空の山通信11

No.573  新修町誌

 気高町誌のことを何度か書いてきたが,4月で3年目を迎えたことになる。一昨年の3月に当時の町教育長から依頼されて,「まあ,やってみますかな」と事務局を引き受けて,何とか形が見えるまでになった。1年目の途中で気高町が鳥取市に編入合併(これは委員会ができたときからほぼ分かっていたことだったが)になり,いろいろな制約を受けるようになった。次に主な変更点を挙げる

1,賃金がちょっと少なくなった。これは私にとっての問題。安い賃金で使うものだ。編纂委員は報酬が減った。「交通費程度の報酬にする」という噂もあったが,そこまでにはならなかった。第一そんな事をしたら委員は辞めてしまう。

2,大きさがA5判になり,ページ数も減ることになった。当初はB5の2段組1200ページ以上として原稿を書いていたからえらい違いだ。これはそうしなければならないというのではないのだが,作っただけは売らなければならないというのだから,やっぱり金に絡む大きな足かせ。おかげでこちらは原稿の版を変えなければならず,当然書きかえなければならない原稿もあり,二重の手間がかかった。原稿の削減は限界のところまでしたが,だんだん書き手の方がくたびれてしまって私の仕事は増える一方だった。

3,印刷費が17年度予算につかず発行が一年延びることになった。新鳥取市で合併前後をまたいで町誌を手がけたのは国府町,用瀬町,気高町の3町であったが,そのうち国府は町時代の予算を持ち越しての発行だったから問題なし。用瀬と気高がほぼ同時の発行予定だったが,予算が用瀬についてしまった。ページ数が少なく,安くあがるということだったのだろうか。
 しかし,これについては1年余裕ができたのでゆとりを持って取り掛かることができたというよい面もあった。用瀬は3月,年度末ぎりぎりまで休み返上で仕事をしていたという話を聞いた。

 原稿もほとんど仕上がっているが,写真や表の整理にもう少し時間がかかる。今月末には入札にかけたいということなので,ちょっと急いでいるところだ。写真は一年半ばかりお世話になった私の仕事場。机の上には原稿と図表や写真などが積み上げられている。これが片付かないと私の仕事は終わらない。
 多分この調子で行けばあと半年ばかりで発行の運びになるだろうからそれまでがんばるか。自信を持って「買ってください」と言える町誌になればいいが。