studio BReeZe Revised Edition
-- passing through the Night. --

E.A.R.Th.

Last update 03 Feb 2002[Sun.].

Written : Fujiduka, Yoshiaki
Designed : Sue, Nakaaki
Designed and Assisted : Kasama, Light
and studio BReeZe

序章
第一章
1.異世界
2.試練の旅

支配するは力。
支配されるは世界。
力は4つ。
1つは光もたらす輝き、エルクリア。
1つは生命育む清み、アリシュオン。
1つは躰安らげる温もり、ルビトゥーク。
1つは心和ます優しさ、スウェード。
世界は1つ。
E.A.R.Th.
支配するは力。
支配されるは世界。

序章

「よいしょっと」
 逢坂孝司は漸く両手に持っていた透明のゴミ袋を手放すことに成功した。母親から、夏休みの日課であるラジオ体操の会場へ行くついでに「燃えるゴミ」を出すように言づてられたのはいいが、お盆が過ぎたばかりで溜まりに溜まってしまったゴミは、小学5年生には少し荷が重かった。
「はぁ」
 痺れかかった両手を振りながら、らしからぬため息を吐く。まだ、会場となる公園でラジオ体操が始まるには少し時間があったため、周囲には大人どころか同じ目的を持つ子供もいなかった。ゆっくり歩いても十分に間に合うだろう。
「さてと……」
 手を振るのに飽きた孝司が公園へと歩き始めようとしたそのとき、まだあまり集まっていないゴミ収集場の中心に、直径15センチほどの黒い球が姿を現した。孝司が振り返って光っているように思えるそれを認めると、キキューッ、と何かが軋む様な音を静かに立てながら、それは縮み始めえる。
「な、何だって言うの。一体!?」
 孝司の驚きを無視して、それが奏でる鳴き声はその高さを増し、併せるようにゆっくりだった縮小速度も速くなっていく。
 ふわっ。
「えっ?」
 いまや直径が2センチほどとなったその黒い光の球を呆然と見つめていると、孝司がたったいま捨てたものを含めたゴミ袋たちがそれに吸い寄せられるように、徐々に浮き始める。
「ええっ!?」
 そして、気が付くと自分の身体もゴミと同様に地面から浮いていた。慌てて走るように脚を動かしたり、上半身を振ったりしてみたが、宇宙遊泳でもするかのように身体が回転するだけで、一向に地面へ降りれる気配はなかった。
 (ちょ、ちょっとまっ……)
 ちょっと待って! と叫ぼうとしたが、言い終わる前に自分が声を出していないことに気が付いた。普通に喋るときのように喉が震えない。そして、そうこうしているうちに、目の前のゴミ袋の一つがあの黒い光に一瞬で吸い込まれた。続いて、また一つ。
 (やだ、嘘だろ! おい!)
 孝司の必死の問いかけに耳を傾けることなく、黒い光はゴミ袋を吸い込み続ける。その間も孝司の身体は宙に浮いたまま、黒い光へと向かってゆっくりと近づいていく。
 (な、どうすれば。……あ、掴まるもの……、電信柱!)
 生まれてから10年の中でいちばん速い速度で頭を巡らし、天地が逆さになった態勢で漸く見つけた「助っ人」にしがみつこうと、孝司はそれでも上手に身体を半回転させて塀の近くに立っている電柱に向かってちぎれるくらい手を伸ばす。
 シュンっ。
 耳に残る嫌な音に孝司は顔を青くした。あれは確か、最後のゴミ袋が吸い込まれる音だ……。電柱にはもう手が触れていた。しかし、あの吸引力に対抗して身体を支えるためには、あと5センチは手を回さなければならないと思われた。
 (ひ、左手もっ!)
 ぐんっ!
 伸ばし過ぎで痛みが走る右手に力を込めて、左手も電柱に回そうとした瞬間、絶望的な力が身体全体に掛かり、孝司は一気に闇へと吸い込まれていった。
 (何だって言うの、一体!)
 まだ力の残る左手を電柱に向けて伸ばしながら、最後のあがきを心の中で叫んだ。

第1章 アリシュオン

1.異世界

 ブォン。
 孝司は自分の周囲を取り巻いていた漆黒の闇が振動するのを感じた。
 あの、黒い球体に吸い込まれてからまだ1分と経っていないように感じる。その間に孝司は持てる限りの力で暴れ、喉がつぶれるほど声を張り上げてみた。しかし、思った通りすべては無駄だったようで、手足を動かしてみたところで闇の中ではぶつかる物はなく、声を出そうにも喉は震えることはなかった。
 光も大気もない、それでいて呼吸はできるという何とも都合のいい空間で、しかし孝司は絶望しなかった。身体がどこかへ流されているのを何故か感じていたからである。
 きっと、ゴミと一緒にどこかへ運ばれているのだろう。
 そう、思えた。ただ、その行く先など見当が付くはずもなかったから、とにかくいまは無駄に暴れるのをやめて、体力を温存しようという考えに到った。その矢先に、いままではなにも存在しないように思えた闇が震えたのである。
「えっ!?」
 突然の状況の変化と自分が発した声に驚く間もなく、孝司は正面から迫ってきた、いや、正面に生まれた恐ろしいほどの真白に包まれていった。
「うわぁーっつ」
 開ききっていた瞳孔を庇うように瞼を瞑り、両腕を顔の手前で十字に交差させて固める。刹那、今度はあの懐かしい重力が孝司を捉えて地へと束縛しようと襲いかかってきた。
「なにをーっ!?」
 いつの間にか膝を抱え込んだ態勢になっていたためか、孝司の身体は抱え込み宙返りでもするかのように前へと向かって回転しながら落ちていく。やばい、とは思っても強烈な光に当てられた目はなかなか瞼を解放してくれなかった。
 もし、行き着く先が壁だったら……。
 恐怖を伴った長い時間は、運良く背中から何か柔らかい物に突っ込むことで終わりを告げた。どうやら無機質でがさつくそれは、孝司よりも早く球に吸い込まれていったゴミ袋のようだった。
「ってー、何だっていうの、一体」
 上になった脚を戻そうと身体を横に反転させて立ち上がり、声が出せることなど気にもとめず、右手で押さえた頭を軽く振りながらきつく瞑った目を頑張って開けようとした。しかし、ゴミ袋らしい物で作られた足場は悪く、思わずよろけて片膝と左手をついてしまう。左手で触ったそれは、やはりゴミ袋のようだった。
 しかし、まだ周囲の状況は確認できていない。孝司は瞼に焼き付いた残像が薄くなったのを確認すると、右手で覆いながらゆっくりと目を開けた。
「……どこだ、ここ」
 そこは小学校の社会見学で見たゴミ収集所の焼却炉の中のような様相だった。違うとすれば、山積みされた大量のゴミを取り囲む壁が黒ではなく白い高級そうな物であることと、ゴミ特有の鼻を覆いたく匂いとゴミを焼却するための炎がないことだろう。空気は澄んでいる。気温はさっきまで孝司がいた場所よりも高いようだが、湿気が少ないようで暑さはそれほど感じない。
「た、大変だ! 創球からこ、子供が出て来たっ!」
「!」
 あまりに不思議なため右手の甲の匂いを嗅いでいた孝司は、突然の男の声に驚き、後ろ、自分を放出した何かがあるだろう方向を振り返った。
 新ためて確認したそこは、吸い込まれた黒い球とはまさに正反対の、白い輝きを放つ小さな球が浮かぶ、高い天井を持った広大な部屋だった。いや、部屋というには語弊があるだろうが孝司はこれほど広い屋内施設を体育館ぐらいしか知らないから、表現の仕方が解らなかった。
 パルテノンとかいったっけ、あれに壁がついた奴だな。
 ファンタジーゲームなどに出てくる、ギリシアの古典建築様式を模した建物を頭の中に思い浮かべたが、そういう発想が出てきたのは白い球の下で口をあんぐりとさせている人たちの服装が、教科書などで見た古代ヨーロッパ人のそれとそっくりだったからだ。もちろんそれも孝司がそう思い込んでいるだけで実際は多少違いがあったが、それこそいまの状況には関係がなかった。
 けど、
 孝司はふと不思議に思う。一枚の白い反物から作られたらしい服を着ている、浅黒い肌を持った1人の男と2人の女を観察しながら、そのうちの1人が喋った言葉をどうして自分は理解できたのだろう、と。
 日本語、だったけど。
 そうだとすれば、試してみる価値があるように思えた。
「ちょっとすみません!」
 取り敢えず確認のために、立ち上がってそれだけを叫んでみた。が、元々不安定な足下だったため、床から3メートルぐらいの高さにあった孝司を乗せたゴミ袋は耐えきれなくなって、ゴミの山から崩れ落ちていった。
「うわぁっ」
 孝司はそれでも巧く状態を後ろに転ばし、ゴミと一緒に地上へと滑り降りていった。
「あっ、大丈夫!?」
 中学生ぐらいの女の子が、思わず、だろう孝司を助け起こしに来てくれた。状況が飲み込めていないのは双方同じようだが、それでも同じ人間に見えるからだからだろう。お互いに危機感は少なかった。もちろんそれには孝司が10歳になったばかりの子供であるという要因も少なからず影響している。
「くっー……。あ、ありが、とう……」
 情けなさそうにうめき声を上げながら、孝司は自分を助けてくれた長い黒髪を持った「おんなのひと」を見上げてドギマギした。健康的な女性の肉体を間近に感じれば、男であれば当然の如くそうなるだろう。
「あっ、えっと、どういたしまして……」
 自分がとったとっさの行動に戸惑っているのか、少女は言葉を選びながら喋った。
「お、おい、リキュー、危ないぞ!」
 先程叫び声を上げた男だろう、どうして良いか解らず孝司と共に動きが止まったままの少女に向けて危険を知らせる。それは少女を気遣ってのことだろうが、自分はその危険から一番離れた場所に突っ立ったままである。
「ばっかみたい、あんな子供になにができるっていうの。びびっちゃってさ」
 もう1人の、成り行きをただ見守っていただけの少女は男を小馬鹿にしてから、孝司とリキューと呼ばれた少女の方へ近づいてきた。
「あ、ごめんなさい。えっと、言葉は解るんですよ、ね?」
 孝司はちょっと勿体なく思いながらも、幾つか年上だろう少女から少し離れて慎重に質問をした。自分が解るからといって、相手に通じているかは疑問だった。何しろ、相手はニホンジンではないのだから。
「え、ええ。解るわ。ええっと」
「あ、僕の名前は逢坂孝司です。オウサカ・タカシ。あなたは、リキュー、さん?」
 安堵の表情をする間もなく、孝司は会話を続けた。その方が安心できるから。
「え」
「そう、タンブリス・リキュー。私は、キヴィア・ジン。よろしく、タクシ」
 リキューの応答を横から押しやって、短髪の少女が元気に応えてくれた。
「あ、どうも。始めまして、ジンさん。タカシです」
 綺麗なお姉さんと認識し始めたリキューとの会話を邪魔されて、少し残念に思ったが、かといってジンと名乗った少女を邪険にすることはなく、きちんと真正面から挨拶を返した。それは孝司が10歳という年齢で体得してしまった処世術の一つである。
「お、悪いね。タケシ」
 発音まで伝わっているのか……。
「違うわ、ジン。タカシよ、タ・カ・シ。でしょ?」
 どうやら自分が口にした言葉がそのまま伝わっているらしい。このことは、孝司には以外だった。大概、異世界へと飛ばされた場合の意志疎通の方法はテレパシーとかいった意思伝達が殆どなのだ。しかし、言葉が直接伝わっているということは、この世界では日本語が話されているということになる。
 異世界!?
 その言葉は少年に少なからぬ絶望とより多くの希望を与えた。異世界という単語は孝司にとってそれほど魅力的な響きを持っていた。
「あ、し、司祭さま……!」
 孝司の考えは先程ジンに虚仮にされた男の言葉によって中断された。
 司祭……。
 それでは、ますます異世界ではないか。孝司は現実世界、とでもいえばいいのか、ちょっと前まで生活していた世界に実在する司祭など見たことがないから、僧侶や司祭などといわれると回復魔法や防御呪文を唱える便利なキャラクターという認識が強い。
「……これはどうしたことだ、ハーツ。主(ぬし)は結界守護の指揮も満足にできないのか」
 ここにいる3人より少し豪華そうな服を身に纏った便利なキャラクターは、唯一開け放たれていたドアのない出入り口から入ってくると、ゆっくりと室内を見回しながらそう言った。
「い、いえ、それがその……」
 現状況をどう説明して良いのか解らないのだろう、ハーツという男は口を濁した。
「司祭さま、私から説明します。実は……」
「主には聞いておらん、リキュー。出過ぎるな」
 口調は柔らかいが、その言葉には誰にも逆らわせない重圧があった。
 ホントの威厳って言うのは、こういうモノなんだ。
 孝司は小学校3年生のときの怒鳴り殴ることしかしか能がない担任を思い出し、比較対照にもならないことをちょっとだけ残念に思った。
 まあ、教師は生徒を従わせるのが仕事じゃないものね。
 それは諦めである。が、そのように教師を軽蔑的に捉えていながら、しかし生徒とその親たちの馬鹿らしさも身をもって知っていた。彼らは自分たちを高めようとしていない、寂しそうに孝司の父は息子に語ったことがある。
「その子供は……?」
 リキューの後ろにいた孝司を漸く視覚で確認したらしく、司祭は誰へとなく訊ねた。
「で、ですから、あいつがその、創球から飛び出してきたのです。突然!」
 ハーツは言葉は違うが自分は悪くない! と、確かにそういっていた。しかし、それだけだ。状況を説明している訳でも、何でもない。
「そう、か……」
 短く呟くと、何かを得心したように何度か小さく頷き、孝司たちの方へゆっくりと歩いてきた。リキューは少し驚いたように、それでも孝司を庇うようにして司祭と対峙する。もう1人の少女、ジンは無念そうな顔つきで孝司たちから離れていった。
「リキュー、さん?」
 自分の楯となるつもりだろう少女が震えているのを見つけると、孝司は躊躇いがちにそのしっかりとした手首を軽く触ってみた。
 暖かかった。
「何をなさるおつもりですか、お父様」
 意外、といえば意外な、しかしゲームや空想小説を好む孝司にとっては理解できる範囲に入っている言葉がリキューの口から出た。
「取って喰うわけではない。創球からでてきたというのであれば、いずれ我らにとって必要な御仁であろう。あれは、そう言うものだ」
 やれやれとでも言ったようにリキューを見据えて立ち止まると、視線だけ、例の白い球に向ける。つられて孝司とリキュー、それにジンとハーツも依然フワフワと空中を漂う白い光球へと顔を向けた。
「貴殿、名は何と申される」
 問いただす雰囲気は感じられないが、子供に対しては慇懃無礼といった感は否めない口調で、立ち止まったまま司祭は孝司に尋ねた。
「タカシ、逢坂孝司と言います。あなたは?」
「ふむ、見たところ11、2周期の齢とお見受けするが、どうであろう」
 孝司の質問は素直に無視して、孝司にとって初めて理解不能な単語を用いて質問をしてきた。
 周期?
 齢とか言っていたから、年のことか。年齢……、けど周期だから年とは違うのかも……。
 悩みながら、これは困ったことになった、とも思った。自分の理解の範疇でしか言葉は通じないと言うことが解ったのである。つまりこの世界、ともう特定しても良いのだろう、での知識が必要であり、またもとの世界での大人が持つような知識までも必要なのだ。幾ら孝司がませた知識と思考法を持っていたとしても、ホンモノの大人には勝てないのだ。これは大変なことである。
「ご自身の齢が解らぬのか?」
 今度は司祭が初めて戸惑いを見せた。意外だったのだろう。
「いえ、10歳です。ですけど、その周期というのが解りません」
「周期とはエルクリアがもたらす変化の証。エルクリアが灯り、消えるが1束。それが繰り返され35束で1会。会が3つ集まり1期。期が4つ集まり1周。これ即ち1周期とす」
「エルクリア、とは?」
「地を照らし、天を覆う輝き。すべての存在の源、すべての存在の父」
 やっぱり太陽のこと、か。
「では、420束が1周期なのですね」
「左様」
 しかし1束が何時間なのかが孝司には解らない。と、そこで自分が腕時計をしているのに気がついた。あの黒い球に吸い込まれてから一体どれくらいの時間が過ぎているのだろう。ラジオ体操など、もうずっと前に終わってしまったのだろうな。
 時間は6時12分を指していた。
「えっ!?」
 殆ど、いやまったく時間は経過していなかった。孝司のお気に入りのアナログ時計は止まっていた。壊れたのか、それとも電池が切れただけなのか、原因は解りようがないが、それは止まっていた。家を出るときは動いていたのに、だ。
「ど、どうかしたの、タカシ」
「あ、いえ、何でも、ないです。あ、それで、僕のその、世界では1年、あ、こちらでの周期ですが、それが365日、あ、束ですか、何です。ですから、年には誤差があるかと思います、けど」
 意味、ないよな。そう思いながらも、気になることは一応言っておいた。1年で55日違うと言うことは10年で550日、約1年半も差がでてくる。下手に年上に見られるのは避けた方がいいだろうとも思えるのだ。
「ふむ、そうか。やはり違う世界より来られたか」
「そうらしい、です」
 再び何度か頷く司祭を見据えながら、自分を納得させるように言う。まだこの世界のことは何も知らない。解っていることといえば、人間がいて、空気と重力があることぐらいだ。しかし、多分違う世界だろう。それは孝司の希望かも知れなかった。

2.試練の旅

「話は解った」
 司祭、タンブリス・ニケーラは、孝司に「創球」と呼ばれるものへ吸い込まれてから吐き出されるまでの簡単な経緯を話させてから、それだけを告げた。
 いま孝司は20畳ほどの広さを持つ石造りの室内にいた。リキューの話によるとアリシュオンを奉る神殿内の一室だそうで、先程のパルテノンのような場所と同じく入室できるのは基本的には神に仕える者たちだけらしい。
 アリシュオンとは太陽の神(と、孝司が勝手に解釈したが)エルクリアと同じように、水だか海だかの神様だそうで、この神殿が建立されている砂漠の国オイギュルの守護神とされていた。
 砂漠なら太陽を崇拝するのが普通だろうけど……。
 異文化を持った少年の率直な感想である。
 そういう少年が、神聖とされる場所で大きなテーブルを囲み、数人の年上を前に1人で話をさせられることは、もちろん初めての体験であり、緊張もした。が、旅の恥はかきすてとは言わないまでも、ある程度開き直っていたために割と堂々とした態度をとることができた。
「さて、一同。集まってもらった理由は言うまでもなく、このタカシ殿の処遇についてである」
 室内にざわめきが広がった。あるいは隣人と話し、あるいはニケーラに向かって何かを問いただす人々。静かなのは1人ポツンと下座に着かされている孝司と特別の計らいで扉のところに立つことが許されたリキュー、他2人ぐらいである。
 処遇。リキューはこの会合で孝司のこれからのことを決めると言った。併せて、そのことについてはあまり楽観しないで欲しいとも。ここオイギュルという国ではいま「大変なこと」が起きているため、ちょっとしたことがどんな大惨事に繋がるか見当がつかないとのことだった。
 やっぱり、僕が来たことに何か関係があるのかな。
 それも少年の希望だ。
「あれを見られたのであろう? 少なくとも神殿内から出すわけには行かない……」
「そうだ。それに司祭殿の言うとおり、彼は何らかの理由があって創球より産み出されたに違いないのだ。少なくとも、それの理由が解るまでは……」
「そうは言うがな、所詮は子供だ。誰も相手にはしないだろう」
「つまり相手にする価値はない、と?」
「彼の話を聴いて解ったであろう。奴は創球が「吸い込まれたものを吐き出す」ものだといったのだ。そんな非常識なことを言う子供など、何の役に立つ」
「それは……」
 そうだが、と言いたかったのだろうが、その言葉は1人の若者によって阻まれた。
「彼はアリシュオンが遣わした「天罰」かもしれませんな」
「なっ……」
「私たちは手を付けてはならないものに手を出した。違いますか?」
 若者の不遜な発言に周囲の大人たちは息を呑んだ。
 孝司には話のテンポが速すぎて、内容はほとんど解らなかった。ただ、大人たちの少し興奮した会話から察すると、リキューが密かに教えてくれたように「大変なこと」が起きていることは確かなようだった。それも現在進行形で。
「で、司祭殿。古に前例などは見られるのですか?」
 重い静寂をすぐに破ったのは先程の若者の目の前に座っていた少年だった。
 若い。孝司ほどではないが、リキューと似たり寄ったりの年だろう。利発そうだった。
「ない」
「では、あなたは「天からの遣い」である彼に何をお望みになるのです? 国ですか? それとも……」
 ざわり。
 先程よりも大きなざわめきが起きる。ずっと聞き手でいるしかない孝司が顔を横に向けリキューを確認すると、少女は哀しげな瞳を利発そうな少年へ向けていた。
「何が言いたい。はっきりと……」
「彼を私に預けていただきたい。丁度、私は明束(明日)エアルスへと発つ。彼の賢人にタカシ殿を会わせてみたい」
「それはいい」
 そう言った若者を初めとして、少年の意見の肯定が室内の大多数を占めた。否定派にしても、いや、しかし、など口を濁すのみでまともな意見はでてこない。
 エアルスの賢人? 魔法使いみたいな奴だろうか?
「何を考えておる、ケモン」
 厳しい口調で問いただす司祭だが、少年は動じた様子が見られない。
「司祭殿は仰られましたな。タカシ殿が創球より産み出されたのには理由がある、と。そして、それ彼が生まれたのは私が試練へと出立する前束(前日)だ。これは繋がりませんか?」
「つまり、主(ぬし)と試練を共にするために遣わされたということか」
「しかし……、しかし試練は1人旅が原則。そのしきたりを……」
「原則では同族のことしか定めておりません、神官長殿」
 若者が老人の取り乱しを一言で制する。その顔はにやけていた。
 あのハーツとかいう男と同年代であるはずなのに、こうも出来が違うとは……。孝司はあの頼りない男が少し不憫に思えた。
「……相解った。では、タカシ殿にはケモンの試練の旅に同伴していただく。一同、宜しいな?」
 会合の進行役も兼ねているニケーラが止めどなく続きそうな非建設的な意見交換を一言で終わらせる。確認の言葉を含んではいたが、司祭のそれは否定を許すものではなかった。
「ン、では解散。ただ、タカシ殿には話があるのでいま少し留まってもらう。それからケモン、主もだ」
 司祭の号令と共に、室内にいた人々は孝司に奇異な視線を向けてから退室していく。それらの多くは、神秘的なものを見るものではなく、異端者や不吉なものを見るような白い眼差しであった。
「リキュー、主もさがれ。結界守護のお役目があるだろう」
「……はい」
 扉のところで呼び止められなかったすべての出席者を見送ったリキューも、少し心配そうに孝司を見やったあと、諦めたように部屋を出ていった。
「……で、ケモン。お前は何を謀るつもりだ。今更、止められはせぬのだぞ」
 ふぅ、と、白髭を持つ司祭はため息を吐いた。初めて見せた弱気な面である。
「父上は何でもお一人で責任をとろうとする。普段、人の所業が如何に小さきものかを説いているお方とはとても思えませんね。自分の力なさを認めているのでしたら、少しは他人を頼ってみたらどうです?」
 父、そうか。
 この少年、ケモンがリキューと似ていたのは年齢だけではなかったのだ。兄妹、いや姉弟であろうか。どちらにしろ2人は血が繋がっているのだろう。
「この時期にお前を試練の旅に出すのは……」
「義母さまの頼みでありましょう?」
「だけではない。……だけではないのだ。お前をエアルスの賢人に会わせ……」
「自分の与えられた役目は理解しています。ご安心を。そして、だからこそ、タカシも連れていくのです。タカシは鍵なのですよ。今回のことにケリを付けるための……」
 少年はタカシを見やりながらにこやかにそう告げた。
「……それに、タカシがここにいればいずれ刺客に狙われることになりましょう?」
 声を落とし、今度は真剣な表情で言う。
 刺客だって!?
 孝司にして見ればこの世界に連れてこられた被害者であるという意識がある。少なくとも自分に落ち度があったとは思わない。あのゴミ収集所の状況でどうにかできるような子供がいれば、一生尊敬するだろう。それなのに刺客に殺されなければならないというのは、さすがに納得がいかなかった。
 幾らリキューに処遇については楽観しないでくれと頼まれていても、殺されてくれとまで言われそうだったとは想像の範囲を超えている。
 平和な日本とでは考えられないことが起きているのか。
 それくらいしか孝司の頭では考えられなかった。
「……解った。そこまで考えているのならば、もはや何も言うまい。お前はお前の道を歩むがいい。但し、手助けはせぬがな」
「ええ、それで良いです。ただ一つだけ、姉さんのことだけはお願いしておきます。ジュゼに任せておけば問題はないのでしょうけれど、彼も行ってしまうのでしょう?」
「自分の娘のことだ、お前に言われるまでもない」
「ありがとうございます。これで心置きなく旅立てます」
 司祭、自分の実父に深々と礼をすると、行こうか、と孝司に声をかけて部屋を後にする。少し戸惑った後、司祭に一礼してからケモンの後をついていこうとするが、それは阻まれた。呼び止めた司祭は、以前の毅然とした態度とは打って変わって、困惑していた。
「タカシ殿、言いたいことは多々あると思うが、こういう時期にあなたが来られたのはやはり神のお導きと思う。いまは何も言わずあのケモンに従ってもらいたい。お願いする」
 自分勝手な言い分と解っているのだろう。ニケーラは彼なりの精一杯で頭を下げた。それに対して孝司はただ解りました、と言っただけで、そそくさとケモンの後を追っていった。大人が易々と頭を下げるのは嫌いであったし、都合の良いときだけ「お願い」する人間も嫌だった。それでは孝司が生活していた国の大人たちと同じだ。
 いや、そうではない。孝司の国の大人たちが悪いことをしたときにしか、より正確には悪いことしていたことが見つかったときにしか頭を下げないから、そうする人間が嫌いになったのだろう。
 最初から悪いことをしなければ、謝ることはないのに。
 子供心に「謝る」ことに対する醜さのみを知ってしまったのだ。
 僕には見せないけど、父さんもああなのだろうか……。
 それは悲しい想像だ。
「父のことは責めないで欲しい。苦労性なんだ」
 大人が1度に3人は通れそうな扉から出ると、簡素な造りの廊下でケモンが待っていた。「君には言いたいことが沢山あるだろうし、俺も訊きたいことが沢山ある。取り敢えず俺の部屋へ行こう」
 そういった後、こちらの都合を一方的に押しつけて大変申し訳ないけどね、と続けて笑った。それは少年の笑顔だった。

 つづく

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