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■DALLARA OPEL SPIESS F303 (R・ROSBERG) | |
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遂に決まった!!2006年のウィリアムズのレギュラーシート。また偶然にも来季は彼の父ケケがチャンピオンを獲得した1981年と同じエンジンはコスワースなのである。かといって、さすがに初年度からイキナリチャンピオン争いに加わるとは思わないけど・・・・・ (チームがそんな状態ではないからね) まっ、いずれにしても今季はGP2でチャンピオンも獲得したしウィリアムズのテストもそれなりにこなしていたワケで今回の彼のウィリアムズからのデビューはごく自然といえる。 ではココでちょっと彼のプロフィールをご紹介。ご存知、彼は1981年チャンピオンのケケ・ロズベルグの息子でフィンランド人ですが、国籍は母方のドイツ国籍を取得し(トコロが最近はやっぱりフィンランド!という記述も出てきている。結局どっちなんだ〜(?_?)その為、主なレース活動はドイツで行っていたようである。もっともレースが未だに盛んでないフィンランドで細々とするより、ドイツでやった方が得策という父ケケの判断が大きかったのかも知れない。 |
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っで、まず2002年にADAC フォーミュラーBMWで20戦中9勝を挙げ、チャンピンを獲得。またその時に初めてウィリアムズでF1をドライブ。若干、17歳の時での初F1は、いやはやホントに凄い〜!!翌年、父のチームであるチーム・ロズベルグから、F3にステップアップし、1勝、1PPを挙げ、シーズンを8位で終える。もちろんF1のテストもコンスタントに重ね次第にその注目度も高くなり、この頃よりF1デビューへのカウントダウンが始まる。 翌年もF3で2年を過ごし、そのまますぐにF1に行きたかったようだが、残念ながらF3チャンピオンはJ・グリーン(現在DTMに参戦中)に奪われ、またF1でのウィリアムズのシートも、バトンの移籍問題でゴタゴタになり、とりあえずGP2へと活動の場を移す。最も、この彼の決断(お父さんの決断!?)が良かったようで、GP2では、何なくチャンピオンを獲得。また、彼の特筆すべき能力は、その秀才さにも現れている。元々、アスリートはその頭の回転の速さには定評があるようですが、彼においてはその点においても他の人と比べても群を抜いているようです。 |
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彼はモータースポーツで本格的に始める前に、あのロンドン大学のインペリアル・カレッジでエンジニアリングの学位を取得しており、天性の才能を見せるばかりか、マシンを降りても技術的理解の深さをウィリアムズのメカニック達に対し発揮しているようである。 また個人的に凄いなぁ〜っと思うのは、4つのヨーロッパ言語を流ちょうに操るコトが出来きこれは今後コンチネンタルサーカスを繰り返すF1の舞台においてコミニケーションという観点からも不自由しないであろう。 まだ若いにも関わらず、現代のドライバーらしく、早い時期から積んだ豊富な経験を持っており若干20歳にして彼の父、ケケが経験したその全部キャリアよりも多くのレース出場経験を持つという点では、すでに彼は偉大な父を超えたといっても過言ではない。いずれにしても来季からウィリアムズコスワースのステアリングを握る彼は近い将来にアロンソやライコネン等とバトルを繰り返す逸材になることは間違いではないはずである。 |
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GP2とは・・・・:2004年まで開催された、国際Formula3000が廃止され、変って新設されたF1とF3の間に位置するフォーミュラ。シャシーは、イタリアのダラーラ社製のワンメイクで、エンジンは、ルノーエンジンをメカクロームにより開発4リッター、V8を使用する(現行F1より排気量が大きい)。タイヤは、ブリジストンを使用し、F1と同じく溝付きグルーブドタイヤとなる。 | |
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