自薦について
「日記じゃんくしょん事件」でも問題の種となった「自薦」について、思った事を書きます。 まあ、「日記じゃんくしょん」は規約でしっかり「自薦コメント投稿禁止」って書いてあるんで、あの問題に関しては徹頭徹尾規約をろくすっぽ読まなかった私が全部悪いんですが。 言い訳じみますが、なんであんなことをしでかしたのかという「自薦」についての私の考えをば。 「ろじっくぱらだいす」というサイトがあります。 私が尊敬するワタナベ様のサイトです。 そこの「戯言」に、「面白いサイトをつくるには?」という文章があります。 そこを参考に論じてみたいと思います。 まず、個人サイトの構成要素・必要技術として、以下の4つが挙げられ、3段階に分けられます。 ・第1段階…発想&収集 ・第2段階…加工 ・第3段階…配信 ここで問題となるのは第3段階、「配信」です。 「面白いサイトをつくるには?」では、「アクセス至上主義者はなぜ嫌われたのか?」という問題を論じました。以下はその引用です。 −− アクセス至上主義者の問題は、配信における矢印の向きを逆に捉えていたことです。いいコンテンツは閲覧者を引き寄せ、結果アクセス数はアップします。ですが「どんなにいいコンテンツを作っても、宣伝しなければ見てもらえない」と思い込み、宣伝活動に勤しんでしまったのです。 (中略) 閲覧者の基本的な性質として、自分から見に行くコンテンツには好印象をもちますが、強制的に見せられたコンテンツには不快感を覚えます。磁石は好かれますが、スピーカーは嫌われるのです。アクセス至上主義者はスピーカーとなるための技術を「アクセスアップ技術」として公開し、他サイトを巻き込んでそれを実行したため急速に嫌われていきました。また宣伝に夢中になるあまり、コンテンツの充実へ注力しなかったことも衰退した要因の1つと考えられます。 −− また、以下のように宣伝活動について触れています。 −− 他にも、【配信】を重視するサイトは、他のサイトに比べて以下のような性質があります。 (1)自サイトの宣伝を好む(他サイトの掲示板、2ch) (2)他人の意見を非常に気にする(他人の意見=サイトを見てもらっている人=【配信】の結果) (3)批評批判を自ら好んで受けるが、頂いた意見に反発し、コンテンツを修正しようとは思わない(批評批判は一種の宣伝だが、コンテンツを直すことは宣伝ではない) −− 上記、(3)は正直どういう意味なのか良く分からない(頭悪いんでしょうか、私(苦笑))のですが、(1)・(2)は私に当てはまる部分があると思います。 やはり、読み手を意識して書いている以上感想は非常に気になるところです(→(2))し、他サイトの掲示版での宣伝行為は比較的積極的にする(→(1))傾向があります。 ですが、「アクセス至上主義者はなぜ嫌われたのか?」で語られたような、「強制的にコンテンツを見せる」といった姿勢はとっていないつもりです。 例としては、 ・他サイトの掲示版で積極的に投稿(内容はサイト自薦ではない)し、そこでの発言を見てもらう事により、「Takabumi」という人間に興味を持ってもらう。(→「Takabumi」が運営するサイトを閲覧してもらう) ・他サイトの掲示版で自サイトの更新情報やコンテンツの内容を紹介する。(→直接自サイトに対する興味を持ってもらう) などがあります。 これらの行動について、私はあまり見栄えの良い(品の良いと言い換えても良い)ものではない事だとは思っています。 しかし、同時に非難されるべき行動でもないと思っています。 私は、サイト運営を商品の販売と同様の行為ではないかと考えています。 すなわち、 「自サイト及びそのコンテンツの構築」=「商品開発」 「自サイトの宣伝活動(自薦行動を含む)」=「営業・販売および販売促進活動」 「サイト閲覧者から与えられる賛辞、及び数字としてのアクセス数」=「販売から生じる利益」 と考えて良いのではないか。 いくらいい商品を開発したとしても、営業・販売活動が活発に行われなければ利益は上がりません。 利益をより多く得たいと考えるのならば、活発な営業活動はあってしかるべきです。 そのように考え、「アクセス数(=閲覧してもらえた回数)」や、「賛辞(=閲覧に対する満足度)」をより多くえたいと考える私は、営業活動にあたる「自薦」行為を否定しません。 もちろん、営業活動と言っても「押し売り」のような、社会的に歓迎されざる行為は謹んでしかるべきであり、それに該当する「過剰な自薦行為」はするべきではありません。 「日記じゃんくしょん」における、「読者による推薦行為を前提とした規約」を破った私の行為は明らかな過ちです。 とはいえ、基本的に自薦行為を私は否定しません。それが原則です。 |