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■SAUBER PETRONAS SHOWCAR 2002 (H,HEIDFELD) | |
▼詳細情報 | |
凄く速いドライバーなのだけども地味なキャラクターのせいか、イマイチ、人気が出ないのがこのハイドフェルド。ドイツ人である彼はドイツカート選手権でチャンピオンを獲得し、94年にはドイツFF1600にステップアップし、その後、96年にはドイツF3に参戦を果たし、早くも2年目にはチャンピオンを獲得。98年には国際F3000に参戦し、ファンパブロモントーヤとタイトル争いを演じますが、最終戦であろうかとこか燃料規定違反が発覚してしまい、ぺナルティを受け最後尾からのスタートでチャンピオンを逃しシリーズ2位で終わります。 この頃から、彼の何ともいえない不運が出はじめたようです。もっともこの時チャンピオンを獲ったモントーヤも最近はパッとしませんが・・・・・。あっ、そうなんです、国際F3000で活躍したドライバーはF1では上手くいかないジンクスがあるんです。 |
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翌年、メルセデスの契約の関連でマクラーレンのテストドライバーを務めながら、F3000にも参戦し、無事にタイトルを獲得。2000年にはプロストGPからF1デビューを果たしますが、チームはボヨヨ〜ンな最悪な状態で結局、デビューシーズンはノーポイントに。01年には心機一転ザウバーに移籍し、開幕戦でポイントを挙げ第三戦では初の表彰台を獲得。チームメイトのルーキーだったキミライコネンよりも遥に多いポイントを稼ぎますが、ライコネンの開幕前の騒動や何かと派手な話題性により、ほとんど彼の活躍は注目されませんでした。 とどめはメルセデスの契約ドライバーだったにも関わらず、ハッキネンの引退で開いたマクラーレンのシートにはライコネンが座ることが決まり彼はかなりムカついたそうです。その後、03年までザウバーをドライブし続け、04年には、これまたチーム状態がガタガタのジョーダンに移籍しますが、やはり全く良いところはなし。 そんな彼に突如、朗報が舞い込みます。2005年のウィリアムズからのオファーでした。しかし、それはオフシーズンのアントニオ・ピッツオニアとのタイム競争に勝つことが条件でした。 |
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タイム競争に勝ち無事にウィリアムズのシート得た彼は2戦目のマレーシアで自身2度目の3位表彰台。続くモナコでは自己最高位2位、ヨーロッパGPでは初のPPを獲得し、2位でレースを終え、完全にナンバー1のマークウェバーを圧倒していました。まさに彼の才能が開花したわけです。しかし、その後、テスト中にクラッシュを喫し、怪我のために欠場、その後もリハビリー中の事故により怪我が長引き、結局、その後ウィリアムズのマシンをドライブすることはありませんでした。今季からはかねてから関係のあったBMWの誘いにより、BMWザウバーに移籍し、ナンバー1ドライバーとして頑張っていますが、果たしてどうなることやら・・・・ |
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