Last update 03 Feb 2002[Sun.].
今朝、大切なひとが死んだ。
多分、大切なひとだったと思う。
義姉だったその女性は、本当に優しかったし、僕のことを真剣に想っていてくれた。
けど、彼女の死を前にして動揺しないということは、僕は彼女を愛していなかったのだろう。だから、多分、と付ける。
他人の死を冷静に見つめられることは辛い。
その人のことを、真面目に想っていなかったと解るから。
自分がその人を愛しく想っていなかったと解るから。
それを考えると、悔しくて泣けてくる。
だから、決して義姉さんの死を悲しんで泣いているわけじゃないんだ。
僕は他人の死を知っても、その死に対しての悲しみで泣いたことはない。
ただ、その人に対する申し訳なさで泣く。
でもそれは、あの世という存在を心の何処かで信じているからだろう。
だから、寂しくはあっても悲しくはないんだ。
僕が死んだときにいつでも会うことができるから。
それは、いつかは解らないけど、絶対であることは確かなんだ。
だから、一時の別れを惜しむだけだ。
挨拶は、サヨナラじゃない。
マタアイマショウ、だ。
あの世では、誰も寂しがることはない。
現世では会うことのできない想い人がそこにいるから。
義姉さんも、きっと寂しくないだろう。
会いたがっていたお母さんに会えるのだから。
ひとつの生命が途切れたとき、思う気持ちは何だろう。
純粋に、死んでしまったという現実に対する悲しみ、
単純に、無言で自分にも訪れる死への恐れ、
生前に行えなかったことに対する悔やみ、
死んでしまったことに対する怒り、もしくは喜び、
同情、無感動、狂気、
あるのは無言の涙だけではないはず。
死による悲しみ。それには人の数だけ沢山の色彩があると思う。
愛する者の死によるもの、
大切なひとがそれによって泣く姿にうたれたもの、
周囲の状況に飲まれたもの、
そして、感動できない自分が悲しいというもの、
しかし、色々な悲しみもひとつの死がきっかけとなり起こったことに変わりはない。
悲しみたい、という気持ちは、何であれ死者に対する正直な想いであるはずだから。
だから、いまは素直に泣いて下さい。
君に想われることが、私の幸せなのだから。
アリガトウ、
そして、再び会える遠い未来を楽しみに、
マタネ。
愛するひとが死んだ。
今ごろ天国への階段をゆっくりと登りながら、僕を見おろしているに違いない。
アリガトウ、と。
これから先、何度、僕は彼女に会いたいと想うだろうか。
どれほど、どれほど強くそれを願っても、それは叶わないものだ。
ただ、ひとつのことを抜かして。
僕が死ぬ、ただそれだけでいい。
でも、いまはそれはできない。
彼女が悲しむから。
いつか、そう僕がお爺さんになった頃、彼女は僕を笑いながら迎えに来るだろう。
約束通り可愛く老けたね、って。
それまで、僕は我慢しなければならない。
どんなに辛くても。
おわり