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■Williams FW11 HONDA Drived by N・Mansell | |
▼詳細情報 | |
1986年の最終戦、オーストラリアGPを前にN・マンセルはチャンピオンシップポイントで首位に立ちオーストラリアで3位以内にさえ入れば、チャンピオンの獲得が決定出来る状況から、その年のウィリアムズの調子の良さを考えればチャンピオン獲得はほぼ決定的でした。 しかし、ポイント上は、同じウィリアムズのピケが63マクラーレンのプロストが64というように、その差が非常に僅差でしたから、その争いは本当に熾烈を極めておりました。特にピケはフランクウィリアムズの誘いでブラバムから移籍したのですが、チーフエンジニアのパトリックヘッドが、未だ無冠マンセル担当エンジニアになったことから、すでにチャンピオン経験者のピケのプライドはズタズタに傷つけられたのでした。その結果、チーム内でのシーズン競争が勃発し、雰囲気も最悪な状況でした。 |
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そんな微妙な状況の中、スタートしたオーストラリアGP。ポールポジションは絶好調のマンセルが獲得し、2番手にはピケというように、フロントローはウィリアムズが独占。セカンドローにはプロストとロータスのセナという順でした。グリーンシグナルとともにトップに躍り出たのはセナ。マンセルはピケ、マクラーレンのケケ・ロズベルグにもかわされ一気に4位まで落ちてしまいました。このレースを最後に引退が決まっていたロズベルグはセナ、ピケを交わしトップに躍り出ます。その後はピケのスピン、プロストのベネトンのG・ベルガーとの接触によりタイヤがパンクしピットインするなどの荒れた展開で32周目時点でロズベルグ、プロスト、マンセル、ピケのオーダーとなります。 | |
レースはこのまま終わるかと思われた終盤の63週目ロズベルグが優秀の美を飾る、誰もがそう思い始めたその時事件が起こります。トップのロズベルグがタイヤバーストに見舞われ、マシンを止めてしまい、この瞬間、彼のレース人生は幕を閉じました。当初、ノンストップで行けると見られたタイヤが、予想を反し限界にきていたのです。慌てたグッドイヤーはウィリアムズとプロストにすぐさまピットインをするように指示を出し、パトリックヘッドが無線で2位を走るマンセルにピットへ入るように指示した瞬間、なんとマンセルのウィリアムズFW11の左リヤータイヤは引きちぎれました。騒然となったウィリアムズのピットにピケが滑り込み、タイヤを交換しますが、なんとタイヤは無傷でした。 | |
そう、無用のピットインをしてしまったのです。そしてその瞬間、プロストは自動的にトップに上がり、そのままチェッカー。同時にプロストのタイトルが決定しました。誰もがチャンピオンを獲得すると思われたマンセルが一瞬の判断の遅れから栄冠を逃し可能性がほぼセロに近かったプロストが、タイトルを獲得する、そんな当人達の努力ではどうにもならない、いわば彼らの持てる運が全てを左右したグランプリとして、この1986年のオーストラリアは長く人々の記憶に留められるレースになりました。 | |
▼仕様 | |
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