studio BReeZe Revised Edition
-- passing through the Night. --

Venus

Last update 10 Feb 2002[Sun.].

Written : Fujiduka, Yoshiaki
Designed : Sue, Nakaaki
Designed and Assisted : Kasama, Light
and studio BReeZe

Prologue
Preface
Story 1 : a boy
Prelude : Lillehammer
Sentence 1 : to Be.

Prologue

 西暦2112年、金星連邦共和国ウェヌス首地区・首都ウェヌス
 共和国初代大統領ウェヌス四世が、その寝室で静かに息を引き取った。金星地球化運動、続く非植民地化、金星独立運動の最大の功労者であった彼女は、五一歳という若さで故郷の惑星から遠く離れた赤茶けた土にその魂を埋めることになった。

 同年、連邦共和国ウェヌス首地区・首都ウェヌス
 ウェヌス四世の一子であり、一九歳で大統領補佐官を務めていたウェヌス五世が、実母の葬儀が終了した直後の会見で共和制を君主制に移行することを発表、共和国連邦議会は大差でこれを承認する。

 同年、連邦共和国ギア第三自治区・首都セント・オスカ
 君主制移行に反発した自治区議員がVtoE(ウトゥイー)計画(金星の環境を地球化させた計画)の中心人物であったオスカー・ドゥルセンを擁立し、ギア自治区を中心に五地区をまとめて共和国からの独立を宣言。以後、ドゥルス王国と称する。

 同年、連邦共和国珠第二自治区・首都新北京
 ドゥルス王国に続くようにして、やはりVtoE計画の中心人物であったヨシノ・ミツサダがタイショウグン(大将軍)を名乗り、周辺十余地区を侵略、併合したのち独立を宣言。以後、珠公国と称する。

 同年、連邦共和国スフィット第四自治区・首都リシュ
 VtoE計画の中心人物の一人で、その後、金星で一大勢力を持つリシュ教の法王となったサリス・カールマンがウェヌス五世との会合の結果、地区の完全自治権を獲得。共和国より独立し、以後リシュ教国と称する。

 同年、連邦共和国V第五自治区・首都フィフス
 VtoE計画の中心人物、ラミール・ケシャの名で反反共和国派のゲリラ・アフロディテが組織される。が、ラミール・ケシャ本人の行方は知れないまま。

 西暦2113年、連邦共和国ウェヌス首地区・首都ウェヌス
 一九歳の誕生日を迎えたウェヌス五世が君主制を正式に宣言、戴冠。初代リシュフェン帝国女皇帝となる。

 そして、現在。

Preface

 皆さん、ようこそVENUS(ウェヌス)の世界へ。
 ここはVENUSに関連する短編小説を発表していくための場です。

 VENUSは近未来SFのような設定と中世風の封建社会という矛盾した社会を持つ世界です。
 舞台は近未来の金星。
 そこでは22世紀とは思えない、真っ当な地球人から見れば常識を遥かに逸脱した状況が成り立っています。近代に確立された人権や道徳などは完全に無視され、殆どの人間が自分の信じる道を突き進んでいます。
 その原因は金星に居住することで得られる超能力にあります。
 人類が金星に居住区を築き始めてから既に半世紀が過ぎていましたが、たった一つだけ根本的な解決がなされていない問題がありました。それが金星特有のウィルス「L」です。このウィルスは金星の大気、地中に太古から仮死状態で生き続けていたのですが自分たちの宿主、人間が出現した途端今までの時間を取り戻すかのように猛威を振るい始めました。
 「L」は人類にとっては恐怖の対象でした。ワクチンがなかなか開発されなかったこともあるのですが、一度感染した人間は「L」の寿命が尽きるまでその生命力によって植物状態として生きなければならなかったからです。それは感染した当人よりも周囲の人々に大きな哀しみを与えました。そうした「L」の脅威にさらされながらも数年をかけて、ようやく人類の希望とされるワクチン「M」が開発されました。
 しかし、「M」には重大な欠陥がありました。副作用です。これを摂取し「L」に感染した人間は宇宙空間でも地球上でも得られなかった力、即ち超能力が発揮できるようになったのです。もちろん、個体によって強弱の差はありますがワクチンを投与され、かつ「L」に感染した全ての人間が少なからず異常な力を得ることになりました。
 その事実に驚喜した人間は合法、非合法問わずワクチンと「L」を手にしようと躍起になりましたが、ワクチンはともかく「L」が金星でしか棲息不可能であったため、その症状を出すためには金星に住むしかなかったのです。そうして金星は飽くなき欲を持った人間たちの巣窟へと変貌していったのです。

 そのようにして最悪の状態に陥った金星を救ったのがVtoE(ウトゥイー)計画の主導者ウェヌス三世と、続くウェヌス四世でした。思いもよらぬ人災に初期の対応は遅れたものの、生まれ持った才覚とカリスマで混乱する人々をまとめ上げ、第二次、三次災害への飛び火を未然に防ぐことに成功しました。
 三世はこの新たな人類の能力に対処すべく、強攻手段とも言える改革に心血の全てをそそぎ込み、やがて倒れました。そして、実母が固めた地場を利用して四世はより優れた社会を作るように務めました。発現した能力を可能な限り有効に利用できる社会です。
 やがて二人のウェヌスを中心とした人々の努力は実る時代が来ました。人々は持った能力を余すことなく有益に使用し、誰もが互いの幸せを願える世界です。金星に住む人はその平穏が永遠のものと疑いもなく思っていました。

 しかし、刻は流れゆくものです。三世がそうだったように、やがて四世も病の床につきました。
 先にも説明したとおり、「L」に感染するとその苗床である人間の肉体の寿命は無視されます。「L」自身の生命力により人間は生かされているに過ぎないのです。「M」は所詮「L」の機能を弱め、人間が植物状態になることがないようにしているに過ぎません。
 比較的早い時期に「L」に感染していたウェヌス四世の生命は永くはなかったのです。結局、どれほどの科学も、どれほどの能力も役には立たず、三世と同じようにウェヌス四世はその死を潔く受け入れました。

 そして、2112年。
 全ての金星人の哀しみも明けないまま、ウェヌス四世の一子ウェヌス五世が母親の前では見せることがなかった野心を見せ始めました。
 祖母、母たちがやれるのに行わなかった金星の全権の掌握を目指したのです。
 幾つかの地区と組織がそれに反発し、また賛同しました。しかし、どちらにしても混沌の時代の再来でしかありませんでした。力と力、策と策のぶつかり合いです。
 ウェヌス五世は、しかし笑っていました・・。

Story 1 : a boy

Prelude : Lillehammer

「これで演奏者が揃う」
 今日、19歳を迎える少女は闇に浮かぶテラスから遥か宇宙を見上げて呟いた。
「ようやく最終楽章か……」

 金星衛星軌道上付近。
「ダメです、キャプテン! メインエンジン出力上がりません。サブもすでに臨界点です!」
 地球金星間往復宇宙船のブリッジで、目まぐるしく変化を繰り返す手元の計器に眼を凝らしながら二〇代半ばのコパイロットは、上司でありこの船の責任者である船長に絶望的な報告をした。
「ちっ、機関室、聞こえるか!」
 先程、いまから3分前ほどにメインエンジンが停止したときに報告をしてきたきりの機関室を有線の通信機を使って呼び出す。
「ブリッジ! こちら機関室です。ダメです。原因も分かりません。どうもハードの問題ではないらしいです!」
 半べそをかいたような声で整備班長が応答してきた。
「原因なんか二の次だ! 直るのか、直らないのか、それだけでいい!」
「ダメです、プログラムを一から洗い直しでもすれば別ですがね!」
「解った、せめてサブだけでも保たせてくれ! おい、運転手、聞いての通りだ、どうにかステーションまで辿り着けんか?」
 自分の足下でコンソールを必死に叩き続ける30歳になったばかりのメインパイロットに問いかける。
「無線が使えるいまのうちに地球だか金星だかにお別れの言葉を贈った方がいいですよ! ステーションはステーションでも、地に足が着いたステーションに着いちまう。ちっ、どんなに頑張ってもあと10分で自由落下にはいります。冗談じゃないですよ。エンジンのプログラムを組んだ奴を祟ってやる!」
「ああ、お前の幽体がここにじっとしていれば、半年後には向こうから来てくれるよ! コパイ、ステーションからの連絡は!」
「ありません! 無理ですよ、惑星(ほし)の裏側ですよ!」
「解ってる! 念のためだよ!」
 ふう。緊張からの汗のため息苦しくなり、船長は宇宙服の首の位置をしきりにいじった。
「よし、乗客に報告をする! 死に際だ、自分の運のなさがどれくらいか教えておいた方がいいだろう。大気圏突入も満足にできない安物の宇宙船に乗ったことがまさに運の尽きというわけだ。はっ!」
 一頻り肩を竦ませてみせる。
「リサとエイミをこっちへ寄越す、精々慰めてやれよ」
 ヘルメットをとってしまった船長はそれを自分のシートに乗せて、緊張感に満ちた狭いブリッジ内を振り返ることなくそそくさと出ていってしまった。
「あ、キャプ……」
「ウィリー! 通信は続けるんだ!」
 船長の背中を追おうとするコパイの1人に主パイロットが命令を下す。
「は、はい! SOS! こちらリレハンメル! 至急救援を請う! 付近の宙域を航行する船舶に告げる。SOS! こちらリレハンメル! エンジンの停止により、大気圏へ突入の恐れあり! 至急救援を請う!」
 レーダーにそれらしい反応がないのを承知で、無線に向かって怒鳴り続ける。
 シュー、という音と共に、先程船長が出ていった扉から二人の女性添乗員が入ってくる。両人ともに、ヘルメットの中の顔は紅い。
「ダメ、何ですか?」
 普段から気の強さを見せるエイミもさすがに大人しくなっていた。
「すまない」
 操縦をオートに切り替えてしまったパイロットは二人の処に行き、その嵩張る宇宙服ごと両手で抱いて上げた。
「外に出ましょうよ! ねぇ、宇宙に出て救援を待ちましょう! このまま船と墜落することなんてないでしょ!?」
 先程まで乗客を冷静にさせていただろうリサは、緊張の糸が切れたため半分パニックに陥っていた。
「ダメだリサ。我々には1人につき5時間分しか空気はないし、それにもう金星の重力圏内に入っている。たとえ人間でもバーニアが無ければ30分と保たずに大気圏へと吸い込まれるんだ」
 冷静に、諭すようにメインパイロットのムハンマドが背中を撫でながら説明する。
 今回の事故は本当に運がなかった。いや、出来過ぎと言うべきだろうか。金星の衛星軌道に乗ろうかというときに突然エンジンが最大出力になり、宇宙船をそのまま重力圏内へと誘ったと思ったら勝手に停止してしまった。助からない要因が重なりすぎている。
「ムハンマド?」
「あ、ああ。すまない。二人とも、俺かキャプテンのシートに座って、シートベルトを掛けているんだ。少なくとも、宇宙に出るよりは安全だよ、リサ」
 心配そうな表情をしているリサのヘルメットを自分のそれに寄せながら、やるべきことを指示する。
「ムハンマドはどうするの?」
「キャプテンの処に行く。一応、俺も責任者の1人だからね。ロン、操縦は暁の海に着水するようにロックしてある、いじるなよ」
「運が良ければ、でしょ」
「ああ、そういうことだ。それと、女神が二人もいるんだ、祈っておいてくれ」
 半分諦めてしまったコパイに同調するようにそういうと、片手を上げてからブリッジをあとにした。
 自分の持ち場を退出したムハンマドはヘルメットの薄紫にコーティングされたバイザーを上げて、白で統一された無機質な乗務員専用の通路を抜け、原色に近い緑や青といったカラフルな色調の乗客用のフロアにはいる。そして出入港のときにすべての乗客を集めておくシート・ブロックのドアの手前までやってきた。
「おっと」
「あ、ごめんなさい」
 突然横滑りで開いたドアから、ヘルメットを背中に垂らしている、少しウェーブのかかった赤茶けた髪を持った少年が飛び出してきた。
「おい、ダメだぞ、椅子に座ってなけりゃ!」
 自分を押しのけて通路を飛んでいく少年を慌てて追いかけ、まだか細い足首を掴む。
「最期ぐらい、普通にトイレに行かせてよ!」
 返ってきた、いかにも少年らしい発想に、ムハンマドは大笑いした。確かに、宇宙服に付いている簡易のトイレパックでは鬱憤など晴れはしないだろう。それに、少年がここにいるということは、あの人のいい船長が許可を出したということだ。納得もいった。
「悪かった。存分にやってこい」
 まだ笑いながら、今度は少年の足をトイレがある方へと放り投げてやった。
「うわーぁ」
 思わずついてしまった勢いを身体を丸めて殺すが、それでも充分に回転がついてしまい、そのまま通路をボールのように飛んでいく少年。
 ムハンマドはその宇宙慣れしたかのような少年を見ながら、改めて無念の思いが込み上げてきた。
「くそっ!」
 固めた拳を思い切り壁にぶつけてから、マジックテープの付いた靴を器用に使って、シート・ブロックへととぼとぼと向かっていく。
「ああ、やっぱりお前か」
「キャプテン……」
 ドアから出てきたもみあげと顎髭で埋まった顔を見つけて、この期に及んでまだヘルメットを付けている自分を情けなく思う。諦めが悪いというのだろうか。
「そんな顔をするな、らしく無いぞ」
 にぃ、っと笑いながらかくしておいた左手に持った赤ワインを見せびらかした。
「以前この船のバーで見つけてから、これだけはどうしても飲みたくてなぁ。2067年の北イタリア、それもトスカーナ産だ。知ってるか?」
「ええ、幻の一品です。よくありましたね、こんな巡航船のバーに」
 上司の抜け目のなさに苦笑いしながら、ムハンマドはシート・ブロックへと入っていった。二〇代を中心にした30人前後の男女が全身を宇宙服で覆って陣取っていたそこは、ムハンマドが想像したように騒がしくもなく、かといって静かでもないいったって普通の、入港間際の船内だった。不可解に思って、パイロットは上司に問いかける。
「キャプテン、彼らに本当のことは……」
「言ったよ。言ったけど、なんていったか、そう達観してやがる。まあ、考えてみたら不思議でも何でもない、いまさら金星に行こうっていう連中だ。どっかここのネジが外れているのさ。こういう旅の専門家のはずの俺たちの方が、焦っちまってる。情けないもんだよなぁ」
 自慢のワインをまたひと飲みしてから、元々赤い顔をさらに赤めてムハンマドに勧める。
「慌ててたのはさっきの小便ガキぐらいさ。あっただろ? あの身のこなしで宇宙は初めてだと。勿体ない。満足に教育も受けずにたった4ヶ月であれだけ解るのは相当のセンスだ……。4ヶ月、4ヶ月かぁ。お前らにも苦労かけたが……」
「いつものことですよ」
 与えられたワインを半分ほど飲んでから、もとの持ち主に返す。
「このやろう……」
 慌てて軽くなったボトルを奪い返し残りの量を、情けなさそうに確認する。
 ビー、という機械音が耳元で鳴ると、続いて二人に通信が入った。
「キャプテン、大気圏に突入します。シートベルトをして下さい!」
 エイミの気丈な声が耳元で心地よかった。
「解った」
「……」
 金髪の船長はそれでも落ち着いて、3番目に近い空きシートへと着席する。続くムハンマドは、先程トイレへと向かった少年が飛んでくるのを確認すると、手を伸ばして捕まえた身体を引っ張り、シート・ブロックへと誘ってやる。
「ボウス、満足できたか?」
「できる分けないでしょ!」
 笑いながら問いかけるムハンマドに不貞腐れてみせる少年をシートに押し込んでから、自分は自分がいるべき処へと戻っていった。

Sentence 1:to Be.

 月に導かれ、風に揺られるようにゆったりとしたリズムを刻む潮騒。全てを優しさで包み込むようなその音色に耳を傾け、まどろみを愉しむのは何年ぶりだろう。あの頃はアンジェレッタと二人で海岸へと出かけ、少しきつい夏の匂いを誇らしげに蒔く花々を横目に永く、そして短い時間を過ごした。
 アンジェレッタ。既に懐かしささえ感じるようになったその名を、自然に口ずさんだことによってデヴィッドは意識を取り戻すことになった。
「ここは……」
 勝手に閉じたがる重い瞼を強引に開きながら、自分がどうしてここに居るのかを思いだそうとする。
 闇が閉ざし、潮騒のみが聞こえるそこは、少年の記憶にはない場所だ。
 次第に瞳孔が開かれ、窓から入り込んでくる月明かりを使って辺りを視認できるようになると、自分が安物のシートに座っていることに気が付く。そして、そこから立ち上がろうとして身体がシートベルトに引っかかることで漸く自分がどこにいたかを思い出すことができた。
 リレハンメル。
 地球と金星を往復する宇宙船だ。瞬間、デヴィッドは自分が異常な状況に置かれていることを悟った。そう、宇宙船であるリレハンメルが波の音がするところにいるということは尋常なことではない。そして……、
 そして、床に転がる顔なじみの骸たち。
 肌に血色はなく、既に息絶えている。
 嗅覚は既に麻痺していた。いや、実際は聴覚も怪しいものだ。潮のざわめきしか聞こえないのだから。環境音楽とは格段に違う重みを持つそれは、先ほどまで心地良いものであったはずなのに、いまはその不気味さでデヴィッドの不安を増幅させるものになっていた。
「よぉ坊主、気が付いたか」
 聞き覚えのある声が宇宙服に密着したシートベルトを不器用に外そうとしながら辺りを見回すデヴィッドの耳を打った。どうやら、聴覚の方は少しは信用できるようだ。
「たくっ、こっちがいま死ぬかどうかっていうときに、一人だけ気持ちよさそうに居眠りこきやがって。挙げ句の果てに寝言で女の名前を呟くなんぞ、10年早いぜ」
 男は呆れたようにそう言ったが、くすんだ金褐色の顎髭に覆われたその顔は穏やかに笑っていた。
「おい、坊主。寝惚けているところ済まないが、お前に悪い知らせといい知らせがある。良く聞けよ」
 この巡航船のキャプテンである男はシートに深々と沈めた肉付きの良い身体を身じろぎもさせずに、青白くなった顔だけをデヴィッドに向けてそう告げた。途中、自嘲混じりのそのひきつった笑顔が、少し歪む。息苦しそうな表情と、右手で胸部を強く押さえつけているところから察すると、肋骨でも折っているらしい。
「だ……、」
 久しぶりに声帯を使ったためだろう、自分が出そうとした大きさが出せなかった。このような状態でも、恥を感じて赤面してしまう自分を情けなく思いながら、少年は一度咳払いをしてから、目的の科白を言うことに成功した。
「大丈夫ですか、キャプテン」
 シートベルトによる拘束をようやく解くと、隣人の遺体に触れたりしないように船長の席を目指す。暗闇に慣れ始めたとはいえ、懐かしさのあまり酷く気怠く感じる重力のお陰でふらつく足取りは、弥が上にも慎重になる。
「はっ、ホントに何ともないらしいな。素晴らしい!」
 そこまで言って一区切り付けると、一度だけ苦虫を噛み締めるような顔つきになる。
「き……」
「いいか坊主、良く聞けよ。いまこの船で生きている人間は、俺とお前だけだ。とは言ってもこの墜落で俺たち2人だけが助かった訳じゃない。他にも生きている奴らはいたが、そいつらはみんなこの船からでていった。それだけのことだ」
 意にも介さないように言う男。そういった連中を見慣れているのだろう。
「運が悪かったよ。大海原に着水するはずが、孤島に墜落するなんてな……。リサたちには悪いことをしちまった。……そういう訳でコックピットは全滅だ。計器も、計算機も生きちゃいない。エンジンはとっくにくたばってるし、それを動かすエンジニアもいない」
 デヴィッドは生唾を飲み込み、年長者の次の言葉を待った。
「いまのが悪い知らせだ。そしていい知らせは……」
 船長は肘掛けに乗せておいた左腕をゆっくりとデヴィッドの右腕へと運び、思いきりそれを掴む。ビクッとしながらも、少年は自分の左腕をそれに重ねた。なぜかは解らないが、そうしなければならないような気がしたからだ。
「お前自身が生きていることだ。これ以上お前にとって幸福なことはない!」
 少年の手首を掴んだ左手を大きく揺さぶりながら、船長は徐々に赤く染まり始めた自慢の髭を必死に上下に動かしている。
「これから、金星の警察なり軍隊なりが駆けつけるだろう。そうすれば、事故であろうと何だろうと、密入国罪でお前は人権剥奪刑だ。そうはなりたくないだろう? だったら、他の連中と同じように何処かへ逃げろ! 一度この場を離れれば、こういう星だ、密入国だとは解らないだろう。一刻も早く、この船から離れるんだ!」
「し、しかし……」
 船長の迫力に気圧されたデヴィッドは、顔を震わせながら呟く。しかし、それに続けてキャプテンは? などとは問いかける気にはならなかった。その答えは、冷たくなった右手が伝えてくれている。
「坊主、名前は?」
「え、あ、デヴィッド、デヴィッド・ワイスマン……」
「……フン、その名前は嘘じゃないな。いいか、デヴィッド、お前が何のためにこの星を目指したかは知らん、知る気もない。ただ、この星へ一歩足を踏み入れたら、他人のことを思いやるなんて偽善はなくせ。ここは地球の連中が言うように汚水の溜まり場だ、フロンティアなんて響きのいいものじゃない。地球のゴミを体よく処理する場所だ」
 高ぶる感情を押し殺さずに、船長は目を見開きながらデヴィッドに語る。
「処理されたくなければ、自分が生き残ることだけを考えろ。自分のことだけを考えろ。情けは自分のためにはなりはしないんだ……」
 デヴィッドの顔を撫でていた右手が持ち主の首に掛けられていたアクセサリーを引きちぎった。
「第3格納庫に、ビーが一機入っている。それをやる。その代わりの俺たちの最期の頼みだ、生き延びろ、生き延びて故郷へ帰るんだ、俺たちの魂と共、に……」
「キャプ……」
 デヴィッドは色褪せた銀色の鍵を押しつける船長に対して掛ける言葉を持たなかった。
「ちっ、金星の空気は血の味しかしねぇ……」
「……」
「いいか、死ぬなよ、ダニー……」
 瞬間、デヴィッドの脳裏に何かが映った。いくつもの笑顔、泣き顔、喜び、哀しみ、憤り、やるせなさ。いくつもの風景、想い出、記憶……。全てはデヴィッドの知らない場所であり、懐かしさを感じる場所であった。
 少年が思いを馳せている一瞬の間に、船長の激しかった息づかいはやがて穏やかになり、そして絶えた。デヴィッドの腕を握りしめていた手も重力に引かれ、床へ向かって落ちていく。
「俺は、俺はデヴィッドなんだ、キャプテン……。ダニエルじゃない」
 頭を振るデヴィッドの頬を訳もなく一筋の涙が伝わった。

 船長が教えてくれた第3格納庫が想い出という埃に埋もれるようにして、第2格納庫の脇に存在した。船内案内図に小さいながらも掲載されているから良かったが、そうでなければあまりに目立たないために見つけることもできなかっただろう。
 船長の遺品となった鍵で、いまどき珍しくなった物理的に掛かっている錠を外す。と、同時に主ではない電源が起動し、硬く閉ざしていたドアが滑らかにスライドする。見窄らしい様相を持つこの小さな物置の中は、第1格納庫と第2格納庫が強盗に荒らされたような形跡であるのに対し、静かに刻を止めて佇んでいた。
 そこにはマシンが一台だけ置かれていた。それは宇宙船が墜落したというのに、倒れるどころか傷一つさえ付いていなかった。決して新しい機種ではないが、行き届いた手入れのお陰で、古さを感じさせない。青い機体の側面には、ただ一言、「to be.」と白く書かれている。
「神の試練なんて信じるものか。生きているのであれば、自分の力を最大限試す! それでいいんだろ、アンジェ!」
 ビーと通称されるエア・バイクの点検を簡単に済ませると、宇宙服を脱ぎ去り青く輝くマシンに跨る。顔にはゴーグルを付けただけで邪魔なヘルメットは被らない。死ぬときは死ぬ、その覚悟と諦めがそうさせた。
 悪くない。
 見知らぬ、宛もない星で0からのスタートを切るつもりだったが、少なくとも乗り物と決意を手に入れることができたのだ。
「金星のナビもしてくれるのか……」
 コンソールの役割も果たす複雑なハンドルを器用に操り、デヴィッドは正面の小型モニターに現在地を表示させる。
 大陸の西側に広がる大海、暁の海。周囲に陸らしきものというと宇宙船が墜落したこの孤島ぐらいのようだ。いくら飛行するとはいっても、所詮ビーの能力では大陸まで届かないだろう。それに、
「Lに冒される前に、ワクチンを手に入れなきゃだよな」
 それに、ワクチンMがなければ、金星で生き抜くことは難しいのだ。
 デヴィッドは悩むよりも早く、ハッチを開けてビーのエンジンを吹かし始める。先に船を下りた連中がこの島に降りているはずだ。彼らを捜すか、あるいはこの島に住んでいるかも知れない金星人とあって、なんとか生き延びる策を考えねばならなかった。
「付いて来いよ、みんな!」
 一度だけ船室の方を振り返ると、少年は激しく潮風が叩きつける海岸を目指して飛び立った。


 現在の金星は内乱状態に入りつつあるということだ。先日、船内に流れた金星のニュースでは1月1日をもってウェヌス5世が戴冠し、それがきっかけとなって内戦が勃発するだろうということだった。そういう状態であれば、元々は荒くれ者の集団であるといっても良い金星では、地球人の常識では捉えることができないことがより起こり易くなるだろう。
 それは安直な思考だが、正論のようにも思える。

 つづく

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