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■JORDAN YAMAHA192 (Drived by M・GUGELMIN)1992 | |
▼詳細情報 | |
ブラジルでカートチャンピオンを獲得後、フォーミュラ・フィアット、イギリスに82年に渡英しFF1600、F3と順調にステップアップし、85年のイギリスF3参戦初年度にチャンピオンをイキナリ獲得しその年のマカオF3も優勝。 その後、F3000に進み2年間を過ごすが、個人的にはコレがアカンかったのではと思う。やっぱり飛び級でF1に行かないと・・・・とりあえず88年にマーチからデビューするが、エイドリアン・ニューウェイがデザインする空力最先端マシンを生かすにもカスタマー仕様のジャットエンジンがあまりに非力すぎた。 |
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92年当時のモデルだからタバコメーカーの「バークレイ」 のロゴもキチンと入ってるのに注目! |
グリッド後方や予選落ちを喫したりもしたが、時折、トップや表彰台圏内を好走するなど彼の才能とマシンの良さを見せ付ける場面もいくつかあった。しかし、91年に期待のイルモアV10エンジンを獲得するもパフォーマンスには結びつかずついには新人のK・ベンドリンガーにシートを奪われる。 心機一転、92年から前年のデビュー時には、大活躍したジョーダンに移籍、エンジンもそれまでのフォードV8からヤマハV12にスイッチしかなりの期待をもたれたが、これがまた、V12のエンジンの重さからマシンバランスを失い下位に低迷する始末だった。 その後、彼はF1での活動をあきらめ、アメリカのCARTに拠点を移し彼の才能は開花した。特に予選での速さはF1の頃から定評があり、97年には地元リオ・デ・ジャネイロでは初のポールを獲得し、その年のバンクーバーでは見事に勝利をおさめた。しかし生まれ持っての巨漢が開発が進み、モノコックがどんどん狭くなる近代のフォーミュラーでは障害となり、ついに2002年には38歳で引退した。 |
▼仕様 | |
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