登山というには大袈裟で、むしろハイキングといったほうが適切かもしれない。
 毎日、通勤途中の電車から見えていた白い雪を被った富士山を、もっと間近
で見たくなった。日増しに高まる衝動に駆られて、ある冬の朝、夜も明け切らぬ
うちに家を出た。目的はただ一つ、「大きな富士山を見る」こと。
朝焼けの富士
 中央線高尾駅から、小仏行きのバスがある。朝一番のバスでまずは小仏峠の
麓を目指す。乗客はわずかにいたが、終点の小仏まで乗っていたのは筆者た
だ一人。ハイキング客も、日の出前のこの時間にはまだ動き出さないようだ。
 ここから小仏峠までは1時間もかからず到着。朝一番で、体力を消耗していな
かったことと、日の出までに城山(小仏城山)に到着せねばという焦りがあった
ことが“勝因”であろう。ただ、ところどころ凍結している道があり、わずかに冷や
汗をかいた。小仏峠から城山までの南下する道は10数分しかからなかった。
ここで今日初めて人間とすれ違う。中年のご夫婦であったが、どちらからともな
く、「おはようございます」と声を掛け合う。少し不思議な気持ちがした。“平地”
では見知らぬ人に挨拶するなどまず考えられない無愛想な筆者が、である。
 そんなことを考えているうちに城山に到着。ひたすら登って(歩いて)きたため
立ち止まると急に寒さを感じてしまう。それでも、ほとんど雲のない朱色の空は
気分を爽快にさせてくれた。振り返って望む高尾山のさらにまた後ろから、太陽
が姿を見せていた。そして、正面には富士山。眼下には相模湖、その後方には
富士山を隠すかのようにいくつかの山が連なっているが、雪を被った富士山の
高さには全く及ばない。ほとんど毎朝見ていた富士山だが、近くで見ると、一瞬
違う山のような気がした。事実、眼前の朝焼けに染まる富士山は、毎朝見ている
富士山よりも美しい富士山であった。このようないいビュースポットにもかかわらず
筆者の他に誰もいないというのは不思議な気がした。思わず、今日は平日で仕
事に行かなければならないのではないか?という錯覚に陥ったが、確かに今日
は土曜日。間違いはない。他にもっといい場所があるのだろうか・・・ そんなこと
を考えながら城山を後にして、北へ歩を進めた。
朝食と富士
 小仏峠まで戻ってからはさらに進路を北にとり、景信山を目指した。小仏峠に
は、おばあさんが一人いた。なんでもナメコ汁を作るのだとか。ハイキング客が
多く集まる場所らしいうえに、寒い場所とあっては、売り切れ必至であろう。頂き
たい気持ちを抑えつつ、先へ急ぐ。何せ山歩きの経験は皆無のため、時間配
分ができないのだ。天候が急変したら写真を撮るどころではないし・・・と、余計
な心配までしてしまう。
 景信山までの道はそれほど急ではなく、そして静かであった。耳を澄ますと、
中央高速を行き交う車の音が聞こえた。空がすっかり青くなったころ、景信山に
到着。ここはかなり人々が多く集まって、賑わっていた。ここで富士山を見ながら
の朝食、といっても前日コンビニで仕入れたおにぎり2個と、ゆで卵1個。しかし
青空をバックにした富士山を見ながらの食事は、メニューに関係なく美味いこと
がわかった。ここでもう一つ発見したことは、その大きさに加えて、静かであるこ
とが富士山の美しさをさらに引き立てているということである。日の出の城山ほど
の静かさではないが、喧騒の“下界”から望む富士山とはやはり違うのだ。
 休憩タイムもそこそこに、先へ急ぐ。実はこの時点では、どこまで行こうというこ
とは決めていなかった。より多くの角度から富士山を見たいとだけ思っていた。
このペースで行けば、かなり遠くまで・・・と希望が膨らんだ途端に、苦戦が始ま
った。景信山山頂からはまず下り坂で、この道がが非常にぬかるんでいたのだ。
さらに、急な道ではないが上がったり下がったりのいわゆるアップダウンが多く、
大袈裟だが、気持ちが滅入る道だった。
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