ある一匹の猫の死

2002年2月11日午前1時、私は一匹の猫の死体を轢きました。
私は原付スクーターに乗って、帰宅する途中でした。
深夜です。見通しが悪く、直前まで私はその猫の死体に気付きませんでした。
あるいは、猫の死体ではなかったかもしれません。
一瞬でした。
目の前にいきなり血まみれの肉塊のようなものが現れ、次の瞬間足元で異様な感触を感じました。
気付いた時にはもう通り過ぎていました。
私はそのまま引き返しませんでした。

帰ってきて、真っ先に健太の姿を見に行きました。
なぜかはわかりません。
ただ無性に健太の姿が見たいと思いました。
健太はすやすやと眠っていました。
穏やかそうに。幸せそうに。
その時私の中にうかんだ感情はなんだったのでしょうか。
私にはわかりません。


我が家では、健太という猫を飼っています。
もう3年近く前になるでしょうか。
母が拾ってきた猫です。
最初は2匹でした。
健太と綾。
おそらくは兄妹でしょう。
健太は臆病で動きがトロく、病気持ちの猫でした。
綾は元気で人懐っこく、運動神経の良い猫でした。
私も含め、家族全員が2匹を同じくらい可愛がっていました。
2匹は仲が良く、どちらも幸せそうでした。

1年ぐらい経った頃でしょうか。
綾は姿を消しました。
私と母は綾を捜しました。
しかし見つかりませんでした。
ただ、車に轢かれたのではないか、という噂を手に入れただけでした。
私は、「綾は要領がいい猫だからどこかで元気にやっているに違いないよ」と言って母を慰めました。
自分でもそう思うようにしました。
真実は闇の中なのだから。


2002年2月11日午前1時、私は一匹の猫の死体を轢きました。
その猫はどんな猫だったのでしょうか。
私の脳裏に綾の姿が浮かび、その猫とダブりました。
なにか、やりきれない気持ちになりました。
それでも、私は何もその猫の死体にしてやりませんでした。
ただ、せめて泣いてやろうと思いました。
ある一匹の猫が死んだ。
私はその事実を受け止め、その猫のためにせめて泣いてやろうと思いました。


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