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Tyrrell 006(1973):J・STEWART | ||||||
思えば今日のF-1では、ホンマにプライベータのチームが 活躍出来る可能性など皆無に近いようだ。 ほんの数年前まではココでも先に話したジョーダンのようなイギリスのプライベートチームも そこそこ勝ったりして活躍していたが、ココ2.3年は泥沼の下位に沈没してしまっている。 もともとF-1というモノはレース好きのオッサン達の頂点に位置するシロモノであった かつてのロータスやブラバム、そしてホンダなんかがそのオッサン達の頂点であったように・・・・。 決して大メーカーが己の会社の宣伝や見栄のためにあるモノではなかったはずだ。 今のトヨタなんかがその典型的な例である。 お世辞にもトヨタがレース好きとは思えないからである。 そしてその輝かしきプライベーターチームのマシンの一つが今回紹介するティレル006である。 先に言っておくが、このマシンが現役で活躍していた頃は私はまだ生まれていない。 よって情報に誤りがあるかも知れないが、その時は優しく忠告して頂きたい。 往年の名ドライバーJ・スチュワートが1973年を最後に GP優勝27回と三度目のチャンピオンという当時の最多記録を納めて引退し その彼が、最後に乗ったマシンがこのティレル006である。 それにしても、この時代のマシンはホントに無骨に見える。 ブレーキなんかもフロントは今では考えれないインボード・タイプ (ノーズカウルの下部にあった)だし インダクションポットもメチャ高い位置にあるのがわかる。 しかしこのマシンは当時の最新鋭であり、 反対にその当時の日本の自動車技術なんて F-1マシンはおろかフォーミュラーマシンなどもまともに作れる技術などなかった。 えっ!ホンダがいたじゃないか!!って? 当時、ホンダは60年代に数戦は勝ったものの 空冷式のエンジンを積んだマシンで死亡事故を起こし撤退していた。 このマシンの特徴はボディーワークにある。 まずフロントカウルはサスペンション類を覆うようにデザインされている。 これはフォーミュラーマシンというよりは昔のCカーのようなデザインである。 そして前年型の005までがこのフロントカウル (現代のようにフロントノーズという程、スリムでないからあえてカウルと表現する) の中に納められていたラジエター(この頃のマシンはほとんどがフロントラジエターだった) がこのマシンではじめてサイドラジエターになった。 ちなみにそれまでも現代マシンのようにサイドにラジエターダクトのようなモノがあったのだが 実はそれはオイルクーラ用のダクトであった。 またこの、006という番号は、 このマシンがティレルにとって6台目のマシンという意味で付けられた いわば現代のF-1マシンを呼ぶときに使われるモデル名?の元祖だそうな!! ちなみにこのマシンでJ・スチュワートがチャンピオンを獲得して以来 90年代後半にチームが消滅するまで、チャンピオンを獲得することはなかった。 いわば最後のチャンピオンマシンということになる。 この後も、パトリック・ディパイュやミケーレ・アルボレートやジャン・アレジ、 そして中島悟や片山右京などの名ドライバーが在籍してきたが いずれもこのチームで大した活躍はすることは無かった。 ただ、一番残念でならないのが、このチームのオーナーで名物オヤジだった ケン・ティレルが数年前に他界してしまったことである。 良い意味でのレース好きのプライベータオヤジだったのにホント残念である。 |
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