そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.94 気多の岬のフェスティバル 

 
 第17回国民文化祭が始まった。気高町でも,「気多の岬のフェスティバル」と称するふるさと祭りをするということなので,10月13・14日の両日出かけた。前夜祭の13日には,気高町出身で気高町在住の歌手MIQ(三玖)オンステージと,創作民謡劇「気多の岬のものがたり」が演じられた。

「気多の………」は,講談師の一龍齋貞心さんの語りにあわせて,町民から募集した出演者のパントマイムで進行するものだった。
 内容は,小泉八雲が浜村の歴史・伝説を訪ねる形で構成されている。八雲は明治24年,実際に浜村を訪れていて,「鳥取の布団」の話などは宿屋で聞いた話として,彼の『怪談』に出てくる。語りでは会話も標準語になっていたが,原文の方が味があってよかったのではなかろうかと思った。

 高田亀三郎による砂丘開拓の歴史,名君亀井茲矩の話など,私が最近このページで取り上げている話(No.85,86,90)が多かった。これは偶然の一致ではあるが,気高町の歴史を少し調べると,必ず途中に見えてくる風景である。気高町の歴史の概略を見る,知ってもらうものとしてはまずまずだったと思う。

 14日のフェスティバルは,「いろいろバージョン発表会」を中心に見た。各学校がどんな取組みをしているかに焦点を当てたかった。
 今年,このイベントが鳥取県であることは大分前から決まっていて,気高町が「気多の岬のフェスティバル」と称するふるさと祭りをすることも知っていたのだが,誰がどんな役目を持つのかはっきりしていないことが多く,学校にも知らされていなかった。

 一般の人たちは,学校の子ども達を使うようにすれば,計画は予定通り埋まり,観客の動員も保護者が動くので容易になり,事業全体がうまくいく,そう考えているようだ。
 学習時間の減少から学力低下を心配すると言いながら,学校にそんな要求をすることが多い。学校現場でたいへんな思いをしていることの現実はあまり知られていない。

 今回のフェスティバルで,どの学校も一生懸命の取組みをしていることを,ステージの上にしっかりと見ることができた。
 この各学校や町民のの取組みの意気と意義,町はこれらをしっかりと生かしてほしいものである。         (2002.1016)