ひとりごと

『自己嫌悪』

 私には”想像力”というものが欠落しているのだと、他人の”痛み”に鈍感なんだと、痛感する瞬間があります。

 私は日常生活の中で、どうしても自分の感情を優先させる事が多いように思います。多すぎます、という言い方の方が正しいのかもしれません。自分を優先させた結果、今までに沢山の人たちを傷つけていたのだと、後になって「あの時、どうしてあの人のことを思いやれなかったんだろう」と、悔やまれる事が多いのです。そして、今後はこんなことがないように、ちゃんと他人のことを思いやれるように・・・と思うのですが、それが出来たためしがありません。私の周りには周囲の人の感情や行動に目を配り、他人に合わせるということが自然に出来る人達がいます。そんな人達と接する度に、自分の未熟さを思い知らされるものです。

 アメリカのテロ事件以来、イラクに対する武力行使や日本の自衛隊派遣に「戦争は嫌だ」と言いつつも、私はそれらの行為に対して100%反対の立場ではありませんでした。日本でも隣国の脅威を感じる昨今。守る為には、時には実力行使もあり得るのだと思っていました。日本は、もし他国が戦をしかけてきた場合、自力で自国を守れる力はありません。どうしても、アメリカを初めとする他国の力に頼らずをえないのです。そうなった時の為にも、国際協力というのは、それが「軍事力」というものであっても必要なのではないか、そう思ってきました。自分を守る為にはしょうがない、という考え方です。しかし、それは私が経験した事の無い「戦争」というものに対する認識不足、想像力不足の表れであったのだと思います。

 先日、日本中を哀しみの渦に巻き込んだ「外交官殺害事件」。この事件が起こらなければ、私はずっと「自衛隊派遣容認派」だったのだろうと、”賛成”はしないけれども”容認”はする、そんな立場であったのだろうと思います。武力をもってイラクで活動していた訳ではなかった二人の外交官の方々。突然の、そして理不尽な不幸に見舞われたご家族の姿を目にした時、私は溢れる涙を止める事が出来ませんでした。特に、空港でご遺体搬送を見送る少年や少女の姿は、今でも目に、胸に、焼き付いて離れません。肉親、兄弟姉妹、友人などを殺された時の哀しみ。実感するのは難しかったとしても、想像する事はできた筈なのに・・・。私にはそれが出来なかった。その結果が、あの少年や少女の姿に繋がったのだと、子供達にあんな顔をさせてしまった責任の一端は私にもあるのだと、そう思います。あの顔を見た瞬間、どんな理由があるにしろ”戦争”というのは、決してあってはならないものなのだと強く、深く、思わずにはいられませんでした。

 昨年、広島の原爆記念館に行った時にも同じようなことを思ったはずなのに・・・。自分の身の上に起ってないものだから、すぐに忘れてしまいます。私はどうしてこうなんでしょうね。自分の至らなさに怒りすら感じます。

すずな
2003.12.14