もほほの草子

 もほほの主張です。「こころにうつりゆくよしなしこと」や二十一世紀への提言など、日頃考えていることを書いていきます。まるっきりの独り言ですから、あまり突っ込みを入れないようにして下さい。異論・反論のある方は・・・「話せばわかる。話せばわかる。・・・」

お題の増えた日 2000.1.15

巻の壱

こしあんか、つぶあんか

ああ、とんかつ

現代は古典となりうるのか

21世紀に間に合いました

隣の船長さんのPC

秋はカラオケ

一杯の珈琲から・・・

極楽、健康の国

クリスマスに思う

さらば新潟ロシア村

年越しそばとおせち考

新加坡日記

海外の旅

アイス・コーラ








こしあんか、つぶあんか


 饅頭を食べるときに、職場でよく話題になることがあります。あんこは、「こしあん」か「つぶあん」か。結構こだわりを持っている人が多いのには、驚かされます。曰く、「こしあんでなくては食べた気がしない。」「つぶあんでなくては本当のあんこではない。」などなど。甘味に関しては、ケーキやらクッキーやらも人気を集め、和菓子の旗色はどうかという昨今。まだまだ、和菓子も捨てたものではないようです。まあ、職場でお茶(日本茶)が出ることが多いということもありますが。
 かくゆう私は、絶対の「こしあん」派です。茶饅頭、酒饅頭、大福、はては鯛焼きに至るまで、「こしあん」でなかったらがっかりしてしまうという人なのです。なぜ、「こしあん」かというと、「あん」の深みを感じるのは、原材料である豆の存在を一切消してしまったその形によるものだと思うからです。「豆」の部分の存在が、舌触りやあんの風味を阻害してしまうと。しかし、「つぶあん」派にとっては、この形ある「豆」の存在こそが「あんの命」だ、などという誤った見解に立つ人もいます。豆大福などと言って、餅の部分までも豆が浮き出ている、悪魔のようなものまであります。こうした、矛盾をはらんだ危ない時代が、世紀末なのでしょうか。
 「こしあん」を煮詰める、和菓子職人の真剣な眼差しを思い浮かべてもらいたい。煮えたぎる大釜をかき混ぜる技と、汗の素晴らしさを。われわれは、決して安易で快楽な方向に向かってはいけないのです。「つぶあん」として許されるのは、「ぜんざい」「小倉最中」「鹿子」くらいのものではないでしょうか。次の引き出物には、絶対に「こしあん」の大福を主張したいと考えています。

1999年10月3日 (@@)

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ああ、とんかつ


 昼食によく行く「トンカツ」屋でのこと。10人の人間が注文をしました。内訳は、ヒレかつ定食5人、ロースかつ定食3人、しょうが焼き定食1人、エビフライ定食1人。まあ、しょうが焼きとエビフライは、いろいろあるさと許せても、ヒレかつを半数以上の人間が注文してしまうと言うのが、今の日本の現状なのです。なぜ、ヒレかつなのか、私には全く理解できない行動です。あなたは、何を注文することが多いですか。とんかつ屋さんで。
 「とんかつ」の魅力は、肉の旨味です。日本人が文明開化によって知った、禁断の西洋の味。それが、日本流の天麩羅の調理法と融合したところに、とんかつの素晴らしさがあります。そして、その美味さの本質は、実に豚の脂身と肉の調和されたうまさなのです。ですから、とんかつは絶対にロース肉以外には考えられない。ところが、なぜか半数の人はヒレかつが良いという。あの、脂身のとろけるような旨味の全くない、ただ、ちょっとだけ肉が軟らかいと言うだけのヒレかつが良いというのです。ヒレ肉は上等な肉です。なぜに、わざわざ衣で隠して食べるのですか。ステーキが一番に決まってるじゃありませんか。
 こう言っていると、「ロースは太るから・・・」などという、誤った考えの人もおります。あなた、たった一回のとんかつ屋さんの食事で太るんですか。どうして、そんなにロースかつを嫌うのですか。わたしは、ロースかつ一枚で、ご飯の三杯も軽くおかわりできますよ。ついでに、キャベツでもう一杯。ああ、口中に広がる脂身の美味さ。衣と一体になった脂身の美味さ。ご飯によく合う脂身の美味さ。この醍醐味は、やっぱりロースかつじゃないとねえ。食わず嫌いは良くないよ。だまされたと思って、勇気を出して注文して下さい。明日は。きっと、きっと素晴らしい日になるはずですよ。

1999年10月12日 (@@)

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現代は古典となりうるのか


 近松の「冥途の飛脚」が、演劇だか映画だかになるという話を聞いての一考察。近松の浄瑠璃作品は今でこそ古典の重要なもので、日本文化の象徴のように考えられていますが、始まりであった江戸時代の評価はどうだったのか。考えてみると、「人形劇」と「ゴシップ」ですから、これはどう考えても「見せ物」以外の何ものでもないですね。まさに、大衆娯楽作品だったのが人形浄瑠璃です。いまと比較すれば、ワイドショーかタイムリーな話題の映画といったところでしょうか。「冥途の飛脚」のストーリーにしても、現代風解釈では会社の金を使い込んだ銀行員が、どうにもならなくなり愛人と心中をしてしまうと言うものです。題名にしたって、飛脚がひた走るように破滅に向かって突き進むということの洒落ですからねえ。ワイドショーでしょう。事件が起きると、近松さんは取材に飛んでいって、すぐに脚本を作ったそうです。興味津々の大阪の人々はこぞって芝居小屋に足を向ける。梨本さんですねえ。
 西鶴にしても、式亭三馬にしても、内容は売らんかなの大衆娯楽読み物の作家でした。数百年の時間が、それらの作品を伝統文化の結晶のように、評価を変えていってしまったのですね。近松さんは現代の自分の評価を見ていったいどういう感想を語るでしょうか。聞いてみたいです。また、このコーナーのもとになった、「枕草子」にしても宮廷内のお楽しみ同人読み物ですし、「徒然草」も偏屈なおやじのぼやきでしょう。あっ、同じだ・・・。だから、人間の文化的な営みは本当に面白いものがあります。
 さて、現代の傾向は、はたして数百年後にはどう評価されているでしょうか。とても興味があるのですが、こればかりは知ることが出来ず残念です。でも、わたしはきっと現代は「推理小説」と「刑事ドラマ」の時代として評価されるような気がします。毎日、毎日、テレビ上で繰り返される犯罪、殺人、そして暴力。未来人たちは、きっとご先祖様たちは何と暴力的で、2000年の世紀末は人々の心の荒れ果てた暗い時代だったのだと歴史の本(PC?)に記録するんでしょうね。

1999年10月15日 (@@)

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21世紀に間に合いました


 手塚治虫さんの漫画は、小さいときから慣れ親しんできました。アニメ世代といわれる日本人の、おそらく初期に位置する人間が私たちでしょう。白黒テレビに映し出される、ヒーローやヒロインの姿に胸をわくわくさせて見入っていたことが懐かしく感じられます。今、冷静に思い起こしてみると、当時のアニメは現在のような個人的趣味やカルト的なものではなくて、同じ世代全員の共通の文化財であったと思います。漫画や劇画のようなものも、古本屋を中心に流通していましたが、これらは、わたしよりももうちょっと上の世代が対象でしたから、当時は難しくてあまり理解できませんでした。ですから、自分自身のフィーリングにぴったりと合っていたのは、最初は手塚治虫さんの作品群だったわけです。
 手塚治虫の作品は、純粋に子どもだけの対象ではなく、広く一般の人々にもメッセージを送る内容でした。小説の表現の方法論を漫画という技法に変えただけと言ったらよいのでしょうか。だから、少し恥ずかしく感じるような性表現や、複雑な社会状況が随所に見られて、これらにもどきどきさせられました。「火の鳥」をたまたま買ってしまったのもそのころで、内容は難しくて大きくなるまでは理解できませんでしたが、親しみやすい絵と未来世界の夢に夢中になりました。この「火の鳥」は、虫プロが倒産寸前に非常に粗末な紙で発刊したもので、後に新聞で古本屋では20万の値が付いていると言うことを知り、びっくりしたものです。「我が家のお宝だあ〜。」と懐かしく読み返したりしています。
 そうしたことで手塚治虫さんの死は、ショックだったのですが、最近テレビのコマーシャルで、懐かしのアニメが流れて「21世紀に間に合いました」というナレーションの入る、トヨタのプリウスのやつを見て、思わず涙が流れてしまいました。そして、この一言を考えた人のセンスを思い、唸ってしまいました。私たちに未来の夢を見せてくれたのは、手塚治虫さんです。このコマーシャルは手塚さんへの報告であると共に、鎮魂のメッセージでもあるんですね。人間の将来に向けての科学の発達を手塚さんに報告するなんて・・・。妙なところで感動してしまいました。
 閑話休題。プリウスはスペック的には凄いのですが、デザイン的には???わたしは、ホンダのファンなもので買おうとは思いませんでした。未来の皆さんごめんなさい。ところが、ホンダも作っちゃいましたね。美しい車(かなりひいき目)を。さあ、どうする・・・。  

1999年10月16日 (@@)

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隣の船長さんのPC


 楽屋落ちの話題ですが、隣の船長さんがわたしの勧めでPCを買いました。四月に買ったわたしと比べて、同じ機種でより高性能なのに4万円も安かった。うーん、日本経済はこんな事でよいのだろうか、ちょっと悔しいです。今、隣でピコピコと仕事をしています。ときどき「これはどうするんだ。」とか、「うわー、動かない。」とか、わたしに聞いてきますが、初心者のわたしがそれに答えているのですから推して知るべしです。彼は、「娘たちのためにもインターネットを始めたい」と言いながら、お試しで仕入れた釣り宿情報を何回も見直しています。趣味が広がるインターネット。
 船長さんのスクリーンセイバー(ノートPCでは必要ないけれど)をのぞいていたら、通りがかった若いお嬢さんが、「あれ、ウマズラカワハギですよねえ。」と言ってきました。「美味しいんですよね。」すかさず、船長さん。「モンガラカワハギかなあ。」「バター焼きはうまいんだよう。」「ひもはどうだった。」お嬢さん、「内蔵が和えてあって・・・」「もたせる場合は・・・」隣で聞いているわたしには、ちんぶんかんぶんの話です。そういえば彼女は初めて釣りに行ったときに大物を釣り上げて、それ以来大漁だとか。いいなあ、趣味が広がるPCライフ。
 こんな事を書いていると、わたしが職場で仕事中に何をやっているかばればれになってしまいますねえ。でも、クリック一発で画面が変わってしまいますので・・・こんなことで日本の将来はどうなってしまうのか。ちょっと、反省。来週は、みんなで新潟に旅行です。うまい魚が食べられそうです。釣りの話で盛り上がっている、隣の船長さんのPCの話でした。わたしは、当然「トルコ文化村」に行きます。シシカバブーとトルコ珈琲をいただきに。去年は伊豆・横浜方面でした。ラーメン博物館のことをもっと早く知っていれば・・・。夢が広がるインターネット。

1999年10月17日 (@@)

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秋はカラオケ


 カラオケ屋さんから誕生日の招待状が届き、いそいそと行ってきました。よく、ファミリーレストランなんがよくある、店員さんがみんなしてやってきて、ハッピーバースデーを歌うやつかな、などと思っていたのですが、そういった大げさなことはなくて、ケーキとシャンパン、そしてポラロイド写真のサービスでした。この年では、「お誕生日」はちょっと恥ずかしいですが、せっかくやってくれると言うので出かけたわけです。
 カラオケ屋さんに行けば、当然事後はカラオケと言うことになります。最近のカラオケは歌も豊富で凄いですねえ。おじさんは、次々に歌ってしまいました。まあ、これは職場の二次会なんかでも同様なのですが、殺人まではしませんが、一度歌い始めると弾みがついてしまってねえ。きっと、みんなは演歌が好きなんだと思いこみ歌い、青春の曲の数々を歌い、懐メロの美しいメロディーを歌いと時間いっぱい歌ってしまうのでした。食べ物もたくさん置いてありますし、これでは一日中だって居られるわけですね。狭いのを我慢すれば。
 さて、そこで何を歌うのか。これは人それぞれに好みがあるので一様ではありませんが、わたしはまず、中島みゆき辺りを数曲ながします。発声練習ですね。次に、門倉有希その他の演歌少々。そしてお待たせの谷山浩子さんです。これは、すこし歌わないと声が出ませんので。最近は真璃子さんの「あなたの海になりたい」(ちょっと古いですが、これも想い出があるので・・・)なんかをリピートしてしまいます。いろいろと歌って最後の仕上げは、「大阪ラプソディー」です。なぜかって?実は最後のとりはいつも「東京ラプソディー」だからなのです。うーん、聞いている人はたまらないだろうな・・・。 

1999年11月8日 (@@)

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一杯の珈琲から・・・


 夏の盛り頃から、職場で珈琲談義が盛り上がりました。どこそこの店の珈琲は旨いとか、あそこの珈琲は飲んだことあるとか。さらに、「この店のこの豆が旨いんだ」「豆の挽き具合はね」「お湯を沸かすポットはね」などなど、もう誰もインスタントコーヒーなどには、見向きもしなくなってしまいました。わたしは、どうも特別なとき以外はストレート珈琲は苦手なので、いつもミルクとお砂糖を入れて飲ませてもらっているのですが、珈琲ミルを職場に寄付したりしたのですが、それでもみなさんの視線は、子どもを見るように、ちょっと厳しい色をたたえております。
 職場の若き修行僧のS・K氏などは、お嬢さんに淹れてもらったストレート珈琲を一口飲んだだけで、「これは、深煎りですね。」「酸味がいつもより・・・」などと、評したりしています。彼は、某珈琲屋さんから、数種類の豆を買い入れてきて、飲み比べなどをしている強者です。でも、珈琲豆は本当に種類が多いのですね。わたしは、ストレートなら「モカ」か「ブラジル」、後はアイスコーヒーをこよなく愛す(うん、洒落になってる)人なので、違いがなかなか分かりません。おお、違いの分からない男の珈琲・・・。
 とにかく、わたしの周りには俄珈琲通がたくさんいて、文字通り美味しい思いをしているわけです。嗜好品のこととは言え、こうした中でお子さま珈琲を通し続けることも、なかなか勇気ある行動だと思いませんか。休憩時間に湯沸室からただよってくる、何とも言えない、あの、珈琲の香りを嗅ぐと自然と心が落ち着いてくるのですよねえ。隠れ紅茶ファンだなとどということは、隠れキリシタンなみに厳しいのかも知れません。でも、こうした嗜好品や食べ物の話題が多くなってしまうのも、ストレスの多い仕事のせいでしょうか。

1999年11月12日 (@@)

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極楽、健康の国


 最近、近くにある「○○健康ランド」という所によく行くようになりました。昔はヘルスセンターなどといった、お風呂がたくさんあって、大広間があって、ちょっとした娯楽も楽しめるという「あれ」です。昼間の中途半端な時間に出かけていって、夜までビールを飲んだり、人の歌うカラオケを聴いたりと、半日「たれて」過ごしています。のんびり、ゆったり、廃人状態です。
 マッサージというものをやってもらったことが無く、一度やってみたいと思っていたのですが、この健康ランドで、その思いを遂げることが出来ました。それも、何度も・・・。いやー、気持ちがいいものなのですね、マッサージって。何度まどろみかけてしまったことか。規定の40分があっという間でした。そして、その後は黒ビールを飲んでひたすら、たれる。ビールはあまり飲めないのですが、大広間でちびりちびりと飲む黒ビールの味にはまりました。つまみも美味いし、安い。これで入場料さえもっと安ければ最高なのですが。
 休憩室というところがあって、リクライニングする椅子と毛布やタオルケットが用意されていました。そこいら辺にあった雑誌を持ち込んで二時間ばかり読んでいたのですが、これがなかなか都合がいい。のんびり、ゆったりと読書が出来るではありませんか。よく見ると、文庫本などを持ち込んで読んでいる方々が数名。自宅以外で、酒を飲みながら読書の出来る場所を発見してしまいました・・・。まあ、名前の通りには、あまり健康的ではありませんが、次にミステリを読むときには、利用してみようかなどと思っている次第です。

1999年12月11日 (@@)

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クリスマスに思う


(もほほの草子番外編)
 日本人の宗教観は好きです。キリスト教徒でもないのに、「メリークリスマス」と酒飲んでケーキを食べます。神道と意識していなくても、お祓いをして、合格祈願や初詣に出かけます。仏教徒らしいけど、お寺に行くのは年に何回でしょうか?表面的には無宗教、深層意識の中では多神教の世界の常識からは「異端」の日本人です。でも、逆にあらゆるものに神を感じるのもいいような気がします。
 世界的な宗教の歴史は、血と征服の歴史でもありました。近くは「十字軍」しかり、「聖戦」しかり、唯一神の名の下に、何万という神の子どもたちが死んでいった事か。日本においても、キリシタンの弾圧という形でたくさんの血が流されました。その昔も、「日の神」の名の下に、荒ぶる「国つ神々」が弾圧されていたのですねえ。
 しかし、そこでも、今日と変わらない日本人の宗教に対する意識が見られます。なにしろ、大和の皆さんは、「国つ神々」をそれぞれの地方に神として残し、存在を認めたのですから。さらに、新興宗教である仏教を利用し、今は、キリスト教を信じているから、イスラム教を信じているからと、偏見の目で見られ迫害されることはありません。少なくとも、現在の日本国内においては。
 現在の日本はこうした意味では、素晴らしい国であると思います。世界の何カ所かでいまでも、宗教観に根ざした人種間の紛争が続いていますが、あらゆる神の存在を認めると共に、一つの神を絶対視せずに、都合よく利用していく日本人の宗教観は、「仲良く平和に」という側面からは貴重なものでしょう。

1999年12月25日 (@@)

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さらば新潟ロシア村


 テーマパークが大好きです。各地にいろいろなテーマパークがありますね。その中でも、トルコ村、ドイツ村、スイス村、イギリス村、ロシア村、ハウステンボス(オランダ村)などの外国関係のテーマパークが好きです。なぜかというと、それらの国が好きだと言うこともあるのですが、それぞれの土地ごとの食べ物がいろいろと味わえるからなのです。これは、とても素晴らしいことです。そうでなくとも、日本には世界中の食べ物と料理が溢れているわけですが、土地の雰囲気と共に味わえるのは、テーマパークの醍醐味です。
 ドイツ村ではビールとソーセージとザワークラフト。トルコ村ではコーヒーとチャイとシシカバブ。などとお気に入りが数々ありますが、ロシア村では何と言っても、ボルシチとピロシキでしょうね。サモワールで飲む紅茶なども美味しいです。ピロシキは最近はかなり広まっていますから、知っている人も多いと思いますが、簡単に言うと「揚げ肉まん」と考えていいでしょうか。しかしながら、この作り方が店によって全く違う。どれが本格的なのか判断できません。本当の家庭料理なのでしょう。
 このピロシキを「新潟ロシア村」に食べに行くのが楽しみだったのですが、なんと、例の新潟の銀行の不正融資問題のせいで「新潟ロシア村」の存続が危ないという話です。そうでなくても、お客さんがあまり集まらず、夏の終わりには閑古鳥が鳴いていました。どうなってしまうのでしょうか。結構、本格的で良かったのですがね。あの、ピロシキが食べられなくなるかと思うと残念でなりません。問題が解決し再建がなることをお祈りいたします。

1999年12月31日 (@@)

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年越しそばとおせち考


 昨夜、年越しそばを食べました。例年はざるそばに天麩羅なのですが、今回は「たれ」に一工夫を加え、鴨肉を出汁とりに加え、「かもそば風」のつけだれを作りました。これは、過去に妻が「利休そば」を作るといったときに、わたしがたまたまやってみた事だったのですが、鴨の味が出てこれがなかなかいけるのですよ。我が家の定番にしようと話し合いました。作り方は至って簡単です。そばつゆを温めて鴨肉をぶち込む。あとは、煮るだけです。ネギを入れようかどうか迷いましたが、鴨なんそばになってしまうことを恐れ、入れませんでした。
 おせちは、昨日手伝いながら1日かけて全て作ったのですが、我が家では自家製の「焼豚」を加えることを常としています。これも、作り方は至ってシンプルで、バラ肉のブロックをひもでぐるぐる巻にして、醤油・酒・味醂を加えて煮込むだけです。おお、これは「煮豚」ですね。しかし、家では「チャーシュー」です。ここで、ポイントはあまり長く煮込まないことです。肉が堅く、スカスカになってしまいますから。昔は「鮒の甘露煮」も、自家製でしたがあれは、ちょっと大変でした。七輪がないとうまく炊けませんからね。ガス台では無理ですね。
 などを作るうちに、おせち料理は完成しましたが、またまた今年もやってしまいました。とんでもない量なのですよ。二人暮らしでは。妻は料理の腕はいいのですが(密かに自慢)、どうも一人分の分量を正確に計算することができない人のようです。何を作っても、「誰か家に遊びに来るの?それも、大勢で。」というくらい作ってしまいます。ですから、これを食べ続けなくてはならないかと思うと、なかなか大変です。正月のダイエットは絶対に無理であるということの所以です。

参考「利休そば」
 お皿の上に冷たいそばを盛り、その上にさっと煮た茄子、葱、茗荷を載せ、鴨肉で出汁をとった温かいつゆを鴨肉ごとかけたそば。つゆは少な目に。ぜひ、ご賞味を・・・(ちなみに「利休そば」は、千利休が夏の暑いときに疲れを癒すために茶席で出したのが始めとか・・・Gonbo)

2000年1月1日 (@@)

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海外の旅


 久しぶりの海外旅行で、シンガポールに行って参りました。海外の経験も乏しく、英語もままならない者の常として、またまた、数々の妙な行動をとってしまいました。とにかく、海の外に出かけたことのある人ならば何回か経験するであろう、失敗の連続でした。英語の発音とヒアリングをもっとしっかりと勉強していればと悔やまれます。筆談でOKならば、中国系の人々とのコミュニケーションはなんとかなるのですけれども。そのチャンスはありませんでした・・・(笑)
 これからしばらくは、HPの王道として「旅日記」を綴りたいと思います。おお、まるで紀貫之のようですね。しかしながら、不用意に女言葉は使いませんが。でも、インターネットを始めた当初、この文体で女性であると大勢の方々に思われていたらしいのです。いまでも、そう考えている人はいるでしょうか?なんか、妙な気分ではあります。まあ、些細なことですが、まるで自分が悪事を働いているかのように心配してしまったことがありました。ということで、わたしは男性ですので誤解のないように、以後よろしくお願いいたします。
 せっかくですから、最初は、ここを覗いた人でシンガポールに行こうとしている人だけの限定情報です。旅行前に成田空港で日本円をシンガポールドルに替えたのですが、これが失敗でした。普通は現地での両替は割が悪いものですが、シンガポールではホテルにしてもDFSにしても、日本より割の良いレートで交換できました。日本で大金を両替してしまった人たちは悲しんでおりました。わたしは、現地の添乗員やDFSで日本円を使ってお釣りをシンガポールドルでもらうという、小技を使ってしのいでいました。「ジャパニーズ円」の強さを知った出来事でした。でも、行くときは75ドルで5000円。帰りは、82ドルで4500円じゃねえ〜。頑張れ○○銀行!

2000年1月14日 (@@)

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アイス・コーラ


 英語に堪能なH氏と共に、シンガポールの街をうろつきました。「るるぶ」や「地球の歩き方」を片手にきょろきょろしながらです。昼間から、ホテルのバーで現地の酒を飲み、二人とも少し千鳥足状態でした。なんと、不道徳な旅行者でしょうか。猛烈な(冬の日本と比べると)暑さの中、酔い覚ましになると、地下鉄に乗らずにアスファルトのビル街を歩き、目的地のブギス・マーケットに向かいました。大汗をかくも、英語に堪能なH氏は酔いが回り、目標を前に涼しいビルの地下食堂で一休みすることになりました。
 日系の大きなショッピングビルの地下には、大きな食堂街がありました。現地の馴染みのない食べ物の他に、牛丼、たこ焼き、さらには今川焼きまで売られていました。現地の人々の雑踏をかき分けて、なんとか座席を確保し、アイス・コーヒーを飲むことにしました。看板には、ほとんどアイス・コーヒーの説明はなく、H氏が「では、買ってきます」と席を立ちました。安心しきって待つこと数分。H氏がストローのささった飲み物を二つ持って帰ってきました。ふう、これで一息つける・・・。
 さて、冷たい飲み物に口をつけようとすると、なんと、泡立っています。「あれっ」とわたし。「妙だと思ったんだけどさ」とH氏。冷たいコーラを前に、しばしの沈黙でした。H氏はちゃんとアイス・コーヒーと言ったと主張しました。でも、違っていたのなら、そしてそれに気付いていたのならなぜ、その場で違うと主張しなかったのでしょうか。ささやかな、疑念が頭をよぎりました。この人に、ついていっていいのだろうか?次は、わたしが買いに行きましたが、なかなか通じない英語にドキドキものでした。ちゃんと、アイス・コーヒーを買えたのは言うまでもありません。くだんのH氏は、「コーラは冷たいんだから、アイス・コーラなんてないよな・・・」とつぶやきながら、いつまでもコーラのストローを突っついていました。

参考 アイスコーヒー
 シンガポールのアイスコーヒーは、ほとんどミルクと砂糖がたっぷりと入ったものでした。コーヒー牛乳といった方がいいかもしれません。日本式のアイスコーヒーはきちんとした、レストランなどでないとお目にかかりませんでした。アイスコーヒーの好きなわたしとしては、大変でした。暑いからでしょうか?

2000年1月15日 (@@)

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