そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.81 「カンダハール」上映会 

 
 「カンダハール」(モフセン・マフマルバフ監督)上映会に出かけた。どんな映画か事前の知識はなかったが,アフガニスタンがどんな状態なのかということには興味があった。昨年のアメリカでの同時多発テロ以降の戦争状態はかなり詳しく報道されたが,それ以前のタリバンの支配下における国や人々の様子は分からないことが多かった。
 
 映画は「日食の日に自殺する」という手紙を読んだ姉のナファリスというアフガニスタンからカナダに亡命した女性が,カンダハールに残る妹を救うためにイランから国境を越えて旅をする物語である。
 一人の俳優も使わず,フィクションとは言いながら,人物設定,状況設定が事実に基づいているだけにリアリティがあった。(それでいてシュールレアリスムの技法も)

 カンダハールへの旅は完結しなかった。その舞台となっている1999年のアフガニスタンを考えてみれば当然のことかもしれない。ブルカに象徴される閉ざされたこの国の女性は,教育は,2002年の今日どれだけ解放されているのだろうか。
 映画には笑いがなかった。生きるというよりも,生き残ることに必死だった。だから平気で嘘をつき,罪を犯す。

 地雷で手足を失った多くの人達が出ていた。義足を求める人達の映像を見ながら,カンボジア・シェムリアップでのこと(旅行記5参照)を思い出していた。あの地にもまだ多くの地雷が埋まっているはずだ。
 そう言えばアフガニスタンとカンボジアは,侵略と恐怖政治との歴史に類似点があるような気がする。ベトナムもそうかもしれない。

 アフガニスタンでタリバンはバーミヤンの石仏を破壊した。イスラム教とはどんな宗教なのか。
 これまで旅行をした東南アジアの国の多くの人々もイスラム教を信仰していた。インドネシア・ジョグジャカルタでは,早朝の町に流れるコーランの放送に驚いた(旅行記0参照)。マレーシア・クアラルンプールでは回教寺院観光の際,女性は肌をさらすことができないことを実際に体験し,この目で確かめた(旅行記6参照)。
 トルコのガイドは,「トルコは政教分離をしている」ということを強調していた。イスラム教を悪の根源と思われたくない意識があるのかもしれない。

 アフガニスタンは私の中でも完結していない。できれば行って自分の目で確かめたいような気がする。現状では無理なことなのかもしれないが。(2002.9.18)