕食後梨花ホールへ。今回は前から2列目の席である。俳優の唾でもかかりそうなところ。
 
 3月鑑賞会は「殺陣師段平(たてしだんぺい)」(劇団青年座)だった。はっきりしたものではないが,どこかで聞いたことのある名前だ。実在した人物かと思って調べてみたが分からなかった。
 しかし,嶋村抱月や松井須磨子と同時代の澤田正二郎は実在の人物だし,芝居の殺陣もそのころにできたものだろうから,実際にあったことを劇化したものかもしれない。

 大正6年,芸術座を退座した澤田正二郎(佐藤祐四)は新国劇を旗揚げする。新国劇の頭取(楽屋の世話役)市川段平(津嘉山正種)は元は歌舞伎の殺陣師(立ち廻りの振り付け師)だった。旗揚げ公演の「国定忠治」の殺陣を,これまで歌舞伎で使われていた「型にはまった殺陣」とは違ったリアルなものにしたいという澤田の願いに答えようと,段平の模索が始まる。
 ある出来事から「リアリズム」の意味を得た段平は新しい芝居の殺陣師としての役を果たし,大阪公演は大成功,東京に出て公演を打つことになる。
 髪結いの女房お春(岩倉尚子),そのお手伝いおきく(実は段平の娘)とのことも絡んで,話は展開する。

 最後の幕は,段平が中気で倒れて寝ている場面であった。芝居の中の国定忠治も,やはり中気で半身不随であった。見舞に来た澤田正二郎は段平に忠治の立ち廻りを頼む。捕り方を迎え撃つ忠治の立ち廻りを,段平は完成させて死んでゆく,ということでこの劇は終わる。
ところで,段平役の津嘉山は去年の夏に脳梗塞で倒れたというのだ。幸い大きな後遺症がなく,回復し舞台に立てるようになったということだが,「そのことも活かした舞台にしたい」と津嘉山は語っている。
登場人物が20人を越える大掛かりなものだった。最近3・4人という登場人物の演劇が多かったので,「おお,これぞ芝居だ」という感じで見ることができた。

雪は止んでいたが外は寒かった。車も皆慎重運転だった。今日は遅い帰宅になる。