そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.74 言葉考4 「名前」 

 
 人名も固有名詞だが言葉である。
 学校の先生は子どもの名前に接する機会が多い。特に小学校では,名前の読み方が分かるのはもちろん,顔と名前が一致し,間違えないように書くことができなければ,一人前の担任とは言えない。
 年度初め,子どもたちの名簿や出席簿を見て,「これ,どう読むの」と考えてしまうものも中にはある。そして,最近そういう名前が増えているように思う。

 概して今の大人(何才以上という特定はできないが)の名前は,読み間違いをするようなものは少ない。高齢の人の名前では,旧字体のものが読みにくいことがある。また,「ゐ」「ゑ」を使っている名前は相当の年齢の方である。この文字が使われていたのは五十数年も昔のこと。昭和21年11月16日の内閣告示第33号『現代かなづかい・細則』に「ゐ,ゑ,をはい,え,おと書く。ただし助詞のをを除く。」と出されて以来,普通には使われなくなっている。
 
 では最近の名前はどうか。新聞の「赤ちゃん紹介欄」などを見ているとおもしろい。 
 タレントやスポーツ選手の名前を取るのは,最近だけの現象ではない。あんな男・女になってほしいという親の願いがこめられているのであろう。これはよさそうだと思われる意味を持つ漢字を組み合わせて名前にすることも多い。名前に使われる漢字にも流行があるのはこんなところからくる。
 落語「寿限無」は,熊五郎が自分の子に縁起のいい名前を全部つけてしまう話だが,親の気持ちはいつの時代も同じだ。

 ただ,近頃の名前が難しいのは,名前をつける側の個人的な好みでつけるものが多いからだろうか。意味よりも発音の感じで組み合わせたと思われるものや,感じのよさそうな漢字を組み合わせているが,客観性の乏しいものである。読む人は「なるほどそんな読みもあるにはあるが……」と思ってしまうのである。
 男女の別がつきにくいものも増えてきている。

 名前は,生涯その人についてまわる。使うのは本人だけではない。家族だけでもない。間違った呼び方をされたらいやだろう。漢字の意味も読み方も考えなければならない。「この子が元気に育って,幸せになるように」そんな親の願いがこめられている。
 そんなとき,あまり奇をてらうようなものでないほうがいいように思うのだが。普通に使われている字を使って,普通の読み方で,よくある名前だが親の気持ちがしっかりとこもっている,そんな名前がいい,と私は思っている。 (2002.9.4)