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パナソニックトヨタレーシングチームが02年にリリースした
記念すべき実戦マシンTF102のモデルカーである。
TOYOTA TF102 Promotional Makers Model 2002
▼詳細情報
1999年にトヨタがF1参戦を発表した際、「別に今更F1に出なくても良いのに・・・・」っと、ちょっと意地悪なことを考えたりもしたモノだ。もちろんTTE(トヨタチームヨーロッパ)80年代から90年代のWRCやルマンにおいても、そこそこ勝っていたのも知っていたのだが、しかし当時はフォーミュラー、とりわけF1ありきの私にとって、それらは大した関心事ではなかったというのが正直なトコロである。(家の車はマークUだったけど)

 当のトヨタもそうした活躍にはそれなりに満足していたらしく、それ以上に苦労を買って出るようなF1参戦の必要性を認めず、91年にトヨタの準ワークスでもあるトムスがアラン・プロストとジョンバーナードらと共にF1参戦を試みたときも、依頼されたエンジンの供給を断った経緯があったらしい。もっともこれは関連会社のヤマハが当時、すでにF1にエンジン供給という形で参戦していたからそれらの兼ね合いもあったのかも知れない。

実力のグスタフ・ブルナーの作品である。
  こうした従来のモータースポーツ活動、(とりわけヨーロッパにおいて)によりヨーロッパにおける販売シェアはそれなりにアップしたらしいが、トヨタ本社の上層部の役員達は更なるシェア拡大のためにはそれらの要素だけでは十分ではない!っという判断から数年後にF1参戦が検討され
そして99年に参戦が決定されたのである。

  当初からエンジンからシャシー設計まで、一貫して自社で行うとされていたが、さすがに全てをイチから!っというのは無理があったのか、エンジンにおいては過去にブラバム、ティレル、アロウズなどに供給経験のあり、また高回転型エンジンのノウハウが豊富な関連会社のヤマハとの技術提携がなされた。

このモデルではないが、04年にはフェラーリに
マシンのデザインにおいて
「盗作疑惑」をかけられたことある。
  ドライバーはアランマクニッシュとミカサロが起用された。マクニッシュはF1での実戦経験こそなかったが、91年からマクラーレン、ベネトンでのテストドライバーの経験があり99年にはトヨタからルマンに参戦した経験をかわれ採用された。

  ミカサロはティレル、フェラーリ、ザウバーでの入賞経験も豊富で、すでに実力派であったのだが、彼の奥さんが元グラビアクイーンの遠藤紀子さんだったことから、日本語によるコミニケーションの能力がかわれての起用というのが本当の理由だったそうな。ちなみに彼は全日本F3000を戦っていた当時、東京の下北沢に住んでいたらしい。

  以上のようなドライバーズラインナップを考えると、ドライバーの個々の能力と言うよりは、どちらかというとマシンの開発に重点をおいたドライバーの起用だったことが言える。
▼仕様
■TOYOTA TF102 Promotional Makers Model 2002
Limited Edition only 8002pcs,
Scale is 1/43 and made by MINICHAMPS 
エンジニアリング面においては、トヨタのルマンのマシンを開発した
アンドレ・デ・コルタンツ等が率いる、グループによりテスト専用マシン
事実上のトヨタ初のF1マシンであるTF101が開発された。

ところが、2001年5月にデ・コルタンツは突如チームを離脱してしまった。
っというのも、デ・コルタンツ自身、F1マシンの設計経験が少なく(っというか、ほとんどなかったらしい)
彼の開発したTF101のポテンシャルは、当時の他のチームのマシンに比べても
あまりにポテンシャルが低く、また彼自身の自己中心的な仕事の進め方により
チーム内での不協和音が生じたためだと言われている。

変わって、過去にフェラーリなどで活躍したグスタフ・ブルナーが
チーフデザイナーとしてチームに加入した。
ちなみにブルナーは、現在では常識となっている
インテグラル・ボディーワーク、つまりメス型でシャシーを製作し、シャシーの外皮が
そのままボディーワークになる手法を1983年に最初に採り入れたデザイナーである。
それまでは、一般的にシャシーとは別にボディーをカバーのようにシャシーの上に被せて
ボディーワークとする方法がとられていた。
もっとも、この従来の方法はその後も、92年までマクラーレンなどは採用し続けた。
そしてブルナーの指揮のもと、開発されたのが実戦マシンであるこのTF102である。

迎えた02年のデビューシーズン。
ミカサロがデビューレースのオーストラリアはメルボルンで
同じくこれがデビューレースだったミナルディのマーク・ウェバーとのデッドヒートの末
6位に入賞し、続く3戦目のブラジルでも入賞を果たすなど
シーズン前の予想を遥かに上回る戦績を記録したのだが
シーズンが進むにつれて、他チームの熟成も進み
成績も下り坂をたどり、以後、ポイントを獲得することはなかった。

翌年はドライバーをベテランのオリビエ・パニスとCARTチャンピオンの
クリスティーア−ノ・ダ・マッタに変えて挑むも不振にあえぎ
04年終盤にはベテランのヤルノ・トゥルーリが、05年にはラルフ・シューマッハが加入し
またマシンも飛躍的にポテンシャルが向上し
マレーシアではトゥルーリが初の表彰台を獲得し続いてアメリカでは初のポールポジションを獲得するなど
一気に上昇気運に乗り出したが、それまでも未だに勝利を挙げるには至っていない。

年間の総予算がフェラーリやマクラーレンに匹敵するほどにも関わらず
成績はパッとしない!っと陰口を叩かれることもしばあることや
参戦5年目の節目を迎える今年はトヨタにとって、本当に正念場とも言えるシーズンである。
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