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BENETTON RENAULT SPORT B201 (J,BUTTON) 2001
▼詳細情報
  
 「才能は同僚バトンよりも上!」そうテレビでは佐藤琢磨クンを称する際に、使われた言葉だったが実際にそれを鵜呑みにした人はどれだけいただろうか?


  もしそれを鵜呑みにしている人がいるとしたら、その方には大変失礼だが、それは大きな間違いであると言える。もちろん私とて同じ日本人だから琢磨クンの方が勝っていると思いたい。

  しかし、現実はそうではないのだ。

 バトンは99年に解雇されたA・ザナルディの穴を埋めるべく2000年の初めに行われた、ウィリアムズF1チームのトライアウト(入団テスト)において、ブラジル人ドライバーのブルーノ・ジュンケイラとの壮絶なタイムバトルを見て、当時、BMWのディレクターだったゲルハルトベルガー(元マクラーレンのドライバーでセナのチームメイト)は初めて見るバトンのドライビングに対して「10年に1度くらいの周期でその現象は起こるそして我々は今まさにその現象について語っているのだ」っという言葉を発している。

この頃は彼にとっても最悪の時期だったといえる
 では、その時から10年前の現象のというのは、M・シューマッハに他ならないだろう。バトンがシューマッハと肩を並べる才能があるかどうかは、別の話として、イギリスでは天才と謳われカート時代にはシリーズ全勝記録という偉業を打ちたて、もちろん2000年のウィリアムズレギュラーシートを勝ち取り、シーズン中もファーストドライバーだった、ラルフ・シューマッハよりもコンスタントに速いタイムを記録していた。しかし2001年にCARTチャンピオンのJ,P・モントーヤの加入によりウィリアムズからベネトン(現ルノー)へとレンタル移籍させられ、チームメイトのジャンカルロ・フィジケラより遅いレースが続いた。

 もちろんマシンの戦闘力が低かった事は明白だったが、マシンコントロールに抜群に定評のあるジャンカルロに対し経験不足が否めなかったのは事実である。


 続く2002年もベネトンを買収したルノーから引き続き参戦、自己最高の14ポイントを獲得するがそこにはデビュー当初のセンセーショナルな、彼の面影はすでに無かった。
「ジェンソンは終わった・・・・・・」

 口の悪い関係者の中には、そう話す者さえいた。しかし彼は腐ってはいなかったのである。2003年にフェルナンドアロンソに押し出される形でBARに移籍し、彼は、何とエースドライバーで1997年のチャンピオン、ジャック・ビルニューブの戦績を遥かに上回る7度の入賞を果す。この彼の思わぬ活躍がプライド高いジャックの心を傷つけたのか、シーズン終了を待たず、チーム去ってしまう結果になってしまう。そしてそこに現れたのが、佐藤琢磨クンであることは、皆さんご存知の通りである。
 そしてBARでエースドライバーとしての地位を得た彼は2004年はポテンシャルの非常に高いBARホンダ006を駆りシーズン序盤のマレーシアでは初の表彰台を獲得し、続くサンマリノでは初めてのポールポジションも獲得した。その後もコンスタントに入賞を繰り返し、初優勝も時間も問題か!と言われたが、チームのレース戦術の不備が足を引っ張り、結局最後まで優勝をするまでには至らなかった。
▼仕様
■BENETTON RENAULT SPORT B201
(J,BUTTON) 2001
Made by MINICHAMPS Scale is 1/43
このことに彼は業を煮やしたのか、どうなのかは分からないが
2004年の夏ごろに突然、翌年からのウィリアムズ入りの発表した。
もちろんこのことは当のBARは寝耳に水であり、すぐさま契約承認委員会(CRB)に契約の無効を訴え
CRBは、2004年のBARとの契約の指示するとの裁定を下した。
仕方なくバトンと彼の弁護士は改めて2006年からのウィリアムズの契約を結びなおし
ひとまず問題の解決に至ったのだが、所がそのままでは終わらなかったのである。
サーキットの外ではこのようなゴタゴタ問題も抱えた彼だったが
チームは好調そのものであり、翌2005年もこの勢いは続くかと思われた。
しかし、2005年からのタイヤ交換禁止やエアロダイナミクスなどの大幅なレギュレーション変更に
BARは完全に対処し遅れ、シーズン序盤は全くそのマシン開発が上手く進まなかったのである。
またそれに輪をかけた、サンマリノGPでの重量規定違反による失格と
その後2戦の出場停止で、チームのリズムは完全に狂ってしまい
佐藤琢磨共々、まさかのノーポイントが続いていた。
しかしシーズン中盤のフランスからは表彰台を含む10戦連続入賞はさすががであった。
所がこの頃、同じく不審にあえいで、遂にはエンジンサプライヤーのBMW離脱が決定した
ウィリアムズとの来季の契約無効を突然訴え
それを良しとしないウィリアムズ側との法廷闘争が再び勃発した。

それにしてもバトンと彼の弁護士は一体、何をやっているのだろう??
バトンにして見れば、BMWを失ったウィリアムズんは旨みがないというのは分かるが
普通はその事も念頭に入れた上で「エンジンが変わった場合はその契約は無効にする!」
みたいな契約条項があるのが、いわば契約社会においては常識である。
ホント、カレラの行動に対し、何処か「出たとこ勝負!」の感が否めないのは私だけではないはず。
もちろん彼のドライバーとしての才能に疑い如地が無いのは誰もが認める所だが
それ以前に、人間同士の信頼という点から見れば、関係者等が彼らのモラルには不信感を抱くのは
もはや時間の時間の問題といえる。
M・シューマッハが現在のような偉業を達成出来たのは
チームやその他の関係者等との密接な信頼感があったことは明白だし
何よりミハエル自身が、それを何より大切な事だという事を理解しているという。

2006年は、そのミハエルの元で9回の優勝を達成したR・バリチェロがチームメイトとなるが
「100戦して未勝利のドライバーはチャンピオンにはなれない」と言われているバトンにとっては
こうしたサーキット外のメンタリティー的な問題を克服しないと、ただのワガママ坊主のドライバーに
なり損ねない正念場のシーズンになるといえる。
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