そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.91 市町村合併 

 
 市町村合併が全国的に論議されている。現在の単独市町村では数年後には財政破綻をきたす恐れがあり,できるだけ大規模合併をしたほうがその面では有利になるのだそうだ。
「気高町が合併せずに単独で存続しようとすれば,毎年約5億円程度の財源が不足すると予測しています。この主な原因は,国から来る地方交付税や補助金の削減,また人口の減少によるものです。」(町報けたか10月号より)
 このあたりまではいろいろな情報で知っているが現在の状況はどうなのか。10月9日(水)に鹿野町役場で開かれた「市町村合併問題研究気高部会(第7回)」を傍聴した。

 鹿野町内の小学校に以前勤めたことがあるので,役場職員に知っている人も多い。担当のD課長さんに,「傍聴ですか。」と尋ねられて,「町民の関心が薄い,と言われますので勉強に来ました。」と言うと,「鹿野町は何度も説明会を持っているのに,ほかの町はあまりやっていない,だから関心が薄い。」と,町によって取組みに差があることを指摘された。そうなのかもしれない,私自身説明会に出ていない。

 会は気高・鹿野・青谷3町合併の場合の財政シミュレーション説明に始まったが,「それぞれの町や議会の取組みとその方向」を問われる段階になって,話し合いの方向が大きく変わった。鳥取市との合併をすでに公表している鹿野町と,段階的合併を模索している気高町,そこまでの論議もできていない青谷町の3つに分かれたのである。
 この会の存続も論議されたが,「3町できるだけ足並みそろえての気持ちは続く」ということで次回も設定された。気高町,青谷町も今後の具体的な方向を示して,あわせて話し合うということになった。

 私は傍聴人という比較的客観的な立場から見聞きしていて,そこに一つの勢いから来る流れを感じた。それは,住民に説明を精一杯している,声を十分に聞いている,その上で,と判断している側と,それができていない側の違いであると思った。
 財政だけで語れない問題も市町村合併には山ほどあると思う。しかし,それをどこまで説明してもらっただろうかと考えると,私はそこに納得のいかないものを感じる。つまり,初めに述べた説明の問題である。また,住民の声を聞くという姿勢の問題である。その点において十分になされていないのではないか。これではどんな形であれ後々にしこりを残す,そんなことを思った。

 昭和30年(1955),やはり全国的な町村合併の流れの中でできた「気高町」に固執する気はさらさらないが,どんな形であれ住民が納得できる合併でなければならない,と私は思っている。(2002.10.10)