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Mclaren MP4/5B HONDA (A・Senna) 1990
コチラはセナが90年にドライブした、マクラーレンMP4/5Bホンダである。
これは前年のMP4/5の改良型で、主だった変更点は
スリム化されたサイドポンツーンで、他にもバットマンディフィーザーと呼ばれる
巨大な横五連トンネルのカタチをしたディフィーザーが装備されたが
大して効果がなかったのか、シーズン後半には廃止された。
多分、写真のマシンはフロントウイングの翼単板が小型化されて
リヤーウイングも寝かされていることからイタリアGP仕様のものだろう。
あ〜でも、ウインドスクリーンがドイツGPからブラックアウトされた
カーボン製のものに変更されているはずなのだが
コチラのはクリアのままだから、ちょっと確信が持てないなぁ〜??

このシーズンは当初、前々年の1988年の第13戦ポルトガルGPにて
セナがチームメイトのプロストに幅寄せをしたことから彼等の間に不協和音が生じ始め
翌1989年には「1コーナーの通過順位をオープニングラップにおいては守る
という紳士協定をセナが破ったことによって
プロストとセナの亀裂は決定的なものとなった。
そして迎えたシーズン終盤の鈴鹿のシケインで
セナとプロストとのチームメイト同士接触により
とりあえずチャンピオンはプロストに決定
セナはレースに復帰したものの、シケイン不通過により失格という裁定が下され
それが原因で89年にから90年にかけてのオフ・シーズンには
FIAがセナに対し危険なドライバー!としてスーパーライセンスの剥奪を匂わし
それに輪をかけて、当時のFISA会長バレストルの
同じフランス人プロストへの執拗な援護などで
傷つき果てたセナは一時、引退にも追い込まれるような事態に陥ったのである。
もっとも、このセナに対するスーパーライセンス剥奪問題には
バレストルの相当な政治的圧力があったと当時はかなり騒がれた。
っというのも、当時は今以上にF1においては
ヨーロッパ至上主義的なところが色濃かったため
異国の勢力であるセナとホンダが、あまりに勝ちすぎることは
バレストルを初めとするヨーロッパ勢力には面白くなかったのだろう。

しかし、熱心なホンダの説得により90年の開幕戦に現れたセナは
予選こそ新チームメイトのG・ベルガーにPPを譲ったモノの
決勝では当時新進気鋭だったジャンアレジと後世に残るバトル演じ
見事優勝を飾り、シーズン序盤をリードする運びになった。
しかし、この年よりフェラーリに移籍したA・プロストが
中盤のメキシコGP辺りから、猛烈な追い上げを見せ
天王山、日本グランプリで遂にチャンピオン決定戦を迎えたのである。

セナが勝てば文句無くチャンピオン決定、プロストが勝てば翌戦に決定持ち越しの
大一番であったが、PPのセナと2番手のプロストは
決勝スタート直後の第一コーナーで
先行したプロストにセナが追突するカタチで接触、コースアウト!
あっけなく、セナのタイトルが決定してしまった。

この接触に激怒したプロストは「ぶん殴ってやろうか!」っとマジで思ったらしいが
実際には睨み付けるだけで、セナに詰め寄ることなく
その場を後にしたが、その後彼等は再び長くの間、口を聞くことはなかったのである。
実は、前戦のスペインGPで彼等は和解の握手をしてたんだけどね〜。
ちなみにこの接触に関してセナが後に
「アレはワザと僕がプロストにぶつけた!」っと涙ながらに認めたんだとか。

そして翌年もセナ・プロストのバトルは続くと思われたが
残念ながらフェラーリ自体が政治問題に揺れ
マシン開発も思うように続かず、プロスト自身がマシンのポテンシャルの低さから
チャンピオン争いに加わることはなかったので
結果的にはセナ・プロ対決はこの90年が最後ということになった。

今のアロンソとライコネンも素晴らしい好敵手だとは思うけど
でも、人間臭さでいえば、セナとプロストに勝るものはないだろう。
あれほどドロドロしながらも、サーキットの内外で互いに引かないバトルを
繰り広げたのは、あとにも先にも彼等くらいだろうからね。
そしてそんな、彼等のバトルに私等ファンも燃えたのである。
そんな熱〜いバトルが最高潮に達したのが1990年シーズンだったのである。
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