コナン・ドイルについて

 コナン・ドイル(Sir Arthur Conan Doyle)は、名探偵シャーロック・ホームズを創造した英国の作家です。ホームズの事件簿については、ワトスン博士の著述ですが、ドイルはその出版代理人として活躍しました。ここでは、コナン・ドイルの生い立ちと、その活躍について簡単に紹介したいと思います。ただし、文章記述では膨大なものになってしまうため、年表形式で略歴を記載します。詳しく知りたい方は、彼の伝記等をご覧になって下さい。



コナン・ドイル年譜

西暦年齢で  き  ご  と
18595月22日、チャールズ・ドイルとメアリー・フォリーの第二子(長男)として、エディンバラに生まれる。
1868進学準備のためホダー予備校に入学。
187011ストーニーハースト校に進学。五年在学する。
187415ロンドンへ行き、伯父リチャード・ドイルのもとに滞在。
187516優等で大学入学試験に合格。
187617医学を志し、エディンバラ大学に入学。
シャーロック・ホームズのモデルになったジョーゼフ・ベル博士、チャレンジャー教授のモデルになったラザフォード教授を知る。
188021捕鯨船に船医として乗り組み、七ヶ月の航海に出る。
188122大学を卒業。医学士となる。船医として航海に出る。熱病のため命を落としかける。
188223カトリック信仰を捨てたことを告白。プリスマのバッド医師に誘われ、共同で診察に当たる。その後、ポーツマス郊外のサウスシーに個人病院を開業する。
188324「コーンヒル・マガジン」に短編小説を発表する。
188526患者の姉のルイーズ・ホーキンズと結婚する。
188728「緋色の研究」を「ビートンのクリスマス年鑑」に発表する。
188930長女メアリー・ルイーズ誕生。「四人の署名」を発表。
189031長編「The White Company」発表。
189132病院を閉め、眼科医になるためにウィーンへ勉強に行く。ロンドンにもどり、デヴォンシャー・プレースに医院を開業するが、まもなく廃業。作家に専念する。六編のシャーロック・ホームズ作品を「ストランド・マガジン」に掲載する。
189233長男キングズリー誕生。
189334父チャールズ・ドイル死去。ルイーズ結核に冒され、スイスに療養に行く。「ストランド・マガジン」に「最後の事件」を発表。心霊研究協会に入会する。
189435アメリカに講演旅行に出かける。
189536サリー州のハイントヘッドに家を建てる。妻をエジプトに連れていく。
189637スーダンに行く。「ウェストミンスター・ガゼット」の従軍記者を努める。
189738後に妻となるジーン・レッキーと知り合う。
189940第二ボーア戦争が始まり、陸軍に志願するが断られる。
190041医療奉仕団に加わり、前線で従軍する。統一党の候補者としてエディンバラより立候補するが落選する。
190243ナイト爵に叙せられる。「バスカヴィル家の犬」を発表する。
190344アメリカからの申し出を受け、シャーロック・ホームズの新シリーズの第一作「空家事件」を「ストランド・マガジン」に掲載する。
190647ホーイックより統一党候補として再び総選挙に立候補するが落選する。
妻ルイーズ死去。
190748ジーン・レッキーと再婚する。
190950次男デニス誕生。
191051三男エイドリアン誕生。
191253「失われた世界」を発表する。
次女リーナ・ジーン誕生。
191455第一次世界大戦起こる。義勇軍を創設。一兵卒として参加する。
191556「恐怖の谷」を発表する。
191758短篇集「シャーロック・ホームズの最後のあいさつ」を刊行する。
191859長男キングズリー、ソンムの戦いで負傷し、死去。
191960弟イニス、肺炎で死去。
192061心霊主義を広めるため家族とともにオーストラリアへ行く。
192162母メアリー、死去。
192263アメリカへ講演旅行をする。妖精の実在を信じる。
192566パリにおける国際心霊主義会議で議長を務める。
192768短篇集「シャーロック・ホームズの事件簿」を刊行する。
192970心臓発作で倒れ、自宅で療養生活になる。
1930717月7日、死去。






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