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McLaren MP4(1981〜):J・Watson
しかし、78年にジェームス・ハントがチャンピオンを獲得したものの
その後は名手パトリックタンベイや若手のアラン・プロストが
ドライブを務めたりもしたが、長らく低迷が続き
次の勝利はジョン・ワトソンがする、1981年のイギリスGPまで
待たなければなかった。
そしてこのイギリスGPこそが
近代F1マシンの幕開けともなる勝利でもあった。

このレースでマクラーレンは初のカーボンファイバーを用いた
モノコックを実戦デビューさせたのである。
というのも、グランドエフェクトカーが全盛を極めていた当時
増大するダウンフォースにそれまでのアルミモノコックが耐えられなくなり
レースで使っていくうちに、モノコック自体が歪んでしまい
いくら同じセッティングを施しても、特に足回りが全く決まらないという
奇妙な事態に各チームが陥っていたのである。
そこでアルミよりも遥かに軽く
また何倍もの強度を誇るカーボンファイバー製の
モノコックの登場が待たれたのだが、何分値段がメチャメチャ高かった。
そこで圧倒的な資金力を誇るマクラーレンがアメリカのえーっと
ゴメン名前忘れたけど、何とか言う会社にカーボンモノコックの
研究と製作を依頼し、そして出来上がってきたのが
このマシンのモノコックというわけである。
ちなみに今では自前で、どのチームも
みんなオートクレープ(カーボンを焼く釜)を所有しているが
当時はそんなモノは何処も所有していなかった!!
ちなみに当時のこのモノコック一機の値段が3500万ドルだったそうだ。
そしてこのマシンをデザインした人間こそ
後に初セミオートマチック搭載マシンであるフェラーリ640(639)
初のフロント吊り下げウィング式ノーズを採用したベネトンB191などを
デザインした名デザイナー:ジョン・バーナードである。
彼はそれ以前にも、アメリカのジャパラルというコンストラクターの
インディーカーなどもデザインしている。

このカーボンモノコックを用いたマシンからシャシー名が
初めてMP4と名付けら、その後は今に至るまで
このMP4シリーズは使用され続けられている。
それまではM20・・・・とか、そんな名前だった!
余談であるが、このMP4の意味は
M:マクラーレンと新オーナー:ロン・デニスが率いるプロジェクト4:P4が
合体したことでMP4という意味なんだそうだ!

その後、82年にニキ・ラウダがマクラーレンに復帰、加入し
ロングビーチGPで優勝するなどし、83年からはいよいよ
タグポルシェのターボエンジンが登場し、84年に遂にニキラウダが
自身3度目のチャンピオンを獲得するのであった。
ラウダは84年に引退をするが、その後も84年に加入したプロストが
翌85年に初めてのチャンピオンを獲得するなど
それ以降のマクラーレンの輝かしい栄光はご存知の通りである。

また94年にラッツェンバーガーによる事故死が起きるまで続いた
カーボンファイバーモノコックの安全神話は
このマシンから始まったのである。

※この画像のマシンはフロントウイングが装着されていないが
これは当時はグランドエフェクトカーだったため
マシン自体がウイング構造をもっていた為
前後のウィングは補助的な役割でしかなく
レースによってはウィングなしで走ることもしばしばあった。
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