2016年札幌墨象会・北海道墨人展覧会

 今年は、札幌墨象会と、北海道墨人展が故人の作品展を併催した。新井狼子・佐藤大朴・塩田慥洲3名の遺作展と、井上有一・森田子龍2名である。
 個人により、感想は色々あろうが、小生の感動したのは、井上有一の手紙である。
 井上有一の代表作である。「骨」。これを旭川東高校で揮毫し、旭川東校に寄贈したものである。しかし、北海道からの帰り、作品が気になって仕方ない。
 本人としても、傑作中の傑作。思い悩んだ末、塩田慥洲氏に、返却を依頼した手紙である。作家としての姿勢。人間としての有一の素直さを感じた。
 大感動の手紙である。紹介するのでお読み頂きたい。


  1 
おせわさまになりました ほんとにありがとうござい
ました とくに旭川の研究会 にはなにからなにまでご苦
労をおかけしました おかげさまで十二分の成果を
得ましたことを 深謝します 札幌のホームから函館の
ホームまで長い道中をおせわ になりっぱなしでした
楽しい旅行でした いまやっと 旅行の日記をかきつけ終わった
ところですが 頭の中ハまだ 北海道のことで一パイです
様々ナ自然 様々ナ人々が頭 の中をグル〃 廻わっています
ほんとになに一つ事故もなく 大収穫の大旅行でした
生涯のおもいでになります 奥さまにもひとかたならず
おせわになりました 何卒よろしくお伝え下さい

次に一つお願いがあるのです 旭川滞在中も気になり
ソレカラの旅行中もいろ〃 考えたのですが決断がつか
ないままお別れしたのです 帰りの車中でやっと決断が
つき森田の諒承も得て お願い申し上げるのですが・・・
   2
と申しますのは 小生東高校 にて墨人の研究会の第二日
目の午前、一同の前で書い た作品。アレを夜の批評会
にも提出の上、一同の作品と 共に東高校に寄贈申し上
げたのですが、あの「骨」という 作品。今考えてみましても
アレを書いたときの自分の境 地。書いたときの体の動き。
そしてそこに生まれた形。 どの面から見ましても小生と
しては未だ曾てなかった ものでして、小生としては卒(率)直
に申して画期的ナ作品である と確信します あの日あれ以後
はどうしてもできませんでした 第一発で仕止めたという点か
らもイミのあるモノです小生の 今回の旅行中唯一最大の収穫
であるとおもっております 以上の様なわけで作品が
生まれた過程からもまた 作品の質からもあの「骨」
ハ小生 生涯の一代表作 (オソラク今年ヲ代表スル作品
トナルカモシレマセン)  ということになりますので
この「骨」ハぜひ手許において どこかの大きな展覧会に
機会をみて発表したく おもうのです いま
   3
中南米巡回展へ又出品依嘱が 国際文化振興会からきていますが
(コレハ画家22名書道家2名 篠田桃紅と小生)これには間
に合わないとしても、いずれ なにかの国際的な展覧会に
どうしても出品したいのです ついては誠に失礼なことなので
すが、右小生の心情御推察 下され作品御返戾について
ご快諾を賜りたく伏して 懇願申し上げる次第です
なお その代替えとして手許に あるものの中より左記三点
を小包(大箱)にて別送しました
 1.豚(大画箋)    何れも
 2.魚(大画箋)     淡墨
 3.皓(大画箋)
何れも小生の三級品で申しわけ ないのですが これにて御許し
を得たいと存じます 技法の  点からはあの時のと異なり
参考資料になるかと存じます 尚小品五点を同送しましたが
これは勝手なお願いの罰金 としまして塩田先生へ一点、
浪元さんへ以前約束しました ための一点、土井さんへ一点
すっかりおせわになった市山氏へ 一点、アトの一点はどなたへ
でもあげて下さい、東志さん
 
へでもけっこうですこれらは 別に作品と申すほどのもの
でもありません御気軽に おついでの節おくばり願えれ
ばと存じます
次に「骨」の荷造り方法について 左記お願いします
1.代替え作品をお送りしました その箱を御使用ねがいます
  コレハ、作品ヲ折リマスト、ソコカラ ハガレタリ損傷シマスノデ必ズ
  コノ箱ヲ御使用下サイ
2.箱は長さが一米タップリあり ますので左記の図のように
  巻いて入れて下さい。
                     点線ノトコロデ 墨ノツイテイナイ
○スミガカワイテモ             部分ヲ折リ返シテ カラ軽ク巻ク
 ネリズミハツキマスカラ         ソノ場合墨ノ部分ニ 新聞ヲアテル
 新聞ヲ当テテ下サイ        モシ墨ガカワイテ イナイデクツツキソウ 
○ナルベク箱1パイニ太ク       ナ場合ハ薄イビニール ヲアテテ頂ク
 巻イテ下サイ(スミガ割レヌ
            タメニ)
○ガサツクヨウデシタラ
 古新聞デモツメテ下゙サイ

お忙しいところお手数おかけしますが 何分よろしくおねがい申し上げます
返送費二百円同封しました 箱は東高校の方へお送りしました
 
青森でハ四十人位あつまり ました 二十日に十和田へ参り
ました 十和田もなか〃よかった です二十一日夜 古間木より
のりました
東京駅で偶然中村木子に  あいました ふじぎなことです
これが合同旅行のさいごの 大収穫になりました
帰ったあくる日から当地も めっきり涼しくなりました
夜になりますと チンチロリンヤ こほろぎやすいっちょが
家のまわりで一パイ鳴いています 北海道も急にめっきり涼し
くなったのではないですか。  秋ハ十月京都展で
息つくまもありません でハこれで御めん下さい
くれぐれもよろしくおねがい
します                         敬具
八月二十五日         
                         井上有一 拝
塩田慥洲様

 小生、学生時代。昭和52年だったと思うが、旭川市の墨象大会で、井上有一氏にお会いした。当時は、森田子龍氏や、北海道出身の樋口雅山房氏も参加されていた。
何も知らぬままの小生は、図々しくも、彼らのそばに行って、半紙に臨書をお願いした。・・・若さというものは、無鉄砲なものである。
 この「骨」という作品は、その時の夕食のおりに、塩田慥洲氏が井上有一氏を紹介し、旭川で書かれたときの様子やいきさつを紹介してくれた作品である。
 私にとって、話に聞いていた手紙である。その手紙が、今回やっと見ることが出来た。思わず写真に撮ってしまった。
 今、退職を迎え、書道を続けてきた今になって、やっと井上有一の魅力の一部が分かった気がする。まだまだ、書道は奥深いものである。



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