第3章

地元の超こだわり修理屋親爺のDr.Kのお世話で1300ccのAB型エンジン(これが僕には一番好きなVWエンジンでした。)に乗せ変えました。その前に1600ccも積みましたが、当たりが良く無いのか自分にはつきあう気持ちが起きませんでしたし、なんせ子供もいる大人です、1300cc登録の車に1600ccのエンジンを乗せる訳にもいきませんし。(爆)
『おかん』が3人の子供を生む為に婦人科に連れて行ったのも全てVWでした。
その頃、20年近く経過したボディーは相当な痛みがでており、清水の舞台から飛び下りる(何回目だ!)つもりでレストアにかかりました。
ここで大好きな企画書を作り、足回りは1300ccエンジンで使う最高の物をと前後のスタビライザー、トランスマウントなどなどジムカーナ−用に改造しました。下はかなり古いですが当時の愛読書でした。ポール フレール氏(既に故人ですが)の356を使っての説明の写真は素敵に見えました。


もちろん、20年経ってますのでタイロッド、ステアリングボックス、トーションバーの中身までほとんどの部品を新品に変更しました。
内装もレカロシートをおごり、シフターはバーグに頼んで右ハンドル用を作ってもらいました。
さすがに気合いを入れただけの事はありました。(お金もかかりました!)新車そのものです。匂い、乗り心地も少し固いながら改造車の変な固さはなく、大満足でした。
フロントは2”下げた改造スピンドルのおかげで乗り心地はそのまま、14”の914-6の5.5Jホイールにポテンザ185/55です。
ちなみにリアはコイル付きの車高調整付きの無名ブランドに15”の911用の6Jホイールにポテンザ205/55でした。
しかしその後、交通事故でこの大枚はたいたVWはスクラップとなってしまいます。多分レストア後1年位でした。
しかし保険屋さんの腕とこちらの熱意が通ったのか保険が100万円以上も下りてきました。(奇跡!)もちろん事故車からとれる部品は全て流用しました。
エンジンと足回りは全て生きていましたし、インテリアもほとんど使えました。
ただし、1966年のボディーとはお別れです。
さっそく72年のVW STD 1200CC
を格安で購入し、再び全くとはいきませんが、同じVWをレストアで作りました。ガソリンタンクは新品の6Vを購入し、横から給油する扉やリアの空気の出る穴もうめました。自分でも当時自分は相当入れ込んでいたと今でも思います。
今までの経験を生かしたエンジンを含めた全てのバランスはVWの特性の『暑い、狭い、うるさい』を除けば100点満点でした。
1300ccから最大のパワーを絞り出す為のセッティングのせいか通勤時の燃費は5km以上はありえませんでした。(ちなみに高速で130kmで連続走行しても全くトラブルの心配なく燃費も13km走りましたが。)
あえて言えばマフラーはコンペ用を常時使用していましたのでノーマルのインテークへのヒートライザ−が無いので冬場はアイシングで渋滞中にエンジンが止まる事しばしばでした。

ジムカーナにも幾つか参戦し、0.01秒の僅差で3位とか、他の国産のGTカーと競ってもそん色なくこの1300ccエンジンは回ってくれました。富士サーキットへも参戦しその時は優勝しました。

June.1989 Gym Khanaビデオ(優勝しました!)

それから少しして人生のいたずらかアメリカに引っ越しとなりました。(できる事なら一緒に渡米とも考えましたが......)
再びVWとのお別れです。3年半後に帰国し、再びライセンスプレートを付けました。
相変わらず調子は悪くはありませんでしたが、帰国後の仕事がまさに『激務』で7:00〜22:00までの勤務に加え、夜は自宅で別の仕事の為、睡眠時間は4時間でVWをかまうなんて時間はなく、ただただ足として働いてくれました。
ただし排気を利用したヒーターは競技用のマフラーの為に作用せず、冬は暖房無しでしたし、スーツを着て出勤+フルハ−ネスの4点ベルトは35歳過ぎのおっさんには気恥ずかしいものがありました。
片道30分の渋滞の毎日に使用するVWはマニュアル(クラッチ)と空調なしが35歳過ぎのおっさんの心を少しずつですがVWから遠ざけていきました。(自分用に2台持つ経済的な余裕もなかったですし。(『おかん』はVWに乗れないし。)
激務から逃げるように再び仕事を変わり岡山に単身赴任となりました。岡山では足は会社のオートマ車もありVWの出番がだんだんと減ってきました。通常のメンテはするが一切の改造などは既に気持ちが薄れておりました。
2年後、またまたVWを走らせて岡山から愛知に引っ越しです。勿論トラブルはありませんし、快調ですが一度醒めた恋でしょうか、構おうとする『気持ち』が無くなってきました。
その頃です、当時の家が道路の拡張の為に取り壊しになり建て直しまでの間は借家住まいとなりました。3台の車を置くスペースも無く、潮時だと感じてVWを売却しました。
部品は車と別に購入価格で最低50万円はあったと思いますが、わずかに後ろ髪を引かれましたがお別れの時が来てしまったのです。

本日から過去4年間ほとんどVWの事は考えてもいませんでしたが、HPを作るにあたって現在ではオーナーではありませんが、この20年のお友達を紹介せねば『こだわり』が説明つかないと思いアップしました。
多分もう2度とVW ビートルを所有しないかもしれませんが、なぜかなぜか....
..又、乗りたいな!

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