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■KL MINARDI PS02 (M・WEBBER) 5Th PLACE FINISH AUSTRALIAN GP 2002 | |
▼詳細情報 | |
昨年のウィリアムズでのパフォーマンスを見る限り、これまでの彼の高評価には疑問府を付けかねない?そんな不甲斐ないシーズンになってしまったことは、疑いようの無い事実である。 しかし、私は信じている。彼がアロンソなどと遜色の無い才能の持ち主だということを・・・・・。彼のウィリアムズに来るまでの活躍を見ると、それはもうエリートとしか表現のしようがないほど、輝かしいものであるのも、これまた事実なのである。 |
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デビューレースだった2002年の地元オーストラリアGPの スペシャルパッケージである。 |
彼を初めて目にしたのは1998年にFIA-GT選手権にメルセデスから参戦していた頃だった。この頃は日本国内ではメルセデスのスタードライバーだった、B・シュナイダーや元F1ドライバーのA・ナニーニが有名だったが、それでもこのスタードライバーとキッチリバトルを繰り広げシーズンを3位で終える。 そして彼が初めてメジャーシーンに躍り出るのは、何とも奇妙なきっかけで、当時致命的な空力の欠陥を抱えていたメルセデスCLK-GTRをルマンの予選でドライブ中、ユノディエールのストレートで激しくバンピングし、次の瞬間、中に浮き上がり吹き飛んでしまったのが全世界にTV中継された時である。 もっとも決勝も同じメルセデスのP・ダンブレックが同じ事故を起し、コチラはコース外にまで飛んで行ってしまった。この事故を受けてレースを取り止めたチームはドライバーやその他のスタッフを撤退させる中、寂しげにその場をさるウェバーの後姿が何とも寂しげであった。 その後、活動の場をフォーミュラーに移し、正直成績の方はパッとしなかったが、それでも兼ねてから彼に目をつけていたF・ブリアトーレの後押しを受けて2002年よりミナルディからF1デビューする。 |
デビュー戦でトヨタのM・サロとの激しいバトルに末に 勝ち取った5位入賞はホントに見事だった。 |
その後の活躍は多くの方が知る通りだが、同年デビューの佐藤琢磨同様、期待されながらも今に至るまで大きな結果には結びついていない。今季はチームメイトにN・ロズベルグを向かえ、またエンジンもV8ナンバー1の呼び名が高いコスワースが搭載されるなど、チームの台所事情が厳しいながらも、要素が昨年に比べても比較的明るい。そのようなコトからも、是非、今年こそはまずは一勝をして頂きたいのだが、果たしてどうなることやら・・・・・・ |
▼仕様 | |
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