そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.7 文化の享受

  昨年私は還暦を迎えた。東京近辺に就職している息子たちが気にしていて,「お祝いをどうしようか。」と言う。「別にどうでもいい。」と答えると,「本人がしてほしいかどうかだ。」と言うので,「好きなように。」と言っておいた。なんだか親子が逆転したみたいだ。

 それでも息子たちはやっぱり気になったらしく,私の誕生日頃の都合を訊ねてきた。ちょうど日曜日と祝日が続く日になっているので,土曜日からの午後からなら3日間の自由がありそうだ。そう伝えるとしばらくして,「東京にホテルを2泊取ったから一緒に食事をしよう。」と言ってきた。

 そんなわけで,夫婦そろって東京2泊3日の旅をすることになったのだが,ただ食事をするだけではもったいない。3日目の午後には長男が趣味でやっているオーケストラが定期演奏会をすることになっているので,それを入れることにしたが,2日目全部と3日目の午前はなにかを計画したい。

 私は演劇鑑賞も好きだ。インターネットで調べる。こんなときインターネットは便利だ。帝国劇場の『質屋の女房』が目にとまった。森光子主演の2.26事件を時代背景にしたものだ。早速飛行機の予約を頼んでいる旅行業者にいい席はないか,お願いする。「S席の最後列しかありません。」まあよかろう。

 3日目の午前は新聞に出ていた『カラバッジョ展』(東京都庭園美術館)。このイタリアの鬼才を私は知らなかったが,よさそうだ。こうして私の還暦祝いは『文化三昧旅行』となった。

 新聞やインターネットで文化的な情報を見ていていつも思う。どうしてこんなに東京と鳥取とでは文化の享受に差があるのかということ。それは,人口,交通条件,文化施設等々,不利な条件下にあることはわかっている。でも,それでいいのですか。私たちがいい文化に接するために,なぜ多くの時間とお金などをかけなければならないのですかか,という問いの答えにはなっていないと思う。

 もちろん,国レベルの問題だけでなく,地方にも大きな責任がある。この町には,図書館さえも,話ばかりでできないのですから。行政に携わる方たち,もっと考えてください。今何が必要なのか。これから何が必要なのか。でないと地方は滅びます。