そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.59 台風 

 息子の結婚式が無事終わってホッとしているところである。台風5号もうまく避けてくれて(台風にそんな気持ちがあるかどうかは知らないが)よかった,よかったと思う。
 なにしろ,夏から秋にかけて,何かしようと思うと天気の心配をしなければならない。冬は,山陰では雪が降るのは当たり前なので,それなりの覚悟で予定すればいいのだが,それ以外の季節はそうはいかない。校長のときなど学校行事が雨で延期することが続いたりすると,『雨校長』の名前をもらうことだってあるくらいだ。

 結婚式から帰ってテレビを見ると,また台風(6号)がやってくるという。今年はこの時期から台風がよく接近する。以前にもたまにはあったかもしれないが,こんなにやってくることは珍しいように思う。何はともあれ被害の少ないことを願う。

 過去の台風でもっとも記憶に残っているのは伊勢湾台風(1969.9.26)だ。あれは高校3年生のときだった。ものすごい雨だった。浜村川堤防がまだ整備されていなかったころのことで,あっという間にやられた。いや,私も堤防を守るために土嚢積みに出ていたからよく知っている。必死の努力はしていたのだった。しかし,増水はどうしようもなかった。堤防を越え,崩し,町に流れ出す水の勢いを誰も止めることはできなかった。

 翌日山陰本線は麻痺状態だった。でも,隣の宝木駅から鳥取行きの列車が出るという。私たちは学校に行くために,トンネルをくぐって線路伝いに歩いた。今なら臨時休校になっているだろう。でも,そんな情報網もなかった。学校は休むところではなかった。

 第2室戸台風(1961.9.16)の風はすごかった。私は大学の帰り鳥取駅で遅れる汽車を待っていた。駅から見える建物の瓦がパラパラとめくれて飛んでいった。あとで記録を見ると最大瞬間風速44メートルとある。もちろんしばらく列車は動かなかった。でも,みんな待っていた。待てばなんとかなる,そう思っていた。そして,実際しばらくすると列車は動き,沿線の風の被害を受けた建物を見ながら家路につくことができたのだった。

 これ以上の風を経験したのは,平成3年の台風19号(1991.9.27)だった。48.6メートルと気象の記録に残る。勤務していた学校のプールのテントの支柱が全部ひん曲がった。教育委員会から「なぜシーズンが終わっているのに天幕を外していなかったのか」と叱られた。でも,こんな風は初めてだった。それは言い訳にもならなかったが。

 まだまだ自然災害に関する記憶はある。大切なのは,そのときの人としての対処,冷静な判断と決断・実行だと思っている。(2002.7.10)