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Mclaren MP4/6 HONDA (A・Senna) 1991
前年のタイトル争いは、鈴鹿でのセナ、プロスト撃墜事件で幕を閉じ
それ自体も特にFIA(当時はFISA)からも、お咎めがなかったため
90年のシーズンオフは前年よりかは幾分、後味の良いシーズンオフでした。
そして、ライバルのフェラーリには
前年の大活躍により株が急上昇した、ジャンアレジがティレルから移籍し
またマシンも好調だった641/2をスティーブ・ニコルズの手により
更に煮詰められた642が、冬のテストでは絶好調で
反面、なかなかニューマシンが完成しないマクラーレンは
セカンド・ドライバーのゲルハルト・ベルガーとテストドライバーで
10年後にトヨタのレギュラードライバーになる、アラン・マクニッシュの手により
前年のシャシーMP4/5Bにホンダの新開発のV12エンジンを搭載した
ハイブリットマシンで、テストを繰り返すしかありませんでした。

また、前年は不振にあえいだウィリアムズは、このシーズンより
シーケンシャルシフトをセミオートマ化したギアーボックスを開発し
またマシンの空力コンセプトも
レイトンハウスより移籍した鬼才エイドリアン・ニューウェイがデザインを行い
テスト中は目立った速さが無かったものの
ある意味、不気味な存在感を醸し出していました。

そしてこのとき、誰もが91年シーズンは
フェラーリの躍進とマクラーレンの苦戦を思い描いていたのでした。

そして明けた開幕戦、アメリカはフェニックス。
予選では、やはりフェラーリのプロストが速く
誰もがポール獲得は確実かと思われました。
しかし最後になって
ほぼこのときがニュ−マシンMP4/6のシェイクダウンに近かった
マクラーレンのセナが一番時計を記録し、見事ポールを獲得。
結局、プロストは2番に終わります。
このとき、フェラーリもプロストもそしてアレジも
「アレ、何かが違う??何でだろう!」
っと、首を捻ったに違いありません!!

決勝も、セナはジリジリと後続を引き離し、結局は一度も首位を明け渡すことなく
ポール・トゥ・フィニッシュ!!
続く、ブラジルでは終始トップを走りながらも、ラストにはギアーが
6速以外、全部無くなり、疲労困憊の状態でトップチェッカー。
その後も第4戦モナコGPまで、驚異の4連勝を飾ることになります。

その反面、シーズン前には下馬評高かったフェラーリは
マクラーレンはもとより、ウィリアムズにも全く付いていけず
中盤のフランスGPでニューマシン643を投入するも
焼け石に水状態!
同時にフェラーリお得意のお家騒動も勃発し
まず始めにチェザーレ・フィオリオ監督がクビを切られ
クラウディオ・ロンバルディーというオッちゃんが
「ガンバルディー!」っと言いながら、監督に就任しますがパッとせず
挙句の果てにはチームの悪口を言い続けたプロストが最終戦の前にクビになり
以後、シューマッハが加入する96年までの低迷期に突入します。

話は戻って
シーズン中盤からはメキメキと力を付けてきて
セミオートマの信頼性も安定してきたウィリアムズが
メキシコではパトレーゼがセナの開幕5連勝を阻止し
続くフランス、イギリス、ドイツではレッドファイブのマンセルが連勝し
一時はチャンピオン争いにマンセルが名乗りを挙げますが
セナが序盤に稼いだポイント差が功を奏し
また終盤のポルトガルGPでは、マンセルがピットアウトした際に
メカニックのミスで左リヤータイヤが脱落し、失格になってしまい
同時にこの時点でセナの3度目の、そして生涯最後のチャンピオンが事実上確定した瞬間でした。


さて、このMP4/6についてですが
ご覧の通り、前年のフェラーリ641を彷彿させるデザインでありながら
当時、主流になりつつあったセミオートマなどのハイテクをあえて採用せずに
非常にコンサバな作りが、第一の印象でした。
また、見るべき変更点といえば長らくマクラーレンが使い続けたサスペンション方式である
プルロッドから、一般的なプッシュロッドになったことくらいでしょうか!
しかし、この余りに保守的なマシンコンセプトが
中盤、ウィリアムズに追い上げられる要因の一つになったことも明らかでした。

そして何よりの一番の注目すべきポイントといえば
ホンダがV12気筒エンジンを開発、搭載したことでしょうか!
当時はV8に長けてきたフォードでさえも、V12を開発するなど
「マルチシリンダー元年」といわれるほど、V12が持てはやされた時代でしたが
トータルポテンシャル!という点では、V10を使うルノーRS3の方が上だったようです。
そしてそれを実証するかのように、ウィリアムズの猛烈な追い上げと
シャシーのポテンシャルの低さ、そしてそれまで圧倒的なパワーと信頼性を誇示してきた
ホンダが前途のようにライバルのルノーに比べても
明らかパワー不足に苦しみます。
そして中盤のドイツGPでは
セナがフジテレビのインタビューを受けた時に
「日本のホンダの技術者の皆さん、
僕はあなた方がもっと素晴らしいエンジンを作ってくれることを待っています!」
っというような、いわばホンダのエンジニア
ハッパをかけるような驚くべき行動に出たことは余りに有名です。

そして翌ハンガリーGPでは、改良の末、パワーアップされたホンダエンジンで
セナはモナコ以来の久々の勝利を飾ります。
またこの時のポディウムに上がったセナの腕には
数日前に逝去された本田宗一郎氏への哀悼の意を表すべく
黒い喪章が付けられていました。
その後は安定した速さを取り戻し、またマンセルの自滅も手伝い
第15戦の鈴鹿で見事にダブルタイトルを獲得します。
終始トップを走っていたものの、最終ラップの最終コーナーで
僚友のベルガーにトップを譲り、2位フィニッシュを飾り
チェッカーを受けた後のS字コーナー付近で
不法侵入したファンから、ミニサイズのブラジル国旗を手渡され
それを掲げてのウイニングランは非常に印象的でした。

このようにセナと第二期のホンダ、そして日本における
F1文化の絶頂期に燦然と輝くのが
このマクラーレンMP4/6ホンダなのではないでしょうか!

それにしても、この90、91年というのはホントに役者揃いの
ドラマが多い時期でした。
ある意味、今よりももっと感情的な要素が多かったのがこの時代ではないでしょうか。
そしてこの当時、中学生だった私は期末テストの勉強など
そっちのけで、録画したビデオ
(当時はクラブの朝連があったのでリアルタイムでは見れなかった)
(大体、放送時間も今よりも、もっと遅かったし・・・・・)
とF1速報とGPスポーツを毎回買って
舐めるように見ていたのを、昨日のことのように思い出します。

まさかその十数年後に私自身が、F1関連の仕事をするとは・・・・・
ちなみに小学校の卒業文集には
フェラーリのF1ドライバーになりたい!っていうのが
熱っぽく書いていました!!(笑)
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