2000/11/26 16:35
日本語と韓国語というのは、発音や語順、「助詞」「助動詞」の存在やそっくりな語彙が存在するなど、非常によく似ています。
日本語と韓国語は、古代には方言程度の差しかなく、互いに意思疎通ができたという話も聞いたことがありますが、そうなのでしょうか?
アイヌ語や琉球語との関係は?
そして今話題の「縄文語」とは?
日本語の起源について、話し合いましょう。
2000/11/26 21:26
>>No. 1
個人的な仮説なんですが、古代朝鮮南部の三韓を構成していた ”韓民族” 、これが現在の日本人と韓国人の基本になった民族じゃないかと思うんです。
日本に渡った韓民族は弥生人となり縄文人と混血して日本人になり、そして朝鮮半島の韓民族は三韓の時代を経て高句麗など扶余系の民族と混血して現在の姿になったんじゃないかと。
それで日本語と韓国語とに共通点があるんじゃないかと思います。
2000/11/27 23:30
>>No. 2最近よく聞く「縄文語」は今の日本語に似てますよね。でも、縄文人と弥生人は、本来違う民族のはず。なのに、どうしてなんでしょう?
2000/11/28 13:57
>>No. 1
>日本語と韓国語は、古代には方言程度の差しかなく
大括りしてしまうとややこしいですね。飛鳥地方では百済の言葉でも通じたそうですが地方ではどうだったのでしょう?特に北九州はどの言葉に近かったのでしょうね?
2000/11/28 15:11
>>No. 1
この問題に関する書籍はいくつもありますので、図書館か大きな書店で探すと良いでしょう。
インドヨーロッパ語族に適用された言語年代学を流用すると、京都方言と首里方言で1500年程度、日本語と朝鮮語では5000年以上になると書いてありました。
古代にも、新羅語通訳の記事がありますので、通じなかったことは確実でしょう。
魏志東夷伝を見ると、辰韓の言語は、馬韓と同じではないと書かれています。
日本と百済は密接な関係があったから、バイリンガルな人達がかなりいて、通訳の話が書いてないだけと思います。
2000/11/28 18:25
>>No. 1
わかりませんが、以前テレビでシベリアの沿海州辺りにいる日本人によく似た顔立ちの民族をみたのですが、彼らは父親を「オットー」、母親を「オッカー」と呼んでいました。
なにか繋がりがあるのかと思いました。
2000/11/28 20:31
>>No. 1
はじめまして。僕は北海道に住んでいます。
アイヌ語で、水の事を「ワッカ」といいます。稚内は「ワッカ・ナイ」(水・川)が語源です。また、「ワッカ」がロシアの酒「ウォッカ」の語源だという説もあります。
でも僕は、日本語の「涌き水」の「湧く」と似ている事がすごく気になります。
誰か、何かご存知の方はいませんか?
2000/11/28 20:51
>>No. 3
縄文語の提唱者の国立民族博物館の崎山理氏のサイトがあって、縄文語の推測方法が簡単に書いてありました。
その方法は、まず万葉集や方言から推測する方法と、崎山氏が日本語のルーツと推測するツングース語、オーストロネシア語から推測する方法と二つだそうです。
後のほうはいいとして、前の方法だと今の日本語に似てるのはあたりまえですよね。
崎山氏によると、縄文中期にツングース語とオーストロネシア語が日本の中で接触、混合して日本語の母体ができたと言うことです。
でも、弥生時代になって新たに渡来してきて、西日本では人口の7〜9割を占めるといわれる弥生人の言語が今の日本語の母体だと考えるのが自然なような気もしますけどね。
2000/11/30 00:54
>>No. 1
私は、主にモンゴルに関して
研究している者にございます!
日本語の起源ですね!
確かに、
韓国語は日本語と文法が同じです!
しかし、もっと奥に足を踏み入れると
同じ文法の言語が見当たりますよ!
それは、今、私は学習しているのですが、
「モンゴル語」です!
例えば、
「私の名前は・・・・です!」を
モンゴル語では
「ミニー ネル ・・・・ ゲッデッグ!」
と言います!
「ミニー」が「私の」
「ネル」が「名前は」
「・・・・ ゲッテッグ」が「・・・・ である」
と対応します!
だから、モンゴル語も
日本語の起源の一つだと
私は思っています!
それに、遺伝子レベルの話になりますが、
「日本人とモンゴル人」
「日本人と中国人」
「日本人と朝鮮半島人」
この三者の比較実験が過去行われたようですが、
一番、モンゴル人とが近かったようですので、
日本人の本家本元自体もモンゴル人である
可能性は大いにある訳ですね!
ですので、
「モンゴル語」が起源ではないのだろうか!
という事です!
何かの参考になりましたでしょうか?
ではでは!
2000/12/01 23:33
>>No. 9
モンゴル語もそうですけど、アルタイ語族と呼ばれているグループは文法的には日本語や韓国語と共通点が多いそうですね。
それと、遺伝子の話なんですけど、僕は別の調査を見たことがあります。
単一の遺伝子でなく複数の遺伝子を比較し、アジアのかなりたくさんの民族の近縁関係を調べたものでしたけど、それによると日本人に一番近いのは朝鮮半島人ということでした。
おもしろかったのは、その次に近いのがチベット人で、日本人、朝鮮半島人、チベット人の3者が一つのグループを形成しているように見えたことでした。
山口県土居が浜ミュージアム館長の松下氏らの調査によると、弥生人のルーツは黄河源流の青海省あたりまでたどれるかもしれない、ということであり、そうするとこの3者の関連もまんざらありえないことではないんじゃないかと思います。
ただ、チベット人はシナ・チベット語族であり、アルタイ語族とは違うようなので、この言語と遺伝子の乖離をどう説明するかというのはちょっと難しそうですね。
2000/12/02 20:26
>>No. 10
万葉集の謎(カッパブックス)の著書の中でチベット語の中に多くの日本語類似の言葉があることを示していますね.
クラスター分析によっても蒙古斑や下戸
が蒙古と日本人の関係に不可分の関係に
ありますが、古くから朝鮮半島から多くの
人材が、また戦国時代にも多くの朝鮮人が
捕虜で連行されてきたことも日本人になっていることも事実でしょう。また海流にのって中国、東南アジアからも入ってきたのでしょう。こういった多くの民族によって
構成されていることから、多くの言葉の
混合から成り立ってきたのが現実ではないでしょうか。
2000/12/09 13:30
>>No. 1
ではあるが、日本列島先住土着の「縄文系人」の言語とは、相当の断裂があります。
「天皇族・ヤマト・オオキミ族」を含む
大陸・朝鮮半島系弥生人の日本列島流入・移植が目立ってきたのが、BC5世紀頃か?北部九州・山陰・山陽に根拠地を、固めて行きました。その渡来系植民者の部族中の「有力氏族」が、「天皇族・オオキミ・ヤマト族」と呼ばれている部族です。言語は、初期には、大陸・半島の遊牧民族の「北方ツングース系諸語」を用いていました。現代朝鮮・韓語の始祖:エヴェンキ、満州語・女真語の始祖です。(列島殖民の過程で、基層言語たる縄文語と折衷・混交されて行きました。)日本列島の先住民族=縄文系::アイヌ・琉球沖縄・隼人・熊襲・蝦夷・エミシ・越・奥羽etcの縄文系基層言語とは、系統的に、明らかな断裂があります。民族的系統の断裂と同様に。
縄文系の民族学的系統分類は、「南方系古モンゴロイド」です。アメリカ大陸先住民とも、かなり、DNA構造は、類似しています。今の、「INDONESIA」とも、近い。 縄文語の系統分類は、開音節・接頭子音構造の「ポリネシア・メラネシア・ミクロネシア」系の古モンゴロイド系諸語・オーストロネシア諸語に連なるものと考えられます。
所謂・日本語を論じる場合、日本列島に於ける2大言語:縄文語と弥生語を、分けて論じるべきでしょう。無論、これは、同様、列島の先住民=縄文系と、大陸半島系の渡来者・流入者=弥生系、との断裂・相互対立に、対応しています。
現代日本語に於ける2大地域語分類=東日本方言VS西日本方言や、上方弁VS坂東弁、京VS鎌倉、武家VS公家寺社、などの対立・相克も、この縄文VS弥生の対立に由来しているのでしょう。
2000/12/09 18:51
>>No. 1
日本語と同じような文法を持っていました。 特に語順は同じだったと思います。
それと字も縦書きでした。
たしか、ウラル・アルタイ語系とか言うんでしたっけ? 日本語も韓国語も?
この日本語に似ている道を辿ると、相撲がある地域に重なるような気がします。
トルコ、モンゴル、韓国そして日本と。日本では国技までになっています。なんか関係ありそうな気がしますが、どうなでしょうか?一説によると相撲の起源は旧約聖書のヤコブが神と取っ組み合いと言われています。一人相撲ですね。
ここでの日本語とは渡来系であり、アイヌ・熊襲は別です。こちらはインカ・マヤ系が怪しいのではないでしょうか?
いずれも本をよんだ程度ですので正確ではないかも知れません。
2000/12/09 19:05
>>No. 12天皇は英国のノルマン王朝のようなもの?
2000/12/10 00:10
>>No. 1
安本美典氏の『日本語の成立』(講談社現代新書、1978年刊)は、次のように述べている。
第1の層は、「古極東アジア語」で、これは日本語・朝鮮語・アイヌ語の祖語で、これらが分裂した時期は6〜7千年程度以上前。
第2の層は、インドネシア語・カンボジア語で、6〜7千年程度前に、南方から押し寄せた。
第3の層は、ビルマ系江南語で、紀元2、3世紀前後であり、
「古極東アジア語と、新たなビルマ系江南語とが結びつき、北九州で成立した日本語祖語は、南九州へ、本州へと勢力をのばしてゆく。そして、---(中略)---、インドネシア系の言語や、クメール系の言語などを呑みこみながら、凝固剤的な力を持ち、日本列島を、言語的に統一していく」(同書、199頁)
第4の層は、中国語。
琉球語(首里方言)は、日本語内地方言と約1700年程度前に分裂。
2000/12/14 21:44
>>No. 1魏志倭人伝には結構日本語が出てきますよね。対馬の「ヒナモリ」とか。
2000/12/18 20:29
>>No. 8
文字、絵文字、キープ、記号、亀甲亀裂
以外に煙の断続、反射光の断続などが
あったはず。これらが記録としてなければ
後世の我々にはわからないのですが、従来のもの以外にまったくことなった情報の
伝達形式が残っている可能性はないのでしょうか。たとえば石の積み重ね形式を使ったとか、樹木の幹へ瑕をつけるとか、そういうものを考えると、列石、穴の配列、など思いもつかなかったものがありはしないでしょうか。どなたかご意見下さい。
2000/12/18 20:33
>>No. 8文字、絵文字、キープ、記号、亀甲亀裂以外に煙の断続、反射光の断続などがあったはず。これらが記録としてなければ後世の我々にはわからないのですが、従来のもの以外にまったくことなった情報の伝達形式が残っている可能性はないのでしょうか。たとえば石の積み重ね形式を使ったとか樹木の幹の皮の剥げ方とか、そういうものを考えると、列石、土中穴の配列、など思いもつかなかったものがありはしないでしょうか。どなたかご意見下さい。
2000/12/30 16:41
>>No. 15
日本語の起源と言っても色々とあります。基本単語語彙の成り立ち、音韻変化、文尾変化、語順などなどです。
例えば 文構成の語順では 日本語、朝鮮後、ビルマ語では、 私 ご飯 食べる ですが 英語や中国語やインドネシア、クメールでは 私 食べる ご飯 ですね。s+v+oとs+o+vの違いです。だから日本語と朝鮮語はもともと兄弟だとは早計です。
語彙が似ているという整理から**語起源説は諸氏の労作が沢山あります。近年 冨にご高名な大野先生の タミール語説などが有名です。
例えば 名前はnamaeと発音しますが英語ではname ネーム といい 、ビルマ語ではnaamee ナーメーといいます。この3つは親戚でしょうか
琉球語では 沖縄をウチナーといい、酒をサキ、耳皮をミミガー,美味いをマアサンと言うそうです。琉球語と日本語内地言葉は兄弟なのでしょうか。
安本説では前者は否定され後者は強く支持されます。琉球語は本土東北弁や紀州言葉と同じレベルの変化であるそうです。
語彙の一致には 偶然の一致と 規則的変化の同一祖語と2つ考えられます。
琉球では aiueoがaiuiuになり waがaaに kiがchiに発音されます。 okinawaが uchinaaに mimigawaがmimigaa sakeが sakiになるのです。マアサンは旨しが基のようですがこの説明はもっと難しいようです。kiがchiになるものと kiのままがあって 古代日本語ではキに2音あって(甲音 、乙音)その区別が残っているとか。
相当厳密に 琉球言葉と内地言葉の音韻変化の原則は実証されています。
では 朝鮮語と日本語にその変化原則があるのでしょうか。無いのです。
そこでです。
世界の言語の相当数について国内の碩学の諸先生をわずわらして 基本語彙 100音 200音について収集して 音韻変化の相関を 統計数理学をもちいてとって その因果関係を偶然の域か因果の世界かを実証しようとしたグループがあり、近年その成果が発表されています。
花とか月とか怒るとか食べる、きれい、眼であるとかについて同じ言語間にhがfとかpになっているといった変化原則が統計的に見出されるかを調べた労作です。
例えば 花 ハナ ファナ パニ ファネの類いです。
1月前に東京都北区立図書館で読んだのですが 著者と署名を記憶していませんが ここ5年くらいの活動のまとめですから 安本氏の1978年のご著書とはその論拠が異なるはずですが その結果はおおよそ一致しているのに驚いています。不勉強にして安本氏著書を読んではおりません。
琉球語と上代日本語は99.9percent同根だそうです。
そこでは 次に因果関係が見出されるのはインドネシア語で数字は忘れましたが相当強く支持されるそうです。
ついで少し弱くカンボジア語がきて あとは相当弱くいくつの言語がきていました、中国語や朝鮮語とは偶然に一致以上の相関を見出しておりません。
もちろん概念用語などで外来伝承された言葉が多く入っているのは事実ですが 祖語の議論とは違います、
2000/12/30 18:05
>>No. 1昨今の外人による日本語でのテレビ討論、満州へいった日本人、沖縄での米軍駐留、などを見渡しますと、相当の人数で外国へ渡りましても何十年たちますと、それが地元の言葉として定着することはあまりなく、現地の言葉に溶けこんでしまうことがほとんどではないでしょうか。むしろ血液やDNA鑑定によるクラスター分析によって系統化を判定することの方が民族の相違を判断できるように思えます。言語の変遷はむしろ文化の同化の度合いを検討するものとして寄与するのではないでしょうか。
2000/12/30 18:50
>>No. 20
種の起源としては、その通りでしょう。
人種的構成混合と異なる、文化の強烈移入による変化とは本来別に議論されるべきものでしょう。
どのような民族グループ大集団がかって今ある日本列島に移住してきてどれだけ強い文化的影響を与えたかの整理を言語変遷から確認するのが日本語起源論の大きな主旨なのでしょうから。
言語の基本骨格の変遷は数千年単位の民族移動とその融合の結果を表わすマクロな出来事についての整理ですから,,,。
DNAはよくわかりませんが よく耳の垢の濡れ方とか蒙古はんとか 血液型の分布とか骨相とか 色々なカタチで 唯物的論証が多くされていてそれはそれで楽しい議論だと思います。
下手な議論よりも 国内ですら このミレニアムの今日現在でも 沖縄出身の人、南西諸島出身、北海道の人、薩摩隼人と風貌からして一件して判る方が多くおられるのですから。
ただ逆に言うと、時間軸の近世にちかずけば近くなるほどその混合融和の速度は加速度的であるからして、唯物的実証はその起源を時間軸的に 古くまでさかのぼりにくいという感覚が小生にあります。
また 事象により 結構どことでも似ている 百家争鳴の議論に成り安いとも思い
有効的議論に成るような物的要素で整理する事が肝要でしょう。
先般 どこらやの氷河紀の発掘人骨から現代に生きるその後裔がDNA鑑定で見つかったとニュースがありましたが これはマスコミ受けを狙ったピーンボウルでしょうが往々にしてそうなり易いとおもいます。
もっとも 万葉集は古韓国語で読み下せるとか 実証不足の目立ち易い議論はどっちも一緒ですか。
2000/12/30 21:39
>>No. 15
楽しい議論なので素人ながら参加させてください。
言語の本で無いので、一寸恐縮ですが、
最近、ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を読んでいて、
日本語の南方起源説について色々混乱しちゃったんです。
この本では、元々中国に住んでいたオーストロネシア人が台湾を経由して太平洋の島々に広がりオーストロネシア語圏になったとしています。
そして、その拡散の開始(台湾への移住をB.C.3500年頃)としています。
この説をとれば、B.C.3500〜3000年頃に台湾から北上して日本に来た人々が居ても良いような気がするのです。
とすると、オーストロネシア語圏のインドネシア語と関係するのはいいのですが、
オーストロアジア語のカンボジア語と関係していないことになってしまうような気がするのです。
でと、普通日本語の南方起源の部分は、どのあたりの土地が祖語の土地とされているのですか?
私は、東南アジアまで下がらなくてもよく台湾でも良いような気がするんですが?
2001/01/01 23:37
>>No. 22以前何かに記載されていたかすかな記憶では、貨幣のへいは南方ミクロネシア付近の大きな石臼状のフェイというものから由来しているやに覚えています。記憶違いかもしれませんし、似た単語があるからといって、根拠にすることも問題なことは他の人達の指摘するところですが、この付近と日本は縄文時代交流があったとされる昨今の評価から、日本語の中にも僅か残っているかもしれませんね。とすれば台湾ばかりでなく少し範囲は広く考えられるかもしれませんね。あくまでも推測にすぎませんが。
2001/01/02 10:48
>>No. 23
日本語のなかに漢字語があることを忘れてはいかんのじゃ。
このての話題は、いちおう古語辞典と漢和辞典を引いてからレスするといいのじゃ。
2001/01/06 22:34
>>No. 23
はじめまして。
東南アジアに起源を持つ単語があると、何かの本で読んだことがあります。「フェイ」は確かに中国語なので無関係と思われますが、大和言葉のなかにインドネシア語と酷似したものがあったはずです。記憶違いかもしれませんが。どこかで本を探してみますね。
2001/01/21 03:53
>>No. 1
私の解釈によればだが、
司馬遼太郎の説によれば、江南地方には原始タイ語を話す民族がいたようだ。
これは安本美典説のビルマ系江南語にほぼ充てはまるとお見受けした。
私にとって、安本説の方が説得力があるので、こちらを支持したいのだが、司馬説が気になって仕方が無い。
だけど、司馬氏の書の全部はとても読み切れない。自分が読んだ限りでは、原始タイ語説は、根拠なく想像で言ってるように見えて仕方が無い。
そこで、原始タイ語説の根拠をご存知の方がいればお教え願いたい。
2001/01/22 01:56
>>No. 1
岡田英弘氏の『倭国』(中公新書、1977年刊)からの引用ですが、
「最初の中国人は、長江、淮河の流域に都市文明を作った夏人で、かれらの東南アジア系の言語が基礎になって雅言ができた。漢字を発明したのも夏人らしく、・・・ その夏人を征服して黄河を南に渡った殷人は、もともと東北アジア系の言語を持っていたが、黄河の南で夏人から都市生活を学んで、夏人の雅言を採用した」
そして、夏の王の後裔と自称するのが越人であり、
夏王朝の始祖の禹の墓がある会稽山を聖地としている。
「こうした越人の海上活動は、あとで言う燕人の朝鮮半島進出よりも一足早かったのだから、日本列島に弥生文化を持ち込んだのは、実は越人だったかも知れない」
夏王朝(東南アジア系)の後裔の越人が日本に渡来して、
弥生文化(水稲耕作など)をもたらしたとの考えは、安本説とも整合的なように思います。
私は、
夏(ビルマ系) → 越 → 倭 → 邪馬台国 → 大和朝廷 → 日本
という流れを考えています。
岡田氏の『倭国』は、安本氏の著作と違い、年代論がきちんと展開されてないのが欠点かと思いますが、けっこう面白いです。
2001/01/22 12:31
>>No. 26
以前中国の少数民族のタイ族(人偏に泰と書きます)の言葉を研究した本を読みました。結論はこの言葉は同じ少数民族の侗(トン)族の言葉とともに原始タイ語に属し、中国語と同じシナ・チベット語族と同系統の言葉だということです。
一方、古代越の地(江南)にいた人々は漢民族の圧迫を受けて広東へ、さらに東南アジアへと移りその末裔が現在のタイ人(東南アジアの)だという説もあります。そうした越の人々の一部が現在少数民族として中国に残っているというのは十分に考えられます。
そんなことなどを考えると、「江南地方には原始タイ語を話す民族がいたようだ」という点には依存はありませんが、原始タイ語と日本語の関係は特にないと思われます。
2001/01/23 23:53
>>No. 1
いやいや、日本語の起源論というと外からやって来たという議論が多いので、
半分冗談で、もとからいた説を作ってみます。
アフリカで発生した、ホモ・サピエンスは紀元前1万年頃には既に、全大陸に拡散していた。で、東アジアには2〜3万年前には住み着いていたでしょう。
その頃は、大陸と地続きで無論日本にも人類はいました。それどころか、日本は緑多い豊かな土地で、人口密度も高かったのです。
でと、ここからが本論
日本語のもとの言葉は、ホモサピエンスがアジアに拡散した当時から日本列島にあり、間氷期になり、大陸と分断された結果、独立した言語(源日本語)に発展しました。
その後、約5000年前に船が導入されたことを契機に、大陸に逆上陸し、朝鮮半島に拡散しました。
それ以上の拡散は、中原の農耕民族に阻まれ、生産力が乏しいステップ(モンゴル・トルキスタン・シベリア)方向に拡散しました。
その結果、日本語は、ウラル=アルタイ語族と関係が深いが、ウラル=アルタイ語族には含まれないという不可思議な状況になりました。
なんと、ウラル=アルタイ語族は、源日本語の一方言だったのです。
で、源日本語自体はより多くの変化に飛んだ語族を含む、超(メタ)ウラル=アルタイ語族と言うものだったのです。
P.S.
あくまで、冗談よ(^^;
この説では、縄文人と弥生人の関係が説明つかなくなるっていうのは承知しているから・・・
2001/01/24 02:41
>>No. 25
はじめまして。
私は関西人なのですが、関西では年配の人ほど、ひと纏まりの言葉、文を発話するとき、節回し(イントネーション、あるいは小節こぶし)が細かく変化します。どちらかというと、円を描くような節回しをします。
昔、小学生の時、北九州の多分筑豊地域から来た転校生の節回しは最初は少し低く、途中から高くなって、最後はまた低くなって終わる、関西人にとっては直線的な、平板なイントネーションで話していました。
韓国のラジオを聞いていると、北九州のイントネーションとよく似ているような気がします。
中国語の節回しは、北京官話で4声+軽声の5つの基本的イントネーションがあります。ビン南語は7声、広東語は9声です。
特定の声調が結合すると変化しますが、単語または複合語の節回しは文中でも固定した一定の節回しを保っています。
広東語は母音の長短で意味を区別します。
bat:不 baat:八
sam:心 saam:三
うる覚えですが、神戸商船大学の先生が「漂流する日本語」というようなタイトルの本で、南洋の「カヌー」が日本語に入って、「かる」や「カノー狩野・加納」に変化して残っていると書いていました。カノー姉妹は実はカヌー姉妹だったとか。(~~;
マレー語、インドネシア語は名詞を修飾する形容詞は名詞の後ろに置きますね。
オラン・ウータン=人+森−>森の人
ヤマト・コトバにも後ろから修飾する複合語が少数ですが、有ったような気がします。
ちなみに私の従姉は子供の頃「ウータン」と呼ばれてました。それから、土佐の人が「オランドレ」と叫ぶのを聴いた事があります。
「酒とビールをチャンポンで飲む」とシンガポールの人に話すと、「マレー語でもチャンポンは一緒にすることだ」といわれました。
Jalan Jurong Kechil 「ジュロン小道」の意味です。
Kechil=小さい<−「けち、けちる」と何か関係がありそうな。
2001/01/27 17:30
>>No. 1
このトピお初です。
すでに何方か指摘していたと思いますが、韓国語(あるいは朝鮮語)と日本語(あるいは大和語)とは、非常に年代的な隔たりが大きく、韓国語で「万葉集」が読めるなどという説は、すべて「こじつけ」に過ぎません。
数十万ある単語の中から発音の似たものだけを探せば、どんな言語同士でも結び付けられます。
一頃話題になった「人麻呂の暗号」などでは、日本語の上代特殊仮名遣いや甲音と乙音の区別さえなく、まさに「素人考え」の域を出ません。
このような、「音韻対応」や「基礎語彙」(手・足・目・鼻などの身体語や、立つ・座る・歩く・食べるなどの基本動詞など)の比較に基く検証ががなされていない、安易な語源探しを、国語学では「語源俗解」と呼び、非常に警戒するようです。
安本氏の検証は、極めて科学的なものであり、その所説にはかなりの説得力があると考えます。
詳しく書くと長くなりますが、
「日本語の誕生」大修館書店刊
「日本語の成立」講談社刊(現代新書)
「日本語の起源を探る」PHP刊(二十一世紀図書館)
などで一貫した説を述べています。
しかし、私は支持はしませんが、南方起源説の中にも興味深いものはあります。
これは、また後ほど…。
2001/01/28 11:19
>>No. 1
吏読辞典で、大和言葉に直感的に似ているものを探しましたが、ありませんでした。
それ以前は朝鮮方言辞典。これも、似ているのはごく稀でした。
日韓両語は、半島と列島の僅かな隔たりにしては、奇異なほど、あまりにも異なる言葉です。
大野先生の「日本語の形成」は、ドラヴィダ系のタミル語に日本語の基層語を求めるものですが、これはこれまでにない成果のように思われます。
さっそくバロウとエメノウのDravidian Etymological Dictionaryを買い求めて
一覧しましたが、確かに偶然以上の確率で類似している印象を受けました。
韓半島由来の言葉とされているものでも、これはもしや、半島と列島にほぼ同時に流入したタミル語ではないかと思われるようなものがあります。尤もこのことは大野先生も指摘していますが。
今で言うところのアイヌ語にも、興味を持っています。http://www3.alpha-net.ne.jp/users/gens/index_j.htmlは大三元さんのHPですが、この
琉茲漏惻圓任垢虧てГ任后?/a>
私も鹿児島の桜島をアイヌ語で、
SA-un海の近くの(=seaside)KUR(山)AN(のある)SIR(州=山)
ではないかと解いて見ましたが、俗解の域を出ません。
SA-un-KUR-AN-SIR。SAun-KURAN-SIR…サンクラン・ス。
SIRは古い大和言葉で「SU」、つまり「島」の意味であろうと推定していますが、近代アイヌ語ではSIRは「平たい山」「洲」なので、意味の変遷があったとしないと辻褄が合いません。
「海の近くの、山のある島」を翻訳するとSAunKURAN-SIR、サンクラン州=サクラ島となり、この解釈が正しければ、桜島は当て字で、アイヌ語に由来する名前ということになります。
しかしながら、これだけでは裏付けに乏しいゆえに俗解でしかありません。
桜島は、中世から近世初頭までは「むかひのしま」「むこうのしま」と呼ばれていた。1698年、桜島が公式名称となりましたが、桜島はそれ以前は俗称でした。
SAunKURAN-SIRを荒っぽく意訳すれば、「むこうのしま」とならないでもありませんが、とにかく、近くに類似例が幾つかないと話にならず、残念です。
しかし、記紀の神々の名称の幾つかがアイヌ語の翻訳である可能性が高いのには、極めて強い関心を持っています。
2001/01/28 11:23
>>No. 32
なんだか、とんでもないことになってしまいました^^;
文字化け部分は、大三元さんのHPですが、この「分野は、学者もいまだ未踏であり、優れた内容です。」です。
2001/01/28 11:28
>>No. 33
久しぶりに書き込むと、ミスが多く…。
「海の近くの」ではなく「岸辺の」でした。
2001/01/28 12:19
>>No. 23
上古漢字音と大和言葉は、知られている限りでも、2000語以上の対応語があります。
漢語は言うまでもなくシナ・チベット語族であり、日本語の文法体系とは異なりますが、古墳時代以降の漢語からの大量借り入れ発生以前に、これだけのものが日本語に取り入れられているということは、何を意味するのか、いろいろ興味深いものがあります。
たとえばPAT,PAD,PAN,PAR。これらの音が割り当てられている漢字は「別、発、抜、貝、半、班、反、片、辺」などです。
この漢字は「二つに分かれる」≒「二つに分ける」という意味があります。
これに対応する日本語は、以下の通りです。
P音はのち、F音に転じて、さらにH、あるいはまれにB音に変化しています。
PA 歯(一つでは噛めない…)
PA 刃(二つに分けるもの)
PA 葉(二つに分かれているもの)。
PAD-AKARU 大きく開く(二つに分け開く)
PAD-USU 外す(二つに別れ別れになる)
PAT-I 嘘([方言]二枚舌)
PAT-URU 皮などを剥ぐ(皮と身を二つに引き裂く)
PAN-ASU 切って壊す([東国方言])
PAN-ARU 間が開く(二つが別れ別れになる)
PAR-U 新しく土地を開墾する(切り開く)
PAR-U 晴れ(雲がちぎれて空が開ける。
?PAR-U 原(山もなく開かれている場所)。
PIR-U 放つ(屁をひる。左右に鳴き別れ…)
PIR-AKU 開く
FUT-ATU 二つ
アイヌ語との対比は直感ですが、以下が可能性あり。
PA 向こう側(ここから離れた場所)
PAM(葉)
PA 年(分けられたyear)
PAR-A 広い。
PAR-O 口(二つに分かれるもの)
PAR-AURE 足(二つに分かれているもの)
PAR-SE 飛び散る(日本語「はぜる」PAS-ERU)
PAR-ATEKU 手(二つに分かれているもの)
PAR-ARU 通り(分岐するもの。
PAR-U 穀物(本体から取り去った実)
PAR-UR 端。縁(離れているところ)
PAT-CE 飛び散る
PAT-OY 唇(二つに離れるもの)
PAT-TAR 炒り豆がはぜる
PER-KE 破れる。割れる。壊れる。
PET-PA 切る。裂く。破る(二つに分ける)
PET-U 切る(二つに分ける)
PET-PO 再び。もう一度(二度目)
以下は、タミル語(大野 晋「日本語の形成」より引用)
PAL 歯。(日本語PA)
PAT-IRU 嘘(日本語「PATI←方言」)
PAR 崩壊する。破壊する(日本語の「亡ぶ」POR-OBU)
PAR-A 晴れる(日本語「晴る」に対応)
PAR-A (野原のように)広々としている(日本語「遥か」PAR-KA)
PAR-A 原(日本語P「原」AR-A)
PAR-AM 天(日本語、天の原の「原」)
PAR-I 分離する。分かたれる。死ぬ。(日本語「散」PAR-A)
PAR-I 開墾する(日本語「墾る」PAR-U)
なお、日本語「話す」PAN-ASU、アイヌ語PAW-AS、タミル語PAN-NU、同PAR-AVU(これは日本語「祓う」PAR-APUとされる)。漢字音「発」に対応。
なおまた、タミル語PAT-UKAR(日本語「畑」PAT-AKE)。「穀物を生じるところ」という意味なので、漢字音「発」に対応。
なお、漢字音「別、発、抜、貝、半、班、反、片、辺」の中に「班(まだら)」があります。
これは対応がなさそうないので気にとめていなかったのですが、タミル語にPAT-TAI(日本語「ぱだら」PAD-ARA→MAD-ARAに変化)がありました。「白黒のぶち」とのこと。
開墾は株や草を抜くので、漢字音「抜」に対応。
以上は試案に過ぎませんが、古代中国語もあちこちから流入した言葉によって形成されたように思われます。
たとえば古ドラヴィダ語族あたりが、南方中国から呉、越あたりに流入して、中国語の基層を形成したのかも知れません。
それらがまた日本列島にも流入した、とか。
むろん、文法構造は違いますから、クレオール程度のレベルで幼生成熟したような可能性も考えられます。
2001/01/28 21:02
>>No. 1
数詞の系統を言っている人はいませんか。
文化語とかで、考慮されていないようなのですが。。。
2001/01/28 21:05
>>No. 35おあげになった例では、第一音節が似ていることしか証明していないように見えます。ところで、おっしゃる大和言葉は、文の脈絡から、古墳時代以前の言葉との意味でしょうが、どうやって構成されたのですか。
2001/01/28 23:01
>>No. 37
多くの場合、第一音節に語幹があります。
ここでの大和言葉は、p音としましたが、h音にすでに置き換わっていた可能性があります。ここでは、煩を避けるため、p音に統一しました。
ともあれ、あくまで叩き台です。
2001/01/28 23:11
>>No. 35
RAGONDAASTONさんのおっしゃる「対応語」なるものの意味が分かりません。
数十万、あるいはそれ以上の語彙を持つ二つの言語から「意味と発音」が「似ている」(「同じ」ではない)ものを探し出せば、数千のオーダーは偶然の域を出ません。
(基礎語彙同士のように一義的に意味が確定できる場合ならともかく、「似ている」「同じような系統」では恣意的な判断が入りすぎます)
しかも漢字の「訓音」(日本独自の読み方。漢音とはまったく別)を当てている点など、精密な考察とは考えられません。
また、タミル語と上古日本語を比較するのは、年代的にも無理がありすぎます。
私は決して支持するものではありませんが、ドラヴィダ系言語と日本語との比較なら、大野晋氏より川本崇雄氏の方が遙かに学問的に周到な分析をしています。
(大野氏の説は、おそらくご本人が統計学を理解していないためだと思われますが、「学問」として不完全な部分が多すぎるように感じます)
参考:
「日本語の源流」川本崇雄著 講談社刊(講談社現代新書594)
2001/01/29 00:52
>>No. 1
安本氏の「新説!日本人と日本語の起源」(宝島社新書)には、
最新の人類学の成果と照らし合わせて、日本語の起源を考察しています。
これを読むと、やはり安本説支持になりますね。
インドネシア語やカンボジア語とも、語彙の面では、
偶然以上の一致を示すとか・・・
ちなみにタミル語とか、そういった説は主観による妄想だと思います。
作家の清水義範さん(だったと思う)曰く
昔、英和辞典で日本語と英語で似ている言葉を探したら
五百以上の類似した単語が集まったらしい
NAMAE(名前)とNAMEとか・・・
てことは、英単語五百は簡単に覚えられるということ?
2001/01/29 07:47
>>No. 40
ローマ法王庁の法王選びをコンクラーベというとかね。
何回も何回も缶詰めで大変らしい。
私も安本さんの本を読んで、その証明の説得性に感心をした。
言語学(というのかな)の構成は結構精緻ですね。考古学のあとからトッテつけたような理屈とは別で。
1ヶ月前に 琉球方言の解説書を読んで一見何をいっているのかさっぱりわからない言葉が、ヤマト言葉との音韻変化の原則がしっかりと整理されていて、その原則によってちゃんと読み解ける?のにエラク感心した。
だれか東北青森弁の解説書をかかないかな。
2001/01/29 08:09
>>No. 1
タミル語に関しては、かつてマスコミが叩きましたが、その影響が今でも残っているようです。
最近出た「日本語の形成」(岩波書店)をお読みになれば、納得がいくことと思います。
もっとも、全てが正しいとは思いません。たとえば「八」(yat-)の語源をタミル語に求めるには、「四」(yot-)の対応が必ずなければなりませんが[三(mit-)と六(mut-)の対応のごとく]、見当たりません。
先に書いた漢字音は上古音で、日本における現代発音ではありません。
漢語、タミル語、日本語、アイヌ語のpa、par、patなどに「二つに分ける」という意味が内包されている点に関しては、他の言語ではその対応が全く見出されません。
韓国語には若干認められますが。
2001/01/29 08:29
>>No. 40
>NAMAE(名前)とNAMEとか・・・
インドネシア語はサンスクリット語(梵語)の影響を受けています。
そのインドネシア語が縄文期に日本に流入したとのことですから、偶然ではない可能性があります。
(安本氏著『日本語の成立』の182頁に書かれています)
2001/01/29 08:54
>>No. 35
「阿那而恵志(アナエヱシ)、而植弥志子田庭(ニウヘヤシコタハ)」。
これはトヨウケ-オホ神が喋ったという言葉です。彼女は天照大神と同一神とも言われている神です。
丹後風土記に出てくるこの「話し言葉」の最後の「田庭」が丹波の地名の由来になった、というわけですが、むろんこじつけです。
もっとも、「而植弥志子田庭」の部分は、近年、学者により「面植弥志与田庭」と書き替えられてしまっています。言葉の意味もわからないと言っておきながら、文字を書き替えるという神経が、よくわかりませんが。
原文どおりとして、そのうえで、上代日本語、吏読(イド、中世韓半島で用いられた一種の万葉仮名)あるいは最近韓国で出版された「全国方言辞典」を用いて、解読を試みました。
しかし、解読は不可能でした。殊に、「ニウヘヤシコタハ」などさっぱりわかりません。
そこで、最後の手段として、アイヌ語辞典を参照しました。参照したのはバチェラー、服部、萱野、中川、田村、知里、各氏による6冊の辞書です。
「アナエヱシ」an-nuye-si(アンヌヱシ)
「ニウヘヤシコタハnuyean-sik-ta-pa(ニウェヤンシクタパ)
an(実に・まったく)
nuye(豊かに)
si(よく育った)
nuyean(豊かに)
sik(いっぱいになっている)
ta(この)
pa(流れ出る水)
これを整理すると、以下のようになります。
「実に豊かによく育った」「豊かにいっぱいになっているこの流れ出る水」
では、どういう場面で、この神はこのような言葉を喋ったのか。
丹後風土記の該当部分を引用すると…
「丹波という名前を付けたわけは、昔、豊宇気(トヨウケ)大神が当国の伊佐奈子(イサナゴ)嶽に降臨したとき、天道日女(アメノミちヒ)命たちは、この大神に五穀と蚕などの種をお願いした。
その嶽に真名井(マナイ)を堀り、それで潅漑して水田陸田を造って植えた。
秋には垂穂八握莫々然甚快也。
大神はそれをご覧になって、大喜びし「阿那而恵志(アナヱエシ)、面植弥志与田庭(原文は而植弥志子田庭)」。
そして大神は再び高天原に登られた。それで田庭と言うのである。丹波、旦波、但波、など全て多爾波と読む。」
つまりこの不可解な言葉は、今で言うところのアイヌ語で、日本の「最高神」が、灌漑事業の成功を語ったものと言える可能性があります。
2001/01/29 10:23
>>No. 40
>ちなみにタミル語とか、そういった説は主観による妄想だと思います。
「日本語の形成」(岩波)を読んだ上での判断ですか?
どの学者を支持、とかじゃなくて、自分の頭でよく咀嚼することも必要です。
2001/01/29 11:53
>>No. 1
本の名前間違えました。
(書棚の背表紙だけで、うろ覚えで書いてしまいました)(汗)
ドラヴィダ系言語の研究書はこれでした。
「日本語はどこから来たか」藤原明著 講談社刊(講談社現代新書631)
釈迦に説法だとは思いますが、二つの言語を比較する場合、対応すると「思われる」ものを「探し」てはいけません。
「これと似た意味の単語はないだろうか」と考えた時点で主観が入ります。
一義的に意味の決まる単語を「機械的に」(どの言語に対しても、同じシステム・同じ比較法・同じ扱いで)比べるのが、科学的な態度です。
先に上げた安本美典氏・本多正久氏共編の「日本語の誕生」(大修館書店刊)では、アジア圏の30の言語の基礎語彙について、丁寧な対照表が載っています。
これを見ただけでも、上代日本語の「葉」や「歯」が中国音とはまったく違うことが判ります。
2001/01/29 13:53
>>No. 46
>上代日本語の「葉」や「歯」が中国音とはまったく違う
それは当然のことでして…、何か誤解されているものと思います。
「歯」や「葉」が上古中国音と同じだとは、一言も
申し上げていません。
>>たとえばPAT,PAD,PAN,PAR。これらの音が割り当てられている漢字は
「別、発、抜、貝、半、班、反、片、辺」などです。
と私は書きました。「歯」「葉」などとは書いておりません。
以下のようにお考え下さい。
タミル語で収穫はARUPPUですが、同じドラヴィダ系コラミ語ではARKです。
このARKがAKI(秋)になった可能性があります。
つまり、まずARKは中国南部に入り、上古中国音「穫」hUAK(刈り取る)になった可能性があります。
hUAKは更にAK-Iと音韻変化しえます。
また、本福寺跡書に「秋」と書いて「収穫」の意味を持たせている文書があります。
ということは、AKIの原義は、収穫という意味で、南インドからコラミ語が中国南部に入り、
hUAKとなって、「穫」の文字があてられたのかもしれないという推理が可能になります。
もっとも漢語「穫」に秋の意味はありません。ここがポイントです。
漢語では、秋はあくまで秋≒SIUであり、秋=穫ではないのは当然です。
(ただし、上古の越あたりで、hUAKを「収穫の季節」としても使っていた可能性はあります。
そういう意味が、そのまま日本列島で「収穫」という意味合いは薄れて、季節の意味合いが
強くなった、とも推定できます)
しかし、日本列島においては、hUAKという言葉が「取り入れ」のごとき意味で流入し、
それが「そういう季節」の代名詞のようになって、hUAKに「秋」という漢字が
充てられた、という流れです。
結局、hUAK音のみ列島に入ってきて、弱い頭子音、hが消滅し、AKIとなった可能性がある、
ということです。
一方、朝鮮半島語は秋はKOULです。これは恐らく上古中国音、hUAKがKUAK(杜詩ではKA-AL)
となったとき、やはり秋の意味でその訛り音が流入したものと推定されます。
とすると、hUAK、AKI、KOULも元は同源ARKから出た言葉ということに推理しえます。
同様に、「歯」も、南方中国には、「PA」音で流入した可能性が高いのです。
集韻に「歯八(これで一つの漢字です)」をHATuと読ませ、歯の音(オン)である、
と書かれています(諸橋大漢和12巻1098頁参照)。
台湾総督府刊の「台湾語大辞典」下の510頁によれば、ハァ(文字はjisになし)は、
竹の皮などの「皮」ですが、ハンハァは「葉が大きくなる」の意(同538頁)で、
ハンは「大きくなる」の意味ですから「ハァ」は「葉」のことを指します。
単独ではもはや「葉」のことを「ハ」とは言いませんが、アモイ語あたりの南方中国語周辺には、
このように、残痕が残っていることには注目する必要があります。
2001/01/29 14:35
>>No. 47
ちなみに台湾語で「斑」はPANUです(同596頁)。
PANは「放つ」。これは上古日本語の
PAN-ATU(=FAN-ATU)に対応しています。PIR-U(放つ)としましたが、これも加えるべきでしょう。
2001/01/30 08:24
>>No. 48
つまり、言葉のルートがメインですか?
インド南部から中国、朝鮮、日本といった…。
この場合、アイヌ語はどういう位置付けになりますか?
安本氏の説はどうでしょうか。私は、説得力があると思うのですが。
2001/01/31 14:11
>>No. 49
タミル語が日本列島に流入した、という大野説を、私は作業仮説として採り入れ、一種の消去法で、解像度を高めたいと思っています。
したがって、その過程で、タミル語を放棄せざるを得なくなるかもしれません。
タミル人は古モンゴロイド系のインド土着民です。かれらが、コーカサス系に追われて、中国南部から日本列島に入った、という想定は不可能なことではありません。
事実、かれらはインド亜大陸全体に分布していましたが、その後、一部はスリランカを含む南インドの東端に追われ、東南アジアにもポートピープルとして移動した痕跡があります。
そこから、地続きの呉、越地域に入り、再び流民化して列島に来たとも考えられます。
南インド東端から列島までは、直線距離にすると、カムチャッカ半島から九州までの距離とほぼ同じです。
ただ、かれらの言語は南部中国においても日本においても、脱クレオール化はしませんでした。
アイヌ語は明瞭に南方由来の構造(たとえば幹収縮など)を持っており、アイヌ人自体、古モンゴロイドです。
アイヌ語は縄文語であるという位置付けを、これも作業仮説として立てていますが、むろん縄文語も北方言語の影響をも受けていることは否めません。
安本氏のアプローチの仕方は素晴らしいと思います。
問題は、この学界の視野の狭さであり、通説以外は排除するという悪弊が、学問の進歩を停滞させていることです。
安本説と大野説、また服部説などをも両方視野に入れ、止揚する努力が不可欠ですが、少なくとも学界にそれを期待するのは無理でしょう。
2001/02/12 13:50
>>No. 1もったいないので上げます。
2001/02/12 14:10
>>No. 1
一口にインドネシア語と言っても、インドネシアには100位の多くの言語があるんだそうです。
今のインドネシア語は共通的に使うために、戦後、比較的少数の人達が使っていた
言語を国語として制定したものだとか。
マレー語とは似ているのではないかと思います。詳しくは知らないのですが・・・
ビルビルは唇のこと。マは目なんだそうです。しかし、サヤマカンイニ(私、これ食べる)というように普通の言葉で日本語に似ているものはないようです。
ただし、古墳時代の切妻作りの家で、棟持ち梁が両側に突出していて、しかも、何かエッジの部分に板のようなものがある埴輪の家はインドネシアのトラジャ族の家にそっくりですね。
2001/02/12 16:05
>>No. 1
司馬遼太郎氏がよく言っておられた「ウラル・アルタイ語族」の範疇から行けば韓国語も日本語も北方騎馬民族系の言葉を使っている訳ですよね。
でも、文法、助詞、助動詞なんかの共通点はあっても、単純な名詞....例えば「花」とか「鳥」とか「風」といった簡単な名詞には余り関連性がありそうに無い...。つまりオリジナルの名詞に共通性があまり無い様に思います。
外来語や四字熟語が似るのは或る意味必然として、やはり全く違う言葉だと思います。
やはり縄文人の使っていた言葉がそのまま残り、朝鮮系渡来人も土着しつつそれらの言葉を使ったのでは無いでしょうか。外来語を押し付けるには数的に圧倒出来ず、「郷に入れば郷に従え」的に使ったと思うんですね。
もちろん初めて見る様な文物に対しては渡来人から教わった言葉もあるでしょうが...。
2001/02/24 18:45
>>No. 53
もったいないので 。
ねえ 皆さん。
2001/03/05 01:14
>>No. 1
快刀乱麻の解答は出来ないでしょう。即ち、諸言語が時代の積み重なりの内に綾なした物である、が結論か?。
ウラルアルタイ、ツングース、ドラヴィダ、タミール、etc.
しかし、説得力が在る説として、統計学を駆使した、音韻の法則に合う、等と尤らしく聞こえますが、矛盾に気付かない。それらを抽出した基礎の語彙・言語は現存して記録に在る物に限られている。何万年も積み重ねた言語の内、氏族と共に死滅したり、語族の中で死語化した物も在る。
台湾語として、語彙の一つを論じた方が居たが、台湾には、北京語より福建語が通じたり、7〜8部族の部族語も在る。部族長会議で各部族間で言語が通じないので、共通語として日本語が使われる、とか。漢語と言っても、漢民族が万里の長城を築いてまで嫌がった、北狄に支配されて北方訛り化したり、黄河流域に支配される前の百越の呉音も支配者が訛らせている。中国では、北京語を強制する前は、通訳がいなければ命令が伝達できなかった、とか。毛沢東の演説でさえ、聞き分けられる人は少なかった、とか。大和言葉と言う括りも、奈良県飛鳥地方語の事?。
倭語と言う意味なら、現代日本標準語を対象にしては何も得られない。あれは、明治新政府の文部官の薩摩出身の田中某が制定した物だからです。九州弁だけでも何種類も語彙がある、日本の全方言を判っての論議でなくては、日本語の起源を論じた事にはならない、と思います。
2001/03/05 08:07
>>No. 55詰まり、何を謂わんとしているかと言うと。古代の、華南語が黄河流域の支配でなまる前の言語とか、漢語が北方訛りに成る前の言語等が、日本語(方言)の根底に在った場合、統計や音韻の法則で足枷手械していて真理が追求出来るか?、と。
2001/03/09 00:40
>>No. 55
明治時代に岡山弁が標準語になったとか聞いた話があります。真偽のほどはわかりませんが。小生も古い方言のルーツをさぐることが重要だと思います。特に最近のテレビのせいか地方がほとんど標準語になり、方言がまさに消えようとしている昨今に一種のうすらさむさの恐怖に似た感慨がしきりです。風景どこへいっても積水ハウス。
世界中が同じ景色になっていく。こんな無味乾燥なことはない。旅の旅情もありはせぬ。
2001/03/09 17:30
>>No. 57
えっ。そうなん。
めぇじ時代に、岡山弁が標準語になっとったん?
ぼかぁ、知らなんだナァ。
あのなぁ。てぇげえ、そんなこたぁ、無かったとおもうけどなぁ。(←若干、馴れ馴れしくてスミマセン)
岡山弁のことなら
http://www.vis-a-vis.co.jp/jl/tjmooks/mook/jaga.html
こりゃぁええ本ですらぁ。(←この『〜らあ』というのは言いますかねぇ?)
2001/03/18 00:25
>>No. 1うええ
2001/03/19 20:49
>>No. 1古代メソポタニアのシュメール語は膠着語という分類に属すそうです。これは語の文法的機能を語幹と接辞との結合によって示す言語という事です。日本語のて、に、を、は、のような接辞を持つ言語で、他にはトルコ語、朝鮮語、フィンランド語、モンゴル語に見られるそうです。僕が興味を引いたのは、これらの国(フィンランドは未確認)には、相撲、もしくはそれと似たものがあることです。一説には、相撲の起源は古代イスラエルだと言われています。真偽はともかく、これらの国はシルクロードで繋がっていますよね!? それとフィンランドにはたしか「イナリ」という地名があったと記憶しています。また、フィンランドの名の由来は「フン族」のフンからきていると何かで読んだ憶えが有りますが、うる憶えです。他にブルガリア=フンのガリア、ハンガリー=フンガリ?
2001/03/31 02:00
>>No. 1
日本語の音と同じように、基本的に子音+母音の構造により成り立っているそうだ。
なにか親近感を感じる。
詳しい方いますか?
2001/04/10 10:39
>>No. 1はじめまして。ど素人なので発言はできないのですが、このトピ、とても興味深く拝見しています。よろしくお願いします。
2001/04/10 12:55
>>No. 61
確かに「子音+母音」の音節が基本ですね。母音は5、6個くらいだったかな?(はっきり覚えてない)
声門閉鎖音もあったような。
文法的には、フィリピンのタガログ語に似ていたような記憶があります。確か同系列の言語だったような。
「ハワイ語入門」(?)という本が出てますよ。私は、この本をざっと読んだ程度の知識ですが。
2001/04/15 21:32
>>No. 1
日本語のルーツは定かではない。
韓国語ルーツ説も必ずしも否定はできないと思う。
しかし!
少なくとも「古事記」や「万葉集」は韓国語では読めないだろう。
2001/04/15 23:04
>>No. 64
> 「古事記」や「萬葉集」は韓国語では読めないだろう?。
所が、「古事記」の歌謡番号一、須佐之男命の歌や「萬葉集」の殆どの歌、枕詞が、韓国語で俄然生き生きと意味を為すのである。日本の萬葉学者の注釈が陳腐に見えてしまうのである。何よりの証拠は、李寧熈女史が解読を始めて其の数が増して行くに従って、日本の大学入試の問題から『萬葉集の解釈』が消えて行った事、である。
私は古代倭語の死語が朝鮮語に逆に影響を与えていて、現代語か古語に臍の緒を留めている、と解釈している。
古代倭語のルーツは華南語に在ると睨んでいる。黄河五千年の歴史より古い、長江流域八千〜一万年の文明が、大洪水で滅んだのと、日本の弥生時代の黎明期は一致しているし、人間の骨格、DNA、ジャポニカ水稲のDNAなどの一致も見られる。
九州弁の筑後弁と朝鮮語には語幹が同じで、長い間に変化したと思われる語彙が多数存在している。
2001/04/16 02:45
>>No. 1
発音は結構違いますよね。
まず、母音の数が違う。濃音、激音、平音という区別は、日本語にはない。等々。
語順に関して言えば、日本語と同じ語順をとる言語は、世の中、たくさんあります。私の知っているところでは、
トルコ語、ビルマ語、ヒンディー語、ペルシャ語など。
助詞は、ビルマ語にもあります。要するに、助詞というのは、格などを表現するのに、語を使うと言うだけのことで、これが語形変化で表現するとロシア語のようになったり、接辞を付加して表現するとトルコ語のようになったり、語順で表現すると中国語になったりということで、そんなに特殊な事じゃないと思います。
例えば、
末尾の語形変化が固定化して、接尾辞になり、更に、接尾辞の自立性が強まって助詞になり・・・というふうな変化を経て助詞になるケースがあっても不思議ではないかと。
アイヌ語は、日本語とは別系統になっていたような。
琉球語は日本語の一方言かな。
一応、比較言語学では基礎語彙の類似性が証明できるかどうかが同系統判断の基準になっているらしいですね。要するに、言語が変化していく中で、もっとも、残りやすいのが基礎語彙であるというのが、判断基準の根拠らしい。
この比較言語学の判断基準で行くと日本語と同系統の言語は(琉球語をのぞけば)一つもないというのが結論らしい。
そういえば、韓国語では、否定するときは、否定の語が動詞の前に来るんじゃなかったっけ。
2001/04/16 22:40
>>No. 66
奈良時代以前は4、
奈良時代は8
それ以降5とかで、
母音の数は、変遷があるのではないですか。だから、母音の数で比較するのは
意味がないのかもしれません。
ちなみに、ポリネシア語では、4でしたっけ。
2001/04/28 05:00
>>No. 1
素人ですが、興味深く拝読してます。
「あげ」だけではつまらないので、
質問ですが、仮名というのは日本語の
発音と1:1対応しているのでしょうか。
ずれがあるとしたら、それはどのような
歴史的変遷をたどったのでしょうか。
2001/04/29 10:26
>>No. 68
端か箸か橋か?
というように表記上の区別はありません。
変遷については知りません。
2001/05/04 01:57
>>No. 52
学生時代は言語学専攻だったこともあり、興味があるので参加させていただきます。香港在住のため、資料などが手元にないためあいまいな発言も多くなるかと思いますが、ご容赦ください。
まず、私は日本語の系統が比較言語学的分析だけでは系統不明になるのは当然な気がするのです。パプアニューギニアの公用語(早速名前忘れてしまいました、トゥク・ピジンだったかな?)は言語学的にどの系統に位置するか?これは日本語と同じ立場となるでしょう。かの言語は所謂英語とポリネシア系現地語の融合語(ピジン、クレオール語)です。日本語も文法的に韓国・朝鮮語に近く、発音などでマレー・ポリネシア系に似通った点が見られるのもこれならある程度納得ができると思います。その融合の時期、度合い、などが複雑に混ざり合った結果が「言語系統不明」ということになっているのではないでしょうか?
つまり比較言語学の手法だけにこだわっていてはこういったケースは解明が難しい、学際的な視点が必要だということです。文化人類学では日本文化はウラルアルタイ系統(大陸系統)と南方マレー・ポリネシア系統の融合により生まれた、とされているようです。(諸説はあるのでしょうが、先日カナダのUBCの文化人類学博物館ではそうありました)
韓国・朝鮮語との文法類似性はもう十分語られているので、ポリネシア系について。
たとえば語彙でも、ポリネシア系の言語では複数の概念を畳語(かさねことば)で表すことが多いそうです。日本語でも「人々」「家々」「山々」など多用しますよね。
2001/05/04 02:19
>>No. 52
>一口にインドネシア語と言っても、インドネシアには100位の多くの言語があるんだそうです。
「インドネシア語」は「インドネシア語」という言語名であって、「インドネシアで話されている言語の総称」ではないことを区別する必要があると思います。
一口に日本語と言っても、日本には日本語、琉球語、アイヌ語、韓国・朝鮮語などの言語があるんですから。
この世に純粋な単一民族国家などないといってもよいでしょうから、これはどの国でもあてはまるといえるでしょう。
ちなみにインドネシアには一説では600以上の民族、言語があるようです。ちなみにマレー語とインドネシア語はほぼ同一言語です。それこそちょっとした方言差の程度です。
確かに人口ではジャワ語が最も多いのですが、マレー語は先ほど述べたように数百もの民族が混在するその地域でリンガフランカとなるべく生まれた一種の人工語(といってもエスペラントのようなものとは違いますよ。ピジンに近いかも)だそうです。政治的配慮とその実用性で採用されたみたいですね。
ですから文法構造などはかなり簡易で習得しやすいらしい。ある調査では日本人にとってもっとも学びやすい言語だそうです。
半月ほどでも集中的に学習すれば結構身につくらしいです。実際私の友人も2,3ヶ月で日常会話、ドラマなども分かるようになってましたから。
おまけでした。
2001/05/04 23:02
>>No. 70
NationalであってもOfficialではないようです。(といっても違いは不明。多分メラネシア語とのピジンだと思いますが。)
OFFICIALはEnglishとMOTU
ちなみに、OFFICIALとなっています。
Nationalはほかに、HIRI MOTU (MOTUのピジン化したもの。)
資料
http://www.sil.org/ethnologue/countries/Papu.html
2001/05/19 22:05
>>No. 67まとめたことで、母音の数が限られてしまった、と聞いたことがあります。
2001/05/20 00:31
>>No. 67
8母音説は、橋本=大野説ですよね。
彼らはタイムマシンに乗って奈良時代に行ってきたわけではない。
たしか万葉仮名の表記から、例えば、「神」と「上」の意味で表記が違うから違う発音だったと推測したと記憶しています。
だけど、これは大いに疑問です。
同じ発音でも、読みやすくするために、表記を変えたと推論する方が自然でしょう。
しかも、橋本=大野説だと、「神」と「上」では語源も違うことになってる。
渡部昇一氏もこれを疑問としています。
2001/05/20 23:09
>>No. 74
英語—日本語、母音対応表(珍説)
I am in Tokyo. Ai amu in Tokyo
私は東京にいる。 Watasiwa aru ni Tokyo
母音には意味の強い暗示が有るとすると全ての言語は日本語起源となるかも?そういえば朝日の読書欄に本居宣長が取り上げられていました。つまり日本語起源説は作業仮説だとか。もちろん大野説にはとても魅力を感じます。なにしろ独創的だし。ただシュメール起源説はさらにシュールで素敵だ。ギルガメシュ王の物語のファンなので太陽神やライオンを見ていると神社にお参りしているような気がするし。
2001/05/27 17:19
>>No. 45
大野氏は、日本語は良く知っているとの
世間では評判だが、タミール語との対応で上げた日本語は合成語が多く、そのひとつひとつの要素は、対応していないので、主観による妄想に過ぎないのでは。
まあ、多くの表面上の類似が見つかるという事実があるのですが。。。
2001/06/10 16:16
>>No. 76age
2001/06/11 17:53
>>No. 77色んな意見がありますが 古代ヘブライ語を調べたらいかがですか 神武天皇の別名 カムヤマトイワレヒコノミコトも 古代ヘブライ語からきています
2001/06/12 05:32
>>No. 1
岡田英弘氏によると、
「天智天皇の改革により、日本語は作り出された」
そうです。
<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
(白村江の戦い以前の)これまでのように、倭人と華僑が雑多な集団を成して、相互に関係なしに日本列島の各地に散在しているような状況では、とても唐帝国にも、統一新羅にも対抗できない。新たに倭人と華僑を打って一丸とする、日本人というアイデンティティを作り出さなければならない。
そのためには、まず歴史の統合が必要であり、言語の統合が必要である。しかも唐とも新羅とも関係のない、まったく独自の歴史であり、言語でなければならない。そこで強引に作り出されたのが、「日本書紀」であり、日本語である。
7世紀の日本列島で話されていた言葉には、相互に通じないようなものが数多くあったはずである。倭人の言語を別にすれば、古い辰韓系、弁辰系の華僑の中国語もあったろうし、新しい楽浪、帯方系の高句麗、百済人の言語もあったろう。それは慕容氏の中国語や南朝の中国語の影響の強いものだったろう。
これが秦人とか、漢人とか、新漢人とか呼ばれる人々の言語だったのだが、当然、千年にわたってこうした外国語の影響にさらされてきた倭人の言語には、非常に多量の借用語が含まれていなければならない。
ところが、「記」、「紀」、「万葉」の、奈良朝の日本語なるものは、語彙の面ではきわめて純粋で、中国語の影響は無に等しい。これは不自然である。奈良朝の日本語なるものは、7世紀以前の倭人の言語そのままではあり得ない。
天智天皇の日本建国の当時、独自のアイデンティティを保つためには、中国語系の言語も採用できなければ、新羅と共通の要素の多い百済、任那系の言語も採用できなかった。残る選択は倭人の言語だが、倭人はこれまで都市生活と縁が薄く、したがって文字の使用にも熟していなかった。
新しい国語の創造を担当したのは、これまで倭国の政治、経済の実務にたずさわってきた華僑である。彼らの共通語は、朝鮮半島の土着民の中国語である。それが自分たちの言語を基礎として、単語を倭人の土語で置き換えて、日本語が作り出された。
日本語の統辞法が韓国語に似ていながら、語彙の上ではほとんど全く共通のものがないのはこのためであり、また日本語に漢語が絶無に近いのもこれが原因である。
日本語はこうして作られた、人工的な言語であった。倭人の言葉とは、おそらく非常に違っているだろう。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> 岡田英弘 著 『倭国』(中公新書、1977年刊)、「第6章 倭国から日本国へ」より
2001/06/12 05:34
>>No. 79です。
2001/06/12 06:28
>>No. 1
隋書「倭国伝」の裴世清による紀行文を見てみると、
明年(608年)、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望身冉羅(タムラ:済州島)國、經都斯麻(対馬)國、迥在大海中。又東至一支(壱岐)國、又至竹斯(筑紫)國、又東至秦王國、其人同於華夏、以爲夷州、疑不能明也。又經十餘國、達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。倭王遣小徳阿輩臺、従數百人、設儀仗、鳴鼓角來迎。後十日、又遣大禮哥多毘、従二百余騎郊勞。既至彼都、其王與清相見、大悦、・・・
・・・筑紫国があり、秦王国があり、さらに十餘国があって、筑紫国より東の国は全て倭国の支配圏(「皆附庸於倭」)であり、倭王が(小徳:第2等級の廷臣)阿輩臺という人物(と従者数百人)を遣って(行列・楽隊つきで)出迎えさせ、それから10日して、今度は(大禮:第7等級の廷臣)哥多毘という人物(と従者2百人)を遣わして都の近く(「郊」は国都の城外の意味)でねぎらった。それから、倭国の都に到着して倭王と会った。・・・
下から3行目の「又東至秦王國、其人同於華夏、以爲夷州、疑不能明也」というのは、「秦王国」の住民が中国人(「華夏」は言うまでもなく「中国」のこと)と同じだったので、徐福が秦の始皇帝の命を受け、童男童女数千人を率いて東海へと旅立ち戻らなかったという、徐福伝説のことを想起しているところのようです。
「秦王国」の住民は、朝鮮半島を経て日本へと移民してきた中国系の人たち、あるいは中国人化された朝鮮半島原住民の人たちだったと思います。
「筑紫国があり、秦王国があり、さらに十餘国が」在ったというのですから、奈良の倭国が支配的な力を有していたにしても、秦王国(瀬戸内の西端に面していたようです)のような、倭人とは別の人たちの国もあったでしょうし、言葉も様々だったかも知れません。
2001/06/12 06:50
>>No. 79
大化の改新は、「日本書紀」では、孝徳天皇の時(645年)に行われたように書かれていますが、
実は、大規模な改革は、白村江の敗戦(663年)のあとに、天智天皇が実施したと岡田英弘氏は見ています。
2001/06/18 21:47
>>No. 1
皆様はどう評価なさいますか。
自分は、同意語の分布が説明しきれないところで、疑問を感じるのですが。。
(アタマとカシラの分布の様子など。)
2001/07/03 00:27
>>No. 1
大事なトピがなくなるのは忍びない。
そこで、新たな提言。
隣国の韓国(朝鮮)語起源について、どんな学説があるのですか?
アルタイ語起源でカタがついてる訳じゃないでしょう。
2001/07/16 14:50
>>No. 84
この人は、アルタイ語の専門家で、
もちろん、アルタイ語系統と主張しています。(日本語もそうだといっています。)
2001/07/26 22:07
>>No. 1
これはどうなってるんだろうか。
単なるアルタイ語起源で済まされているのだろうか。
2001/08/08 01:50
>>No. 1
ちょっとお邪魔します。
まだ全部のメッセージを読んでいないので
どなたかが、既に議論されているかもしれませんが、私は
「アイヌ語の研究」は日本語の起源の
研究にとって非常に重要だと考えています。
現在ではアイヌ民族は、縄文人の直系の
子孫であるということがほぼ定説になっています。
とすると、アイヌ語も「縄文語」の直系の
言語であるはずであり、現代日本語に比べて
縄文時代の日本語との関係がより深いと
思われます。
アイヌ民族が純粋縄文系であるのに対して、
日本人を構成するもう一方の「大和民族」の
方は、一般には縄文人と弥生人の混血と
言われています。
とすると、もともと「縄文語」という
日本語があったところに、弥生人の上陸
によって、朝鮮語や中国語が入りこんできて
それによって弥生時代以降の「日本語」が
形成されてきたと考えるのが自然ではないでしょうか?
ところで、弥生人の何割かが朝鮮人であることは
ほぼ確かと思われ、その意味では現代日本語と
朝鮮語の間に多くの類似点が見られるのは
自然なことと思われます。
ところがその一方、弥生人の何割かが
中国人だと仮定した場合、日本語と中国語の
間に個々の漢語単語は別として、言語的に
何ら相関関係が見出せられないのは、
全くの不思議だと私は思うのです。
まさかとは思いますが、日本人の先祖の
何割かである弥生人の一部すらも、中国人
ではない、ということなのでしょうかねぇ、、
ちょっと単純化しすぎた図式になるかも
しれませんが、私は概ね
「縄文語(古代アイヌ語)」+「古代朝鮮語」=「弥生以降の日本語」
と考えるのが自然ではないかと、勝手に
想像しております。
そしてさらに推測を加えると、古代朝鮮語が
「東アジア系のウラルアルタイ語族」の
言語であったと同時に、
アイヌ語も同じく「東アジア系のウラルアルタイ語族」の言語
なのではないでしょうか?
両者がもともとある程度似た言語であったので、
両者は比較的自然に混ざり合い、
「弥生時代以降の日本語」
になったのではないでしょうか?
現在アイヌ語を話せる人はどんどん減ってきてしまっています。
不孝なことにアイヌ語には文字がなく、
話せる人がいなくなってしまうと
解読できなくなってしまう可能性があるの
ではないかと危惧しております。
「縄文語」=「古代アイヌ語」
と考えると、日本語の起源を考えるのに
アイヌ語の研究は相当重要だと私は
思っております。
ところで全く話は変わってトピずれ
してしまいますが、
青森まではある程度「弥生人」が「縄文人」
と混血しながら北上したのに対して、
北海道には「弥生人」や混血の「大和民族」
は上陸しませんでした。
これは「弥生人」の主たる生業が「稲作」
だからと考えるのが自然だと思います。
近年「縄文人」も一部稲作を行っていた
ことが明かになりつつありますが、
本格的な稲作をはじめたのはやはり「弥生人」でしょう。
北海道は熱帯性植物の「稲」には寒冷過ぎて
近年まで稲作が不可能でした。
そのことが幸いして、北海道には
「縄文文化」や「縄文人」が
アイヌ文化やアイヌ民族となって
残ったのだと思います。
このように幸福にも近年まで残った
「縄文語」「アイヌ語」をしっかりと
研究することは、日本語の起源の
研究にとってとても大事だと思います。
現在、アイヌ語の研究は十分になされて
いるのでしょうか? あるいはまた
古代日本文化であるアイヌ語の保存運動はしっかりと
行われているのでしょうか?
少し危惧しています。
2001/08/08 10:41
>>No. 87
MIKASAYA_HIKOZAEMONさん、はじめまして。私も同じようなことを考えておりまして、「知ってびっくり!古代日本史と縄文語の謎に迫る」(きこ書房)で、記紀・風土記の伝承をアイヌ語で考えることにより、その考えの裏付けとしてみました。
参考さいと:
http://www.dai3gen.net/
2001/08/15 09:32
>>No. 82
皆さんはじめまして。
私は普段は韓国カテにいる者です。
最近韓国語に興味を持ち、色々漁っている最中です。
このトピのテーマにも非常に関心があって一通り読んでみましたが、usokiraiさんの名前があったのでびっくりしました。
これからも勉強させていただきます。
どうぞよろしく。
2001/08/15 12:59
>>No. 87
こんにちわ
>そしてさらに推測を加えると、古代朝鮮語が
「東アジア系のウラルアルタイ語族」の
言語であったと同時に、
アイヌ語も同じく「東アジア系のウラルアルタイ語族」の言語
なのではないでしょうか?
そうですね。ただ、同じアルタイ語族でも、朝鮮語はツングース語派に属し、アイヌ語は古アジア語派に属していると考えられています。一般には、東アジアから極東シベリアの言語は、まず古アジア語派が普及したと考えられています。日本で言うと縄文時代に相当します。
その後、ツングース語派(の満州方言)が大陸でじわじわと拡大しはじめるのですが、ほぼ同時に中国系文化が一気に勢力を広げ出し、その周辺に分布していたツングース語派は、中国系の拡大に押出されるようにして、アムール川方面と朝鮮〜日本方面に伝わっていったと考えるのが一般的でしょう。だから、日本語と中国語には言語的相関関係が見出せないのでしょうね。
2001/08/15 19:26
>>No. 90
>同じアルタイ語族でも、朝鮮語はツングース語派に属し、アイヌ語は古アジア語派に属していると考えられています
”朝鮮語はツングース語派に属し”という通説はありますが、
”古アジア語派”はアルタイ語とは(アルタイ語自体の成立もあやしいのだがおいて
おくとして)関係を見出すのは非常に困難です。
2001/08/16 01:20
>>No. 91
>古アジア語派”はアルタイ語とは関係を見出すのは非常に困難です
そうですね。教えてくれてありがとう。手許の資料や本を幾つか読み直しましたよ。僕はてっきりアルタイ語に分類されるものだと思っていましたが、ただの思いこみだったようです。
>アルタイ語自体の成立もあやしいのだが
これは、時々聞きますね。たいした根拠、類似性もないのに、ひとまとめにしちゃってるというような。。。トピずれかもしれませんが、ヒマな時にでも詳しい事を教えていただけませんか?
2001/08/16 01:33
>>No. 1
ところで、日本語の起源という、このトピの主題ですが、
古アジア語派の、縄文語(アイヌ語の原形)に、一部南方から海を渡ってきた言葉と入り交じりつつ、縄文後期から、朝鮮半島経由でツングース語派が混入し、現在の日本語の原形が出来上がっていった。
というイメージを僕は持っているのですが、どうなんでしょうか。。。細かい枝葉の部分ではいろんな議論はあるのでしょうが、大筋は、こんな感じではないだろうか。
2001/08/25 22:50
>>No. 1
先日のNHKスペシャルでは
縄文人の先祖のかなりの部分は
「ブリヤートモンゴル」であると
紹介されていましたよね。
(樺太経由で日本に渡来したそうな)
だとすると当然、モンゴル語と
アイヌ語(現代縄文語)も親戚関係に
あるはずなのだけども、実際のところ
どうなんでしょうね。
また、以前、ソ連沿海州の部族の
言葉が日本語に似ていた、との投稿も
ありましたが、それもうなずける気が
します。
あと「弥生語」なんていうのは、
あったのでしょうか? 一度に例えば
百万人もの人が日本に来たとは考えにくく
徐々に、日本に来たのだとすると、
縄文語と渡来系の人々の言葉はどの
ように徐々に混ざっていったのでしょうかね。
「弥生人」のかなりの割合が「朝鮮人」だと
仮定すると、日本語と朝鮮語がよく
似ているのも納得できる気がします。
(私は朝鮮語は話せませんが、朝鮮語の
研究を専門にやっている方から、「日本人なら
3ヶ月ほど本気で勉強すれば朝鮮語はある
程度の水準に達する」と言われたことが
あります。まだ勉強していないので
本当のところはよくわかりませんが、
おそらく英語やドイツ語よりは簡単でしょう)
でも、弥生人の中には多分「中国人」も
いたはずだと思うのだけども、日本語の
中に、個々の漢語単語は別として中国語の
痕跡が全く見られないのはなぜなのか
いつも不思議に思っています。
「縄文語」と「中国語」が全く違う
言語なので混ざりようにも混ざれなかった??
朝鮮語と縄文語は似ていたので自然に
混ざり合った??
どうなんでしょうね?
2001/08/25 23:05
>>No. 90
>同じアルタイ語族でも、朝鮮語はツングース語派に属し、
>アイヌ語は古アジア語派に属していると考えられています。
>一般には、東アジアから極東シベリアの言語は、
>まず古アジア語派が普及したと考えられています。
>日本で言うと縄文時代に相当します。
ツングース語派と古アジア語派って
どのくらい似ているのでしょうかねぇ??
自然に混ざり合える程度(英語とドイツ語くらい)なのか?
あるいはほとんど通じない程度(英語とイタリア語くらい)なのか?
どうなんでしょうかねぇ、、
>その周辺に分布していたツングース語派は、
>中国系の拡大に押出されるようにして、
>アムール川方面と朝鮮〜日本方面に伝わっていったと考えるのが一般的でしょう。
現実に古アジア語派の縄文語とツングース語派の
「古代朝鮮語??」が完全に混ざったから
日本語がこうして日本人の間で不自由なく通じる
のでしょうかねぇ??
(方言は別として、日本語(アイヌ語は除く)の中に
違う系統の2つの言語は見出せないので)
>だから、日本語と中国語には言語的相関関係が見出せないのでしょうね。
うーむ、そうなんですよ。でも日本の「稲」
の起源は中国南部という説もあります。
だとすると「弥生人」の何割かは中国人かも
しれないわけで、なぜ、その痕跡が
現代日本語に全く残っていないのか
やはり不思議です。
日本人の先祖から言えば中国系日本語(仮想の言語)と
アルタイ語系日本語(現日本語)
の2つが日本にあってもよいような気が
するのですが、、
NHKスペシャルを次回、次次回も見れば
なにかわかるのかも、、
楽しみです。
2001/08/25 23:14
>>No. 91
>”朝鮮語はツングース語派に属し”という通説はありますが、
>”古アジア語派”はアルタイ語とは(アルタイ語自体の成立もあやしいのだがおいておくとして)
>関係を見出すのは非常に困難です。
すみません。この部分読んだことを
すっかり忘れて投稿してしまいました。
古アジア語派の一つがアイヌ語(縄文語)
だとし、
そして朝鮮語と全く関係がないとすると
現代日本語はどういう位置付けになるのでしょうかねぇ。
私はてっきり
「縄文語(古代アイヌ語)」+「古代朝鮮語」=「日本語」
と思っていましたが、別系統の言語だと
すると日本語と中国語の間のように
「混ざり合う余地は無い」となって
しまう可能性があるのですが、どうなのでしょうかねぇ。
(アイヌ語も朝鮮語も話せない私ですが:- )
2001/08/27 02:03
>>No. 96
は、完全に混ざり合っていますヨ。漢字語、漢語は、五千年の黄河文化のみではない。八千年〜一万年の長江流域文化が、大洪水で滅亡(痕跡が最近まで見付からなかった)している。長江から黄海東シナ海を漂流すれば、朝鮮半島南部と九州に漂着します。
漢字語の隋、唐以降の伝来が明白な物以外の物は、華南語である可能性を否定できない。倭人、倭國の『倭』と、華南語の一人称は、発音が酷似している。朝鮮語の固有語と九州弁には共通語幹が多数存在する。古代倭語と古朝鮮語は共通であった可能性がある。古代朝鮮語は文献資料がなく中世までしか文献では辿れないが、日本語も死語化していて、九州弁に名残を留めていると思われる。漢音、呉音、上古音などと、学術的であるかの様に誤解されているが、宋時代以降の研究であり、黄河文化に偏った物である。華南語(黄河流域の支配前の呉音、北方訛り以前の呉音)の漢字語、漢字其の物も長江流域が起源であろう。以上、福島雅彦説。
2001/08/27 23:05
>>No. 97
はじめ、ましてInkyoと申すもんです。
この、お題、とても興味があります。
日本語と朝鮮語。
日本語とアイヌ語。
日本語と東南アジアの言語。
など、いろいろな時代にいろいろな
言葉が、入って来たようですね。
でも、私の基本的な理解は、以下のような理解です。
文法は、北方系(朝鮮・モンゴルなど)
発音は、南方系(東南アジアなど)。
文法は、語順などが、北方系と同じ
構造を持っていること。
また、発音は、日本語の単語のほとんどが、母音で終わっていること、および擬音が多いこと。
に由来するようです。
そうすると、基層となった民族は、
北方系なんですかね南方系ですかね。
文法の方が普遍性があるのか、
それとも、
発音の方が普遍性があるのか?
それとも、偶然の産物なのか?
よろしく、お願いします。
2001/08/28 01:09
>>No. 98
私は、縄文時代から弥生時代にかけて、多方面から、日本列島に人が移り住んだ名残だと、認識しています。
稲作を持ち込んだ、華南人の言語(語彙)が、幅を利かせている所へ(農耕・祭祀)、少数の北方系の渡来人(機動性・武力)が、統治者として入植した、と。
統治者は被統治者への言語伝達として、彼等の語彙を自分たちの語順に並べて使ったであろう、と。
2001/08/29 23:44
>>No. 99
yamattaiさん。ありがとうございます。
うーん。とすると、大ざっぱに言うと、
文法は、財産や権力や論理、どちらか
というと父権的な方向へ。
語彙・音韻は、祝祭や生活や情緒的な
部分、つまり母性的な方向へ。
と言う傾向は、世界普遍的な傾向なんですか、
それとも日本語固有の傾向なんですか?
興味は尽きません。
では。
2001/08/30 16:44
>>No. 99華南人の言語、というのは何という名前の言語ですか。その辞書にはどのようなものがありましょうか。(買えそうなものなのだろうか・・・)
2001/08/30 19:33
>>No. 1
すみませんが、どこのトピックで聞けばいいのか迷ったんですけど、
一番ここが博学な人が多いかなと思いまして・・
本題なのですが、日本語で「しじむ」っていう表現はありますか?
もしかすると古文っぽいのですが、辞書を調べてみてもなくて・・
宗教用語かも・・
あと、「天と地がしじむ????」
みたいな使い方をするらしいのですが・・
どうか分かるかたがいらっしゃれば返答待ってます。
よろしくお願いします。
2001/08/30 21:37
>>No. 102
単に「縮まる」の意味でしょ。
古語辞典によると平安期までは、しじむ。
院政期から「ちぢむ」になったそうです。博学じゃないからすぐ辞書を引きました。
2001/08/30 23:30
>>No. 95
NHKで日本人のルーツに関する番組が
始まったとか?1回目はもうすでに放送
済みなんですね。
もうTVを捨ててから5年も経つので、
TVにほとんど関心がないんですが、
そういう番組あるなら、またTVを買ってみようかな。
私が、是非その番組で、見てみたい(聞いてみたい)のは、
縄文人がどんな言葉をしゃべっていたのか。?
また、その言葉は、現代の日本人にも理解可能な部分があるのか?
あと、本当に、アイヌ語と縄文語は
近いのか?ってとこです。
では、また。
2001/08/30 23:57
>>No. 103
お返事ありがとうございます。
辞書を調べたところ「しじむ」→「縮む」とは載ってたのですが、
出てくる言葉の中で、
「天地初めてしじむ」
となっていたので、意味が通らないと思いまして・・
この文の意味はどうなのか分かりませんかね??
2001/08/31 00:39
>>No. 104
縄文語の再構築の試みは崎山理さんが一番熱心か、と思います。古いですが、97/02に新聞に載っていた同氏監修の縄文語(案?)を下記で評論しています。
http://www.dai3gen.net/joumongo.htm
2001/08/31 00:41
>>No. 105如何でしょう、ここの皆さんにも考えていただくにしても、もう少し文脈があったほうが良くないでしょうか。。。ビッグバンの前の話なのか、、、とか、(^^)
2001/09/04 00:52
>>No. 101『華南語』とは、私が勝手に定義して呼称しているだけです。其の範疇は、『福建語、広東語、客家語、少数民族諸言語』等です。これらの言語と古代倭語(九州弁・朝鮮語に臍の緒を留める語彙)の付き合せ、比較検討の最中です。
2001/09/04 10:39
>>No. 108華南語に関してですが、越語、というのがあって「揚雄の『方言』などに呉越の単語がたくさんのっている」ということですが(『日本語の形成』崎山理編、三省堂、p457-)現在の(?)「福建語、広東語、客家語、少数民族諸言語」とはどういう関係になるのでしょうか。ご存知でしたら御教示ください。
2001/09/10 02:45
>>No. 1
現在私たちが使っている言葉は、さかのぼってどれくらいの時代まで通じるのですか?
戦国時代や平安時代の人の手紙など読んでもさっぱりわかりません。。。
2001/09/10 06:48
>>No. 110
この質問ってとっても幅広いものじゃないかと思いました。
1.字が読めないのか(手紙、とあるので)
2.単語がわからないのか
3.文法が違うからなのか
2.に関して云えば「現在使っている言葉」には
・古来のやまとことばがあるも意味範囲が変わっているものもあるでしょう
・漢語からの借用も多数あり、昔頻用されたもので今使われないもの、今好んで使われるけど昔は使ってなかったものなんかがありそう
・そして主として明治以降の西欧からの借用語、こんなんは平安時代の人はわかりっこない。。。
・新造語、これも昔の人にはわからない
極端に言って、大正時代の人に「チョベリバ」なんかは、まず判らない。
話し言葉のスピードがとても速くなってるように思う。年齢とともに(?)、TV見てても、余程真剣に聞き入らないと何を言ってるのか把握出来ないことがある。語彙・文法の違い以前に、今の言葉は「聞き取れない」公算が高そう。
以上個人的大いに主観による雑感です。
2001/09/11 12:36
>>No. 87またぎ言葉に アイヌ語と類似している語彙があるそうですが 東北蝦夷の言葉の名残でしょうか?
2001/09/18 18:52
>>No. 112
レスがないようなので・・・
確かにまたぎの言葉にはアイヌ語と音も意味も一致する語彙があるようです。
http://isweb2.infoseek.co.jp/~maoda/matagi.html によるまたぎ語彙の中ではわし
?/a>
せた 犬
わっか 水
きとびろ 行者大蒜
まきり 小刀
などがアイヌ語と共通(類似)です。
またぎの言葉の大綱が日本語なのでしょうから(そうかな?)単なる語彙の借用に過ぎないのではないかと愚考しています。
東北蝦夷とは、どうもアイヌ語の使い手だけではない、日本語の使い手で税金逃れした人なども蝦夷の範疇だ、という論議があるようで、これらのまたぎ/アイヌ共通語彙が東北蝦夷の名残、と言い切るのは難しいようです。でも、東北蝦夷の内、アイヌ語の使い手の言葉の名残、とは言えるのではないかと思ってます。
2001/09/23 12:47
>>No. 113
「せた」とか「わっか」は日本語からの借用?アイヌ(蝦夷)語からの借用?
カムイは日本語のカミからの借用ということになってますけど こんな重要単語借用するのでしょうか?言語学的に 誰か教えてください!
2001/09/24 09:38
>>No. 90
>ただ、同じアルタイ語族でも、朝鮮語はツングース語派に属し、
>アイヌ語は古アジア語派に属していると考えられています。
アイヌ語はアルタイ語には入らないのでは?
文法構造が日本語や韓国語やツングース諸語とまるっきり違います。
それに古アジア語は系統が同一でないようなものも便宜的に一括しているに過ぎないのでは?ニブフ語とアイヌ語では語彙や発音体系が到底似通っているとは思えん。
2001/10/04 22:32
>>No. 1上げます
2001/10/13 00:25
>>No. 1
縁もゆかりもない。
東アジアの中で中国語(支那語、漢語)だけが異質なのだ。
日本語よりも中国語の起源の方が謎ですね。
2001/10/26 00:34
>>No. 117
西方か。
漢字も西方文字の影響を受けているという学説がある。
2001/10/26 09:23
>>No. 118中国、山東半島の付け根にあるリンシから出た人骨のミトコンドリアDNAを調べたところ、2500年前のものはヨーロッパ人に近く、2000年前のものはウイグルなど中央アジア人に近く、そして、現代のそこの人はモンゴル、キルギスなどと近い、という。(『日本人はるかな旅1』NHK出版p146)中国古代史の大幅な見直しにつながるかも知れない。
2001/10/27 08:42
>>No. 119金髪だった中国人…とはいえ、残存する絵画や像はどうみてもモンゴロイド。山東半島などに点々と彼らはいたのでしょうか。
2001/10/27 09:08
>>No. 1
現代日本語と現代韓半島語との比較、あるいは古代日本語と中期朝鮮語(吏読)との比較で、両者が類似している単語の相当部分が、ドラヴィダ語と類似している、という大野 晋(すすむ)先生の主張を検証していますが、確かに大野音韻法則に従えば、両者はドラヴィダ語に収斂されます。
タミル・レキシコンを見ると、かなり日本語の語源と思われるものがあります。
2001/10/27 11:29
>>No. 120
>金髪だった・・・
呉孫権は紫髯を持っていたと(演義では更に碧眼)いうのも現実味を帯びてくる、のか?(碧眼、に関しては眼光の鋭いことの訛伝かも。)
2001/10/27 21:19
>>No. 117
何がしかの、縁がありそうです。
厳密な意味の漢語ではなく、漢語にも影響を与えたであろう、華南語?が…。
それを、『橘』の語源考察から論じて見ます。
『橘』は、漢字音では、漢音「キツ」、呉音「キチ」であり、「たちばな」とは似ても似付かない。朝鮮語でも(gyul)で、此れも関係無い。
結論から先に述べて説明する。
【到致花】である。
『花』の語源も、華南語か?と思われる。
大漢語林・大修館書店によれば≪「国」桜・梅の事を指す(大意)≫とある。
物事の始まり、端緒の事を「はなッから」と謂う。桜も梅も葉より先に「花」が咲く。
朝鮮語の固有数詞の「一」も(hana)と謂う。倭語・韓語に共通の語義である。
以上を踏まえて…。
※『橘』⇒原種に近い夏みかん(八朔などの改良種ではない)は、実が実っても収穫しないで放置していると、次の季節の『花』が咲いても、【腐らず】に成っている。この特異な状態の説明的文字使いが『到致花』である。他の如何なる果実も、熟した儘放置すれば、腐って落ちてしまうのである。
以上、福島雅彦説に就き、無断転載禁で取り扱い下さい。
2001/11/03 06:20
>>No. 117
>縁もゆかりもない。
>東アジアの中で中国語(支那語、漢語)だけが異質なのだ。
>日本語よりも中国語の起源の方が謎ですね。
そうなんですよね。誰がどうみても
日本語の起源と、中国語の起源が
別であることは明らか。個別の単語は
別としても。
なぜなんでしょうね。日本語と朝鮮語の
起源の共通性や、現代日本語と縄文語(古代アイヌ語)の
類似性を検討することはいろいろ学術的にも
意味がありそうですが、
なぜか東アジアの言語の中で中国語だけ
異質なのですよね。
もっとも中国語とチベット語は、
「シナ、チベット語族」と言われていて、
日本語と朝鮮語のような親戚関係にあるそうですが、
ほぼチベット語のみでしょう。
日本語は朝鮮語、アイヌ語(現代縄文語)、
そしておそらくモンゴル語、ツングース語
などとも関係ありそうですが。
2001/11/03 08:39
>>No. 121
ついに発見されたとは、しりませんでした。
ポインタをお示しいただければ、幸いです。自分も見たいもので。
2001/11/03 20:51
>>No. 125
ここで書くと、多量になりますので「日本語の形成」(岩波書店)を参照してください。
この書に対して、言語学者は沈黙を守っていますが、それは無視しているわけではなく、反論できない、という気の毒な状態にいます。
むろん、いちゃもんなら何でもつくでしょうが…。
2001/11/18 13:06
>>No. 1
両者の文法の作りは似ているのでしょうか?
アイヌ語の知識が全くないので知りたい。
また、卑弥呼、邪馬台国、は当時の発音で
はどうなのか・・・・
質問ばかりで申し訳ない・・・
2001/11/19 22:33
>>No. 127http://www.dai3gen.net/index_j.html
2001/12/01 22:49
>>No. 1
母音が多く、基本的に母音+子音の言葉でできてるそうな。
発音は日本語に似てるみたいだ。
詳しい方いらっしゃいますか。
2001/12/03 22:06
>>No. 18
これはある情報からですが,ヒミコがカタカナを作ったとカタカナ文字全ての意味が書かれてたのを知っています。
わかりやすいのでキ=木の札にキロクしたものを綴じて保存。(ヤマタイコクを滅ぼしたヤマトの者が隠していた)
ツ=肉体と霊(点)と魂(点)が離れるとツミな事をする。シ=肉体から霊や魂が空に上っていって離れるとシヌ。イ=頭を下げてイノル。ワ=ワになる。サ=サス(めざし)。ト=ちょっと支えてくれるのがトモ。などです。
ちなみにギリシャ文字の意味も同じ情報から全て知らされています。オームが前方後円墳の形になった意味も。
2001/12/08 12:58
>>No. 130の情報ですか。あまりにもひどい。
2001/12/12 10:13
>>No. 1
日本語の語源について、私も常に興味があります。
そこで、一つ質問させてください。
日本には、多分太古から動物の「虎・トラ」が存在しないのに、
「とら」という大和言葉はありますよね。
この言葉は、勿論漢字「虎」の音から変化したもではないですよね。
やはり朝鮮語の「ホドリ」の「ドリ」の部分が、古代に変化したものなのですか?
だれか知っていれば、教えてください。
2001/12/26 01:53
>>No. 127
最近の研究では、日本人のルーツはシベリアが注目されている。
アイヌもその一派なのか。
あるいは、寒冷適応していないモンゴロイドなのか?
2001/12/27 00:44
>>No. 133最近のNHKスペシャルあたりからそういう印象を受けたのでしょうが、あの話は茨城の中妻縄文遺跡から出てきた人骨のミトコンドリアDNAを検査したら、9種類あった、その内の1種類がバイカル湖畔周辺の人のDNAとパターンが一致したということです。あとの8種類を無視して、一体何をやってるのか、と苦々しく思っています。日本人のルーツは多数あるんでしょう。バイカル湖畔もゼロとは言わないけど、決してマジョリティでもない!
2002/01/03 22:48
>>No. 132タミル語でトラをtarakkuといいます。このtaraかも知れません。
2002/01/04 22:28
>>No. 135
御返答ありがとう御座います。
タミル語にも似た様な発音が有るんですね。
確か、大野晋氏も、タミル語に日本語の起源を示されていましたよね。
インド南部と日本に共通の習俗が、言葉以外にも、なにか有るんでしょうか?。
まあ、後に渡来した仏教は、別とし、日本とインドは、根底でつながる
何かがあるんでしょうか?
私には、 インドと日本、なんか遠いな。と、思うんですが。
2002/01/17 11:28
>>No. 1
はじめまして。このテーマにはかねてより関心があり、疑問は尽きることがありませんでした。日本語と他言語のみならず、同じ日本語の中でも方言についての興味もあり、それらも交えて考えていきたいと思っています。
さて、私は市井の雑学好きに過ぎないので正直専門知識も何も持っていません。従って、素人の戯言として聞いていただいたら結構です。
私個人の意見としては、日本語と韓国語について比較研究した本などを読んだ感想から言えば、この両者は文法構造は似ているが、基本言語、すなわち(中国からの)外来語でない単語などに関しては、ほとんど共通性がみられないようです。これは、両者がやはりかなりかけ離れた存在であることを意味してはいないでしょうか?
そして、両国の文化の違い。最も顕著なものが肉食に関しての食文化の違いです。もし朝鮮半島とそれほど深い関係にあったのなら、日本文化の中にももっと肉食の要素が強くても良いはずですが、日本は世界でもめずらしく肉食に関して淡白です。魚食民族と言ってもいいでしょう。(当然、江戸以前の話です)
もちろん、半島にも魚食の習慣はあるみたいです。私は行ったことがないので、詳しくは知りませんが、それにしても和食と韓国の食事とはあまりにもかけ離れているように思われます。
香辛料の使い方などにも現れていますね。
どの程度の時間的スパンで言語が孤立化するのかはわかりませんが、例えばヨーロッパ系の言語などは明らかに今でも同系等の単語や文法構造を共有していて、歴史的共通性はアジアとは全く違います。だからこそユーロ経済圏なども可能なのでしょう。
アジアで共通性があるのは、中国とその南部に広がるインドシナ地域ではないでしょうか。
その点、日本語は明らかに孤立言語です。韓国語はどうか知りませんが、モンゴル語などと共通性は何かあるのでしょうか、文法以外で。そのへんはあまり詳しくないのでわかりませんけど。
私は、日本語がかつて韓国語と方言程度の差しかなかったと言うのは到底信じられません。少なくとも歴史時代に入ってからはそういうことは無かったと思います。そしてこれは、日本人の祖先がどこから来たかと言う事とつながってきます。
日本文化の特色を総体で考えた上での推測では、やはり民族の基盤となる集団は南方からやって来たのではないでしょうか? 木で出来た風通しの良い家の構造、魚食などの食習慣、いれずみの習慣、ふんどしや着物など衣類の形態はそれを物語ると思います。
縄文人という日本の先住民族は北方系か南方系かというのも議論が分かれるみたいです。ただ、基底に流れる文化が南方系であることを考えれば、はるか古代に南方から渡来してきた可能性もあると思います。しかし、これについてはまだ謎が多いようで、よくわかっていないようです。
(続く)
2002/01/17 11:28
>>No. 1
問題は後に明らかに渡来してきて、弥生時代をもたらしたと見られる民族のルーツです。彼らは最近の研究では中国南部にその起源をもち、文化的にも共通性があるみたいです。これらからは、むしろ日本文化の基底の多くの部分がこちらからもたらされた可能性も高いのです。そして、こちらも北方系ではなく、南方系なのではないでしょうか。
すると、縄文人のその後についてはいろいろなケースが考えられます。
ひとつは、もともとの先住民である縄文人が渡来人に北へ押しやられ、その子孫がアイヌになったという仮説。
もう一つは、縄文人と渡来人が次第に混血同化していき、弥生人を形成したと言う仮説。
そして、私はこれが妥当だと思うのですが、縄文人は先進文明を持った渡来人に征服される過程で次々に帰順同化していったが、中には服属を拒否する「まつろわぬ民」がいて、それらが後に「蝦夷」(えみし)と呼ばれた。彼らの一部はその後どんどん北へ押しやられ、その子孫こそアイヌであるという仮説。
言語の問題に戻りますと、新たな仮説を立てれば、当時中国南部の一地域で使われていた言語は現在の中国語とは別系統であり、その一派が海を超えて列島に渡来したと考えれば、矛盾無く説明がつくように思われます。そして、もともとそこにいた渡来人の祖先は現在の中国語系の種族に帰順同化してゆく過程で言語は消滅してしまったといえるのではないでしょうか。
つまり、現在の日本語のルーツにあたる言語は古代に存在したが、それが歴史の過程で滅んでしまったため、現在どこを探しても存在しないのではないかと考えるのです。
そして、縄文人がもともと使用していた言語ですが、これはやはり渡来人の帰順政策により渡来人の言語に置き換えられていったと考えられます。そう考えるとやはり、現在のアイヌ語こそ、古代縄文人の言語を引き継ぐ唯一の言語だと推定されます。
現在の韓国については、明らかに大陸北方系民族をその基底に持つと私は考えます。過去、半島南部の住人が日本と共通であった可能性は否定できませんが、いずれにせよ彼らはその後半島全域を支配した北方系種族に帰順同化されてしまったのではないかと考えます。
したがって、現在の韓国と日本の共通性については、地理的に強調されるほどのものではなく、少なくとも言語についてはほとんど縁は無く、日本語は現代ではやはり孤立言語と言わざるを得ません。
2002/01/18 00:04
>>No. 138
古代倭語の死語が朝鮮語に臍の緒を留めている語彙が多数存在する。朝鮮語固有語と特に九州弁には、共通語幹語が在る。漢字語の中には、和製漢字語が在るので要注意。
朝鮮半島と九州には、江南八千〜一万年の稲作文化が、長江の大洪水(千年単位)で東支那海へ押し流され、漂着したと思える。現代でも漁師が遭難して漂着する。
朝鮮の唐辛子は日本経由で流入したが、寒い土地柄から日本より多用されるに到ったと思われる。
…etc、長くなるので、筆を置く。
2002/01/18 08:40
>>No. 139
タはタミル語、韓は韓国語。
朝鮮語と日本語の「基礎語彙」の一部はタミル語の可能性があります。
タ cati-ttal to polish(磨く);
韓 sit-ta 磨く。(咸南・北方言) タ韓a/i交替。
タ kana-ttal to break;
韓 ha:n-da 壊す。(慶北・慶南方言)。
韓 ken-da 壊れる。(各地方言);
タ matti-ttal 1. to destroy; 2. to break;
韓 masu-da 壊れる。(定平方言);
韓 pasun-da 壊れる。(忠北方言);
タ cay-ttal to break;
韓 ke-da 壊れる。(標準語);
韓 kau-da 壊れる。(高原方言);
韓 keu-da 壊れる。(龍川方言);
タ pari-tal to break off(ポキンと折れる);
韓 ha:l-da 壊す。(慶北・慶南方言他);
韓 hal-da 壊す。(慶北・慶南・済州方言他);
韓 hara-sa 壊す。(慶北方言);
2002/01/18 13:42
>>No. 140現在どのあたりで話されているのですか?
2002/01/18 15:28
>>No. 141とても日本語の起源になったとは考えられないということは、念のため申し添えておきます。
2002/01/18 16:39
>>No. 142
偶然の一致というのはありますからね。
例えば日本語の「名前」と英語の「name」、「そう」とおなじく「so」など・・・。
文法構造と基本単語が別起源ということについても、何か無理があるような気がします。どこの言語でも身体の名前など、外来の借用語でない単語はそのまま残っているみたいですし、全てが借用語に駆逐されるとは考えにくいのです。北方系の文法体系に南方系単語が混ざりあったというより、やはりもともと体系的な祖語があったのではないかと思います。
だから、現在世界のどこにも見当たらない日本語のルーツと思える言語は、過去にどこかに存在したが、その後消滅してしまったと考えるのが妥当ではないでしょうか?
2002/01/19 14:09
>>No. 140
だれかあたしに韓国語教えて下さい☆
ちゃんと教えてくれる人探してます。
イタズラは辞めてください。
お願いします。
2002/01/21 15:22
>>No. 140
タ cimai 1. boundary(境界), limit(範囲); 2. country(国土), territory(領土), district(地区);
日 sima 島。島荒らしの「島」。
タ matagk-an hunter(猟師);
日 matag-i またぎ(猟師)。
こういう一致が実に多いということは無視できません。むろん、色々な見解があるのはいいことです。
伊邪那伎命が月讀命に対して、
「『汝命は、夜の食國を知らせ』と事依さしき。」(古事記)
「食国(をすくに)の天下の政(まつりごと)はひとり知る(専制する) べきものにはあらず。」
『後二条師通記』[藤原師通(1062−99)]
タ occ-u to govern(治める); to wield(統治する) ; to sway(支配する);
日 wos-u 食(をす)国。食には「養う」という意味があり(大漢和v12-p371)、これを
充てはめた可能性もあるが、むしろタミル語ac-i食べる)が日本語wos-u
と交替する(食べ物を「袁志物(ヲシモノ)」という例が日本書紀にある)
ところから、食べることを「ヲス」といい、これに「食」の漢字を充て、
そのまま同音のocc-uにも「食」の漢字を充てたものと思われる。
したがって、「天皇の乎須久尓なれば」(万17-4006)は、「天皇の統治する
国」という意味になる。
タ ac-i to eat;
日 wos-u 食す。
これらを偶然とするには、対応語すべてに対して、偶然であるという論証が必要です。
2002/01/21 15:40
>>No. 145
少し長くなりますが、これほどの一致を偶然として整然と論破できるのかどうか、私はむしろ、作業仮説としてでも、タミル語を受け入れるべきではないかと思っています。頭から否定するには似すぎています。
<ナカ系>
タ nak-ai snake(ヘビ)
琉 nag-i 蛇(沖縄方言ナーギ);
沖縄でアオダイショウをオーナギ・オーナガという。
日 nag-a=musi ヘビ 青森・奥多摩・岡山方言
日 nag-a=mui ヘビ 福江方言
タ en-ai eel(ウナギ);
日 un-agi ウナギ;en-nakai(ウナギ・ヘビ)>un-agiか。
日 an-ago アナゴ;
日 oka-unagi 陸(りく)ウナギ 山梨方言(ヘビ);
<ムシ系>
タ pucc-i 1. insect(昆虫), beetle(甲虫), worm(虫) or any small reptile(小さな爬虫類);2. worms in the intestines(腸の虫);
日 mus-i 虫; p/f/m交替。
ナガムシはnakai-pucci(ヘビ虫)か?
「長(ナガ)シ」と交替するタミル語がない。「長い」はヘビを意味するnakaiからの転か?
<クチ系>
タ kuz-ai dwarf snake(醜い蛇・ちっぽけな蛇);
日 gutt-u: 徳島方言
日 yama=gat-i 茨城方言
日 kut-ina 兵庫方言
日 kut-ina: 和歌山方言
日 kut-una 奈良方言
タ kott-an snail(かたつむり);
日 kat-a=tumuri かたつむり。
タ umai conch(巻貝);
日 mai-mai 巻貝。
タ namp-u 1. anything lean(何とも貧弱なもの); 2. small climber(小さな這い登るもの)
タ kattir-am snake(ヘビ);
日 nam-e -mp-/-mb-交替。列島内で-b-/-m-交替。
日 nam-e=kuzi ナメクジ。a/u交替。rの脱落。
日 nam-e=kuziri ナメクジリ(法華経玄賛・平安中期点);name-kattiraの転。
タ kutt-ira・cagkam snail(かたつむり);
日 kuti=nafa クチナワ;
日 aki=nafa
<カカ系>
タ kakk-am a common creeper of the hedges(垣根の普通の蔓草);bitter snake-gourd(苦いヘビ瓜);
日 yama=kag-ati ヤマカガチ
日 yama=gak-asu ヤマガカス
haha ヘビ。「古語拾遺」(807)に、「古語に大蛇を羽羽(ハハ)といふ」とある。k/h交替。
<パ系>
タ pa snake(ヘビ);
日 ma=musi マムシ;p/f/m交替。
琉 po: ポー(琉球多良間方言ヘビ):
fa>ma>mi 巳(み)?
<タカ系>
タ takk-an a divine serpent(神聖な蛇),
琉 tak-o:ra 琉球鳩間方言(ヘビ)。
<マチ系>
タ matt-i coiling, as of a snake(ヘビのごときトグロ・輪);
日 maz-iumun マジゥムン(琉球名瀬古方言ヘビ);トグロを巻く虫。
-tt-/-nd-/-d-/-z-交替。
<ナカ系>
タ nakai snake(ヘビ);
<オロ系>
タ ar-a snake(ヘビ), serpent(邪悪なヘビ);
タ ol-am snake(ヘビ);
日 wor-o=ti オロチ・大蛇
タ ti evil(邪悪);
タ te 1. the deity(神性・神); 2. chief(主), lord(王);
タ tey the deity
日 ti チ;e/i交替。
以上から、日本語接辞「チ」は「神格」「主(ぬし)」を主にあらわすものと推定される。
日 notuti no-ttu-ti ノツチ[ヘビ・・・野ツ神(野の神)];
タ arac-u 1. king(王); 3. kingdom(王国), territory of a ruler(支配者の領土);
a-/o-交替。-c-/-s-/-t-交替。
日 oroti オロチ
タミル語araは「snake(蛇), serpent(蛇)」ゆえ、aracuと類似しているところから、「ヤマタのオロチ」は山田の王≒大和の王(甲・乙類は別として)で、王をオロチに差し替えたものとも考えうる。
[参考]
aruccai 1. worship, adoration; 2. deity
vilaci 1. Ka1ma; 2. moon; 3. Siva; 4. Visnu; 5. fire; 6. snake
<ハブ系>
タ pamp-u snake, serpent(ヘビ);
琉 fab-u ハブ(ヘビ)
日 feb-i ヘビ
日 femb-i ヘンビ
日 fem-i ヘミ
2002/01/21 16:04
>>No. 146
タミル語の文法構造は日本語と同じですか?
仮に中国の南部に日本人の源流がいたと仮定したら、地理的に言ってタミル語の単語が流入した可能性は完全には否定出来ないと思いますが。いずれにせよそれは単語レベルです。逆に、日本人の源流側から逆にタミル語に流入した可能性もありますよね。この仮説を前提にすれば。
あげられた例にしても、日本語とタミル語のすべての単語の数は膨大なもので、そのうちの何パーセントの一致度があるのかが問題ですね。
偶然の範囲に入るのかどうか。
2002/01/21 19:40
>>No. 144今、ソウルに留学中で4月に帰ります。福井に住んでるようで、直接、会って教えることはできない距離ですけど、メールでよければいろいろお答えしますよ〜^−^
2002/01/21 21:44
>>No. 147
となると、アルタイ語と日本語の比較すら、ナンセンスになりませんでしょうか。
祖語の構築と言いましても、学者によって再構形は異なる上に、そもそも何パーセントの一致か、タミル語よりも怪しいものです。
たとえば「歩く」ですが
タ olk-u to walk(歩く);
日 aruk-u 歩く。
日 arik-u 歩く。o/a交替。
タ ulatt-u moving to and fro(あちこち動く);
日 urot-uku うろつく。
ロイ・ミラーは、日本語「歩く(aruku、ariku)」は、アルタイ祖語の*padak(足)の歴史的発展だとしています(村山七郎訳「日本語の起源」p176)。
タミル語olkuよりpadakの方が似ているとはとても思えません。しかも調音点の移動などから推定した祖語であり、つまりはフィクションです。
それに、以下のような家族語のタミル・日本語間の顕著な類似は、アルタイ語からも南方諸島語からも見出せません。
あくまでも作業仮説ですが、タミル語のこの類似は、門前払いを学者がくわすほどには、低次元のものではないと思われます。
タ mittir-ai lady's maid(婦人付き女中);
日 mitar-u みたる(嬢)。『字鏡抄』
タ cami lady(婦人), mistress(女主人);
日 kami 女将。かみさん。k>c交替。
タ amma 1. mother(母); 2. lady(女);
日 amma 母(方言)。女(蔑称)。
タ tozi a lady's maid(婦人付き女中); wife(妻);
日 tozi 刀自。
タ ill-al 1. wife(妻), mistress of the house(家の女主人);
日 ira-tu-ko いらつこ。 illa ttu ko(妻の子)
日 ira-tu-me いらつめ。 妻の(産んだ)女。 書紀は「娘(子)」の漢字を充てる。大嬢(おほいらつめ)。
允恭天皇と押坂大中姫との子は名形大娘(ながたおほいらつめ)、軽大嬢(かるおほいらつめ)、
但馬橘大嬢(たじまたちばなおほいらつめ)。
il wife(妻);
ir-o いろ(恋人)。
2002/01/21 21:57
>>No. 149
ニックネームtsuratは旧称です。間違えました。
ついでに書き込みます。月経という生理現象に関するタミル語は、日本語の本来の意味を教えてくれる点で極めて示唆に富みます。
なぜなら、ツワリもカニババも本来はメンスのことであるという、医学上の理解を裏付けるものだからです。
タ tukkai menstruation(月経)。
日 tuki ツキノモノ(月経)。
タ pu menstruation(月経)。
日 fu 月経。奥出雲方言。
タ tuvalai excessive menstruation(過度の月経)。
日 tuwari つわり(きざすこと);
タ kannippuppu first menstruation(最初の月経);
タ kanni sprout(新芽); kanniはhana(花)と同語源。
タ puppu 1. flowering(花を開く), blooming(栄えている);
2. menstruation(月経);
日 kanibaba カニババ。生後十二時間以内の第一回目の胎便。
2002/01/22 18:28
>>No. 1
では、いつ、どのようにタミル語をもつ人々は日本列島にやってきたのでしょう?民族学的考古学的人類学的根拠があるとしなければなりません。それほど日本語とタミル語とが、近い関係にあるのなら。
基礎語彙において、日本語とタミル語とは、ほとんど類似する単語は見出せません。関係あるとするなら、何故類似しないのか、あるいは、基礎語彙リストに問題があるのかを、根拠を挙げて説明する義務があります。
タミル語が日本語の起源であると主張するためには、難題が山積していると言わざるをえません。
2002/01/22 20:30
>>No. 151
いかにして渡来したかは、今のところ想像の域を出ません。
基礎語彙において、タミル語と日本語にほとんど類似する単語がない、という場合、調べ尽くして「ない」と断定する場合と、「あるはずがない」から「ない」と断定する場合の二種があります。
基礎語彙は多くの点で対応しています。家族呼称、また「行く」「出ず」「入る」「射る」「起く」「手」「足」「森」「島」「物」「事」「昼」「闇」「日」と最低500語の対応(大野 晋「日本語の形成」)のほか、私がタミル・レキシコンから大野音韻法則にしたがって抽出した200語
(ただし私はタミル万葉集とも言われるAD100前後のサンガムにはあたっていませんから解像度は大野氏より落ちます)は現状で提示出来ます。
以下は「今」と「黄泉」の対応です。
タ ippam now(今), at the present moment(この現在の瞬間);
タ imm-ai the present birth(今あるさま), the present state(今ある状態),this life(今の世);
日 im-a 今
タ umm-ai life beyond the grave(墓の向うの世), existence after the present life(現世の後の存在);
日 yom-i 黄泉
以下は同音異義の一例。
タ tik-iri bamboo(竹); mountain(岳・嶽); ; royal authority(王の権威);
日 tak-e 竹・岳・嶽・威(たけ・・・権威)/建(たけ)・武(たけ);riの脱落。
i/u交替。u/a交替。
以下は、ぼんやり、あさはか、ばか、まぬけの対応例。
タ payal-i stupid fellow(愚か者), dunce(のろま); p/b対応。
日 bonyar-i ぼんやり(利口でない様)
タaccavaka-n stupid dunce(間抜けな劣等生or間抜けなのろま)
日 asahak-a あさはか(浅薄)[奥行きがなく、浅い感じである様。考えが浅い様]
タ pull-ai dull(なまくら)
日 bir-i びり[使い古して本来の状態が抜けた布。]
日 bor-o ボロ。
タ mantuk-am . fool(馬鹿); -ntu-/-du->-n- 日本語内でdu/nu交替。
日 manuk-e 間抜け
タ pugk-an fool(馬鹿); 既出 p/b交替。
日 bak-a 馬鹿
広辞苑は「サンスクリット語mohaの意か」とする。hの古音がkh音だとすれば、moha>mokha>bakaで音韻対応する。一方、タミル語uは日本語o(乙類)に対応する。oは日本語内でaと交替する。
以上のように切りがありません。ただし、以上は大野氏の対応リストには掲載されていません。タミル・レキシコンは13万語あります。すべてを比較するには、多くの参加者が必要です。
2002/01/22 20:35
>>No. 152
tsuaratがデフォルトになっているため、つい間違えてしまいます。
以下の対応はpendingです。
タ payal-i stupid fellow(愚か者), dunce(のろま); p/b対応。
日 bonyari
日本語の-n-の介入に自信がありません。
2002/01/22 20:48
>>No. 153
タ kuz-ay 1. tube(管;くだ), pipe(くだ); 2. tubular cavity(管状の空洞);
日 kud-a 管(くだ);「時代別国語大辞典上代編」に、「和名抄は糸巻きを意味するクダをあげる。いずれも管であり、管すなわち中空の筒を意味するクダの語の存在が認められよう」とするが、タミル語にそれが認められる。z/t/d/s対応。
タ kuz-ay hollow(穴);
タ kuz-al flute(横笛), pipe(筒);
日 kus-a=bue 草笛(横笛、麦の中ほどを破って作った笛);
タ kuz-al 1. curling hair(巻き毛); 2.human hair(人の毛髪);
日 kus-iro 髪梳(くしら)[隼人の方言(「大隈風土記」)という。頭髪という説と頭髪をくしけずることという説がある。タミル語とすると「人の毛髪」であろう。
タ kuz-am 1. herd(家畜の群れ), flock(群れ);
日 ked-a=mono ケダモノ(獣);u/e対応。
タ kuz-ai tender leaf(柔らかい葉), sprout(芽), shoot([驚き・ いらだち・後悔などを表わして]クソッ!)?;
日 kus-a 草(柔らかい茎を有する植物);
タ kuz-ai to become soft(柔らかくなる),to mashy(ドロドロにする), to pulpy(汁が多くある);
日 kud-a=mono クダモノ(汁が多いもの);
タ kuz-am swarm(うじゃうじゃした群れ);
日 kus-a 種(くさ);民草など(通説は雑草のように生じる民とする)。
タ kuz-ai pipe(笛);conch(ほら貝などの巻貝);
日 kud-a 小角(クダ・・・軍陣に用いられた笛);
タ kuz-ai dwarf snake(醜い蛇・ちっぽけな蛇);
日 kuti-nawa クチナワ(蛇);朽ち縄とされている。
日 kusa-nagi 草薙の剣は「へび」薙の剣か。nagiについては、沖縄でアオダイショウをオーナギ・オーナガというところから、kuz-al(とぐろを巻いた)ナギ(ヘビ)ということか。
タ kuz-a to become addled(腐る);
日 kus-aru 腐る。
日 kus-ai くさい。
タ kuz-ai to reduce(下げる);
日 kud-aru 下(くだ)る;
タ kuz-ai to bend(曲げる);
日 kuz-iku 挫く(曲げて砕く。)
タ kuz-ai to pulp(ドロドロになる),to mashy(ドロドロにする)
日 kud-asu 下す。降す。
日 kud-asu 腹を下す。きたねえ・・・。
日 kus-o 糞。
2002/01/22 22:04
>>No. 152
かかるものがあれば、お示し願いたい。
自分が、「日本語の形成」でみたものは、似た言葉を挙げたものに見えてしょうがないのです。
自分の疑問は、
(1)数詞の問題
(2)タミル語のソリ音の痕跡がまったく残っていないこと。
(3)名詞の性も認めがたいことです。
2002/01/22 23:34
>>No. 155
?長・短母音a,i,uは日本語a,i,uにそれぞれ対応する。
?a-は日本語o-甲類にも対応する。
?タミル語内でi/u対応する。
?u-は日本語o-甲類にも対応する。
?長・短母音-u-は日本語-u-,-o-(甲)に二重形で対応する。
?長・短母音e-は日本語i-に対応する。
?長・短母音-e-は日本語唇子音の後の-e-に対応する。
?タミル語*a>eの変化前の影響を受け、長・短母音-e-は日本語-a-にも対応する。
?長・短母音oは日本語aに対応する。
?長・短母音oは多く唇子音の後のoに対応する。
?頭子音k-は日本語k-に対応する。タミル語k-は紀元前後c-に多く交替し、その影響で変化後のタミル語c-は日本語k-とも対応する場合がある。
?南部タミル語c-は更に消滅の傾向にあり、日本語s-も消滅する場合がある。
ここからc-と日本語s-、c-と日本語ゼロ、ゼロと日本語s-の対応が生じている。
?c-は日本語s-、朝鮮語t∫-と対応する。
?頭子音t-は日本語t-,s-と対応する。
?頭子音p-は日本語f-(9割)、同w-(1割)で対応する。
?タミル語*ya-の消失によりa-,e-となった頭母音は日本語ya-と対応する。
?頭子音v-は日本語w-,f-と対応する。
?-kk-はタミル語内で-nk-交替し、日本語-g-と対応する。
?タミル語mp、nt、nr、nc、nkはそれぞれ日本語b、d、d、z、gと対応する。
?c、ccは日本語sに、またccは日本語zにも対応する、(以下省略)といったことが「日本語の形成」には23頁から85頁に渡って詳細に記述されております。これらを「音韻法則」と認めておられないようですが、なぜだか是非お教え下さい。
数詞は対応しません。西欧比較言語学は数詞の対応を絶対的としますが、印欧語族とは違った語族に単純にそれを適用しなくてもいいと思います。
なぜなら、数詞以外の言葉が相当対応する場合でも、数詞が一致しないとの理由で相当対応まで否定し去るのは、奇妙なことになるからです。
タミル語ソリ音の痕跡がなくとも、基底にあった列島語の影響(母音終わり、r/lの無区別など)を考えれば、問題ありません。
名詞の性は「形成」で言及されておりません。
2002/01/23 00:24
>>No. 156
比較すべき基本語彙を100とか200とか先に決めておき、それから比較すべきじゃないんですかね。
何万もある語彙の内(方言まで含めたら)、似てるものを探せば、どんな言語とでも似た語彙は出てきますよ。
>数詞は対応しません。西欧比較言語学は数詞の対応を絶対的としますが、印欧語族とは違った語族に単純にそれを適用しなくてもいいと思います。<
数詞のような基本語彙が対応しないとなると同系等の言語とは言えないのではないか。
数詞、身体語等、日常的に使う言葉はどんな語族でも変化は少ないのではないのか。
2002/01/23 01:23
>>No. 157
>比較すべき基本語彙を100とか200とか先に決めておき、
それはやっています。最初はランダムでしたが、去年の8月以降は500語をとりあえず先決しています。
ただ、基礎語彙の多くは大野「形成」ですでにサンガムに出てくる語彙と厳密な比較が既になされています。タミル語はbc.200あたりの古語、日本語はad.400〜600の古語です。
したがって、私は大野氏のおこぼれを記紀万葉あたりの古語と方言、吏読、韓半島方言を中心にやっています。
ちなみに「零(コボ)る」というのは
タ kaipar-i to slip, as a hold; to slip or fall out of the hands;
でしょうね。
古語に「毀(コボ)る」という言葉があります。これは現在の「毀れる・壊れる」で、「刃こぼれ」も同源ですが、これは
タ kanpar-i to break at the joints
だと思います。
広辞苑では「毀る」は古くは清音であったと書かれていますが、-np-は-nb-/-b-と交替しますから、どんなものでしょう。
このように、今調べてもすぐ見つかるのがタミル語の特長です。
これがすべて偶然としたら、極めて神秘的なことが生じていることになりますが、そんなことはありえません。
どうしても見つからないのは「長い」「短い」という単語です。
数詞が一致しないから、という理由でタミル語を無視するアルタイ語学者や南方諸島語学者もいらっしゃいますが、それではアルタイ語のどれかと、あるいは南方諸島語のどれかと数詞は対応しているでしょうか。高句麗語に3語対応していそうなのがありますが、その程度です。
ですから、数詞対応を言い出すと、日本語の語源探求は、全部数詞対応が発見されるまで、思考停止しなければならなくなります。
2002/01/23 02:30
>>No. 154
横レス失礼します。
素人考えなのですが、joudaisyogakuさんの良く書かれているkuz-aiという表記(音)ですが
書かれているのをみると、柔らかい葉、芽、驚き、柔らかくなる、曲げるなど色々な意味が
当てられていますが日本語では全部別ものですよね。
これらの意味がそもそもkuz-aiという一語であったとは思えないんですが…
音さえ合っていればOKなんでしょうか?
下の方で「虎はいなかったのに虎という言葉はある〜」みたいなカキコが有りましたが、
「虎」はもともと十二支である「寅」ですよね。
「寅」が伝わっていた所に「虎」が来て「これが寅のモデルになった虎だ」という事であろうと。
この「虎」と「寅」は音は同じでも意味の上では同一にはなりえない「トラ」ですよね。
「虎」は崇拝の対象にはならない訳です。
そもそも両方同じ所から伝わったハズであるが日本では確実に違うものとして扱っているものを
音が「トラ」というだけで意味も一緒とみてもよいのでしょうか?
何が言いたいか解りづらくてすいません。
ようするに、果物には果物に対応する、芽には芽に対応する言葉が別途に無くても
音が一緒なら言語が一緒と言ってもいいんですか?
と言う事です、はい。
素人なんで根本的に認識が間違っていたらすいません。
2002/01/23 03:53
>>No. 159
同音異義語というやつです。ちょっと違いますが喩えとして、英語の例で言えば、orderに「順序・調子・種類・修道会・儀式・軍装・命令・動向・注文」などの意味があるのと似ています。
この場合は、一見異なる意味のようでも、大まかに「秩序」といった感じの意味合いが含まれているのが分かります。
タミル語kuz-の「空洞・笛・巻貝・曲げる」などの意味のkuzai、kuzal、は「管」という共通の意味がありそうです。
同じく「草・クダ(もの)・腐る・臭い・糞 」などの意味のkuzai、kuzaは「柔らかい」という意味で共通しています。
柔らかいから曲がる、という理解が可能なら、以上はすべて同語源と推定しうるかもしれません。他方「民草」の「くさ」、あるいは「くしろ(髪の毛)」などは「群れているもの」として、語源は別かもしれません。
むろん、以上は推論です。私だけがこんなことを主張しても、仕方のないことではあります。
問題を複雑にしているのは(他方で問題を分かりやすくしているのは)、古代人が、同音異義語のそれぞれに、「草・臭・腐・下」などの漢字を振り当てたことです。
orderも、もし漢字を取り入れたら「王蛇(軍装)・応談(注文)・旺団(修道会)・圧打(命令)・横動(動向)・応段(儀式)・応弾(調子)」などといったことになるかもしれません。まあ、とてもorderの一語だったとは思えなくなることは必定です。でも憶えやすいかも知れませんね。ことに古代で、慣れていない人たちにとっては。
虎と・・・、おやもう寅の時刻になっちゃいましたね。まいった。
2002/01/23 09:54
>>No. 156
音韻法則に自分が困難を感じるのは、
次のようなことです。
>?長・短母音a,i,uは日本語a,i,uにそれぞれ対応する。
>?a-は日本語o-甲類にも対応する。
>?u-は日本語o-甲類にも対応する。
上の?では、一般的な例をあげているのですが、?と?はその例外を上げていると理解しています。
ただし、?と?の例外の起こる条件が明確になっておらず、法則と理解するのに困難を感じるのです。
以上
2002/01/23 10:45
>>No. 161
これは日本語内部に異形態としてa/o甲類の交替があるためです。tanabiku、tonobikuなどが一例です。
したがって、[タati(足)>日asi(足)]のように異形態のないものと、[タallu(織る)>日oru(織る)]のように異形態のあるものの違いが生じえます。
iが日本語iともuとも交替しうるのは、タミル語内部でi/u交替が元々あるためです。
cippu、cuppu(いずれもto suckで日本語「sufu(吸う)」に対応します。
これに影響されて、タミル語timai(sin)は日本語tumi(罪)が対応します。
一方、タミル語iraiは頭母音であるためかi/u交替がタミル語で生じていなかったため、日本語iro(色)と対応します。
タミル語uはu、o甲類と対応しますが、日本語自体にu,o甲の二重形があることも影響しています。たとえばmugu(潜ぐ)とmogu(潜ぐ)がそれです。これはタミル語munku(to sink)[-nk-/-g-交替]に対応しますが、結果としてuがoとuに対応することとなります。
タミル語e-は日本語i-に一般に対応しますが、タミル語語頭にp-,m-,v-という唇子音を持つときは日本語でもeで実現するものがあります。
しかし-e-が日本語-a-で対応する場合があります。これは古形-a-を保つドラヴィダ諸語の内、タミル語だけが-e-に転じている場合で、この場合、日本語は古形を引き継ぎ、-a-で実現します。
このことは、紀元前のそれほど遠くない時期にタミル語が列島、韓半島に到来したことを推定させる一つの根拠になるかもしれません。
以上が、二言語相関において生じた現実であり、これを直視する以上、それが法則と理解するのが思考経済にも叶い、また事実、音韻法則として機能します。
2002/01/25 08:00
>>No. 162
タ kammal 1. hoarseness(かすれ), sore throat(痛む喉);
2. dimness(薄暗さ); 3. cloudiness(曇り), haziness(霞んでいること);
4. defect(欠陥);
日 kumor-i 曇り。光・色・声などがはっきりしないこと。嫌疑。
a/o交替。列島内でo/u交替。
タ kam cloud(雲);
日 kum-o 雲。a/o交替。列島内でo/u交替。
2002/01/25 09:33
>>No. 163
以下を偶然の一致と論破できる方を歓迎します。実際のところ、私自身も不思議なのです。アーリア人の侵入により、押し出されたドラヴィダ人の一派、タミル人が日本にやってきた、という馬鹿げたことがあった?
タ moz to say(言う), speak(話す);
日 mawos-u 申す。oを長音発話する場合、ooという重母音を避け、owoとなる。o/a交替。
タ i-r to say(言う);
日 i-fu 言う。
タ kat-ai to tell(話す), narrate(語る), say(言う); to speak(話す);
日 kat-aru 語る。
タ navirr-u 1. to say(言う), speak(話す), utter(口から発する);
日 nober-u 述べる。a/o交替。i/e交替。
タ ot-u to speak(話す), say(言う);
日 ofos-u 仰(おほ)す。おほせある。おっしゃる。t/s交替。
タ pann-u to speak(話す), say(言う), talk(口をきく);
日 han-asu 話す。
タ par-ai 1. to say(言う), speak(話す); 2. to remove(払う), destroy(全滅させる);
日 har-afu 祓う。(祓うというのは、神に祈りを語りかけることである)
日 har-au 払う。皆無の状態にする(「道義地を払う」など)。
2002/01/25 15:39
>>No. 162
奈良時代の日本語には、母音に甲乙があったのはほぼ確実ですが、奈良時代以前からあったのでしょうか。ご説明ですと、タミール語以前で、日本で行われていた言語に甲乙があることを仮定なさっているように思われます。
また、ドラヴィダ語の古形が日本語に残ったとされる問題ですが、すると日本に来たのは、タミール語成立以前ということになりませんか。
2002/01/25 15:48
>>No. 164清水義範の短編「序文」を思い出します。
2002/01/25 17:33
>>No. 165
タミル語から色々分岐してドラヴィダ諸語になったそうです。したがって、古形というのはそういう分岐前後(であろう)という意味で用いました。
甲・乙があったかどうかよく分かりませんが、一応、仮説として、あったものとして作業しています。
ところで、最近面白い例を見つけました。そのままコピー&ペーストします。
ウサギ(兎)は、タミル語cacagkan[moon, as hare-marked(ウサギの模様のある月)]が語源と思われる。なぜなら、cacamはhare(野ウサギ), rabbit(ウサギ)という意味だからである(-amは名詞接辞)。
cacakatiは a hare-like pace of horse(ウサギ歩みの馬/katiは日本語「徒歩」と対応する)。
gkanはkanの濁音形で、日本語同様、前に別単語が付着すると濁音化するようである。
kanはplace(日本語の「処(か)」に対応)し、「ウサギのいる場所」という意味である。
タミル語の特長により、しばしばc-は脱落する。したがって、cacagk-am>acagk-am>usagiとなる。
韓半島では、語尾の-amが残存して「オサガン」と言ったらしい。
『三国史記』に「兎山は元、烏斯含達(osagam-tar)と言った」とある。
これは「兎」を「osagam」、「山」を「tar」と言っていたことを意味する。アルタイ語学者、あるいは国語学者などは、これをもって、韓国語が日本に流入したとするが、元々タミルから半島と列島にほぼ同時に流入したと見るのが妥当であろう。
「tar」はタミル語「taram・・・ hill, mountain」であろう。
2002/01/26 21:47
>>No. 164
>タ moz to say(言う), speak(話す)
>タ i-r to say(言う)
>タ kat-ai to tell(話す), narrate(語る), say(言う); to speak(話す)
>タ navirr-u 1. to say(言う), speak(話す), utter(口から発する)
>タ ot-u to speak(話す), say(言う)
>タ pann-u to speak(話す), say(言う), talk(口をきく)
>タ par-ai 1. to say(言う), speak(話す); 2. to remove(払う), destroy(全滅させる)
いやはや勉強になりました。
ところで英語と日本語も少し似てませんか?
S-S の対応 say-syaberu speak-syaberu
T-T の対応 tell-tugeru
N-N の対応 narrate-noberu
2002/01/26 22:26
>>No. 168
>narrate-noberu
-rr-と-b-が対応すればいいですね。
印欧祖語とタミル語は接触していますから、ときどき、おやっと思うものがあります。
最近ではcriketとkohorogi>korogiがタミル語cullikai(こおろぎ)を介してつながるのではないか、とか、タミル語kev-i[1. depth(奥・深), deep valley(深い谷); 2. cave(洞穴), cavern(洞窟)]と英語caveと日本語[kav-i 峡(かひ)。甲斐(かひ)。斐(かひ)*kav-i>kav-i]との関連が気になります。希望的観測の粋を出ませんが。
2002/01/26 23:43
>>No. 169
?名詞は格変化しない。
?文は主語・述語の順になる。
?形容詞は常に名詞の前に来る。
?副詞は常に動詞の前に来る。
?主語・目的語・動詞の順になる。
?関係代名詞がない。
?助動詞は動詞のあとに直接つく。
?助詞は名詞・動詞の後につく。
?助動詞の配列に一定の順序がある。
?疑問文は動詞の配列は肯定文の場合と同じで、文末に疑問の助詞をつける。
?代名詞の組織には、近・中・遠の三区分がある。
相違点
○タミル語の人称代名詞は文末でも繰り返される。ただしこれは後の発達とする説もある。
佐賀方言には同様な現象が見られる。
あなた 良かかなたあ
anata yokak'anataa'
2002/01/27 14:05
>>No. 1
初めまして、過去投稿をちらっと見た所
土着の縄文がありそこに弥生人の渡来が
あり、現在の日本語が出来たというような
ご意見があったように思いますが、
弥生以後、その後支配勢力となった
別の渡来の波がありそれにより北方的特色が持ち込まれたのではないでしょうか。 よく言われている語彙は南方系文法は北方系を考えますと、弥生人も最近では中国江南地方と関係が深いようです、そうしますと弥生人によって北方系の特色が持ち込まれたとは考え難いのです。
ついでに縄文語については、日本国内と
いうより南アジア東南アジア一帯から
台湾、沖縄、日本まで含めた地域で古モンゴロイドの人達によって使われていた言葉
の一派ではないでしょうか。
2002/01/27 21:23
>>No. 171
私は現在の日本語の直系のルーツが中国江南にあると思います。
文法と語彙の関係でいいますと、必ずしも日本語の文法が北方系と決め付けることは出来ないのではと思います。
むしろ、古代江南地方にあった一部族において話されていた言語は語順的にも語彙的にも今の日本語と同系統であり、それが直接現代の日本語の祖先と考えた方がすっきりします。たまたま現在北方系言語に日本語と同じ語順が見出されるだけで、過去には南方にも存在した可能性も否定できません。
ひとつの根拠は沖縄です。
沖縄の方言は明らかに日本語の一分派で、しかも古形を残しているとされます。
ということは、渡来人の一派が琉球諸島を経て南方からやってきたと言うことになると思います。地理的に言っても北方系の影響は考えにくいのです。
縄文人について、私はアイヌが直系の子孫だと考えますので、アイヌ語の研究から何かがわかるのではないかと思いますが、どうもこれも日本語同様現在では孤立語みたいです。
ただ、東南アジアから台湾、沖縄、日本を含めた古モンゴロイドの共通言語とまでは言えるかどうかです。
その可能性もしかし、完全には否定できません。
私は、中国江南地方に倭族と呼ばれる部族がかつて存在し、彼らが渡来系弥生人の直系の祖先であったが、その故郷の地では漢民族による支配などによって現在の日本語の祖形ともいえる言語が滅亡してしまったという仮説を唱えます。
その仮説からは当然、縄文語と同系の古モンゴロイド語も同様に、かつて使われていた地域から駆逐されてしまったと考えることも出来るからです。
弥生人が中国江南にルーツをもつことは間違いないと思います。これは最新の医学的研究から明らかになりつつあります。
そして、やはり日本の支配階層として権勢をふるった種族は、北方系ではなく、中国江南渡来の倭族ではなかったのでしょうか。日本文化の北方的要素は少ないと思われるからです。
2002/01/28 00:21
>>No. 172
私も、全く同感です。
しかし、江南・華南語に片鱗を探して見たいと思っています。
北方訛り化していたり、死語に成っているとは、在米華南人(?)の友人から聴きましたが…。
九州弁と朝鮮語には、共通語幹が多く見られます。これらも華南語江南語の臍の緒ではないかと、疑っています。
ネパール語語言説の方も居られます。私のHPのリンクから行けます。
2002/01/28 22:29
>>No. 170
名詞に性がないとか、
複数形があるとかもあげませう。
2002/01/28 22:31
>>No. 172
でも、とんぼを意味することばの分布は、
京都(とんぼ)を中心として、アケズを周辺部にもつことを考えると、この仮説は認めがたい。
2002/01/30 10:53
>>No. 170
「うしはく」「うすはく」という古語があります。「牛吐く」という当て字もあります。
○「汝が宇志波祁流(うしはける)葦原中国は、我御子之所v知国、言依賜」(神代記)
○「海原の辺にも沖にも神づまり、宇志捲吉(うしはき)います諸々の大御神たち」(万894)
○「この地よりは四方を見晴るかす山川の清き地に遷り(場所を移す)出でまして
吾が地と宇須波伎(うすはき)ませと」(祝詞遷却崇神)
タ uz-ai cow;
日 us-i 牛(うし)。
タ kakk-u 1. to vomit(吐く) , spew from the stomach(胃から食べ物をもどす);
2. to eject, as a snake its poison(蛇の毒のように排出する);
タ kakk-al 1. vomiting(吐くこと), vomit(吐く);
日 hak-u 吐く。k/kh/h交替。
以上のように、「牛」も「吐く」もタミル語に対応しますが、これでは「牛吐く」の意味は
不明です。
しかし、タミル語に次のような単語があります。
タ uttuvak-am marriage(密接な結合・一体化);
通説では、うしはく(うすはく)は「領有する」という意味とされています。
これはほぼ「一体化する」と同義と見ていいでしょうが、古代の神の木石山川とのありようは、むしろ「一体化・合体」とするほうが、より適切です。
また、uttuvak-amは日本語uttufak-u(うすはく)と直接交替しますが、これは「うしはく」より「うすはく」という言い方のほうが古形であるという推理を担保する形になっており、興味深いところです。
2002/01/30 12:11
>>No. 1
全国にある牛がつく地名は
アイヌ語系だということを
読んだことがありますが、
御存知のかたありますか。
なおこれは、下の牛吐く等の投稿とは
関係ありません。
2002/01/30 12:15
>>No. 177
大三元さんのサイト、http://www.dai3gen.net/hiro_chi.htmに豊富です。
>北海道の雨竜川流域にある「美馬牛」(びばうし)は、pipa-us-i からす貝・多い・もの(この場合は川)、の意味であるとされ・・・など。
2002/01/30 12:16
>>No. 178http://www.dai3gen.net/hiro_chi.htm
2002/02/01 16:27
>>No. 176
広辞苑は「のり」に法令・方法・教化・仏法・里程・斜面の意味があるとする。
タミル語neriと日本語noriは、音韻・意味のすべてが一致する。例は広辞苑より。
(ただし広辞苑は「のり」を「宣る」の連用形とする。)
タ neri rule(規則), principle(原理);
日 nori 規則。法令。法度。例・・・「ノリを越える」。e/a交替。a/o交替。
タ neri method(方法); means(方法);
日 nori 方法。「そのマジナイやむる法(ノリ)を定む」(神代紀)。
タ neri precept(教訓),path of virtue(徳の道);
日 nori 教化。例・・・「わが風(ノリ)を万国に光(てら)すこと」(継体紀)。
タ neri religion(宗旨);
日 nori 仏法、仏の教え。例・・・「仏にあひ奉りてノリを聞くべし」(宇津保物語)。
タ neri pace, as of a horse(<たとえば馬のごとき>歩);
日 nori 里程。例・・・「道のノリ5里なり」(日葡辞典)。道の「歩」5里ということ。
タ neri bend(斜面);
日 nori 斜面。
2002/02/01 16:32
>>No. 180
キーを押し間違えました。
日本語「のり」に対する対応例ですが、このタミル語neriは、日本語neru(練る)、すなわち「しずかに歩く」にも対応しそうです。
2002/02/06 08:56
>>No. 181
タ arici rice without the husk(精米した米);
日 uruti 粳(うるち)。(炊いたときモチ米のような粘り気を持たない普通の米)。
タミル文学辞典(ETL)によると、タミル語ariciがギリシャ語に入ってoryzon、ラテン語ではoryzaとなり、英語ではriceとなった、とあります。
2002/02/09 22:32
>>No. 182
宮本という言葉がある。これはタミル語puy-al(water水)>muy-a>miyaの「元」という意味ではあるまいか。
宮は一般に御屋とされる。都(みやこ)や宮(みや)は、「御屋」の場合もあるとして、宮本が御屋元とすると、城下町の可能性もあるが、該当するはずのない場所に宮本がよくある。
熊本では宮本4箇所、水俣(みなまた)3箇所、水源(みなもと)1箇所がある。滋賀県、奈良県、大阪府には1箇所もなく、京都府では臨海地に2箇所ある。
新潟県では宮本と源が近隣にあり、長野県では宮本と南俣が近隣にある。
宮本と水俣、源が同一の語の訛りだとすると、「ミヤ」は「水」である可能性がある。
タミル語puy-al(water水)は日本語muy-a>miyaと交替する。したがって、宮本は「水源」という意味かもしれない。
いい水が豊富に出る処に人は集まり、クニができる。
熊本は福岡に3箇所、熊本2箇所(1箇所は駅ゆえ、実質1箇所)、佐賀に1箇所、秋田に1箇所ある。
タミル語kum-amは「pond泉水pool池」という意味がある。とすると、熊本は「泉水の元」という意味かもしれない。熊本の水道はすべて伏流水である。水前寺池はまさに泉水である。
氷川神社は大宮市にあるのが総本貫である。大宮は氷川と関連があるとすれば、「大水」ではあるまいか。
氷川神社は、東京都・埼玉県に多く、元荒川(荒川の古い河流)を東の限界とし、西は多摩川を限界とした区域にほとんど集中する。「氷川」という地名は熊本にも3箇所ある。
氷川の語源は須佐之男命がヤマタのヲロチを退治した簸乃川(ひのかわ/現・島根県の斐伊川)であるとされる。簸乃川の川上にある出雲大社の分霊(もとは、氷川神社の祭神は素盞嗚命一座)を移し祀っている。
タミル語vay-amの交替形valは「water」だが、語根は√v-であり、これはいずれも日本語ではv-iと交替する。
ただ元々「簸」の上古音は「ハ」であるので、簸乃川は「ハの川」と呼ばれていたのかもしれない。
どちらであれ、vay-、va-と直接対応する。であれば「奔流する川」がもとの意味か。
斐伊川は洪水で一度氾濫すると、被害は想像を絶するものがあると言われている。
そうすると、ヤマタのヲロチは以下のような意味の可能性がある。
タ puroti current of a river(川の流れ)
日 woroti オロチ。u/o交替。
タミル語p-は9割が日本語でf-に、1割が日本語でw-に交替する。
人身御供は、洪水を防ぐための生け贄かもしれない。
「簸る」と書いて「ひる(比留)」と読む。箕で穀物を煽って屑を除く」意味があるが、川の名と結びつかないので当て字であろう。「比」は甲類であり、「日」「氷」も甲類である。「火」は乙類。
2002/02/12 00:29
>>No. 183
以下copy& pasteです。
「ひく」のタミル語には、以下の4種類の語があり、1種類の母音交替形がある。
?タ piy 1. to rip(引き裂く), tear(破る), pluck off(引き抜く), rend(引きちぎる);
2. to separate into parts(部分に切り離す); 3. to card or pick cotton(綿を摘む);
4. to break in pieces, as thin cakes(薄いケーキのように数個に切る);
5. to pluck(引き抜く), break or pinch off(引き抜く/摘み取る), pull out(引っ張り出す);
6. to break through a hedge; 7. to disturb(かき乱す), trouble(悩む);
? タ puy 1. to extract(引き抜く), pull out(引っ張り出す), uproot(根こそぎにする);
2. to produce(引き起こす), yield(もたらす);
? タ pey to draw(引き寄せる);
? タ per to draw back(引き戻す);
? タ vi 1. to perish(滅びる); to cease(やむ); to disappear(姿を消す); 2. to die(死ぬ);
3. to leave(去る); 4. to change(変える);
4種類の語に対応する対応する日本語(内、母音交替形?は?と同じ)は、以下のとおり。
? タ piy to rip(引き裂く),pluck off(引き抜く), rend(引きちぎる); to pluck(引き抜く);
? 日 h-iku 引く。挽く。轢く。挽く。縁を切って別れる。
? タ piy pull out(引っ張り出す);
? 日 h-iku 曳(ひ)く。牽(ひ)く
? タ pey to draw(引き寄せる);
? 日 h-iku 引き寄せるという意味での「引く」。惹(ひ)く。惹かれる。
? タ per to draw back(引き戻す);
? 日 h-iku 引き戻すという意味での「引く」。
? タ vi 1. to perish(滅びる); to cease(やむ); to disappear(姿を消す); 2. to die(死ぬ);
3. to leave(去る);
? 日 h-iku (潮が)退く。(血の気が)退く。(会社を)退く。(息を)引きとる。引揚げる。
ここからすると、山の枕詞、「あしひきの」の「ひき」は?に対応しそうであるが、「足を引き戻す」というのは、
属格「の」が付いている事もさることながら、日本語の意味として、多少おかしい。
1.「山は葦を引き捨てて住むところゆえ『葦引き』という」(下河邉『枕詞燭明抄』)
2.「足引きは『足の病』のこと」(契沖『代匠記』)
3.「脚を長く引いた一構えの地の意味」
4.「アシヒキのキは甲類のはずだが、乙類の『木』『紀』とある。原義不詳」(澤潟久孝『万葉集注釈』)
5.「葦を採取すること。しかしそれが山とどういう関係があるのか分からない」(近藤信義『枕詞論』)
タ at-i 1.foot(足);2.footprint(足跡);3. stand(立場), support(支え), foundation(土台);
4. beginning(初め);5. source(源), origin of lineage(家柄の起源), ancestry(先祖);
6. antiquity(古さ); 7. place(場所); 8. riches(財宝), wealth(財産);
9. nearness(接近), proximity(近接); 10. plan of action (行動計画);
日 as-i 足。流通のための金銭(お足)。
タ pikk-u 1. trouble(心配); intricacy(錯綜), perplexity(難局); hindrance(障害);
2. fault(欠点), wrong(悪); 3. embarrassment(気後れ);
タミル語で解釈すると、以下のようになる。
1.「足が心配な」「足場の悪い」「難所の」という意味となる。
2.「場所が悪い」「足が気後れする」
1.2.いずれであれ、先学の諸説よりは
を得ているように思われる。
2002/02/16 11:15
>>No. 184
タ kut-ai wind (風);
タ kot-ai wind (風);
タ kont-al 1. east wind(東風/コチ); 2. wind(風); 3. east(東);
タ kacc-an 1. west wind(西風); 2. west(西);
タ kut-ir wind(風),sensation of cold(寒い感覚/風邪);
以上から、日本語「風(かぜ)」は、上記のタミル語と対応する。
言語学者、N.A.スィロミャトニコフは「原始日本語から早期日本語への音声変化法則」において、蒙古語kabsa(吹く)が日本語kaza/kazeとする。
原始日本語においてC1C2の二重子音があれば、C1が有声阻害音である場合、C2は有声になる、という同氏の変化法則による解釈である。
bsという二重子音のbは有声音ゆえ、C2であるところのsが有声化(s→z)してkazaとなるというわけである。
このような複雑な法則を立てずとも、タミル語-cc-は-z-と交替するので、kacc-an>kazeとなる。「吹く」と「風」も厳密な対応とはいえない。
彼は同上の法則により、蒙古語tobti(ボタン)は日本語tozi-(閉じる)と対応する。
しかし、タミル語に tunr-u(to be close閉じる)がある。-nr-はーd-と交替するので、tunr-u>tud-i>todi(閉じ)となって、日本語に対応する。
「ボタン」と「閉じる」も厳密な対応とはいえない。
2002/03/02 20:55
>>No. 185
むしろインド土着の黒人的要素を引く系統じゃないか。
そう考えると、日本人と少なからず人種が違う。
昔は、人の移動なしに言語が普及するとは考えにくい。
この点を、タミール語説はどう説明するのだろうか。
2002/03/02 23:11
>>No. 186タミル語と日本語が近いというのが言語学から出てきてしまうとすると、言語学自体が胡散臭くならないか。
2002/03/03 01:14
>>No. 186
日本人と一口に言ってしまえるほど、日本人は純粋種ではないと思います。肌の色だけでも、色白も地黒も真黄色もいるし…。瞳が鳶色や青い人もいますし…。
朝鮮の神話?、金首露王の王妃はインドから渡来(漂着)した、とありますし…。言語も、朝鮮語に臍の緒を留める倭語を多数発見したし…。
2002/03/03 13:11
>>No. 186
インド人の○ーろんぼ!
思い出しました。(^^♪
でも、このようなことが出ています。
http://www.dai3gen.net/gm02.htm
>むしろインド土着の黒人的要素を引く系統じゃないか。
>そう考えると、日本人と少なからず人種が違う。
黒人的要素は見当たりませんね。
2002/03/05 22:37
>>No. 189
のようですね。
だけど人種的には日本人と異なる結果が出てるようです。
日本本土は、朝鮮、ブリヤート、チベットに近い。
アイヌと沖縄も近いですね。
2002/03/05 23:24
>>No. 190
タミールの人が持ってるGm遺伝子の型の比率は:
青:0.415 旧モンゴロイドっぽい
緑:0.252 旧モンゴロイドっぽい
黄:0.048 新モンゴロイドっぽい
赤:0.083 新モンゴロイドっぽい
白:0.201 白人にしかあらわれない
だそうです。白人に特有な「白」を持っている人が2割も居る(混血している)のでは、一般的にはモンゴロイドとは考えらないのではないでしょうか。
しかし、モンゴロイドっぽさが濃いですねぇ。
2002/03/07 22:05
>>No. 1
たとえばロシア人がある北方の新モンゴロイドの住む島にやってきて、ロシア人が去った後、クレオールロシア語とでもいうべき言語が残ったという例がありますが、このように人種と言語は関係ない、というのが定説のようですね。
以下のような言葉が偶然の一致としても、一語一語対応ではなく、同音異議語対応にこのような例が多く認められる場合、もはや偶然とはいえないのではと思います。
●タ mut-al beginning(始め); first(原初);
best(最高), that which is superior(優れている物);base(基礎), foot(最下部), bottom or lowest part of anything(なんであれ底のor低い部分);
○日 mot-o 始め。本(もと)・元(もと)・基(もと)・下(もと)。基礎。根。u/o交替。
○日 mott-omo 最も。
●タ mut-ai old(古), past(旧), ancient(昔);
○日 mot-o 旧(もと)。元(もと)。故(もと)。
2002/03/09 07:44
>>No. 1
タミール語説は、人間で言えば山師です。
インチキ、出鱈目です。
タミール語説が成り立つなら、
英語説も成り立ちます。
こういう無茶苦茶なことを信じている人が
いるということは、恥ずかしいことです。
みなさん、そうは思いませんか?
日本語はアルタイ語が変化したものです。
ただそれだけの簡単なことがなぜ分から
ないのか、理解できません。
2002/03/09 12:51
>>No. 192タミルをタミールというのは、大和をヤマート、日本をニーホンというのと同じでちょっと変です^^;
2002/03/17 23:30
>>No. 194アイヌ語と日本語との関連についてはよく言われることだが、その先の民族とのかかわりはどうなんだろう。
2002/03/19 07:58
>>No. 195日本語もアイヌ語も、それぞれ周辺のどの言語とも系統関係が立てられてない、という意味では、ギリヤーク(ニブフ語)だってオロッコ(ウィルタ語)とも、とてもつながらない、ということではないか。ただ、交流はあったようだから、相互に借用語はいくつかあるのだろう。
2002/03/28 13:18
>>No. 194
タミル語p、vが日本語f、b、m、wにそれぞれ複合対応し、mpがf、b、mに複合対応する現象の原因が究明されない限り単なる類似の線を越えない、という主張が根強い(小泉 保「縄文語の発見p95」など)。
しかし、たとえばara「fu」とdo「bu」の場合、原始日本語時代はそれぞれara「mpu」、do「mpu」であったはずで、複合対応ではなかったと考えられる。
逆に、列島では元々r、lの区別がなかったため、タミル語r、lは日本語ではrに一本化されるいわば収斂対応とでもいう現象が起きている。
このことは、一見「複合対応」しているように見えるものは、タミル語が列島内に流入した時点では単一対応していたものが、流入したタミル語は、本国で使われている語彙数の一部であるため、少ない単語で遣り繰りする必要が生じ、唇音として同一の系に入るf、b、m、wに分担されていったものと思われる。
香港英語の場合、流入語彙の少なさを過剰ともいえるidiomで補っている。膠着語である日本語では、これを複合対応で応じたと考えられる。しかしそれでもなお、同音異義語が多い。
なお、タミル語p-はタミル語内部でp/v交替しているという事情も考慮されなければならない。
複合対応を指摘する論者は、このような事実を考慮しないで、タミル語語源説を批判し、捨て去っているように見受けられる。少なくとも、捨て去る程度には軽くない対応にcriticな留意をすべきであろう。
たとえば、以下の単語は日本語「hos-u(k-/kh-/h-交替)」の語源と思われるが、タミル語自体、s、t、cと交替している。これは、s、t、cのいずれもが日本語sと対応することの証左といえるかもしれない。
●タ cosi to dry(乾く); to cause to dry(干させる);
●タ coti to dry up(干上がる);
●タ coci to dry up(干上がる), go dry(乾かす);
2002/03/30 13:25
>>No. 197
●タ putt-ai pudendum muliebre;
○日 fot-o pudendum muliebre;
○日 faz-e pudendum muliebre;
-tt-と-nt-は交替する。-nt-は日本語では-d-に交替する。dとzは混交しやすいので、
fade=fazeとなる。
上記は、puttaiが日本では、ホトともハゼとも言われていた(交替した)文献上の証拠だが、ハゼという言い方は早くに死語となり、ホトもすでに死語である。
聞く人間によって、様々に聞こえる場合、当初はこのような複合対応が現象としてあったであろう。時間が経過する内に、一語に収斂していく場合、その収斂過程に法則性を見いだすのは困難である。上記のような例の場合、ハゼという表現が早くに消失すべき合理的理由(発音しにくいとかの)は見いだせない。
2002/04/05 08:15
>>No. 198
林家辰三郎は、盾伏であり、「戦闘に対して服属を意味した」とする(石上「古代伝承文芸論」p184)。
●タ tatt-iyam large shield(大きい盾);
●タ tant-ai shield(盾);
●タ tatt-i defence(防御), safeguard(安全装置);5. shield(盾);
●タ tat-ai 1. resisting(抵抗すること), obstructing(妨害すること); 2. hindrance(妨害),
obstacle(障害),interruption(中断);3. guard(見張り), watch(警備);
○日 tat-e 盾(たて)。
○日 tat-e・tuku 楯突く。
上記と別系統の語。
●タ tat-am beating(叩くこと);
○日 tat-aku 叩く。敲く。
以上から、「タタ」は「タテ」と推定される。
●タ patu to forsake(捨てる/やめる), to lie down to sleep or otherwise(睡眠、あるいはその他の理由で伏せる);
○日 fut-u 棄(ふ)つ。
○日 fus-u 伏(ふ)す。
「捨てる」は以下が対応する。
●タ utt-u to discard(捨てる), throw away(投げ捨てる);
○日 ut-u 捨(う)つ。
○日 sut-u 捨(す)つ。
ということで、「タタフシのマヒ」というのは「抵抗をやめる」舞という意味であろう。林家氏の解釈は正しいといえる。
2002/04/15 06:29
>>No. 199
●タ capp-ay wholly(まったく), entirely(完全に);
○日 sapp-ari さっぱり。まったく。まるで。
●タ tupp-uravay wholly(まったく), entirely(完全に);
○日 tub-usa・ni つぶさに。完全に。十分に。
●タ tuvara 1. entirely(完全に); 2. exceedingly(きわめて);
○日 tubara つばら。くわしいこと。
●タ tuncar-a entirely(完全に), wholly(まったく);
○日 sukkar-i すっかり。
○日 sukkar-a・kan すっかり空っぽであること。
●タ murrum 1. wholly(まったく), entirely(完全に); 2. all(みな);
○日 mottom-o 最も。-rr-/-tt-交替。-rr-は発音上は-ttr-ゆえ。
○日 motto もっと。
●タ murr-a 1. entirely(完全に), fully(十分に), totally(すっかり);
2. exceedingly(非常に);
○日 matt-aku まったく。-rr-/-tt-交替。u/o/a交替。
●タ potta 1. suddenly(突然に), swiftly(早く); 2. entirely(完全に);
○日 potto ぽっと。(急に現れるさま)。mottoにも交替する。
●タ acar-a entirely(完全に), fully(十分に);
○日 akar-asi ひどい。「何ぞ悲しきことのあからしきに」(欽明紀)。
○日 akar-asama たちまち。はっきり。
○日 aker-apon アケラポン。
○日 akker-akan アッケラカン。
○日 assar-i アッサリ。(?)
●タ arr-a 1. greatly(はなはだ), exceedingly(非常に); 2. entirely(完全に);
●タ ar-a 1. wholly(まったく), entirely(完全に), quite(すっかり); 2. intensely(激しく), excessively(とても);3. clearly(明らかに); 4. thoroughly(徹底的に);
○日 ar-ayu 「あら」に奈良時代の助動詞「ゆ」が付いたもの。ありとあらゆる。すべての。
○日 ar-a アラ。アラアラ。アラアラかしこ(非常に畏まって)。「アラ不思議」の「アラ」。
●タ catta 1. properly(ほどよく), rightly(正しく); 2. entirely(完全に); 3. speedily(迅速に);
○日 koto 「ことこまかに」の「こと」。十分。
○日 koto・goto-ku ことごとく。catta・catta>kotogotoであろう。
2002/04/29 00:30
>>No. 200
どうやって日本に来たのだろうか。
日本以外でタミル語系の言葉を話す民族が存在しないのだろうか?
2002/05/02 06:29
>>No. 201不明としか・・・。
2002/05/02 06:31
>>No. 200
●タ tap-ay to deceive(騙す);
○日 dam-asu 騙(だま)す。p/m交替。
●タ ettuvali cheat(いつわり);
○日 ituwari いつわり。
●タ ut-an fib(些細な嘘), lie uttered for fun(戯れに発する嘘);
○日 us-o 嘘(うそ)。
●タ takkaram
1. theft(盗み), pilfering(こそ泥); 2. trickery(策略), guile(悪知恵);
○日 takuram-i 企(たくら)み。a/o/u交替。
●タ kata-i
1. a long story(物語), anecdote(逸話),or narrative(かたり);
2. epic(叙事詩);
3. perun-katai , the story of utayanan(ウタヤナンの大物語)…peruは「大きい」(日本語 fir-oに対応/アイヌ語poro?);
4. fabrication(でっち上げ), falsehood(カタリ), lie(嘘);
5. fiction(創作);6. talk(話)
○日 kat-ari 語り。騙り。-r-は介音。
「騙り」は上記と同源の以下の言葉に由来するかもしれない。この場合、介音は否定される。
●タ katturai
1. avowal, solemn declaration;
2. pithy, sententious expression;
3. proverb;
4. figurative language, magnifying or depreciating;
5. falsehood, fabrication;
6. essay, literary composition
ref:
●タ azimp-u
1. patent falsehood(明白な嘘);
2.scandal(醜聞);
3. unrighteous claim of plea(邪な嘆願による請求);
○日 azam-uki 欺(あざむ)き。この交替を認めるには、i/e/a交替が前提となる。
2002/05/14 23:42
>>No. 1
講談社新書に著作があります。
説得力があるように思うな。
2002/05/16 03:40
>>No. 1
なのです。
だから世界に似ている言葉があるのです。
胸をはりなさい。
2002/05/31 01:12
>>No. 1
議論も出尽くしたようです。
整理すると、
?タミール語説
?アイヌ語説
?江南語説(+アイヌ語)
?朝鮮語説
などですね。
2002/06/09 22:32
>>No. 206日本語が単一の起源から流れ出た、だから、その単一の起源を求めよう、と言うこと自体は見直さないのだろうか?
2002/06/20 00:07
>>No. 207
現代日本語は明治新政府が文部技官、薩摩出身の田中何某氏に命じて創ったもの、でしょう?。
古代倭語、方言等を対象に思考すれば、とても単一の起源とは言い難いのではないでしょうか。(消えそうなので、UPを兼ねて!)
2002/06/29 23:42
>>No. 203
「雨鳥(あめ)・鶺鴒(つつ) 千鳥(ちとり)・マシトト 何故黥(さ)ける利目(とめ)」のタミル語解試論
イスキヨリヒメと大久米命との歌の後段、
「A.雨鳥(あめ)・鶺鴒(つつ) 千鳥(ちとり)・マシトト 何故黥(さ)ける利目(とめ)。」(姫)「B.ヲトメに 直(ただ)にあはむと 我が黥(さ)ける利目(とめ)。」(命)には定まった解釈がない。
本居宣長は「雨鳥・鶺鴒・千鳥・マシトト」と4種類の鳥を詠い込んだものとする。西宮一民氏は「これらの鳥は過眼線(眼を縁取る羽毛の線)が鋭いという特徴があり、その鳥名を呪文風に唱えて大久米命の目の鋭さに譬えた」とする。
しかし、目に対する問答がなぜ結婚の承諾に繋がるかの説明はこれでも解けない。
●タ cutar 1. light(光), brilliance(明るさ), lustre(輝き); 2. sun(太陽);
○日 titori 太陽を意味するcutarを千鳥としたもの。cutarは琉球でtedaとなり太陽の意。
●タ maticut-i Siva, as wearing the moon(月を纏うシバ神=月)。
○日 masitot-o 月を意味するmaticutiをマシトトという鳥としたもの。c/t交替。
以上から、「あめ・つつ・ちとり・ましとと」は「天地日月」となり、鳥と両義性を持たせたものと思われる。
●タ tak-ar to break to pieces(小片に裂く);
to break open a blister, a boil(泡や腫れ物が破れ開く);
to show off one's ability(自分の力量をよく見せる・引き立たてる);
○日 sak-u 裂く。割く。咲く。
○日 sak-eru 「黥ける利目(とめ)」の「黥(さ)ける」。
○日 tak-u 炊く。
「黥(さ)ける」というのは「引き立っている」「目立っている」という意味かもしれない。
入れ墨すれば引き立つからである。目に呪能があると考えた古代人にとっては、呪能は引き立っているほどいいのは当然である。
●タ c-el to be effective(効果的であること); to have influence(影響力のあること);
○日 t-osi 利し・鋭し(鋭いこと・素早いこと)。c/t交替。
鋭(するど)いこと、素早いことは効き目において「効果的であること」「影響力のあること」の具体的意味表現であり、したがってタミル語celと対応する。
ということは、本来「利目」は「効果的な目」で、何故に効果的かといえば、入墨により「引き立っている」からである。
以上から、「雨鳥(あめ)・鶺鴒(つつ) 千鳥(ちとり)・マシトト 何故黥(さ)ける利目(とめ)」とは、「天地日月(つまり「世にあるあらゆるもの」)のなかで、なぜに効果的に引き立つ目であることよ」との褒め言葉と思われる。
これを過眼線の鋭い鳥の名と掛け合わせたと思われるのは、本来、四種類もの鳥名を詠い込むというのは「多すぎる」(神田秀夫『新注古事記』)ところ、「天地日月」という森羅万象をここに同時に歌いこむために必要であったからと思われる。
このように解することによって、「目に対する問答がなぜ結婚の承諾に繋がるかの説明が解けない」
(青木周平『古事記研究』)という行き詰まりは解消できるのではないだろうか。
ref:
●タ tagk-u to hit against, strike, graze, as a boil(煮えたぎっているときのように
ぶつかり、打ち、かすり合う);
○日 tag-u たぐ。煮えたぎる。
●タ tak-i to burn, as fire(火の如く焚く), to be hot(焚く);
○日 tak-u 焚く。「風呂を焚く」は「風呂を暖めること」ゆえ、tak-iが対応する。
●タ vakk-u to burn(焼く), singe(表面を焼く); to roast(炒る);
○日 yak-u 焼く。v/w/y交替。
とすると、「ヲトメに 直(ただ)にあはむと 我が黥(さ)ける利目(とめ)。」と大久米命が詠んだ意味は、「あなたと結婚したいと思うから、(あなたの気を引くために)こうして効果的に引き立つ
目をしているのですよ。」ということになる。鳥が交尾時に目立つ色彩を誇示するところにどこか似ている。あるいはそう意識して詠ったものかもしれない。
2002/07/01 07:57
>>No. 209
(表)の意味はそうです。
【裏意(真意)】の意味もあります。
「表意」=【寓喩に依る、裏意(真意)】
「目」=【国】 例) 蘇我稲目(委奴国・いなま)
瓜食めば 子ども【家来達】思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来たりしものぞ 眼交(まなか)ひ【国と国の争い】に もとなかかりて 寐寝(やすい)し寝さぬ 憶良(巻5・806)
なお、記紀万葉の擬人(擬物)・【寓喩】は、
「花」・「日」=【君臨者】、
青によし奈良の都は咲く花【君臨者(むろ女王)】のにほふが如く今盛りなり (巻3・331)
「鳥」・「月」=【統治者】、です。
「飛ぶ鳥の明日香」=【統治者が飛び交った明日香】
鳥【統治者】となりて(鳥翔成)あり通ひつつ見らめども人こそ知らめ松【物部系】は知るらむ (巻2・145)
「日月(ひつき)」=【日継ぎ】
「星」=【豪族⇒貴族】
「天地」=「乾坤(けんこん)」
鶯の鳴き声は古来より「法・法華経(ホーホケキョ)」ですし、室町時代の鶯は「月日星(ツキヒーホシ)と鳴いていた」記述も残っています。
蝉も「月月法師(ツクツクホーシ)」と鳴いていたようですし。
隠喩法(暗喩):直喩とは違って本義を裏面に隠して、喩義だけを表面に掲げる。
(比喩であることを直接示さず、たとえるものと直接に結びつける方法)
擬人法(活喩):人間以外のものを人間にたとえる方法
擬物法(活喩):人間を人間以外の物にたとえる方法
(英語のpersonification<擬人、人格化>に相当する喩法で、
人間になぞらえて表現するもの。
真の『万葉集』
http://homepage1.nifty.com/shoumu/
2002/07/01 08:17
>>No. 209
●タ vavval bat(蝙蝠)
●タ vaval 1. jumping over(飛び越えること); 2. dance(舞踏); 3. bat(蝙蝠);
これを分解すると以下のようになる。
●タ va leaping(跳ぶことにつき);
●タ val quickness(敏捷), speed(迅速);
トビ・ハヤとでもいった感じであろうか。
大野 晋氏は当初、これを日本語コウモリ(西表島方言haburi)と対応させた。しかし日本語「コウモリ」は「皮・振り」であろう。haburiにkaが加わるとするには無理がある。
この対応を批判したのは村山七郎氏だが、この批判はあたっている。
vavval(ヴァヴァール)あるいはvaval(ヴァーヴァル)はむしろ日本語モモンガとして定着した可能性がある。
タ vav-al
日 mom-i モミ(毛美、毛朱)。モモンガの古語。v/f/m交替。
日 mom-onga モモンガ
モモンガは樹間を滑空するリス科の哺乳類であり、同じく哺乳類で、敏捷に飛翔するコウモリと間違えた可能性が大きい。
モモンガの「nga」は沖縄周辺に残存する方言から「子」であろう。
日本では小さい動物に「kko」(っ子)を接辞する例がある。犬っこ(方言でenugoなどあり)など。
これは「〜の子」「〜つ子」という指小辞ゆえ、モミッコ、モモッコ、モモンガ(鼻濁音化)となった可能性がある。
モモンガはインド大陸にもいる。
●タ maravanil 1. grey flying squirrel(灰色のモモンガ); 2. bat(コウモリ);
このように、モモンガは見た目、コウモリと間違えやすいようだ。
2002/07/01 08:19
>>No. 210
>本居宣長は「雨鳥・鶺鴒・千鳥・マシトト」と4種類の鳥を詠い込んだものとする。西宮一民氏は「これらの鳥は過眼線(眼を縁取る羽毛の線)が鋭いという特徴があり、その鳥名を呪文風に唱えて大久米命の目の鋭さに譬えた」とする。
『万葉集』の四種類は四季(春夏秋冬)です。
「春」=【天智(隼人・新羅)系】
「夏」=【天武(物部・高麗)系】
「秋」=【蘇我(百済本国=旧奴国)大王家】
「冬」=【藤原(朝鮮半島の百済・巨勢)系】
裏意(真意)からすると、「四種類の鳥」=「四種類の季節」のようです。
2002/07/01 08:36
>>No. 211
●タ et-an slave(奴隷。奴隷のようにあくせく働く者);
○日 yet-a 穢多(ゑた)。
○日 yat-ako 八多籠(やたこ)[et attu koヤの子=奴(やっこ)]。e/ya交替。
eはye>yaと交替する。koは指小辞。
yeのまま定着したものに「穢多(ゑた)」がある。中世以降、賤民(せんみん)視された階層だが、中世以前から名前だけはあったようだ。
特に江戸時代、幕藩体制の民衆支配の一環として、非人とともに最下層に位置づけられた。
穢多はあて字である。
「八多籠らが 夜昼いとはず 行く道を 我はことごと 宮道にぞする」(万2-193)
橋本四郎氏は『八多籠』(万葉9号)にて、「ハタコとよみ、畑で働く農夫」
とする。これに対しては、「畑で働いていないで、ただ道を行く農夫を畠子
と決め付けることができるのか」(吉永 登『万葉-通説を疑う-』)といった
疑問が出されていた。タミル語からすると八多籠は「奴婢」であろう。奴(やっこ)は「やたこ」の促音化である。
2002/07/01 09:29
>>No. 213
tsuaratで入れてしまいました。
●タ puz hole;
●タ pont-u hole;
●タ pot-u hole;
●タ pott-u hole;
●タ pant-u 1. cavity(空洞), hollow(穴), deep hole(深い穴); 2. spandrel(窓小間);
3. interstices between bricks in a wall(壁にあるレンガの隙間);
○日 foz-o 臍(ホゾ);p/f交替。
○日 fos-o 臍(ホソ);fozoの古形。
○日 fes-o 臍(ヘソ);
以上から、日本語「臍」hoz-o、hes-oはpot-由来のように思われる。
韓国語では「臍」をpait-pok(音韻倒置で、のちkopとなった)という。
これはpai(腹)attu(タミル語「〜の」)pokで「腹の穴」であろう。
●タ pok-u to make a hole(穴を作る), perforate(穴を開ける);
◎韓 pok 穴。
以上から、日本語ではタミル語pot-形で「ヘソ」を表現し、半島ではタミル語「腹の穴」で対応したと見られる。
これら、半島、列島の語の差異は、タミル語の語彙の多様性も影響しているが、いずれにせよ両者、タミル語を用いて、それぞれ「ヘソ」の恐らく俗語を作り、のちそれが一般化したものと思われる。
これらの現象は、半島から列島に垂直に言語が流入したという通説に疑問を抱かせる。
むしろ、垂直現象もあったであろうが、それは多く同一の言語(タミル語)の移動に過ぎず、またそうであるなら、列島から半島にも流入したはずで、多くは水平的に、タミルから半島、列島に流入した蓋然性を強化する。
なお、タミル語pantuから日本語madoが出来たようだ。
●タ pant-u spandrel(窓小間);
○日 mad-o 窓(まど)。p/f/m交替。-nt-/-nd-/-d-交替。
●タ pokkai 1. little hole(小さな穴); crack(裂け目); 2. having a part deformed,
dented or broken(不恰好な・窪んだ・割れ目を持つ部分があること);
○日 pokkari ポッカリとあいた穴などの「ポッカリ」。
「ほぞ」「ほそ」は主に以下の意味で用いられる。
(1)木材・石材などを接合するときに、一方の材にあけた穴にはめこむため、他方の材の一端 につくった突起。
(2)男根の異名。
「夜鍋には大工世継の—を入れ」(柳多留 63)
タミル語語幹putt-はpudendum muliebreで、これは日本語fot-o(女陰)と対応する。同時にタミル語では「女陰」「男根」の双方を意味する。日本語「ほぞ」「ほそ」も「男根」を意味する。
したがって、タミル語putt-とpot-は元々同語源であった可能性がある。
pant-uが「窓」を意味するのは興味深い。「平和の窓」に通ずるか・・・。
2002/07/01 09:38
>>No. 214
「ありぎぬの(あり衣の)」は「みへ(三重)、さゑさゑ、たから(宝)」に掛かる枕詞である。
「三重」の掛かり方はいまのところ不明だが、「さゑさゑ、たから(宝)」に掛かる理由は以下のような事情かもしれない。
【さゐさゐしく】−『小学館古語大辞典』に「「さゐ」は「潮騒(しほさゐ)」の「さゐ」で、「騷(さわ)く」の「さわ」と同源と考えられる。万葉集にみられる「さゐさゐしづみ」
「さゑさゑしづみ」の「さゐさゐ」「さゑさゑ」、古事記などにみられる「さわさわ」は相互に母音交替形で、いずれも、騒がしい音を形容する擬声語であろう。
「さゐさゐし」はその形容詞形であるが用例はすくない」
「珠衣(たまぎぬ)の さゐさゐしづみ」(美しい衣の衣がさやさやとしなだれるように心も沈んで)
以上から「さゑ」「さゐ」はタミル語cal-iであろう。
●タ cal-i to sound(鳴る);
○日 say-i さゐ。潮騒(しおさゐ)の「さゐ」。 l/y交替。
●タ ari to sound(鳴る);
●タ kan-ai sound(音), roar(轟き), resonance(響き);
○日 kan-adu 奏づ。奏でる。琴などをかきなでて鳴らす。
caliのc-脱落形aliとしてもいいが、ariで「鳴る」、ari=kan-ai>arikine(ariのiに引かれてkane→kini>kineとなりうる)で「鳴る音」。これは「さゐさゐしく」(のち、「騒々しく」となり、うるさくなった)に掛かる枕詞に相応しい。
これは「ありぎぬのさゐさゐし」=「鳴る音の騒がしく」ではなかろうか。
「たから(宝)」に掛かる理由は、比較的簡単に解ける。
鈴の語源は錫らしい。錫の鉱石である錫石は黒色のもあり、ダイヤモンドのような光沢がある。
したがって「鈴を張ったような目」(女性の瞳がつぶらでパッチリしていること)という場合の「スズ」は、錫のことと思われる。
三重の鈴鹿山と錫は何らか関係がありそうだ。
錫は貴重品であった。
「宝」という日本語の語源は「錫」であろう。
タ takar-am tin(錫), white lead(白鉛);
日 takar-a 宝・貨・財(たから)。
したがって、
「ありぎぬの宝」=「鳴る音の錫(鈴)」となる。
残るのは「ありぎぬの三重(みへ)」である。
●タ kan copper(銅);
○日 kan-e 金属の総称(金・銀・鉄など)。銅。鐘。
これを採ると、「ありぎぬの」は「鳴る鐘の」となる。
「鳴る鐘の三重にも響く鈴鹿山」・・・とか言わないものか。
2002/07/01 13:27
>>No. 215
緑は、「嬰児(みどりご)」というように「未成熟」という意味が基本にある。
南島に日本語の祖語があるという村山七郎氏は、midoriの古形をm・hindauとし、南島祖語復元形hidauと交替するとする(「日本語の語源」p213)。
この場合、midoriのmは動詞ステム(語幹)、riはアルタイ・ツングース系の動詞から名詞をつくる-riがついてm・ido・ri「緑であること」という語形が生じた、とする。
一方タミル語に次の言葉がある。
●タ paccol-ai green ola[未成熟のオーラ。(olaは palmyra leaf棕櫚に似た葉を 持つ)];
○日 midor-i 緑(みどり)。p/m交替。
a/e交替。e/i交替。-cc-/-nz-/-z-交替。mizori>midori。
paccolaiは、「パンジョレ」と聞こえる。pはmとも交替し、aはeとタミル語内部で交替するので、
メンジョレが日本語「ミドり」の最古形かもしれない。
-cc-/-z-交替の例として、acc-u(fear)>oz-u=怖づ、acc-u(ridge in a field)>az-e
=畦(あぜ・・・ridge in a rice field)、kacc-u(to bite)>kaz-iru(齧る)などがある。
しかし以下の言葉もある。
●タ puttir-i small plant with slender green branches(細い緑色の葉を持つ
小型植物を指す言葉);
puttiriの-tt-は巻き舌音の-tt-ゆえ、catt-am(order,destiny)が日本語sad-ame(定め)に交替
するように、puttiriはpudiri>mudiri>midoriとなりうる。
しかしながら、puttiriには「未成熟」という意味合いはないので、これは似て非なるものであろう。
なお以上からすると、「緑の黒髪」の「ミドリ」は「未成熟で艶があり若々しい」ということであろう。
2002/07/01 13:37
>>No. 216
●タ mut-ir to become mature(完全に発達する); to grow ripe(円熟する);
to excel(優る),surpass(勝る);
○日 mas-aru 優る。勝る。増さる。u/o/a交替。
○日 mas-ura 益荒男の「ますら」。masaru⇔masura音位転倒。
mutirは日本語uおよびoと交替する。したがって、masaru、masuraの最古形はmosaru、
mosuraであった可能性が強い。モスラ・・・。
mutirは英語matureに酷似する。あるいは同源かもしれない。
2002/07/01 13:48
>>No. 217
●タ vam-am thigh(腿);
○日 mom-o 腿(もも)。
このようにva-はmo-と交替する場合が多い。
●タ vamm-i peach(桃);
○日 mom-o 桃(もも)。v/m交替。a/o交替。
ve-はfe-と交替する場合が多い。
●タ vez-am sponge gourd(ヘチマ);
○日 fet-ima 糸瓜(ヘチマ)。
2002/07/01 14:14
>>No. 218
タミル語ステムに日本語で-fuを付ける(「たまふ」など)場合、この-fuはタミル語puかもしれない。
●タ pu to appear(現れる); to produce(生ずる),to create(引き起こす);
to give birth to(を生み出す);
○日 fu 生(ふ)。
タミル語ステムに日本語で-suを付ける(「おこす」など)場合、この-suはタミル語ceyであろう。
●タ c-ey to do(する);
○日 s-u 為(す)。
タミル語過去接辞には-tが付く。ceytは日本語s-ita(〜した)と交替する。
タミル語ステムに日本語で-ruを付ける(「たべる」など)場合、この-ruはタミル語iruかもしれない。タミル語もr-は先頭に立たない。サンスクリット語からの借り入れの場合、冒頭に母音を配置する。
このiruが日本語化接辞として、たとえばak-eru(開ける)のようになる場合、ak-e-iru>akeruとしてもいいが、接辞ゆえ、rの前の母音は不要と考えれば、元々ak-e-ru>akeruであると考えてもいいかもしれない。
●タ iru to exist(在る・居る); to be ready to act(行う用意がある); to be on the point of acting or going(行為や移動をまさにしかかっている);
○日 ir-u いる。
○日 r-u る。
「ぬ」の可能性。
●タ n-o to suffer(経験する);
○日 n-u 「ぬ」。してしまう。してしまった。した。「夏は来ぬ」の「ぬ」。
これらの動詞形成接辞法は、典型的にクレオール言語の特徴であり、したがって、日本語はタミル・クレオール語であるとの大野説は妥当かもしれない。
2002/07/01 15:17
>>No. 219
サクラになったつもりで書き込みましたが、一度に書いても、掲示板消滅には資することはないんですね・・・。一週間毎にすべきでした。
●タ cakkuruv-i screech-owl(かん高い声で鳴くフクロウ);
●タ cakuruv-i 同上。
○日 sakura 役者に声を掛けるように頼まれた無料の見物人。
●タ kuruvikkaran a class of bird catchers, who decoy birds by concealing themselves
and successfully imitatining(隠れて首尾よく真似て鳥をおびき寄せる鳥 捕り人の部類);
kuruviは「鳥」(ツバクラメ(燕)の「クラメ」。のち、「メ」が脱落して、「ツバクロ」。翼が黒いからという説もあるが「クラメ」で一語であろう)。 karanは「輩(やから)」の「カラ」。族(から)。
cakuruviも同様にviが脱落して、cakuru>sakuraとなったのであろう。
●タ kuruvi small bird(小鳥); 3. crab's eye(蟹の目);
●タ vi bird(鳥);
○日 me メ。v/m交替。
●タ tipakakkuruvi bird used as a decoy(擬餌鳥);
●タ kur-u to cry aloud(かん高く叫ぶ);
以上から、kuruviは「かん高く叫ぶ鳥」であろうか。「黒・目」とも取れるが、「黒」はタミル語kar-ul (to become black黒くなる) であろうから、違うであろう。なお、kar-ulは「暮れる」とも交替する(u/a/o交替)。古形は「暮(く)る」。
2002/07/01 16:36
>>No. 216
>黄色と赤は平安時代からはっきり区別されるようになったが、青と緑はつい最近まで区別されていなかった。というより、言葉によっては、今も「みどり」は「あお」の一種と考えられ区別されていない。「青葉」や「青信号」がその例で、どうみたって緑である。そのため、「あお」といったのではブルーなのか、グリーンなのかがはっきりしないので、こういった外来語が急速にひろまっている。これは、外来語が単なる見栄で取り入れられるのではなく、それなりの理由がある例だといえよう。しかし、「ブルー」を取り入れるのはいいとしても、「みどり」を「グリーン」という必要はない。ところで、「みどり」とは、本来は草木の若い芽のことであった。こんなもとの意味はもうとっくに忘れられているため、「みどりの黒髪」という表現が不思議な印象を与えてしまう。しかし、これは単に「若々しい黒髪」ということなのである。「みどりご」というのも、幼い子供を草木の若い芽にたとえた表現である。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/color.htm
より
2002/07/01 20:17
>>No. 1昔、テレビで放送されていた「神々のいたずら」の主題歌の歌詞は縄文語だったよね。たしか、「姫神」というアーチィストが歌ってた。サントラが出てるよ。訳もついてる。なーんとなく通じるよ!
2002/07/08 17:09
>>No. 221
※「みどりご」とは、古代倭語で『三歳児』である。『年(歳)を取る』の、「取る」が其の説明の根拠である。年齢を重ねるのが、何故「取る」か、明確な説明が付く人は居ない。年齢は取得したり、獲得したりする物ではないのであるからして…。朝鮮語に臍の緒を留める、古代倭語である。
※“tol”二音節目では“dol”と成る。ハングル表記が出来ないので説得力に欠けるが…。
※“dol”⇒生まれてから毎年めぐり来るその日;誕生日。ある時点よりまる一日、または一年になる日、一周期(民衆書林・韓日辞典)。
※拠って、『み(みっつ)どり(誕生日)ご(児)』=三歳児、である。
以上、福島雅彦説に就き無断転載禁、喧伝は大いに結構!。
2002/07/09 10:51
>>No. 220
] 投稿者 (^^ゞ 2002/01/16 (Wed) 08:29:38
柳田国夫は、『食物と心臓』で日向の猪狩りに関連し、
「共同狩猟の獲物をセコに分かつとき、一人一人の取り分を
タマスというのを不審に思っていたが、この語がまた沖縄にも
保存せられていた」と書き、タマスと霊魂のタマシイは同源では
ないかと関心を示している。
(以上、片山龍峯氏『日本語とアイヌ語』からの孫引き。)
タマスは「狩猟の獲物を分けあうこと」とされる。これと、
アイヌ語ramante(狩猟する)は交替する可能性があるが、
タミル語には次の言葉がある。
タ tamas fair and equitable distribution(公正かつ公平な配分);
これは、日本語タマスと音韻・意味が完全に一致する。
2002/07/09 11:10
>>No. 224
C&Pがバレバレ・・・。
●タ mutiv-u end(終わり), finality(最終);;
○日 musub-i 結びの一番の「結び」。t/s交替。i/u交替。v/b交替。
2002/07/09 11:11
>>No. 225
●タ pat-ai to flutter(はためく),to quiver(振動する),to beat(打つ), to shake(振り動かす);
○日 fat-ameku はためく。
○日 fat-aku 叩(はた)く。
○日 fad-u 弭(はづ)。
万葉集にある「中弭(なかはづ)」というのは、弓の両端にある金属の弭のことではなく、同音の当て字で、「振動する」という意味ではないだろうか。
弭(ハズ)は弓の両端にあり、中弭という表現は成立しない。
通説の「金弭」は「奈加」を「加奈」の誤りと見るが、改変し過ぎである。
「加」は「利」の誤字として、奈利弭とする説もあるが、「鳴り弭の音」とすると、
弭は元々「鳴る」ものではありえないのでおかしなこととなる。
長弭(なかはず)として「長いfadu」の意味とすると、「弓の弦の長い振動の音がする」となり、
妥当なように思える。
2002/07/11 16:16
>>No. 226
●タ cett-u 1. trade(商売), traffic(売買); 2. economy(節約), thrift(倹約);
3. miserliness(しみったれ),stinginess(けち);
○日 ket-i けち。k>c遡及。
●タ kett-a bad(悪い), spoiled(台無しになった), ruined(破壊した);
●タ cet-i 1. sin(罪); 2. vice(悪), evil(害悪); 3. trouble(困ったこと), distress(災難);
4. bad odour, stench(悪臭); 5. meanness(ケチ);
○日 ket-i 「ケチがつく」の「ケチ」。
meannessは害悪といういう意味からの派生だとすると、「ケチ」という意味より「卑劣」という意味をあてるのが正しいかもしれない。
とすると、「けちん坊」の「ケチ」はcettu由来で、難癖とか災いという意味の「ケチ(がつく)」はceti由来ということになる。
2002/07/12 20:37
>>No. 1言語は人類が一種の時代から存在しました。百万年単位で遡る遥か、太古の時代からです。列島各地に残る、口伝承された古地名はコノ列島へ最初に住み着いた原人が残した古代の記録です。殆どの古地名の語源は万年単位で変化した地理的変化が語源になっています。
2002/07/15 07:47
>>No. 227
●タ ipp-am now(今), at the present moment(この現在の瞬間);
●タ imm-ai the present birth(今あるさま), the present state(今ある状態),this life( 今の世);
○日 im-a 今
●タ umm-ai life beyond the grave(墓の向うの世), existence after the present life( 現世の後の存在);
○日 yom-i 黄泉(よみ)。
<ref>
●タ iv-an 1. this place; 2. this world; present life
このことは、タミル語内部で、p音とv音が親和的であったことを意味する。
またipp-amとimm-aiは同源と思われる。p音とv音が親和的であり、かつp音がm音と交替する
現象は、日本語において、タミル語p、vがf、mと複合対応する蓋然性を示唆する。
以上から、「今」と「黄泉」はタミル語では対語となっていることが分かる。
なお、「闇」は以下であろう。
●タ yam-i 1. night(夜);daughter-in-law(嫁);
○日 yom-e 嫁(よめ)。a/o交替。
○日 yam-i 闇(やみ)。
嫁は姑にとっては闇か。
2002/07/30 10:08
>>No. 229
●タ err-u 1. to strike(殴る), cuff(平手で打つ); 2. to kick(蹴る); 3. to butt(頭で突く), as an elephant; to dash against(打ち砕く), as the waves of the sea;
4. to throw out(投げ出す), as water from a vessel;
5. to cut(切る), cleave(裂く), rend(引き裂く);
6. to pierce(突き通す), stab(刺す); 7. to kill(殺す);
8. to cast away(投げ捨てる), get rid of(取り除く);
9. to snap(パチンと鳴らす), as a carpenter's line for marking a board;
10. to raise(持ち上げる);
○日 yar-u 破(や)る。殺(や)る。「遣る」はこちらから向こうへ送り込む意味ゆえ、
to throw out,to pieceなどの意味から列島内で派生したものと
思われる。遣る(派遣する)、投げ遣り、思い遣り、遣り甲斐、遣り通す。
「水遣り」はまさにto throw out, as water from a vesselであろう。
yaruが成立するとすれば、*kerru>erru(蹴る)は成立しまい。
学研漢和の「遣」の解字によれば、「人や物の一部をさいておくりやること」。
*ya->e-のタミル語内部での交替。
2002/07/31 20:41
>>No. 231
タミル語と日本語の間ではp-がf-(90%)とw-(10%)に交替する。列島内でw-はさらに
y-と交替することがある。列島の一部でw-交替のまま保存されたのが「童(ワラファ)」
であり、y-に再転換したのが「野郎(やろう)」となった、と期待したいところである。
●タ pill-ai child(子供), infant(幼児), offspring(<人・動物の>子);son(息子);
youth(青年), lad(若者), boy(男の子);daughter(娘); tender(幼い子),
young age(若い年齢);
smallness, littleness(小さいこと);word-suffix to the names of persons and of some animals, birds and trees(人や幾つかの
動物、鳥、木の名に関する接辞);
○日 war-afa 童(ワラハ)。iとaはタ日間で交替しないので、タミル語内でpillai>pellai
の交替(屡々ある)があって、列島内でe/a交替した可能性がある。
○日 war-afa-be 子供。自分の妻(愚妻)。
○日 yar-ofu 野郎。若い男。(以下方言)男の子。男児。息子。自分の子。p/w/y交替。
列島内でi/e交替。e/a交替。
werai>yarai>yarouと推移したものと思われる。
-f-は重母音回避の介音。
大言海はyarofuはwarafa(童)の音便warafu(和郎)の転とする。
ともあれ、「野郎」と「童」を同根とする点においては一致する。
○日 yar-ai 山形方言。
○日 yar-aa 方言。
○日 yar-a 方言。
○日 yar-o 方言。
2002/08/01 09:15
>>No. 232
和歌弥多弗利は冒頭が「利歌」で始まっているが、
もしこれがタミル語由来の言葉とすれば、そもそも
日本語・タミル語ともr-から始まる言葉はない上、
サンスクリット語からの外来タミル語「rikami」では
おかしな言葉となる[rikami= unemployed person
(失業者)] ので、通説どおり「和歌」の書き間違い
という事になる。
タミル語にkutippirappalarという言葉がある。
これは persons of birth, of noble lineage
(高貴な血統の生まれの人)という意味である。
これを日本語風に言えば、
クチヒラハラとかスジミタフリとかになるであろう。
これを分解すると以下のような意味になる。
●kuti(lineage血統)・・・日本語suzi(筋)。k>c>s交替。
●pira(to be born生む)
●palar(society社会・assembly集まり・several persons数名の人々)
すなわち「その筋(血統)から生まれた人々」、
言い換えればthoroughbredである。
一方、日本語「和歌弥多弗利」という言葉が
随書倭国伝に出てくる。
「開皇二十年(推古天皇八年・600)、倭王あり。
姓は阿毎(あめ)、字は多利思比孤
(たらしひこ)、阿輩鷄弥(おほきみ)と号す」
人物を聖徳太子に比定している。
利歌弥多弗利(りかみたふり)を、日本語にラ行で
始まる言葉がないので、和歌弥多弗利
(わかみたふり)とし、「村」をフレ、フルと読んだことから、
田村皇子(のち舒明天皇)に比定する説もある。
「村(フレ)」はタミル語ful-amに対応する。
長崎県壱岐島に「○○触」として100例残存している。
しかし「タフレ」は「狂(たぶ)れ」に音が近く、
田村をわざわざ「タフレ」というかどうか。
また、「ワカミタフリ」を「若・御・田村」とする場合、
「若・御・田村の○○」と何らかの言葉が
後接するはずである。
したがって通説どおり「皇室の血統」に近い意味という
作業仮説を立ててみる。
そうすると、タミル語kutippirappalar(高貴な血統生まれの人)
という言葉の一部が、
ワカミタフリに類似する事が注目される。
ppirappalarの部分である。そこでkutiを
wakaと交替するタミル語makaに置き換えてみる。
●maka(noble高貴な)
makaは同時に[1. child, infant; young of an animal;
2. son or daughter;3. young age]の意味ゆえ、
日本語waka(若・稚)である。
●pira(to be born生まれる)
●palar(society社会・assembly集まり・several persons数名の人々)
したがって、元はmaka・kuti・pira・palarで、kutiが取れ
たかして
maka・pira・palar>waka・mita・furi
となったのではあるまいか。piraはmitaと交替する。
p/f/m交替。r/t交替。
弾音の-r-は-t-と交替する場合がある。
これだと、源氏物語の表現にも合致する。
源氏物語に「なまワカンドオリなどいふべき筋に
やありけん」という表現がある。
これはwaka・mita・furi>waka・mdo・foriと訛ったもので、
「どことなく『高貴な血統生まれの人』などという筋の人
だったらしい」という意味であろう。
この時点ですでに原義は失われていることが分かる。
2002/08/01 10:47
>>No. 233
多利思比孤(たりしひこ)も固有名詞ではないかも知れない。
タミル語にamarar patiという言葉がある。
「神々の主であるインドラ」という意味である(大野「形成」p520)。
amararは不死の(人々)という意味がある。
amaraは「神の」「天の」という意味である。これは、日本語「ame天」と対応する。
姓は阿毎(あめ)、字は多利思比孤(たらしひこ)と随書にあるが、
姓字の区分は中国人の想像であろうというのが通説である。
タミル語で「統治government」をtaul-attuという。
これは日本語tar-isiあるいはtar-asiと交替する。
●タ tal-ai person of highest quality and rank(最高階級の人);
leader(指導者);
unit(単位), person(人);
これは日本語「ひとり・ふたり」の「たり」でもあり、また「垂らし」と関係があるかも
しれない。
あるいはまたタミル語tariにはto control(支配する);to stand firm(しっかりと立つ);
to support(支える)という意味がある。
とすると、天の多利思とは「天を支配する」という意味であり、
多利思比孤は「支配する男」という意味であろうと推定される。
とすると、阿毎多利思比孤は「天を支配する男」ということになる。
「彦」は以下のタミル語と対応する。
●タ pic-am 1. seed(種子); 2.origin(〜の生まれ), source(源);
3. testicle(睾丸);5.semen virile(生殖力のあるsemen),
4. offspring(子・子孫・生じたもの), progeny[集合的に]子孫;
(人・ 動物の)子供たち;
息長垂(多良斯)姫は「talaicci=息長の最初に生まれた娘(長女)」であろうか
とも考えられるが、これは「息長を支える姫」の意か。
他方、タミル語に以下の言葉がある。
2002/08/06 12:41
>>No. 234
法螺・洞・振り・振る・触れ・狂(ふ)る・惚(ほ)る・掘る・彫る・貼る・張る・開(はあ)る・晴る・腫る・欲(ほ)る等
●タ pur-ai tubular hollow(管状の穴); 2. tube(筒), pipe(管); falsehood(ほら);
●タ pol hollow object(中空のもの),falsehood(ほら/嘘);
●タ val-ai conch(法螺貝などの巻き貝), hole(洞);
●タ pur-i making(なすこと), doing(すること); conch(法螺貝などの巻き貝) ;
○日 for-a 洞(ほら)。洞穴(ほらあな)。
○日 for-a 法螺(嘘)。
○日 fur-i ふるまい。動作。挙動。「人の振り見てわが振り直せ」など。
○日 for-a 法螺貝の「法螺」。
日本語においてはr-とl-の区別はないが、タミル語も、区別はあるものの
既に混同が生じている。
●タ pur-i to bring forth(生む・実を結ぶ), produce(生ずる);
○日 fur-u 波が立つ。(風が)起こる。
●タ pur-i to give(与える);
○日 fur-u 振り当てる。(漢字に仮名を)振る。振り替える。
●タ pur-i to experience(経験する), suffer(〈苦痛 不快な事を〉経験する);
○日 fur-u 関する。物事に出会う。
●タ pur-i to say(言う), tell(告げる);
○日 fur-e お触れ。広く人々に知らせること。芝居の町回り。相撲の呼び出し奴。
布令は当て字。
○日 fur-u 言いふらす。広く知らせる。
●タ pur-i to do(する), make(なす); to exercise(動かす), perform(演技する);
○日 fur-i 振り(知らない振りをするの「振り」)。舞踊の仕草。振る舞い。動作。
●タ pur-i to accept(受ける);
○日 fur-eru 「目に触れる」「怒りに触れる」の「触れる」。
●タ pur-i to be twisted(捻る); to curl(ねじ曲げる);
○日 fur-i ゆがみ。ずれ。
●タ pur-i to shake(振り動かす);
○日 fur-u 振る。振り動かす。
●タ ver-i 1. to intoxicated(酔う);
2. to become mad(狂う);
3. to be frenzied(熱狂する);
○日 fur-u 狂(ふ)る。狂う。*var-i>ver-iのvariがa/o/u交替。
○日 fur-eru 気が狂(ふ)れる。
●タ par-i sense of touch(触覚); love(愛), affection(愛情);
●タ pel to desire(強く望む); to love(惚れる);
●タ vel to marry(結婚する); to desire(強く望む); to love(惚れる);
●タ pur-i to desire(強く望む);
○日 for-u 欲(ほ)る。願い望む。惚(ほ)る。夢中になる。
●タ poy throw down(投げ捨てる)。
○日 poi ぽい(する)。
●タ par-i 1. to pluck(引き抜く), crop(刈り入れる),
pick off with a twist(捻ってもぎ取る);
2. to weed, eradicate(根こそぎにする);
3. to take by force(力ずくで取る); to usurp(強奪する),plunder(略奪する);
4. to dig(掘る), excavate(堀り抜く); 5. to unload(荷を下ろす);
6. to destroy(滅ぼす); 7. to abandon(捨て去る); to dismiss(捨てる);
●タ poll-u 1. to bore(くりぬく), make a hole(穴を開ける);
2. to hew, chisel(彫る); 1. to blister(水ぶくれになる。火ぶくれになる);
to swell(膨れる); 2. to be rent or torn(引き裂くあるいは傷を付ける);
○日 far-u 墾(は)る。雑草を抜いて開墾する。
○日 for-u 放(ほ)る。うち捨てる。広辞苑は「ハフル」の転とするが、
これは-a-の長音faaru(ファール)のaaに-f-が介音してfafaru>fafuruと
なったものであろう。このことは、以下の「屠る」がタミル語pariと対応する
ことからも分かる。
○日 faf-uru 屠(はふ)る。敵を破る。これはto destroyで、paaru>fafuruと
なったものであろう。
○日 fof-uru 屠(ほふ)る。敵を破る。
○日 for-u 掘る。彫る。刻む。入れ墨をする。これはpollu由来とするのが穏当。
●タ parr-u adhere to(粘着する);to touch(触れる);to stick(貼る);
to become joined to or welded tog
2002/08/06 12:42
>>No. 235
●タ par-i to spread(張る)。
●タ par-a 1. to spread(張る), extend(拡張する); to be diffused(一面に満ち渡る),
as water, air, odour, epidemic, clouds or light;
2. to be flattened(平らにする), as by hammering;
to be broad(幅広くある), as a plane surface;
○日 far-u 張る。(水を)張る。(ほお骨が)突き出る。平たく延ばして付ける。
(目を見)張る。
●タ ver-i to clear away(晴れる), as clouds
●タ vel-i to clear, as the sight after dimness, or the sky after cloudiness
(払暁、視界が澄み渡る、あるいは曇りの後、空が澄み渡る);
to brighten, as the sun or moon after being obscured
(曇った後、太陽あるいは月が輝く);
to become clear, as the meaning of an obscure verse
(不明瞭な詩歌の意味がはっきりする);
●タ vel-u 1. to become white(白くなる); 2. to become pale(青白くなる);
to lose colour(色が落ちる); 3. to dawn夜が明ける);
4. to become clear or manifest(鮮明になる、あるいは明白になる);
1. to whiten(白くする), bleach, wash, as clothes;
2. to drub(殴る), beat hard(強く打つ);
○日 far-e 晴。
○日 far-u ピシャリと打つ。
●タ pul-i to swell(膨れる);
●タ par-u to become large bulky(大きくかさばる), plump(丸々とする); to swell(膨れる);
○日 far-u 腫る。腫れる。
2002/08/08 11:16
>>No. 236
●タ cinn-i 1. small child(小さな子供) , little thing(小さなもの);
○日 cib-i ちび。-nn-/-nb-交替。cinbi>cibi。
「シノ<シナは『おもろさうし』のシノ,シナ,『混効験集』のシノの意味から見て,
「光り」が原義であろうと思う。日本・琉球語祖形として*sina「光」を立てうる
と思う。」(村山七郎著『日本語の起源と語源』p210)
琉球方言に「照るシノ」「照るシナ」がある。シノ,シナが「光」であれば、
「照る光」となるが、光は「照る」ことがその属性であるから、
歌詞ならともかく、光にわざわざ「照る」という形容を付けなくともいいように
思われる。
照る・輝る・晴るのタミル語は tel-i [1. clearness(明るいこと); 2. light(光)]であり、
これは日本語ter-i、ter-uに対応する。
太陽の属性は「照る」だけではないので、「照るシノ」「照るシナ」は「照る太陽」
かもしれない。
●タ in-an sun(太陽);
*cin-an>in-an。古形cin-anと新形in-anの双方が列島に
残ったものと思われる。
○日 in-a いな。
○日 sin-a しな。
●タ p-u birth(出生); production(産出);
○日 f-u 生(ふ)。草の生い茂っているところ。p/f/mと交替する。
●タ m-a time(時);
○日 m-a 間(ま)。「つかの間」の「ま」。間(あいだ)の時間。一続きの時間[広辞苑]。
○日 m-e
以上から、「しののめ」は「太陽の出生」もしくは「太陽の(出る)時」のいずれかと
推定される。
●タ cut-ar 1. light(光), brilliance(輝き), lustre; 2. sun(太陽); 3. sunshine(陽光);
4. moon(月);5. planet(惑星); 6. fire(火); 7flame(炎); 9. spark(火の粉);
○琉 tid-a 太陽。八重山鳩間方言。
○琉 tir-a 太陽。沖縄北部方言。
琉日間の音韻対応に i(琉球方言)/e(本土方言)がある。
○日 *tet-a eを鼻母音と推定すると、tent-oとなりうる。これに天道という漢字を
振り当てた。
しかしながら、日本でも「cidari」といっていた可能性がある。
「天の血垂飛鳥の禍なく」(『延喜式』巻8.大殿祭祝詞)の「血垂(ちだり)」は太陽であろう。
通説は「飛ぶ鳥の禍(わざはひ)なく」とある部分は、一般に「飛ぶ鳥が日光を覆って飛ぶ
ことのないように」と解されているが、現実的ではない。日光を覆う程のものは、バッタ
位である。
この文章は、以下のように分解できる。
?天の血垂の禍なく
?飛鳥の禍なく
この祝詞は田畑の安全と豊作を願ったものと推定される。
豊作の大敵は干魃と鳥害である。それゆえ、天の血垂(あめのちだり)は天の陽炎と
解するのが妥当であろう。
cidariはタミル語cutarの末尾母音化であり、iとuはタミル・日本語間で交替する。
2002/08/10 09:52
>>No. 237
●タ pat-akiri a kind of skin disease(皮膚病の一種);
○日 fat-ake 疥(はたけ)。皮膚病の一種。
●タ pat-ukar rice field(田);agricultural tract(農地);
●タ pat-ukai 1. land on the banks of a river fit for cultivation
(耕作に適した川沿いの土地); 2. reservoir of water(ため池);
○日 fat-a 畑(はた)。
○日 fat-ake 畑(はたけ)。
タミルでは田畑の峻別は日本ほどではないが、区別はある。
●タ tamp-al hardening of rice-fields after heavy rain(大雨の後の田圃の硬化)。
muddy land on the banks of a river(川沿いの泥地) (大野形成p296)。 ●テ damm-u mud(泥),mire((泥沼),wet ground(ぬかるみ)。
○日 tanb-o たんぼ。田。
●テはテルグ語。なおカンナダ語も同じ意味。
●タ et-ar plain(平地); open field(広々とした田畑);
○日 t-a 田。頭母音はしばしば脱落する。etar>*tar>ta。
日本語「田」は、田と畑の双方をさすので、湿田のみを意味するtampalとは区別すべき。
以下は対応不文明。
●タ patakk-appu slippers(上履き), clogs(木靴), sandals(サンダル);
●タ patuk-ai wooden sandals(木製のサンダル);
○日 pokk-uri ぽっくり。ぼっくり。女児用の下駄。patukai>*patkari>pokkuri。
重母音aiに-r-が介音。
広辞苑では「木履(ぼくり)」の促音化とする。
patuk-がpokk-として促音化したと見る方が適切。
突然という意味の「ぽっくり」は以下のタミル語が対応するところを見ると、
●タ potukk-o hurriedly or suddenly(あわただしく、あるいは突然に);
○日 pokk-ori 突然に。
○日 pokk-uri 突然に。
○日 pokk-ari 急に現れる様。
●タ titukk-itu to be startled, alarmed, frightened; to be shocked(びっくりする);
●タ tunukk-uru to be startled, struck with fear, shocked(びっくりする);
○日 dokkir-i どっきり。どきり。タミル語は語頭に濁音は立たないので、
日本語d-はタミル語t-として現れる。dunukk->dokki。
日本語がタミル語のクレオールだとすると、古代から日本に促音があった
としなければならない。
●タ vekk-ali to clear up, as the weather(空がはっきりする);
○日 fakk-iri はっきり。v/f交替。
●タ toppar-a soundly(徹底的に) , thoroughly(すっかり);
○日 sappar-i さっぱり。綺麗さっぱり。まったく。まるで。t/s交替。
○日 suppar-i すっぱり。まったく。ことごとく。t/s交替。
●タ kankar-an shrewd person(ちゃっかりした人物);
○日 cakkar-i ちゃっかり。kankar->cankar-。タミル語の語頭のc-はchと発音する。
2002/08/21 18:27
>>No. 1大凡で仮説を立てるとしたら日本語の起源はどれなのでしょう。
2002/08/27 15:47
>>No. 238
以下は、大伴坂上郎女が越の大伴家持に贈った歌である。
「片思(かたも)ひを 馬に両馬(ふつま)に 負(おほ)せ持て 越辺(こしべ)に遣(や)らば
人かたはむも」(万18-4081)
「かたはむ」という言葉は万葉集に一箇所出てくるだけで、その意味を巡って、争いがある。
吉田金彦「万葉語源」によると、「担(かた)ふ」であるとする。
タミル語解によれば、この解釈はほぼ妥当である。しかし、これを「荷物を担いでじっと耐えていることのできる状態」とし、「肩ふ=克た-ふ」と見るべきであるとするのには疑問がある。
「肩」はタミル語で以下が対応する。
●タ cett-ai 1. wing(翼), feather(羽), plumage(羽毛); 2. fin(ひれ);
3. shoulder blade[肩胛(けんこう)骨];
○日 kat-a c-の古体。タミル語内でe/a交替。
「勝つ・克つ」はタミル語で以下が対応する。
●タ kat-a to win(勝つ・克つ), overcome(克服する), conquer(勝ち取る; 克服する);
○日 kat-u 勝つ。克つ。
以上の理由で、「肩ふ。克たふ」という再構形は存在しないと思われる。
タミル語に以下の言葉がある。
●タ kotup-o to carry(運搬する);
○日 kataf-u かたふ。母音前者o/a交替。後者u/o交替。列島内でo/a交替。
「片思い」の歌は、タミル語の原義からすると、「片思いを馬に、二疋の馬に負わせ持たして越国の方に送ったならば、(片思いの相手の)人はそれ(片思い)を持ち運べるだろうか(重過ぎて無理ではないだろうか)」というように解釈できる。
この歌の「返歌」は「・・・都より馬に恋ひ来ば 担なひ堪(あ)えむかも」(18-4083)であり、「(そんなに重いのであればとても運ぶのに堪えられない)となる。ゆえにこれは戯れ歌である。
2002/09/02 08:37
>>No. 240
●タ vacantakosi Indian cuckoo(インドのカッコー);
○日 fototogisu ほととぎす(little cuckoo)。
vaca(ファティァ)はfoto(フォト)と交替する。タミル語は語頭に濁音は立たない。
ntaは日本語では多くはdaとなるが、taともなる。
したがって、ここまででvacanta(ファチャタ)≒fototo(フォトト)となる。
kosiはkusi>kisu>gisuと交替形を辿れるが、多音節末尾の母音節は交替の幅が
大きいので、子音kVsV(Vはいずれかの母音)が確保されていれば問題はない。
以上から、インドのカッコーであるvacantakosi(ファチャタコシ)は、
日本のカッコー(little cuckoo)であるfototogisu(フォトトギス)と綺麗に
交替する。
●タ porukk-u flake(薄片), skin(皮膚), thin layer that peels off(剥がれて厚みのない層),
scale(うろこ);
porukkuは日本語ではforukuかworukuに交替する。この場合は後者と思われる。
とすると、以下の日本語と対応する。
○日 urok-o うろこ。poruk->worok->urok-交替。
○日 irok-o いろこ。(古事記)。
○日 irak-a 瓦(イラカ)。
イラカはうろこ状である。もしくはうろこはイラカ状である。したがって、ともに
タミル語porukk-uに遡及できる。
「目からうろこが取れる」というのは「目から薄片が取れる」ということであろう。
2002/09/02 09:06
>>No. 241
●タ nar-u
1. to emit a sweet(快い音声を発する), to give forth perfume(においを放つ);
2. to stink(悪臭を放つ);
3. to appear(現れ出る), arise(起こる);
4. to come into being(生ずる); to be born(産まれる);
5. to sprout(芽がなる), shoot forth(芽が出る);
○日 nar-u
「鳴る」。1.のto emit a sweetに対応。
○日 nar-u
「熟(な)る」、「においを放つ」こと。熟れ寿司・おならなど。to give forth perfumeに対応。
なお、炊事を「おなり」というが、これも「煮炊きでいい匂いを放つ」ところから、同源と推定される。
○日 nar-u
「なる(腐る)」。2のstinkに対応。「魚のなれる〜」など。
○日 nar-u
「成る」。3.のto appearに対応。「お成り」、「夜になる」。出現・発生する意。
○日 nar-u
「生(な)る」。「石木よりなりでし人か」(万葉集5)など。4.のto come into being,to be bornに対応。
○日 nar-u
「なる」。「蜜柑がなる」など。5.のto spourt以下に対応。
以上から、タミル語nar-uの五つの意味すべてが、日本語nar-uの意味と対応する。
2002/09/16 22:45
>>No. 1あげます。
2002/09/17 10:31
>>No. 242
●タ tuvar-am 1. hole(穴), opening(口), slit(切り口), perforation(穴を開けること);
2. gateway(出入り口), main entrance(表玄関);
3. passage(通路), avenue(大通り), outlet(はけ口);
○日 tob-a・kuti トバ口(入り口)。tuvarの-r消滅。
○日 tobar-i 帳(とばり)。
○日 tobir-a 扉(とびら)。u/o交替。第二音節母音a/u交替。列島内でu/i交替。
●タ tuvarapantam door(扉);
●タ tuvaracakai folding door(折り畳みの扉);
上記単語のtuvaraに後接する単語の意味は以下の通り。
●タ pantam surrounding wall(周囲の仕切壁);
●タ cakai (折りたたみ式テーブルの)自在板。
なお、以下のような単語もある。
●タ tuvarapinti door-step(扉の踏み段);
以上から、tuvaraは入り口の意で、転じて日本語トバリ・トビラとなったことが抽出される。
転じず原義を保存したのが「トバ」である。
2002/09/22 13:12
>>No. 244
●タ pukal residence(住まい), dwelling(住家); refuge(避難), asylum(保護);
receptacle for storing grain(穀物備蓄用の袋);
○日 fukur-o 袋。
○日 fugur-i ふぐり。
○日 fokor-a 祠(ほこら)。通説は「神庫(ほ・くら)」とする。
しかし「神」を「ほ」とは言わない。
「神の住家」ということであろう。
●タ pukar mist(霞), fog(霧), haze(靄); duskiness(黒ずんでいること),
dinginess(薄汚いこと),dimness(薄暗さ);
○日 fokor-i 埃(ほこり)。
○日 fokur-o 黒子(ほくろ)。
●タ pukar colour; brightness(明るさ),light(光);
○日 fogar-a ほがら。晴れ晴れと開けて明るい様。
「東雲のほがらほがらと明けゆけば」(古今和歌集)
○日 fikar-i 光(ひかり)。
●タ pukal hollowness(中空);
○日 fogar-a ほがら(中が空のこと)。「見かけがようても皆ほがら。」(義経千本桜)
●タ pakir-u pride(誇り)。
●タ pakr-u pride(誇り)。
○日 fokor-i 誇り。
●タ pukal rejoicing(歓喜);
○日 fogar-a 朗(ほが)らか。pukar(rightness)と習合か。
●タ pogk-u 1. to boil up(煮え立つ), bubble up by heat; 2. to foam and rage(泡立ち荒れ
狂う), as the sea; 3. to increase(増える); 4. to expand(拡大する),
swell(膨らむ), as with joy; 5. to be swollen(膨らむ), as a boil or sore;
○日 fog-uru 解(ほぐ)る。
○日 fuk-uru 膨(ふく)る。
●タ pukar complaint(不平);
○日 fukur-e ふくれ。「ふくれ面」の「ふくれ」。
2002/09/22 17:28
>>No. 1
別のトピックのご紹介です。
日本語の縦組文章の右方向を提案する掲示板を作りました。
縦書きの文章で、改行して左に移動していくと、ボールペンのインクや鉛筆が手のひらについて文字も用紙も汚れるし、書いたものが手のひらに隠れて見えなくなります。また、ノートや本の表紙も横書きと縦書きは逆です。
この縦組と横組の逆進行は円滑な言語・印刷文化のネックになっていないでしょうか。
それをこの「歴史> 日本史 > 日本語の起源」に投稿するか迷ったんですが、歴史だけでなく日本語の未来のためのテーマですので「言語」カテに開きました。
縦書き・横書きの起源についても、ぜひご意見をお聞かせください。
ホーム>学校と教育>言語 > [提案]日本語 縦組文章の右進行革命
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=ED&action=m&board=1834896&tid=a1nds0fa1offck
dc8lbddahj8beoa4n1a6bfj9t3wlbf&sid=1834896&mid=1&type=date&first=1
2002/09/27 07:36
>>No. 245
伊邪那伎命が月讀命に対して、
「『汝命は、夜の食國を知らせ』と事依さしき。」(古事記)
「食国(をすくに)の天下の政(まつりごと)はひとり知る(専制する) べきものにはあらず。」
『後二条師通記』[藤原師通(1062−99)]
●タ occ-u to govern(治める); to wield(統治する) ; to sway(支配する);
○日 wos-u 食(をす)国。食には「養う」という意味があり(大漢和v12-p371)、これを
充てはめた可能性もあるが、むしろタミル語ac-i食べる)が日本語wos-u
と交替する(食べ物を「袁志物(ヲシモノ)」という例が日本書紀にある)
ところから、食べることを「ヲス」といい、これに「食」の漢字を充て、
そのまま同音のocc-uにも「食」の漢字を充てたものと思われる。
したがって、「天皇の乎須久尓なれば」(万17-4006)は、「天皇の統治する
国」という意味になる。
●タ ac-i to eat;
○日 wos-u 食す。
●タ tel-i to know(知る), understand(理解する), perceive(知覚する);
to make known(知らせる);reveal(明らかにする);
●タ ter 1. to know(知る); to gain true knowledge(正しい知識を得る);
2. to perceive(気付く), ascertain(確かめる), understand clearly
(明確に理解する); 3. to arrive at puberty(思春期になる);
4. to be renowned(知られている・著名である);
5. to be clear(鮮明である), lucid (澄んでいる);
●タ ter 1. to examine(調査する), investigate(研究する), inquire into(取り調べる);
2. to understand(理解する), know(知る);
3. to consider deliberate(慎重によく考える); 4. to elect(選ぶ);
5. to seek(捜す);6. to ascertain form a conclusion(結果を確認する);
7. to acquire(学ぶ), obtain(得る); 8. to doubt(疑う); to be well versed
(よく熟知している)
○日 sir-u 知る。
●タ tel-i to become white(白くなる);
○日 sir-o 白。
●タ tel-i delirium(精神錯乱);
○日 sir-u 痴(し)る。
●タ tel-i to clear(晴れる),to be bright, as the countenance(<顔つきのごとく>輝く);
○日 ter-u 照(て)る。輝(て)る。晴(て)る。
●タ tel-i to experience(経験する);
○日 sir-u 知る(経験する)。「男を知る」など。
●タ cer-u sap(汁), juice(汁);
○日 sir-u 汁(しる)。
貧女腐汁(ユスル)俸縁(東大寺諷誦文)とある。一般に「ユスル」は「ユシル」で「湯汁」と解釈されているが、これは字義通りuz・ceru>uc・ceru>yu・siru>yu・suruで「腐汁」であろう。
●タ uz-u to decay, rot, putrefy(腐る);
●タ uz to decay(腐る);
○日 *yuz ユスルの「ユ」。ユズスル>ユスル。
「賞味期限の切れた汁」といったところか。uが訛ってyuになっったと思われるのは、汁もセルも訛っているからである。
●タ terru 1. making clear(晴れにする); 2. becoming clear(晴れになる);
○日 teru テルテル坊主の「テル」。
2002/09/27 07:37
>>No. 247
「底津石根に宮柱布斗斯理(みやばしらふとしり)、高天の原に氷木多迦斯理(ひぎたかしり)て治めたまはば」
この「ふとしり」は以下の意味と推定される。
●タ putt-i 1. stoutness(頑丈), robustnes(逞しさ)2.fatness(太っていること);
○日 fut-osi (太し)。
○日 fut-o 「ふとしり」の「ふと」、霊剣「布都御魂」の「ふと」で、「頑丈」という意味。
●タ cer 1. to join(結合する), combine(結びつける), unite(一体にする);
2. to append(付加する), attach(くっ付ける), piece together(つなぎ合わせる);
3. to admix(混ぜる), incorporate(合体させる), amalgamate(融合する);
4. to cause sexual union(性的結合をする);
5. to tie(結びつける), fasten(しっかりとめる);
to secure by fastening(締め具で固定する);
6. to build(建設する), construct(組み立てる), make(造る);
7. to add(加える), interpolate(挿入する), insert(差し込む);
○日 sir-u 語義不詳とされる。
「宮の柱ふとしり」はしたがって、putti cer>futo sir-i=「宮の柱が頑丈に固定され」という意味であろう。
「ヒギたかしり」は、「千木(チギ)」と同義で「破風の先端が延びて交差した木」であるから、
その「木が高く組み立てられて」という意味であろう。
「夜の食國を知らせ」の「知る」も、「ヲス国」ですでに「統治する」と記述されているので、「統治する」という意味ではなくto built,to constructという意味でのcerであろう。
なお、「宮」は「御屋」と理解されているが、以下の可能性が高い。
●タ mal palace(宮殿);
○日 miy-a 宮殿。タミル語内部でa/e交替。すなわちmal>mel。列島内でe/i交替。l/y交替。
2002/10/01 09:33
>>No. 248
●タ cullikai cricket(こおろぎ);
○日 koorogi コオロギ。古形kullikai>kurugiからの訛り。おそらくcriketと同語源。
●タ cilli cricket(こおろぎ);
○日 kiri キリ(こおろぎ)。新潟南。k->c-交替前の古形。
○日 hiri: ヒリー(こおろぎ)。香川。k/kh/h交替。
○日 giro: ジロー(こおろぎ)。新潟中。古形k-の濁音化。
●タ cillikai cricket(こおろぎ);
○日 kirigo キリゴ(こおろぎ)。鳥取・岡山・島根・広島東。古形killikaiより。
○日 kirigo キリゴ(きりぎりす)。島根東。
○日 kiryogo キリョゴ(こおおぎ)。三重東南。
●タ paccai a household pest(一家の厄介者); cricket(こおろぎ); cockroach(ごきぶり);
○日 occo: オッチョー(こおろぎ)。滋賀北。woccoの転。p/w交替。
●タ cimili cricket(こおろぎ);
○日 gimi ギミ(こおろぎ)。宮崎西・鹿児島・種子島。古形kimiliの濁音化。-liの脱落。
○日 gime ギメ(こおろぎ)。熊本・宮崎西・鹿児島。
2002/10/01 09:38
>>No. 249
●タ mant-iram sacred formula of invocation of a deity(神への祈願のための聖なる言葉),
magical formula(魔法の言葉), incantation(まじない),
charm(魔法), spell(呪文);
○日 maz-inafi まじない。-nt-/-d-交替。-r-/-n-交替。
これからすると、「まじない」は梵語のmantra(真言)のタミル借用語mantiramから来ていると思われる。ラテン語magice、中期英語magik、英語magicと同源の可能性がある。
2002/10/04 12:40
>>No. 250
●タ omp-u to consider(考える), discriminate(識別する); to concentrate the mind
(心を集中する); to clutch or grasp tightly(堅くしっかり握る);
○日 om-ofu 思ふ。
○日 ob-si 思(おぼ)し。mp>b交替。語源からすると、「オボス」が古形のように思われる。
タミル語で心(こころ)はakakkaran-という。
●タ akakkaran-am mind(心)
●タ aka 1. an exclamation expressive of wonder(驚きを表す感嘆詞);
2. an exclamation expressive of assent(同意を表す感嘆詞);
●タ karan-am organ of sense(感覚器官); intellect(知性); cognition(認識);
mind(心); principle(原理), origin(源), source(原因);desire(願望);
「驚きの感覚器官。驚きの認識。驚きの心。驚きの源」といったところである。冒頭のa-を取ると
kakkaran-で「kokoro」と交替しうるが、a-が邪魔である。
akakkaran-はakaとkaranからなる。
一方、タミル語に以下の言葉がある。
●タ kol to consider(考える), think(思う);
to seize(つかむ), grasp(しっかり握る);
to receive(受け取る);
to buy(買う),purchase(購入する);
to acquire(得る),take possession of(手に入れる),occupy(占領する);
to marry(結婚する);
日本語「ココロ」(kokoro)はkol・karan->ko・kara(思う・心)(思う・源)とすることも出来る。
もっとも、任意の組み合わせを無限定にすると、「結婚・願望」「買う・原因」ともなる。
「考ふ(kangafu)」は一般にkam・gafuとされている。
タミル語に以下の言葉がある。
●タ kan to perceive by the senses(感覚で気づく); to consider(考える);
このkanは名詞だと「眼」という意味である。このkanにkolの末尾子音-lを脱落させて、
ko・fu>kafu(o/a交替)とすると、kan・kafu>kan・gafu(連濁)となる。以上で「考え思う」となる。
これによると、実際はkamではなくkanで、更に昔はkonであった可能性がある。
ただし、タミル語が複合語を形成する場合、後接の単語の頭子音は多くの場合、重子音となる。
(この仕組みが、日本語の連濁現象の起因と思われる。)
これをkan・kafuに適用すると、kan・kkafu>kankkafuとなるが、子音が三連するため、
kamukkafuと-u-が介音し、-kk-は日本語化する際の例にならい、鼻濁音−ng-となり、
したがってkamugafu>kangafuとなったものと推定される。
他方、このkanにkaran-amを後接させるとkankkaran-となる。
そうすると、「考える」源は「心」なので、kan・karan(考える源・考える感覚器官)がkokoroとなった、
とすると、組み合わせの任意性は許容範囲となる上に、「思考」という現象をよく捉えている語となる。
(これからすると、ココロは当初、コンコロあるいはコゴロと言っていた可能性がある。(-kk-は
日本語では-nk-/-ng-となる場合が多い。)
なおkolが開音化してkankkolo>kokkoroとなったとも考えられるが、kolは動詞なので、こちらは
「考ふ」のg・afuを担ったものと推定される。
2002/10/11 14:02
>>No. 251
スサノヲは「泣きいさちる」ことで大地を荒廃させるところから、水神であろうと
されている。
●タ nek-iz flow out(流れ出る), as tears from the eyes,
as milk from the breast;
○日 nag-aru 流る。nak-iz>nek-iz交替の旧形。
○日 nak-u 泣く。
「鳴く」は以下が対応する。
●タ nak-u to sing, as a bird(<鳥の如く>鳴く); to laugh(笑う);
○日 nak-u 鳴く。啼く。
「脱ぐ・ぬかる・投ぐ・和ぐ」などは以下が対応する。
●タ nek-iz to slip off, as a garment(<衣服などを>脱ぐ・解く);
○日 nug-u 脱ぐ。e/u交替は稀である。
●タ nek-iz to become soft, as overboiled rice(炊きすぎたご飯のように柔ら
かくなる);
to lack cohesion, as earth wet by rain(土が雨にぬれたりして
ぬかる);
○日 nuk-aru 泥濘(ぬか)る。
○日 nuk-a 糠(ぬか)。
●タ nek-iz to forsake(見捨てる);
○日 nag-u 投ぐ。nak-iz>nek-iz交替の旧形。
●タ nek-iz to become loose(柔らかくなる), to melt(溶ける);
○日 nag-u 凪ぐ・和ぐ。
○日 nag-oyaka 和やか。
○日 nag-usamu 不満な心を沈め満足させる。
○日 nik-o 和(にこ)。列島内でe/i交替。
●タ itacc-urru going from right to left(右往左往する) ;
○日 isat-iru 「泣きいさちる」(スサノヲ)の「いさちる」
→泣いて右往左往する。
○日 isat-iki 伊佐知伎(いさちき)…泣きいさちき。
以上から、「泣き」&「いさちる」はタミル語と交替する。
●タ cunt-u water(水);
○日 sus-a すさのをの「すさ」か。これからすると、スサノヲは
水の男であろう。
記紀では天照・月読、すなわち太陽と月と並べてスサノヲを置く。太陽・月とくれば
本来、星が登場すべきところである。そこで「スサ」を、cun-tuと発音が類似している
cut-aiにとって星の王ともしたものと推定される。
●タ citam star;
●タ cutai star;
○日 tut-u 夕筒(宵の明星)の「つつ」=星。star、ラテン語stellaと同源の
可能性がある。
この星の王はアハキ原で禊をする。
タミル語で天の川をamar-apakai[the milky way(天の川)]という。
amarは日本語「天(あま)」と等しい。
●タ am-ar (サンスクリット語ama-raより)1.immortal(不死の)2.a deity
(神)3.the residence of Indra(最高神インドラの住処);
○日 ama 天(あま)。この「天」は天上及び神と同義である。
アハキとは以下の意味である可能性がある。
●タ apak-ai river(川), stream the Ganges (ガンジス川)
○日 afak-i アハキ。
したがって、アハキ原とはガンジス川の河原、天のアハキ原とはamar-apakai、
すなわち「天の川」ということになる。
ちなみに天の安の河原という場合の「ヤス」も、以下から天の川と推定される。
●タ mac-u cloud(雲); dust(塵); the milky way(天の川);
○日 yas-u 「天の安の河原」の「やす」。macu>wasu>yasu交替。
w-とy-は交替しやすい。倭国の倭はyaに近く、和国はwaである。
なお天の川をnakavitiともいう。
●タ nakai brightness(輝き); splendour(華麗); jewels(宝石);
●タ viti street(街路);
○日 mit-i 道。
以上から、nakavitiは
輝く道」となり、天の川にふさわしい。
このアハキ原でスサノヲは奥津甲斐弁羅神、辺津甲斐弁羅神などを産む。
このカヒベラ二神をふたご座に比定する説がある。
cav-ai gemini of the zodiac(ふたご座);
○日 vell-i star;
以上から、この比定は正しいと推定される。
2002/10/11 14:04
>>No. 252
「 一に云はく、二の神、遂に邪神および草木石の類いを誅ひて、皆すでに平けぬ。
その不服はぬ者は、唯、星の神香香背男のみ。故、また倭文神建葉槌命を遣わせば
服ひぬ。」[紀神代九段(本文の文注)]
星の神「香香背男」の別名は天津甕(みか)星である。
●タ cokk-am excellence(卓越);ruby(ルビー) ;
○日 kak-a 香香。kokk->cokk-の古形。
●タ mikka excellent(優秀な),superior(優れた)
○日 mika 甕(みか).
両者に共通した意味はexcellentであるので、天香香背男の「香香」はcokk-amで
あろうと推定される。「背」はタミル語ttu(of)、日本語「tu(津)」の訛りで、
本来は香香津男ではなかったか。とすれば、香香背男も甕(みか)星も「卓越した星」
という意味となる。
これを討ち取った神、倭文神建葉槌命(しとり神建はつち命)の「しとり」は以下
であろう。
●タ cut-ar 1. light(光), brilliance(明るさ), lustre(輝き);
2. sun(太陽);
3. sunshine(日光);fire(火); flame(炎);spark(火の粉);
○琉 cid-a 太陽; 本土e/琉i交替だが、直接タミル語でu/i交替する。
○琉 ted-a 太陽;
○日 tent-o 天道。
○日 titar-i 天の血垂の「ちたり」、すなわち太陽、あるいは陽炎。
○日 sitor-i しとり。
「おもろさうし」第二42に「てだが穴」とある。これは「太陽の出る穴」という意味で
ある。葉槌の「葉」はvay[hole(穴); orifice(開口部)]であろう。
倭文神建葉槌命から修飾語を排除すると、倭文・葉(しとり・は)となる。
これは琉球語「てだが穴」と同義となる。
すなわちこの神話は、「卓越した星」を太陽神の分身である「太陽(が出る)穴」が討ち取ったという意味となる。
とすると、太陽が昇りかけるまで天空で光っている星は「明けの明星」しかないので、
香香背男は明けの明星を指すものと思われる。
2002/10/12 12:11
>>No. 253
稲荷とキツネとの関係は、穀類を食べる野ネズミを狐が食べてくれるので、狐を穀物の守り神と考え、そこから稲荷(五穀を司る神)と結び付いたという説や、稲荷の神と同体の御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、そこから狐が登場したという説など幾つかある。「稲荷信仰の研究」p11では、「食(け)津(つ)ネ(根源霊)」であるとする。
「稲荷」という文字の初出は892年に完成したとされる「類聚国史」が初出である。それによると、827年正月の淳和天皇の詔(みことのり)に「稲荷」とある。それ以前の文献資料では「山城国風土記逸文」に「伊奈利」とある。「稲荷」が「稲」が成ることを表象したものであるならば、「伊奈利」と当て字するのは胡乱なことである。この当て字は「いなり」がどういう意味か分からなかったからではなかろうか。
キツネもタヌキも、「イヌ科」の哺乳類である。外国では、これらとイヌを区別しない場合がある。タミル語も同様で、イヌとキツネは一緒くたになっている。
「イヌ・キツネ」に共通するnariはタミル語で jackal(野生の犬<ジャッカル>)の意味がある。
以下のキツネという言葉の語源と思われるタミル語に「イナリ」が含まれている。
これからすると「食(け)津(つ)ネ(根源霊)」説は疑わしいが、あとから語呂合わせをした可能性もある。
しかし、キツネは音韻変化の過程としてはkuzain-ariのkuがkiに交替したものであり、列島内の一部でさらにkiからkeとなったものである。
したがって、ケツネという方言はあとから生じたものであるから、それを分解して「食(け)津(つ)ネ(根源霊)」とすることは牽強付会と言えるかもしれない。分解するなら「キ津ネ」であろうが、これだと意味が取れない。
なお饌(=食<け>)はタミル語ka[receptacle(入れ物), basket(籠)]の交替形ke(ドラヴィダ諸語の中でもタミル語のみに生じたa/e交替)]が列島内で「入れ物」と「食べ物」の両義となったものである。
大気津比賣(おほげつひめ)は稲荷と密接なつながりのある穀物神である。したがって「気津」は食物を意味する言葉のはずである。
●タ kat-i rice food(ご飯);
○日 kat-e 糧(かて)。
○日 ket-u 気津(けつ・きつ)。
以上から、大気津比賣はご飯の神であろう。
食料神、止由気之皇太神(豊受大神)の「うか・うけ」も、都合のいいことにタミル語で食料
という意味である。
●タ puka food
●タ pukar food
○日 wuka 宇気。宇迦。豊受大神の「受」。「保食(うけもち)神」。
2002/10/12 12:12
>>No. 254
●タ kuzain-ari short tailed fox(尾の短いキツネ);
○日 kitune キツネ; u/i交替。riの脱落。
○日 ketune ケツネ
○日 kitine キチネ(青森・秋田方言)
○日 kitun キツン(富山古方言)
○日 kizune キズネ(岩手・千葉方言)
kuzaippampuは dwarf snake(矮小なヘビ・・・kuzaiはクチナワのクチ、pampuはハブ)、kuzaikkompanは ox with blunt horns(鈍らな角をもった雄牛で、恐らく「矮小な角の雄牛」ということであろう)、kuzaivalanは short-tailed snake(短い尻尾のヘビ)であるところから、kuzainariはkuzai-nariである。
したがって、キツネという言葉の語源と思われるkuzainariからイナリが導かれたのではなく、別系統の言葉からイナリが導かれたものと思われる。
そこで次のタミル語が直接イナリに結びつく可能性がある。
●タ peynari rabid fox(凶暴な狐・・・野生の狐)
○日 winar-i イナリ;p/f交替。列島内でf/w交替。
●タ vennari a kind of fox(キツネの一種)
○日 winar-i イナリ;v/f交替。列島内でf/w交替。
以上はタミル語において「キツネ」系に分類される犬であろう。
ただしpeyには 1. devil, fiend(悪魔); 2. wildness(野生); 3. evil(悪);4. madness(狂気); frenzy(逆上); という意味があるが、rabid dogは「狂犬」という意味もある。もっとも、祀るキツネは凶暴のほうが霊験がある。
したがって、vennariが、イナリとして列島人にイメージされた可能性がある。この場合は当初からキツネがイメージされていたはずである。
以下は「イヌ」系の犬である。
この言葉が、「イヌ」の語源になったと推定される。
●タ cenn—ay brown-coloured dog(褐色の犬);
○日 in-u イヌ。c-の脱落。enn-ay>inu
○日 in-a 犬[方言(多良間)]。
○日 inn-a 犬[方言(富山の古語)]。cennna>ennaに近い。
○日 in 犬[方言(長崎を除く九州・琉球)]。
○日 in-u 犬; 列島内でa/u交替。riが脱落。
○日 en-u 犬;[方言(青森・八戸・弘前・秋田・山形)。i/e交替。riが脱落]。
○日 en-o 犬;[方言(秋山) i/e交替。a/o交替。riが脱落]。
しかしながら、韓半島ではこれが「キツネ」の語源となっているように思われる。
◎韓 enn-i キツネ[韓国方言(nnは鼻音)]
◎韓 jan-u キツネ[韓国方言(nは鼻音。以下同)]
◎韓 jan-i キツネ[韓国方言]
◎韓 jen-i キツネ[韓国方言]
◎韓 jan キツネ[韓国方言(咸南の咸興・定平方言)]
◎韓 i:n キツネ[韓国方言(咸南の栄興方言)]
●タ j-u dog(イヌ);
○日 jo(-go) 犬の子[方言(秋山)。「jo子」でjoが犬の意味であったと思われる。
u/o交替]。
◎韓 j-ao キツネ[韓国方言]
◎韓 j-au キツネ[韓国方言]
◎韓 j-aii キツネ[韓国済州島方言(全地域)]
◎韓 j-ei キツネ[韓国方言]
なお、韓国語(標準語)でキツネはjou、古語はyaz、yaza、yaziである。
この古語は、「キツネ」系の犬であるタミル語vennariから出ているものと推定される。タミル語-nn-は-z-に交替する。したがって、vennariの古形vannari>yaz-ari>yaz-となる。
キツネと油揚げの関係は、cenn-ay >enn-ayとタミル語enn-ey(oil;油)の音の類似から習合したものかも知れない。
油より油揚げの方が安い?から代用されたか。
以上から、稲荷とキツネと油は、音が似ているために結びついたものと思われる。
とはいえ、これだけでは稲荷の実態は分からない。
2002/10/13 10:27
>>No. 255
帝(みかど)の「かど」は、「御・門」が通説のところ、むしろタミル語からすると「御・所」と思えたが、「御・所」としての「みかど」は、新羅に対してのみ使用されたもので、一般にいう「みかど」はタミル語atiが語源と思われる。
**********************************************
【新羅に対して用いられた「帝国」という意味での「ミカド」】
●タ mi 1. top(上), surface(表面); 2. height(高), elevation(気高さ),
eminence(卓越), loftiness(そびえたっていること);
3. sky(空), heavens(天);
4. greatness(偉大), dignity(威厳);
●タ katai place(所); entrance(入り口), gate(門), outer gateway(外側の出入り口);
end(端), termination(終結);
○日 kad-o 門(かど)。
以上から、「偉大な所」「天なる場所」という意味であったであろう。
**********************************************
【一般的に用いられる「天皇」という意味での「ミカド」】
●タ at-i beginning(原初), commencement(始まり);source(源・原因),
supreme ruler(この上なき支配者), emperor(天皇・皇帝);
sun(太陽);
○日 kot-o 命(みこと)・尊(みこと)の「こと」。「み」はタミル語mi(御); k-の脱落。
○日 kad-o 帝(みかど)の「かど」。
○日 hat-u 初(はつ)。始。一(はじめ)。基(はじめ)。元(はじめ)。k/kh/h交替。
atiを語源とする「ミカド」は、「御・天皇」という意味と思われる。また、神々の尊称としての命・尊は「この上なき支配者」という意味が後に「神」「皇子・皇女」という意味に転化したものではないだろうか。
日本書紀ではこの「神」は「ミコト」と同意である。
ともあれ、「神」を「ミコト」と呼ぶのは、「ミコト」を「御言」とする通説にはそぐわない。
おそらく「ミコト」と「ミカド」は同源であり、atiに「天皇」と「太陽」の両義があることは、タミル自体に太陽信仰があったことを暗示する。
そうすると「言霊」という意味も再検討しなければならないかもしれない。
「言霊の幸ふ国(ことだまのさきはふくに)は「言語の呪力によって、幸福がもたらされている国」とされる。
しかしこれは、「天皇霊の幸ふ国」「太陽霊の幸ふ国」という意味にもとれる。
たしかに「言葉の呪力」に対する信仰が列島にはあったようだが、この「コト」と、天皇という意味での「コト」が混同された可能性もある。
「ことあげ」とはまさか「かつあげ」(恐喝して金品を巻き上げること)ではない・・・。
[候と侍]
●タ kappal one who defends(守る人), guard(衛兵);
●タ kaval-an 1. protector(保護者), guardian(監視者); 2. king(王);
3. body guard(ボディーガード); 4. husband(夫);
○日 samur-ai 侍(さむらい)。k>c交替。
kaval->caval->cavar->samur-。-v-/-m-交替。侍はkapparr-uから交替としても可。
●タ kapparr-u to preserve(保護する), guard(護衛する), watch(見張る),
take care of(世話をする), protect(守る), save(救う);
○日 samur-afu さむらふ。 -pp-/-nb-/-b-/-m-交替。
○日 samor-afu さもらふ。
○日 sabur-afu さぶらふ。-pp-/-nb-/-b-交替。これが古形と思われる。
○日 sour-ou 候(そうろう/近代)。
○日 kab-afu 庇ふ。s-に交替しなかった例。
『大言海』が語源を「守る」としているのは正しい。「門下(みかど)に侍(さぶらひ)て非常に備ふ」(景行紀)
服部嘉香氏は「書簡史的に見た『侍り
』と「候ふ』との推移について」で、「候ふ」は、接頭辞の「さ」と「守(も)る」の延音「もらふ」との熟した「さもらふ」の転音とするが疑問である。
●タ pav-an creeper(這うもの);
○日 faf-u 這う。
○日 fab-eru 侍(はべ)る。
○日 fanber-i 侍り。
本居宣長が「はべる」を「匍匐(はへ)り」由来としたのは正しい。
2002/10/14 15:06
>>No. 256
一般に言う「みかど」のkadoが、既出ati由来である証拠になりそうなものに、
朝臣(あそみ・あそん)がある。
この言葉のうち、臣(おみ)は、タミル語の以下の言葉が対応する。
●タ am-in confidential officer(信任の厚い役人・将校)
○日 om-i 臣(朝廷に仕える役人)。例:もののふの臣の壮士(おとこ)は大君の
任のまにまに(万3);
朝臣は八色の姓の第二位である。多くは皇別の氏が与えられる。すなわち、「天皇の臣」である。
●タ at-i beginning(原初), commencement(始まり);source(源・原因),
supreme ruler(この上なき支配者), emperor(天皇・皇帝);
sun(太陽);
以上から、ati・am-in>atiami>asomiは「天皇の臣」という意味になる。この場合、
k-の脱落形で現れる。
なお、通説は「吾兄(あそ)・臣(おみ)」の約とするが、これは苦しい。
八色の姓(八くさノかばね)の「くさ」は以下と思われる。
●タ kuz-am swarm(うじゃうじゃした群れ); herd(家畜の群れ), flock(群れ);
○日 kus-a 種(くさ);民草など(通説は雑草のように生じる民とする)。
姓(かばね)は多少疑問が残るが、以下の可能性もある。
●タ kavan collection, as of trees in a forest(<森の中の木々のごとく>
集まったもの);
○日 kaban-e 姓(かばね)? 通説は「株根」=カバネとする。
通説よりはマシと思われる。
以上からすると、八色の姓(やくさノかばね)とは「8ランクの群れの集まり」ということになる。
確かに「おみ」「むらじ」「みやつこ」「きみ」「あたい」「ふひと」など、数十種類の「集まり」がある。
宿禰も以下の意味かもしれない。八色の姓の第三位にノミネートされてる。もともとは、
重臣、すなわち貴族に対する敬称であった。
●タ cukunam noble character(高貴な人)
○日 sukune 宿禰。
通説のいう「草」は以下であろう。
●タ kuz-ai tender leaf(柔らかい葉), sprout(芽),
shoot([驚き・ いらだち・後悔などを表わして]クソッ!)?;
○日 kus-a 草(柔らかい茎を有する植物);
「うじゃうじゃ」はkuz-amのk-の脱落形uz-amと推定される。uza・uza>uzya・uzyaとなる。
以下、うじゃうじゃある・・・。偶然の一致とするには涙ぐましい対応ではある。
●タ kuz-ai to pulp(ドロドロになる),to mashy(ドロドロにする),
to become soft(柔らかくなる),to pulpy(汁が多くある);
○日 kud-asu 下す。降す。
○日 kud-asu 腹を下す。きたねえ・・・。
○日 kus-o クソ。
このkuzaiはkuza・mono>kuda・mono(果物)と交替する。「柔らかく汁が多いもの」である。
一方、獣(けだもの)は以下であろう。
●タ kuz-am swarm(うじゃうじゃした群れ); herd(家畜の群れ), flock(群れ);
○日 ked-a=mono ケダモノ(獣); u/e交替。
獣は群れるからである。これは「八色の姓」の「くさ」と同義である。
類音の「管(くだ)」は以下が対応する。
●タ kuz-ay 1. tube(管;くだ), pipe(くだ); 2. tubular cavity(管状の空洞);
○日 kud-a 管(くだ);「時代別国語大辞典上代編」に、「和名抄は糸巻きを意味する
クダをあげる。いずれも管であり、管すなわち中空の筒を意味するクダの
語の存在が認められよう」とするが、タミル語にそれが認められる。
当初はクジャと言っていたのであろう。
軍陣に用いられた笛を小角(クダ)という。以下が対応する。
●タ kuz-ai pipe(笛);conch(ほら貝など
巻貝);
○日 kud-a 小角(クダ);
以下も。
●タ kuz-a to become addled(腐る);
○日 kus-aru 腐る。
○日 kus-ai くさい。
●タ kuz-ai to reduce(下げる);
○日 kud-aru 下(くだ)る;
●タ kuz-ai to bend(曲げる);
○日 kuz-iku 挫く(曲げて砕く。)
2002/10/16 14:54
>>No. 257
やまとには むらやまあれど とりよろふ 天香久山 のぼりたち国見をすれば 国原は 煙たちたつ
海原は かまめたちたつ うましくにそ あきづしま やまとのくには
地質学者の定説では、明日香は縄文時代は海水湖であったとされている。縄文海進の名残
であろう。
この海水湖は弥生後期にも、縮小はしつつなお存在していた。地質学的証拠とともに、
考古学的にも、たとえば樋口清之氏は神武天皇聖跡付近を調べ、「縄文式、弥生式の遺跡が
例外なく等高線50m以上のところにある」ことを証明した。
それによると、湖面が消滅したのは奈良時代初期だと推定されている。その痕跡が、
明治初期まで存在した埴安(はにやす)の池らしい。
古墳時代にもなお海水湖は残存し、カモメ程度は飛んでもおかしくない状況にあった。
したがって、この歌は当時の情景を正確に表現しているといえるであろう。
春日(kasuga)と明日香(asuka)は、前者のk-を落とすと後者になる関係にある。
k-の脱落はタミル語に顕著なので、これらの地名はタミル語と思える。が、事情は多少複雑である。
●タ kat-al stretch of salt water close to the coast and separated from
the sea by sand spits(海岸が閉じ、砂州によって海から分断された
塩水の広がり), lagoon(潟);
○日 kat-a 潟(かた)。浅瀬
◎韓 kas 海辺。浜辺。浦。
このkataからk-を脱落させると、ata>asa>asuとなる。「カ」はタミル語ka(処)ゆえ、
asukaで「明日香」となる。一方、k-が脱落されないまま、併行して残存する場合。
kasuka「春日(カスカ。のちカスガ)となる。
ちなみに韓国語の「処」もkaである。ここから韓国語が日本に入った解く学者が多勢を
占める。
●タ ka-n place(場所), site(用地); front(正面);
○日 ka 処(か)。
◎韓 ka 処(か)。
●タ ka-l time(期間としての「時」);
○日 ka 日数を表す語。三日(みっか)の「か」。
畑井 弘氏は韓国語kas-ka(浜辺の処)とし、「ほぼ間違いなく朝鮮三国の語と考えられる」
とする(「古代倭王朝論」p242)。
しかしむしろ、韓半島南部と列島はタミル語を取り入れた似たような言葉を話していたと
考えた方がいいかもしれない。この地名をつけたのも、「半島系のクレオール・タミル語」
を話す人々の可能性がある。むろん、基層語は半島ではアルタイ系の要素が強く、
列島は南方系の要素が強いという色彩があって、異なっていたと思われる。
「カス」に「春」の文字を充てたのはの、以下の理由からであろう。
タミル語pata(水=海)が日本ではwataとなり、韓国ではpataとそのまま古形を残す。韓国ではt/lはしばしば交替するので、pataはpalともいった。
このpalは韓半島の影響を受けたまま、半島から渡来した人々によって地名を漢字化する際、palとfaru(春)の音が類似し、ka(処)とka(日)も類似するので、「春日」と書いて「カスカ」と読ませたものであろう。
(したがって、「カスカ」は当初「パルカ」といわれていた可能性もある。)
つまり彼らは「浅瀬があるところ」という意味で、kas・kaとした。
もし列島人なら、kata・kaとするであろう。むろんkata・ka>kasu・kaと交替しないわけでは
ないが、明日香が半島経由のタミル語であるとする理由は以下のごとくである。
列島では「潟」はkataであり、kasではなく、「ワタ」もwataであり、pata、palではない。
以上のように、半島タミルkas(列島タミルkata)は半島タミルpal(列島タミルwata)と類義
である。そこで「春」の日本語訓paru(>faru)をもって、海を表すpalの借字とした。
同様に、「日(数)」を意味するkaをもって、場所を表すkaの借字とした。
つまり、pal・kaとkas・kaは半島では意味が同じなのである。したがってpalに
「春」の文字をあて、それをkasと読ませたのである。
しかし、これは日本では理解できないので、「日本書紀」では「春日、これをカスガと読め」と注記したものと思われる。
ところで、カスガのk-の脱落形アスカはなぜ「飛ぶ鳥」という枕詞が付くのか。
タミル語で「鳥」のことをタ acuk-amという。これは日本語ではアチュカとなる。これは
アスカと発音が類似している。したがって飛ぶacuk-aのas-kaと洒落たのであろう。
2002/10/17 17:05
>>No. 258
新入りです。碩学の士として敬意を表します。
このシリーズは,このトピ上で,古来日本語と考えられる全ての語を対応させようとなさっているのでしょうか。できるはずがないですよね。
で,できないのに,何故辞典のごとく「連載」をなさるのですか。
対応しない古語は,タ語以外の舶来、借用として落着になるのでしょうか。
最近の投稿者の顔ぶれを見てください。独壇場のように思えますが。
ご研究の貴重さは分かりますが,若干食傷気味です。
タ語が起源は一説で,どの説も完璧たりえないものと思いますが。
起源とは外れますが,その外延として,日本語の古来語の解説などを息抜きにお願いできないものでしょうか。
か=日 などは由来はどうあれ本当にそう使っているなと思いました。
ひとり,ふたり,みたり・・「り」は「人」をいうのですね。
ひ,ふ,み,・・・10はとうでいいのでしょうか?などなど
お気を悪くなさらないでください。
感想をのべたかったものですから。
2002/10/17 17:47
>>No. 259
乗っ取った感じになって、心苦しさは感じておりました。自重します。
解説を書くほどの力量はありません。数詞対応はしておりません。
2002/10/17 21:32
>>No. 259
俺はjoudaiさんの書き込みを見るのが楽しみだよ。
「独壇場」「食傷気味」という言葉の羅列をした
あとでさ、「お気を悪くされないで下さい」だと?
要は生意気ってか?
顔ぶれを見てくれというのがわらわせるじゃねえの。
馬鹿ばっかしなのに。
丁重なお言葉でお払い箱かい。
joudaiさん、俺は応援するよ。toyuuipっていう奴、
他でも書いてるけど、あんたのは妙に気にさわるようだ。(藁
2002/10/17 22:17
>>No. 259
あなたにとって目障りかも知れませんが、食傷気味とは。
>できないのに,何故辞典のごとく「連載」をなさるのですか。
できない、という固定観念を断定的に、あたかも常識のように言うのはどうでしょうか。はっきり言って迷惑なカキコです。
これでjoudaisyogaku氏のカキコがとまったら、とても残念という以上に、大きな損失です。
joudaisyogakuさん、気にしないで書いて下さい。期待しています。これまで、これほど優れたカキコはありませんでした。
2002/10/17 23:41
>>No. 262
常識というのはちょっと分かりませんが,こういう論題はいくら論証を尽くしてもこれしかないという結論は得られないということをいいたかっただけです。断定的な固定観念といわれてもこの論証が唯一確定的だなどと断定できる類のものではありえないのです。わたしは氏の論考が間違いだなどとはいっていません。全ての対応の検証をするとなると果てしない事になるのでは,といったのです。そして結果は日本人全体の支持を受けることはないであろうと思うわけです。
このことは,ご本人もご承知のことだろうと思います。で,止めてくださいといっているわけではなく、今後どのような手法で継続されるつもりなのか(膨大な語句の全部を逐一対比されるとは考えられませんので)をお聞きしたいと思った次第です。
結末までを期待なさる方がいられるのも当然ですが,一貫した論考を発表されるのには別途の場があるのでは,と思ったものですから。ぶっとうしの論文ばかり続くと(毎食同同じものを供されるのと食傷気味になるというほどの意で)息抜きに,箸やすめにちょっとほかのことも・・と希望をのべた次第です。
>迷惑なカキコ・・・
と断定されるのは驚きました。あなたのご感想はいいのですが,なにか口出しするなといったニュアンスが感じられますが,このトピはそういった仕組みになっているのでしょうか。お気にさわったのでしたら御免なさい。
他のメンバーのご意見も同様でしたら,早々に退散いたします。
2002/10/18 01:48
>>No. 1
romromzuttoromとniigatanookomehaoisiiyoは捨てハン
romromzuttorom=niigatanookomehaoisiiyo=joudaishogaku
自作自演であーる
2002/10/18 08:01
>>No. 258
先代旧事本紀に「布瑠の言」が出てくる。天神の祖先神が、天孫降臨の際に授けた死者蘇生の呪文である。
「ひふみよいむなやこと ふるべ ゆらゆらとふるべ」
十種類の神の宝を表す(十種の神宝 とくさのかむだから)。
十種の神宝: ?沖津鏡、?辺津鏡、?八握剣(やつかのつるぎ)、?生玉(いくたま)、?死反玉(まかるがえしのたま)、?足玉(たるたま)、?道返玉(ちがえしのたま)、?蛇の比礼(おろちのひれ)、?蜂の比礼、?品物の比礼(くさぐさもののひれ)。
字義通りに解釈すると、yuraとfuruは以下となる。
●タ uyal to wave, shake
○日 yur-a 揺ら。揺れる。
●タ al-ai to wave(揺れる), shake(揺り動かす), play in the wind(風にそよぐ),move, as a reflection in water;
○日 yur-a ゆら。a/ya交替。
以下、無理に関係づければ、対応しないことはない。
品(single article) vit-i>fit-i fi-to
死(death) pautti>futti- fu・ta
蛇(snake巳)mi mi
辺(shore)cey-am>ey>yay(c-の脱落) yo
生(life)ucir uci
沖(sea海)munn-ir munn
足(abundantly)nani nan-a
八(eight)e-ttu>ya ya
蜂 (bee)kukul-a koko
道(way, path, road)tar-i to
この内、沖を(sea海)とするのは多少無理がある。
以上は数詞対応ではないが、日本語数詞は、何らか特定の支配的部民の隠語のようなものであった可能性を示唆する。
2002/10/18 08:31
>>No. 265
●タ pur-i to be twisted(捩れさせる); to curl(捻る); to turn(回す);
to shake(振る);
○日 fur-u 振(ふ)る。
「ふるべ」はfuru・vent-um(べし)の略。
2002/10/27 16:58
>>No. 1
hn2602と申します。パソコン、インタ−ネット初心者の歴史好きです。昨日始めてこのトピを見つけて興味を持ち、いろいろ質問やコメントを入れたいと考え、しかし誰か同じ事を聞いていたりしては御迷惑だろうと思い、頑張って2日がかりでこれまでの書き込みに一通り目を通したのですが、終り頃はタミル語の話ばかりでアイヌ語、朝鮮韓国語、江南?語などのコメントが全くなくしかもここ1週間ほどは書き込みがないようです。まさか閉鎖されたわけではないと思いますが、、。
取り敢えずタミル語がらみで反応を期待しつつ二,三コメントを。
?過去のコメントにも再々ありましたが、タミル語(あるいはドラヴィダ語族)が日本列島へ入った経路が解明されない限り日本語と相関を思わせる証拠があっても同系〜同源説をなかなか受け入れることは困難です。タミル語説を唱える方々には日本への流入経路(できれば年代も)の説明を求めたいのですが。
?現代と異なり古代では宗教経典(例えば経典->サンスクリット語)や技術書(中国から?)などの場合を除き、人の移動(移住)が言語の流入には必須だったと思われますが、形質(自然)人類学的デ−タ(HLA型、ミトコンドリアDNA,など)で日本人(の一部)とタミル人の共通性が証明されているのでしょうか?
?私個人は日本人の主流は、弥生時代の開始する直前に大陸北部から日本列島に日本語とともに日本列島に入ったと考えているのですが、日本語のタミル語・朝鮮語・アイヌ語起源論者の方々のコメントをお待ちします。特に日本語・モンゴル語同系論者があれば是非ともコメントをお願いします。
2002/10/27 23:41
>>No. 267
タミル語説はトンデモ説で、お話しになりませんです。ハイ。
熱心に書いた人には、その熱心さには賞賛を贈ってもいいと思うけど、内容はとんでもないことで、ま、ご苦労様としか言えんです。毎度毎度の、こういったトンデモ説にはもううんざり。
2002/10/29 00:24
>>No. 208
> 現代日本語は明治新政府が文部技官、薩摩出身の田中何某氏に命じて創ったもの、でしょう?。
「創る」とはどういう意味でしょう。
新しい言語を創って、普及させることができるのでしょうか。ラジオもなかった時代です。
2002/10/29 00:34
>>No. 249コオロギはコオロコオロと鳴くとろこから来た名前でしょう。cricketもcrick crickと鳴くところから来た名前でしょう。語源が同じと考える必要はない。
2002/10/29 00:53
>>No. 269明治に、文章語が日常語になった、日常語を変えたと読んだことがあるように思います。詳しいことは忘れましたが。
2002/10/29 08:46
>>No. 208相当苦労をしたようですね。朝鮮語なんかも参考にして。
2002/10/29 14:28
>>No. 272
>朝鮮語も参考にして…
※ここのトピの『日本語の起源』に立ちかえれば…。
※文法(語彙の配列)と単語を持ち寄った多数の出身種族語の集大成であろうと、認識するに到りました。
※タミル語、ネパール語、南インドシナ諸国語、朝鮮語、に無縁ではない、と。
其の中心部の、華南地方の言語(北方訛りの北京語に押されて死語化)が、かなりの比重を占めるのではないか、と疑っています。日本の方言の似た地方と稲作の伝播ルートがダブるのも見逃せない、と思う今日この頃です。
タミル語説はトンデモと決め付けるだけの見識を持ち合わせていませんので、貴重な御説として拝読していました。
是非に、継続を御願い致したいと思っています。
2002/10/29 20:08
>>No. 271
> 明治に、文章語が日常語になった、日常語を変えたと読んだことがあるように思います。詳しいことは忘れましたが。
幕末まで、書き言葉は候文に代表されるように、話し言葉とはかなり隔たりのあるものでした。明治の小説家はたいへん苦労して、口語に近い新しい文体を作り出しました。
あるいは、欧米から入ってきた新しいもの・思想・制度などを表すために沢山の新しい単語を作りました。憲法・経済・きって・・・などがよく引き合いに出されます。
こういうことを「日本語を創る」と表現しているのでしょうか。
日本語は現代でもどんどん変化しています。しかし日本語は少なくとも古事記や万葉集の時代から日本語でありつづけています。
2002/10/29 20:21
>>No. 274
>こういうことを「日本語を創る」と表現しているのでしょうか。
それはご本人に聞いて戴かないと。しかし大きな変化はあった、ということですね。
2002/10/29 20:24
>>No. 266
茶をいれるの「淹れる」は出ましたか。
ぜひお願いします。
2002/10/29 21:46
>>No. 276
「お茶をお入れしましょう」と言う場合、お茶を湯に入れるわけではない。茶湯を注ぐことを「茶を入れる」ということになる。
この解を満たす言葉はタミル語にしかない。
●タ ir-ai to draw and pour out water(水を汲み上げて注ぐ), irrigate(水を注ぐ);
○日 ir-eru 「茶を入れる」等というときの「入れる」。
●タ err-u to put in(入れる), insert(挿入する);
○日 ir-u 入る。
○日 ir-eru 「ものを何かに入れる」というときの「入れる」。
てなことになりますか。
2002/10/30 00:36
>>No. 269
>「創る」とは?
※無から有に生み出すと謂う意味ではありません。
語彙は全国の方言から採用した、とか。
※会話体、文語体とも、従来と異なる物を創った、其の労苦に対して奉った表現です。
作ったでは軽いし…。
2002/10/30 12:31
>>No. 277
> 茶湯を注ぐことを「茶を入れる」ということになる。
> この解を満たす言葉はタミル語にしかない。
ありがとうございます。
私はこの一点だけでタミル語説をまじめに受け取る気になりました。
ところが、「入れると淹れるは同音異義語だ」という私の主張にはピンときてくれる人が少なくて。
2002/10/31 10:30
>>No. 279お茶、っていつごろから飲んでいたものでしょうか。
2002/10/31 10:38
>>No. 267
日本人や日本語が単一なものと思って、それの単一な起源を追求されますか?
どうも、これらは単一ではなく、ごちゃまぜになっているので、ひとつずつ引っ張り出しながら、これは蒙古系、これはポリネシア系、これは・・・とやって行かねばならないのではないか、と思っているのですが
2002/10/31 17:50
>>No. 1
日本語と朝鮮語との間には近い親縁関係はありません。
7〜8世紀の「上代特殊仮名遣い」は朝鮮帰化人が朝鮮語の音韻感覚で日本語を記述したものであり、当時から日本語は5母音、朝鮮語は8母音で現代と全く変わらなかったことは言語学的(音声学的)に証明できます。
そして7〜8世紀の時点に於いて全く別の音韻体系を持つ言語であったということは、日本列島住民が日本語を使っていたという証拠のある卑弥呼の時代まで遡ってもそうだったということであり、日本語と朝鮮語の親縁関係は否定されます。
(1〜2万年前まで遡ればわかりませんが)
このことはもうすぐ論文にして発表しますので、乞うご期待!
2002/10/31 22:43
>>No. 281jitsunotokoroさん、お返事有難うございます。私は別に現代の日本人の単一起源説など唱えているわけではありません。ただ日本民族の形成に際し、中核となった集団の存在を仮定したほうが、ぶらぶらとあちこちから日本列島に少人数で入ってきていろいろ寄せ集めて日本語ができたというよりも合理的と考えるからです。民族形成上もっとも重要な言語の形成過程に関心があり、言語学などについては全くの素人なのですが、言語学や日本周辺の諸言語(アイヌ語、韓国朝鮮語、中国語、満州語、蒙古語など)に詳しい方々の議論を伺って、結論を得たいだけです。勿論個々の単語にはそれぞれの起源があり、周辺の諸国語にそれが求められて当然だと思います。日本語の基礎語彙について皆さんに御検討戴き、合意が成立し、その語彙がもっとも多く共通する言語こそが日本語の姉妹語〔分離年代が離れ過ぎて証明が困難なこともあるかも)であると思います。分子遺伝学などの進歩により日本人の起源が多岐にわたることはすでに証明済みと考えていますが、それが直ちに日本語の起源に結びつくわけではなく、列島の歴史の中で数的、政治的、文化的に優位に立った集団が、自らの言語をその他の集団に使用させたと考えるべきだと思います。
2002/11/01 10:28
>>No. 258
私自身は、日本語はクレオールタミル語であろうとする大野 晋教授の説は、
些かの検証の結果、おそらく正しいであろうと考えています。
タミル語がどういうルートで日本列島に至ったかという問題は、言語学とは全く
係わりの無い事柄であり、別の学問分野に属します。したがって、ルートが解明できないという理由はタミル語説を否定する根拠とはなり得ません。
古インドネシア語は古代よりマダガスカル島で話されていることは周知の事実ですが、どうやって広大なインド洋を遥々伝わってきたのかは、いまだに不明です。
同様に、古インドネシア語はイースター島でも話されています。このルートも推定でしか分かりません。
またタミル語を話すのはタミル人でなければいけないという理由も全くありません。
ただ現在はアーリア人との混血が多勢を占めていますがタミル人は古モンゴロイドです。
同時にタミル語は日本語同様、膠着語で
語順も日本語と同一です。
クレオール語は、その元となった言語を喋る人には全く理解できないのが通例です。したがって、タミル人には日本語は理解できません。
他方、日本語に特有な係り結びがタミル語にもあり、57577の和歌の韻律もタミル語の歌謡にあります。
自動詞化接辞-ruはタミル語自動詞化接辞-ulと、他動詞化接辞-suはタミル語他動詞化接辞-ttuと、完了接辞-tuはタミル語完了接辞-ttと、推量接辞-muはタミル語推量接辞-umと、必要・義務・命令・禁止接辞-besiはタミル語の必要・義務・命令・禁止接辞-ventとそれぞれ対応しています。
数詞対応はmu(3)とe(ya[8」と交替します)しかありません。
しかしながら、西洋の比較言語学者は、数詞対応がなければ同系語であることを否定するのと同じ論法で、数詞借用も否定しています。
ところが、日本語は中国語数詞を借用しています。このことは、彼らの論理は絶対的なものではないことを意味します。
更に興味深い事実があります。
●タ vit-u a cant term signifying one(1を意味する隠語);
vit-uは日本語fit-oに対応します。日本語数詞は倍数法ですから、vituの存在はfut-u(2)の存在を担保します。
●タ pattu a cant term meaning four(4を意味する隠語);
pattuはyottuと交替します。[pa>wa>yo]
patt-uの存在は上記と同一の理由でyatt-u(8)の存在を担保しますが、もともとタミル語数詞8はettu<yattuですから、倍数法に合致します。
タミル語3はmuであり、これは日本語miと対応し、倍数法によって、mu(6)が保証されます。
以上から、1・2・3・4・6・8が対応するのではないかと考えています。つまり、日本語数詞は何らかの理由でタミル語の数詞隠語が採用されたものと思われます。
しかしながら以上のことは、日本語すべてがタミル語に由来していることを意味するわけではありません。
とはいえ、古代日本語の9割はタミル語由来と推定されます。現在は漢語が借用語として日本語の丁度50%を占めています。
しばしば日本語の一部は韓語から成っているという主張がなされていますが、それらの単語を見ると、奇妙なことにほとんどタミル語とも一致します。
このことは、タミル語が半島と列島双方に流入したと推定する以外にありません。同時にタミル語が属するドラヴィダ語は、古くインドネシア方面、インドシナ方面、そして蒙古方面にも伝播した可能性が考えられます。文明化の度合いから、その逆はなさそうに思えます。
2002/11/01 11:55
>>No. 282
※親縁関係の意味が、今一つ判りませんが…。
※私は、
・両言語に語彙の貸借。
・語順や助詞の共通性。
等か在る事から、無縁ではない、と思いますが…。
>(1〜2万年前まで遡ればわかりませんが)
※記録が無いので何とも云えませんが。
二千年前には共通語彙在ったと認識しています。
後漢書に登場の『倭王・帥升(shuai−sheng)』⇒『素盞(soe−sang)嗚(王)尊』⇒『陶(スヱ=金属の様に堅い)器』で、素盞嗚尊は、製鐵王と成ります。
※(soe=ハングル):鉄、金属の総称。
其の他多数の語彙を発見しています。
感性と閃き、が無い人には見つけられないでしょうが…。
2002/11/01 12:16
>>No. 284
何時も、新鮮な驚きと好奇心をもって、拝読しています。
※日本語が単一語源から熟達したものではない、と認識していますが…。
日本語にもタミル語にも元になる地域が、例えば、華南・江南に在って、四散した結果が、現代に投影しているのでは、と。
クメールと久米が同祖だとか…。
数詞は、漢数詞の文字(一、二、三…)を黄河流域の秦・漢族が逆に借用したとか…(確たる根拠は在りません)仮想を膨らませています。
2002/11/01 17:00
>>No. 285
周縁的な語彙の共通性、文法体系の類似は二つの言語の親縁関係の証明にはなりません。
「親縁関係」とは二つの言語が共通の祖語から分かれた、あるいは一方の言語の方言が方言とは言えないほど変化して一つの言語になった、というようなことです。
二つの言語の親縁関係の決め手となるのは、基本語彙の共通性です。「行く」「来る」「食べる」「飲む」等の幼児が真っ先に覚え、一生使い続けるような単語に類似性と音韻対応がない限り、二つの言語の親縁関係は主張できません。
そして、日本語と朝鮮語の間には基本単語の音韻対応など全くありません。(私は韓国に四年半住んでいました)
2000年前から日本語と朝鮮語に共通語彙があったとしても、その時代に日本と朝鮮の間に交流があり、朝鮮語から外来語が入ったということに過ぎません。
周縁的な単語がにていると言うならば、現代日本語の語彙の六割は漢語であり、中国語と明確に音韻対応しているのであって、日本語と中国語には親縁関係があるということになります。
また、文法体系の類似といいますが、全世界に何万という言語があっても、SVO型、SOV型、VSO型言語の三種類しかないのであって、日本語と朝鮮語が同じSOV型に属するからといってそれが親縁関係にあることの証明にはなりません。
文法が似ているというなら、英語と中国語の方がよっぽど似ています。
ただ、「1〜2万年前まで遡ればわからない」と言ったのは、モンゴル語・満州語・朝鮮語など中国の北方を取り巻く言語はみなSVO型の言語であり、おそらく原始モンゴロイドは皆VSO型言語を話していたのではないかと思われ、その一文枝が日本語であった可能性は否定できない、ということです。(中国語がSVO型なのは中国語がクレオールだからだと考えています)
ただ、私は日本語はウラルアルタイ系(北方系・弥生人語)ではなく、オーストロアジア系(南方系・縄文人語)起源だと考えており、この説も来年あたり発表するつもりです。
2002/11/01 19:50
>>No. 280
> お茶、っていつごろから飲んでいたものでしょうか。
するどい指摘ですね。源氏物語にお茶を飲むシーンはなかったような。一般(僧侶・武家)に広まったのは室町時代でしょう。
nukegara3さんの発言が、「いれる」をタミル語と結びつけるのは時間間隔を考慮すればナンセンスだ、という意味なら、タミル人が日本にたくさんやって来たとは考えられないので、タミル語と日本語に関連を見出そうというのはもともとナンセンスです。
それでも、「いれる」のは茶とコーヒーのみです。白湯はいれない。抹茶はたてる。
だから私は興味を持っています。
ことばは不思議なものです。
2002/11/01 22:26
>>No. 288
お茶とコーヒに共通なことを探すと
煎る、ことがありますが
こんなとこが語源でしょうかね
2002/11/01 23:22
>>No. 284
基層がタミル語ということですよね。上層は何だと言われているのでしょうか。
また上層が支配・被支配で言えば、支配層の言語と考えて良いのでしょうか。
日本語は孤立しているそうですが、クレオールだから孤立しているのでしょうか。それともそれは関係ないことでしょうか。
2002/11/02 00:14
>>No. 289
ゴマや豆も煎ります。
淹れるは茶とコーヒーだけ(しつこいですが)。
2002/11/02 00:30
>>No. 290
基層はおそらく、列島内に多数存在した言語ではなかろうかと思います。
フィリピンや台湾同様、多くの言語があったはずです。しかしそれらは膠着的言語であったでしょう。
とはいえ、それらが、いわゆる比較言語学でいう「基層語」たりうるかどうかは疑問もあります。
なぜなら、同系性を担保するものは親族表現が纏まってあるかどうか、身体語が纏まってあるかどうかであるといわれていますが、これらの言葉の多くはタミル語に由来している(ようにみえる)からです。
基層になったはずの言語が残した単語が、極めて少ないという事実もあります。
もっとも、再構形を組み立てて、南方語でカバーできるという考えが多数ありますが、ある言葉はポリネシア系、ある言葉はミクロネシア系、接辞は北方系というのは、他の言語にはあまり例を見ないことで、たぶんに思弁的でもあります。
タミル語説の場合、複雑な再構形は必要としません。
日本語がクレオールタミル語だとすると、極めて高度のクレオールであり、脱クレオール寸前といってもいいほどです。
ということは、クレオール化が進む過程で、他言語の言葉は淘汰されていったように見受けられます。
脱クレオールしなかったのは、大野説のように、中国勢力が流入したためと思われます。
とはいえ、日本の文化は、通説となっているように、「かなり遅れていた」とは到底思えません。インダス文明を興した可能性が大きいと考えられているドラヴィダ人の文化が、すでに縄文後期に流入したと考えられるからです。
もし、日本の文化が、かなり遅れていた場合、クレオールタミル語は中国語に淘汰されていた可能性もあります。さらに韓半島語からの借用も多かったと思いますが、実際はほとんど借用していないように見受けられます。
高度な稲作文化を持ったドラヴィダ人が九州に上陸して、列島の土着民と結婚し、かつ支配的地位に着いた、といったところではないかと思います。
「日本語が孤立している」というのは、どこから来た言語か分からない、という意味であり、日本語はクレオールタミル語だということが明確になれば、もはや孤立語とは言えなくなります。
とはいえ、タミル語説はなかなか受け入れられないでしょう。日本の社会は、大胆なことを嫌うからです。
2002/11/02 01:10
>>No. 287
>現代日本語の語彙の六割は漢語であり、…日本語と中国語には親縁関係があるということになります。
※朝鮮語も五〜六割は漢字語ですから、中国語と親縁関係が成立し、従って、日本語と朝鮮語も他人では居られないのではないでしょうか。
※基本語彙の類似性はかなりの数存在しています。李寧熈説の他、私も発見しています。和数詞の語源も解読していますが、発表時期を考慮している所です。
2002/11/02 07:48
>>No. 294
>※朝鮮語も五〜六割は漢字語ですから、中国語と親縁関係が成立し、従って、日本語と朝鮮語も他人では居られないのではないでしょうか。
繰り返しますが、周縁的な借用語(外来語)をいくつ発見しても、親縁関係の証明にはなりません。
現代日本語には「チャンス」「ストレス」「ニュアンス」等々日本語では表現しにくい西欧語起原の借用語が多数存在し日常的に用いられていますが、だからといって日本語が英語やフランス語と親縁関係にあることにはならないのと同じです。
>※基本語彙の類似性はかなりの数存在しています。
多くあげる人で百数十語ぐらいですが、かなりこじつけに近いものがあり、なにより音韻対応が認められません。これらすべてを認めたとしても、借用語であることを認められるだけです。
親縁関係にある同系言語ならば、明確な音韻対応関係があるはずです。
英語とドイツ語は一見別の言語のように見え、むしろ英語はフランス語と近いように思えますが、基本単語はドイツ語と明確に音韻対応しており、基本的にはゲルマン語の一分枝であることがわかります。
英語がフランス語に近いように思えるのは1066年にフランスに征服され、300年あまりも統治されて多数のフランス語起原の外来語が入ったからですが、ごく基本的な単語はみなゲルマン語起原の単語です。
日本語・朝鮮語同系説(広くいえばアルタイ語系説)を主張する人々は、2300年前に半島から北九州へ入ってきた弥生人の祖先の言語が日本語であった、ということを暗に前提にしています。
しかし、もしそうであるならば、弥生時代の開始以降、奈良時代までの約1000年間日本と半島との交流は絶え間なく続いているのであって、日本語と朝鮮語がお互いに通じなくなるほど変化するはずがありません。
一方、日本本土と琉球(沖縄)との間には16世紀に至るまで有機的な交流は殆どなく、何より琉球人と本土日本人とは形質的に大きく異なるにも関わらず、明確に音韻対応する同系言語を話していました。
琉球人は、半島・大陸からの渡来人との混血の少ない縄文人直系の子孫であると見られます。
このことから、弥生人の渡来以前から日本列島の南部には琉球人と同系統の言語を話す縄文人が住んでおり、その縄文人の言語が征服者である弥生人に乗り移ったのだと考えられます。
被征服者の言語が征服者に乗り移るという現象は以下のようなメカニズムで起こります。
日本列島に上陸した弥生人の祖先は、まず目に付いた縄文人集落に襲い掛かり、男は皆殺し、女は捕まえて分配し、慰み者にします。すると女は当然子供を産みますが、子供を育てるのは母親ですから、子供たちは母親の言語(日本語)を継承します。
また、弥生人達は隣の縄文人集落に襲い掛かり、男は皆殺し、女は捕まえて慰み者に・・・ということを繰り返して行くと、数十年後には日本語を話す混血児の人口の方が圧倒的に多くなって、渡来人の方の言語が消えてしまう・・・・ということです。
そしていったん日本語社会が形成されてしまえば、後から三々五々渡来人が追加移住してきたとしても、二三世代のうちに日本語社会に飲み込まれてしまいます。
これは単なる空想ではななく、アフリカなどでいくつかの事例が報告されています。
このように考えない限り、日本語と琉球語が親縁関係があり、朝鮮語(その他のアルタイ語)と親縁関係にないことは説明できません。
2002/11/02 09:13
>>No. 295
確かに、朝鮮語が日本語と、同系でない、あるいは同系と言ってしまうと、所謂膠着語系の言語はすべて同系ということになってしまうという意味において、同系ではないことは明白のように思われます。
以下、質問してよろしいでしょうか。
>弥生人の祖先は、まず目に付いた縄文人集落に襲い掛かり、男は皆殺し、女は捕まえて分配し、慰み者にします。すると女は当然子供を産みますが、子供を育てるのは母親ですから、子供たちは母親の言語(日本語)を継承します。
御説からすると、クレオール語の存在は否定されなければなりません。更には、印欧語族がヨーロッパ周辺の部族に普及していったことも説明が付かなくなります。
なぜなら、「子供を育てるのは母親ですから、子供たちは母親の言語を継承」する、ということになりますと、「被征服者の言語は常に保存される」という公式が出来上がります。
しかしながら、現実には、そうでない事例が印欧語族間においても大規模に生じている、という事実にはどのような反証が成り立つでしょうか。
翻ってこの日本列島で、弥生時代を齎した征服者が、「被征服者の男を皆殺しにする」というのは、「生かしておかなくても、労働力に不足は生じない」レベルの、低い文明・文化においてのみ限られるのではないかと思います。
周知のごとく、弥生時代の顕著な特徴は外部から渡来した民族による水耕栽培技術の流入です。
水耕栽培の技術は、灌漑施設の設計、施工を含めた極めて高度な技術であり、また人手も必要です。
このようなレベルの社会においては、貴重な労働力を抹殺することは、征服者自身の滅亡に直結します。
したがって、征服者は被征服者を同化かつ教化させて使役する、更には貢を納めさせる、ということで、労働力の維持、勢力の拡大を図るのが普通です。
となれば、征服者の言語は、被征服者にとって、生き残りのための命綱であり、高度な技術を習得するためにも不可欠の言語となります。
百姓が、大御宝と言われる由縁ですが、この点につき、御説の立場からの論証をお聞きしたく存じます。
2002/11/02 15:32
>>No. 295
貴殿が、日本語と中国語の親縁関係成立を解かれたのですヨ。
同じ伝で朝鮮語も成り立ちますでしょう?。
然らば、日本語と朝鮮語が無縁だ、同義ではないですか?。
>日・朝同系説の主張者は…2300年前、半島から列島へ渡来した弥生人が日本語を持ってきた、を暗に前提にした…(概略引用)。
※私は違います。半島にも、列島にも同時期に大陸から黄海横断の渡来があり、其の人々が古代倭人であろう、と睨んでいます。檀君神話も金首露王神話も異民族支配の構図です。被支配層が古代倭人であった、と。途絶して彼我の言語が征服者の方へ訛ったのと、孤立化で原初色を留めている物との差で、現状があるのではないか、と。
2002/11/02 15:35
>>No. 297…無縁⇒親縁
2002/11/02 18:47
>>No. 296
被征服者言語が征服者に乗り移るという現象は以下のような条件下で起こります。
?征服者の方が被征服者より(少なくとも初期において)相対的にも絶対的にも少数あり、多数派の原住民を各個撃破して行くような場合に起こる。
?征服者の増援部隊が続々とやってこないこと。
?それが何世代かにわたって続くこと。
日本語・朝鮮語同系説=弥生人語説を主張している人々のもうひとつの暗黙の前提は「アメリカモデル」です。
すなわち、アメリカにはメイフラワー号以来、数千・数万の規模で続々とヨーロッパから移民がわたってきて、先住民を圧倒し駆逐し自らの支配領域を拡大していった。その移住者たちの話していた言語が英語であり、故に現代アメリカの国語は英語なのである・・・・
それと同じく、紀元前3世紀いらい朝鮮半島から続々と日本列島に移民が渡ってきて先住民たる縄文人を駆逐していった。現代日本人はこの弥生人の子孫であり、故に渡来人達が話していた言語が日本語である・・・
しかし、私は弥生時代のさきがけとなった渡来人達は多くても200〜300人程度、その後追加移住があったとしても五月雨式に数十人程度が移住してくるだけだったと考えています。
仮に、最初にやってきた渡来人(仮に朝鮮人としましょう)は男ばかり100人で、人口100人の縄文人集落四つを各個撃破し、200人の女を捕まえ、10年間で3人ずつ子供を生ませたとすれば、10年後には日本語人口800人に対し、朝鮮語人口100人で征服者の方が言語的には圧倒的にマイノリティーになってしまう、ということです。
縄文人は狩猟採集民族ですが、狩猟採集経済経に頼っているということは人間が生態系の一部に組み込まれているということであって、人口は一定以上には増えません。現に縄文時代末期の日本列島の人口は7万5千程度と推定されています。
しかし、渡来人達は日本のように可耕地がいくらでもあるところに生産性の高い農耕を携えてやってきたのであって、人口はあっという間に増えます。
仮に弥生人の初期値が1000人で追加移住がなかったとしても、一世代30年と考え、一人の女が4人の子供を産んで成人させれば(当時は幼児死亡率が高かったでしょうから、7〜8人は生まないと4人の成人は難しかったでしょうが)、10世代300年後には人口100万を超える計算になります。
この計算は非現実的としても、それくらいの食料増産は十分可能だったはずです。
弥生人が子沢山であったことは考古学的にも証明されており、弥生人というのは直接渡来してきた人間は紀元前3〜紀元7世紀まで累計してもせいぜい数万〜10数万程度、実際は日本列島内で自然増加した縄文人との混血児が大半であったと考えられます。
その初期の段階で子供を生ませる為の女を現地調達したため、被征服者言語(日本語)が征服者に乗り移った、というわけです。
クレオールが発生するのは、?ある社会において別言語を話す人々が動的均衡状態において50:50あるいはそれに近い比率で平和共存し、?日常的に接触する環境にあり、?しかも教育制度が無く互いの言語を聞き覚えで習得する必要があり、?それが何世代か続く場合です。
弥生時代初期には該当しません。
>翻ってこの日本列島で、弥生時代を齎した征服者が、「被征服者の男を皆殺しにする」というのは、「生かしておかなくても、労働力に不足は生じない」レベルの、低い文明・文化においてのみ限られるのではないかと思います。
弥生人の人口がある程度増えた段階で、監視が行きとどくようになれば、男も生かしておいて奴隷にしたでしょう。
後漢書東夷伝や魏志倭人伝には生口献上の記事がありますが、要するに山の中に残っていた縄文人を捕まえて売っていたということでしょう。
それに、男を生かしておいたなら日本語人口はますます増えるということであって、私の説を却って強化することになります。
2002/11/02 18:59
>>No. 297
>貴殿が、日本語と中国語の親縁関係成立を解かれたのですヨ。
それは単なるたとえ話です。
文法の類似、周縁的な単語の共通性は親縁関係の証明にはならない、というのは言語学の常識です。
まして、弥生時代以来から日本と朝鮮・中国との間に交流があったことは考古学的・歴史学的に明白なのであって、交流があれば外来語が入ってくるのはあたりまえです。
2002/11/02 20:24
>>No. 299
>渡来人達は日本のように可耕地がいくらでもあるところに生産性の高い農耕を携えてやってきたのであって、人口はあっという間に増えます。
原住男性を皆殺しにしてしまっては、労働人口が増えるのに、最低12年は必要です。
水耕稲作技術を持って渡来した民族にとって、この12年は壊滅的なロスです。なぜなら、水耕稲作社会に住む人間は、それ以外の糧を得る手法に慣れていないからです。
とすると、漁労・狩猟民族に日常の糧を頼らざるを得ず、さりとて彼らは皆殺しにされているわけですから、渡来人は、早晩飢え死にする運命です。
>弥生人の人口がある程度増えた段階で、監視が行きとどくようになれば、男も生かしておいて奴隷にしたでしょう。
人口がある程度増えた段階というのは、御説によれば、被征服縄文人と征服弥生人の混血人の増加でなければなりません。が、父親は混血のわが子を奴隷とするでしょうか。
いわんや母系社会であることが濃厚な古代日本においておや。
それは世界の歴史の中でも稀有なことであり、日本列島でのみそういうことが生じたと推定するのには、無理があるように思えるのですがいかがでしょうか。
奴隷化の対象は、世界的に見て、異民族か、あるいは同民族の中で何らかの理由で劣後の地位に置かれた人々です。少なくとも、日本列島において、混血が異端視されることはありえないはずです。なぜなら、渡来異邦人より列島原住民のほうが多いのは明らかで、そして、原住男性が殺戮されたとするならば、あとは混血児の活躍が唯一の頼りだからです。純粋渡来種は初期に存在するだけなのが世界的に通例です。
>クレオールが発生するのは、?ある社会において別言語を話す人々が動的均衡状態において50:50あるいはそれに近い比率で平和共存し、?日常的に接触する環境にあり
この御説は、村山七郎氏や服部四郎氏の緻密な研究結果と大幅に乖離しています。たとえば、ロシアクレオールが発生した事例においては、ロシア人と新モンゴロイドとの比率は5:95以下です。50:50あるいはそれに近い比率というのは私が読んだ範囲では御説が初めてですが、たとえば、どの複数地域にそのような事例が顕著でありましょうか。
>生口献上の記事がありますが、要するに山の中に残っていた縄文人を捕まえて売っていたということでしょう。
生口が奴隷であるという確証はありません。上古文献には「生口数名」などという記述がありますが、奴隷を数名献上するというのは、世界の歴史でも例がありません。むろん、学識経験者の奴隷という意味であるならばありうるでしょうが、当時の中国に、日本から学識経験者数名を奴隷にするというのも奇怪なことですし、そもそも、そのような場合は奴隷として献上しなくともよく機能するはずです。
山の中に残っていた縄文人を捕らえて売っていたと言われますが、中国はそういう中国から見たら原始的民族数名を「買う」でしょうか。中国にはビーフジャーキーのごとき乾燥人肉を食べる風習がありましたので、倭国が食料として献上した可能性のほうが、奴隷説よりは多少有力である様にも思えますが、実際のことは分からないというのが実情でありましょう。
以上の点に関する御説の反証はいかがでありましょうか。
2002/11/02 23:38
>>No. 300
>…弥生時代以来…
※私は、弥生時代以前の事を述べていますが…。
※仮に、交流があって、其の以前の事は、フィルターが掛かって、判らなくなっている、と仰っているのですか?。
>言語学の常識?。
※常識は打破される日が近い様ですね。
>それは単なるたとえ…。
※譬えがとうなら、論理的には矛盾は無いですネ。
2002/11/03 00:23
>>No. 1
三国史記から再構されたいわゆる「高句麗語」なるものについて皆さんはどうお考えでしょうか?日本語の基礎語彙中でも重要な数詞の三(み、みつ)、五(いつ)、七(なな)、十(とを)を始め、20〜30語以上が日本語と同じ〜よく似た語形をしていると言われていますが。朝鮮韓国語に詳しい方のご意見を是非ともお伺いしたいのですが。
尚私はこれら日本語によく似た言葉は、地名から再構されたということもあり、倭人が居住していた時代に残した日本語(もしくは扶余語ではない日本語祖語)の語彙そのものでは?と考えています。
2002/11/03 08:56
>>No. 303
高句麗という国家はもともとツングース系民族が満州に建国した国であり、最盛時に版図を中国北部や朝鮮半島北部に広げた多民族国家です。
それが次第に中国に圧迫されて満州や中国内の版図を失い、結果的に朝鮮半島北部に押し込められ、支配する民が朝鮮語を話す人々だけになってしまったということです。
朝鮮半島に押し込められて以後の高句麗は、ツングース人の王族・貴族の下で中国人官僚が働き、朝鮮語を話す民を支配していたという三重構造になっていたと考えられます。
故に「高句麗語」というのは王族・貴族が話していたと思われるツングース語か、庶民が話していた朝鮮語を指すのか問題になりますが、地名などは原住民が使っていたたものをそのまま使うのが普通であり、要は朝鮮語に過ぎないと思われます。
高句麗が支配していた朝鮮半島北部の民が朝鮮語を話していたという確たる証拠はありませんが、7世紀に統一新羅が成立して以降、旧新羅・旧百済・旧高句麗地域の住民同士が言語が通じず困ったなどいう形跡はないのであって、要は同系統言語の方言差程度しかなかったということでしょう。
いずれにせよ、三国時代以往の朝鮮半島の言語に関する史料はごくわずかしかないのであり、新たな史料が発見されない限り、史料に基づく議論は実証不能な空論に終わるだけです。
但し、私は最近膨大な古代朝鮮語(特に百済語)の音韻史料を発見しました。それは記紀万葉の借音仮名です。これは7〜8世紀の日本語が現代と変わらぬ5母音、朝鮮語も現代と変わらぬ8母音であったことを明確に示しており、日朝語同系統論に止めを刺す史料になると思います。
2002/11/03 09:01
>>No. 302
>※私は、弥生時代以前の事を述べていますが…。
※仮に、交流があって、其の以前の事は、フィルターが掛かって、判らなくなっている、と仰っているのですか?。
弥生時代以前の日本列島人類の言語に関する史料は全くありません。弥生時代以降の史料を用いて日朝語彙の共通性を説いたところで、それが借用語でないということを証明できません。
>※常識は打破される日が近い様ですね
じゃあ、打破してください。楽しみにしています。
>※譬えがとうなら、論理的には矛盾は無いですネ。
この日本語は私には理解不能です。
2002/11/03 09:54
>>No. 303
仰る通りだと思います。
貴殿は、多分、李寧熈説の事を述べておられる、のでは?。
※私は、あの数詞が高句麗語が語源なら、和数詞(ひとつ、ふたつ、…)ではなく、朝鮮数詞に残存して然るべき、と思います。しかし、朝鮮語には片鱗さえも留めていません。逆に、朝鮮固有数詞(ハナ、ツゥル、セン、ネッ、…)の方に、古代倭語の片鱗が覗える事実を私は、見つけています。発表の機会と場所を思案中です。
2002/11/03 10:01
>>No. 306
>貴殿は、多分、李寧熈説の事を述べておられる、のでは?。
そんな素人のいい加減なものではないよ。
李基文の説だ。
2002/11/03 11:09
>>No. 305
※現代日本語の起源とは?
借用語も訛りも含んでの事ではないでしょうか。
※其れらを除外した、原初日本語は、貴殿が好きな、史料が無いので、論じられなくなり、このトピの存在否定になるのでは?。
2002/11/03 13:04
>>No. 306
李寧博煕氏の説は週刊誌で読んだ覚えがありますが、はっきり再構できない古代朝鮮語なるもので万葉集を解釈するなど全く非学問的でお話にならないと感じました。(逆に言語資料の豊富な7世紀頃の日本語から三国史記の語彙や郷歌を解釈する方がまだ合理的だと思います。)私は李基文氏の説についてご意見を求めているのですが言葉が足らなかったのかも知れません。尚数詞については早くから新村出博士が発表しています。
李基文氏の説(一部記憶違いがあるかも)では日本語谷tani.高句麗語旦tan;
日:重(一重、二重、三重、八重、九重などの「へ」です)he,高:別petなどの対応を挙げています。
2002/11/03 14:16
>>No. 304
早速のコメント有難うございます。私は前にも申しましたが言語学は全くの素人で、形質人類学的・分子遺伝学的デ−タについては正否を判断できると思い、日本人主流(政治的・文化的に優位を占め、国家形成の主軸となり、自らの言語を列島内で発展させ日本語を形成し、数的にももっとも多くの子孫を残した集団)が北方起源であることからその移動経路を考え、遼河流域から鴨緑江流域にかけて居住していたと考えています。
高句麗が扶余系で扶余はツング−ス系であろうと私も考えていますし、高句麗の歴史時代の被支配階級の朝鮮中北部の住民が主として韓族かその類似集団であることにも異存ありません。
ただ倭人(日本語保持者)がこの地帯に倭人語の地名を残した可能性についてご意見を求めているのですが。
百済語についてのご発表期待しています。奈良時代日本語の8母音説については私は先人の説を受け入れるのみですが、以前6母音説をみた覚えがあります。私としては朝鮮語と日本語は仮に同系としてもその分離年代は通常の比較言語学での証明可能な年限を越える6000年以上前と考えており、5母音説の証明を歓迎します。
2002/11/03 15:35
>>No. 310
「日本語の系統」(大野 晋編集)に李 基文氏の「高句麗語の言語とその特徴」という論文があり、
読んだことがあります。
そのときカード化したものがありますが、『前期中世韓国語の時期に、
慶州方言の執拗な影響によって、
高句麗語の要素は韓国語からほとんどすべて失われた』とあります。
『』内は同氏記述の略記。
印象的だったのは「鉛」で、『三国史記・鴨緑以北条に「鉛城を元は
乃勿(簡易表記namil。以下同)という」とあり、これは13世紀の韓国の
「郷薬救急方」に「那勿」(namil)と同じ、日本で「ナマリ」』。
タミル語でcaval-ai[lead sand(鉛砂)。c-の脱落でaval->namal-]。
『城は忽(xol)、これは、日本語「シロ」』に近い。
タミル語kal-ai<cel-ai>sir-o。enclosure(囲い地), area enclosed(囲まれた地域) ]。
『三国史記に「兎山は元、烏斯含達(osagam-tar)と言った」とある。
「兎」を「osag-am」、「山」を「tar」と言っていた』ことになる。
ウサギ(兎)は、タミル語cacagk-an>acag-an>osag-i>usag-i。
高句麗語「tar」はタミル語「tar-am・・・ hill, mountain」と同じ。
もっとも80語程度しかありませんので、日本語との類似の確率が高い
という以上の確実なことは何もいえません。
タミル語の母体であるドラヴィダ族はチベットと古代隣接しており、
チベットあたりから北方にピジンかクレオールもしくは名残の単語を残した確率も高そうです。
倭人が鴨緑江以北から韓半島中部に分布していた可能性はないと思います。
広開土王の碑文を見ても、倭人は常に海を渡って韓半島南端から
進入しているからです。半島にいたとしても、南端あたりのように思えます。
2002/11/03 17:03
>>No. 311
タカミムスヒ、カミムスヒのムスヒに
ついて、さまざまな説がありますが、
いずれも僕には納得がいきません。
ふつう「生す霊」とされていますが、
日本の神、ことに神代の初期に登場
する神は、おおむね「生す」霊の
性格を持っています。
それで、この「生す霊」説はどうにも
納得がいかないのです。
けれど、これといって、いい知恵も
浮かびません。
タミル語でさまざまな単語を日本語と
比較していらっしゃる方に、ぜひ
この疑問を解いていただこうと思い、
記入させていただいた次第です。
僕はタミル語のことは全く分かりま
せんが、これまでのjoudaishogaku
さんの比較は驚くことばかりです。
むろん、いい意味でです。これほど
似すぎている言語は、いまのところ
タミル語しかない、と僕は思うしか
ありません。それならば、産巣日の
明確な意味もタミル語で解けるものと
確信します。どうぞよろしくお願いします。
2002/11/03 18:25
>>No. 311
joudaishogakuさん、コメント有難うございます。李基文氏の論文は私も読んだ覚えがあり、書名もそうだったように思うのですが、なにしろ整理ができてなくて必要な本が出てこずやむを得ず似たような本や孫引き、うろ覚えの引用になってしまうことが多いのですが御海容のほどお願いします〔大野晋・丸谷才一編集「日本語の世界?日本語の成立、大野晋、昭55、中央公論社」が出てきました)。うろ覚えになりますが、確か李基文氏は復元した約80語の高句麗語の内30語ほどが日本語に、30語ほどが韓国朝鮮語に、同じ位の語彙が満州語に似ている(日本語、朝鮮語、満州語で互いに類似した単語もあるため合計は80以上となる)というようなものだったと思います。それを読んだ時の第一印象はツング−ス系とされる高句麗語が、その直系ともされる満州語と同じ位日本語や朝鮮語に似ているのは変だ(朝鮮語に似ているのは扶余族の南進に伴って朝鮮語に借用されたとしても)と感じ、その後HLAハプロタイプのデータで日本人と〔外〕モンゴル人でB52DR2がともに最多だと知った時、大興安嶺周辺に居住したこの集団が、南北にわかれ北方集団が(外)モンゴル人の、南方集団が日本人の祖となったとすれば、南方集団が倭人で日本語(の祖語)を話し、列島への移住の過程で遼河〜鴨緑江流域に住み、その時に残した地名が南下してきた扶余系高句麗にも継承されたと考える方が三つの言語が混交したような仮想言語を考えるより良いと判断したからです。高句麗語については満州語の直系の祖とする説も読んだことがあり、「いわゆる高句麗語」中満州語に似た語彙こそ本来の扶余・高句麗語であり、日本語に似た語彙は日本語で、朝鮮語に似た語彙は朝鮮語であると考えた方が自然だと思います。
倭人の北方における存在については井上秀雄氏が有名ですが、金関氏(丈夫?「原始日本語と民族文化」村山七郎・国分直一よりの孫引きですので)は蓋国を遼東半島北部と考え、倭については山東から北は蓋国の南の遼東半島、南は後の楽浪までの間にいたとの説で国分氏〔倭人南方起源説)も同意しています。有名な後漢書鮮卑伝の倭人国〔汗人国?)も遼河支流に比定されています。
2002/11/03 21:15
>>No. 313
なるほど、面白そうですね。これ以上は私の手に負えない問題ですが、夢が広がります。
李氏のこの論文は昭和55年のエスプリ別冊特集号に出ていたもので、私はこれを古書店で求めました。
2002/11/03 21:17
>>No. 312
産巣日につきましては、一年ほど前に、まず最初に以下のように解いて見ました。
無論、以下のように満足のいくような結論には達しませんでした。
『天地初めて発れし時に、高天原に成りし神の名は、
天之御中主神、次に
高御産巣日神、次に
神産巣日神、
此の三柱の神は、並に独神と成り坐して、身を隠しき。』とあります。
日本語「生す・産す」に交替するタミル語は三つあります。
●タ vaz 1. to be, exist(存在する);
2. to live(生きている);
3. to flourish(繁茂する), prosper(繁栄する);
4. to be happy(幸福である);
○日 mus-u 産(む)す。「産巣日(ムスヒ)」の「ムス」。v/w/m交替。もしくはv/f/m交替。
●タ mat-ar 1. to flourish(繁茂する); to be fertile(肥沃である), rich or luxuriant
(豊かに、あるいはよく茂っている);
2. to be too luxuriant(とてもよく繁茂している); to be productive,
as soil, plants, etc.
(農地や植物などのように実りが多くある);
3. to rejoice; to be full of joy(喜びに満ちあふれる);
4. to increase(増える), abound(富む);
○日 mus-u 生(む)す。「苔が生す」。a/o/u交替。「草むす屍(かばね)」。英語matureに
酷似する。隣接する梵語と相互借用があったか。
●タ muz to be mature(熟す);
○日 mus-u 熟(む)す。
以上から、「ムスヒ」は「繁栄するヒ」ということになる可能性があります。
ただ「ヒ」を「霊」のこととする説が一般的だが、 the deity(神・神霊)はteです。
teは日本語「チ(霊・神霊)」に対応するが「ヒ」とは交替しません。
大野 晋氏はタミルの万葉集、サンガムから、peが「霊(deity)」を意味することを抽出し
ました。
このpeは日本語fiと交替しますから、したがって「繁栄する霊」ということになります。
ところが通説は、産霊(ムスヒ)という「語感」から、創造を神格化した神であるとしています。
他方、これは「ウムスヒ」であって、「産むす」という古代語があったと推定し、「産まれる霊」
あるいは「万神を産む霊」とする解釈もあります。この解釈は、通説を裏付けるような外観を
呈しています。
「産む」は以下のタミル語が対応します。
●タ cum-a to bear in the womb(子宮から運ばれる=産む);
○日 um-u 産む。c-の脱落。k-、c-、y-はよく脱落します。
2002/11/03 21:18
>>No. 315
しかしながら、「産むす」という古語が記録に残っていないということ、さらには、重母音を
例外なく避ける日本語において、「カミウムスヒkamiumusufi」「タカミウムスヒtakamiumusufi」という表現は成立しません。-ui-が障害となります。
しかしその後、いろいろ考えましたが、この三神の独自性から考え、これらの神々は「中心、
大本、根源の神」ということではないか、と思うに至りました。
●タ na middle(中央), centre(中心);
○日 na な(中央)。
●タ kal a locative ending(場所を表す屈折語尾);
○日 ka 「なか」「どこか」「住処(すみか)」「在処(ありか)」など。
以上から「中(なか)」は「中央の場所」ということになります。アメノミナカヌシから修飾的
語句を取り去ると「なか」、すなわち「中央・中心」です。
同様に、カミムスヒ、タカミムスヒから修飾的語句を取り去ると「ムスヒ」が残ります。
この「ムスヒ」は、「中央・中心・大本・根源」であろうというのが、私の作業仮説です。
なお、カミムスヒの「カミ」は「神」と書かれますが、これは当て字の筈です。神が冒頭に
たつのは奇妙なことだからです。
●タ komm-ai largeness(大), bigness(大);
○日 kam-u カミムスヒの「カミ」。カムヤマトイハレヒコの「カム」。
すなわち、冒頭に来る「神」は「神様」のカミではなく、「大いなる」という意味で、
したがって「カムヤマト」と「オホヤマト」は同義の筈です。したがってこれも修飾語句です。
タミル語に以下の言葉があります。
●タ put-an 1. the soul(根源); 2. son(息子);
○日 mus-u 産巣日の「産巣(むす)」。
soulは普通「霊魂」と訳されますが、この場合、theが付いているので「(事物の)根源・中心」
ということになります。
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)は、天之御中主神の次に生まれた神で、思兼神を産んで
います。これは極めて象徴的なことで、思兼というのは以下の意味であろうと思われます。
●タ omp-u 1. to protect(保護する),guard(守る),defend(守備する),save(救う);
2. to preserve(保つ); to keep in mind(心に想い続ける);
to cherish(大事にする), nourish(養う);
3. to consider(熟考する);4. to concentrate the mind(心を集中する);
○日 omof-u 思ふ・想ふ。
●タ kann-u 1. to purpose(意図する), think(思う), consider(考える);
○日 kan-e カネ。
以上から「オモヒカネ」は「心を集中させて考える」「熟考して思う」の意味と推定されます。
「kann-u」はおそらく「考ふkan-gafu」の語源であり、したがって「オモヒカネ」は「思考」と同義である筈です。
kogito ergo sum.というがごとく、人間である根源は「思考」です。
以上から、産巣日は「根源霊」であろうと思われます。この霊を3という芽出度い数に分けた
のではないかと推定されます。3に分けると、中心が一つ生じますから、その一つを天の御中主
と名づけたのかもしれません。
2002/11/03 22:23
>>No. 308
> ※現代日本語の起源とは?
借用語も訛りも含んでの事ではないでしょうか。
貴殿が論じているのは日本語の起原ではなく、単語の起原です。
>貴殿が好きな、史料が無いので、論じられなくなり、このトピの存在否定になるのでは?。
>私は社会学者かつ言語学者として、二言目には「史料」「史料」とほざき、枝葉末節のつじつま合わせばかりにこだわってマクロな科学的発想のできない歴史学者や国語学者を軽蔑しています。
2002/11/03 22:44
>>No. 317
>…史料がなくて云々
とは、貴殿の言葉尻、なんですけど…。
ご自分の事を述べておられるのでしょうか?。
2002/11/03 23:24
>>No. 310
>ただ倭人(日本語保持者)がこの地帯に倭人語の地名を残した可能性についてご意見を求めているのですが。
考古学的にも歴史学的にも言語学的にもその可能性はまずないと思います。あったとしても証明不能でしょう。
>百済語についてのご発表期待しています。奈良時代日本語の8母音説については私は先人の説を受け入れるのみですが、以前6母音説をみた覚えがあります。私としては朝鮮語と日本語は仮に同系としてもその分離年代は通常の比較言語学での証明可能な年限を越える6000年以上前と考えており、5母音説の証明を歓迎します。
実はすでに国語学会と日本音声学会の全国大会で発表済みで、あとは論文を書くだけです。
簡単に言えば、上代特殊仮名遣い(上代八母音説)は音声学的にすべて現代語で説明できる、ということです。
音声学的には現代日本人(特に関西人)もまた奈良時代と全く同じ法則に基づいて、無意識につまり「条件異音」として、オ段甲乙音を使い分けており、このことは日本人であれば自分自身の簡単な発音実験で納得できます。つまり、日本語の母音自体は奈良時代から全く変わっていないのです。
ところで「条件異音」というものは話者自身が「無意識に」使い分けているものですから、話者自身がそれを書き分けられるはずがないのです。その証拠に、私が指摘するまでオ段甲乙音を論じている国語学者・言語学者すら自分自身が二つのオ段音を使い分けていることに気づいていなかったのです。
にもかかわらず、奈良時代に記紀万葉を借音仮名で記述していた人間はこの使い分けに気づき、正確に書き分けていたのであり、そんなことができるのは朝鮮語を母語として話せる朝鮮(百済)帰化人だとしか考えられません。
朝鮮語には「┴」と「┤」という日本語の/o/に相当する二つの母音があり、日本人はまずこの母音を聞き分けることは不可能ですが、朝鮮語話者は明確にこの二つを聞き分け書き分け発音し分けます。
そしてオ段甲乙に充当される漢字の朝鮮音を調べるとオ甲=「┴」、オ乙=「┤」(少なくとも非「┴」)に明確に分かれます。
そして何より、記紀万葉が成立した7世紀末から8世紀前半には百済・高句麗滅亡と白村江敗戦により大量亡命してきた朝鮮帰化人一世二世がうようよしていた時代であり、彼らが文書事務に携わっていた証拠は山ほどあります。と言うより「史」すなわち書記官はほぼ100%帰化人なのです。
そして上代特殊仮名遣いは8世紀後半から急速に崩壊しオ段甲乙の書き分けは無くなってしまいます。なぜか?答えは簡単、白村江以降に大量亡命してきた朝鮮帰化人が三世・四世に世代交代し、日本語しか話せなくなったからです。
国語学会でも音声学会でも、現代日本語オ段音の使い分けをその場で実験して見せ(音声学会ではビデオを用いて)、また朝鮮語の「┴」と「┤」を実際に聞かせた結果、「借音仮名で紀紀万葉を記述したのは朝鮮帰化人である」と得体のしれない社会学者崩れの若造が目の前でトンデモ説を発表しているにも関わらず、錚々たる大先生方も表立って一言も反論できませんでした。
論文を書くより発表を先にしているのは「音声」を扱うことなので、実際に目で見、耳で聞かないと納得させるのが難しいからです。
と言うわけで、朝鮮語(百済語)・日本語の母音体系は奈良時代から現代まで全く変わっておらず(と考えれば上代特殊仮名遣いの謎はすべて解ける)、古代から語彙体系も音韻体系も異なる言語が同系統言語であるはずがなく、日朝同系統論は否定できます。
2002/11/04 02:02
>>No. 319
conditional allophoneが上代特殊仮名遣のすべてに妥当するという解釈でいいのでしょうか。
また朝鮮式漢字音と上代特殊仮名遣との一致、もしくは相関性は論証されているのでしょうか。
2002/11/04 03:02
>>No. 319
ご丁寧な解説有難うございます。言語学(音声学?)、韓国朝鮮語の専門家と聞き、是非とも(念押しになりますが)いくつかコメントを戴きたいのですが。尚これまでの私の立論から私が縄文語は日本語の基層言語ではあっても、直接日本語の祖語となったのは、アルタイ諸言語(アルタイ語族が成立しうるか少し疑問が残るように感じられますので)の一つでおそらく他のアルタイ諸言語-チュルク語・モンゴル語・ツング−ス語・朝鮮語-と4〜5000年以上前に分離した言語(仮に倭人語としていますが)と仮定しているのはご推察のことと思います。これは形質人類学的に現在の日本人の祖先の最大グル−プが朝鮮半島の更に北方より来たと考えられることを説明し、同時に言語もこの集団に由来したと一元的に解釈したからです。
さて質問ですが?所謂「高句麗地名」について、朝鮮語、満州語〜ツング−ス語で解釈できない語彙-例えば三,五,十の数詞(七はツング−ス語と見做すとして)-はどのように解釈されるのでしょうか?尚三国史記の高句麗本紀に「倭山」、後漢書鮮卑伝に「倭人国」が見えこのあたりに倭人と呼ばれる集団がいたことは文献上確認されています。?百済も扶余系ですが、百済語についても支配者の扶余系の言語(百済語?)と被支配者の朝鮮語(馬韓語?)のどちらが優勢と考えられるのでしょうか??日本語の祖語は南島語系の縄文語とお考えのようですが、埴原説の日本人の二重構造論は最近では否定的で、縄文人は北方系モンゴロイド(南九州〜太平洋沿岸部は南方系?)と考えるべきかと思いますが、その点は如何お考えでしょうか?また縄文時代の日本列島が縄文語と呼びうるような統一的言語が存在し得たでしょうか?
2002/11/04 09:03
>>No. 320
>conditional allophoneが上代特殊仮名遣のすべてに妥当するという解釈でいいのでしょうか。
オ段音に関してはすべて「条件異音」で説明できます。
イ・エ段音に関しては、条件異音でなく、渡り音・合成母音・二重母音などであるとおもわれ、当時の日本人が意識して使い分けていた可能性があります。
誰も指摘しないことですが、ワ行の「ヰ」「ヱ」に充当されている漢字の朝鮮音を調べるとキヒミケヘメの乙類と同種の母音が現れ、これもア行の「イ」「エ」と対を成す上代特殊仮名遣いの名残だと考えられます。
「イスキー」と「ウィスキー」、「エーバー」と「ウェーバー」は現代人でも聞き分けられ、発音し分けられるのであって、当時の日本人は実際そのように発音していたのでしょう。
母語話者自身が聞き分けられ、発音し分けられるものは「条件異音」ではありません。
国語学者の多くは上のような合成母音や、「アメ」と「カサ」をくっつけると「アマガサ」に変わるような「単なる変音現象」と「条件異音」とを混同しています。だから松本克巳説などというトンデモ説が30年近くも生き残っているのです。
>また朝鮮式漢字音と上代特殊仮名遣との一致、もしくは相関性は論証されているのでしょうか。
論証しています。万葉仮名の発音を漢韓辞典で調べればいいだけですから。
ただ、朝鮮漢字音は1447年に作られた「東国正韻」という韻書より古い時代のことはわかりません。
2002/11/04 09:48
>>No. 318
>とは、貴殿の言葉尻、なんですけど…。
ご自分の事を述べておられるのでしょうか
史料に依拠する国語学や歴史学の方法では、史料の無いことは何にも語れない、ということです。
社会学者や文化人類学者は他の社会の同様な事例から法則性を導き出し、それを別の社会に当てはめて、史料のないことも語るのです。
たとえば、白村江敗戦以後に大量亡命してきた朝鮮帰化人の二世達が日朝バイリンガルであったなどとはどこの史料にも書いてありません。
しかし、現代でも両親が外国人で外国人集落の中に住んでいる移民二世は現地語と故国語のバイリンガルに育つのが普通であり、そんなことは奈良時代だって変わるはずがないのです。
ところが国語学者達は、なぜだか知らないが、帰化人達は日本に足を踏み入れたとたんちゃんとした日本語を話せたと思いこんでいる。
また、学校・教科書・参考書・テープやCDが発達した現代ですら、日本人が正確な中国漢字音を習得するのは非常に困難です。ところが国語学者達はそんなものが全くなかった奈良時代の日本人がなぜが正確な中国漢字音が発音できたと信じ込んでいる。
また「現代朝鮮語は新羅語が元になっている」などと平気で言う人がいますが、王朝や政治権力が変わったぐらいのことで民衆の言語が変わったりはしません。
その命題が正しいなら伊予宇和島は仙台伊達家の分家が300年も支配したところですから民衆は東北方言をしゃべっているはずです。
新羅の故地である慶尚道の方言と百済の故地である全羅道の方言を標準語たるソウル方言と比べれば、全羅道方言の方がはるかに標準語に近いのであって、現代朝鮮語は新羅語が元になっているなどということに何の根拠もありません。
史料ばかりに目を奪われている人間は、歴史上起こったこともなく、科学的に起こるはずもないことが起こったと平気で主張するのです。
2002/11/04 10:27
>>No. 323「皆殺し・強姦史観」
2002/11/04 10:30
>>No. 324
貴方の「皆殺し・強姦史観」に興味がありますので、是非296の質問にご回答願えませんでしょうか。
縄文文化レベルでは 皆殺し・強姦史観など成立し得ないと私は思うからです。
2002/11/04 10:31
>>No. 325
朝は弱いもので・・・。
弥生文化レベルでは、の間違いです。
2002/11/04 10:39
>>No. 321
>?所謂「高句麗地名」について、朝鮮語、満州語〜ツング−ス語で解釈できない語彙-例えば三,五,十の数詞(七はツング−ス語と見做すとして)-はどのように解釈されるのでしょうか?尚三国史記の高句麗本紀に「倭山」、後漢書鮮卑伝に「倭人国」が見えこのあたりに倭人と呼ばれる集団がいたことは文献上確認されています。
ですから、可能性がゼロとは言いませんが、考古学的史料でも発掘されない限り証明するのは難しいでしょう。
?百済も扶余系ですが、百済語についても支配者の扶余系の言語(百済語?)と被支配者の朝鮮語(馬韓語?)のどちらが優勢と考えられるのでしょうか?
時代にもよりますが、上代特殊仮名遣いの話でお分かりのように、末期には王侯貴族も官僚もみな朝鮮語を話していたと思われます。
王族・貴族がツングース系だといっても朝鮮に土着して数百年も経ち、本貫の地との連絡は全くないのですから、ツングース語を保つ必然性はありません。
また、官僚層はツングースでも朝鮮人でもなく中国帰化人であったと思われますが、これも土着して何世代も経ちやはり朝鮮語に同化していたでしょう。
清朝の例を見れば分かりますが、中国に土着して中期以降の清朝皇帝・貴族達は中国語を常用して居たのです。ただ清朝は本貫の地である満州を依然として支配していたので、第二言語として「満州語もしゃべれた」でしょうが。
血統的になに人かということと、何語を母語としているかということは別のことです。
?日本語の祖語は南島語系の縄文語とお考えのようですが、埴原説の日本人の二重構造論は最近では否定的で、縄文人は北方系モンゴロイド(南九州〜太平洋沿岸部は南方系?)と考えるべきかと思いますが、その点は如何お考えでしょうか?また縄文時代の日本列島が縄文語と呼びうるような統一的言語が存在し得たでしょうか?
私は、縄文人には二系統あり、琉球から西日本には日本祖語を話す南方系縄文人、東日本から北海道にかけてはアイヌ祖語を話す北方系縄文人がおり、その居住領域の境界線が方言学・民俗学でいう糸魚川−浜名湖ライン(糸浜線)であると考えています。
弥生時代最初期に下で述べたような「非征服者言語が征服者に乗り移る」という現象が起こり、弥生人達は人口を増やしながら、南方系縄文人達を駆逐しつつ同化し、糸浜線を突破して北方系縄文人の居住領域の征服にかかります。
しかし、その頃には日本語を話す弥生人の人口の方が圧倒的に多いですから、もはや「非征服者言語が征服者に乗り移る」という現象は起きません。ただ、地名や動植物名などにアイヌ語の影響が残ります。
糸浜線を突破した弥生人達は紀元前後に東は関東、西は越後まで達しますが、それ以上は北上せず、ここが弥生人と北方系縄文人の居住領域の境界となります。
それがフェリス女子大の安部教授などが提唱している第二の方言境界線「関東・越後ライン(関越線)」の起原であると考えられます。
この関越線をはさんでの弥生人と北方系縄文人の平和共存は7世紀まで続き、その間に交易などを通じて弥生文明が流れて北方系縄文人達もかなり文明化されて人口を増やし、7世紀ごろには国家を形成できるようになっていたようです。
そして、7世紀以降、大和朝廷は本腰を入れて東北地方の征服に乗り出しますが、一応の平定を見たのが9世紀初頭、その後も「蝦夷・俘囚の反乱」は続き、津軽までが完全に日本の中央政府支配下に入ったといえるのは12世紀末の源頼朝による奥州藤原氏征伐以降のことです。
したがって、東北地方では7世紀以降何百年に亘って、日本語話者とアイヌ語話者が混在し、日常的に接触しなければならない環境にあったわけで、東北方言はその間に発生した日本語をベースとするクレオールであると私は考えています。
2002/11/04 11:18
>>No. 309
※李寧熈説を酷評されますが…。
あの、週刊誌対談以降、日本の大学入試問題から『萬葉集解読』の出題が完全に消滅したのは、何故でしょう?。
※李基文氏だったか?、記憶が定かでは在りませんが…。
『女史は私を超えた』的な発言を、何かで読んだ、と思っていますが…。
>(逆に言語資料の豊富な七世紀頃の日本語から三国史記の語彙や郷歌を解釈する方がまだ合理的…)
※女史は古い日本語は朝鮮古語の宝庫とも謂っていますよ。
2002/11/04 11:47
>>No. 327
私の先の質問は回答が無理でしたら撤回致します。
代わって、貴方は、某掲示板で以下のように書かれております。
>歴史学者も国語学者も誰一人指摘しないことですが、白村江以前(国語学で言えば推古期遺文以前)に都周辺以外の地方で作成された文書というのはただの一つも現存していないのです(ただ、推古朝に書かれたとされる伊予の道後温湯碑というのが続日本紀かなにか?に引用されているだけです)。
即ち、白村江以前には、都以外にはまともに読み書きできる人間がいなかったということです。
この論法ですと、韓国は中世以前、「いかなる地方でも、作成された文書というのはただの一つも現存していないのです」から、中世以前に、韓国人でまともに読み書きできる人間はいなかった、ということになってしまいますが、この点についてはいかがでしょう。
2002/11/04 11:59
>>No. 323
『史料』に就いて、貴殿はダブルスタンダード?
※他人が仮説、仮想を述べたら、史料に無く検証不能、と。
※ご自分は≪…他の社会の同様な事例から法則性を導き出し、それを別社会に当て嵌めて、史料の無い事も語るのです。≫
※此れは、完全に自己矛盾でしょう?。
※他の社会と別の社会が法則性で対比できる、と仮定しての事ですから…。カルチャーショックを受けるほどの隔たりが無い物と仮定している事を忘れていませんか?。
※甲音、乙音の区別だって、法則性を見つけるのに膨大な資料と格闘が為され、其の労苦が故に正当だと、誤解していたり…。
李寧熈女史は、単なる方言の差である、と。即ち、書記者の出身國の訛り癖の反映である(大意)、と述べられたと思いますが…。
明確な、反論に寡聞にして遭遇していません。ご見解をご教示賜りたく、お願いします。
2002/11/04 12:47
>>No. 329
>韓国は中世以前、「いかなる地方でも、作成された文書というのはただの一つも現存していないのです」から、中世以前に、韓国人でまともに読み書きできる人間はいなかった、ということになってしまいますが、この点についてはいかがでしょう。
三国時代の朝鮮の識字率は日本よりは高かったはずですが、それでも総人口の1%にも満たず、読み書きのできるのは中央の王侯・貴族・官僚だけだったでしょう。
それに、新羅や百済の面積を考えてみてください。首都の慶州や扶余から辺境まで行ったってほんの150〜200キロの距離に過ぎず、その程度の距離なら貴重な読み書きできる人材を常駐させずとも、必要なら中央から出張させればよいだけです。
白村江敗戦で亡命したきた百済人は官位第二位(達率)以上の者だけで70人以上もいるのです。それが亡命者の悲しさで、百済なら大臣だ次官だ局長だと威張っていた連中が、日本では最高でも従四位程度の中級の身分で甘んじざるをえず、もともと中下級の身分であった者は、七〜八位程度、もしくは無位のただの書生として地方に送られた、と言うことです。
前近代社会に識字率統計なんてものはありませんから、どのくらいの人間が読み書きできたかは推測に頼るしかありませんが、
白村江以前の日本で読み書きのできたのは多くて2000人程度、その大半は貴族で自らは文書事務などは行わず、文書事務は帰化人書記官がやっていたものの、その数はせいぜい数十人から数百人、能力の高い者は数名〜十数名に過ぎなかったでしょうから、地方に余裕などは無かったはずです。
2002/11/04 12:59
>>No. 329
また、百済や新羅・高句麗で文書事務をやっていた官僚たちもまた、楽浪郡や帯方郡に派遣されていた中国人官僚の子孫、また後漢末から南北朝時代の中国の動乱を避けて半島に逃れてきてそれらの王朝に雇われた中国人の子孫であると思われます。
半島の土着化して何世代も経ち、皆朝鮮語が母語化していたはずですが。
2002/11/04 13:06
>>No. 331
さらに、高句麗・百済・新羅等で文書事務にあたっていた官僚の大半は、楽浪郡・帯方郡等に派遣されていた中国人官僚の子孫、後漢末から南北朝時代までの中国内の動乱を避けて半島にやってきて、これらの王朝に雇われた中国人の子孫であると思われます。
半島に土着化して何世代も経ち、もはや中国語は話せず(話せても第二言語として)、朝鮮語が母語化していたでしょうが。
2002/11/04 13:48
>>No. 326
すでに回答したはずですが・・・・
いずれにせよ、「文明人」が狩猟採集段階にある「野蛮人」の先住民が住む土地へ移住する場合、先住民の虐殺・強姦は当たり前のことであり、日本列島だけでそれが起こらなかったという理由はありません。
縄文人は狩猟・採集経済を営んでいたのであり、その段階においては人口は自然の生産力によって規定されます。
仮に、10キロ四方、100平方キロの土地が1000人の縄文人を養っていたとすると、その半分500平方キロを弥生人に占領されてしまえば、もはや縄文人はその生活を維持していくことができないのです。
故に、例え弥生人の側が縄文人との平和共存を望んでも縄文人の方が襲い掛かってきます。
台湾に中国人が移民をはじめたのは16世紀からですが、移民達には原住民は「出草」と呼んで恐れられていました。農作業をしていると突然草むらから現れて「首狩」をするからです。
やむなく中国移民達は団結して平地にすむ原住民掃蕩をやった結果、日本統治時代に入る頃は西海岸の平地にすむ原住民は絶滅してしまっていました。
その段階で強姦による混血が起こり、時々中国名を名乗っていながらアメリカインディアンのような顔をした台湾人を見かけます。
まして、移民はただ自分の農地を持つことだけを夢見る善良な人々だけではなく、趣味で人間狩を行うような者もおり、オーストラリアのタスマニア島原住民はその対象にされて絶滅してしまいました。
また、弥生人達はまず沿海部で水利のよい農耕適地の平地から占領して行ったはずで、そこに邪魔な縄文人がいれば、追っ払い、抵抗すれば殺したり捕まえて奴隷にしたりしたことでしょう。しかし、平野部だけで耕地が足りるなら、山間部に逃げ込んだ縄文人達はほっておいたはずで、西日本では平野部や弥生人、山間部は縄文人という住み分けが数百年は続いたと思われます。西日本では縄文遺跡は殆ど山間部でしか発見されませんが、平野部の遺跡は弥生人達が田畑に変えてしまったということでしょう。
もちろん、弥生人にもいろんな人がおり、近所に住む縄文人に技術指導をしてやるような心やさしい者もいたかもしれません。
また、奴隷にした縄文人を家族同様に可愛がりちゃんと結婚させてやるやさしい人も居たかもしれません。
しかし、大局的に見て、文明人と野蛮人の混血は虐殺・奴隷化・強姦の過程で起こるのであって、通常の意味での「結婚」では生じません。
あなたがどんなに人格者でもニューギニアの裸族の娘と結婚しようなどとは思わないはずです。
弥生人の太郎君と縄文人の花子さんは水場で知り合って恋に落ち、結婚して仲良く暮らしました・・・・・と言うような心温まるお話はあったとしても万に一つの例外であり、そんな夢物語で渡来人と縄文人の混血は説明はつきません。
2002/11/04 14:57
>>No. 328
私は繰り返し申しましたように言語学・考古学・文献史学等は全くの素人で、これらの分野については先学の説くところを比較して自分なりに正しいと判断した方を採るしかありませんし、又直接私の立論と関係のないところについては判断を保留したままということもあります。李氏の説については、週刊朝日(だったと思いますが)上の日本の専門家(中期朝鮮語の専門家もいたと思います)との議論や、立ち読みした李氏の著作(昔は体力があったので一冊まるまるよんだもので、購入する価値があると感じた本のみ買いました)の内容、李氏や藤村由加氏(人麻呂の暗号だったとおもいますが)を批判した本(安本美典、西端両氏など)を読み比べた結果、そもそも李氏のいう古代朝鮮(韓国)語などというものが十分再構できる程の資料が存在しないことが確認できたと感じられたからです。李氏の説は万葉集に対する冒涜であると感じました。
李基文氏?の発言については皮肉か、そうでなければ言語学者の踏み越え得ない一線を越えたことに対する表現だったと思いますが。
大学入試問題の一件についてはわかりませんがだれも李女史の説が正しいと感じてやめたのではないと思います。本当に出題がなくなったとすれば、朝鮮総連の抗議で脱税調査を中止した税務署や拉致事件の報道を自粛した事なかれ主義の朝日新聞と似たような心境ではないでしょうか。
女史は古い日本語は朝鮮古語の宝庫と言っているそうですが、それこそ朝鮮側に十分な古代朝鮮語の文献がないことを自白したとおもわれます。即ち朝鮮古語を日本側の資料から再構しそれで万葉集を解釈するわけですから。そんなことをしなくとも直接手元にある上代日本語資料(古事記、万葉集、三十万点以上ある木簡など日本側には朝鮮側に比し圧倒的分量の言語資料があります)からの日本語で解釈すれば良いのです。これに対し朝鮮語は14〜5世紀の中期朝鮮語の資料は十分ですが、7〜8世紀の文献としては郷歌(ヒャンガでしたか)、仏足跡歌と後代資料の三国史記地名などから復元される語彙及び記紀(日本の)に記載されている朝鮮語ぐらいで日本で多数でる木簡も出土が桁違いに少なく(でても楽浪郡のものなど純漢文で朝鮮語資料としては使用できない)これらの資料からは古代(三韓・三国時代)朝鮮語が中期朝鮮語と同系統だと言うこと位しかいえないと私は理解しています。もし日韓両語が同系ならば郷歌の解釈に万葉・記紀時代の日本語は使用できるでしょうが。
2002/11/04 15:27
>>No. 335
joudaishogakuさんとkeimadouさんの討論に横レス失礼します。
ミトコンドリアDNAデ−タ上も北方系モンゴロイドの子孫が優勢のように思われます。周知の如くミトコンドリアDNAは母系由来ですが有名な縄文時代の古人骨浦和1号(5900年前)のミトコンドリアDNAのDル−プ領域(190塩基対)の塩基配列置換で、完全に一致したのはマレーシア人とインドネシア人〔アジア人29人ちゅうの2人)で現代日本人62人には完全に一致したものはなかったとされています。浦和1号は南島語族と関係ありそうですが、やはり移住して来た弥生?人は女性も伴っていたとかんがえるべきだと思います。
2002/11/04 15:56
>>No. 337
同伴女性の比率は分からないでしょうが、同伴したとしても、それほど多くはなかったでしょう。50%ですと、渡来人の戦闘能力は半分としなければなりません。女性は兵站部を受け持ったとしてもです。三分の一が同伴したとしても戦闘能力は男だけの場合に比べ、約3割減です。
日本列島には、元々北方系モンゴロイドと南方系モンゴロイド、そして最近の分析によれば、若干のコーカソイドもいたらしいので、ミトコンでの分析が、必ずしも女性同伴を支持するものとはいえないように思うのですが、どうでしょう。
裸族ともまぐわうと宣言した手前、ここは引けないところです。
2002/11/04 16:14
>>No. 335
>私の質問の論点は、人口集約的な水稲耕作技術を持った渡来人が、原住民男性を「ことごとく皆殺し」にするような勿体無いこと、不経済なことを果たしてするか、というその一点であり、これについて貴方の回答はなされておりません。
それは前に回答したとおりです。
最初期で弥生人の人口が少なかった頃は、屈強な男は皆殺しにしてしまわないと危険だったでしょう。
味方が100人しか居ないのに、50人の奴隷の監視などできません。
しかし弥生人の集落が2000人なら、50人の奴隷の監視はできるので生かしておいて奴隷として使役したかもしれません。
>まつろわぬ者あるいはそういった集団は皆殺しにした可能性はありますが、すべての原住民がまつろわないということは、比較的優勢な武器を持った渡来人に対しては、考えにくいことです。
したがいまして、強姦論はともあれ、皆殺し論はいささか行き過ぎのように見受けられますがいかがでしょうか。
まあ、「皆殺し強姦説」というのは言葉のあやで、最初期だけの話。威嚇や交渉によって服属させることも中期以降にはあったでしょう。
ただ、「弥生人と縄文人は仲良く付き合って混血し、しまいには見分けがつかなくなって一つの民族になりました」なんてことは絶対にありえない、と言っているだけです。
2002/11/04 17:26
>>No. 322
現代の私たちも無意識のうちに2種類の
「お」を使い分けているというのですか?
具体的には、どんな単語で違いがあるの
でしょうか?
2002/11/04 17:35
>>No. 338
弥生人社会が安定してくれば、女連れ、家族連れの移民も渡ってきたでしょう。
特に、移民受け入れの窓口の北九州は早い時期に都市化し、半島や大陸の商人たちが訪れたり、駐在したりしていたのではないでしょうか。
しかし、奥地のフロンティアはやはり最初は男達だけで攻めていき、女は現地調達したものと思われます。
現代の海外転勤にしても、アメリカやヨーロッパへの転勤なら家族連れが普通ですが、東南アジアや中近東などは単身赴任する人間が多いのと同じです。
(何を隠そう、私自身台湾への単身赴任です)
また、白村江敗戦後の大量の百済帰化人については日本書紀に「百済の男女○○人」と明記されており、女も多数居た事が分かります。このときに入ってきたミトコンドリアも現代人には当然混じっているはずです。
2002/11/04 17:39
>>No. 338
私の仮説はそもそもHLAハプロタイプの分布が、日本人と〔外)モンゴル人でともにA24B52DR2集団が最多集団であることを出発点にしています。日本で10%を占め、北九州・山陽・近畿・秋田・山形で13%前後でこの集団の国内分布は半島から北九州に上陸し瀬戸内を通過して近畿に達したというように読み取れ(秋田・山形は後代の影響?)まさに日本の建国者ではないかと考えられます。私はこの集団が繁殖に最も成功していることから、縄文語(古アジア語?南島語?あるいは地域的に諸言語が並存?)や原朝鮮語、扶余語(ツング−ス語)及び江南出自の越系諸語〔三苗〜タイ系・インドネシア語〜南島語族)を吸収して日本語を形成するに至ったと考えるのが最も合理的だと思い、その集団が中国より「倭・倭人」と呼ばれた可能性が強く、その言語〔日本語祖語)を倭人語と仮称したのです。
さてこのハプロタイプは国外では、韓国2、3%、中国北部漢族(河北省あたり)で2,8%、モンゴルで5,9%で、日本列島からの移住が考えられない以上拡散の中心は国外に求めざるを得ず、大興安嶺周辺が第一候補となります。私は列島への移住直前の主たる居住地は遼河流域から鴨緑江流域にかけてで、殷周革命(前11世紀後半BC1027年頃?他説もあり)に続く混乱期に民族(部族連合)単位で移動を開始し、短期間で半島を縦断し、次々と列島に入ったと考えます。即ち移住のパタ−ンは民族移動のそれで、ボ−トピープル型ではないと思います。部族を半数に分け、族長の子が戦士の集団を率いて渡海し橋頭堡を築いた後、渡海前の居住地に残りが合流するのが最も考えやすいシナリオです。勿論邪魔な原住民(焼畑農耕民)の男を殺したり、女を強姦したりすることはありますが、新来者のもたらす疫病によりもともと少数で縄文末期の寒冷期に人口減少を来たしていた縄文人部族は急激な衰亡に向かったと思われ、縄文語を新しい支配者に拡げる余地は少なかったと思います。もし日本語が南島語族に属するとすれば、それは列島進出前に山東半島や朝鮮半島中南部で越系と倭人が合流した可能性を考慮すべきで、縄文語が南島語系〔南九州など熊襲隼人の祖ではありえたかも)の可能性は低いと考えます。
ミトコンドリアのデ−タそのものからは、お説の通り現時点ではモンゴルあたりのデ−タがないので断言できませんが、例えばアルデヒド脱水素酵素2型の欠損型〔所謂下戸遺伝子)の分布や頻度をみても少数の男子だけの移住だけでは到底ここまで欠損型遺伝子が拡がったとは考え難いのですが(日本人中ホモ・ヘテロ合わせて44%がこの遺伝子を持ち世界一です)。尚以上のハプロタイプのデータは「モンゴロイドの地球?」の徳永勝士氏の論文によっています。
2002/11/04 17:50
>>No. 340
まず、音程を変えず「ネコネコネコネコ・・・」とできるだけ早口で10回言ってみてください。(必ず声を出してください)
次にそれを「タコ」に変え、「タコタコ・・・・」とできるだけ早口で10回言ってみてください。(必ず声を出してください)
ネコの「コ」は唇を丸めず、舌を前後させるだけで発音できるのに対し、「タコ」の「コ」は唇を丸めないと発音できないはずです。
この円唇化しない「ネコ」の「コ」が乙類、円唇化する「タコ」の「コ」甲類で、
「ア段音に後続するオ段音は甲類」という有坂第三法則に則っています。
その他いろいろな条件下で円唇・非円唇の/o/が現れますが、それで上代特殊仮名遣いオ段音の書き分け法則はすべて説明できます。
そして、この円唇の/o/は朝鮮語では「┴」、非円唇の/o/は「┤」にあたり、完全に区別します。
2002/11/04 18:11
>>No. 343かなりトンデモ。唇を手で押さえれば違うと判る。
2002/11/04 18:12
>>No. 343なお、突っ込まれる前に言っておきますが、「ネコ」の「コ」は上代では甲類です。それはネコはHLアクセントで、「低音で発音されるのオ段音は円唇化する」という別の法則が働くからです。(鏡を見ながら明治大学校歌「オーオー明治」を歌ってみれば分かります)
2002/11/04 18:14
>>No. 343
「ネコ」の「コ」と「タコ」の「コ」の
発音は確かに異なりますね。
すごいっ
すごぉーい
どっちが正しい日本語なのかな・・・?
(これは質問じゃありません。ご返答は不要)
2002/11/04 18:35
>>No. 342
私は南方系の縄文人は1〜2万年前の氷河期に陸続きだった朝鮮海峡を渡って西日本から琉球に広がり、北方系縄文人は同じく氷河期にサハリン・北海道を経て北東日本に広がったと考えています。
氷河期が終わって日本が島国になった後に別の亜種が朝鮮半島に住みついたのではないでしょうか。
言語的に考えると、本土日本人(弥生人の子孫)は朝鮮系の人々との混血の後が濃厚であるのに対し、琉球人は殆ど混血していないにも関わらず、有史以前から同系統言語を話しているという事実があります。
明治以前に弥生人の言語が琉球に伝播するような有機的な交流があった痕跡は歴史学的にも考古学的にも見られず、何ゆえ形質的に異なる二つの民族が同系言語を話しているのかは、私の仮説でないと説明がつかないと思います。
なお、熊襲についてですが、BC三世紀に北九州で形成された弥生人達は本州・四国方面に向かい、長い間南九州には向かわなかったことが考古学的に確かめられています。
つまり、今の鹿児島あたりには渡来人と混血しない南方系縄文人が長く残っていたわけで、それが弥生人(日本人)の支配化に入ったのは日本武尊伝説のごとく、3〜4世紀頃と見られます。この平和共存の時代に文明だけがこの地域の南方系縄文人に流れて人口が増え、彼らが作った国が熊襲ではないでしょうか。
彼らは元々日本祖語を話していたはずですが、弥生人達の日本語は朝鮮語等の影響を受けて独自の発展をしてていたため、かなりの方言差があったはずです。
鹿児島方言は九州方言の中でも特殊だと言われますが、それが原因ではないでしょうか。
2002/11/04 19:34
>>No. 346
ウケところでもう一席(^ヘ^)
鏡を見ながら「ポッポッポハトポッポ」と歌ってみてください。
次にそれを「コッコッコハトコッコ」に変えてみてください。
「ポ」は円唇化するのに「コ」はしないはずです。
上代にオ段音で甲乙の書き分けがないのは「ホ」(上代は「ポ」だった)だけですが、「ポ」は子音を発音する時に円唇化させなければならないため、非円唇の乙類が発生しないのです。だから書き分けがない(^ヘ^)
>どっちが正しい日本語なのかな・・・?
(これは質問じゃありません。ご返答は不要)
どっちも正しい日本語です。
ただ、円唇の「オ」の方が明瞭な「オ」であるために、日本語の教科書には日本語のオは円唇の〔o〕(IPA7番)であると書いてあります。
しかし、実際には非円唇のオを用いている場合の方が多いのです。
2002/11/04 21:50
>>No. 347
>言語的に考えると、本土日本人(弥生人の子孫)は朝鮮系の人々との混血の後が濃厚であるのに対し、琉球人は殆ど混血していないにも関わらず、有史以前から同系統言語を話しているという事実があります。
御説によれば、韓国語と日本語は元々無関係なわけですから、「言語的に考えると」というのは奇異に感じられます。
それに「有史以前から・・・という事実があります」というその有史以前の「事実」なるものは、一体どこにあるのでしょうか。
>明治以前に弥生人の言語が琉球に伝播するような有機的な交流があった痕跡は歴史学的にも考古学的にも見られず
明治以前・・・? 明治以前に考古学が日本にあったとは思えません。これは書き間違いですか。それとも明治以前まで弥生人の交流による言語伝播の痕跡がないが、明治以降はあった??
>この平和共存の時代に文明だけがこの地域の南方系縄文人に流れて人口が増え、
言葉の綾とはいえ、皆殺し論と、いかなる整合性が・・・。
>弥生人達の日本語は朝鮮語等の影響を受けて独自の発展をしてていたため、
朝鮮語等の影響ということは、無関係論者の貴方にとっては、朝鮮語の借り入れということを意味するわけでしょうか。
それとも当地は例外特殊??
2002/11/04 22:23
>>No. 349
外間守善著おもろさうしより:
・・・神歌や創世を伝える神話などをたぐっていくと、奄美大島のほうから島伝いに下りてくるアマミク族と稲作の道がかなりはっきろみえてきたようである。しかもそれらは、与論島から伊平屋島→伊是名島→粟国島→座間味島→久米島へという西海岸へのコース(・・・と別のルートで)勝連半島へという東海岸へのコースをたどっており・・・。以上のような観点に立って、弥生時代以後の沖縄文化は九州から奄美大島伝いに渡ってきたアマミク族による稲作文化を基調にしたもので(ある。)(引用終わり)
アマミクはアマミチュなどとも発音され「奄美の人」の意味のようだ。(天御中主がこれか?というのは置いておこう)
2002/11/04 22:28
>>No. 347
HLAハプロタイプB52DR2(日本人の最多ハプロタイプ)は沖縄では2%と少数ですが、この集団が北九州(13,5%)から南下して南九州(6,6%)をまず日本語化し、ついで沖縄の日本語化をもたらしたと説明できると思います。日本人で2番目に多いB44DR13〔日本人で6,3%、沖縄で1,3%)や3番目に多いB7DR1(日本人5,3%、沖縄については徳永論文では不明)は国外では韓国人や満州族に多く、華北の漢族0,5%未満、モンゴル人1,0%未満でこの二つのハプロタイプは韓国人の形成に関わった主因子で韓族・扶余族または韓族南下以前の半島原住民と考えられる古アジア語族系(金芳漢氏はギリヤ−ク族と考えています)を代表するハプロタイプと考えられます。4番目に多いB54DR4は日本全体では3,7%ですが、沖縄で最多で5,7%、南九州で4,2%、南四国・東海・神奈川でもでも比較的多く、本州中央部や東北地方では少なく、韓国で4,4%、中国南部漢族でも4,4%で、中国北部漢族やタイ人ではほとんどみられません。これは越系の民族の移動をあらわしていると思うのですが具体的に比定する民族は決定し難いです。5番目に多いB46DR8は3.6%でその国内分布は1〜3番目のそれに類似していますが、国外では韓国人及び満州族のみに多く、漢族や東南アジアでも認められません。ただこのハプロタイプと起源を同じくするB46DR9は中国南部、四川省、タイ、ヴェトナムで最多と考えられる集団でおそらく百越の中心を成したものかと考えています。以上の主だった五つのハプロタイプ全てが弥生時代前後に日本に入った可能性が強く、縄文人のハプロタイプはもっと少頻度のグル−プの中にあると考えられ、縄文語が、keimadouさんの考えたような原住民の母から弥生人との子に伝えられたとするには、HLAハプロタイプの解釈上からは困難です。縄文語ではなく弥生前後に南島語族系の言語と北方の倭人の言語が北九州や加羅地方、或いは(もっと前に?)山東半島でクレオ−ル化して形成された可能性はあると思いますが。
尚韓国人は日本人に比し、満州方面の遺伝子は多いものの華北・蒙古高原あたりと共通する遺伝子は日本人の方が多いのではないかと私は感じています。
2002/11/05 08:01
>>No. 349
貴殿はこのようなくだらない質問を本気でなさっておられるのですか?
?本気でしている・・・・中学生並の知能・知識・読解力しか持たない人物
?本気ではない・・・・・悪意に人の揚げ足とりをする人物
いずれにせよ、労力を使ってレスをするに値しない人物であると判断いたしましたので、今後お付き合いは遠慮させていただきます。
2002/11/05 08:17
>>No. 352
答えは?です。つまり本気で質問をしています。
他の掲示板を閲覧致しますと、貴方は答えに窮したときの離別の口上が常に同じですね(^^ゞ
お元気で。
2002/11/05 12:41
>>No. 348
発音が2種類存在することは理解できました。
問題は上代の人々がその違いを意識していたかどうかです。
同じ発音の条件下で使い分けがあったのならば、
意識されていた(母音として区別されていた)
ことになると思います。
たとえば、同じ「よ」という語で「世」は乙、
「夜」は甲だったようですが、その違い
をどう解釈されているのでしょうか?
2002/11/05 13:32
>>No. 351
>HLAハプロタイプB52DR2(日本人の最多ハプロタイプ)は沖縄では2%と少数ですが、この集団が北九州(13,5%)から南下して南九州(6,6%)をまず日本語化し、ついで沖縄の日本語化をもたらしたと説明できると思います。
この遺伝子がBC3世紀以降に入ってきた渡来人の遺伝子ではないですか?
>4番目に多いB54DR4は日本全体では3,7%ですが、沖縄で最多で5,7%、南九州で4,2%、南四国・東海・神奈川でもでも比較的多く、本州中央部や東北地方では少なく、韓国で4,4%、中国南部漢族でも4,4%で、中国北部漢族やタイ人ではほとんどみられません。
この遺伝子が南方系縄文人の遺伝子で、これが少ない東北地方の人々は北方系縄文人の血を色濃く引いていると考えられませんか?
>5番目に多いB46DR8は3.6%でその国内分布は1〜3番目のそれに類似していますが、国外では韓国人及び満州族のみに多く、漢族や東南アジアでも認められません。
これはBC3世紀以降の渡来人の遺伝子だと考えられませんか。
まず、貴殿は縄文人は一系統だという前提にたっておられるようですが、以前に述べたとおり、私は日本の南北に遺伝子的にも文化的・言語的にも異なる二系統があった、と考えております。
その直系子孫に近いのが北方系がアイヌ・南方系が琉球人と考えられます。現代でもアイヌと琉球人が遺伝的に異なることは定説になっています。
従って、私の仮説では、西日本の弥生人は渡来系と南方系縄文人の混血種であり、
東日本の弥生人(もはや日本人ですが)にはこの混血の弥生人に更に北方系縄文人の遺伝子が加わったものだと考えられます。
特に人口の増えた7世紀以降に日本に同化された東北地方では北方系縄文人の遺伝子の影響が色濃く残っているのではと考えられます。
貴説はこの仮説の中で解釈可能であり、特に矛盾しているとは思われません。
また、貴殿の述べられている大陸の民族配置は、1万年前に第四氷期が終わって東アジアの地形・気候・生態系が現在のようになって以降の事であり、地形も気候も大きく異なった氷河期には必ずしも当てはまらないと思われます。
しかし、私は氷河期に渡って来た南方系縄文人も東南アジアからではなく朝鮮半島経由であった(その意味では北方から)と考えており、これも貴説と矛盾しているわけではありません。
2002/11/05 13:59
>>No. 354
まず、できるだけ高い音で「オー」と発音してください。
次に、そこからド・ソ・ミ・ド・ソ・ミ・ドと音程を下げこれ以上下げられないところまで「オー、オー、オー、オー」と歌って見てください。
高い音の「オ」はかなり唇を開かなければ発音できず、低い音の「オ」は唇をすぼめなければ発音できないはずです。
つまりオ段音には「高音ほど口の開きが大きくなり、低音ほどすぼまる」という法則があります。
「世」と「夜」の違いはアクセントの違いです。
声点などの研究から、上古では「世」はHアクセント、「夜」はLアクセントであ留事が確かめられており、現代関西方言でもそうです。
つまり「この世」はHHH,「この夜」はHHLであり、前者は円唇化せず、後者は円唇化します。
このアクセント(音程の違い)による円唇化の差が私が発見した円唇化法則の中で最も強固な法則です。
2002/11/06 16:13
>>No. 356
発音実験の写真をUPしました。
http://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/keimadou/lst2?.tok=bc1sD89A5ZBcFkdE&.dir=/%c
8%af%b2%bb%bc%c2%b8%b3&.src=ph
最初の二枚は関西方言話者の「この世」(HHH)と「この夜」(HHL)の「ヨ」です。
次の二枚は朝鮮語の「┫」と「┻」です。
次の六枚は、明治大学校歌の最後のリフレイン、「その名ぞ我らが母校」の「そ」です。これは歌詞は同じですが1オクターブ違います。1オクターブ下がるとこれだけ円唇化するということの証拠です。
これらは皆ビデオを静止画像になおした物であり、動画を見、音声を聞いてなお私の説にケチをつけた人間はだれもいません。(^へ^)
2002/11/06 18:15
>>No. 355
keimadouさんいつも丁寧なコメント有難うございます。言語学・音声学の専門家で朝鮮語・中国語(台湾に4年も単身赴任されたとのことで多分中国語にも堪能と推察しました)及び南島語族についても御専門かと思われる方のご意見ですので常に謹聴(拝読)しています。台湾へのご赴任もあるいは最近南島語族の拡散の中心が台湾であるとの有力な説とのからみで高砂族(高山族)の諸言語のご研究にいらっしゃたのかも?と想像したりしています。さて私は内科医が本職ですが、ン十年前足の裏の米粒とかSchamhaare(pubic hairs)とかいわれるものを取得したのですがたまたま免疫学的テ−マで同じ研究班にはHLAを後にテ−マとした者もおり、HLAハプロタイプには以前から注目しており、徳永勝士氏の論文がでてきた時に飛びついたのもそのためです。他の単一遺伝子座上の遺伝子多型は偶然による突然変異の影響を排除できないのに対し、HLAハプロタイプが同一の場合同祖であることを確定できるからです(ミトコンドリアDNAも適当な長さで比較すれば37個の遺伝子座について比較し得たことになり同等の重みがありますが、現時点では移植とのからみでデ−タが多いHLAの方に一日の長があります)。私は日本列島への人(民族、部族など)の出入りをHLAハプロタイプとの関連で見る(徳永氏らと同じ結論になります)だけでなく、これを日本語・日本民族・日本国家の形成と関連づけることを考え(素人の気安さです)、言語・文献・考古学などは定説化したもの以外は自分で正しいと感じたものをくみあわせています。縄文語の南島語族説については私は否定的ですが、日本語の南島語族説については貴説が発表され,正しいと思えばA24B52DR2集団がどこで南島語族で接触(山東半島?)して言語(本来のアルタイ系?の)を取り替えたか、混交(クレオ−ル化)したかを考えることになります。ただ村山七郎氏の本を読んだ限りでは長田夏樹氏の日朝同系論の印象と似たり寄ったりで簡単には同意できませんでした。
尚、私は縄文人の起源については一系論者では在りません。古アジア語族?に属する北方系モンゴロイドが1万数千年前にシベリア〜沿海州〜樺太または朝鮮半島を通って日本列島に細石刃文化をもたらし、これが縄文文化の源流となったと考えていますが、その中心は東北日本から近畿を含む本州中央部と考えます。次いで7500年前(かそれ以前)に南九州を中心に後の南島語族の前身の可能性のある集団が黒潮沿いに西南日本の太平洋沿岸部(縄文古人骨浦和1号を含む)に移住し初期の縄文文化とは異なった貝〔殻)文土器の文化を築きますが噴火やその後の寒冷化により台湾・琉球(福建も?)の後背地ごと大打撃を受け、寒冷化に適応した東北日本系の縄文文化が西南日本に浸透し、ほぼ列島の縄文化が5000年前には完成します。しかしその後も沿海州や半島、長江流域からの小規模の民族移動が続いていたが、前12世紀ころからおそらく気候の変動によると思われる民族移動がユ−ラシア大陸で始まり、欧州ではイリュリア人・ド−リア人の移動を、アジアでは殷周革命を惹起し、更に殷の遺民等による箕氏朝鮮の建国や徐のエン王と九夷の叛乱(周に対する)、倭人の列島への進入、扶余の満州から半島への侵入といった民族移動を起こしたと考えています。このスト−リ−だと倭人の列島進出は前3世紀ではなくもっと以前と考えられ、最近の年輪年代法による古墳時代や弥生時代の開始時期の繰り上がりは歓迎するところです。(私は北九州に倭人-B52DR2集団-が入ったのは遅くとも前7世紀頃と考えています)
縄文人のものと考えられるハプロタイプについてはもっと頻度の少ないグル−プが想定されており、アイヌと沖縄人のみで発見されるハプロタイプが候補にあがっていますが、詳細が文献上発表されておらず私は評価できない状態です。北朝鮮や山東半島、チベットなどの詳細なデ−タが欲しいのですが。
2002/11/06 19:58
>>No. 316
ご返信が遅れ、申し訳ありません。
とても懇切なご説明、ありがとう
ございました。少なくとも「生す霊」
より整合性があるように思えます。
この三神は抽象的ですから「根源霊」
というに相応しいと思います。
裏づけなど、なお一層の解明を
期待します。
民族移動のハタンでは?を読み、
溜飲が下がりました。
まさにあの論法は破綻しています。
他の方の同様な反論がないのが不思議
ですが、衒学的記述に煙に巻かれた
のでしょうか。
ところで、パプア・ニューギニアの
ウサルファ語がブルークマンのいう
特徴束において、日本語と極めて類似
していると言う説を聞いたことが
あります。ということは、
ウサルファ語とタミル語との間の
特徴束も同一であれば、ある意味で
決定的になるように思えるのですが、
いかがでしょうか。
それと、「子」という言葉は、北方、
南方ともに適切な類似語がないように
思うのですが、タミル語ではどうで
しょうか。とても興味がありますので
是非ご意見をお聞きしたいと思います。
2002/11/06 22:05
>>No. 356
円唇化法則の発見には、正直、敬意を表します。
ただ、その程度の違いは、外国の聴取者の識別しうる閾値に達しているとは到底言い難いものです。
この程度の相違はどの言語にもあります。
したがって、言語学者の同意を得ることは残念ですがあり得ないでしょう。
2002/11/07 00:02
>>No. 360
>その程度の違いは、外国の聴取者の識別しうる閾値に達しているとは到底言い難いものです。
何を根拠にそのようなことを主張なさるのですか?
私はすでに韓国において韓国人を対象に聞き取り予備実験を行い、統計的に有意な結果を得ております。実験方法を改善した後、近いうちに本実験を行う予定です。
>したがって、言語学者の同意を得ることは残念ですがあり得ないでしょう。
これまで同意しなかった言語学者・国語学者はおりません。
2002/11/07 07:10
>>No. 359
村山七郎「日本語の起源を探る」p211で、琉球方言の「子」を意味する*kuwaにつき、kunaが立てられる
とし、-aの影響で-n-は弱まり、uとaとの間にわたり音wが生じたであろうとして、
「そこで『子』を表す日本祖形として、* kunaを立てることにする」と述べています。
以上からすると、「混効験集」に「初の子」を「うぶのクワ」と表記することからしても「kuwa>kwa>koとなる」という指摘は
正鵠を射ているように思います。
モモンガという言葉にもその痕跡が認められるからです。
●タ vav-al jumping over(飛翔); bat(こうもり);
○日 mom-i モミ(毛美、毛朱)。モモンガの古語。v/f/m交替。
○日 mom-onga モモンガ
モモンガは樹間を滑空するリス科の哺乳類であり、列島人は同じく哺乳類で、敏捷に飛翔するコウモリと間違えた可能性が大きいと思います。
事実、ドラヴィダ地方でも以下のように同列においています。
●タ maravanil 1. grey flying squirrel(灰色のモモンガ); 2. bat(コウモリ);
このモモンガの「nga」ですが、日本では小さい動物に、犬っこ(方言でenugoなどあり)などと指小辞を接辞する例があります。
したがってモモンガはモミの子(mominoko>mominkwa>momongwa(鼻濁音化)となった可能性があります。
次に村山氏の指摘する*kunaですが、これは「ヤマトヲグナ」の「クナ」でありましょう。
●タ cinn-i small child(小児);little thing(小さいもの);
○日 kun-a 烏具奈(おぐな)の「くな」。kinna>cinna。古形kinna>kuna交替。
以上から、「子」はkinna>kuna>kuwa>kwa>koと変遷したものと思われます。
パプア湾沿岸のごく一部で話されているウサルファ語ですが、音韻構造、統辞構造、形態構造の
いずれにおいてもタミル語および日本語と一致しています。特に基礎語彙の一致は、近辺のオーストロネシア語やアルタイ諸語とは一線を画しています。
このことを指摘したのは江 実教授ですが、ウサルファ語もまたクレオールタミル語で、スワデシュの基礎語彙比較から見ると、クレオールレベルは日本語よりかなり低いと思います。
当初、私はこのパプア湾沿岸を中継してタミル語が日本列島にやってきたとみたのですが、より詳細には、
おそらくタミル人は比較的短期間パプアに滞留した後、何らかの理由で日本列島に移動したと解釈した方が
辻褄が合うと思うようになりました。
2002/11/07 10:15
>>No. 361
>これまで同意しなかった言語学者・国語学者はおりません。
寡聞にしてご貴殿の説を引用した論文をこれまで一度も見たことがありません。
どの言語学者・国語学者が賛同して論文に引用しているのかお教え下さい。
ご貴殿の言われるような画期であれば、
必ず論文にて引用評価されます。例外はありません。
同僚も聞いたことがないといっております。
2002/11/07 10:56
>>No. 363
記事322,357をご参照下さい。
今の段階で読みたければ、国語学会2001年度春季大会予稿集、日本音声学会2002年度全国大会予稿集があるだけです。
2002/11/07 11:41
>>No. 364
すべて拝見いたしましたが、以下の回答となるごとき記載は全くありませんでした。
再掲致します。
どの言語学者・国語学者が賛同して論文に引用しているのかお教え下さい。
ご貴殿の言われるような画期であれば、
必ず論文にて引用評価されます。例外はありません。
2002/11/07 13:58
>>No. 365
論文はまだ書いていないのですから、私の論文を引用した論文があるはずがありません。
予稿集を引用した物があったとしても、私は日本にいないので知りません。
ただ、国語学会でも音声学会でも、私の説に表だって反論した方は誰もおりません。従って、あの場にいた方は誰も私の説を否定できなかった、つまり最低でも消極的に肯定せざるをえなかったということです。
個人的には筑波大のT教授、埼玉大のY教授、阪大のT教授、フェリス女子大のA助教授、東京女子大のO教授、愛媛大のS助教授、玉川大のK助教授等々多数の方から積極的支持を頂き、早く論文を書けとお励まし頂いております。
私が論文を書く前に学会発表を優先しているのは、失礼ながら、まさに貴殿がここで私に対してなさったような批判を封じるためです。
音声学会において、私が提示したビデオを見、音声を聞き、なお「その程度の違いは、外国の聴取者の識別しうる閾値に達しているとは到底言い難い」などと批判をした聴衆は誰一人居ません。音声学の専門家40名程が音声を聞いた上で私の言ってることを(積極的にせよ消極的にせよ)認めた以上、音声を聞いてもいない貴殿がどんな批判をしようと私はビクともしません。
この研究は音声学・国語学・朝鮮語学・歴史学の四分野に跨っており、それぞれの分野の専門家からの批判を想定して十全な論文を書こうとすれば、最低でも100枚以上の論文になってしまいます。
まして個々の分野の「専門家」は、専門的であればあるほど、他の三分野に関して無知なのであって、話をするときは他の三分野の基本から一々説明していかなければならないのです。
そんなテーマに関して「根回し」もせず20〜30枚程度の論文にしたら、それこそ貴殿が私になさったような批判が各分野から集中し、不毛な論争に巻き込まれてしまいます。
とりあえず、国語学界と音声学界への根回しは終わり、朝鮮語学界への根回し(今発表申請中)が終わったら、音声学の論文として発表しようと思っています。
2002/11/07 18:20
>>No. 366
分かりました。ただ、表立った反論がないことが「誰も私の説を否定できなかった、
つまり最低でも消極的に肯定せざるをえなかった」ということにはなりません。あきれて言葉もなかった、
ということもあります。
それに、以下の貴殿の言葉は、言うまでもないでしょうが、自己撞着です。
>そんなテーマに関して「根回し」もせず20〜30枚程度の論文にしたら、
それこそ貴殿が私になさったような批判が各分野から集中し、不毛な論争に巻き込まれてしまいます。
それを自覚しておられるなら、お持ちのHPに、発表した内容を書くべきでしょう。
そうでない場合、貴殿は敢てここに極めて短文の論述をすべきではありません。
でないと、貴殿が罵倒しうる人間は増えるだけです。
それが貴殿の隠れた悦楽なら話は別ですが・・・。
2002/11/07 18:58
>>No. 367
ところで、下の質問に対する答えをまだ頂いておりません。
>>>その程度の違いは、外国の聴取者の識別しうる閾値に達しているとは到底言い難いものです。
>何を根拠にそのようなことを主張なさるのですか?
このような断言をなさる以上、それなりの方法論的根拠があってのことと思います。
音声も聞かず、実験もせずにこのような事を断言できる便利な方法を、是非私も習得したいので。
2002/11/07 19:21
>>No. 368
以下に対する貴殿の答えをはずしては、毎度のことですが議論になりません。
正面からの回答が不能なら、もはや不毛なことですので、もうやめましょう。
貴殿もその方が楽でしょう。
>それを自覚しておられるなら、お持ちのHPに、
発表した内容を書くべきでしょう。
そうでない場合、貴殿は敢てここに極めて短文の論述をすべきではありません。
でないと、貴殿が罵倒しうる人間は増えるだけです。
それが貴殿の隠れた悦楽なら話は別ですが・・・。
2002/11/07 20:14
>>No. 369
ふざけたことを言わないでください。
私はこの質問をあなたの最初のレスの回答として昨日からしているのです。
あなたはそれに答えず、二度もばかげた質問をし、二度も私は答えてやった。
そろそろ最初の質問に答えてもらってもいいはずです。
あなたがそれに答えたら、私もこれに答えてあげましょう。
2002/11/07 21:25
>>No. 358
お見苦しいところをお見せし、失礼しました。(^ヘ^)
何の根拠も無いくせに、人の説にやたらとけちをつけたがるあの手の輩は困ったものです。
>縄文語の南島語族説については私は否定的ですが、日本語の南島語族説については貴説が発表され,正しいと思えばA24B52DR2集団がどこで南島語族で接触(山東半島?)して言語(本来のアルタイ系?の)を取り替えたか、混交(クレオ−ル化)したかを考えることになります。ただ村山七郎氏の本を読んだ限りでは長田夏樹氏の日朝同系論の印象と似たり寄ったりで簡単には同意できませんでした。
私も縄文語(私の仮説では南方系縄文人語=日本祖語)が南島語族だとは考えておりません。台湾原住民諸語と日本語・琉球語との関連は殆ど見られませんし、遺伝的にも異なるからです。前にも述べたとおり、南方系縄文人は氷河期に朝鮮海峡を渡って西日本から琉球にかけて広がったものと考えています。サハリン−北海道経由で入ってきたアイヌ祖語を話す北方系との対比で南方系と呼んでいるだけです。
>次いで7500年前(かそれ以前)に南九州を中心に後の南島語族の前身の可能性のある集団が黒潮沿いに西南日本の太平洋沿岸部(縄文古人骨浦和1号を含む)に移住し初期の縄文文化とは異なった貝〔殻)文土器の文化を築きますが
御説のここが疑問なのですが、約一万年前日本列島が大陸から切り離されて以降、7500年前の航海技術で日本列島への大量移住が可能であったかということです。南島の人々が潮に流されて偶然漂着したということはありうるでしょうが、古代(というよりも原始時代)に対岸の見えない航海にあえて乗り出そうとする人間がいたとは思えないのですが。もちろん、樺太・朝鮮半島・南島などからいろんな遺伝子を持った人間が数名・十数名ぐらいの単位で断続的には入ってきたかもしれませんが。と思いますが、大量移住となると、弥生時代の開始まで考えられないのではないでしょうか。
>噴火やその後の寒冷化により台湾・琉球(福建も?)の後背地ごと大打撃を受け、寒冷化に適応した東北日本系の縄文文化が西南日本に浸透し、ほぼ列島の縄文化が5000年前には完成します。
南日本や台湾の人間が凍え死ぬような急激な寒冷化が起こったのなら、北日本の人間の方が先に凍え死ぬのではないでしょうか? 噴火というのは桜島でも爆発したのでしょうか?
>このスト−リ−だと倭人の列島進出は前3世紀ではなくもっと以前と考えられ、最近の年輪年代法による古墳時代や弥生時代の開始時期の繰り上がりは歓迎するところです。(私は北九州に倭人-B52DR2集団-が入ったのは遅くとも前7世紀頃と考えています)
ここで「倭人」とおっしゃっているのが農耕文明をもたらした弥生人(の祖先)という意味であるならば、せいぜい前4世紀までで、前7世紀まで繰り上げるのは無理でしょう。もちろん、そのB52DR2集団が前7世紀の時点では農耕を知らず、それが移住してきて日本列島で狩猟採集経済を営んだというのなら可能性はありますが、それは文化的な意味での弥生時代の開始ということにはなりません。
いずれにせよ、他の記事でお分かりのとおり、私は「日本語と朝鮮語は同系ではない」と言うことに関しては確信を持っております。上代特殊仮名遣いの分析により、7世紀時点の日本語と朝鮮語(百済語)は全く別の言語であった断言でき、七世紀時点でそうであれば、弥生人が日本語を話し、朝鮮半島の民が朝鮮語を話していたという証拠のある卑弥呼時代、三韓時代まで遡ってもそうだったと言うことです。何より、日本語と朝鮮語の語彙の対応関係は非常に少ないうえに基本語彙の音韻対応は殆ど見られないのであって、日本語が朝鮮語と縄文人語のクレオールだとも考えられません。
故に、渡来の弥生人の祖先がもたらした言語が日本語だとすれば、弥生時代開始期にあたる箕氏朝鮮の時代には半島に日本語を話す民族が住んでおり、それが三韓時代までの間に朝鮮語を話す住民に取って代わられたと言うことになりますが、そんな形跡もありません。
とすれば、
はり日本列島の原住民たる縄文人が日本語を話しており、それが征服者たる弥生人に乗り移った考えるしかありません。
それが遺伝子的に裏付けられればいいのですが。
2002/11/08 09:29
>>No. 362
アイヌ語poがkoになったのかと思って
いましたが、それ以外の可能性もある
ことが分かりました。ありがとうございます。
アイヌ語といえば、どこから来たのか
比較言語学的にまったく解明されていませんね。
寒冷地用語が極端に少ないので北から
来たのでないことは明瞭ですが、
そうすると、アイヌ語は日本の南部あたりで
発生した言語なのかもしれないと
最近は思います。
ウサルファ語の解明がより進めば、
タミル人の中継地点としてのパプアが
より鮮明になるでしょうね。
2002/11/09 23:09
>>No. 371
keimadouさん、ちょっと時間がなくて返信が遅れ申し訳ありませんでした。結局のところ日本語の起源について考えると必然的に朝鮮語や中国語などの近隣諸言語についても考えざるを得ないようですね。最初からそうであろうと予測してはいたのですが、形質人類学的・分子遺伝学的デ−タを手がかりに日本人・日本語・日本民族・日本国家の形成について考えようとしていた私にとってはこれらのデ−タの少ないシベリア・中国・北朝鮮・東南アジア(最近ではインド亜大陸のデ−タも要りそうです)などは手の出し様がありません(無理して日本絡みのところについては解釈していますが)。
さてこの間から検討していたHLAハプロタイプでまだそれを担った民族を比定しなかったものについて2〜3試案が固まってきましたので言語学的にどの程度の可能性があるか否か御批判お願い申し上げます。
トピNo351で触れた?最多集団は倭人に?番目は(原)韓族に、?番目は南島語族〜熊襲・隼人族の祖に比定するのは従前どおりですが?番目の集団は(原)韓族の半島南下以前の住民と考えられる古アジア族系の集団(金芳漢説のギリヤ−ク語類似言語、安本美典説の古極東アジア語?)に比定し、?番目の集団(A2B46DR8)は、広く中国南部・東南アジアに分布するA2B46DR9と同一起源を有しDR9集団が北部中国にも分布するのに対して、DR8集団は満・韓・日3民族に分布が限られていることから、黄河流域に先駆けて長江文明を確立したDR9集団が生活圏を拡大し北上して黄河中下流域に進出して黄河文明を建設途上(夏人?)にDR9集団より分岐して黄河下流域で発生し、その後満州方面〜朝鮮半島に拡散したと考え、一応夏人としましたが南方への分布が全くないことから正直なところ扱いに困っています。尚扶余族については?番目以降のハプロタイプ(例えばA26B61DR9など)の中から北方にも分布している集団を比定すべきかと思いますが、デ−タがなく現状では決定できません。
朝鮮語の起源については一応A33B44DR13を(原)韓族〔アルタイ系?)とし、基層言語に先ほどの?番目のA24B7DR1を想定し、これに扶余(ツング−ス)が重層したと考えています。
2002/11/10 00:57
>>No. 371
keimadouさん、7500年(かそれ以前)は9500年の誤記です。申し訳ありませんでした。「上野原遺跡」(鹿児島県国分)の最盛期が’7500年前で、最古の定住集落は9500年前とされています。大噴火は1万年前(桜島)、6300年前の鬼界カルデラが有名ですが、この鬼界カルデラの噴火で南九州の壷型土器などの特徴のある文化(貝文土器)が直接的大打撃を受け、東北日本系の縄文土器が列島を制覇するに至ったと解釈しています。航海技術についてですが後世のような大量渡海の技術はなかったと思いますが、12000年前と推定される拵ノ原(木偏です)遺跡では丸ノミ形石斧が出土し丸木舟の製作に用いられたと考えられており、沖縄の国頭村でも出土しています。大量移住がなくとも故郷との往来が可能な航海技術は十分あったと思われます。貝文土器所有者は鬼界カルデラの大噴火の直撃を受け再起不能の大打撃を蒙りましたが、勿論一部は北や東に逃げられたでしょうが、中期以降の縄文文化は東北日本系が主流です。縄文時代初期東北日本の縄文文化以上の文化を有した南九州の貝文土器文化は事実上滅亡したと考えて良いと思います。この文化の担当者の民族的・人種的帰属は古人骨からのDNA抽出を待たねばなりませんが、5900年前の浦和1号の結果からも南方出自であることは間違いないところです。
尚私が倭人と表現している集団はあくまでも日本人中最多ハプロタイプを持つB52DR2集団のことですから、当然前10〜12世紀頃の遼河流域居住時代は狩猟・漁労・畑作が生業と考えられ、現に後漢書鮮卑伝の倭人国の倭人は漁労に長じていたと記載されています。従って倭人は日本列島に入る前どこで何時水稲耕作を学んだかが当然問題になります。海峡両岸を占拠後に被征服民の越系諸部族より学んだか、山東半島〜朝鮮中北部で稲作民と接触したかは現時点では決められませんが、私は弥生時代の開始直前は民族移動期で水稲耕作と土器製作、言語の統一(日本語の列島制覇)は同時並行的に進行し得たのではないかとも考えています。
2002/11/12 12:18
>>No. 353
繋ぎとして書き込みます。
●タ tal-am 1. place(場所), site(敷地); 2. sacred place(聖なる場所),
shrine(聖堂);
○日 ter-a 寺(てら)。tal->ter-。
寺銭というのは「場所の借り賃」である。したがって、「場所代」ということになる。
●タ tul-ai 1. hole(穴), orifice(開口部), aperture(開き口);
2. hollow, as of a tube(<管のような>ウツロ); 3. bamboo(竹);
4. gateway(入り口), passage(通路);
○日 tor-iwi 鳥居(とりゐ)。u/o交替。重母音aiに介音wが加わったものと思われる。
神社や祠(ほこら)の入り口に、神域を示すための門。インドに原型を求める説もある。
●タ pukal residence(住まい), dwelling(住家); refuge(避難), asylum(保護);
receptacle for storing grain(穀物備蓄用の袋);
○日 fukur-o 袋。
○日 fokor-a 祠(ほこら)。通説は「神庫(ほ・くら)」とする。
しかし「神」を「ほ」とは言わない。
「神の住家」ということであろう。
●タ kaippant-am flambeau, torch;
○日 taimatu 松明(たいまつ)。kai->cai->tai-交替。
●タ kul-ir to seat(座る), rest(休む);
○日 kur-a 座(くら)。「磐座(いはくら)」など。
●タ at-i foot(足);
○日 as-i 足・脚。
胡座(あぐら)はasi・kura>aguraであり、「脚を休ませる」という意味があったものと思われる。
●タ penkuri pudendum muliebre(生殖器);
○日 fuguri ふぐり。-nk-/-g-交替。
2002/11/13 21:47
>>No. 375どなたか中国語に詳しい方に是非ともご回答を戴きたいのですが、「干」字のはねた「ウ」の字、即ち「宇」「迂」「盂」などの偏や旁(つくり)の部分を除いた共通部分の中国語の漢・魏以前の音価(多分上古音か、あるいは古韓音に近いものだろうと思いますが)はどうだったのでしょうか?特に「委」「倭」などと同音の可能性はあったのでしょうか?
2002/11/14 13:10
>>No. 376
詳しいわけではありませんが、康煕字典を見ると「于」は唐韻で「羽倶切」、集韻・韻會・正韻で「雲倶切」、また集韻で「邑倶切」というのもありますが、いずれにせよ「yu」に近い発音だと思われます。
一方「倭」のほうは玉篇・唐韻で「於為切」、広韻・集韻・韻會・正韻で「烏禾切」、また広韻で「烏果切」というのもありますが、いずれにせよ「wei」「wa」「wo」といった発音だと想像されます。
古韓音(上古音)のことはわかりませんが、この両者が同音であった可能性はまずないでしょう。諸橋の大漢和あたりにはもう少し詳しく出てるかもしれませんが。
2002/11/15 21:01
>>No. 377
keimadouの一人漫才、みえみえだあ。
(^ヘ^)
2002/11/17 11:27
>>No. 1
日本語には大地をあらわす語がないように思えます。
空、海については「あま」がありますが、それに対応するのは何でしょうか?
地、陸はいずれも漢語です。
「つち」は地から来た?純粋な和語とは思えないのですが、どうでしょうか?
「しま」も元々は「特定の領域内」を意味する語だと考えられ、陸の意味は薄いですね。
2002/11/17 19:46
>>No. 379naがあります。
2002/11/18 08:04
>>No. 380naなんて聞いたことなし!
2002/11/18 09:28
>>No. 381オホナムチの”ナ”だろ?
2002/11/18 12:04
>>No. 380
いつごろ、どのような用例があるのでしょうか?
現代の野(の)とは関連があるでしょうか?
「奴国」の「な?」にはそれ自体に「国」と
いう意味があると考えますが、
土地=国だったのかもしれませんね。
オオナムチ=おおくにぬし?
2002/11/18 14:13
>>No. 383
「下動み、なゐが揺り来ば破れむ柴垣(日本書紀・武烈紀)」という言葉が出てきます。
「なゐ」で地震を表すという説もありますが、「地震が揺れる」というのはおかしいので、「大地が揺れる」ということで「な・居」と解釈されています。もっとも「居(ゐ)」はタミル語ir-u(to exist;to remain;)のはずなので、多くの辞書に載っているこの解釈は無理のように思います。
タミル語でpan(land, field)はpan>man>nanが開音化しnaniの-n-が弱まってわたり音-w-が入ってnawiとなり、半母音を含んだこのnawiはのちにnaとなり得ます(子を意味するkunaが-n-の弱まりによりkuwa>koとなるのと同様)。
したがって「名義抄」が「なゐ」で「地震」とするのはタミル語説の立場からは間違いということになります。
多分、「な」という意味が定着する以前のかなり早い時期に、漢語「地」に取って代わられたのではないかと私は推定しています。
もっともタミル語oti(a tract of land大地)の古形はkoti>coti>totiで、tott-am(small piece of ground土地)もtot-iと交替します。 kutti(earth大地, ground soil土)はkutti>cutti>toti≒tutiとなります。
これらの漢語とタミル語の類似は、一層「な」の存在を、揺れたときぐらいにしか思い出さないほど希薄なものとしたことと推定されます。
2002/11/19 01:12
>>No. 377
手許にある白川静著「字通」で「伊」「夷」「衣」「委」「芋・盂・ウ(前二字の共通部分、私はパソコン超初心者で干の撥ねた字を出せないので片仮名のウで代用します)」で調べたところ「芋・盂・ウ」hiuaは同声。「迂」iuaは声近くみな大の義があるとの記載があります。一方「委」については語系で「委・萎・倭」iuaiは同声、みな低くしなやかな意がある。迂・紆iua、宛・婉iuanも同系の語とあります。「ウ(干の下撥ねた字)」hiuaと「倭・委」iuai又は「迂」iuaが音通した可能性はないのでしょうか?実は中央公論社刊「日本の古代?倭人の登場」で「竹書紀年」に挙げられた九夷-ケン(田犬)夷、ウ夷、方夷、黄夷、白夷、赤夷、玄夷、風夷、陽夷-のうち陽夷、ウ夷の分布が古朝鮮族の分布と一致し、古朝鮮族(後に殷の遺民と箕氏朝鮮を建国)はその後裔とされる旨記載があるのです。私はこの「ウ夷」が遼河〜鴨緑江流域に居住していたことから北方の倭人の前身をこのウ夷ではないかと考えているのですが。
「委・倭」と「芋・盂・ウ」、または「委・倭」と「紆」が音通した可能性がどの程度あるか御教示お願いします。
2002/11/19 10:17
>>No. 385
その手の研究は 川村明さんという人が詳しい。その文字自体ではないが。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwiz0276/kanjo.htm
ここで手法を研究するなりしてみては?
2002/11/19 10:39
>>No. 385下のタスクバーにIMEパッドというのがあると思います。それをクリックして手書きをクリックし、消去で画面の書き掛けの字を消して、左クリックを押さえながら字を書くと入れたい字が出てくるはずです。
2002/11/19 13:38
>>No. 385穢や貊というのがありますね。これが倭と読みが同じらしいのです。そして西団山文化という第二松花江流域の土着穢人が荷った文化があって、この穢族のうち政治的、権力的に統一された集団が夫餘を名乗った。夫餘や高句麗は本来同一種族の穢や貊から出たものだ、という青山学院大学田村晃一さんの説があるそうですが、これは御説に合いますでしょうか?
2002/11/19 16:11
>>No. 385
>「委・倭」と「芋・盂・ウ」、または「委・倭」と「紆」が音通した可能性がどの程度あるか御教示お願いします。
それは漢字音の専門家に聞いてもらうしかありませんが、聞いてもおそらくわからないでしょう。
中国でも最古の韻書がつくられたのは7世紀初頭の隋代であり、それ以前の漢字音は、後代では別の韻に属する漢字が古代の詩では韻をふんでいるとか、日本語や朝鮮語の漢字音の中に古代の漢字音を反映していると思われるものがある、といったことで断片的にわかるだけであり、この二つの漢字にそういう史料が残されていない限りわかりません。
もちろん一口に中国語と言っても、現代ですら著しい方言差があっていくつもの漢字音が併存しており、古代にこの二つが通用する方言がなかったとは言い切れません。しかし、現在私の身の回りにいる北京語・台湾語(ビンナン語)・客家語・広東語話者に聞いてみましたが、それぞれの方言においてこの二つは完全に別の音であり、先に挙げた康煕字典の例からしても通用の可能性は低いんじゃないでしょうか。
また「于夷」というのは、中国人が勝手に付けた名前か、その夷が自らを「于」と呼んでいたのを中国人が音写したものか、という問題もありますが、「九夷-ケン(田犬)夷、ウ夷、方夷、黄夷、白夷、赤夷、玄夷、風夷、陽夷」と語呂合わせのようにズラズラ並べてあるところを見れば、中国人が勝手に付けた名前である可能性が大きいでしょう。勝手に付けた名前なら、勝手に変えることもあるわけで、あまり追求しても意味はないということになります。
また、音写したものであったとすれば、日本語の音節構造から考えて部族名・国家名・地名等の固有名詞が単音節であったとは考えられず(魏志倭人伝においても固有名詞は複数音節です)それは日本語を話す民族ではなかったか、日本語民族であれば固有名詞ではない何らかの単語を音写したということになりますが、じゃあそれはどういう単語なのかという問題になります。
要するに、貴説が例え正しくても、不確定の変数が多すぎ、史料に頼っている限りそれを証明するのはまず不可能でしょう。
方法があるとすれば、中国中を回って「于」「委」が音通する方言を探し、もしあればその方言をしゃべる人々の祖先がその史書を記述したことを証明するしかないと思います。
2002/11/19 17:29
>>No. 390自説とは?
2002/11/19 22:30
>>No. 386dai3gen3さん、情報有難うございます。貴HPもいつも拝見させていただいております(以前8月末に感想を書き込んだことがあります)。川村明さんのHPについては以前九州王朝説批判を全部読ませて戴き全く同感でした。しかし川村氏のHP全体は本日dai3gen3さんのご案内に従って初めてわかりました。なにしろ九州王朝・・の掲示板にも前回(他のトピに記載されたアドレスから飛んでいったと思うのですが)は辿りつけませんでした。まだ探せていないのかも知れませんが、漢字の字音(音価)についての論文は見当たりませんでした。私は語学の才はまったくないので言語にからんだ話については一方的に質問し、その回答を形質人類学的なデ−タと突合せて軌道修正しつつ日本人・日本国家・日本語・日本国家(始原の)について何らかの結論を得たいと思っています。従って本来なら言語についてはコメントできる立場ではないと自覚していますが、日本民族の形成について考えるといやでも言語の問題に触れざるを得ず、このトピでいろいろ質問し、また現在の私の考えが成り立つ可能性について諸賢の御批判をあおぎつつ一歩でも前進したいと願っています。今後とも宜しくお願いします。
2002/11/19 22:59
>>No. 388
myou suuさん、他のトピでもHLAハプロタイプの最新デ−タなど御提供いただき有難うございました。またIMEについても試したいと思っていますが、なにしろまだワ−プロソフトも一度も使用していませんので(メ−ルと掲示板へのいきなりのデビュ−?のみです)折角のご教示もいつ活用できるか正直なところ???です。
さて西団山文化についてはHLAハプロタイプB52DR2(日本人中の最多集団)を倭人と考える私の立場からはいささか西北に偏しすぎており、今の所倭人と結びつけるには躊躇せざるを得ません。穢族は扶余の別れと記載されており、高句麗と同系であることは勿論ですが、もっと遼河流域に近い集団の文化を倭人のものと考えたいと思います。私としては紅山文化や夏家店文化の流れを考えたいのですが。勿論これらの文化も穢族の文化と考える説の有力なのも知っていますが、松花江と遼河の距離から考えて両文化の保持者は別個ではないか、また遼河周辺文化から出土した女神像こそ天照大神の祖形ではないかなどと妄想しています。
2002/11/19 23:28
>>No. 393前回書き込みした文章の「西団山文化は・・・西北に偏しすぎており・・」の「西北」は「東北」の誤記でした。お詫びして訂正いたします。
2002/11/20 09:42
>>No. 384モンゴル語naaも大地でした。ただモンゴル語は対応語が少ないので、偶然?
2002/11/20 18:48
>>No. 397日本語は、いろんな言語と比較されてきたけど、結局印欧語族の比較言語の手法(音韻法則とか)で検証する限り印欧語族の言うような同系の言語は見つかってない。たぶん今後も見つからないのだろう、と勝手に悲観的になっている。人類学方面から攻めてみてもいいけど、それは恐らく万年単位の話になるように思う。一方比較言語学では5000年も離れると仮に同系だとしても検出仕切れない、と言われている。安本さんの極東アジア語も、成り立つとしても、6000年以上前としている。それ以上離れていても同系を検出し多くの人に認めて貰える系統論を立てる手法が見つかっていない。あそこに一語、ここに二語、似てる物があってもしょうがないので、それなら古代日本語と現代英語との間に幾つも出てくる、ということだ。
2002/11/20 19:00
>>No. 389
後漢書烏丸鮮卑列伝に現れる「倭人国」は漁撈を生業として遼河支流老ハ(「口合」で一字です)河周辺に居住していたとされています(後のケイの居住地と考えられる。ケイは契丹と同族でモンゴル系)が、同様の記事が「三国志」ハイ{非の下に衣と書くハイです)松之注に引用される「魏書」にもあり、そこでは倭人国ではなく「汗人国」となっており、この「汗」は「ウ(迂のしんにょうのかわりにサンズイ)」の誤記とされ、この「ウ」字が「倭」と同音との説が清の時代よりあるようです(長田夏樹「邪馬台国の言語」32〜33頁)。定説とはなっていない様ですが「魏書」と「三国志」の魏志で「汗人国」と「倭人国」の記載に違いを説明し得るので、私はこの説を採りたいのですが、可能性はどの程度でしょうか?尚白川静「字通」によるとこの字は「汚」の正字で「穢」とも音義が通ずるとのことです。
追伸、keimadouさんの書き込みを読み直したところ縄文語・日本語の系統をオ−ストロアジア語と書いているのに気付きました。思い込みでオ−ストロネシア語だと読み南島語族説との前提で解釈しまことに申し訳ありませんでした。
2002/11/20 19:19
>>No. 398私もそうではないかと考えているのですが、民族形成を考える時最重要な言語を無視することはできず、且つ言語学はさっぱりわからないので、遺伝学的最多集団=政治的優位(支配)集団=文化的優位集団(弥生文化複合の主導者?)=日本民族形成の中核集団=日本語の主導的形成者すなわち日本語祖語の列島への招来者との仮説を建てていろいろ考えて(楽しんで)いますが、やはり真実を知りたいのではっきり違うことが解れば其の部分捨てて修正しつつ民族形成問題に取り組んで行くつもりです。孤立語だとあきらめずに粘りますので遠慮なく突っ込みを入れてください。お願いします。
2002/11/20 23:15
>>No. 401
私の仮説はいかがでしょう?
295番をご参照ください。
2002/11/21 00:21
>>No. 402
日本語と朝鮮語が同系でない、という前段は基本的に合意できます
琉球語や日本語(敢えて分けます)が縄文時代からあった、というのは、服部四郎が、現代東京方言と石垣島方言の分離年代を約1,800年前としていることに照らして、難があると思われます(つまり、琉球語や日本語が縄文時代から行われていたとすると、もっと相互に違っていなければならない)
弥生時代に大陸・半島から移住してきた人たちの人数を少なく見ている点は小山修三の古代人口推計、埴原和郎による、どのようなことがあったら、そういう人口推移になるかのシミュレーション(結論的には、移住者は沢山来た)への反論が必要でしょう
いつかどこかで起こった現象に似た現象が弥生時代の日本列島で起こった、という論理は自由度(恣意性)が大きすぎませんか?
16世紀まで本土と琉球で有機的な交流がなかった、というのはもう少し勉強したいです(本当ですかぁ?、という意味)
お説による場合にアイヌ語の相対的ポジションはどうなるのでしょうか
また、お説以外に考えようがないとは思いません。多数の移住者により大陸・半島の複数の言語が列島に入ってきてクレオール(弥生語)が出来た、それらの言語はその後滅びた、クレオール弥生語には縄文語も寄与しているかもしれない
私は残念ながら証明のしようがない「滅びた言語(複数)」が弥生語(後に日本語となる)の大きな要素なのじゃないか、と思ってます
2002/11/21 01:37
>>No. 397
ドラヴィダ語族の形成は、現在のところまったく解明されておりません。
ただ地中海沿岸にいた旧モンゴロイドの部族であろう、と考えられています。
彼らは東行し、ヒマラヤ山脈を南下して、インド亜大陸に入った「らしい」
とされています。その証拠としてヒマラヤ近辺にもドラヴィダ語が一部残って
いるからです。
亜大陸進入当時、亜大陸にはオーストラロイドが分布していました。
これは骨などの分析で分かっています。
そこで、オーストラロイドの言語とドラヴィダ語の相互借り入れが生じたで
あろうことが主張されています。
この考えによれば、ドラヴィダ語と南方語に類似の言葉があるのはうなづけます。
しかしオーストラロイド(石器使用)はドラヴィダ人(青銅器使用)に駆逐され、
一部のみ現在でも南インドの山間部に少数残留していますがあとはインドシナ、
インドネシアなどで混血を重ねたり、オーストラリアに直行したりしたと
考えられています。
その後、インド・ヨーロッパ語族のアーリア人(鉄器使用)が亜大陸にやってきて、
ドラヴィダ人を南インドに追いやります。
この時点で、印欧語とドラヴィダ語に相互借り入れが生じたといいます。
なお、ヒマラヤ近辺にいたドラヴィダ人はネパール人とも混交し、ドラヴィダ語
とネパール語とのあいだにも借り入れが生じたようです。
さらにはヒマラヤ山脈に突き当たって北行したドラヴィダ人もいたのではないか
という想像も成り立ちますが、これはあくまでもドラヴィダ語とアルタイ語と
いわれている語族の言語に一部類似があるためです。
日本語がどうしてタミル語と「似すぎている」のか、その理由はまったく
分かっておりません。
なお、言語とDNA、あるいはミトコンドリアDNAとの相関はあまり参考に
ならないように思えます。異人種間でのクレオールも成立するからです。
日本列島は新旧モンゴロイドの吹き溜まりですが、言語はクレオールタミル語で
統一されたと推定されます。
2002/11/21 13:22
>>No. 403
>琉球語や日本語(敢えて分けます)が縄文時代からあった、というのは、服部四郎が、現代東京方言と石垣島方言の分離年代を約1,800年前としていることに照らして、難があると思われます(つまり、琉球語や日本語が縄文時代から行われていたとすると、もっと相互に違っていなければならない)
言語年代測定法は印欧語の例に基づいて考案された一つの数学的モデルに過ぎず、多数の実例の検証を経たものではなく、数百年程度の誤差は出ると思います。(考古学における炭素年代測定法が、最近の年輪年代測定法の発達によりかなり誤差が大きいことが分かったように)
また、琉球と本土の間には細々とながら常に通商などの交流はあったわけで、日本語からの借用語が入っていてもおかしくありません。
>弥生時代に大陸・半島から移住してきた人たちの人数を少なく見ている点は小山修三の古代人口推計、埴原和郎による、どのようなことがあったら、そういう人口推移になるかのシミュレーション(結論的には、移住者は沢山来た)への反論が必要でしょう
もちろん、前3世紀〜7世紀までの1000年間の渡来人を累計すれば何十万かの数になり、その遺伝子が今日の日本人に受け継がれて拡大再生産されているはずです。
ただ、アメリカのように何千人という単位の移民が続々とやってくるような一挙大量移住はなく(数千人単位の一挙大量移住があったのは7世紀の白村江の戦い直後の亡命百済人だけ)、数名〜数十名単位の移住者が三々五々やってくるだけだったと言う意味です。
人口シュミレーションは簡単で、弥生人の初期値1000人、一世代30年として、追加移住が全くなかったとしても一人の女が4人の子供を産んで成人させれば(幼児死亡率は高かったでしょうから6〜7人は生まなければ4人の成人は難しいでしょうが)、10世代300年後には100万を超える計算になります。
これはあまりに単純かつ乱暴なモデルですが、近現代でも食料生産・流通に革命が起こればわずかの間に人口が二倍・三倍に増えることは珍しくありません。たとえば、明治維新の頃の日本の人口は約3000万であったのに対し、100年後には1億を超え、朝鮮半島の人口は20世紀初頭には1000万前後であったものが、現在南北併せて6000万を超えています。
可耕地がいくらでもありながら農業が行われていなかったところへ、農耕技術を携えた人々がやってきたのですから、人口爆発は可耕地のある限り続くわけで、大陸からの移住者という社会増よりも食料革命による自然増の方がはるかに大きかったと思います。
>いつかどこかで起こった現象に似た現象が弥生時代の日本列島で起こった、という論理は自由度(恣意性)が大きすぎませんか?
これは社会科学の発想法です(私は本来社会学者です)。地球上で水素と酸素が化合して水ができるなら、火星上でも宇宙の果てでもそうだ、というのが自然科学の発想法であり、これを否定したら自然科学は成り立ちません。
社会科学とて同じこと、ある社会において一定の条件下である現象が発生するなら、同じような条件が生ずれば別の社会でも同じような現象が生じるはず・・・・と言うのが社会科学の発想法です。
現に、貴殿もクレオールとか言語年代測定法とか、他の社会で発生した現象を日本に適用して考えておられるわけで・・・
2002/11/21 13:26
>>No. 403
>16世紀まで本土と琉球で有機的な交流がなかった、というのはもう少し勉強したいです(本当ですかぁ?、という意味)
仮に琉球人がもとは別の言語を話しており、本土の日本人との交流によって社会全体の言語が取り替えられてしまった、と考えるならば、少なくともその当時の琉球の人口と同等、もしくはその何倍もの人口が一挙に琉球に移住してきて琉球の言語社会を飲み込んでしまった、と考えるしかありません。
実際、明治以降の北海道アイヌの日本語同化はそうして起こり、逆に朝鮮や台湾では日本人の人口が少なすぎて、いくら学校で日本語を叩き込んだところで、朝鮮語や台湾語が消滅するなどということはありませんでした。
いずれにせよ、本土人と通商関係があったとか、本土の漂流者が住みついたとか、日本人商人のコロニーがあったとか、琉球の僧侶がさかんに本土へ留学した程度の交流で、琉球社会全体の言語が変わってしまうはずがありません。(日本語からの借用語はたくさん入ったでしょうが)しかし、明治以前の本土人の琉球への一挙大量移住という痕跡は考古学的にも歴史学的にも見当たらず、なにより一挙大量移住があったなら、今日の琉球人と本土人の形質が異なるはずがありません。ということは琉球人はもともと日本語と同系言語を話していた、と考えるのが妥当ではないでしょうか?
>お説による場合にアイヌ語の相対的ポジションはどうなるのでしょうか
259周辺の一連の投稿のどこかに書いたと思いますが、縄文人には二系統あり、西日本〜琉球には日本祖語を話す南方系縄文人、東日本〜北海道にはアイヌ祖語を話す北方系縄文人が住んでおり、その居住領域の境界が方言学・民俗学でいう糸魚川-浜名湖ライン(糸浜線)だったと考えています。
前三世紀に北九州に上陸した渡来人は、南方系縄文人を駆逐しつつ同化・混血しながらその支配領域を広げて行き(その過程の初期に言語取替え現象が起こった)、糸浜線を軽々と突破してフロンティアは紀元前後には関東-越後ラインまでに達しますが、それ以上は北上せず、以後紀元7世紀まではこの関越線をはさんで弥生人と北方系縄文人(蝦夷・アイヌ)の平和共存状態が続きます。
糸浜線を突破する頃には弥生人の人口の方が圧倒的に多く、もはや母親言語の継承による言語取替えは起きませんが、地名や動植物名などに北方系縄文人語(アイヌ語)の影響が残ったはずで、それが方言の糸浜線の起原であると考えています。
また、方言の関越線(フェリス女子大の安部教授等が主唱している)は、7世紀までこの線をはさんで弥生人(日本人)と蝦夷が対峙していたことは歴史的に明白であり、ここに方言境界線があるのはむしろ当然と言えます。
さらに、7世紀以降大和朝廷は本格的に東北の蝦夷征服に乗り出し、9世紀初めには一応の平定を見ますが、その支配は安定せず、この地域が安定的に中央政府の支配下に入ったといえるのは源頼朝の奥州藤原氏征討以降のことだと思われます。ということはこの地域では7世紀以降、日本語を話す移民と蝦夷語(アイヌ語)を原住民が何世紀にも亘って混在・共存していたはずであり、当然支配者言語である日本語をベースにしたクレオールが発生したはずです。故に東北方言はこのクレオールの名残ではないかと考えています。
長くなりましたが、これが私の仮説の全貌です。
初めて聞く人には奇異に思えるかもしれませんが、細かい点はともかくこれまでに分かっている言語学的・歴史学的・考古学的・社会学的・文化人類学的・形質人類学的事実には矛盾していないはずです。
いずれにせよ、この説のキーポイントは琉球人がいつから琉球語を話していたのかという点にあり、言語学的・歴史学的方法に限界がある以上考古学的・形質人類学的な方面から攻めていくしかないと考えています。
(259周辺の諸記事も参照下さい)
2002/11/21 15:57
>>No. 405
全部に応対している時間がないので:
>言語年代測定法は印欧語の例に基づいて考案された一つの数学的モデルに過ぎず
について:
印欧語の多くが検討されたのは事実のようだが、エジプトのコプト語、シナ語も検討されて、基礎語彙がおおよそ1000年あたり20%入れ替わっているという経験値が得られている。服部四郎は東京方言と奈良朝日本語を比較して同様の数値を得ていた、と思う。
言語年代学は、色々修正は必要だろうが、日本語を考えるときに無関係とする訳には行くまい
2002/11/21 20:21
>>No. 407
>言語年代学は、色々修正は必要だろうが、日本語を考えるときに無関係とする訳には行くまい
もちろん無視するつもりはありません。
ただ、石垣島のような島嶼に住む人々は、機動船が発達していなかった時代にはそんなに頻繁に他言語・他方言を話す人々との接触する機会はなかったはずで、それが頻繁な大陸の人々より方言の変化が緩慢であるとも考えられます。まあ、これも単なる仮説に過ぎませんが。
また、日本語と琉球語が別れたのが1800年前であったとしても、それは紀元3世紀頃のことであり、このころに本土の弥生人が石垣島まで大量移住したとも思えません。これも考古学的に確かめる必要がありますが。
2002/11/22 07:53
>>No. 409
>紀元3世紀頃のことであり、このころに本土の弥生人が石垣島まで大量移住したとも思えません。
>だとすると、どういうことがあったのかな。例えば(1800年前じゃなく)5000年前に縄文人が大量移住した、ってこと?
>「大量」は筆の走り? なんだかご説が良く判らなくなってきた
A言語を話す1000人の社会へB言語を話す100人の人間が移住してきて共存・混住・土着した場合、B言語を話す人々は二三世代でいなくなってしまいます。ただその過程でB言語起源の外来語がA言語に残されるぐらいです。次の時代にまた100人のB言語話者が移住してきても同じことです。
つまり、B言語話者が500年・1000年といった長い期間にわたって累計して何人移住してこようと、ある時点においてA言語話者より多数派にならない限り、生き残るのはA言語だということです。
故に、1800年前に石垣島が無人島でありそこへ日本語を話す弥生人が移住してきて開拓を始めた、あるいは先住民を皆殺しにして占領した、というのであれば必ずしも「大量移住」である必要はありませんが、すでに別言語を話す人間がいるところへ移住してきて共存・土着したのであれば、原住民の何倍もの人数の大量移住でない限り日本語が残ることはないはずです。
しかし、そういうことが起こったのなら、現在の石垣島はじめ琉球諸島の人間は弥生人の子孫だということになり、本土人と同じような遺伝形質を示すはずですが、琉球人と本土人の遺伝形質は大きく異なり、琉球人はむしろ縄文人に近い形質を示しています。ということは、琉球の原住民が最初から日本祖語を話していたと考えるしかありません。
琉球諸島に人間が住み始めたのは2万〜3万年前の氷河期からで、おそらく陸続きであった九州方面から入ってきて住みついたところ、氷河期の終了によって海面が上昇し島に取り残されてしまったということでしょう。つまり、氷河期に西日本から琉球にかけて広がった人々(縄文人というよりは石器人)が話していたのが日本祖語だろう、と私は考えているわけです。
2002/11/22 08:42
>>No. 411
東日本の縄文人と西日本の縄文人は、同じ人種なのでしょうか。人口密度は東日本と西日本で極端に違ったようですね。八割は東日本居住だったとか。
東日本の縄文人は北方系、西日本は南島や江南由来で言語も違ったということはないのでしょうか。だけど、そうするとアイヌと沖縄で縄文の血が濃そうだというのはどうなるんでしょうね。
2002/11/22 09:39
>>No. 412405、406をご参照ください。
2002/11/22 09:44
>>No. 411カムチャッカ半島の東沖にあるコマンドル島。アレウト族1000人が住んでいた。ロシアの男だけ100人が来た。100年経ったら語根はアレウト語、活用はロシア語という一種の混合言語が出来ていた
2002/11/23 01:06
>>No. 405
また、部分対応ご容赦願います
>これは社会科学の発想法です(私は本来社会学者です)。地球上で水素と酸素が化合して水ができるなら、火星上でも宇宙の果てでもそうだ
こういう例え話って困るんですよね。水素と酸素が「化合」すれば水になるでしょうが、宇宙の果てで「化合」するのか、とかね。
>社会科学とて同じこと、ある社会において一定の条件下である現象が発生するなら、同じような条件が生ずれば別の社会でも同じような現象が生じるはず・・・・と言うのが社会科学の発想法です。
「はず」ねぇ。。「一定の条件下」ってのが問題なんでしょうね。恣意性の固まりみたいじゃないですか。
>現に、貴殿もクレオールとか言語年代測定法とか、他の社会で発生した現象を日本に適用して考えておられるわけで・・・
それは違うでしょう。他の社会で発生した現象(1000年あたり基礎語彙が約20%減耗する)を日本に適用してみるに際して、ヨソでも起こったから日本でも起こる「はず」だ。じゃないんですよね。日本ではどうか、と調べてみたら(服部)似たような数値になった、というので使えそうだわい、ということにしているのです。
弥生語クレオールの考えだって、ヨソで起きたから日本でも起こった「はず」とは言ってないでしょう?そりゃヨソで起こった、ということは知っていますけど、それを根拠に日本でも起こった、という論理展開はしてない。日本語の系統探しがこれほど難渋するなら、未知の言語(複数)のクレオールとして逃げちゃおう、ってだけの話です。
今は、これ以上「日本語の起源」を追いかけるつもりはないのであしからず。
2002/11/23 10:46
>>No. 394
hn2602さん、
【3】中国: 長子口墓は「殷王の兄」の墓 文献上人物の実在を初確認
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20021123k0000m040213001c.html
の記事(下の方)では「開、啓、口」が同じ人の名に使われている、とあります。こういう論理立て(方法)があるんだ、ということの(既にご存じかな?)お知らせまで
2002/11/23 10:47
>>No. 415
いつから学者になっちゃたの?
他の掲示板での書き込みと矛盾しまっせ。
第一、学者レベルのことを書いてないじゃん。
どうでもいいけど、他人を惑わすなよ、桂馬くん。
2002/11/24 02:00
>>No. 417
dai3gen3さん、情報有難うございます。早速記事を読みました(私の家では読売新聞、職場は産経と朝日で毎日新聞には接する機会がありません)。今度は同じ王族の箕子や比干の墓でも出てくれればと思わず期待してしまいます。微子については微子啓と微子開の両名がおり、開が宋の祖となったと覚えていたのですが、啓と同一人説があったとは知りませんでした。北方の倭人の半島・列島への移動開始の主因を殷周革命前後の動乱に求めながら殷(正確には商)の知識不足には汗顔の至りです。
研究法については意識していませんでした。なにしろ言語学・文献史学・考古学・民俗学などは全くの専門外ですので下手に研究などと乗り出せばきっとトンデモ説の罠に陥ることになりそうです。今でも倭人の列島移住を前10〜7世紀くらいに溯らせ、弥生時代の水稲耕作・土器製作の輸入・開始などは必ずしも倭人により一元的に列島に招来されたのではなく、越人が水稲耕作を、韓族〜倭人が弥生式土器を、倭人が言語と政治組織を相前後して列島にもたらしたのではないかとかなりのトンデモ的仮説を暖めているところですから(まだ孵化していませんが)。言語については大三元さんを始めとする諸大家にお任せするつもりです。ただ人名の代わりに種族名−「倭」と「ウ(紆のいとへんなし)−を同じ種族に使われているから同音だったのでは?というのは私も使用した論法なのですが、どうも専門家の同意を得られそうにないようです(完全否定ではないようなので私の仮説に都合がよければまだ使います)。
2002/11/24 11:11
>>No. 419学研漢和大字典(藤堂明保編)には漢字の上古音、中古音、中世音、近世音が出ています。絶対視は出来ないかも知れませんが史料に基づいて推定されているようです。上古音は前7世紀から後3世紀の周・秦・漢の時代の音とされています。于の上古音は Hiuag (フォントに無い発音記号を略記しています)倭の上古音は ・uar また ・iuar とあります。つまり、似ているかも知れないけど違う、ということです。こういうことを考えるときに微子「開」と「啓」が同人物の名前である、ということがある程度利用できるのだろうか、と思ったものです。開は k'Ar 啓は k'er 口は k'ug。開啓口はなるほど同じ「k'」で始まります。しかし、倭と于の頭子音(声母)は違いますねぇ。。。
2002/11/24 13:52
>>No. 420私は藤堂明保偏の漢和大字典は持っていません(以前諸橋漢和辞典を持っていましたがそれこそ2〜30年前に親戚に持っていかれました)ので、手元には白川静著「字通」のみしかなく、一応これに当たって判断しています。同書に書いている音は一種類のみですが、文字資料は甲骨文(卜文)、金文、石鼓文、設文解字に収める文字を用いており、当然その音は上古音かそれ以前を推定されているものと考えられます。さて同書によると委・倭は同声でiuai、稲魂をかぶって舞う女の形で低くしなやかな様をいうとあり(男の舞う字は年)、迂iua、宛iuanも同系の語と記載されています。一方「ウ」(以下同声の宇で代用します)の音はhiuaで芋・盂・宇は同声、迂iuaは声近く大の義あり、於iaなどは感動詞、助詞として通用し、曰・越jiuatは語頭に発語の辞として通用すると記載されています。従って倭・委iuaiは迂iuaを介して宇hiuaにつながり、九夷の中のウ夷と音通すると考え、ウ夷と陽夷が箕氏朝鮮と重なる地域に住んでいたことから、殷周革命期の動乱時にウ夷が、殷の遺民と陽夷中心に建国された箕氏朝鮮に統合されずに倭人として南下を開始し、比較的短期間に朝鮮半島南部に達し、更に海峡を渡って日本列島に入った(民族移動)との仮説を立て、この倭人の言語こそ日本祖語だと考えているのですが。尚倭人の一支は山東半島方面にも南下し、徐夷とともに周に反抗した(徐のエン王が九夷を率いて周に反した)り、あるいは後代の後漢末期の倭人セン(石専)に出てくる曹胤と同盟云々したという倭人の祖となったのでは・とも想像を逞しくしています。勿論故地に残った倭人もあり、後漢書烏丸鮮卑伝の倭人国、三国史記高句麗本紀の倭山の地名を残した集団(東胡の分かれである烏丸、鮮卑はそれぞれ烏垣山、鮮卑山に拠ったと後漢書に記載、倭山も同様の解釈が成立し得ると思われます)がそうだったと思います。
2002/12/04 08:05
>>No. 384
●タ mutakk-u 1. to bend, as knee, arm, etc.(<膝、腕などのように>曲げる);
2. to wind round(周りをしっかりとくるむ), wrap, as one's person(<人の体を>包む);
○日 matok-o
●タ at-ai cloth(布), clothing(衣類), dress(衣服);
○日 os-ufi 襲(おす)ひ[衣服]。重母音回避のため、aiの中間に-f-が介入。
○日 os-ofi 襲(おそ)ひ[衣服]。
「真床襲」は「周りをしっかりとくるんだ布」となる。
フスマは以下が対応する。
●タ kuttum-i husk with bran, separated from rice by pounding(精米して分離された
フスマ付きの殻)。
●タ pucam chaff(籾殻);
●タ poccam fibrous husk of coconut(ココナツの繊維の多い殻);
○日 husum-a フスマ(小麦を挽いて粉にしたときに残る皮の屑)。k/kh/h交替。
「真床襲衾」は「周りをしっかりとくるんだ布の殻」か。
「真床襲衾(真床追衾)に包まれて天孫は降臨した」わけなので、「周りをしっかりとくるんだ衣状の殻」であろう。
「衾」とは、実際に「殻」のことかもしれない。
[ref]
●タ putav-u 1. door; 2. entrance, gate; 3. sluice;
○日 fusum-a 襖(ふすま=sliding door)。からかみ。
折口信夫はこれを「大嘗祭のとき、日嗣の皇子が布団にくるまり、これから出てきたときに完全な天子様になる」と解く。
2002/12/04 08:09
>>No. 422殻だとすると、蒙古・韓半島の卵生神話の残痕とみることができる。
2002/12/11 00:27
>>No. 423
盛り上がらないのでしょうか?面白い話題だとおもうのに・・・
タミル語説でも、アイヌ語説でも、モンゴル語説でも、中国語説でも、南アジア語説でも、おっと大本命を忘れていた!朝鮮語説でも、ヒッタイト語やム-大陸起源説はちょっと・・、でもツング−ス語説やウラル語族説はまだ見ていないような気もしますが、勿論クレオ−ル説も論拠を示して何語と何語のクレオ−ルというまら大歓迎
(トピ主さんはどこに行かれたのでしょうか・・。)
2002/12/11 23:40
>>No. 424
タミル語説を論破するのは難しいはずです。私も信じているわけではありませんが、認めざるを得ません。
完璧ではなくとも、否定論拠を示してもらえれば、新しい展開が開ける可能性がなくもないように思えます。
2002/12/12 09:23
>>No. 426
遺伝学的、形質人類学的デ−タはクレオール語の場合、ほとんど役に立ちません。旧モンゴロイドのタミル人が大挙して押し寄せてこなくても、高度な文化さえ持って来ているのなら、30人でも十分クレオール・タミル語は成立します。
渡来人数の割合が低い場合、上記データに渡来人の生理が影響を及ぼす可能性は
あったにせよ抽出不能かもしくは判定不能となるはずです。
逆に大挙して渡来した場合、脱クレオールするはずで、いわば日本語はタミル方言とでもいった状態になります。
しかし現実はクレオール語を脱していません。
カリブ海あたりのクレオール・フランス語やクレオール・英語にしても、それを喋る人々に、当初の白人の血が混じっているかどうかということは問題にもされておりません。
結局、比較言語学と民俗学レベルで論じざるを得ないというのが実情です。
2002/12/12 11:48
>>No. 426
人類学は精度というか解像度がどれほど取れるものでしょうか。たとえば、大陸某所でMtDNAなりHLAなりの共通ストックから倭人が分離したのは何年前と推定できるか、その精度は、といったことです。
言語学の方では、まぁ5000年以上昔のことは書き物が出てこない限り判らない。5000年も経つと同源である二言語の関係も、系統関係にない二言語の関係も識別できなくなる。
人類学から日本人の遺伝的な構成比率(起源とはあえて云わない)が出てきて、何らかのストーリーを復元できたとしても、言語の方では対応させる証拠も反証も提示できない、と思ってます。
日本語の「起源」に迫るのは、おそらく情報がなさ過ぎると思ってます。
むしろ、まず弥生語を定義して、その再構築を試みることから始めて欲しい>言語学者各位 と望んでいます。
2002/12/12 12:03
>>No. 427
カリブ海地方やシベリア?のクレオ−ル語の成立にはその前に政治的優位が一方の言語側にあり、いわば少数の征服者の言語と圧倒的多数の被征服者(または政治的・文化的?劣位者)の言語との間で言語のクレオ−ル語化が生じたと私は理解しています。勿論夏語(原始中国語)などは商業上の必要性からクレオ−ル的に成立した可能性もありえますが、タミル語が仮に日本語の有力な構成分子であるならば、?議論の余地がないくらい明確にタミル語と日本語の関係を証明するか(学会の多数派となる程度は必要)?少なくともタミル語の日本語との接点について合理的な解釈の提示、が必要だと思います。
念を押しますが、私はタミル語説も例えばチベットあたりを介して日本語の祖語集団あたりと接触した可能性が証明されればHLAハプロタイプA24B52DR2集団(私の考える倭人です)がタミル語の語彙を取り入れクレオ−ル化し、あるいは以前の言語(アルタイ諸語?古アジア語?ウラル語族?)と取替えてドラヴィダ語族化したという解釈についてスト−リ−を組み立てる用意はあります。
2002/12/12 12:44
>>No. 429
政治的優位はクレオール化の必要条件ではありません。
何であれ、何らかの優位の文化に対処するため「異語を『学ぶ必要』がある」ことが核となります。
>?議論の余地がないくらい明確にタミル語と日本語の関係を証明するか(学会の多数派となる程度は必要)
?の要件が満たされているのであれば、日本語の起源についてここであえて論議する必要はありません。
また、学会で多数派を占めることが「正しい主張」であることの証明には必ずしも成りえないことは、過去の数多の歴史が証明しています。
>?少なくともタミル語の日本語との接点について合理的な解釈の提示
接点というのが「物理的」接点というのであれば、言語学の埒外です。
ともあれ、HLAハプロタイプA24B52DR2集団であれ何であれ、少なくともクレオール語に関しては、その形質の継承の有無は調べる価値はありますが、無継承ゆえ即否定ということにはならない、ということです。
脱クレオールしているのなら、形質の継承も有意に抽出できる可能性はあります。
2002/12/12 13:45
>>No. 428
形質人類学、遺伝学を含む生物学の進歩は著しく、現時点では方法論・技術上の問題点があって大三元さんのご期待される精度に達していませんが、政治的・文化的規制がかからなければ、ほぼあるハプロタイプの他のハプロタイプからの分離年代は近い将来に確定できると思います。いまの時点で一番倭人の起源に寄与するとすれば、弥生時代や邪馬台国、古墳時代の古人骨や脳・筋肉組織が出土し、日本より寒冷で保存の可能性の高い大陸北方や半島の古人骨・軟部組織が出土し、それぞれからDNAPCR法で増幅したDNAを比較することです。ただ現在のところミトコンドリアDNAのみでHLAハプロタイプのデータは、まだないようです。これにY染色体上の遺伝子多型の研究が進めば、日本人の遺伝的構成比率が時代ごとの変遷も含め判明し、集団毎の移動ル−トやおおよその列島進出時期(2〜300年位の誤差は残るかも)が確定するでしょう。
ただ言語の問題が解決しなければ民族の起源〜形成の問題は解決しませんが、現状では比較言語学の限界から大三元さんの仰る通りで、上代日本語の再構・確定が先決でしょう。ただアメリカ先住民の大語族〜超語族の設定と同様な方法で当面ユ−ラシア超語族、ノストラチック長語族、アウストリック超語族などの設定あたりだけでも何とか合意に達するか、新しい方法論を考えて欲しいと思います。言語学の門外漢として切に専門家の奮起を期待しています。
2002/12/12 13:55
>>No. 430政治的優位がクレオ−ル化の必要条件ではないことについては、交通手段、文化交流の発達した近現代ではそのとおりですが、日本語が形成された紀元前については、軽々に同意できません。現在のドラヴィダ語族と日本語の分布状況のミッシング・リンクを説明する必要があります。学会で多数を占めることが「正しい主張」とは即いえないことは勿論ですが、半永久的に認められない「正しい主張」なるものは論理矛盾のように感じられます。
2002/12/12 14:57
>>No. 432
しつこさは議論の属性です。
「学会で多数を占めることが『正しい主張』とは即いえない」というセンテンスは
「半永久的に認められない『正しい主張』」がある」という意味を内包しません。
つまりそういう主張はしていないのですから、「論理矛盾」というご指摘は成立しません。
「現在のドラヴィダ語族と日本語の分布状況のミッシング・リンク」とは、おそらく
「現在のドラヴィダ語」と「現在の日本語」との間に介在する物理的距離のことを
言われておられるものと思いますが、たとえばマレー(インドネシア)語は古くから西はマダガスカル、東はイースター島で話されています。
問題とされているのはマダガスカル島までどうやって伝わったかですが、まだ解明されておりません。つまりミッシング・リンクです。
イースター島へは、当然、島伝いと推定されますが、イースター島へはタヒチから約4000キロ、一番近い島までも2000キロ以上離れているという事実が厳然と横たわっています。
どうやって到達したのか、という問題は(比較)言語学とは全く無関係の問題であり、「ミッシング・リンクがあるからタミル語とヤマト言葉の関係はそれが解決するまで棚上げ」という論法は成り立ちえません。
2002/12/12 21:40
>>No. 433
しつこさは議論の属性とのお言葉に甘えて、もう一度コメントさせていただきます。
マダガスカル島の言語・人類学的デ−タに付いては良く知りませんが、同島のインドネシア語派に属する言語(ホヴァ語でしたか?うろ覚えで間違っているかも)は、確か?南島語族のインドネシア語派に属することについて学会の定説となっており、ほとんど異論がない?人類学的にもアジア系(それも南方系)と地元のアフリカ系の混血であることが証明されている、でした。ようするにクレオ−ル語ではなく、明確にある語族のある語派に所属していることが証明されており、且つ形質人類学的にもはるか遠方に離れている南島語族の所属集団との(黒人との混血があるにしても)共通性=同祖関係=も証明されています。これを日本人とタミル人に置き換えると、?日本語がドラヴィダ語族の南方語派ないしタミル語派?に所属することが学会の定説となっている?日本人または琉球人の主流または一部地域でタミル人の形質を持つ(勿論南方系モンゴロイドとの混血可)集団の存在が認められている、ということになります。私はこの二条件のいずれか一方の蓋然性の提示くらいは言語学者がすべきと思います。勿論言語学としては?の言語学会での定説化を目指すべきでしょうが。
2002/12/12 23:05
>>No. 434
大三元さんの引用された試算よりはもっと期間を短く限定できるのではないかと思いますが、ミトコンドリアDNAの特定領域、例えばDル−プ(ミトコンドリアには37個の遺伝子がありますが、Dル−プは遺伝子がありません)での塩基変異からは計算上はその程度の数字でしょう。ただ中国残留孤児の身元確認に使用されているのは御存じかと思いますが、すでに孤児も老齢化しまたは両親や兄弟といった近親者も死亡している多くのケ−スでは、孤児の母系の先祖を共通に持つと考えられる人のミトコンドリアDNAを調査している訳です。日本人や中国人でぞろぞろ同じ型の人がでたら実用に耐え得ないですから、実際にはどこかで〔多分生物学的部分で)解釈が間違っている可能性があると思います。
ただ私がHLAハプロタイプを主に考えるのも連鎖して遺伝する多くの遺伝子を総体として見ることにより、同祖関係ではなく偶然による一致を排除できるからで且つHLAは一つの遺伝子座上の対立遺伝子の数が、他の遺伝子座に比して桁違いに多いからです。HLA遺伝子のなかには、人類とチンパンジ−の共通の多型に起源を持つものもあり、一つの遺伝子座上の多型で比較すると、ヒトA,B,Cとチンパンジ−D,E,Fの内で、A・B・DとCとE・Fの三グル−プに分かれ、ヒトA,Bに近縁なのはヒトCではなく、チンプDであるというような結果がでたりします。統計処理の場合を別としてHLAは飽くまでもクラス?、クラス?、クラス?の数十個の遺伝子座上の多型を扱うべきでしょう(HLA遺伝子は疾病感受性との関連が深く、集団の生き残りのために多型を維持する方向で進化してきたと考えられます)。遺伝子をコ−ドしないミトコンドリアDNAのDル−プも同様に多型を維持してきたと考えられます。現在のところDル−プの1000程の塩基を古人骨から全部抽出できたという例はほとんどなく、数百個で現在の人類のDNAデ−タベースと比較している状態で、抽出技術の進歩で、HLAハプロタイプやY染色体上の遺伝子云々の前にミトコンドリアだけでも随分多くの知見が得られると考えられます。
2002/12/13 01:26
>>No. 435
マダガスカルで話されているマレー・インドネシア語に関しては、お読み頂ければ分かるように、物理的距離のことを申し上げたのみで、クレオール語とは関係ありません。
>?南島語族のインドネシア語派に属することについて学会の定説となっており、ほとんど異論がない
異論は無論ありません。指摘したのは、「どうやってはるばる言語が運ばれたか、ということがミッシング・リンクに属する」というその一点のみです。
それゆえこの指摘を「日本人とタミル人に置き換える」という思考作業は無意味です。
2002/12/14 19:29
>>No. 437
おそらく数理統計学的には(takaさんでしたか)そうなるのだろうと思う意味で「その程度の数字でしょう」とコメントしたのです。私には統計学上の誤りを指摘したりするだけの数学的素養は全く欠けていますから・
奥歯に物の挟まったような言い方になったのは、現実にミトコンドリアDNAの研究者の打ち出している分岐年代観がもっと短いからでその論拠は私がこれまでに読んだ論文からは解りませんが、ホモ・サピエンスの起源をめぐるアフリカ起源説と多地域進化説の論争ではミトコンドリア・イヴの年代決定についての大きな争点が統計の問題でした。結局イヴの生存していた年代については、統計学的に決着が付いたのか、あるいは他の生物学的・人類学的証拠の提示(オ−ストラリアの新人の起源がアフリカ起源説を支持するような古人骨の年代観にほぼ一致した)によるのかは今でももう一つ私には良く理解できないのですが、最終的にはアフリカ起源説の圧倒的な優位を示す年代観(といっても10万年くらいの幅はありますが)に落ち着いています。アフリカ起源説を前提として、現代のホモ・サピエンスのミトコンドリアDNAの分岐年代を考えると、統計学的な確率上の分散の上限(古い方の年代)がカットされるとかんがえられます。即ちある一塩基多型が仮に4000年前から1、2万年前に分岐したと統計学的に出ていても他のデ−タ(人類学的、考古学的、または別な箇所の一塩基多型などによって)によって限定され得ると思われます。ネアンデルタ−ル人とホモ・サピエンスの分岐年代など多くのデ−タが集積されつつ有り、大三元さんの考えておられるより高い確率で分岐年代が推定されているのが現状だと思います。
2002/12/14 20:19
>>No. 438
マダガスカルのインドネシア語派系のマラガシ語が東南アジアの同系言語と姉妹語であることが証明されており、且つまた形質人類学的にもマラガシ語話者のアジア的(古モンゴロイドという術語は定義に問題があり私は使用したくないので)形質も認められていますので、文化人類学の課題として南島語族の起源地(中国南部〜台湾?)、インドネシア語派の拡散の中心地や移住の経路を考えることになるのではないでしょうか?
タミル語説の場合はこれと異なり、日本語との同系説もタミル人〜南部ドラヴィダ語話者の日本人との形質の共通性も認められていませんので、まだ日本とドラヴィダ語族の話者を結ぶミッシング・リンクのついての他分野からの考究は不要でしょう。まず日本語とタミル語の同系を証明し、その程度が仮に朝鮮語や満州語、南島語派と同じくらいだとすれば始めて地理的分布に於ける懸隔を埋める説明(これこそミッシング・リンクというべきでしょう)が必要になると思っています。ただもしこのミッシング・リンクが埋まっていればタミる語説は一躍有力な仮説となりますので、タミル語説の信奉者には努力する値打ちはあると思いますが。
2002/12/14 20:30
>>No. 439
『モンゴロイドの地球』(3)には「三大人種の系統樹の一番古いルーツを推定すると17万年前から34万年前となる」とあり、たけ(tk)さんの数表は20万年前で100%となっており、「統計学的な確率上の分散の上限(古い方の年代)が
カットされるとかんがえられます」とは解釈できませんけど、なにか勘違いしてるかしら?
2002/12/14 21:42
>>No. 440
>タミル人〜南部ドラヴィダ語話者の日本人との形質の共通性も認められていませんので、まだ日本とドラヴィダ語族の話者を結ぶミッシング・リンクのついての他分野からの考究は不要でしょう。
重ね重ね申し上げているように、クレオール語の場合、DNAその他の形質の共通性の有無は「関係がありません」。
2002/12/15 07:59
>>No. 441『モンゴロイドの地球?』のp219には確かに塩基置換速度から三大人種の系統樹の一番古いル−ツを推定すると17万年前から34万年前となると記載されています。しかし大三元さんも御承知の如く、ホモ・サピエンスの母系の祖ミトコンドリア・イヴの生存年代の推定がほぼこれと同じ数字(大体20万年前)です。現世人類全てのミトコンドリア遺伝子の祖たるこのイヴの生存年代より前の例えば34万年前に分岐したというのは明らかに矛盾しており、統計学上はそうでも実際に人種の分岐年代を考える時にはしたがって修正せざるを得ないことは御理解戴けると思います。私はイヴの生存年代をおよそ20万年(5〜10万年くらいの誤差は現時点では見込まなければならないでしょう)と考えますので、この場合下限の17万年あたりに近いところに設定することになります。すなわちまだ出アフリカ前のおよそ15〜20万年前に将来ユ−ラシア方面に移動してコ−カソイド・モンゴロイドの共通の祖となるミトコンドリアを持つ女性を含む集団が他のグル−プから分離したと考えます。実際の人種の分岐年代については同書p223の根井(正利だったと思いますが)の推定する?ネグロイドと他の二大人種の分岐は12万年前?モンゴロイドとコ−カソイドの分岐が5万5千年前といったところが多少の誤差があっても学会の大勢ではないでしょうか。集団間の遺伝子頻度に基付く集団系統樹と、各個体の持つ遺伝子の系統樹は全く異なり、集団の分岐に先駆して遺伝子が分岐することは同頁に説明してあります。単一遺伝子座上の多型を扱う場合、個々の遺伝子の突然変異が何時起こったかを決めるのは困難で、実は私がHLAハプロタイプを重視するのも人類の系統を別にする集団で同じ塩基置換が独立して起こった場合にその分岐集団を近縁と誤る可能性を排除するためです。同書でもミトコンドリアのV領域の九塩基対の欠失がアフリカ人とモンゴロイドで別個に起きたことに触れられています。
2002/12/15 08:37
>>No. 442
クレオ−ル語説を唱えれば他の関連した問題については一切考える必要がないとお考えなのでしょうか?それとも言語学上の証明に現時点では全力をそそぐべきであとは文化人類学者などに任せるということなのでしょうか?現状でタミル語説が学会の大勢となっていない以上余力を割くべきではなく言語学に全力をそそぐべきとの考えだろうと推察はしているのですが、言語学会(界?)以外の民俗学・民族学などの周辺諸分野(文化人類学ということになると思います)の理解を得ることが学会の大勢を変えるきっかけになると思います。
とりあえず?タミル語とクレオ−ル化して後に日本語となった(基層?)言語はどのような言語か??クレオール化が成立した年代と場所、についての説明くらいは必要だと思います。特に?については言語学の方から(だと思いますが)古代インド学者徳永宗雄氏の厳しい批判があり、大野晋氏は日本語を現代タミル語と比較しているがタミル語が形成されたのは前4〜3世紀以降のことであるから、それ以前に日本列島では日本語が成立していたとする大野説とは完全に矛盾する(崎山理、「日本語の系統・基本論文集1、p231より)と言っています。或いは大野氏はその後この点に関して何か別な解釈を出されたのでしょうか。
以前より再三申し上げているように私は言語学は全く素人ですので、学会の定説(通説ではなく)に従うか、定説が無い時は読み比べて正しいと感じた方に従うか、それもはっきり感ぜられない時は形質人類学的デ−タと整合性のある方を当面採用するというものです。個人的には日蒙同系論が成立すれば私の考えるHLAハプロタイプと民族形成が一致しやすいのですが、タミル語説でも正しいと感じられればいつでも従う用意はあります。
2002/12/15 09:19
>>No. 443
その本(など)に出てる系統樹は大本から最後の分岐まで、ざっと24段ありますよね。一段(一つの変異)が「平均」12000年を意味するなら30万年近くになる。
要するに体内の「分子時計」なんて云ったりして、あたかも精確な時計があるように書いたりするけど、この時計は突然変異という偶然によって時を刻むので時計としての信頼性は甚だ低い。
「ものすごく大きな幅」があるので、hn2602さんが対象にしておられる(と思う)数千年前からの民族の分岐に適用できるような精度・解像度は(少なくとも現状では)無い、ということを指摘したかった(或いはそれは間違い、と指摘頂きたい)のです。
2002/12/15 10:15
>>No. 443
「ホモ・サピエンスの母系の祖ミトコンドリア・イヴの生存年代の推定がほぼこれと同じ数字(大体20万年前)です」
それなら たけ(tk)さんの表も20万年前までを示していてドンピシャじゃないですか。34万年前とは たけさんの計算に出てくる数字ではない。モンゴロイドの地球に出てくる数字で、たけさんの統計計算とは無関係です。
お書きになった範囲からは(たけさんの表の読み方を)修正せねばならない理由が出てこない。
2002/12/15 11:00
>>No. 444
>クレオ−ル語説を唱えれば他の関連した問題については一切考える必要がないとお考えなのでしょうか?
何か非常に大きな誤解をなさっているとお見受けします。服部四郎もいうように、比較言語学はあくまでも言語の比較であり、DNAなどの比較は埒外である、ということを申し上げているだけです。
「一切考える必要はない」と私は書いた覚えはありませんが、少なくとも比較言語学の中に「人類形質」の一項は皆無です。
無論、民俗学などで周囲を固めることは、当然必要になってきますが、言語の比較をする場合、まず考慮されなければならないのは「言語」そのものであるのは当然のことです。
>?タミル語とクレオ−ル化して後に日本語となった(基層?)言語はどのような言語か?
ピジンレベルの場合は所謂「基層語」の残痕が残っている場合が多いかもしれませんが、クレオール語の場合、基層語の残痕は抽出しうる閾値にない場合が多いのです。
したがって、タミル・クレオール語を考える場合、基層語が何であるかは、大きな問題ではありません。
>?クレオール化が成立した年代と場所、についての説明くらいは必要だと思います。
場所は当然日本列島ということに成ります。日本列島でないとしたら、日本語はクレオール・タミル語であるという主張は無意味となってしまいます。
年代は、縄文最末期、弥生時代初期です。
>大野晋氏は日本語を現代タミル語と比較しているがタミル語が形成されたのは前4〜3世紀以降のことであるから、それ以前に日本列島では日本語が成立していたとする大野説とは完全に矛盾する
この主張は十数年前のものではないかと推定されます。大野 晋氏が現在比較しているのは、万葉集より古いサンガム時代(AD200〜)のタミル語です。
そもそも日本語のタミル語以外の比較においては、アルタイ語族との比較であれ南方語との比較であれ、すべて比較の対象は「現代」の言語であり、現代語との比較を否定し去ると、日本語はアルタイ語とも南方語とも、たぶんに主観的な再構形による以外、比較しえなくなります。
が、ともあれ現在では、ヤマト言葉は古代タミル語と比較されております。
>学会の定説(通説ではなく)に従うか、定説が無い時は読み比べて正しいと感じた方に従うか
定説があるのであれば、ここに日本語の起源について改めて問題提起をする理由が見当たらないという趣旨はすでに述べたとおりです。
>日蒙同系論が成立すれば私の考えるHLAハプロタイプと民族形成が一致しやすいのですが
古代蒙古語が文字として残存していない以上、これも再構形による比較以外に比較の仕様がないところが弱いところです。
ともあれ、HLAハプロタイプA24B52DR2集団が貴方の考える「倭人」だとすると、日本は単一民族であるというごとき、事実と異なる結論に至らざるを得ないのではないかと思料致します。
2002/12/15 14:43
>>No. 445
大三元さんの仰るとおり、単一遺伝子座上の遺伝子多型で比較する場合飽くまでも偶然の関与や自然淘汰の影響が大きく、そのデ−タを安易に使用することは危険でそれについては私も何回かコメントしていたつもりなのですが、要するにミトコンドリアDNAを分子時計として用いる場合何らかの補正(時計があまり狂っていないことを保証するため)が必要になります。一つはmtDNAでいえば37個の遺伝子(座)の全部を比較することですが、D領域やV領域と異なり、変異した遺伝子が生存に有利、不利のどちらか(場合によっては致死遺伝子もありえます)に偏った時には淘汰圧を受け、時計の狂いが大きくなります。木村資生の中立進化説は突然変異の大半は生存にとって有利でも不利でもない中立的なものだという点を指摘したものですが、ある遺伝子のSNIPが実際にどの程度生存の可能性に影響するかは正直なところ極めて決定が困難であり、結局遺伝子をコ−ドしない(従って生存に影響しないと考えられる)部分(イントロン)を使用するか、多数の遺伝子の多型をまとめて統計処理(集団遺伝学)するということになります。しかしHLAハプロタイプは3つのクラスに分かれる多数の遺伝子(座)のしかも極めて変異の多い且つ連鎖して遺伝するという特徴があり、このためハプロタイプとして扱えば数千年からの集団の分岐を考える指標と成りえます(免疫と関連しているので有利・不利は当然あります)。ただし個々のHLA遺伝子(A,B,C,DR,DQ・・・)についていえば前にも触れたようにヒトとチンプの共通の先祖時代からの多型とヒトになってから変異した多型も混在しています。mtDNAもD領域やV領域などの遺伝子をコ−ドしていない領域が多くあり(塩基数が少なすぎて余り役に立たないところもありそうですが)これらをハプロタイプに準じて〔勿論37個の遺伝子領域も併せて)扱えば十分な精度を上げることは可能でしょう。分子時計は進み方の違う時計がたくさん掛かっている時計屋の状態に近いですが、一応調整して時間合わせをした時計がほぼ同時刻を示しているというのが現状でしょう。一個の時計だけには正直なところ頼れないのです。
閑話休題、数年前にO型の父とB型の母からA型の子が生まれたというニュ−スが新聞に載っていましたが(親子の確認はDNA鑑定で確認)、あれは母がBO型で体内で遺伝子の組替えがおこり、A型遺伝子ができ、父のO型遺伝子と受精して遺伝子型AO、表現型A型となったということですが、もっと驚くのはA型の150家系に1家系が同様にしてBO型からの組替えだったという記事を後に読んだ時です。(数字は若干不正確かも)
2002/12/15 15:00
>>No. 446私も大三元さんの示されたHPでシミュレ−ションを見たのですが、さっぱり理解できませんでした。だから統計上はそうではないかとお答えし、しかし現実に「モンゴロイドの地球?」に挙げられた三大人種の分岐については他の情報より下限に近く修正されるのが一般的だとコメントしたのですが。たけさんの表の読み方に修正が必要か否かは統計学の門外漢の私にはわかりません。ただ三大人種の分岐年代が17〜34万年前と統計学的にでても下限の17万年前に近いところに修正したような事態は具体的にmtDNAのデ−タを適用する場合には常に起こり得る問題だと思います。
2002/12/15 15:31
>>No. 447
joudaishogakuさんの仰られることは良く理解しています(誤解はしていません)。ただクレオ−ル語とピジン・イングリッシュなどとの境界が私の中でややはっきりせず、クレオ−ルでも何らかの基層言語が見えるだろうと思ったのですが。
後はタミル語説でHLAハプロタイプ最多集団(この集団が倭人と呼ばれていたと考えていますが)の言語が説明できる可能性が現時点で有り得るかを検討したいため、クレオ−ルの形成された場所(例えばチベットなどといわれれば飛びついたのですが、山東半島でも)、時間、基層言語など質問したのですが、無いものねだりだったようです。ご迷惑をおかけしました。
尚大野氏のタミル語説の文献は読んだことがなく藤原正明氏(が最初の提唱者だったと思いますが)の著書は読んでいます。大野氏に対する批判は従って同氏の最初の頃の論考に対するものだったようです。
また私は日本民族の中核をなした集団がA24B52DR2集団であったというのであり、この集団が倭人と呼ばれていただろうことは後漢書烏丸鮮卑伝の倭人国、三国史記の高句麗本紀の倭山の記事等を根拠にしています。HLAハプロタイプのデータからは日本人の単一起源説は否定されており、私は主だったハプロタイプを韓族、古アジア族(ギリヤ−ク?)、越系、南島語族系などに比定しています。倭人はある時点以降日本人と同義になりますが、それは中国人に倭人として知られていた集団が列島を制覇したからだというのが私の立論です。
2002/12/15 20:28
>>No. 450
>クレオ−ルの形成された場所(例えばチベットなどといわれれば飛びついたのですが、山東半島でも)、時間、基層言語など質問したのですが、無いものねだりだったようです。
クレオール語が形成される場所は、クレオール語が喋られている場所以外にありません。これは常識です。
たとえばチベットでタミル・クレオール語(=ヤマト言葉)が喋られていて、それが日本列島に流れ込んだ、と想定する場合、チベットにタミル文化が移植され、稲作技術が高度に発展し、そのダイナミクスが日本列島にも流れ込んだということになるでしょうが、その事実はこれまでの研究成果では確認されておりません。
このようなことが事実である場合、そのチベット語とヤマト言葉は、方言程度の差でなければならないからです。
繰り返しますが、今日知られているすべてのクレオール語は、その形成された場所が、今の場所以外から伝わったということは至近距離ではありえますが、1000キロも離れて伝わるということは現実問題としてありえないのです。
理由は簡単で、それはクレオール語だからです。脱クレオールしていれば別ですが、クレオール語というのはいわば「その場所」に密着した言語だからです。
したがいまして、貴方が仰るように、貴方の主張は(その言葉が妥当かどうかは別として)「無いものねだり」、すなわち論点の逸脱と齟齬以外の何物でもないと断定せざるを得ないのです。
2002/12/15 20:53
>>No. 451
一旦クレオ−ル語としてタミル語ないしドラヴィダ語族の言語が例えばアルタイ諸語の一つと混交してクレオ−ル語が形成され、その後その話者が移動してドラヴィダ語族と接触が断たれ、次第に独自の発達(勿論移動途中に接触した諸言語の語彙は適宜吸収します)を遂げた場合は「脱クレオ−ル」ということになるのですようか?
またドラヴィダ語族は中央アジアからインド亜大陸に入ったのか、イラン高原よりインド亜大陸に入ったのか、それともインド亜大陸内で他言語と接触し混交してあるいは独自に形成されたのでしょうか?
御教示お願いします。
2002/12/15 21:59
>>No. 452
貴方はクレオール語、脱クレオールの基礎概念をご理解していないように思われます。それはそれでやむを得ませんが、しかし日本語の起源を議論するうえでは、最低限、辞書レヴェルでぜひ理解をしておいて下さい。そうでないと、議論の内容が空虚に成ります。私も辞書レヴェルの知識で十分だと思っています。
>ドラヴィダ語族は中央アジアからインド亜大陸に入ったのか、イラン高原よりインド亜大陸に入ったのか、それともインド亜大陸内で他言語と接触し混交してあるいは独自に形成されたのでしょうか?
ドラヴィダ語族がどこから来たか、私も大変興味を持っている問題ですが、とりあえず日本語の起源を論じるうえでは二義的な問題で、これを現段階で論ずるにはあらゆるものが不足しています。
2002/12/25 14:36
>>No. 453
橘のオドのアハキ原という記述がある。
福岡県三井郡の大刀洗(tati・arafi)には、甘木原がある。
タチアライの古名はタチバナではなかったか。-ia-と重母音ゆえ、タチアライは
比較的新しい言い方である事が分かる。介音-f-を入れるとtati・farafiとなる。
これがtatifara>tatibanaとなった可能性がある。オドはタミル語で「天」である。
●タ ant-am sky(空), visible heavens(目に見える天);
universe in the shape of an egg(卵型の宇宙);
○日 od-o おど。nt>nd>d交替。
したがって、タチバナの(天の)アハキ原は今、大刀洗の甘木原として古形を
やや保っているように思われる。
甘木は元、アハキであったとするのは音韻の交替上無理はない。
●タ apak-ai river(川); stream the Ganges (ガンジス川);
amar-apakaiはthe milky way(天の川)という意味である。amarは日本語「あま」と
交替する。
「天の安の河原」の「ヤス」というのは福岡県朝倉郡夜須であろう。
ヤスには「天の川」という意味がある。
●タ mac-u cloud(雲); dust(塵); the milky way(天の川);
○日 yas-u 「天の安の河原」の「やす」。macu>wasu>yasu交替。w-とy-は交替しやすい。
夜須、大刀洗、甘木はいずれも至近距離にあり、近くに筑後川が流れる。
しかもこれらの地名は、筑後川とその支流に挟まれている。まさにアハキ原に
相応しい。
なお夜須の隣は三輪である。大神神社はオホミハ神社という。つまり三輪とは「神」という
意味のようである。タミル語でも同様だ。
●タ vip-u 1. that which is omnipresent(偏在するもの);
2. the supreme being(至高の存在=神);
3. lord(首長), master(支配者);
○日 mif-a 卑弥呼(ヒミハ)の「ミハ」。
卑弥呼を普通「ヒミコ」と呼び習わしているが、「呼」は上古音では「コ」ではなく、
「ファ」である。したがって卑弥呼は「ヒミファ」でなければならない。
「卑弥呼」の「卑」は「日」であろう。さすれば「日の支配者」「日神」という
意味となる。三輪はしたがって「弥呼」と置き換えることができるかもしれない。
だとすると、狗奴国の王、卑弥弓呼(上古音でヒミキファ」というのは意味が取れない。
「卑弥弓呼、素より和せず」は、少数説の如く「卑弥弓呼素」で一つの普通名詞と
すべきであろう。とはいえ、「ヒミキャファス」ではこれも意味が取れない。
したがってこれは「卑弥呼弓素」と修正すべきかもしれない。「ヒミファキャス」となる。
●タ kacc-u fire(火); kaccu>caccu
タミル語k-はc-と交替しやすい(もともとk-とc-は似たような音であったらしい)。
同時に、k-、c-は脱落しやすい。
弓素はタミル語kaccuの交替形caccu(キャスと発音する)であり、このc-の脱落形が
accu、すなわち「火」なのであろう。
accuは日本語asoと交替する。すなわち「阿蘇」である。
以上の通りだと仮定すると、卑弥呼弓素は「日神の阿蘇」王の最も古い呼び方であった可能性が
ある。
このように、タミル語によれば、邪馬台国はやはり甘木原にあり、狗奴国はそお南の熊本に
あった、とするのが合理的である。
ちなみに甘木原の南にある八女は、タミル語で「南」という意味である。
●タ yAm-am south;
●タ yAm-ai south;
○日 yam-e 八女。
傍を流れる「矢部川」は、元は「八女川」であったであろう。
邪馬台国の官制は聖なる日神を頂点に、俗なる王がおり、その下に軍司令長官、
さらにその下に枢密顧問官がいた、とタミル語では解釈できる。
●タ atip-an lord,ruler(統治者);
○日 isim-a イシマ。atipa>etipa>isima交替。卑弥
呼の男弟。
●タ makAc-Enan commander of a large force;
○日 makat-i 彌馬獲支の「馬獲支」。御・マカチ。大規模な軍隊の司令官。
●タ mantir-i king's counsellor(枢密顧問), minister(大臣);
commander of an army(軍隊指揮官);
○日 matir-i 彌馬升の「馬升」。御・マチロ。matiro>masyo。
さてこれらの新説が受け入れられるかどうか。真実は必ずしも通説とはならない。
2002/12/26 00:01
>>No. 454joudaishogakuさんのお勧めに従い、ジュンク堂書店(堂島アバンザ)の言語学コ−ナ−で辞書を探してみたのですが(ラル−ス言語学辞典など立ち読みしました)、どうもしっくりしません(脱クレオ−ルの説明は探し方がわるいのか載っていませんでした)。私のクレオ−ルとかピジンの知識は昔の平凡社の百科事典や英和辞書に基付くものです。一万円以下の辞書なら手持ちの図書券で購入しますので御教示お願いします。(くれぐれもタミル語説の本は紹介しないで下さい。私は日本語のnative speakerですからその範囲で直感的に理解できることなら何とかわかりますが、あとはレプチャ語説でも朝鮮語説でも南島語説でも理解度は一緒ですから)
2002/12/26 07:48
>>No. 455
辞書レベルというのは、簡易なレベルということです。
その意味では田中克彦「クレオール語と日本語」(岩波書店。岩波セミナーブックス77)をお勧めします。タミル語のことには全く触れられていませんのでご安心下さい。
ただ彼は「日本語はクレオール語に似ている」と書いています。特に複数形がない(I、WEではなく私、私たち。われ、われわれ、などで対処)など。
2002/12/30 14:55
>>No. 456
大和は「細才(くはしほこ)千足(ちたる)国」とも形容される。
学説は「綺麗な矛が沢山ある国」が通説となっている。
しかしこの解釈はどこかおかしい。武器は矛に限ったものではない上に、
大和は「いい剣が沢山ある国だ」などという形容が果たして美称となりうるのか、
いささか疑問である。
タミル語はこれに妥当な解釈を与えているように思われる。
●タcop-i 1. to be beautiful(美しくある); to be splendid(壮麗である),
lustrous(光沢のある);
2. to be ornamental(装飾的である), decorated((飾られてある);
(華麗である); 3. to shine(輝く), show brilliancy(光り輝いて見える);
●タ kav-in to be beautiful(美しくある), comely(顔立ちがいい);
○日 kuf-asi 細(くは)し。精し。詳し。委し。
◎韓 koph 美。
なお、kav-は日本語kaw-ayusi(かわゆし)の語源にもなったものと推定される。
日本語「ホコ」に交替する以下の言葉がタミル語にある。
●タ porkk-atti sword(刀);
○日 foko 鉾(ほこ)。鋒。矛。才。-ttiの脱落。
●タ pokk-u place(場所), region(領域);
●タ pak-an a sun-God
●タ vAnk-aN sun;
○日 foko ホコ(太陽)。
●タ cutar to shine(輝く),to sparkle, as a gem(<宝石のごとく>煌めく);
○日 titar-u 千足国の「ちたる」。u/i交替。千足国は「チタリ国」と呼んだはずである。
以上から、「細才(くはしほこ)千足(ちたる)国」は「美しい日神の輝く国」or「美しい太陽の煌(きら)めく国」と推定される。
後者が妥当であろう。
2003/01/02 23:24
>>No. 456
お勧めの田中克彦氏の「クレオ−ル語と日本語」の他に同氏の「言語学とは何か」(岩波新書)の2冊を年末に買い込み、先ほど一応読了しました(後者は理解できない部分が多かったのですが)。しかし「脱クレオ−ル」の説明は見落としたのかもしれませんが、ありませんでした。「脱クレオ−ル」の説明をお願いします。
他に以前よんだ岩波全書の高津春繁著「比較言語学」「印欧語比較文法」の他タミル語説、朝鮮語説の単行本も何冊か持っていますが、日本語との同系説を納得できるものはありませんでした。
ところで田中氏は何となく比較言語学に否定的ニュアンスをかんじるのですが、同氏の言語学会での立場等も含めご教示お願いします。
2003/01/03 11:29
>>No. 458
脱クレオールという言葉は、人によって異なる定義づけがなされています。
大野 晋氏がいう「クレオール・タミル語(すなわちヤマト言葉)が
脱クレオール化しなかった」というのは、
タミル人の列島流入がある時点で途絶えたため、「タミル語に限りなく近く
はならなかった」という意味です。
同氏の言葉で言えば「標準タミル語」にはならなかった、
ということです(大野「日本語の形成」p699〜p701)。
「それは『脱クレオール』の段階までは進まず、日本語は縄文時代の
音韻体系つまりCV体制のまま自己の力で表現を充実させて、
原日本語を形成した」(同p701)。
「日本語の形成」(本書以外の同氏の啓蒙書では事実、納得できる
レベルには至りません)を読んで、大野説に反論できる言語学者は
まずいないでしょう。現に音なしの構えです。普通は更なるトンデモ説の
主張には、更なる反論が加えられる、というのが、過去のこの学界
での通例です。
「日本語の形成」が出版される前ですが、音韻対応が印欧語のように
すっきりしていない、という理由だけで大野説を検討するに値しない、
と反論以前に無視する学者がいましたが、これはとても「学究」
といえる態度ではありません。
すっきりしない原因を探り極める、という態度を放棄しているからです。
印欧語の場合と違い、日本語がクレオールタミル語であるとすれば、
音韻対応の若干のブレはやむをえないものと思います。
格助詞「の・に・つ・が・から・と」はタミル語「in・in・attu・aka・kal・otu」に対応します。
日本語の単語は母音終わりですから、これらタミル語の語頭母音は
取り払われ、取り払われた後に残った音に母音が付加されます。
すなわち、in→no、in→ni、attu→tu、aka→ka/ga、kal→kara、otu→toとなります。
同様の処理で、係助詞「も・は・か・や・そ」はum、vay、kol、ya、tan
からの交替、終助詞「もの」はmanからの交替、といったようになります。
田中氏は、タミル語には関心がないようです。私も2,3冊程度しか
読んでおりませんので論じる立場にありません。
なお私はタミル語説の信者ではありません。タミル語説以外に優れた説が
出れば、直ちにそちらに移ります。
2003/01/10 09:30
>>No. 459
自動詞化
●タ -ul、-ir;
○日 -ru(る)。
他動詞化
●タ -ttu;
○日 -su(す)。
自動詞完了
●タ -nt;
○日 -nu(ぬ)。
他動詞完了
●タ -tt;
○日 -tu(つ)。
推量(未来)
●タ -um;
○日 -mu(む)。
必要・義務・命令・禁止
●タ -vent
○日 -besi(べし)。-vent>*−bent-i>bes-i交替。
否定
●タ -anru;
○日 -ani(あに)。-nr-/-nn-/-n-交替。
「・・・ぞ・・・(な)む」の一例
avai tam en ceyyum.
avai(その木) tam(ぞ) en(なに) ceyyum(せむ).
2003/01/18 15:14
>>No. 1
はじめまして。自分は言語学も人類学も門外漢のアマチュアで、興味はどちらかというと日本語より日本人のルーツのほうです。
クレオール語であるためには遺伝子の流入や政治的優位性は必要でなく、文化的優位性があればよいとの主張ですが、言語に大きな影響を与えるほどの優位性であれば、当該の時代に何らかのタミル/ドラヴィダ文化の影響が見られるのが自然ではないかという疑問が浮かびます。
日本の縄文末、弥生初期にタミル/ドラヴィダの文化的影響が現実に見られるのか知りたいところです。
また、例としてカリブ海のクレオール語が挙げられています。当時のカリブ海の原住民の文化的レベルについて詳しくは知りませんが、ヨーロッパ人とアメリカ原住民との遭遇の際の文化的差異というものは、人類史上かつて無いほどの大きな差異であったというイメージがあります。
カリブ海のクレオール語というものはそうした圧倒的な文化的差異を背景に生まれたものではないのでしょうか。
そうだとすると、縄文末の日本と、タミル/ドラヴィダとの文化的差異がそれに匹敵するほど大きなものだったのかという疑問が生じます。
自分の知識不足かもしれませんが、日本を含む当時の東アジアにはっきりした文化的影響の痕跡を残しているようには思えないタミル/ドラヴィダ文化が日本列島の言語にだけ大きな影響を与えたというのは筋書きとしては考えにくいのではないでしょうか。
おそらく、当時のタミル文化の日本文化に対する優位性の程度は、中国文化の優位性と比べてそう大きなものだったとは思えませんし、日本列島に渡来した人間の規模から言うと、タミル系の人よりも中国文化系の人のほうがより大きかったと思います。
現に、縄文末、弥生初期の時代は中国、朝鮮半島から大量の人間が日本列島に流入したのではないかと推定されている時期に当たります。
そうであれば、その当時の言語は当然、中国、朝鮮半島の影響を受けたものになったと考えるのが自然ではないかと思います。
タミル文化が日本に渡来した中国、朝鮮半島の人たち(つまり弥生人)に対して圧倒的な文化的優位にたっていたわけではないですし。
そうすると、文化という切り口から考えると、タミル語のクレオールが日本で成立したと考えるのは難しいのではないかと思います。
2003/01/18 15:49
>>No. 1
言語学とは少し離れてしまうかもしれませんが、HLA−B52−DR2を根拠とする日蒙同祖論について。
HLAが他の人類学的根拠より有用であるとする理由を自分はよく理解していない状況ではありますが、自分は日本人のルーツとしてモンゴル人とは違うところにあるのではないかと考えています。
日本人のルーツといってもここで述べるのは日本人の7〜8割の遺伝子を担うのではないかといわれる北部九州型弥生人についてです。
頭蓋骨の比較研究の結果からは北部九州弥生人は中国の黄河と長江にはさまれた地域が有力とされているようです。
また、遺伝的多型を用いて遺伝的距離を求めた系統樹からは日本人と遺伝的距離が最も近いのは朝鮮半島人と、ついでチベット人であり、モンゴル人と北部中国人はやや離れた位置にあるようです。
現代モンゴル人の形質をみても、彼等は日本人と比較してかなりの短頭で頭蓋骨が大きく、顔面の平坦度もかなり高いなど違いが大きくなっています。
一方日本人は比較的中頭に近く、中国の一部やチベットなどに近いような印象を受けます。
こうしたことから、自分はかつて中国北部の黄河流域から長江にかけて、中頭面長の集団があり、これが東西に広がって一方はチベット人となり、もう一方は朝鮮、日本人になったと考えています。
そしておおもとの中国北部においては五胡十六国時代のように繰り返しモンゴル高原からの移住を受けたこと、さらに中国南部からも人の流入があったことなどから日本人と共通する形質が大幅に薄められてしまったものと考えています。
日本語に近い言語が存在しないとされる原因ですが、チベット、中国については推測にすぎませんが弥生人の原集団が中国にいた時点から既に分化していたのではないかと考えます。
朝鮮半島については北方から満州系の集団がかなり流入し、その影響を受けたために日本と共通する部分が薄められてしまったのではないかと思います。
2003/01/18 17:52
>>No. 461
始めまして、トピ主さんも姿を現されませんのでとりあえず私が歓迎の意を表明します。タミル語説についてはおそらくjoudaishogakuさんよりなんらかのコメントがあると思われますが、実のところ日本語のタミル語起源説についての私の疑問も全くmannyouさん〔HN省略ご容赦おねがいします)と同じで、タミル人と日本人〔の祖)がどこで接触し得たかに付きご意見をjoudaishogakuさんに聞いたのですが回答は得られませんでした。
ただ「東アジアの古代文化」113号〔2002秋)に李鐘学氏が、金官伽耶国の首露王の妻許黄玉が阿楡(木へんの代わりに足)タ国の王女とされている(三国遺事・駕洛国記)ことから、インドから嘉陵江流域の普州、揚子江流域を経てAD48年金海に到着したとの説を紹介しています。私はこの説は日本語の形成を紀元後と考えるなど遅すぎると考えますが、韓国朝鮮の言語学者?の中にはなにしろ万葉集の中の言葉を韓国語だと言う人もあるくらいですから半島での韓国語のドラヴィダ語族起源説もかなり有力なのかも知れません。
私としては仮に日本語がドラヴィダ語族に属するとすればチベットの西方か、あるいはアルタイ山脈あたりにドラヴィダ語との接点を求めたいところですが。
2003/01/18 18:37
>>No. 461
言語を比較する場合は、あくまでも言語のみの比較であり、それ以外の文化的あるいは人種的itemは二次的なものです。
いかなる比較言語学の研究書にも、それらは言及されていません。
単語以外に助詞、助動詞、動詞接辞のあれだけの一致があるということを重く見る必要があります。
それらが、偶然の一致ではないことを論証できて初めて、タミル語説は否定されるべきです。
私はタミル語説の信者ではありませんので、明快な反証があれば、タミル語説は放棄します。
推定に過ぎませんが、タミル語が日本列島および韓半島にもたらされたのは、BC.500頃とされています。
タミル人を中心とするドラヴィダ人はインダス文明を築いた人々であると推定されています。したがって、十分、文化的優位性を持っています。
中華文明が当時及んだのは今の北朝鮮あたりまでであり、日本にまでは、AD初期になるまでは流入しなかったことは、そもそもBC年代に漢字が列島に流入した証拠がないことからも伺えます。
ドラヴィダの文化というものは、実はインダス文明崩壊のかなり後に興隆したもので、そのときはすでに(かなり大雑把な言い方をすれば)アーリア系の文化がインド全体に広がっていました。
今日に至るまで、ドラヴィダ文化がどのようなものであったかという研究は等閑視され続けてきました。たとえば日本のインド研究者の中村 元氏とかは、インド古代文化に関して多くの優れた論文を出していますが、その99%は、アーリア系の文化・文明に関する記述です。
しかし、タミル人が列島および半島に稲作文化をもたらした事は、その稲作文化用語が日本語に残存していることから明らかなように思われます。
収税という、国家形成に不可欠の技術流入も、その用語が日本語の古語にあることで、これも明らかのように思われます。
正月の行事、七夕の行事もホンガラ(タミルではポンガル)やタナバタ(タミルではタンパタ)などとして列島に流入した形跡があります。むろん七夕はADになってから、中国の風習に習合されましたが、タナバタという言葉は残っています。
2003/01/18 18:42
>>No. 463
>タミル人と日本人〔の祖)がどこで接触し得たかに付きご意見をjoudaishogakuさんに聞いたのですが回答は得られませんでした。
これは誤解を招く発言です。どこで接触したかは比較言語学では埒外の問題であると申し上げたはずです。
ただ、日本語がクレオール・タミル語だとすれば、当然その接触は列島内、それも当初は地勢的に見て九州といったところでしょう。
2003/01/18 18:53
>>No. 462
HLAハプロタイプのデータを他のデ−タより有用とする最大の理由は、まさにそれがハプロタイプであり、ハプロタイプを共有する人同士は完全に同祖関係にあると断言できるからです。個々のHLA遺伝子については、突然変異による偶然の一致の可能性を否定できません。例えばミトコンドリアDNAの九塩基対欠失は、アフリカ人とアジア人で異なる起源を持つとされています〔即ち2回以上突然変異が起こった)。
ただHLA遺伝子は疾病感受性と深い関わりがあり、その頻度は疾病の流行や風土による二次的な選択〔淘汰)を受けている可能性は当然念頭に置く必要があります。疾病との関係で例を挙げるとHLA〔以下HLA省略)−DR2ナルコレプシー(患者の100%、DR2は日本人の20%を占める)、B27強直性脊椎炎(患者の90%以上、日本人の0、1〜0,3%)、DRw3原田病(患者の100%近い)、DR4若年性糖尿病、B35亜急性甲状腺炎、B44orDQw3杉花粉アレルギ−など。ただこのデ−タは偶々手元にあったメモに記載してあったものなのでその後の研究で変っている可能性があります〔20年くらい前のものです)。
HLA(ヒト白血球抗原の略)はクラス?・?・?に別れ、クラス?抗原はヒトの体の構成成分のほとんど全ての細胞に表現された糖蛋白でA、B,Cなどがあり、クラス?は免疫応答に関与する特定の細胞群などに表現されDR,DQ,DPなどがあります。しかも一つ一つの遺伝子座(A,B,C,DR,DQなど)に一般に数十の対立遺伝子があり極めて多彩です。クラス?は補体などの遺伝子です。個々のHLA遺伝子の起源についてはヒトとチンパンジ−の共通祖先の時代にその淵源が求められる場合もあります。従ってHLAをハプロタイプでなく個々の遺伝子(座)についての多型を統計処理をすればその利点は多型の桁違いの多さ以外利点はほとんどないと思われます。要するに我々一人一人がHLAのA24/A13,B54/B2,C13/C8,DR2/DR13、DQ1/DQ2,DP33/DP11,BFS・・・・というふうにHLA遺伝子を持っています(父母から同じ遺伝子がくることもありますので例えばA22しか持っていないということもあります)。
2003/01/18 20:06
>>No. 462
HLA−B52−DR2の分布を根拠とする日蒙同祖論ですが、厳密には現在の列島居住の我々日本人と、現在のモンゴル共和国(歴史的にいえば外蒙古)居住のモンゴル人において共に、HLAの最多ハプロタイプが共通している、即ち日本人と共通の先祖を持つ集団を国外に「単系的に」求めた場合に外蒙古人が浮上するということです。遺伝的多型を用いると隣国の韓国人(北朝鮮についてはまだデ−タが十分とは言えず、可能性は少ないと思いますが、韓国人とことなったハプロタイプ分布を示す可能性はまだ残っています)ともっとも近いのはむしろ当然のことです。人種と民族は異なった概念ですが、十分時代が溯れば、民族〜部族集団とその遺伝的形質(人種)が一致するという「仮定」を立てて、「日本民族」の起源(民族を決定する最大の要素は言語だと考えられます)を追求する手がかりにしているのです。政治的統一が為されると出自の異なった本来別個の民族が主流民族に吸収同化されるのは当然予想されますが、この段階では主流民族の形質は当然薄められます。日本と朝鮮半島中南部は構成した民族〜種族グル−プが?倭人?韓族?漢族?扶余族?古アジア族?江南系越族(タイ系?チベット=ビルマ語族?苗族?南アジア語族?)?南島語族系などの諸民族集団が角逐を繰り返し、半島では韓国朝鮮語を話す韓族が、列島では倭人語を話す倭族が主導権を取り国家形成に向かったからこそ、朝鮮民族と日本民族が形成されたのであり、結果として民族としては異なるがその形質は極めて類似していても矛盾はありません。私は特に矛盾がない限り、日本でも韓国〜朝鮮半島でも、子孫をもっとも多く残した集団こそが、民族形成の決定的な時期に、政治的にも言語的にも優位を占めた集団と考えて日本民族の起源を遼河周辺から南下したと考えられる(勿論もっと北方に住んだ時期が在り得ましたが)グル−プとしてこのB52DR2ハプロタイプを持つ集団を選んだのですが。
尚現在の外蒙古人(内蒙古のデータがありませんがこれらもほぼ同様だと思います)はオイラ−ト・ブリヤ−ト方言所有者とハプロタイプの一致度が少ないようです(デ−タ不足ですが)ので、どちらの集団が本来モンゴル語の話者であったかは不詳で、内外蒙古人の祖はもっと日本語に近い言語を話していたが、チュルク語話者もしくはオイラ−ト・ブリヤ−ト系モンゴル語話者に征服・同化されて現在のモンゴル語民族になった可能性も否定できません。
尚頭骨の短頭・長頭は私は環境により容易に変化するもので形質の比較には使用できない(百々幸雄氏の頭骨の形態小変異は遺伝し、使用可能)と考えています。
中国黄河中下流域の原住民は不明ですが、少なくとも周やキョウは現在の東アジア人より異質なコ−カソイド的要素を含んだ集団であったように思われます。現在の華北の住民は北方からの遊牧民の南下によりむしろ我々に近くなったと私は考えており、本来の韓国朝鮮人も、ハプロタイプ上はモンゴル人による高麗征服時の混血でB24DR2の比率が増加した可能性が大きく、新羅末期ころはB52DR2の頻度はもっと低かったのではないでしょうか。
2003/01/18 22:52
>>No. 464
比較言語学においては文化的側面も埒外のものであるとのことですが、一つの人間集団の言語を変化させるほどの影響をもたらすものであれば、文化的側面にも当然影響を与えたと考えるのが自然ではないかと思います。
比較言語学の研究書にそれらが言及されていないとすれば、それは自明の前提としてあえて言及していないだけか、あるいは教科書の類であれば単に方法論の記述にとどまっているからではないでしょうか。
2つの言語を比較する際に、その類似の程度にもよるでしょうけれど、明らかな類似とまではいえない場合に、文化、遺伝、歴史的経緯などの側面を考慮せず結論を出せるほど比較言語学的手法は信頼性が高いものなのか、偶然の一致を超えた直接の関わりを示すことができるのかどうか、素人目から見るとそのあたりにどうしても疑問を感じます。
どころでインド文化の影響という点から言うと、東南アジアの歴史に関する教科書では前1世紀頃から南インド起源の土器やビーズなどが東南アジア島嶼部各地で出土するようになるとのことであり、少なくともこの地域にまではタミル文化が進出した可能性はあるようです。
時期的には日本の弥生時代の開始よりはやや遅れるようですが。
ただ、北部九州で甕棺墓が大量に製作されるようになり日本に本格的に弥生人が流入したとされるのはこの前1世紀ごろとされており、この時期には間に合うかも知れません。
また、以前TVでみただけで詳細は知らないのですが、日本の弥生土器の中で特徴的な形の壺とそっくりのものが、ほぼ同時期の南インドの土器として出土しているのをみたことがあります。
タナバタという単語は確かにそっくりですしタミル文化の日本への影響を考えたくなるような気もしますがこれだけではまた証拠不足ではないかと思います。
稲作についてですが、イネにはインディカ、熱帯ジャポニカ、温帯ジャポニカの3種類があり、そのうち日本の弥生時代に伝わったとされる温帯ジャポニカという品種はこれまでの研究から中国長江北岸の江蘇省周辺であるとされているようです。
もしタミル人が直接稲作技術を携えてきたのであれば日本には温帯ジャポニカ以外の品種が伝わったはずですが、そうではありません。
頭蓋骨および稲作からみて弥生人のルーツは中国黄河〜長江地域を指し示しているように思えますし、この地域であればタミル/ドラヴィダ文化が優位性を持っていたとすることはできないと思います。
2003/01/18 23:45
>>No. 465
>>タミル人と日本人〔の祖)がどこで接触し得たかに付きご意見をjoudaishogakuさんに聞いたのですが回答は得られませんでした。
>これは誤解を招く発言です。どこで接触したかは比較言語学では埒外の問題であると申し上げたはずです。
そのとおりなんですがjoudaishogakuさん自身が誤解をまねく発言をしている(msg.464)のはなぜですか?
>推定に過ぎませんが、タミル語が日本列島および韓半島にもたらされたのは、BC.500頃とされています。
>タミル人を中心とするドラヴィダ人はインダス文明を築いた人々であると推定されています。したがって、十分、文化的優位性を持っています。
インダス文明を築いたドラヴィダ人の中核をなすタミル人のことば(タミル語)が日本にもたらされたとしか読めない。日本語にタミル語と共通する要素がふくまれているとしても、インド人との交流をもちだす必要はまったくないとおもいました。
>しかし、タミル人が列島および半島に稲作文化をもたらした事は、その稲作文化用語が日本語に残存していることから明らかなように思われます。
日本語とタミル語に共通の影響を与えた言語Xと稲作文化に關係があったと仮定すればすむ問題ではないのか。mannyou_to_roman_no_shimaさんの歴史に関する主張がただしいとしても充分タミル系言語説がなりたつんだよと指摘できない事情でもあるんですか。
2003/01/19 00:31
>>No. 469
>日本語にタミル語と共通する要素がふくまれているとしても、
インド人との交流をもちだす必要はまったくないとおもいました。
そう思われる理由がよく分かりません。
タミル語の多くの単語(大野「日本語の形成」だけでも500語以上)、
さらには助詞、助動詞、動詞接辞の一致、これらの材料が揃っている
以上、日本語はクレオール・タミル語である可能性が高い、と考えるのは、
合理的なことです。
私自身が大の音韻法則に則って抽出した単語は約300語あります。
その一部は、去年ここに書き込みました。
もっとも、解像度は大野形成には及びません。なぜなら大野氏は万葉集より
500年以上古いサンガム(シャンガム)の歌集の中の単語や碑文の単語の
用法と日本語の単語の用法を照らし合わせて、かつタミル人のタミル言語学者
の見解をも参照して篩いに掛けていますが、私の場合、蒙古語とかネパール語、
ネワール語、あるいは南方語を支持する研究者同様、単語の音韻と意味だけを
比較しているからです。
ただ、それら研究者の対応語と称するものより私のほうが解像度が高いと
自負できるのは、私はサンガムなどから抽出された単語9万〜13万語を収録する
タミル・レキシコンを参照しているからです。
蒙古語とか南方語は現代語から再構形を作って、それを日本語と比較するわけですが、
問題なのは、再構形が学者によって異なっている場合があるということ、
つまり再構築する過程で、研究者の主観が入っている事実、さらには再構形は
あくまでも科学的手続きを踏んでいるとはいえ、想像に過ぎないという事実、
そしてより問題なのは、それらの単語は、ほぼすべて一語一意であるという致命的な
事実の存在です。
タミル・レキシコンの場合、ひとつの単語に多い場合では20以上の意味を連ねて
いる場合があります。
その結果、日本語との間で、以下のような比較をすることが出来ます。
広辞苑は「のり」に法令・方法・教化・仏法・里程・斜面の意味があるとする。
タミル語neriと日本語noriは、音韻・意味のすべてが一致する。例は広辞苑より。
(ただし広辞苑は「のり」を「宣る」の連用形とする。)
タ neri rule(規則), principle(原理);
日 nori 規則。法令。法度。例・・・「ノリを越える」。e/a交替。a/o交替。
タ neri method(方法); means(方法);
日 nori 方法。「そのマジナイやむる法(ノリ)を定む」(神代紀)。
タ neri precept(教訓),path of virtue(徳の道);
日 nori 教化。例・・・「わが風(ノリ)を万国に光(てら)すこと」(継体紀)。
タ neri religion(宗旨);
日 nori 仏法、仏の教え。例・・・「仏にあひ奉りてノリを聞くべし」(宇津保物語)。
タ neri pace, as of a horse(<たとえば馬のごとき>歩);
日 nori 里程。例・・・「道のノリ5里なり」(日葡辞典)。道の「歩」5里ということ。
タ neri bend(斜面);
日 nori 斜面。
この一語だけでも、偶然とするにはかなり無理がありますが、このような意味対応が、
さまざまな単語であるわけです。
ここまで一致している事実に目をつぶり、あえてその上位にX語を仮定するというのは、
思考経済に悖り、あまり意味のあることとはいえません。
そして、このような一致がある事実は、日本はまずインダス文明の末裔からの影響を
受けた、と考えることに、些かの合理性を与えます。簡単に言えば、以上のような
ことです。
2003/01/19 00:48
>>No. 470
以下もその一例です。
●タ pur-i to bring forth(生む・実を結ぶ), produce(生ずる);
○日 fur-u 波が立つ。(風が)起こる。
●タ pur-i to give(与える);
○日 fur-u 振り当てる。(漢字に仮名を)振る。振り替える。
●タ pur-i to experience(経験する), suffer(〈苦痛 不快な事を〉経験する);
○日 fur-u 関する。物事に出会う。
●タ pur-i to say(言う), tell(告げる);
○日 fur-e お触れ。広く人々に知らせること。芝居の町回り。相撲の呼び出し奴。
布令は当て字。
○日 fur-u 言いふらす。広く知らせる。
●タ pur-i to do(する), make(なす); to exercise(動かす), perform(演技する);
○日 fur-i 振り(知らない振りをするの「振り」)。舞踊の仕草。振る舞い。動作。
●タ pur-i to accept(受ける);
○日 fur-eru 「目に触れる」「怒りに触れる」の「触れる」。
●タ pur-i to be twisted(捻る); to curl(ねじ曲げる);
○日 fur-i ゆがみ。ずれ。
●タ pur-i to shake(振り動かす);
○日 fur-u 振る。振り動かす。
●タ ver-i 1. to intoxicated(酔う);
2. to become mad(狂う);
3. to be frenzied(熱狂する);
○日 fur-u 狂(ふ)る。狂う。*var-i>ver-iのvariがa/o/u交替。
○日 fur-eru 気が狂(ふ)れる。
●タ pel to desire(強く望む); to love(惚れる);
●タ vel to marry(結婚する); to desire(強く望む); to love(惚れる);
○日 for-u v 欲(ほ)る。願い望む。惚(ほ)る。夢中になる。タミル語内部でp-/v-交替事例。
●タ poy throw down(投げ捨てる)。
○日 poi ぽい(する)。
●タ par-i 1. to pluck(引き抜く), crop(刈り入れる),
pick off with a twist(捻ってもぎ取る);
2. to weed, eradicate(根こそぎにする);
3. to take by force(力ずくで取る); to usurp(強奪する),plunder(略奪する);
4. to dig(掘る), excavate(堀り抜く); 5. to unload(荷を下ろす);
6. to destroy(滅ぼす); 7. to abandon(捨て去る); to dismiss(捨てる);
●タ poll-u 1. to bore(くりぬく), make a hole(穴を開ける);
2. to hew, chisel(彫る); 1. to blister(水ぶくれになる。火ぶくれになる);
to swell(膨れる); 2. to be rent or torn(引き裂くあるいは傷を付ける);
○日 far-u 墾(は)る。雑草を抜いて開墾する。
○日 for-u 放(ほ)る。うち捨てる。広辞苑は「ハフル」の転とするが、
これは-a-の長音faaru(ファール)のaaに-f-が介音してfafaru>fafuruと
なったものであろう。このことは、以下の「屠る」がタミル語pariと対応する
ことからも分かる。
○日 faf-uru 屠(はふ)る。敵を破る。これはto destroyで、paaru>fafuruと
なったものであろう。
○日 fof-uru 屠(ほふ)る。敵を破る。
○日 for-u 掘る。彫る。刻む。入れ墨をする。これはpollu由来とするのが穏当。
2003/01/19 01:15
>>No. 467
このトピでも取り上げられていたモンゴロイドの地球でHLAハプロタイプについて読みました。
確かにHLAハプロタイプが共通するもの同士は(HLA遺伝子に関しては)共通の祖を持つとされることは理解できました。
またそこから日本民族形成時に主流を占めた集団として北方から南下したB52−DR2を多く持つ集団を想定するというシナリオも理解できます。
その集団を倭人と呼べるかどうかはわかりませんが(自分としては弥生人と呼びたい気がしますが)、その説は一定の説得力をもった説であるということは認めざるを得ないと思います。
ただ、HLAハプロタイプに関しては自分は、集団の歴史を探るための数ある手段の一つであって、それだけで判断するのは難しいのではないかと感じます。
HLAハプロタイプと同様の意義をもつものとしてはmtDNAの塩基配列があるでしょうし、血漿蛋白の遺伝的多型をできるだけ多数集めて分析することはそれぞれが独立したものであるだけにかなり意義がある情報ではないかと言う印象を受けます。
頭骨の形態については確かに環境によって変化するものではありますが、そうまで容易に変化するものではなく、比較にはまったく使えないとまではいえないのではないでしょうか。
またモンゴル人と日本人の違いは単に短頭、中頭というだけではなくその大きさや、その他の特徴も含めた総合的なもののようで、ロシアの人類学においてはモンゴル、カザフ等のトルコ民族をまとめて外見的特徴から内陸アジア型モンゴロイドとして他と分けているようです。
2003/01/19 01:16
>>No. 467
弥生時代初期に日本に渡来して政治的、言語的に主流を占めた集団の特徴として、確かにHLA−B52−DR2はその日本国内における地理的分布からありえることだと思います。
ただ、それ以外にも血液型A型やB型肝炎ウイルスサブタイプなどはその頻度の分布が典型的に西高東低の分布を示しますからこれは弥生人の特徴ではないかと考えています。
また、前にも述べましたが、弥生人の頭蓋骨の研究からは中国の西周末の時代の黄河〜長江から非常によく似た人骨が出土しています。
これは東シナ海沿岸部だけではなく、青海省でも同様のものが出土しており、さらには沿岸部より内陸のほうがより弥生人によく似た人骨の出現率が高いとの報告があるようです。
血液型、B型肝炎ウイルスなどは参考情報にすぎませんが、その分布もやはり朝鮮半島、中国北部、チベットにかけての地域を示しているように思われ、総合してみると北のほうよりは中国華北のほうにメインのルーツがあるように思います。
ただ、弥生人が中国から日本にくる際に、朝鮮半島を経由し、そこで北方から南下してきた集団と交じり合った可能性はあるかもしれません。
しかし、個人的には、北方からやってきた集団は弥生時代初期ではなく、古墳時代から奈良時代にかけてきた渡来人として瀬戸内、近畿地方に主に入ってきたのではないかと思っています。
それは、西高東低を示す形質の他に、近畿地方を中心として同心円状に分布する形質があるからで、その形質は北方の内陸アジア、あるいはバイカル型とされる集団の形質に近いように思われるからです。
具体的には短頭、新モンゴロイドの特徴とされる耳たぶ、一重まぶた、指紋などの形質です。
これは、紀元後、朝鮮半島で扶余族が南下し、百済、高句麗などの国家を形成し、そこで扶余族の形質を相当数混血した集団が形成され、そこから近畿地方を中心に渡来が起こったためだろうと推測しています。
ですから弥生初期に成立したであろう原日本語の形成にはこの北方系集団は関わっておらず、近畿地方の方言形成に大きな影響を与えたことによりその後の日本語にも影響を与えるという形ならありえるのではないかと考えています。
2003/01/19 02:27
>>No. 473実は遼河流域に後漢書烏丸鮮卑東夷伝で「倭人国」があったことが記されています(このトピの前の方に書き込んでいます)。後漢の光和年間(AD178〜184)鮮卑の檀石カイ(木鬼)は、鮮卑の部衆が増加したため牧畜・狩猟による食糧補給が困難となったため烏侯秦水(遼河支流老・合八・河)の魚を食糧とするため、倭人が網猟に巧みだと聞いて倭人国を撃ち、千余家を得て秦水のほとりに住まわせ魚をとらせて食糧を補給したという記事があります。また三国史記高句麗本紀に、高句麗の太祖大王の80年(AD132,ただし年代については問題あり)秋7月王(名は宮)は「倭山」で田猟をしたという記事があります。鮮卑、烏丸はそれぞれ鮮卑山、烏丸山に拠ったため種族名が興ったとの記事が後漢書にあり、倭山も同様な名称とすると、倭の本拠地〜中心地が鴨緑江の北方と思われるこの倭山に一時期あったことは確かです。間違いなく遼河流域から南満州にかけて倭人は居住していたのです。あと有名な燕(周に封建された戦国七雄の燕です)に属した倭(蓋国の南にあり)の記事が王充の「論衡」に引用された山海経に記載されており、これらの記事のいずれも「倭」が朝鮮半島の北部より更に北に居住していたことを示しており、後漢書は「倭」「倭人」を日本列島と遼河流域の2ヶ所に認めていることになります。この「倭人」がHLA−B52−DR2ハプロタイプの所有者だったというのが私の仮説であり、これに三国史記のいわゆる高句麗地名から再構される「高句麗語」なるものの内、日本語に類似した言葉(三、七、十、谷など)は実は高句麗語ではなく倭人が居住していた頃に残した地名を高句麗が受け継いだだけで、日本語そのものだというのがこのトピ内で以前私が主張したことなのです。従って倭人は当然日本語祖語を列島居住前から話し、倭人の列島移住に伴って日本列島が「倭」と呼ばれるようになったと言いたいのですが。
2003/01/19 03:47
>>No. 1じゃ、お聞きしますが、食べる、食う、風呂、やる、乗る、する、寝る、夢、起きる、あくび、朝、ションベン、歯磨き、飯ってのもみんなタミル語? (笑)
2003/01/19 10:50
>>No. 474
正直言いまして自分は古文書についてもまったくの門外漢です。ただ、後漢書に関しては自分の手持ちの文献にも記載があります。(佃収氏の文献で、文献の主張自体は正統派の主張とはいえないのかもしれませんが)
それによると後漢書には確かに壇石槐が倭人に魚を取らせたという記述があります。
しかし、ほとんど同じ話が三国志鮮卑伝にもあり、その中では倭人ではなく汗人とされているのです。
そして、後漢書の作者である范曄は時期的に三国志をみて執筆した可能性があること、さらに自分の解釈に応じて原文を置き換える傾向がしばしばあるということから、後漢所の倭人という記述は范曄が魚をとるという記述から連想して書き換えを行ったのではないかと指摘しています。
さらに、その文献にはたしかに山海経に倭の記述があること、さらに水経注には大凌河の上流である白狼水に倭城があるとの記述があるとも指摘されており、かつて渤海湾周囲で倭族が活動していたのではないかと考察されています。
ただ一方で、論衡には越と並んで倭人の記述があること、魏略には倭人は呉の末裔であり南方の風俗を行っているとの記述があることから、長江下流域にも倭があったのではないかと指摘しています。
このため、この文献では倭は長江下流域から北上して渤海湾経由で朝鮮半島を南下し、日本にきたのではないかと推察しています。
これであればイネの北周りルートとよばれるものに合致します。
これらの情報をHLAと結びつけて北方から南下した倭人が渤海湾周囲を経て日本列島に渡来したと推理することも可能ではあると思います。
ただ、古文書を参考にするのであれば倭人が南方の特徴を持つとする情報も無視するわけには行かないのではないかという疑問が湧きます。
自分としては古文書の記録も、考古学、人類学的情報もともに車の両輪のように重要なものだとは思いますが、どちらかというと考古学、人類学的情報のほうがより客観的ではないかと考えています。
2003/01/19 12:16
>>No. 476細かいことでもうしわけありません。井上秀雄氏は、汗と倭は通字だと言われていますが。
2003/01/19 12:58
>>No. 470
joudaishogakuさんのホームページを拝見しました。
数百の単語に対応が見られること、助詞、助動詞など文法に関わる単語にも対応(一致ですか?)がみられ、さらに文法的にも膠着語であることなどたくさんの証拠を積み上げておられることは理解しました。
ただ、これらの証拠を重く受け止めるべき、というご意見についてですが、素人目からみると、一つ一つについてみれば偶然の一致などの可能性が否定できないものを、たくさん積み上げたからというだけでは決定的な証拠とはなり得ないのではないかという疑問を感じます。
比較言語学のなかで、関連性を証明する際に、この客観性という問題をどのように担保しているのかが知りたいところです。
印欧語族の比較では数詞対応は不可欠、というところなどがその一つでしょうか。
客観性という点から考えると、単に2つの言語を比較するだけではなく、候補となる言語の中からできるだけ多くの言語を同時に比較する、文法の一致、基本となる語彙の一致をその数でなく割合で評価する、偶然の一致を超えたものかどうかを統計学的に検定する、などの手法があってもいいのではないかという気がします。
2003/01/19 13:00
>>No. 477ありがとうございます。そうだとすれば後漢書と三国志の間に矛盾はないということですね。
2003/01/19 14:04
>>No. 470
>ここまで一致している事実に目をつぶり、あえてその上位にX語を仮定するというのは、思考経済に悖り、あまり意味のあることとはいえません。
>そして、このような一致がある事実は、日本はまずインダス文明の末裔からの影響を受けた、と考えることに、些かの合理性を与えます。簡単に言えば、以上のようなことです。
「ここまで一致している事実に目をつぶり」なんてこちらがかいてもないことにあてつけをいうのはjoudaishogakuさんがインド人来朝説をタミル説と一蓮托生のところにまでもちあげているからでしょ。自分で引用しているじゃないですか。
>>日本語にタミル語と共通する要素がふくまれているとしても、インド人との交流をもちだす必要はまったくないとおもいました。
インド人来朝説を否定してみせたのであって、タミル説を否定したおぼえはない。それなのにタミル説が否定されたと思い込んじゃうわけよ。
仮におっしゃるような一致を認めるとしても言語の問題にすぎないから、たとえをあげれば、インド人がギリシアに来なくったってサンスクリットとコイネーとの間にある程度の一致はみられるわけです。
にもかかわらずX語の想定が「思考経済に悖り、あまり意味のあることとはいえません」とまでいいきるんだから「些かの合理性」というやつが直接伝播の相当高い蓋然性を示すものだと言語として証明できないとだめでしょう。
アフリカのフランス系クレオールを調査して、地理的に近いスペイン語の介在を認めることが思考経済に悖る、直接フランス人が来なきゃいけないという程度の蓋然性が、日タ相互間に言語的に存在しているのかということよ。
そこまではいかないのなら、インド人来朝説をタミル説ときりはなして、言語以外で証明するのが思考経済的だし誤解を招くこともないとかんがえます。
>そう思われる理由がよく分かりません。
わかりましたか?
2003/01/19 22:29
>>No. 475
食べる、食うは「たぶ。くふ。」、風呂、やる、する、起きるは「おく」、朝、メシなどは、
厳密な対応がタミル語と日本語の間で見出されます。
「寝る」に関しては、日本語辞書においても混乱しており、難しいところですが、とりあえず
候補を出してみました。これらは今後、他の用語と照合して検討する必要があります。
「夢」も同様ですが、造語法からみて、ほぼ妥当すると思われます。
「あくび」「乗る」は今のところ見出されません。元来、rideという意味ではなかった可能性が
あるのは、日本語辞書の記述からも伺われます。したがってよく探せば見つかると思います。
ションベンに該当するヤマト言葉、オシッコと「ゆばり」は
対応します。「歯」は対応しますが、「磨き」に関しては「実・掻き」説なおがあり、これも今後の
問題です。一応載せましたが、なお検討が必要です。
タ tuvv-u to eat(食べる);enjoy(楽しむ);
日 tab-u 食(た)ぶ。u/o交替。o/a交替。
タ cuv-ai 1. to taste(味わう); 2. to eat(食べる), chew(噛む), suck(吸う);
3. to kiss(キスする); 4.enjoy(楽しむ);
日 suf-u 吸ふ。口吸ひ(kiss)する。
日 kuf-u 食ふ。kuv->cuv-の古形kuv->kuf-交替。
日 kam-u 噛(か)む。u/o/a交替。f/m交替。
日 ham-u 食(は)む。k/kh/h交替。
tuvvuとcuvaiは「食べる」と「楽しむ」という意味で重なっているので、同源かもしれません。
タ kul-i 1. bath(風呂・入浴), ablution(沐浴);
2. diving, as for pearls(真珠を取るときのように潜水すること);
日 hur-o 風呂。原義は「入浴」であろう。広辞苑は「室(むろ)の転か、一説に
『風炉』からともいう」とある。
タミル語からすると、入浴>風呂>風炉といった意味変化があった
ことになる。k/kh/h交替。
タ err-u 1. to strike(殴る), cuff(平手で打つ); 2. to kick(蹴る); 3. to butt(頭で突く), as an elephant;
to dash against(打ち砕く), as the waves of the sea;
4. to throw out(投げ出す), as water from a vessel;
5. to cut(切る), cleave(裂く), rend(引き裂く);
6. to pierce(突き通す), stab(刺す); 7. to kill(殺す);
8. to cast away(投げ捨てる), get rid of(取り除く);
9. to snap(パチンと鳴らす), as a carpenter's line for marking a board;
10. to raise(持ち上げる);
日 yar-u 破(や)る。裂く。殺(や)る。「遣る」はこちらから向こうへ送り込む意味ゆえ、
to throw out,to pieceなどの意味から列島内で派生したものと
思われる。遣る(派遣する)、投げ遣り、思い遣り、遣り甲斐、遣り通す。
学研漢和の「遣」の解字によれば、「人や物の一部をさいておくりやること」。
タミル語独特のe/ya交替。
日 yar-i 槍。stab(刺す)ものである。
2003/01/19 22:43
>>No. 481
タ ce to sleep(眠る); to obtain(得<う>);南部タミル語ではc-がしばしば脱落する。
したがって、ce>eとなり、eはiと交替し、iはuと交替する。
日 i 寝(い)。
タ an-ai to lie down(寝る);to be extinguished(消える);to copulate with(性交する);
日 in-u 寝(い)ぬ。去(い)ぬ。タミル語内でan->en-交替。列島内でen->in-交替。
(1)行く。行ってしまう。去る。「おのが行かまほしき所へ—・ぬ/竹取」
(2)時が過ぎ去る。「あはれ今年の秋も—・ぬめり/千載(雑上)」
(3)死ぬ。「うち嘆き妹が—・ぬれば/万葉 1809」
日 n-eru 寝る。i-の脱落。古語はn-u[寝(ぬ)]。
タ may-am 1. illusion(幻覚), false appearance(偽の現れ); 2. deception(惑わし);
3. hypocrisy(偽善);4. falseness(虚偽), treachery(裏切り);
5. spiritual ignorance; 6. dream(夢);
タ may-ai primordial matter; illusion(幻覚), unreality(非現実); unreal or illusory image; phantom(幻), apparition(幽霊); sorcery(魔術),
witchcraft(妖術), magic(魔法); deception(惑わし), fraud(欺瞞), trick(たくらみ);
日 may-akasu まやかす。
日 i-me 夢(いめ>ゆめ)[睡眠中に持つ幻覚]。
寝(い)・目(め)が語源だとされる。ドラヴィダ諸語の内、タミル語のみが-a-/-e-交替する。紀元前に生じた現象らしい。mayamはしかし古形を保つが、列島内では-e-に転じている。反面、列島ではタミル語が-a-/-e-交替しても、古形-a-を保つ場合が多い。「まやかす」は古形のまま列島でも用いられている。
タミル語の観点で見ると、i-meは「寝・目(め)」ではなく「寝・幻覚」、すなわち「睡眠時幻覚」ということになり、広辞苑の定義はその範囲で正しいことになる。
「乗る」は未発見。
2003/01/19 22:44
>>No. 482
「する」は古語で「為(す)」ゆえ、以下が対応する。
タ c-ey to do(する);
日 s-u 為(す)。
タ vay 1. mouth(口); beak of birds(くちばし); 2. mouth, as of cup, bag, etc.
(カップ、バッグなどの口);3. mouthful(一口); 4. lip(唇); 5. edge(刃), rim(縁);
6. edge, as of a knife(ナイフなどのカド);7. word(言葉); 8. speech(話すこと),
utterance(発言); 9. voic(声), tone(音色); 10.truth(真実);
11.excellence(秀でていること);12.that which is excellence(秀でているもの);
13. opening(あいている状態のもの); gate(門); 14. way(道), path(小道);
15. means(方法); 16. agency(仲介), instrumentality(媒介); 17. place(場);
18. scar(傷); 19. hole(穴); orifice(開口部); 20. flute(横笛);
21.petal(花びら)[大野「形成」498頁による];
日 ho 穂(ほ)・花(ほ)[puのflowerに対応。朝顔の穂には咲き出ぬ(朝顔の花のように人目につく振 る舞いはせず)(万葉集2275)など]。u/o交替。puの動詞形pu-ttalにto produce, as flower という意味があるので、puは「生じたもの」という意味か。
日 ho 火(ほ)[puのsparkに対応。のちho>hiとなる]。
日 ho 秀(ほ)[vayのexcellenceに対応]。
日 ho 富(ほ)[「百千足る家庭(やには)も見ゆ国の富(ほ)も見ゆ」(古事記応神)にあるように、
この「ほ」はvayのexcellenceではなく、puのrichnessに対応すると思われる]。
日 ho 本(ほ)[突き出ているものという意味で、「保」「穂」とも書く。vayには「突き出でている
物」の意味があり、具体的にはmouthやedgeという意味などに特定されている。
「火の保」(万葉集326)は「火(pu)のカド(vay)」であり、「炎」となった。
「本(ほ)つ枝は天を覆いけり」(古事記雄略)は「突き出た枝」の意である]。
日 ko 粉(こ)[puのfine powder、fine dustに対応。「こな」「はな」系はcunn-、
「こ」「ほ」系はpuと言いうるか・・・]。 k/h交替。
日 ha 葉(は)[u/a交替例はない。pu>ho。列島内でho>haと思われる。大野「形成」は
vayのpetalからか、とするが、puにleafの意味があり対応すると思われる]。
日 ha 端(は)[vayのedge,rimに対応。「やまのは」など]。
日 ha 刃(は)[vayのedgeに対応]。なお、「歯」はタミル語palに対応する]。
日 ba 場(ば)[vayのplaceに対応。広辞苑は「庭(には)の転とするが、誤りと思われる。
日 ma 間(ま)[vayのopeningに対応。あいだの空間。あいだの時間。
p/f/h/m/b相通。
「話のま」「家の一仕切り(例:茶の間)。「つかの間」など] 。
部屋数を数える語「一ま、二ま」などはvayのplace(場)の音転か。
日 ma-nuke 間抜け[vayのexcellenceが抜けていることか]。
「磨く」は一般に「実・掻く」あるいは「身・掻く」だとされています。確かに垢を掻き落せば
奇麗になります。
タ may-am nature(本質), quality(質), property(特質); substance(中身・実質);
日 mi 身。実。タミル語内部でmay>mey交替。列島内でme>mi交替。
タ mey body, used euphemistically(湾曲表現としての「体」);
日 mi 身。この意味での「身」は古語のみにある。
タ k-ay 1. to burn(焼き焦がす), consume(焼き尽くす); 2. t
o kill, destroy;
3. to remove(取り除く),
do away with(取り去る), lay aside(一時的に傍らに置く);
日 k-aku 欠く。掻く。 雪を掻く、寝首を掻く、氷を掻くなどはto removeから。汗をかく、 恥をかくなどの「かく」は、「取り去る」の意味。「汗をかく」ことは
「汗が体から抜けること」、「恥をかく」は、「恥というガードが欠けて晒される
こと」。
以上から、mi・kakuと複合語を作れなくもありませんが、疑問も拭えません。
2003/01/19 22:47
>>No. 483
タ okk-u 1. to raise(起こす), lift up(持ち上げる);
2. to cause(引き起こす), to rise(立ち上がる);
3. to set apart(取り除ける); 4. to give(与える), bestow(授ける);
5. to throw(投げ与える); 6. to make(作る), produce(作り出す);
日 ok-u 起(お)く。[?目を覚ましている。?身を起こす。?寝床から出る。?生ずる。
?熾く(炭火の勢いが強くなる)。]
タ uc-al dawn(夜明け);
タ uz-ai dawn(夜明け);
タ uz-am dawn(夜明け);
韓 ac-am 朝。[金記紀万葉p79]
タ ut-ai dawn(夜明け);
日 as-a 朝(あさ)。u/o/a交替。
日 as-u 明日(あす)。
小便は漢語です。オシッコはタミル語には見当たりませんが、タミル語と昔分離したマラヤム語
には以下のような言葉があります。これはタミル語attuと同語源です。
タ attu (atti-) 膿のように出す、蜂蜜のように流れる(to be discharged as pus, flow as honey)
Ma. attuk-a 注ぐ(Kaut.)、(尿を)放出する(to pour, (Kaut.) discharge(urine);
日 osikk-o おしっこ。
大和言葉としては、「ゆばり」「いまり」「ゆまり」です。
タ amari urine(尿);
タ amuri urine(尿);
タ avari urine(尿);
タ uvari urine(尿);
日 yubari 尿(ゆばり)。a-の前のy-の脱落。
タ pic-i boiled rice;
日 mes-i 飯。
2003/01/22 12:53
>>No. 484
ヤマト数詞がタミル数詞隠語である可能性
先代旧事本紀に「布瑠の言」が出てくる。天神の祖先神が、天孫降臨の際に授けた
死者蘇生の呪文である。
「ひふみよいむなやこと ふるべ ゆらゆらとふるべ」
十種類の神の宝を表す(十種の神宝 とくさのかむだから)。
十種の神宝: ?沖津鏡、?辺津鏡、?八握剣(やつかのつるぎ)、?生玉(いくたま)、
?死反玉(まかるがえしのたま)、?足玉(たるたま)、?道返玉(ちがえしのたま)、
?蛇の比礼(おろちのひれ)、?蜂の比礼、?品物の比礼(くさぐさもののひれ)。
品(single article一品) 比礼 vit-i
死(death) 玉 pautti>fut-a
蛇(snake巳) 比礼 mi
辺(shore) 鏡 cey-am>ey
生(life) 玉 ucir>itu
沖(sea海) 鏡 munn-ir
足(abundantly) 玉 nani
八(eight) 剣 e-ttu>ya
蜂 (bee) 比礼 kukul-a
道(way, path, road) 玉 tar-i
偶然かどうか、十種の神宝は日本語数詞と対応する。十種の神宝は、数詞と類似音を持つ
品物に置き換えた可能性がある。
したがって、日本語数詞はタミル数詞隠語かもしれない。
TAMIL LEXICONには、以下のような数詞隠語が掲載されている。
タ vit-u a cant term signifying one(一を意味する隠語);
日 fit-o 一(ひと)。
タ vit-i odd item(一対の片方のもの), not one of a set(一組の一方でないもの);
single article(単品);
タ vin-ai a cant term signifying two
日 fut-a 二(ふた)。巻き舌音のnはnd/dで対応。vindai>funda>futa。
タ pattu a cant term meaning four(4)
日 yo・ttu pattu>wottu>yottu
以下は5(itu)の可能性。
タ it-u equal;
タ it-u turn(折り返し);
タ ettu 1. the number eight;
ettuは日本語「ヤッツ」に対応する。
2003/01/22 17:21
>>No. 484
息と風は諸国語で、しばしば同一視される。
日本語では「息(いき)」は「息(おき)」
とも言われた。この「いき」と「おき」という言い方はタミル語でも同様である。
●タ vik-am 1. wind; 2. bird;
○日 ik-i 息(いき)。
●タ vak-am 1. wind; 2. path; 3. horse; 4. vehicle;
○日 ok-i 息(おき)。
以上から、タミル語でも、windは「風」でもあり「息」でもあったと思われる。
そうすると、以下の単語が「あくび」の
候補になりうる。
●タ makav-atam tempestuous wind(激しく吹き荒れる風);
○日 akuv-i 欠伸(あくび)。makav->wakub->akub-i交替。
○日 okub-i 噫(おくび)。ゲップ。
なお、クシャミは以下であろう。
●タ kutam sneeze(くしゃみ);
○日 kusam-e くさめ。
○日 kusham-i くしゃみ。
2003/01/23 01:07
>>No. 468
>…、もしタミル人が直接稲作技術を携えてきたのであれば日本には温帯ジャポニカ以外の品種が伝わった筈ですが、そうではありません。
※その説はご自分の物ですか?。
私は、静岡大学の佐藤教授が『熱帯ジャポニカ』が無かったら、秋田、青森まで稲作があの短期間に北上しなかった、(概略の聞きかじり)と述べられたと記憶していますが…。
2003/01/24 09:55
>>No. 486
○日 us-o 嘘(うそ)。
●タ ut-an fib(些細な嘘),lie(ふざけていう嘘);
●タ ettuval-i cheat(偽り);
○日 ituwar-i 偽り。
●タ tap-ay 1. to deceive(騙す); 2. to ridicule(笑いものにする), mock at(あざける);
○日 dam-asu 騙(だま)す。k-/c-交替。tap-a>tam-a>dam-a交替。
●タ ay-am doubt(疑惑);
●タ ay-ir doubt(疑惑), suspicion(疑い);
○日 ay-amu 怪む。
○日 ay-asi 怪し。
●タ acagk-ai 1. doubt(疑惑), suspicion(容疑); 2. objection;
○日 utag-afi 疑ひ。a/o/u交替。-c-/-t-交替。
○日 utag-afu 疑ふ。
○日 utag-uri 疑り。
○日 utag-uru 疑る。
というレベルを既に超しているように思われます。
2003/01/27 08:44
>>No. 487
弥生時代に始まった水稲稲作が温帯ジャポニカであるというのは広く知られた一般的な説ではないかと思います。
佐藤教授の件ですが、確かに弥生時代のはるか前の縄文時代に陸稲である熱帯ジャポニカが西日本を中心に伝わったと言われています。
ただ、NHK日本人はるかな旅でも放送されましたが、それによると縄文稲作の起源は6000年前までさかのぼれること、また縄文稲作といえば南西諸島を通じて伝わったという南方ルートが有名でしたが、NHK番組の中では中国江南から伝わったという説が紹介されていました。
佐藤教授の説とは、もともと南方のものである稲作が東北まで広がることができたのは、熱帯と温帯ジャポニカの混合米として栽培された早稲が収穫が早いという特徴があったため、というものです。
自分個人としては、この熱帯ジャポニカは、東南アジア方面からタミル人によってもたらされた可能性は時期的にも熱帯ジャポニカの渡来ルーツとされる地域を見ても違うのではないかと考えます。
以上の説とはやや矛盾するところがありますが、稲作のルーツについてのページがありましたので紹介しておきます。
http://www.sagatokimeki.ne.jp/yosino/
2003/01/27 10:23
>>No. 489
タミル人が稲作技術を列島にもたらしたということと、彼らが稲も持ってきたかどうかという問題は無関係です。
列島に既に稲があれば、彼らはそれに灌漑などの稲作技術を活用するでしょう。
ですから列島の稲が温帯ジャポニカであろうが熱帯ジャポニカであろうが、それとタミル人の稲作技術の
列島流入の事実とはまったく無関係なのです。
2003/02/04 08:44
>>No. 490
魏志記載の邪馬台国の官を試みにタミル語で解くと以下のようになる。
●タ atip-an lord,ruler(統治者);
○日 isim-a イシマ。atipa>etipa>isima交替。卑弥呼の男弟。
●タ makac-enan commander of a large force;
○日 makat-i 彌馬獲支の「馬獲支」。御・マカチ。大規模な軍隊の司令官。
●タ mantir-i king's counsellor(枢密顧問), minister(大臣);
one who foretells future events(未来の出来事を予言する人);
commander of an army(軍隊指揮官);
○日 matir-o 彌馬升の「馬升」。御・マチロ。matiro>masyo。
卑弥呼の下にrulerがいる。首長という意味に取ると、卑弥呼は祭祀権者ということで
いいコンビとなる。
次に大規模軍事司令官、今風に言えば将軍。次に大臣。
2003/02/15 00:20
>>No. 491
http://websearch.yahoo.co.jp/bin/query?p=%b0%c2%cb%dc%c8%fe%c5%b5%a1%a1%c6%fc%cb
%dc%b8%ec&hc=0&hs=0
http://www.jbook.co.jp/product.asp?PRODUCT=669440
http://izayohi.hp.infoseek.co.jp/nihongokigen.html
どうもこの人の説のが説得性があるように感じられます。
2003/02/16 22:58
>>No. 492
joudaishogaku さんへのご意見かもしれませんが、横槍。
》どうもこの人の説のが説得性があるように感じられます。
私はぜーんぜん説得力ナシと思っています。とりあえず、どこに説得力を感じたか、お書きいただけますか。
2003/02/17 23:18
>>No. 493
ただ投稿しただけみたいだから、突込みをいれてもどうかな。
タミルもそうだけど、音が似ているとかコンピュータで解析とか、安本説は前振がちょっとネ。
古モンゴロイドが住んでいた日本に新モンゴロイドが来てクレオールが起こった。
このアイデアをどう証明するかが課題なんでしょうけど上手くいっていないのが現状。
通りすがりで言いたい放題。ごめん。
2003/02/18 18:33
>>No. 494結局、どうなんだ。(笑)
2003/02/19 13:41
>>No. 1
NHKによると氷河時代インドネシア付近にスンダランドという大陸があって地球温暖化により海に沈み、
スンダランドに住んでいた人が海にでて日本にやって来たそうです。
海流を考えるとマラッカ海峡、ベンガル湾など西に向かって流れています。
スンダランド人は日本だけではなく、インドの方にも行ったと考えられますからタミル語と日本語に共通性があっても
何の不思議もないでしょう。
2003/02/19 16:27
>>No. 493
唐突に投稿させていただきます。
安本氏の方法論はとかく定性的な議論になりがちな日本語系統論に定量的な視点を持ち込むもので、人類学の形態論と遺伝子光学による方法と似ているように思います。
利点を上げると
1.分離年代が推定できる
2.言語間の距離を定量化できる。
しかもこの方法論をインド・ヨーロッパ語族に使用して比較言語学の成果と一致するという自己検証をしています。
基礎語彙の選定の仕方とか、比較の結果出たデータの解釈の仕方とかは議論があるかと思います。
しかし、日本語(本土方言、琉球方言)、アイヌ語、朝鮮語(韓国語)のような孤島語(孤立語)の周辺言語との関係を鳥瞰図的に見渡すには最適だと思っています。
安本氏の結果を見ると、系統論から足を洗うか絶望的(インド・ヨーロッパ語族の分析の方法論の射程外の分離年代が4〜5千年前)なほど困難な関係言語との音韻論的な近似性を証明する道を猛進するかが読んだ後に分かると思うので人生を無駄にしないためにもお勧めだと思います。
2003/02/19 16:34
>>No. 497
申し訳ありません、
「安本氏の方法論はとかく定性的な議論になりがちな日本語系統論に定量的な視点を持ち込むもので、人類学の形態論と遺伝子光学による方法と似ているように思います。」
は
「安本氏の方法論はとかく定性的な議論になりがちな日本語系統論に定量的な視点を持ち込むもので、人類学の形態論と遺伝子光学による方法との関係に似ているように思います。」
に訂正させていただきます。
2003/02/19 23:07
>>No. 498
遺伝子光学じゃなくて、遺伝子工学だよね。
いや、ずっとそう書いてあるんで、まさかと思って・・・。
2003/02/20 12:53
>>No. 497
安本美典は、情緒的な議論を廃して、数理言語学こそ科学であると主張しています。確かに、定量的な議論は望ましいものですが、これは量が正しく計測されていることが大前提であることは言うまでもありません。したがって、
》基礎語彙の選定の仕方とか、・・・は議論があるかと思います。
この議論がまずきちんと行われなければなりません。これを抜きに、正しい計量が行われているという結論を出すことはできません。つまり、「とかく定性的な議論になりがちな日本語系統論」「意味と形の似たことばを列挙することに終始」といった葵のご紋の印籠を安易に持ち出す姿勢は、よろしくない(sgnbynym さんのことではありません、安本先生のことです、誤解なきよう)。
そこで、基礎200語ですが、これに数が入っているのは間違いないでしょう。しかし、数が高度の文化語であることは現代日本語の「いち・に・さん」を見れば明らかです。1世代さかのぼった「ひ・ふ・み」が日本語に取り入れられた経緯はわからないのですから、これが祖語から伝えられたのか、例えば初期稲作文化とともに借用されたのか、不明です。不明なことは不明であると認識するのは、たいへん重要だと私は思います。
したがって、まず基礎200語自体を徹底的に論ずる必要があるでしょう。
》しかもこの方法論をインド・ヨーロッパ語族に使用して比較言語学の成果と一致するという自己検証をしています。
比較言語学自体が基礎200語に基づいているなら、それに多少の統計学的お化粧を施したからといって、自己検証になるのでしょうか。単なる堂々巡りではありませんか。
言語学は印欧語の研究のために構築された学問です。ここで確立された方法論が日本語を取り巻く環境に適用できるかどうかの議論も十分ではないと私は認識しています。私の意見は、「適用できない」です。
まずはこんなところから。
2003/02/20 14:45
>>No. 499
prezy0021さん、
ご指摘のように遺伝子光学ではなく遺伝子工学の間違いです。
今仕事で光学関係をやっているものですからFEPが勝手に「こうがく」を「光学」に変換したことに気づきませんでした。
2003/02/21 00:45
>>No. 501
》安本氏の統計的な方法なら自分でも直ぐにできそうなので惹かれているのだと思います。
これは、ちと安易ではありませんか。いろいろ批判はありましょうが、大野晋は言葉のプロフェッショナルであります。その大先生が「単語の意味の深いところで、日本語(古語)とタミル語に共通するものがある」と考えていることには、それなりの重みがあるでしょう。表面的な意味と発音の類似を以って「一致」と判定して統計処理をすることに、何ほどの科学性があるのか、というのが私の安本批判の根底にあります。
》基礎語彙の選定がより良くなることは、今まで望遠鏡のフォーカスが甘くボケた風景を見ていたのが焦点が合ったシャープで綺麗な映像をみるのかの違いになると理解しています。
私が、「基礎ん百語」を先見的に決めることは無意味だ、と主張していることをご理解いただいていませんね。基礎200語に「ひ・ふ・み・よ」が入っていることが正しいのか、という私の問題提起を、じっくりとお考えいただきたい。
》細部は間違いを犯す可能性がありますが、骨格となる分離年代が新しい言語間の関係には影響しないと思っています。
「基礎ん百語、表面的な意味と発音の類似、統計処理」に意味がないのだから、その結果である分離年代など、お遊びに過ぎない、と主張していることを、ご理解いただいていませんね。
》別の言い方をすると、インド・ヨーロッパ語族の比較言語学による系統図(ツリー図)が安本氏の比較年代学(語彙統計学)の方法で出したものと一致することで検証されていると思っています。
だから、これは印欧語の話でしょ。日本語にも同じ手法が適用できることの証明にはなりません。ギリシャ語とサンスクリットは極めてよく似ている。日本語と朝鮮語は、深いところで似ていると思われるが、不思議と共通する単語が少ない。日本語とアイヌ語は、似ているかどうかも定かではない。とても同列に論じられるとは思えません。
*****
sgnbynym さん、あなたは、例えばニューギニア高地人と呼ばれる人々の言葉が700ほどもあり、谷ひとつ隔てた集落で語族が異なると考えられるほど違う言葉を使っているという現実を、どう理解しておられますか。安本の手法の有効性を検証するなら、ニューギニア、オーストラリア、アメリカの諸言語にもこれを応用してみるのが手っ取り早いでしょう。
2003/02/21 20:07
>>No. 504
cyber_ekさん
>>基礎語彙を、比較する言語ごとに勝手に入れ替えたのでは
基本的に同じ認識です。
ただ、ベースとなる基礎語彙そのものはより残存率の高い語を選定し改良する必要もあると言いたいだけですので誤解させて申し訳ありません。
>>ニューギニア諸語...いくつかの語族が浮かび上がるかもしれません
そうだと思います。
あと、大三元さんに誘導されて安本氏の流入論の理解が深まった気がして書き込みをしましたのでもし宜しかったらご覧になってください。
「安本さんの考え方」
http://www.dai3gen.net/bbs2/wforum.cgi
2003/02/22 14:21
>>No. 500
以下は「邪馬台国の会」のHPから、上古日本語と諸言語の基礎語彙の一致数と偏差値(定義は知りません)の一部を抜き書きしたものです。
東京語______________155____26.7
首里語______________122____20.8
カンボジア語_________48_____3.6
ネパール語___________45_____3.1
朝鮮語_______________43_____3.3
インドネシア語_______42_____3.0
アヤタル語(台湾)___39_____2.7
北京語_______________37_____1.9
シンハラ語___________36_____1.7
英語_________________32_____1.6
アイヌ語_____________29_____1.2
タミル語_____________28_____0.8
(きれいな表をつくるのはどうするのかな)
上古日本語・東京語・首里語は、印欧語的意味で同じ語族に含まれるといわれて、なるほどそういうものですか、と言う気になります。しかし、これに朝鮮語とアイヌ語が加わるとなると、まあ学問というものは素人には理解できないのだなーと思うほかありません。どなたか、私にもわかるように解説してください。
2003/02/22 16:06
>>No. 506
>…どなたか、私にもわかるように…
※言語学<言語>のトピに「日朝両言語姉妹言語論」が在り、論じられていますよ。
私も、投稿中です。
2003/02/26 14:56
>>No. 1
マッド言語学者のマッド博士は、ある祖語を作成しました。
マッド博士はこの祖語は日本語と朝鮮語の共通の祖語であると断言し、それを日朝共通祖語と命名しています。
彼は、これまでの比較言語学で導き出された「音韻対応法則」の幾つかを拾って適当な回数適用してその日朝共通祖語から中期朝鮮語が導き出されることを証明しました。
別におなじように「音韻対応法則」の中から幾つかの規則を取り出してそれを複数回使って日朝共通祖語から上古日本語を導き出しました。
マッド博士は比較言語学が印欧語族の探求から帰納された法則のみを使って演繹しているだけだから証明はできたと主張しています。
みなさん、この証明は成り立つと思いますか?
2003/02/26 22:42
>>No. 509
>…、ある祖語を作成しました。
※古代人が使った祖語をどの様にしたら作成できるのでしょうか?。
因みに、私は音韻の法則を信用していません。何万語も死語化していて(使用の有無と文献上)少しの資料から、過去の膨大な言語が類推出来よう筈が無い、と認識します。
※具体的に、其の語彙を掲示して説明して戴きたいですね。さっぱり、呑み込めませんが…。頭悪いので…。よろしくお願いします。
2003/02/27 12:21
>>No. 496
最後の氷河期は1万8000年前がピークでマイナス100メートル以上、その後海面は急激に上昇し1万2000年前にはマイナス10メートルに達した。
タミル語は稲作・農耕文化と深いかかわりがある。
だから時代が合いません。
2003/02/27 14:33
>>No. 510
私は素人なので具体的な音韻対応則で考えているわけではないです。
音韻対応則は形態素間の変形則と思っておりますから、古文書や金石文の実証から切り離して音韻対応則を無際限に適用したら、マッド博士の主張も言えるかなということです。
その際系統説も仮定していますのである言語間の生成された祖語群での一致もありえ、共通祖語も見つかるかなと思っています。
言語カテの日朝両言語姉妹論トピにコピペしたところトピ主さんからお叱りを受けたので、言語カテに新たにパロディ言語学トピを新設しました。
よろしかったらご覧になってください。
2003/03/01 10:00
>>No. 511
長い間、縄文人は放浪狩猟民みたいに言われてきましたが三内丸山遺跡の発掘でも明らかなように半漁半農の生活をし、
定住もしていた事がわかって来ました。
稲作もされていたようです。
最近、東北南部や関東地方でも大規模な縄文定住遺跡が発掘されています。
タミル人が稲作を始めたのは何時でしょう。
スンダランドが海に沈んだ後、タミル人が海流に逆らって日本にやって来なければならない理由も判りません。
海流の力は偉大です。
順方向なら寝ている間にも目的地に向かって運んでくれますが、逆方向では寝ている間に進んだ方向の何倍も後退させてしまいます。
一人や二人何かの偶然でたどり着いたとしても列島の言語に影響を与えるほどの人数が来る事は物理的に無理です。
タミル語と日本語に何がしかの共通性があったとしたらスンダランドの沈没時の影響しか考えられません。
2003/03/01 18:22
>>No. 513
1万2千年前に、稲作文化を持ったスンダランド人が海進に追われて四散し、日本と南インドを新たな故国に選んだ。その後の、1万年の時間がもたらす変化を超えて、2つの言語は意味と音がよく似た単語を多く保存してきた。・・・
たいへん壮大なモデルですが、乗り越えなきゃいけない疑問がたくさんありそう。
スンダランド人は稲作をしていたか。
南インドの言語状況はこのモデルを支持するか。
日本と南インド以外の、朝鮮半島からベンガル湾辺りまで散らばったはずの同様の言語・文化で、残っているものが他にあるか、あるいはいかにして消えたか。
そもそも1万2千年前の時を越えて、ことばがその基本を変えずに残り得るものか。
等々。
2003/03/01 20:29
>>No. 514
他のトピにも書きましたが
http://www.online.net.pg/~pitomita/photo%20doki.html
の2列目、左から2番目と3列目、左から3番目をご覧下さい。
縄文土器と土偶が「1万2千年前の時を越えて」パプアニューギニアに存在するからです。
韓国にも縄文土器が発見されていて縄文時代にも韓半島との交流があった証と言われているようです。
2003/03/04 12:37
>>No. 515
》縄文土器と土偶が「1万2千年前の時を越えて」パプアニューギニアに存在するからです。
「時を越えて」とおっしゃるからには、この土器は現代のものですね。
一見縄文土器に似ている、では説得力がありません。技術の系統が一致しているというような、類縁関係を明示するものはありますか。
1万年以上前の土器がスンダランドから発見されていますか。
ニューギニアの土器文化はモンゴロイド系の人たちが、わずか3〜4千年前にもたらした、のではありませんか。
ニューギニアが起源の土地なら、中国〜東南アジア沿岸部からも日本と同程度に古い土器が出てきてもよさそうです。言語は滅びてしまう可能性がありますが、遺跡に埋もれた土器は少しは残るでしょう。
古い土器は日本とシベリアから出ています。日本とニューギニアの土器に明白な類縁関係があるなら、流れは日本→ニューギニアでしょう。
2003/03/04 18:14
>>No. 516
海流が日本からニューギニアへ流れているのなら私も縄文土器は日本発だと考えます。
> 「時を越えて」とおっしゃるからには、この土器は現代のものですね。
そうです。
パプアニューギニアの人々は最近まで一万年前とあまり変わらない生活をしていたのではないでしょうか。
> 一見縄文土器に似ている、では説得力がありません。技術の系統が一致しているというような、類縁関係を明示するものはありますか。
cyber_ekさんを納得させられるほどの材料は持っていません。
しかし土偶は偶然とは考えられないほど似ています。
>ニューギニアが起源の土地なら
起源はスンダランドです。
マレー半島、スマトラ、ジャワ島、ボルネオ島が全て陸続きになるような陸地があったようですよ。
このあたり海深が100m程度の海が広がっています。
東南アジアの遺跡の発掘は殆んど行われていないと思います。
日本が金を出して発掘を行わない限り当分無理でしょうが将来きっと見つかるのではないかと期待しています。
海流に乗ってニューギニアから日本に行くには一ヶ月もあれば到着するんじゃないかと思いますが逆では何年掛かるか。
縄文時代に命がけで日本からニューギニアに行く人がいたとは思えません。
同じようにインドからインドネシアまで行くのも海流を考えた時難しいのではないかと思います。
あえてインドと東アジアの交流を考えるならヒマラヤ越えの方が可能性があると思っています。
日本語とネパール語の関係を調べている人もいるようです。
2003/03/05 20:56
>>No. 517
》>ニューギニアが起源の土地なら
》起源はスンダランドです。
うっかりミスです。
土器の起源はスンダランドで、1万5千年前に日本に伝わり、2300年前まで使われた。
多分(距離的に近いから)それより少し前にニューギニアにも伝わり、こちらは現代まで使われていると考えられるが、考古学的研究は行われていないのでそれが証明できない。
中国やインドにも当然伝わったはずだが、これも考古学的研究は行われていないので、発見されていない。
うーむ。
原タミル=日本語を話し、稲作文化と土器を持っていた人々が1万5千年前にスンダランドに住んでいたんですよね。土器がニューギニアに伝わって現代まで残っているなら、このことばの系統を引くニューギニア語も残っていると想定できます。
いろいろな手がかりを想定できるから、本気で取り組む学者がいれば比較的簡単に立証できそうな仮説ですね(私が「学者」なら、この仮説は採用しないけど)。
2003/03/05 21:52
>>No. 518
スンダランド仮説は早くて20万年前、かなり甘くみても1万年前(ただしまともな研究者は支持せず)です。
言語は、1万年もたてば、ちょうどもの凄い美人が、もの凄く醜いお婆さんになっているように、比較すること自体無理です。もう、全く原形をとどめていません。お婆さんには失礼ですが・・・。
原タミル語というのは、ようするにドラヴィダ祖語ですが、ドラヴィダ祖語と日本語との対応は、相当の再構操作を駆使しても対応は困難です。(たとえばドラヴィダ語に属するカンナダ語ですら、日本語と類似はしますが、意味はかなり変化しています)。
むしろ、たいした復元をせずとも日本語とよく対応するタミル語を忌避する理由はどこにもありません。
もっとも日本の言語学界は、今後20年くらいはタミル語説を認めないでしょう。認めたら、多くの国語学者(日本語学者)、言語学者の立場がなくなるからです。学問というのは、そういうものではないはずですが、結局、日本の学問というものはそんなものなのでしょう。
しかし、いづれ流れは変わります。これもまた、そんなものなのです。
2003/03/07 12:47
>>No. 519
sarinagara さんの仮説は(潮の流れに気を取られて)、時の流れをまったく考慮していないので、初めから成り立ちようがありません。
しかし、2500年前にタミル語が日本語に決定的な影響を与えた、そのメカニズムは誰も提案できていないわけで、sarinagara さんの真面目な提案は歓迎すべきものと考え、より深めていただこうとイチャモンをつけております。
》スンダランド仮説は早くて20万年前、かなり甘くみても1万年前(ただしまともな研究者は支持せず)です。
スンダランドは氷河期に海面が下がれば出現するので、2万年〜1万8千年前に存在していたことは確実です。
しかし、温暖化による海面上昇は津波や洪水とは違うので、陸地の奥へと、例えば1世代ごとに居住地を移せばよいだけのことですから、命がけで海へ進出する動機としては不十分のように思います(ま、奥の方は既に他の部族が住んでいたのかもしれませんが)。
2003/03/07 17:30
>>No. 520
私の説は単に
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/3/3-02.html
から思いついた事で
これと海流の向きを考えた時、縄文人はスンダランドから来たと自然に導かれるでしょう。
海進は単に土地の面積が少なくなるだけではなく、スンダランドの気候も大幅に変わり植生なども変わり、スンダランド人も住んでいられなくなったのではないでしょうか?
紀元一万年前後は日本の東北あたりが最適の気候だったのかも知れません。
>[2500年前にタミル語が日本語に決定的な影響を与えた]
2500年前にタミル人が大挙して来たという証明がなければ迂闊に賛同できません。
タミル人が弥生時代に列島や半島に来たと言うのは非常に楽しい仮説ですが。
伽耶の首露王の奥さんですか?インドから来たという。
また九州南部に住んでいる人などインド人の風貌を思わせる人がいます。
しかしもし来ていたとしても少数だったでしょう。
私には日本の言語に影響するほど多数来たとは考えられないのです。
2003/03/07 23:59
>>No. 521
「東アジアの古代文化」113号及び114号で李鐘学氏が、韓国での説を踏まえて(どうも原論文は日本語に翻訳されていないようです)、新羅の初代王金氏〔文字化けしそうなので名前の部分は略)と金官伽耶(大加羅)の始祖金首露は、ともにBC120年漢の武帝により捕虜となった匈奴族休屠王の長男、金・日・石単〔以上三字が名です)の子孫であり(文定昌氏説)、首露王の妃許黄玉王后はインドのコサラ国のAyodhyaの出身で二人はAD48年に結婚したと述べています。彼らの子孫が北九州に渡って邪馬台国を建国し、それから金首露王の直系子孫が高句麗に敗北したので408年頃騎馬部隊をひきつれ金海から畿内河内地域に上陸して三輪王朝を征服した、という説を述べています。江上波夫氏の説を始め諸氏の引用が多く、どこまでが李氏のオリジナルかは引用された文献をあたらないとわかりませんが、タミル語要素はこの許氏によって日朝両語にもたらされたとの考えのようです。
私は倭人は北方遼河周辺を移住前の居住地とし、日本語祖語を話し、騎馬民族化を嫌って日本列島へとつながる民族移動を開始したと考えているので、日本語のタミル語説は採りませんが、この李鐘学説などタミル語説の方々の評価はいかがでしょうか?
2003/03/08 00:14
>>No. 521
》これと海流の向きを考えた時、縄文人はスンダランドから来たと自然に導かれるでしょう。
なんで?
日本人は自称縄文系、弥生系にかかわらず、全員短足です。
これを考えたとき、日本人はシベリアからやって来たと自然に導かれるでしょう。
この厳粛なる事実に、なぜみんな目をつぶっているのでしょうね?
2003/03/08 00:18
>>No. 521
》2500年前にタミル人が大挙して来たという証明がなければ迂闊に賛同できません。
》私には日本の言語に影響するほど多数来たとは考えられないのです。
そのとおりです。それなのに、なぜか、日本語とタミル語に深いつながりがある。全く不思議なことです。
だから、sarinagara さんのまじめな問題提起は貴重です。
2003/03/22 14:15
>>No. 5273月15日(土)に放送されたTV番組(フジテレビ、21:00から23:00)「DNAが解き明かす人間の真実と愛」によりますと、女性のミトコンドリアDNAを解析した結果、日本人の女性のルーツは世界の9箇所で確認されていて、9箇所の殆どの地域は中央アジアのあたりに分布していますが、大変興味深いのはその内の一ヶ所だけ南インドにあるということです。
2003/03/22 14:58
>>No. 528
南インドと聞いて、気になる点としてはまず日本の将棋。漢字を使用してはいるものの韓国のチャンギや中国のシャンチーとは明らかに異なり、升目の中に駒を置きます。それは将棋発祥の地と言われるインドのチャトランガと同様です。沖縄には中国のシャンチーしかありませんでした。
また、格闘技にインドのタミール地方に伝わるカラリーパイト(昔CMの「いやはや鳥人だ!!」のセリフと、高いところにつるされた大きな石を蹴り上げていた場面を覚えておりますでしょうか)というものがあり、それと現地で対戦した、骨法という格闘技(弥生時代の手乞いから発展。手乞いは相撲の元となったもので、殴る蹴るを残したものが、骨法に発展)の師範によるとメンタル的な部分で多くの類似を感じたとのことでした。
もちろんだから何だということもないのですが・・・。
2003/03/22 15:06
>>No. 528
この番組は見ませんでしたが、
》日本人の女性のルーツ・・・9箇所の殆どの地域は中央アジアのあたりに分布しています
これは私の「東アジア人は北回りでやって来た」説から予想される当然の結果です。
》が、大変興味深いのはその内の一ヶ所だけ南インドにあるということです
納得できる話です。
2003/03/22 16:57
>>No. 529
そういえば、スモウもタミル語にありました。
●タ cam-aram battle(一対一の戦い), fight(取っ組み合い);
●タ cam-ar war, battle, fight;
○日 sum-ofu 相撲(すもう)。
●タ pur-i to say(言う), tell(告げる);
○日 fur-e お触れ。広く人々に知らせること。芝居の町回り。相撲の呼び出し奴。
布令は当て字。
2003/03/22 17:00
>>No. 530ということは、大量ではむろんありませんが、ある程度の人数は来たのでしょうね。
2003/03/22 17:34
>>No. 528私もその番組を見ましたが、国外のデータがもう少し欲しいですね。南インド系のMtDNAが中央アジアやモンゴリア、韓国や中国北部にもあるのか、それとも東南アジア(インド系移民も多いのでそれを排除して)の諸民族や長江流域の諸民族のデータがあれば良いのですが。
2003/03/22 22:47
>>No. 531
※すまゑの節会(せちえ)⇒素馬藝の節会=馬上の組討を地上で訓練したのが始まりではないかと考えています。
朝鮮語“su-maye”が、古代倭語の片鱗か、と。
・『素』⇒素手、徒手空拳。
・『馬藝』⇒騎兵武芸(馬上才)。
※得物を持たず、馬も使わず、の組討で、実戦に近いので、殴る、蹴る、張る、投げ飛ばす、と激しいのでしょう。
2003/03/22 23:16
>>No. 531●相撲「スモウ」⇒「スモホ」⇒「剥摸抛」⇒「脱穀」の意。
2003/03/23 09:50
>>No. 531
●タ camar to fight, make war;
○日 sum-afu すまふ(争う)。「すもう」この名詞形「すまひ」の音便化。
●タ nicc-al man's loincloth(男の褌);
○日 mit-u 褌(みつ)。前褌(まえみつ)などの「みつ」。列島内でn/m交替。
2003/03/23 14:38
>>No. 536
●タ camar to fight, make war;
○日 kama-fu 事を「構える?」
と謂うのは、成立しませんでしょうか?。
単なる思い付きですが…。
2003/03/24 08:04
>>No. 537
「構う」は以下のような意味ですので、意味対応が今のところ一致しません。
他の資料も見なければ何ともいえません。
(1)関心をもつ。気にかける。関係がある。多く打ち消しの形で用いる。
(2)相手になる。世話をする。
(3)相手にしてふざける。からかう。
(4)禁制にする。追放する。
〔「構える」に対する自動詞〕
2003/03/24 09:47
>>No. 538
日本語「構う」は、以下の名詞と関係するかも知れません。
●タ kavv-ai concern;
●タ kav-ai concern, interest;
2003/03/27 12:52
>>No. 521
》私の説は単に・・・から思いついた事で
国立科学博物館の馬場先生は、最近多地域進化説の旗をついに下ろしましたよ。
それでもホームページはそのままですね。スンダランドの重要性を原人の進化の時代から、新人の時代へ繰り下げたのかしら。
まあ、先生には先生の理論がおありでしょうが、ちょうちん持ちをしている朝日新聞を、身銭を切って購読している自分には、正直言って腹が立ちます。
2003/03/29 11:26
>>No. 539
伊邪那伎命が月讀命に対して、
「『汝命は、夜の食國を知らせ』と事依さしき。」(古事記)
「食国(をすくに)の天下の政(まつりごと)はひとり知る(専制する) べきものにはあらず。」
『後二条師通記』[藤原師通(1062−99)]
●タ occ-u to govern(治める); to wield(統治する) ; to sway(支配する);
○日 wos-u 食(をす)国。食には「養う」という意味があり(大漢和v12-p371)、これを
充てはめた可能性もあるが、むしろタミル語ac-i(食べる)が日本語wos-u
と交替する(食べ物を「袁志物(ヲシモノ)」という例が日本書紀にある)
ところから、食べることを「ヲス」といい、これに「食」の漢字を充て、
そのまま同音のocc-uにも「食」の漢字を充てたものと思われる。
したがって、「天皇の乎須久尓なれば」(万17-4006)は、「天皇の統治する
国」という意味になる。
●タ ac-i to eat;
○日 wos-u をす。to eat(食べる),consume(消費する); a/o交替[例:all-u(weave織る)→or-u(織る)]。s/c交替。
oとwoの間で、揺れがあったものと思われる。
●タ tar-i to possess(所有する);
●タ ter 1. to examine(調査する), investigate(研究する), inquire into(取り調べる);
2. to understand(理解する), know(知る);3. to consider deliberate(慎重によく考える);
4. to elect(選ぶ); 5. to seek(捜す);6. to ascertain form a conclusion(結果を確認する);
7. to acquire(獲得する), obtain(手に入れる); 8. to doubt(疑う); to be well versed(よく熟知している);
○日 sir-u 知る。
以上から「夜の食國を知らせ」というのは「夜の支配する国を手に入れよ」という意味となる。
2003/04/11 16:48
>>No. 541
タミル語vagkuには以下のように「曲げる」「抱擁する」「撒く」「割り引く」の意味がある。
●タ vagk-u to bend(曲げる);to embrace(抱擁する), to scatter(撒く),
disperse(散らす); to become lean(曲がる); to be reduced(ま ける);
これに対し、日本語は以下のように意味対応する。。
*曲(ま)ぐ・巻(ま)く・遘(ま)く
○日 mag-u 曲ぐ。曲げる。v/f/m交替。
○日 mak-u 巻く。
○日 mak-u 遘く。抱擁する(「手弱腕をまかむとは」の「まく」)。「まぐあひ」の 「まぐ」。
○日 mak-u 撒く。蒔く。
○日 mak-u まく。「値段をまける」の「まける」。
これらはタミル語vagkuの意味、「曲げる」「抱擁する」「撒く」「割り引く」にすべて対応する。
他方、この複合対応を批判し排除する論者、たとえば村山七郎氏は、日本語「曲がる」のステムをmagaとし、ツングース語祖形*manga(硬い・頑強な・困難な)を語源とする、とする(maのaは長音)。そしてこれに、以下のような二つの接辞要素が接着してmagaruとなったとする。
*maga-ri-wu-mi>*magari-wu-mu>*magarun>magaru
しかしながら、mangaと「曲がる」の意味は対応しない。また「曲がる」のステム(語幹)はmag-である。さらに接辞要素の対応が明らかにされていない。したがって、maga-ri-wu-mi
とmagaruとは対応しないであろう。
さてこのように日本語mag-、mak-はタミル語vagk-と対応する。また次のように日本語mag-はタミル語pegk-とも対応する。これはまずタミル語においてはしばしばv/pは交替すること、そして日本語ではv、pはf/wに交替するが、同じ唇音であるm、bなどにも交替しうることを示している。恐らく日本語mag-aは当初はwag-aであり、のち日本語内部でmag-aに転じたのであろう。
*禍(まが)
●タ pegk-u evil or corrupt practices(邪まな、あるいは堕落した行い);
○日 mag-a 禍(まが)。よくないこと。よこしまなこと。わざわい。pegkuの古形 *pagku>mag-a交替。
タミル語と日本語でほぼ共通の音に対しては単一対応していた可能性もある。
香港英語の場合、流入語彙の少なさを過剰ともいえるidiomで補っている。膠着語である日本語では、これを複合対応で応じたということも考えられる。しかしそれでもなお、同音異義語が多い。これはタミル語一単語が持つ意味の多様性に、日本語が妥当と思われる異なる漢字を割り振ったことも原因の一つである。
なお、タミル語p-はタミル語内部でp/v交替をしているというごとき事情も考慮されなければならない。複合対応を指摘する論者は、このような事実を考慮しないで、タミル語語源説を批判し、捨て去っているように見受けられる。少なくとも、捨て去る程度には軽くない細密な対応にcriticな留意をすべきであろう。
以下は、タミル語と日本語の対応が、「単なる音の類似」とは言えない好例である。
2003/04/11 16:49
>>No. 542
「日本書紀」(神代上)の「陰陽(めを)始めて遘合(みとのまぐはひ)して夫婦(をうとめ)と為る」の「みとのまぐあひ」とは、大辞林は「み」は接頭語、「と」は男性・女性の陰部の意(陰部を敬っていう語)とし、広辞苑は「と」は入り口の意としてやはり「陰部」を表すとするにもかかわらず、タミル語mett-aiはe/i交替で日本語mit-oとなり、bed(床・ベッド)という意味であるので、これは「ベッドでの抱擁のし合い」という意味が正しいこととなる。
タミル語で「入り口」という意味はtorr-am[entrance on the stage(舞台への入り口)]あたりであろうか。
なお、この「みと」に関連して「嫁(とつ)ぐ」を「女陰(ほと)を継ぐ」というかなり大胆な解釈が通用しているが、この解釈は誤りとまでは言えないにしても、不正確である。なをかつ「ほと」は「ほ・と」ではない。広辞苑は「凹所の意」とし、大辞林も「(1)女性の陰部。女陰。「此の子を生みしに因りて、みホト炙(や)かえて、病み臥(こや)せり/古事記(上)」(2)山の間のくぼんだ所。
「御陵は畝火山のみホトに在り/古事記(中)」とするがこの「ほと」と「女陰」は厳密には一緒にすべきではない。その理由は以下の通りである。
まず「嫁(とつ)ぐ」をみてみよう。
*嫁(とつ)ぐ
●タ tot-u to connect(結合する), join(繋ぐ);
○日 tot-ugu 嫁(とつ)ぐ[4段]。
つまり「一緒になる」ことであり「とを継ぐ」のではない。「蛇、女にまき付きて即ちとつぐ/今昔 24」は「結合する」から「性交する」に意味が細分化されたものである。
*女陰(ほと)・女陰(はぜ)
●タ punt-ai pudendum muliebre(生殖器);
●タ putt-ai pudendum muliebre(同);
●タ pocc-u pudendum muliebre(同);
●タ putt-am pudendum muliebre(同);
○日 fot-o 同上。なお大野「形成」p395(OK335)
○日 faz-e pudendum muliebre(女陰)。
上記は、日本ではホトともハゼとも言われていた(交替した)文献上の証拠だが、ハゼという言い方は早くに死語となり、ホトもすでに死語である。
聞く人間によって、様々に聞こえる場合、当初はこのような複合対応が現象としてあったであろう。時間が経過する内に、一語に収斂していく場合、その収斂過程に法則性を見いだすのは困難である。上記のような例の場合、ハゼという表現が早くに消失すべき合理的理由(発音しにくいとかの)は見いだせない。強いて言えば「ほと」のほうが語感がいい、あるいは「ほと」が中央語として受け入れられた、といったところか。
2003/04/11 16:50
>>No. 544
タミル語のこれらpudendum muliebre群とhollow群とを比較すると、「女陰」は原始タミル語においては「穴」という意味であったはずである。それがタミル語では後に両性のpudendum muliebreを示す言葉とhollowを示す言葉に分離し、原始日本語においても同様であったが、文献時代以降、hollowからの連想で、「女陰」のみを示すようになっていった一方、「窪み」という意味も保存されたものか。
とはいえ、倉野氏の疑問にも尤もなところがある。というのも、上記のような複雑な意味の交替があったとするのは理屈であって、裁判所の判断同様、しばしば理屈は現実と乖離する場合があるからである。
そこで次の「古事記」の記述に着目したい。
伊邪那岐命が、伊邪那美命の死の原因となった迦具土(かぐつち)神の頚を斬った後に、迦具土神の死骸から神々が生まれた。そのとき陰部から化生したのが闇山津見神であるという。
また、頭からは正鹿山津見神が、胸からは淤縢山津見神が、腹からは奥山津見神が、陰からはは闇山津見神(くらやまつみ)が、左手からは志芸山津見神が、右手からは羽山津見神が、左足からは原山津見神が、右足からは戸山津見神がそれぞれ化生している。
つまりこうなる。
頭→マサカ山津見
胸→オド 山津見
腹→オク 山津見(オクは奥と書かれる)
陰→クラ 山津見(クラは闇と書かれる)
マサカが頭である理由は以下の通りである。
*正鹿山津見神
●タ mattak-am 1. head(頭); 2. top(頂上), crown(王位); 3. forehead (額);4. round protuberance on the temples of an elephant(象のこめかみにある丸いコブ);
5. elephant's forehead(象の額); 6. front(前); 7. face of precipitous rock(切り立った磐の表面);
8. arid land(不毛の土地);
○日 masak-a マサカ。
*淤縢山津見神
オドの意味は不詳とされている。胸にあるのは肋骨ゆえ、タミル語allu[ribs(肋骨)]がこれに該当するはずである。この-ll-は巻舌音なので、列島住民には-d-とも聞こえたはずである。弾音の-rr-も同様で、これは日本語-t-と交替する[marra(other)>mata(又other)]。
●タ all-u ribs(肋骨);
○日 od-o オド。
*奥山津見神
腹はオクであるが、これはタミル語では「へそ」を意味する。
●タ aku navel(へそ);
○日 oku オド。
*闇山津見神
最後はクラであるがこれは「陰」と書かれている。
●タ kur-i generative organ(生殖器);(DED1533)
○日 kur-a クラ。露出形でkur-aとなったのであろう。とすると被覆形はkuriのはず である。
このクラ山津見は男神である火神、迦具土神から化生しているので、やはり男神であろう。とするとこのgenerative organはペニスである。したがって、「陰」は単独で用いるなら「クリ」と呼ばれるべきであり、したがって女性器は「ホト」、男性器は「クリ」と呼ばれていた時代があったものと思われる。
*志芸山津見神
ちなみに左手からは志芸山津見神が化生している。これは以下のタミル語と対応する。
●タ cik-ai that which is left(左であるもの); remainder(残余);
○日 sig-i シギ。
*羽山津見神
右手からは羽山津見神が化生する。
●タ kai hand(手), arm(腕);side(わき), right or left(右もしくは左);
wing of a bird(鳥の翼);
○日 ha 羽(は)。はね。k/kh/h交替。
ただし大野「形成」p495(OK457)は「羽」をvac-am由来とする。確かに vac-amにはfeather(全身を覆う羽)及びwing(つばさ)の意味がある。
翼という意味での「羽」はkai由来の可能性もなくはない。
これは「右もしくは左」とあるので、対応するかどうか微妙であるが、シギで左を指し示している以上、こちらは右と考えるのが相当であろう。
2003/04/24 22:02
>>No. 1
語源で一つ気になるのが「蛇」です。
古代「蛇」は「pimi」と発音されていたようですがインドでは「na-ga」と言うらしいです。
私は「hebi」という言葉は古代日本人にとって重要な意味のある言葉であると思います。
「蛇」は「神」になったり「母」に変化したりします。
韓国語では「蛇」は「bemi」と言いますから日本語と対応しますが「na-ga」では対応しません。
「蛇」から連想する言葉は「長い」でタミル語と対応が一応は取れますが「神」や「母」との対応は
あるのでしょうか。
judaishiogakuさん、何かタミル語と関連わかりますか?
2003/04/28 07:49
>>No. 546
ちょっと雑ですがペーストします。
<ナカ系>
タ nak-ai snake(ヘビ)
琉 nag-i 蛇(沖縄方言ナーギ);
沖縄でアオダイショウをオーナギ・オーナガという。
日 nag-a=musi ヘビ 青森・奥多摩・岡山方言
日 nag-a=mui ヘビ 福江方言
タ en-ai eel(ウナギ);
日 un-agi ウナギ;en-nakai(ウナギ・ヘビ)>un-agiか。anai>enai。a/u交替。
日 an-ago アナゴ;
日 oka-unagi 陸(りく)ウナギ 山梨方言(ヘビ);
<ムシ系>
タ pucc-i 1. insect(昆虫), beetle(甲虫), worm(虫) or any small reptile(小さな爬虫類);2. worms in the intestines(腸の虫);
日 mus-i 虫; p/f/m交替。
ナガムシはnakai-pucci(ヘビ虫)か?
「長(ナガ)シ」と交替するタミル語がない。「長い」はヘビを意味するnakaiからの転か?
<クチ系>
タ kuz-ai dwarf snake(醜い蛇・ちっぽけな蛇);
日 gutt-u: 徳島方言
日 yama=gat-i 茨城方言
日 kut-ina 兵庫方言
日 kut-ina: 和歌山方言
日 kut-una 奈良方言
タ namp-u 1. anything lean(何とも貧弱なもの); 2. small climber(小さな這い登るもの)
タ kattir-am snake(ヘビ);
日 nam-e -mp-/-mb-交替。列島内で-b-/-m-交替。
日 nam-e=kuzi ナメクジ。a/u交替。rの脱落。
日 nam-e=kuziri ナメクジリ(法華経玄賛・平安中期点);name-kattiraの転。
タ kutt-ira・cagkam snail(かたつむり);
日 kuti=nafa クチナワ;
日 aki=nafa
<カカ系>
●タ kakk-am a common creeper of the hedges(垣根の普通の蔓草);bitter snake-gourd(苦いヘビ瓜);
日 yama=kag-ati ヤマカガチ
日 yama=gak-asu ヤマガカス
○日 haha ヘビ。「古語拾遺」(807)に、「古語に大蛇を羽羽(ハハ)といふ」とある。k/h交替。
●タ aki snake(ヘビ);k-の脱落(*kak-i);
<パ系>
タ pa snake(ヘビ);
日 ma=musi マムシ;p/f/m交替。マムシは蛇虫の意か。
琉 po: ポー(琉球多良間方言ヘビ):
fa>ma>mi 巳(み)?
<タカ系>
タ takk-an a divine serpent(神聖な蛇),
琉 tak-o:ra 琉球鳩間方言(ヘビ)。
<マチ系>
タ matt-i coiling, as of a snake(ヘビのごときトグロ・輪);
日 maz-iumun マジゥムン(琉球名瀬古方言ヘビ);トグロを巻く虫。
-tt-/-nd-/-d-/-z-交替。
<ナカ系>
●タ nak-ai snake(ヘビ);
<オロ系>
タ ar-a snake(ヘビ), serpent(邪悪なヘビ);
タ ol-am snake(ヘビ);
日 wor-o=ti オロチ・大蛇
タ ti evil(邪悪);
タ te 1. the deity(神性・神); 2. chief(主), lord(王);
タ tey the deity
日 ti チ;e/i交替。
以上から、日本語接辞「チ」は「神格」「主(ぬし)」を主にあらわすものと推定される。
日 notuti no-ttu-ti ノツチ[ヘビ・・・野ツ神(野の神)];
2003/04/28 19:50
>>No. 547
沢山の例をありがとう御座います。
>タ nak-ai snake(ヘビ)
>琉 nag-i 蛇(沖縄方言ナーギ);
というのは「蛇=長い」と言う連想から合っているだろうと思います。
>日 nag-a=musi ヘビ 青森・奥多摩・岡山方言
というのは「長虫」ですから後天的なものという感じがします。
>タ en-ai eel(ウナギ);
直に「うなぎ」に結びついているんですね。
● 私はタミル語で「蛇」が「pavu、pabi」などと云われていたと聞いた事があるような記憶がありました。
>○日 haha ヘビ。「古語拾遺」(807)に、「古語に大蛇を羽羽(ハハ)といふ」とある。k/h交替。
私が注目しているのがこの「haha」なんです。「haha」は「母」になります。
「伯耆風土記」逸文
手摩乳・足摩乳が娘、稲田姫、八頭の蛇が呑もうとするので、山中に入った。
その時、母が来るのが遅れたので、姫の曰く『母来々々』(ははきませ、母来ませ)。
それで『母来国』と名付けた。後に改めて『伯耆国』とした。
これは「蛇」と「母」が同音である事をもじった駄洒落を含んでいて『伯耆国』「ほうきこく=はふきこく」で「蛇」=這う動物をも含んでいます。
やまたの大蛇の出雲だけでなく『伯耆国』も蛇の国なのです。
また古語で蛇は「pamu」「pimi」だったのではないでしょうか?
p/h/kの変換はよくある事なので「pamu」は「hamu」になり「kamu」になります。
「kamu」は「カム」ですから「神」になります。神奈備という言葉に繋がります。
縄文時代や弥生時代の海洋民族では蛇が「神」として信仰の対象だったと聞きます。
出雲大社や白山神社には傍神として「蛇」が祀られています。
「白山神社 由緒 本殿(本社)の右に「別山社」、左に「越南知社(おおなむちしゃ)」を配する。これは白山山頂の3山のそれぞれの神である。」
「おおなむち」は蛇です。「越南」と言えばベトナムですがやはり蛇神は南方系なのでしょうね。
おおなむ「チ」は
>以上から、日本語接辞「チ」は「神格」「主(ぬし)」を主にあらわすものと推定される。
と関係するのでしょうか?
ヤマカガシの語源は希薄ですね。
「haha」は「kaka」に転換しますから「山カカ-ムシ」の訛ったものと解釈した方がいいと思います。
それから「haha 母」が「kaka」になった結果「kaka様」から「かあさん」に変わったのでしょう。
マムシの事を「はみ」という地方もあるそうです。沖縄では「ハブ」という毒蛇がいます。
蛇と言えば噛むもの。「噛む」の語源は「ヘビ」であり「噛む(かむ)」が「食む(はむ)」になったり、「鱧」という魚になったり、千変万化です。
2003/05/04 20:43
>>No. 1
文法はやはりウラルアルタイですが、単語の多くがこれとはかけ離れていることから考えると、優勢になったのがウラルアルタイ系だったものの、どうしても大陸系の物品や生活様式が、海洋性の気候に殆どマッチしなかったから縄文系の単語構造になったのではないでしょうか?
こうした外国語の流入というのは、何も日本語ばかりに見られる現象ではなく、あの英語やドイツ語でさえ、ラテン語やギリシア語を語源とする単語が大量に含まれている事実をみればわかるとおり、それまでの自身の文化にない概念や物品が出現した場合には、外国語をそのまま使用するというのはどこにでもあることといえるでしょう。
今の英語でさえ自身には存在しないということで日本語をそのまま採用しています。
同様に今の日本語にも多くの欧米語が取りいれられている事実もそうしたことではないでしょうか。
2003/05/07 20:41
>>No. 549
戦前ハワイに移民した一世の人たちが現地の人たちと会話するのに文法はSOVのまま単語は英語で話していたそうです。
この辺が日本語がアルタイ系の文法で語彙は南方系である事と関係しそうな気がします。
ハワイでは日本人は支配者ではなかった為二世以降は英語文法に吸収しまいましたが、日本ではアルタイ系言語を持った種族が支配者になったためハワイ一世のしゃべり方が定着してしまった。
2003/05/07 23:36
>>No. 549
単語の多くがアルタイ系の現存の諸言語とかけ離れているといわれていますが、かといって南方系の諸言語とも語彙(単語)の共通性は余り認められていません。勿論基礎語彙でなく農耕用語などが水稲耕作地帯の諸言語と共通するのは「借用」されたのでしょうが。
要するに「ミッシング・リンク」があった(内蒙古か南満洲あたりでしょうか)がその(日本語に近い)言語(倭人語)は扶余・韓・蒙古語などに吸収されて消滅したと考えるべきでしょう。
ミッシング・リンクであった言語は?文法構造はSOV型でアルタイ語群に近い?音節は母音終り(開音節)?単語の語頭に「ラ行音」が立たない、?単語内で母音が連接しない、などのいわゆる「上代日本語」と共通の特徴を持ち、数詞などの基礎語彙でも日本語との共通性を有するというのが条件でしょう。
2003/05/09 10:34
>>No. 550
>日本ではアルタイ系言語を持った種族が支配者になったためハワイ一世のしゃべり方が定着してしまった。
では何故中国が元に支配された時SOVにならなかったのでしょう?
2003/05/09 12:15
>>No. 552
言語は人類が一種から枝分かれスル進化に伴って多種化(組み合わせ)したモノですから、
何処にでも類似する言葉が存在して当たり前の話。
言葉は一音言語の合音言語です。
音の積み重ねが異なるのは多様進化の結果ですから法則はアリマセン。
法則がアルのは一音言語のみです。
単に類似する言葉が多いからという理由でそれが日本語の起源だと決め付けるのは如何かと思います。
日本語の起源を解明するなら、タミルより先ずは“一歩前”の漢音からだと思いますね。
異民族支配によって古代漢音を話す民族は大陸から消滅しましたが
列島では“日本語”として存続された事は“歴史的事実”なんです。
如何も失礼致しました。
2003/05/09 18:46
>>No. 552
>中国が元に支配された時SOVにならなかったのでしょう?
単なる可能性の提示です。
広大な面積の中国では文書によって命令を伝達しなければなりません。
話し言葉としてはSOVでも何とか相手に理解させる事が出来ても文書で命令しようとしたとき大混乱になってしまうでしょう。
日本では初期の政権はさほど広い地域を支配していず、文字を使って命令伝達をするようになったのは5世紀くらいだったと推測されますから、それ以前にSOVの文法で固まってしまっていれば語彙は南方、文法は北方になったのではないでしょうか?
命令を受ける倭人が全て文字を理解していたとも限りませんし。
2003/05/18 01:21
>>No. 545
*心(うら)・裏(うら)
●タ ul-am 1. mind(心), heart(心情); 2. breast(胸);
●タ ul inside(内側);that which is private、secret(秘密であるもの);mind(心);[大野「形成」p152(OK66)による。
○日 ur-a 心(うら)。大辞林は「表に対する裏、外面に現れない内部の意」とするが、タミル語には直接「心」という意味がある。
●タ ul-am 1. inside(内部); 2. soul(魂);
○日 ur-a 裏。
以上は「うら悲しい」の「うら」として今でも使われている。
大辞林は「うらぐ[下2]」の「うら」を「心の意」であるとして、「うきうきした気分になる」とする。また「ゑらく[4段]」については「えらえらに」の「えら」と同根とし、「笑い楽しむ」の意味とする。この意味からすると「うらぐ」と「ゑらく」は同源であるようにも読める。しかしながら、「心」を動詞化したものがなぜ「うきうきした気分」という意味になるのか、古代人はすべて心が躁の状態であったと仮定しない限り成立しない。
したがってこれらの語は大野氏の主張するごとくタミル語ver-i由来である。
●タ ver-i 1. toddy(椰子酒); 2. drunkenness(酩酊), intoxication(酔い);
3.giddiness(眩暈);4. bewilderment(当惑);
●タ ver-i 1. to be drunk(酔っている), intoxicated(酩酊している);
2. to become mad(狂う); 3. to be frenzied(興奮している);
*ゑらく
○日 wer-aku ゑらく。[大野「形成」p509 (OK476)]。
*酔(ゑ)ふ
○日 w-efu 酔(ゑ)ふ。-riの脱落。おそらく原初はwer-uといっていた可能性がある。
*酔(よ)ふ
○日 y-ofu 酔(よ)ふ。v/w交替。-riの脱落。日本語内部でw/y交替につき、vatt-am参照。
2003/05/19 00:23
>>No. 555
九州弁に
※『ゑーくらう』⇒酔っ払う。
があります。
2003/05/19 01:01
>>No. 1
河出書房新社から『日本語の起源を探る』という文庫本が出ました。
執筆者は大野晋(タミル語)、馬淵和夫(韓国語)、小沢重男(モンゴル語)、安田徳太郎(レプチャ語)、村山七郎(南方語)、田村すず子(アイヌ語)その他です。
なかなか面白いです。
2003/05/22 06:21
>>No. 1
他のトピで少し話題になりましたが
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20030519it13.htm
【弥生時代の始まりがこれまでの定説を約500年さかのぼり、紀元前10世紀ごろになる可能性が高まった】
って話は日本語の起源とどのようにかかわってくるでしょう。
鉄が中国で普及する前に日本に来ていたとすると??
タミル地方では既に紀元前10世紀ころ鉄器が普及していたらしいし、中国周辺の騎馬民族でも鉄が使われていたらしい。
しかし板付遺跡の鉄器は農耕用の木製品の加工用であって普及品の可能性が高い。
【板付(いたづけ)イチ式の土器11点のうち10点の年代が紀元前800年を前後する年代に集中した。】
ならどうして【前9世紀】ではなく【紀元前10世紀ごろ】になるのか?
それとも年輪年代と同じようなガセネタ?
2003/05/22 12:46
>>No. 558
鉄の農具を持ったタミル人、ですか。
終戦直後の、コーラとガムを持った(おいおい)アメリカ人みたいなもんでしょうか。
2003/05/22 23:56
>>No. 558
弥生時代の開始期が前10世紀に溯ることについては、私は「遼河流域」に居住していた日本語の祖語である「倭人語」を話していた「倭人」が、『殷周革命』(前11世紀中葉〜後半)を契機に南下して比較的短期間に朝鮮半島を縦断して日本列島に入った、という仮説を立てていますので、大歓迎です。
このトピのMSG358、421で(遠慮して)少なくとも弥生時代は前7世紀には始まっていないと・・・と言っていますが、前10〜12世紀くらいを本当は期待していたのですが、当時さすがに欲張り過ぎかありそうにないかと思えたので期待年代(予想年代とはさすがにおこがましくていえません)を500年程下げたのです。
2003/05/23 18:44
>>No. 560
『論衡』…王充…後漢時代の編纂
「周時天下太平。倭人来献鬯艸、成王時、越裳献雉、倭人貢鬯」?
周の成王は前11世紀の人ですね。倭人が前11世紀の周に朝貢したと書いてありました。
と言って喜ばせておいて
「鬯艸(ちょそう)」とは広東省の名産品(薬草酒)らしいですからここに書かれた倭人は揚子江下流に居た人である可能性が高いですね。
2003/05/24 23:11
>>No. 561この「論衡」の異虚篇、儒増篇、恢国篇の「暢草」記事は、倭人の南方とのかかわりを思わせるほとんど「唯一」の記事ですが、暢草が本当に「ウコン」のような南方系の香料(の原料?)と考えて良いのか、私は疑念を持っています。
2003/06/03 23:20
>>No. 545
*粳(うるち)
●タ arici rice without the husk(精米した米);
○日 uruti 粳(うるち)。(炊いたときモチ米のような粘り気を持たない普通の米)
タミル文学辞典(ETL)によると、タミル語ariciがギリシャ語に入ってoryzon、ラテン語ではoryzaとなり、英語ではriceとなった、とする。
2003/06/04 18:02
>>No. 1
最近アメリカの言語学者が日本語の起源について、古代朝鮮半島三国時代の一角であった高句麗語であるとの説を発表しました。
また現代朝鮮・韓国語については、その三国の一つで後に朝鮮半島最初の統一国家となる新羅語が直接的なルーツらしいとの事です。
私の浅い知識では、高句麗と言えば好太王碑文で見られるように、4世紀前後の古代日本(倭国)が半島南部での影響力を巡って対立していたと国と言うようなイメージしか湧かないのですが・・。
友好国であった(渡来系氏族の数でも最大である)百済ならともかく高句麗から強い影響力を受けていると主張には、それがどれほどの説得力を含んだ説かはともかく、非常に興味深いところです。
むしろ高句麗が新羅に滅ぼされた後、その遺臣達によって朝鮮半島北部から現在のロシア沿海地方周辺に建てられた渤海国の方が日本と非常に良い関係にあったとおもうんですけどね。
そういえば渤海の王は「天王」という呼称を用いていますよね。(それが日本の「天皇」の呼称と関係があるかどうかは知りません)
話は少しそれましたが、それにしてもこの日本語高句麗起源説についてどう思います?
2003/06/04 19:49
>>No. 564
言われる通り九州は百済・新羅などの南韓地域とつながりが強いです。
地名などに沢山の韓国語がついています。しかし畿内はさほどでもなかったようです。
高句麗語との関連では
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm050.html
【高句麗語と日本語の数詞の比較研究は、最初、1907年に京都帝国大学
(当時)・内藤湖南教授によりなされました。そのことを、言語学者で『広辞
苑』の編者として知られる新村出・京都帝国大学教授(当時)はこう記してい
ます。
「日本語の数詞が、朝鮮語の数詞と一致しないことは、本稿のはじめにすこ
し述べたとおりであるが、古代朝鮮語の一方言に、日本語の数詞と類似するも
のがあることは、両言語の比較研究上きわめて興味のある新問題を起こさなけ
ればならない。
この類似は、いまなお専門学者によって看過されているようであるが、明
治40年(1907)の夏、内藤(湖南)博士の注意によって、私に知られて
今日にいたった。
それは『三国史記』の高句麗の地名のなかに、高句麗方言の数詞を含むも
のがあって、その数詞が、日本語の数詞に類似していることがらをいうのであ
る。
『三国史記』(巻37)高句麗地理誌の地名表を見ると、つぎの4郡県に、
おのおの別名が付載してあるのに注目されるのである。
三[山見]郡 一云 密波兮 ([ ]内は一字)
五谷郡 一云 于次呑忽
七重県 一云 難隠別
十谷県 一云 徳頓忽・・・」】
高句麗語の数詞が3、5、7,10の四つだけわかっており、すべて日本の数詞と一致しているのです。
名詞の一致なら交流によって伝わる事があろうと思いますが数詞の一致は生半可な交流ではありません。
高句麗人が住み着き、しかも支配的地位にいたのだと思います。
私説では大和王朝は3世紀魏によって追われた高句麗の難民がうち立てたものという事です。
もう一つの日本の数詞「いち、に、さん・・」は中国南部の「客家」語に近いそうです。
2003/06/04 22:10
>>No. 565
高句麗語という言語があるのでしょうか?。或いは、あったのでしょうか?。
※数詞の一致は、古代倭人が命名した物が生き残った物、とした方が倭数詞との一致の説明が付くと思いますが…。
※檀君神話は異民族の上に降臨し、熊女(熊襲?の祖先=古代倭人)と婚姻した。
2003/06/04 22:54
>>No. 564
三国史記のなかの所謂「高句麗地名」、即ち旧高句麗の地名から再建(再構成)された「高句麗語」80語ほどの約30語が、韓国朝鮮語に類似し、同じく30語ほどが日本語に類似し、その半数の15〜20語ほどが満州語に似ている、とのことから、扶余系高句麗語と日本語が同系であり、日本語は、扶余系の言語だというのが、李基文氏の説で、このトピの前の方でも触れられていたように思います。
ちなみに私は、「地名」は先住民のものが残存しやすいことから、日本語に似た語彙は日本語、韓国朝鮮語に似た語彙は韓国朝鮮語であり、扶余族はツングース系とされていることから、満州語(南ツングース語に属する)に似た語彙こそ本来の高句麗語であろうと考えています。私は「遼河流域」から殷周革命前後に、朝鮮半島を一気に南下して、日本列島に入った集団『倭人』の言語が、この高句麗地名中の日本語に類似した語彙をこの地に残したと考えています。
2003/06/04 23:33
>>No. 566
>高句麗語という言語があるのでしょうか? 或いは、あったのでしょうか?
解かりませんが東夷伝に「東夷舊語以爲夫餘別種。言語諸事、多與夫餘同」とありますから北方系の言語だったのではないでしょうか?
>※数詞の一致は、古代倭人が命名した物が生き残った物、とした方が倭数詞との一致の説明が付くと思いますが…。
遼東半島にいた倭人ですか?
彼らが高句麗人や扶余人の言語に影響を与えたと?
彼らが扶余や高句麗より圧倒的多数いた場合や彼らが支配的立場にあったなら可能性はあるでしょうが。
2003/06/05 00:13
>>No. 567
古事記に出て来る「高木の神」(別名:高御産霊神)は「高来の神」でおおもとは「高麗の神」であるとか。
「高木の神」は天照大神に天孫降臨を命令した。
ここはわたしの憶測としてはじめて書くと「私説風土記」で言っていました。
2003/06/10 19:01
>>No. 564
日本語の語源はインド、タミル語に由来してると思いますが、数詞だけは高麗語に由来だそうです。だれか、この続きを20(はたち)まで知っている人はいませんか。これを調べてHPにのせようと考えています。
趣味の科学
http//:www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5
2003/06/10 22:52
>>No. 570
なな、や、ここ、とお の次はないと思います。
辞書にはありませんでした。
日付は
十一日‥‥とおかあまりひとひ
十二日‥‥とおかあまりふつか
のような読み方だったと思います。
ちなみに二十日は「はつか」ですから
二十は「はた」ではないでしょうか?
三十は「みそ」
四十は「よそ」
五十は「いそ」
六十以降は知りません。
2003/06/10 23:01
>>No. 571
ひ=ひとつ=ひとち、ふたち、みっち、、、、とかぞえたので、はたちがあると聞いたことがあるのですが、
でも、11日=とおかあまりひとひ、は参考になりました。ありがとうございました。今後もよろしくお願いいたします。
2003/06/10 23:29
>>No. 572
「つ」というのは古語では「の」と言う意味で「ひと」+「つ」が一つの言葉になってしまい「ひとつ」になったのではないかと素人考えをしています。
したがって「二十」=「はた」も全くの素人考えです。
確信はありません。
2003/06/11 19:17
>>No. 573
「ふー」+「とお」
「ふとお」が訛って「はた」になったとは考えられないでしょうか?
30の「みそ」も「み_とお」が訛って「みそ」となった。
2003/06/11 19:44
>>No. 574fat-atiはfut-atuの単なる異形に過ぎません。
2003/06/12 18:41
>>No. 131
興味深く見せて頂いています。ちょっと横から失礼します!
hosibookさんの何があまりにひどいのですか?学問ではないから?
日本語の元は学問では解けないかも?
知れないではないですか?
神は、人間の意思で作られたのだ・・・と言う人ですね。
2003/06/12 21:02
>>No. 548奈良からこちらに転居した時には驚きました。何時も通る中学校の体育館の下が抉れていて土器がごろごろしているので学芸員の人にあれは?と訪ねるとこともなげに「この辺は縄文中期から後期の遺跡だらけ」と言うことで見向きもせず後、其処はブルトーザーで地ならしして校舎の再建となりました。字命婦山と言われる地で、多分古代の祭祀後と思われますが・・・さて平安時代に「神代より伝う龍宮臨行の儀」と言われ、今に続く祭りがあり、神名は(倭名)豊玉姫の尊が八尋鰐に化して一尋鰐(これを蛇と言う人もいますが、始めて海から呼吸をして陸に上がった恐竜、イクチオステガでは?)を産む事ですが、この母の神を古代の人は信仰していたと思います。夫の日の神ホホ(トト)様に対してハハ(カカ)様であった事は頷けます。お母女(カメ)は古代日本人にとってはキリストに匹敵する犠牲的精神のシンボルであったのでは?このオカメが旧暦元旦の朝、赤玉(赤ちゃん)を産みますが呼吸を意味する名は、「ウバや葺合不尊」(倭名は鵜茅葺合不尊)と言い、引く息(う、ん)に対してコノよで最初に吐く息のハ、バから来ている言葉であると思われます。
2003/06/12 22:35
>>No. 577急激に、トノデモの世界に。だめだこりゃ。
2003/06/13 01:14
>>No. 576
>興味深く見せて頂いています。ちょっと横から失礼します!
>hosibookさんの何があまりにひどいのですか?学問ではないから?
>日本語の元は学問では解けないかも?
知れないではないですか?
>神は、人間の意思で作られたのだ・・・と言う人ですね。
hosibookさんという方は、つまるところ貴殿の事ですよね?
共に特徴的な文体をなさっておられるので、すぐに判りました。
おせっかいを承知で言わせていただければ、1年半も昔のレスに対して文句言っても、た〜ぶん反応は無いと思いますよ。
どうせなら今一度当時のあなたの意見を書かれてみては如何ですか?
ちなみに僕はシロートなので良く分かりませんでした。
2003/06/13 19:56
>>No. 577
どうやら私の「蛇=神=母」に賛意を頂いたようですね。
有難う御座います。
さて豊玉姫命ですが、無理に言葉の起源に結びつけると
夫=火遠理命(山幸彦)「ホオリ」、韓国語で「火」は「プル」、石上神宮の「フル御魂」、石上神宮は物部、物部の旗印は「赤」、火の色は「赤」、モンゴル語で赤は「ウル」
のように連想できます。
けっこういい線かも。
2003/06/13 21:52
>>No. 570
これは私のhp古事記の「海幸山幸」からのコピーなので前後が抜けていますが、
【さて赤目の口の中にあった鈎は、「お祝り」47鈎で、 このオホリが言葉の基であることを前に述べましたが、現在我々の使う、言葉や数の読み方は漢音呉音の混ざったものとされているようですが、このオホリは、皇室に明治の始めまで使われていた天皇の為の祝詞で、日本人が素から使われていた言葉の素であったと考えられます。「お祝り」
ヒ フ ミ ヨ イ ム ナ ヤ コ ト(十)モ(百)チ(千) ロ(万) ラ(億)ネ(兆) シ(京) キ(?)ル(概)・・・・・・と続く四十七音は 漢音呉音の( 一,二,三,四,五,六,七,八,九,十、百、千、万、億、兆、京 ・・・・)
で、数の三十九単位、四十七詞言霊になり時空を超え、異次元へと連なる無限の数であり、神から頂いた引く息吐く息による日本の言葉の源でありました。】此の言霊と数種類の拍手によって人は霊体験をする事になり、秘技となっていますので学問とは違いますからこのトビには無縁だったかな?
2003/06/13 22:09
>>No. 579
私、始めから読んでいたものですからうっかりしていました。昨日今日の飛び込みで失礼しました。
hosibookさんとは別人です。
2003/06/19 20:58
>>No. 58147音参考になりました。日本語はインドのタミル語が基になっているのですが、数詞だけは高句麗語だそうです。それでどうして高句麗語が入っているのか調べたいと思っています。また、よろしくお願いいたします。
2003/06/27 23:56
>>No. 583
>数詞だけは高句麗語<
ソースとその発音が知りたい。
2003/07/02 23:13
>>No. 584大野晋先生がタミル語の研究をして日本語の基であるとの結論を学会発表したら数詞が違っているので否定されたとのことです。(日本語はどこからきたか)そこで「ひふみよ...」の高句麗の数え方はどこにルーツがあるのか今さがしているところです。
2003/07/05 10:03
>>No. 569
>「高木の神=高御産霊神」⇒「高麗の神」…憶測としてはじめて書くと「私説風土記」で…。
※私は、憶測から一歩踏み出して、語源から解くべく研究中です。
※倭数詞については、説として構築しましたが、発表の場を捜しています。
2003/07/05 20:33
>>No. 575
大野「形成」(p579以下)による。ただし、大野氏はタミル語文献中の小辞には見出されないため、namp-uを除外している。おそらく、日本語内部で係助詞として用いられたのであろう。
も(mo) um um→mo
は(fa) vay vay→fa
か(ka) kol、kollo kol→ka
や(ya) *ya<e *ya→ya
そ(so) tan tan→so
なむ(namu) namp-u namp-u→nam-u
このうち、日本語「か、や、そ」に対応するタミル語にも、日本語と同様、文末が名詞、あるいは名詞相当の句で終結する「係り結び」がある(p593以下)ことを大野氏は発見した。係り結びは強調のための技巧表現としての倒置である。このタミル語における係り結びの存在は、日本文法との比較によってはじめて分かったものである。
*接頭辞「た」・虚辞・代名詞・終助詞としての「その」「さ」「そ」
「そ」は古代東国方言及び琉球方言ではto(と)と言った。したがって、古代東国方言及び琉球方言の方が、タミル語tanにより近いといえる。平安時代以降、「そ」は「ぞ」と濁音化している。
●タ tan 1. he, she or it(彼・彼女・それ); 2. oneself(それ自身); 1. a word used as intensive(強意語); 2. expletive affixed to any noun or pronoun(名詞・代名詞に接辞する虚辞・無意味な間投詞)
○日 ta -nの脱落。手弱女(たおやめ)などの「手(た)」。「助ける」の「た」も「すけ」に接頭した強意語と思われる。なお、tanは日本語saとも対応する。
○日 son-o その。言葉につまったり、言いよどんだりした時につなぎに発する語。そ
のう。「ええと、その・・・」など。
一般に代名詞「そ」に格助詞「の」が付いたものとされるが、これは分離しない一体の語の可能性もある。t/s対応。-nの開音化でson-o。ただし、代名詞「そ」に格助詞「の」が付いたものと、のちに習合したともいえる。
○日 sa さ。t/s対応。-nの脱落。大野「形成」p320(OK249)は1. he, she or it(彼・彼女・それ); 2. oneself(それ自身)のみを採用する。「そうさ、そのとおり」の「さ」などとして現代も用いられる。
○日 so 係助詞・終助詞の「そ」。Avaro(彼は) varar(来ぬ人) tan(ぞ).の場合は終助詞である(同p624)。
「黄昏(たそがれ)」の「そ」。男性・女性・中性の第三人称の代名詞「そ」。これはhe, she or it(彼・彼女・それ)と対応する。掛け声の「それ」はtanのa word used as intensive(強意語)と対応する。この場合、sor-e、sor-aのように、n/r交替があったかもしれない。なお、「そ」はまた文の調子を整えるのに用いられるが、これはtanのexpletive affixed to any noun or pronoun(名詞・代名詞に接辞する虚辞・無意味な間投詞)に対応する。
○日 zo ぞ。体言・活用語の連体形・各種の助詞などに付き、強く指示する意を表す。これもtanのa word used as intensive(強意語)と対応する。soより新しい言い方。
◎琉 to と。日本語「そ」と同じ。「おもろさうし」の「面影(おもかけ)と たちよる」(面影ぞ立つ)など。
なお、代名詞、終助詞、係助詞として用いられる「そ」に関しては大野「形成」p618-639に詳しい。以下に一部を引用する。
*日本語「むそ」とタミル語um tan
「ほととぎす 明けむ明朝は 鳴き渡らむそ」(ほととぎすは夜が明けた明朝にはきっと鳴き渡るだろう)という万葉集(4068)などの用例にある「むそ」(mu so)は、動詞連体形に「むそ」の形で付く。この「む」は推量なので、「むそ」は「きっと・・・だろう」となる。一方、タミル語にもum tanという日本語mu soと対応する語形がある。kollum(持つだろう) tan(きっと).とかvituum(言うだろう) tan(きっと).などがそれである(同p625)。
2003/07/05 20:37
>>No. 587
*日本語「やそれ」とタミル語o tan
「筑波峯に わが行けりせば ほととぎす 山彦とよめ 鳴かましやそれ」(筑波の山に私が行っていたら、ほととぎすが山彦を鳴り響かせて鳴いたでしょうか、一体全体)の「やそれ」はketat(消滅しない) o(か) tan(それこそ)という用法と同一である。即ち、タミル語o(疑問)とtan(強調)と対応する(同p626)。o>wo>yaと交替したものであろう。このo tanから、日本語「それ」がtan-eのn/r交替形sor-eである可能性が高くなるように思われる。タミル語tanと同様、日本語「そ」はそれが無くても既に肯定判断の表現は成立しているので、その肯定判断を強調する役目を果たす。
*教示または告知を示す日本語文末の「そや」「ぞや」「ぞよ」とタミル語tan e
「女のあざむかれんはいとことわりぞや」(女が男にいいようにされるのはまったく道理なんだよ/「源氏物語」中の朱雀院から女房たちへの言葉)のように、年長者として教える口調を言うときなどに多く用いられる「ぞや」は、タミル語tan eと対応し、タミル語では例えばIlai(私の若い) yol(娘に) varu(落ち度は) vilai(ないの) amma(です) tan(ぞ) e(よ).(母が娘についていう言葉)などの例がある(同p628)。タミル語tan eは日本語では「そや」「ぞよ」を経て現代語「だよ」へと変化していったものであろう。
*独白または内省を示す日本語「そや」「ぞや」「ぞよ」とタミル語tan e
「わがあまり異様なるぞや」(私はあまりに人と違った育ちなのだなあ/「源氏物語」中の薫の自省)のように、発話者自身に向けられる「ぞや」も、タミル語tan eと対応し、タミル語では例えばKall(学問の) av(ない) ilamai(若者は) alito(哀れなもの) tan(ぞ) e(や).などがある(同p629)。
*疑問詞を承ける日本語「ぞや」「ぞよ」とタミル語tan e
「何事ぞや」(何事です?/「源氏物語」中、老尼が少女に尋ねる)のように、疑問詞を承ける「ぞや」も、タミル語tan eと対応する。事態の疑問視から「どうもよくない」という評価を表わす表現としても使われる(文献上は源氏物語あたりから)。この「ぞや」はタミル語では例えばaritakkanr(恥ずかしい) al(こと) tan(ぞ) e(よ).などに見られる。
*文中にある係助詞としての「そ」及び文中にあるタミル語tanの文末が共に名詞で終わる例
日本語では「そ」が文中にあれば、文末は名詞か動詞連体形で終わる。同様にタミル語でもtanが文中に来るときは、文末は名詞か動名詞、あるいはeで終わる。
例えば「世の中は かくぞ ことわり」[世の中はこうあるのだ、道理(は)](万葉集800)などがそれ(同p630)で、このような文飾表現は技巧を要する詩歌で用いられたものであろう。倒置された「それそ 我が妻」の本来の形は「我が妻 それそ」であり、判断辞を含む文節を前に出して印象を強める表現技法であり、タミル語でもAtu(あれ) tan(ぞ) ellarum(皆も) uvapp(欲する) atu(こと)(同631)などという。これは「皆も欲することはあれぞ」の倒置である。
*文中にある係助詞としての「そ」及び文中にあるタミル語tanの文末が動詞連体形(動名詞)、またはeで終わる例
以下、大野「形成」から要約して引用する。
「君が使ひを待ちし夜の名残そ 今も寝ねぬ夜の多き」(今も眠れない夜が多いのは、あなたから来る使いを待っていた夜の名残です/万葉集2945)と同様の表現がタミル語にもある。タミル語の場合、強調辞eがそれに付く名詞相当の語を強調する役割を果たす。Malai(夕方は) oru(一つに) tan(ぞ) anre(あらぬよ).は恋人が来ないのを慰める言葉で「夕方は今日だけというわけではないよ」ということである(同p632)。
*文中に「そ」「ぞ」が来て、文末が「む」で終わる日本語so・・・muとタミル語tan・・・um
助動詞「む」「けむ」「なむ」は終止形と連体形とではアクセントだけに区別があって、万葉仮名では区別が無いが、タミル語tan・・・um型も普通の終止と連体形終止とは区別が無い点で日本語muとタミル語umは軌を一にする。
日本では、「なにすれそ 母とふ花の 咲き出来(でこ)ずけむ
[旅先で若者が母を恋うる歌で「どういうわけで母という花が咲き出さないのだろう」という意(万葉集4323)]などの用法があるのに対し、タミル語でもMalaiy(山の) ule(中に) pirappinum(生まれても) malaikku(山に対して) avai(その木) tam(ぞ)en(なに) ceyyum(せむ). (娘は母から生まれても、母に対して役に立つことがないの意)という用法がある。
なお、日本語ではzo・・・yaとなるタイプが、タミル語ではtan・・・kollo(kol)となるタイプもある。このkollo(kol)は日本語「か」と対応する(同633-634)。
2003/07/20 00:23
>>No. 588
かつて江南地方にはチベット・ビルマ語族がいた。
そこから日本に移住したとしても、タミール人の渡来より可能性ははるかに高い。
ひょっとして、倭人とは彼らのことを指して言ったのではなかろうか。
2003/07/20 20:58
>>No. 589レプチャ語自体は、安田さんの音韻対応が出鱈目で、もはや復帰は無理でしょう。ただ、タミル語はチベット周辺とも接触しており、またドラヴィダ族はオーストロネシアの人々をインド亜大陸から追い出したという経緯もあり、それらの言語間に類似の語があるのは、当然といえるかもしれません。
2003/08/03 07:32
>>No. 1
敦賀、駿河を「つるが」、「するが」と発音しますが漢字の読みでは「とんが」「しゅんが」になるはずです。
一方、済州島の漢拏山は現在韓国風に「はんなさん」と読まれますがかっては「はるらさん」と読まれていたそうです。
「r」と「n」が入れ替わるのは韓国語特有の変化です。
敦賀、駿河を「つるが」、「するが」と読んだのは韓国からの渡来人なのでしょうか?
2003/08/03 11:46
>>No. 591甲斐でするより駿河よしさ。
2003/08/04 22:33
>>No. 592日本人が「する」に「駿」を「つる」に「敦」を嵌めるとは考えにくいでしょう?
2003/08/04 22:57
>>No. 591日本地名を漢字2字で作るための苦肉の策です。
2003/08/05 11:46
>>No. 594
漢字1字で表すなら「する」なら「擦」とか「摺」とか、「つる」なら「鶴」とか「吊」とかで良いでしょう?
「n」と「r」の転換をもたらしたのが誰かを問うているのです。
加羅国の帰化人の都怒我阿羅斯等(【ツヌガ】アラシト)が語源と書紀にも書いてあるのですから帰化人の影響を考えなくてはならないでしょう?
2003/08/05 13:46
>>No. 595
n/rの交替は歯茎音同士の交替ですから、珍しいことではありません。つまり、n/r交替を齎したのはどこの人という問題というより、舌の問題と考えた方が、無理がないと思えます。
タケヒナトリ⇔タケヒラトリ
カニモリ⇔カリモリ
ホノサ⇔ホロサ
ラム⇔ナム(古代東国方言)
同様の交替は、n/t、n/d、d/r、s/tなどがあります。
帰化人、たとえば古代韓半島の人々の影響か否かのメルクマールは、中世朝鮮語と日本語との間の音韻対応を見るしかありませんが、概ね当時の朝鮮語rは日本語tもしくはdと対応します。しかし、日本語内部でもd/r交替しますので、影響源を特定することは困難です。無論、影響はあったはずですが。
2003/08/05 20:17
>>No. 1
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
と言うのもありました。
2003/08/06 12:51
>>No. 597
私もこのサイト大好きです。
概ねコジツケくさいですが、でもきっとコアに真実があるんじゃないか、という気にさせられます。私のお気に入りは「アブラ蝉」です。
#「アプ・ラ」、APU-RA(apu=bark as a dog;ra=sun)、「(炎暑の中で)太陽に向かって吠え立てるように鳴く(虫)」
ぴったりでしょ?
2003/08/06 17:52
>>No. 596
一応の理屈はあるのでしょうが一衣帯水とも言うべき近隣の国との関係を無理に否定したいと言う感情みたいな物が感じられてなりません。
嫌韓意識と言うのでしょうか?
貴方はお神輿を担ぐ時の「わっしょい」が韓国語の「ワッソ(来た)」と言うのも否定されるのでしょうね。
2003/08/06 18:48
>>No. 599
否定も肯定も出来ません。この程度の資料では、何の意味もないからです。一衣帯水と信じれば肯定もできるでしょうが、信仰と科学は言うまでもなく別物です。嫌韓意識とか、そういう低次元の問題を持ち出しては、何も論じられなくなります。DNAでみても、少なくとも日本列島の住民の60%は韓半島由来でしょう。国際的に見れば、朝鮮人も日本人も、ほとんど区別不能です。
ところで、わっしょいは韓国語と信じておられるようですが、その科学的(言語学的といってもかまいません)根拠は何でしょうか。神輿を担いで、一体誰が「来た」というのでしょうか。それをクリアできなければ、単なる茶飲み話でおしまいです。
2003/08/06 20:00
>>No. 600
>DNAでみても、少なくとも日本列島の住民の60%は韓半島由来でしょう。
ああ、どうやら嫌韓といったのは私の誤解のようですね。失礼しました。
「日本列島の住民の60%は韓半島由来」というのは現在の話ですね。
「わっしょい」の意味さえわからなくなっているのですから昔はそれほど多くなかったのでしょう。
>神輿を担いで、一体誰が「来た」というのでしょうか。
当然、『神さま』でしょう。
神輿を担いで来たのではなく、担がれて来たのだと思われます。
日本の神社の多くは高麗とか新羅由来です。
天照大神の「大日[ロ羊]貴(オオヒルメムチ)」が朝鮮語と関係するとすれば日本の神社の大部分は朝鮮から来たものになります。
韓国語では「日」は「イル」と読みますが「ヒル」から「h」が抜けただけでしょう。
2003/08/06 20:34
>>No. 598
>概ねコジツケくさいですが、でもきっとコアに真実があるんじゃないか、という気にさせられます。
訳のわからない言葉は外国に由来を求めた方が良いという話が一番でしょう。
ポリネシアはスンダランドあたりから流出した人々もいたでしょうから縄文語の語彙に共通部分があったとしても不思議はないです。
>#「アプ・ラ」、APU-RA(apu=bark as a dog;ra=sun)、「(炎暑の中で)太陽に向かって吠え立てるように鳴く(虫)」
>ぴったりでしょ?
そんな気になります。(^^)
2003/08/07 00:38
>>No. 599私は、倭人北方起源説を採っていますが、どうもこの「ワッショイ」=「ワッソ」説には、胡散臭いものを感じます。韓国朝鮮語の「ワッソ」が、どこまで溯れるのか(とりあえず中期朝鮮語までは最低限で、郷歌あたりにあって上代日本語に相当する時代にまで行けば、信用しても良いと思いますが)何か検討された論考はあるのでしょうか?
2003/08/07 00:57
>>No. 603※『おっしょい』と、博多櫛田神社では…。“o-si−”の語幹は、『来られる・おいでになる』の敬語形となり、貴人・神の到来を告げる、掛け声説に信憑性が増す、と思います。
2003/08/08 11:14
>>No. 603
>(とりあえず中期朝鮮語までは最低限で、郷歌あたりにあって上代日本語に相当する時代にまで行けば、信用しても良いと思いますが)
ないものねだりですね。
「ワッソ」は19世紀に出来た言葉みたいな説もあるそうです、が「来」と漢字で表記された朝鮮語が実際はなんと読んだかほとんど判らない訳で、話言葉、掛け声の類などを記述するようになったのが19世紀と言う事ではないでしょうか?
韓国で始めて小説が書かれたのが19世紀と聞きました。
ところで語順が一致するほどの影響を与えた韓半島の語彙が、日本語に影響を与えなかったはずはないのに、単語の一つ一つになると、どうして頑なに拒否されるのか全く不思議です。
邪馬台国畿内説をとる方に多いようですね。
2003/08/08 16:00
>>No. 605日本語が朝鮮語の語順に影響を与えたっていうこともあるだろ。小説が19世紀以降にしか書けなかったことは、古代日本より古代朝鮮が優れていたという議論が妄想であることを証明しているようなもの。結局、中国の辺境として、中国文明のおこぼれを日本にも橋渡ししたっていう程度のことだよ。古代朝鮮半島が古代日本より優れていた、なんていう証拠は、ほとんどない。ところでおいらは嫌韓じゃないぜ。色眼鏡で見ていないだけ。
2003/08/08 22:54
>>No. 606
私も「日朝両語同祖論」が証明されて然るべきだと思うのですが、実際には、困難のようです。
徐廷範氏の「日本語の源流をさかのぼる」(徳間書店、1989,1月31日)から「しろ」「くろ」の話でも読んで「白黒」を付けてください。(勿論著者は、韓国朝鮮人に多い「日本語は朝鮮語から分かれた!」論者です)。尚子音単独の音を徐氏は片仮名の小文字で表わしていますが、ここでは大文字にしています。
「白」
日本語シロsiro、モンゴル語シラsira(白)、満州語サラカビsarakabi(白髪)、サラカsaraka(白髪頭)、サラムビsarambi(白くなる)、サンギャンsanggian(白い)、韓国語ヘ〜hε〜(白い)、(注;へhεは、太陽の意味)、白髪などの白を意味する言葉はsaiと考えられる。
三国史記のいわゆる高句麗地名の「尸臘」sira(白)がありますが、これは日本語の語形と全く同じです(シラでもシロでも)。
「黒」
日本語クロkuro、トルコ語カラkara(黒)、モンゴル語ハラhara(黒)、韓国語コルk・逆e・l(黒)
尚、契丹(モンゴル系)の建国した「遼」が西走して「西遼」(黒契丹「カラキタイ」といわれた)を作りましたが、これで見るとモンゴル語にも「黒」を表わす「カラkara」の語形がありそうです。
どうも日本語の語形は、韓国朝鮮語の語形よりも、満州語やモンゴル語の語形に近い感じを受けます。
私は、従って日本語の先祖は韓国朝鮮語の祖語の話者(韓族)より更に北方にいた「倭人」が列島に渡来してもたらしたものだと考えた方が良いと思うのですが、どうも韓国朝鮮の方は、「同系、同祖」では満足できず、「韓国朝鮮語から日本語が分離した」と主張したいようです。
2003/08/09 14:14
>>No. 606
>日本語が朝鮮語の語順に影響を与えたっていうこともあるだろ。
お笑いです。
>小説が19世紀以降にしか書けなかったことは、古代日本より古代朝鮮が優れていたという議論が妄想であることを証明しているようなもの。
このあたりは文明と文化の差ですね。
文明としては韓半島は中国と近く支配された事などもあり韓国のほうが進んでいたでしょう。
日本は大陸から離れていたため文明の取り込みは遅れたものの支配を受けなかった為に取り込んだ文明を文化にまで昇華させたと言う事でしょうか。
平安文化、江戸文化など大陸の文明から切り離されていたからこそ花開いたのでしょう。
韓半島は中国文明から離れる事が出来なかったので文化として発展する事がなかったと理解しています。
2003/08/09 14:46
>>No. 608
>>日本語が朝鮮語の語順に影響を与えたっていうこともあるだろ。
>お笑いです。
お笑いである合理的理由を知りたいね。笑うのは簡単だ。
2003/08/09 15:17
>>No. 599
■「ワツシオイ」⇒「集合して上方向」⇒「集団で担ぐ」
■「ワツソ」⇒「集合して関係する」⇒「来る」
★言意解析は「一音一意」が原則。
「白」の意を表す同類語の中に共通スル一音が「白」の言意を成す。
要スルに言語は全て共通って事。
積み重なった他の言意まで一緒こたんに解せる訳がナイ。
2003/08/09 19:00
>>No. 607
割り込み失礼します。
>三国史記のいわゆる高句麗地名の「尸臘」sira(白)がありますが、これは日本語の語形と全く同じです(シラでもシロでも)。
は私が従来から主張している畿内政権は高句麗から来たと言う事の傍証になりそうな気がします。
「sarakabi(白髪)」と言うのも
白壁王(光仁天皇)あたりにつながりそうな気もします。
清寧天皇(白髪皇子)は「sarakabi(白髪)」を日本風に読み替えて「しらが(新羅)」皇子とした架空の天皇。
2003/08/09 19:23
>>No. 611朝鮮半島から王族が来て布武したのであれば、朝鮮語の支配用語がたくさん残っていなければおかしいです。しかし皆無です。
2003/08/09 22:00
>>No. 609
>お笑いである合理的理由を知りたいね。笑うのは簡単だ。
半島から日本に来た記録は沢山ありますが日本から半島に行った記録はわずかです。
海流も半島から日本に来やすくなっていますが日本から半島に行くのは難しい流れです。
来る事が多く行く事は少ないのです。
文明の移動・真似はやさしく、文化の移動・真似は難しいのです。
したがって半島から来る事の方が多く、半島へ行くのは少ないのです。
それは考古学的にも証明されているでしょう。
2003/08/09 22:12
>>No. 612「朝鮮語の支配用語」って例えばどんな言葉ですか?
2003/08/09 22:30
>>No. 613
「半島から日本に来た記録は沢山ありますが日本から半島に行った記録はわずかです。」
この記録とはどこの国の記録でしょう。
そして、半島からの侵攻の記録は元寇を除くとほとんど無く、
その逆のケースは、両国の記録に沢山あるのでは?。
2003/08/10 01:23
>>No. 611
ではなくて、後代に高句麗の領土となった朝鮮半島北部に、日本列島に渡来する前の「倭人」が与えた倭人語(日本語の祖語)の「地名」が、朝鮮の史書「三国史記」の地理誌に「(旧)高句麗領の地名」として残されているということです。いわば、今、ほとんどの住民が日本人である「北海道」の地名のなかに「アイヌ」の人々の付けた地名が残されているようなものです。
畿内政権が高句麗から来たなどという証拠は全くありません。「日本人」が、満洲や内蒙古あたりから来たという証拠として提示しているのですが。ただし、渡来時期は、弥生時代の開始前後でしょう。
「新羅」を「しらき」と読み「白木」と表記するのは、あくまでも日本語です。韓国朝鮮語ではありません。
2003/08/10 06:01
>>No. 615
>半島からの侵攻の記録は元寇を除くとほとんど無く、その逆のケースは、両国の記録に沢山あるのでは?。
半島から渡来人・帰化人としてやって来た記録は沢山あるでしょう?
倭寇の記録は沢山ありますが彼らが半島に住み着いたと言う記録は少ないと思いますが?
私は日本人グループが韓半島に住み着いた例を「沙也可」しか思いつきません。
一時的侵攻で言語に影響する事はないでしょう。
2003/08/10 08:04
>>No. 617
>彼らが半島に住み着いたと言う記録は少ない
記録がないのは当然だろ。ほとんど何の記録もないじゃないか。三国史記と碑文など以外は。中世朝鮮にならないと、記録が登場しないというのは、文明的じゃないね。秀吉のせいにするには時代が合わないしねえ。
2003/08/10 11:39
>>No. 616
※私も、概ね同意見です。高句麗の古地名に倭数詞に関係する語彙が残っている、のをして日本語の起源?かとの説がありますが、私は古代倭語が生き残っている、とした方が説明が就くと思います。でなければ、倭数詞でなく、朝鮮固有数詞になっていて良い筈ですから。
私は、倭数詞『ヒ・フ・ミ…』の成立過程を発見しましたが、発表の機会と場所を捜しています。ここでは、ハングル表記が出来ないので、信憑性を缺きますし…。
2003/08/10 12:30
>>No. 614
>「朝鮮語の支配用語」って例えばどんな言葉ですか?
冗談で言っていると信じたいところです。
では具体的に書きましょう。支配用語以外も含めて。
スメラ。ひつぎのみこ。臣(をみ)。民(たみ)。姓(かばね)。貢(みつぎ)。法(のり)。政治(まつり)。戦(いくさ)。氏(うじ)。この程度でいいでしょう。
最低限、スメラがないとなると、半島から支配者が来たという論法は破綻しますよ。それともまた、<資料がない>ですか。
資料がないなら、半島から支配者が来たというのは、資料がないけどそう思いたいということでしょうか。あるいは、そうに決まってる、とか。
2003/08/10 14:18
>>No. 617
言語的にどう影響したかどうかは知りませんが、
侵攻すれば、そこに住み着くこともあるでしょう。
又文化も影響するでしょう。
渡来人・帰化人としてやって来た記録と言うのは、多くは日本書紀からのものと思います。
その日本書紀の記述には、半島での倭人の活躍も記述されていますよ。
どちらも文字をもたない民族で、相互に影響し合ったと思います。
それでも、漢・韓・倭それぞれに明確な言語的につながりが無いと言われているようですが、それも不思議です。
2003/08/10 17:30
>>No. 599
どんな理屈があるのかわかりませんが、
隣国の影響を認めたいという愛情のようなものが
感じられてなりません。
LOVE韓意識とでも言うのでしょうか?
> 貴方はお神輿を担ぐ時の「わっしょい」
> が韓国語の「ワッソ(来た)」と言うの
> も否定されるのでしょうね。
sarinagaraさんは聡明な方とお見受け致しますので、
もちろんこの語が日本に渡ってきた時期、
その当時の朝鮮半島の言語的な状況、
ならびにその時期の朝鮮半島の言語の音韻体系に
精通しておられるものと思います。
つまりこの分野においては世界でもトップクラスの方ですので、
「『わっしょい』が韓国語起源」をテーマに
是非学会にて発表されることをお勧め致します。
2003/08/10 17:46
>>No. 605
> ところで語順が一致するほどの影響を与
> えた韓半島の語彙が、日本語に影響を与
> えなかったはずはないのに、単語の一つ
> 一つになると、どうして頑なに拒否され
> るのか全く不思議です。
語彙が語順に影響を与えるというのも全く画期的な学説です。
200年の言語学の歴史の常識を、いや
場合によっては認知心理学や論理学の常識を
根底から覆す素晴らしいアイディアです。
どういう要因で影響を与えるのかについては
もちろん考察されておられるのでしょう。
それに敢えて触れないのが奥ゆかしいsarinagaraさんらしいですね。
また日本語、韓国語に語順がそっくりな言語としては、
アイヌ語、満州語、モンゴル語がありますが、
古代北東アジアだけでなく朝鮮半島内のみでさえも
複数の言語が用いられていたのは さ て お い て、
これらについても間違いなく韓国語が
影響を与えたと言われそうな気がしてなりません。
これも世紀の大発見なので、是非学会で発表してください。
2003/08/10 18:01
>>No. 613
ご存じのくせにわざと知らない振りをするとは、
さすがに奥ゆかしい方ですね。
> 半島から日本に来た記録は沢山あります
> が日本から半島に行った記録はわずかで
> す。
韓国の歴史書『三国史記』によれば、
倭人が何度も新羅に侵攻したようですね。
何度侵攻したのかは浅学なもので存じ上げておりません。
少なくとも10回や20回は下らないようですが…
もちろんsarinagaraさんはご存じかと思いますが。
また、『三国志』東夷伝によると、朝鮮半島の南西部、
馬韓、辰韓に接する地域に倭人が居住していたという記録があります。
sarinagaraさんのような博識な方に向かって
こんな誰でも知ってるような常識を
説明するなど大変恐縮で恥しい限りなのですが…
2003/08/10 19:22
>>No. 624
>馬韓、辰韓に接する地域に倭人が居住していたという記録があります。
anti_radiowaveさんは倭人が何処から来たとお考えですか?
私は長江流域から来たと考えます。
戦乱を逃れて海流に乗ってやって来たのだと思います。
少し前にもボートピープルがあちらの方から沢山来て話題になった事があります。
黒潮、対馬海流に乗ってきたのなら当然半島にも行ったでしょう。
何の不思議も有りません。
これが弥生時代の始まりでしょうね。
ちなみに縄文人はもっと南のインドネシアあたりから来たのだと思っています。
2003/08/10 19:53
>>No. 617
倭人の起源論の問題がありますので、三国史記新羅本紀の「倭人、倭寇、倭賊、倭国」記事内の内、半島南部に居住していた可能性のある「倭人」の新羅への来寇記事等は省きますが、日本列島から韓国南部に渡来したと思われる倭人〜日本人の記事を少し例示します。
三国史記新羅本紀
第四代脱解尼師今(在位AD57〜80)、姓は昔氏で、倭国の東北一千里のところにある多婆那国に生まれた。むかし、その国王が女国の王女を娶ったが、卵を産んだため海に流され、金官国の海岸、次いで辰韓の海岸に漂着した。その後、新羅の高官だった倭人の「コ(ひさご)公」の家が吉兆の地としてその地を騙してとり上げて住み、新羅第二代の南解尼師今(朴氏)の王女を妻とした。
尚、脱解の出身国は、龍城国、花廈国などとも言われ、「カカ、カガ」の音より、山本武夫氏はこれを出雲国の加賀郷と考えていますが、私は北陸の加賀国でも良いのではないかと思っています。また昔氏は「積」氏とも書かれていますが、
こうなると、日本の安曇、穂積などの「ツミ」との関連も考えたい所です。
三国史記の百済本紀、高句麗本紀には、両国の滅亡時以前の倭国との交流記事は、ほとんど出てきていません。おそらく、新羅正統史観のため、削除されたのでしょう。
百済
日本書記に百済に使えた物部氏、紀氏、巨勢氏などの倭人官僚の名が出ています。一例を挙げると
紀臣奈率弥麻沙、物部連奈率用奇多、許勢奈率奇麻、物部奈率奇非、河内部阿斯比多、科野次酒、上部奈率物部烏、東方領物部莫奇武連など。
2003/08/10 20:22
>>No. 621
>その日本書紀の記述には、半島での倭人の活躍も記述されていますよ。
半島に住み着いたと言う記録はありますか?
>漢・韓・倭それぞれに明確な言語的につながりが無い
のは基本語が縄文語で、それが南方から来たからでしょう。
タミル語説やポリネシア説もありますがスンダランドから流出したスンダ人がタミル地方やポリネシア、日本韓半島にも、ひょっとすると中国沿岸部にも住み着いたかもしれません。
日本は隔絶された地域でスンダ語が比較的純粋に残ったが、他の地域は現地の言葉に吸収されてしまったのではないでしょうか。
韓国の首露王伝説との関係でタミル語と言うのが非常に気になるのですがちょっと判りませんね。
マダガスカルもタミル語と非常に近いそうです。
2003/08/10 20:56
>>No. 626
所で物部氏、紀氏、巨勢氏などの倭人官僚は百済で妻帯し、百済に骨を埋めたのでしょうか?
少なくともその程度では語順まで変える事は考えられません。語彙も一つ二つならあり得ますが。
沙也可は500人の部下と共に帰化し、村を一つ作りました。
鉄砲を伝えたそうですが語彙はどうでしょう。
2003/08/10 23:23
>>No. 627
「半島から日本に来た記録は沢山ありますが日本から半島に行った記録はわずかです。
海流も半島から日本に来やすくなっていますが日本から半島に行くのは難しい流れです。」
この見解は訂正されるのですか。
言語的分野は、聞き専門(rom)です。
2003/08/10 23:51
>>No. 628
これらの百済官僚としての、物部氏、紀氏、巨勢氏、科野(斯那奴)氏、河内部氏、らはおそらく百済か任那うまれで、丁度日本の大和朝廷の外交に帰化系氏族の出身者が用いられたのと同様の役割を百済側で果たしていたように思われます。百済の対日外交には、日本語(とおそらく漢文)の使用者が必要であり、欽明紀に多くの日系百済官僚の名が出てくるのはそのためでしょう。欽明紀(日本書記)には他にも任那の倭人と思われる名も出てきますが、これらのうち誰が日本派遣か現地在住者かはわかりません。ただ、任那日本府の官僚河内直、佐魯麻都が親新羅派で、更迭を図った百済が、上表して、「今、的臣(いくはのおみ)、吉備臣(名は弟君)、河内直らは、皆(任那日本府の現地の官僚の)移那斯や麻都(佐魯麻都)らの指示に従っています。移那斯や麻都は家柄が低く取るに足らない云々」とか、麻都について、韓腹(母が韓人の意味)でありながら大連の位にあり(この大連は日本府の官位と考えられる)、栄達したのに現在は新羅の奈麻礼に任命されているとか非難しています。任那」にも列島から渡来・土着した倭人がいたことは間違いないと思われます。
次に「倭寇」(13世紀以降の)についてですが、高麗沿海部を侵した倭寇はもと、三島(対馬、壱岐、松浦)や瀬戸内の海賊衆も参加していたことは確かですが、前期倭寇の最盛期の倭寇は、「揚水尺」(禾尺ともいう、牛馬の屠殺や皮革の加工、柳器の製作に従事した非農耕民で、一般の高麗人からは賎民と見做された)や「才人」(仮面芝居に従事した集団で、やはり賎民とみなされた)、それに沿海の住民(勿論高麗の)や済州島の住民などの高麗人が主力で、日本人は1〜3割程度とされています。ここで済州島については、「済州の人民、沿海諸邑に流寓し、既に付着することなし。又禁防なく、出入自由なり。或いは倭人の言語・衣服を効(なら)い、海島に往来し、潜に剽窃を行う」(「朝鮮成宗実録」、13年閏8月戊寅条)というやや後代(李氏朝鮮朝)の記録があります。この済州島人の「倭人」との言語の共有関係は、三国時代よりはるかに後代ですが重要な事実です。(以上の倭寇関係にういては、田中健夫著「東アジア通交圏と国際認識」吉川弘文館、平成9年2月1日発行、による)
2003/08/10 23:55
>>No. 627
》・・・スンダランドから流出したスンダ人がタミル地方やポリネシア、日本韓半島にも、ひょっとすると中国沿岸部にも住み着いたかもしれません。
スンダランドはいつ頃消滅したとお考えですか。
そこに住んでいた人々は現代人で言えばなに人に似ていたとお考えですか。
タミル語と日本語に影響を与えたとすれば、どんなハイテク文明をスンダランド人は持っていたとお考えですか。
2003/08/11 19:23
>>No. 630
半島南部に倭人が居た事は魏志の記述からも疑いようもない事で、済州島に倭人に似た風俗が残っていても何の不都合もありません。
日本語の起源が何かと言う一点で論争しているのですから。
私は語彙の大部分は南方起源であり、一部に北方民族の語彙が入り込んでいると主張しているのです。
韓半島南部には北九州と同じ倭人が半島人と雑居していた訳で、これらの倭人が半島と九州を行き来していたのですから語彙に共通するものがないほうが不思議でしょう。
これを頑なに否定される方の心理状態はどんなものでしょう。
水は高い方から低い方に流れるのです。
古代に文明度で遅れていた日本が韓半島の言語に影響を与えたなどと主張されると笑うしかありません。
2003/08/11 20:17
>>No. 632
私は朝鮮半島に列島の日本人の影響〜移住が、ほとんど無視できる程度のものだという、ご意見だと解釈して、列島由来の倭人〜日本人の移住・渡来を例示したのですが、どうも私の誤解だったようですので、とりあえず、その点については、お詫びします。
ただ、私は、倭人(日本語の直系の祖語を持つ集団と理解)は、長江流域からではなく、北方の遼河周辺から、韓族の居住地を通過して、半島南部を占拠し、次いで列島に渡来したと考えていますので、日本語の基礎語彙の多くや、音節の構造、開音節といった音韻上の特徴、文法構造の大半が、この「倭人」の言語から継承されたものだと思っています。
あなたも私の論旨を誤解されていたようで、私は日本語と韓国朝鮮語の特徴の多くの部分は、共通のアルタイ語的な言語に由来していると思っていますが、韓族と倭人が、半島で隣接して永く居住していたと考えられることから、当然その影響は相互的なものであると思っています。
列島に倭人主力移動後は、任那の倭人が、中国文明の日本流入に大きな貢献をしたことは確かですが、新羅が任那を征服して「韓族化」を成し遂げるまで、半島南部の住民の民族的帰属については慎重に考えるべきでしょう。半島に常に「韓民族」しかいなかったと考えることこそ大きな間違いです。また仮に江南からの中国系の諸族の移住を考えるならば、彼らは半島の韓族よりも「高文化」だった可能性も考慮すべきでしょう。
2003/08/11 20:39
>>No. 632
>古代に文明度で遅れていた日本が韓半島の言語に影響を与えたなどと主張されると笑うしかありません
笑うのが好きなようだね。しかし、笑って誤魔化すってのはよくないね。何の論理的反論も出来ないのに、言うことは断定的、ということは、要するに朝鮮優位論の信者なわけだ。信者を相手にしては、論理も糞もないスミダ。
2003/08/11 23:44
>>No. 633
も当然有りうる事ですがそれは九州には来ていないのではないかと思います。
海流の関係で韓半島の西側は南から北へ流れていますから来にくいのです。
ですから
>長江流域からではなく、北方の遼河周辺から、
は考えにくいと考えます。
いっぽう韓半島東側は沿岸部は南から北へですが少し沖に出ればリマン海流が北から南に流れています。
この海流にのって南下したとき対馬海流にぶつかり東に流されますから島根県から石川県の間に流れついたと考えられます。
妻木晩田遺跡はこれを裏付けるものであると思います。
四隅突出墓は江上さんが鴨緑江の流域で発見していますから高句麗がが起源である事に間違いないと考えます。
このあたりが数詞に見られる語彙の一致ではないでしょうか。
いっぽう「いち、に、さん、し、」の数詞は中国南部の客家語と同じだそうです。
これは後世に伝わったものでしょうか?
「ひ、ふ、み、よ」と並立していたとすれば長江流域から来たと考えるのが正しいでしょう。
それから米のDNAは日本には二種しかなくそのうちの一つは韓半島に存在しないものだそうです。
長江流域起源である事は確定しています。
>江南からの中国系の諸族の移住を考えるならば、彼らは半島の韓族よりも「高文化」だった可能性も考慮すべきでしょう。
たしかに。
しかし、渡来した人々は半農半漁の海人族であったらしい事や、文字を持っていなかったらしい事などを考えると、大陸の王族や貴族の高度な文明は持ってこなかったのではないでしょうか。
遠くから見た事がある程度の知識だったと思います。
2003/08/12 00:10
>>No. 631
スンダランドはいつ頃消滅したとお考えですか。
突然の消滅ではないと思いますよ。
1〜2万年にかけて徐々にだと思います。
消滅以前にもスンダランドから出た人々が古モンゴロイドになったのでしょう。
>そこに住んでいた人々は現代人で言えばなに人に似ていたとお考えですか。
インドネシア人でしょうか。
>タミル語と日本語に影響を与えたとすれば、どんなハイテク文明をスンダランド人は持っていたとお考えですか。
支石墓、亀棺、縄文土器、芋栽培、陸稲栽培?
2003/08/12 01:09
>>No. 635
百済や任那からの北九州への渡来はお認め戴けると思いますが?
だとすれば、遼河流域から陸路半島西岸部を南下して、栄山江流域(全羅南道)や、洛東江流域(慶尚南道)には、十分到達できるでしょう。そこから朝鮮海峡は渡れなかったとは考えられません。
高句麗の積石塚などは、なにも扶余族の渡来を前提にしなくても良いと思われます。ただ、私は、半島韓族居住地の縦断前の、倭人占住地は、遼河南方から鴨緑江流域と考えていますから別に、高句麗と考えずに倭人の文化との関連で説明も可能です。(高句麗の興起した卒本扶余の地は吉林省の南西部でしょう。)
数詞の一致は、扶余・高句麗が満洲族を含む南方ツングース諸族の祖と考えられることから、「なな(七)」に相当する、「難隠」naninが、満州語の七「nadan」に類似していますが、日本語「nana」も同じくらい類似しています。後の「三」である「密mit」などは、日本語のみに相似形が見出されます。いわゆる高句麗地名から再構されたわずか80語ほどの「高句麗語」が、内30語(特に数詞のような基礎語彙を含む)が日本語に類似し、同じく30語(数詞の類似がない)が韓国朝鮮語に類似し、そして満洲語に類似している語彙が15語ほどという言語が、満洲=ツングース語慶の扶余系高句麗語であるとして、説明できると考えるのは困難です。「地名」から再構成された語彙ですから、高句麗の占拠する前の先住民、当然韓族と(後漢書鮮卑伝などでこのあたりに住んでいたと考えられる)倭人のつけた地名が相当数残っていたと考えるべきでしょう。
ところで、漢数詞の「いち。に、さん、し・・」は、漢語(中国語)からの借用語ですから、比較言語学上、日本語の語彙として用いることは出来ません。明確な借用語は、同系言語を探す時は除いて比較することになっていますので。
米は「越族」が日本にもたらしたものでしょうが、渡来したものが少数のため、日本人・日本語形成の主役とはならなかったと解釈されます。
2003/08/12 08:53
>>No. 637
お説は考古学との整合が取れていないように思います。
弥生時代中後期に日本海側に発生した四隅突出墓は豆満江あたりから出航した人々の物でしょう。
遼河付近から西側を年月を掛けてやって来たものなら韓半島西部にその痕跡を残さない筈もなく、さらに九州にも四隅突出墓があるはずです。
考えられるのは弥生文化は九州と中部日本で渡来した人が違うと言う事です。
数詞は他の名詞と違って人の移動か圧倒的な文明の差がなければ移動しにくいと思います。
中国の数詞からの借用ですが「2」は「アル」で似ても似つかないでしょう。
「ニ」は広東語でもないし、かなり古い時代の読みではないでしょうか。
漢字が百済経由で5、6世紀位に導入されたとすれば韓国風の読みになりそうな気がします。
ところで倭人が自ら呉の太白の子孫であると称していた事を無視されるのですか?
風俗も中国南部に似ていると言われている訳でこれを無視されるのはいかがなものかと思います。
2003/08/12 10:05
>>No. 638
「自謂太伯之後。又言上古使詣中國、皆自稱大夫。」
これが一連の文章でしょう。
倭人が皆太白の子孫で大夫の位ではないでしょう。
使節に派遣された人がこのように「自分の事」を自称したのでは。
2003/08/12 10:28
>>No. 638
>「2」は「アル」で似ても似つかないでしょう
素人目には似ても似つかないと思われますが(私も素人です)、比較言語学上は、一致します。
2003/08/12 19:49
>>No. 636
ありがとうございます。おぼろげながら、お考えがわかってきました。
》消滅以前にもスンダランドから出た人々が・・・
スンダランドが消滅したから人々が旅立ったのではなく、文明センターだったから文化+人を発信したのだ、という理解でよろしいでしょうか。
》支石墓
私は漠然と南インド→東南アジアのベクトルを考えていたのですが、インドより東南アジアが古いという研究があるのでしょうか。
》縄文土器
土器はシベリアと日本が古いのではないでしょうか。ニューギニアに縄文土器によく似た土器がありますが、どこまで遡れるのでしょう。
》芋栽培、陸稲栽培?
ふむふむ。
》甕棺
これは、新しそう。この時代に日本語が影響を受けたなら、現代スンダ語を要にタミル語と日本語を結びつけることができる、そういう言語が残っていてもよさそうな気がします。
》タミル語説やポリネシア説もありますがスンダランドから流出したスンダ人がタミル地方やポリネシア・・・にも住み着いたかもしれません。
ポリネシア語は、台湾が起源の場所に近そうだというのが一般的な了解だと思います。ニューギニア付近から東へ広がっていったのはほんの2000年前くらいではありませんでしたか。スンダランドから華南地方へ進出し、そこでポリネシア人になったグループが、再び昔スンダランドであった島々に戻り、そこから拡散した、ということになりますか?
全体に、私には時代関係がうまく整理できません。支石墓・甕棺といった文化は、すでにスンダランドが消滅している時代ですから、「スンダランド」起源というよりもっと具体的な地域名が特定できそうに思います。現代でもボルネオ島やスマトラ島は大きな島ですから、「スンダランド」の形成・消滅に関係なく東南アジアが文明センターであった、という仮説の構築は可能だと思います。しかしそういう証拠が有りそうには思えません。
いつか、気の向いた時に、全体像をご披露願えればと思います。
2003/08/12 22:03
>>No. 638
考古学よりも、形質(自然)人類学〜遺伝学の方を重視していますので、若干、sarinagaraさんとは、会わないかも知れませが、「言語」の観点からは「モノ」よりも「ヒト」の動きの方が重要だと考えているからでもあります。
それと考古学がもう一つ理解できないこと、どうも考古学者の建てる年代観や解釈がこれまで周辺科学や世界史全体の考えと合わないような気がしていたからです。
勿論、人類学分野でもおかしな感じのする有力説はありました。しかし考古学や人類学分野で、この間から?現世人類の多地域〜二地域進化説の敗北?弥生時代の開始時期が前3〜5世紀だとする考古学会の定説の崩壊?例の旧石器発掘捏造による、日本列島の前期旧石器時代の全面的否定(中期旧石器時代については可能性はあると思います)、と次々に大修正が続いています。
私はこの次に、消えうせるのは、モンゴロイドのスンダランド起源説だと考えています。また、弥生時代の開始が前10世紀あたりに繰り上がったことにより、古墳時代の開始も繰り上がることはほぼ確定したと考えられます。「四隅突出墓」は出雲から北陸にかけての、地域的特徴であり、古墳時代の主流となったとは考えていませんので、古墳時代の開始が何時になるかを見極めてから「考古学との整合性」は考えたいとおもっています。
ただ、「支石墓」については、全羅南道が、北方の黄海道あたりと並んで、中心地と考えられますので、「倭人」が(支石墓が倭人の墓制かは検討を要する問題ですが)仮に九州に支石墓とともに到来したとしても問題はないでしょう。
2003/08/12 22:38
>>No. 632
既に反論されている方もおられますが、
> 半島南部に倭人が居た事は魏志の記述か
> らも疑いようもない事
である一方、
> 古代に文明度で遅れていた日本が韓半島
> の言語に影響を与えたなどと主張される
> と笑うしかありません。
というように、朝鮮の言語
(新羅でしょうか、その他の民族の言語でしょうか)
が倭人の言語から影響を受けた可能性は
ゼロということですね。
通常異なる言語の使用地域が隣接する場合は
相互に影響し合います。
常識的に考えればこれには例外はありえません。
ただし、sarinagaraさんがおっしゃるように、
倭と新羅の場合は特別な事情があります。
倭人は新羅に対して軍事的には優位に
立っていたこともあったようですし、
両民族の庶民は日常的に交易を行っていたでしょう。
このような場合は互いの言語が相互に影響し合うものですが、
sarinagaraさんがおっしゃるように
優秀な朝鮮の民族が劣等な倭人に
影響を受ける可能性はやはりゼロですよね。
おそらくこれは人類史上唯一の例外ですが、
ありえないことを可能にしてしまうのは
sarinagaraさんや朝鮮の方々のような
優れた人々でなければできないと思います。
聡明なsarinagaraさんは朝鮮人が最も
優秀だということを理解しておられますが、
私のような無識な人間にはまだ少々難しいようです。
勉強が足りませんね。
2003/08/12 23:41
>>No. 642
がインドタミル地方にある事をどう思われますか?
甕棺墓もあるそうです。
沢山あるところが発生源とは限りません。
例えば銅鐸は九州でも見つかっていますが畿内より少ないでしょう。
しかし九州で先に作られた事は確実です。
発生地より移動先で大流行することも多々あります。
支石墓起源はスンダランドの可能性があるとひそかに思っています。
>弥生時代の開始が前10世紀あたりに繰り上がったことにより、古墳時代の開始も繰り上がることはほぼ確定したと考えられます。
は未だ結論を出すのが早すぎるのではないかと思います。
C14の年代別濃度は時代により逆転したりしている場合もあり、正しい年代を出すには、年輪年代法によって校正する必要があり、年輪年代が間違っていればとんでもない結果がでる可能性を含んでいます。
年輪年代は現在多くの疑問が出されてその信憑性が疑われています。
それに薄いススの層では空気に触れて変化する可能性が高く、正確に測れないというのが以前の常識だったそうで、少ない量で精密に測れると言いながらそれ以前に変化してしまったものでは意味がありません。
もう少し様子を見る必要がありましょう。
2003/08/14 14:49
>>No. 620
アルタイ諸民族の多くは高い山を信仰の対象にしていて、その山々の中でも最高の山のことを、例えばモンゴルやブリヤートなどの民族の神話ではスンブルとかスメルと呼んでいるそうです。
このスメラとスメルと、発音がよく似ています。言語学者によると語源は同一ということです。
スメラミコトは高い山に降臨した尊い人という意味で良いのではないでしょうか。
2003/08/14 15:40
>>No. 645
スメラの最後の「ラ」は接尾語で、本体は「スメ」にあると思いますが。
皇神(スメ・カミ)など。
又天皇を「すめろぎ」「すめらぎ」「すべらき」とも。
何かを縮めた言葉だと思いますが、まだはっきりしないようです。
梵語の「最高」と云う意味を持ち出す人もいるようです。
2003/08/14 21:01
>>No. 645
なぜ朝鮮半島の王・大王はスメラと言わなかったのか、朝鮮半島から支配者が来ているなら、かならずスメラと名乗ったはず。モンゴルやブリヤートでそう言っていたとしたら尚更、なぜ朝鮮半島から来たという支配者は、朝鮮ではスメラと言わなかったのか、三国史記にもなぜ皆無なのか。
それと、スメルというのは単にスメルという山の名前(仏教用語で言えば須弥山)で、そこに降臨した尊い人という意味は皆無。
2003/08/14 21:50
>>No. 647
はヒマラヤの事という説も。
「皇」に「スメラ」の読みを与えたのはいつの頃なんでしょう?
カンボジアのシュメール王国の語源説もあり、仏教の伝来以後のの可能性はありませんか?
もともと文字は仏教と同時に伝わったのだし。
2003/08/15 00:52
>>No. 648
※卑彌呼⇒天照大神⇒阿毎多利思比孤⇒天ーーー皇(あめのすめらみこと)の変遷で、伝統的に固有名詞ではない。
※従って、何人も、何代も襲名した。
※卑彌呼以来、最高位の尊の役職柄は変わっていない。倭國大乱回避談合共立の役職とは、紛争回避の『手配り・手回し』である。朝鮮語に臍の緒を留める古代倭語(漢字語だが、江南・華南ルーツの倭人語?)である。
※“su-bae”(スベ=統べ)⇒『手配』がある。
※阿毎多利思比孤の皇太子が『和歌彌多弗利=若御手振り』である事からも説明が就く。
※因みに、以上の九州皇統の呼称の最後の『天ーーー皇(あめのすめらみこと)』を、太安万侶が訓読みで簒奪して『天皇』は派生した、と。
2003/08/15 00:56
>>No. 649(正)太安万侶が音読みで…
2003/08/16 07:18
>>No. 647
>朝鮮半島から来たという支配者は、朝鮮ではスメラと言わなかったのか、三国史記にもなぜ皆無なのか。
結局「スメラ」なる言葉が5世紀以前に存在した事を証明できなければ支配語云々は無関係ですね。
日本で天孫族が支配権を確立したあと自分の呼称を外来語に求めた可能性も有るでしょうから。
2003/08/16 14:37
>>No. 651
日本は言霊の国。
「宣命」「祝詞」「和歌」など古来の精神性の重要な部分は外来語でなく、主にヤマト言葉で成り立っていると思います。
それから推測すると、最高位の呼称(言葉)を外来語に求めたとは考えにくいと思います。
2003/08/16 18:44
>>No. 652
>日本は言霊の国。
>それから推測すると、最高位の呼称(言葉)を外来語に求めたとは考えにくいと思います。
多分貴方の考えでは日本には大和朝廷が成立する前、大王は存在していなかったのでしょう?
それなら最高位の大王に相応しい尊称もなかったのでは有りませんか?
外来語の最高位の山を意味する言葉を借用したとしても不思議はありませんね。
2003/08/16 19:26
>>No. 652ヤマト言葉の起源を探ってるのじゃなかったっけ?
2003/08/17 08:19
>しかし、神の概念や貴賎の概念があれば、最高位を示す言葉があっても不思議ではありません。
弥生時代中後期100ヶ国以上に分かれていた国々が次第に収斂して大きな国になっていったものと考えますが、100ヶ国位の最高位を例えば「王」とし、30ヶ国になった時、ただの「王」では我慢できなくなり、最高を意味する「大王」としたとします。
次に支配地域を広めて本州の西半分を治めるようになった時、それぞれの地域の「大王」を支配するようになったら「さらなる最高位」を表す言葉が欲しくなるのではありませんか?
それが「皇」という文字であり、「スメラ」と言う言葉だったと言う意味です。
2003/08/17 08:22
>>No. 655名前が違う。
2003/08/17 08:30
>>No. 656かな?
2003/08/17 08:47
>>No. 647
http://www2h.biglobe.ne.jp/~aoitaka/awebind.doc
「ヒヤラヤ山についても述べておきたい。インドのどの種族もこれを神の山と崇めてスメラ(シュメル)山の名で親しんだ。元々、この名はシュメル系のドラヴィダ人がこれを神山として厚く崇めたことに始まるという。仏教でいうしゆ須み弥山、み弥せん山も、この山のことだ。」
この間テレビでチベットでパオに住んでいる人を見ました。
チベットと北方遊牧民の関係はかなり強そうですがインドはどうなのでしょう?
2003/08/18 14:42
>>No. 1
アブラゼミの語源は?縄文語 アイヌ語 古代タミル語に由来しているとか。ご存じの方はご教示ください。
アブラゼミは数万年以前から毎年鳴いていたわけですから、相当古い呼び名とは思います。
2003/08/19 08:15
>>No. 1
全国の,名字が宝来様、蓬莱様!ほうらいの付く方、
差し支えなかったら名字の由来、言われなどをお知らせください。
壱岐は邪馬台国発祥島、壱岐は蓬莱島の研究をしていますので参考にしたいと思います。下記Hpよりのメールでも結構です。
趣味の科学
http://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5
2003/08/20 23:03
>>No. 660
名字というのはいつ頃から使われるようになったのでしょう。
名字の謂われから邪馬台国の研究が出来るのでしょうか。
2003/08/20 23:04
>>No. 659アブラゼミと呼ばれる生物は数万年前から鳴いていたのかもしれませんが、その生物をアブラゼミと呼ぶようになったのはいつ頃のことなのでしょう。
2003/08/20 23:23
>>No. 662
セミという言葉は「蝉」=「セン」と言う漢字の音読みに由来していると思われます。
漢字が来た頃でしょう。
「アブラ」は何処から来たのかという問題ですが私はわかりません。
2003/08/22 17:01
>>No. 663木に止まって、あぶらを売っているからじゃないの。
2003/08/22 19:53
>>No. 664
>木に止まって、あぶらを売っているからじゃないの。
子供の頃アブラゼミが松の木に止まって鳴いていました。
戦時中、松のヤニから飛行機用の燃料を作ったという話を聞いて、油を採る木にとまって鳴くからアブラゼミなんだと思っていたものです。
2003/08/28 13:51
>>No. 1
高句麗由来が何となく解りましたが、誰かもう少し突っ込んで。
ひ は、日、つまり太陽。
ふ は、増える。満ち潮。
み は、満。満潮。
よ は、夜。
のような話を聞いたことがあるのですが関係ある?
2003/08/28 14:02
>>No. 662
アブラ蝉の語源・・・
■アブラゼミ⇒言意は「同じ色(茶)でムラ模様」。
“油”じゃナイ。
2003/09/03 16:18
>>No. 667
アブラゼミの語源、字解はどのようでしょうか。
私は、語源は、アイヌ語、縄文語、倭人語あるいは、古代朝鮮語かタミル語のどれかと思いますが、はかりかねています。
アにはアイヌ語に「降る」の意味がありますので林のなかで降るようにたくさんいる蝉の意味かなとも思いますが分かりません。
2003/09/03 16:45
>>No. 668
「ア」は「合」で意味解釈は「同」。
濁点は「ア」に掛かり、「同」という意味解釈の範囲が壊れて意味が「同系」に変化スル。
濁点「アハ」が付加されてイタ音は「フ」ではナク、「ム」。
正しい言語表示は「アム゛ラ」。
「ムラ」は「模様の一種」。
余談だけど・・・
■油の字意
「シ」+「口」 + 「十」 +「’」
「水」の「範囲」に「重なる」と「上にナル」
で意味解釈は「水に浮く」。
本売れてる?
2003/09/03 17:05
>>No. 669
■「油」の語源。
「ア」⇒「合」で「同」。意味解釈は「液体」。
アハ
濁点「アハ」は「相反」。
「油」は水に反応スル“特質”が語源。
2003/09/04 17:58
>>No. 670語源解釈法は根本から間違っています。
2003/09/06 13:21
>>No. 662
アブラゼミは数十万年前から鳴いていたのはまちがいないでしょうから。その
蝉をアブラゼミと呼ぶようになったのは、縄文人(アイヌ)弥生人、タミル人、倭人のいずれの時代からかと思います。アブラゼミの呼び方がどの人種の言葉か分かれば我々の言語の祖が分かると思いますが、、、、、、
2003/09/07 13:49
>>No. 669
アブラゼミは縄文の昔から名前がついて人間に呼ばれていたはずです。昔は食用にもなっていたかも知れません。アブラゼミの名前の分析がどのくらい古い言葉でできるか興味有ります。漢字分析より古いのは無いでしょうか。
お尋ねの本はおかげさまで一応売れています。
HPの「邪馬台国」もお陰さまでヤフーのベスト12位までに上がりました。よろしくです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5/yamato/yamatai.html
2003/09/07 14:39
>>No. 673
<アブラゼミは縄文の昔から名前がついて人間に呼ばれていたはずです。
御意。
<昔は食用にもなっていたかも知れません。
案外、幼虫なんかは食べてたかもネ。
<アブラゼミの名前の分析がどのくらい古い言葉でできるか興味有ります。漢字分析より古いのは無いでしょうか。
文字の歴史は言語の歴史に比べたら、ほんの一瞬だからネ。
■「セミ」の言意は「平面状」
●「セ」⇒「平面」例えば・・・「背」「瀬」など。
●「ミ」⇒「見」
「セミ」という名称はコノ昆虫が木に止まってイル状態がそのまま名詞化したモノ。
★「蝉」の字意は「生涯て幼虫期が長い」。『言語虫の語源語録』より
2003/09/07 22:06
>>No. 674
いつも木にとまって鳴き、背ばかりを見せているので「せみ」=「背見」という名がついたというのは、当たっているかも知れませんね。真実味が有りますね。
するとこれは、倭人語、大和言葉でしょうか?
2003/09/07 23:10
>>No. 675
これは、言語虫さんのお説よりは、Msg653のmutouhaさんの、漢語の「蝉」の音センから来たと言うほうが正しいでしょう。
文ブン/ブン→ふみ
簡カン(竹簡/木簡)→かみ(紙)
蝉セン/ゼン→せみ
2003/09/07 23:24
>>No. 675では「店(みせ)」はどう解読するのでしょうか。
2003/09/07 23:31
>>No. 675
<倭人語、大和言葉でしょうか?
・・・という分類を問う意味が解らんから、説明してくれませんかネ・・・
2003/09/07 23:37
>>No. 676
母音が変ると言意が変る。
<簡カン(竹簡/木簡)→かみ(紙)
じゃあ、「神」「髪」は?
2003/09/07 23:38
>>No. 677
■店「ミセ」⇒「並べて見せる」。
おもしろいかぁ?
2003/09/08 00:09
>>No. 679
「神」「髪」「上(かみ)」は、漢語からの「借用語」ではないと考えられるので、上代日本語でもそのまま「かみ」(甲乙はあるでしょうが)です。
ところで、「古代漢音は日本語」とは、どういう意味ですか?是非ともご解説を。
2003/09/08 00:24
>>No. 681
<「神」「髪」「上(かみ)」は、漢語からの「借用語」ではないと考えられるので・・・
根拠は?
<ところで、「古代漢音は日本語」とは、どういう意味ですか?是非ともご解説を。
上の件が終わったらネっ。
2003/09/09 19:49
>>No. 682
><「神」「髪」「上(かみ)」は、漢語からの「借用語」ではないと考えられるので・・・
>根拠は?
「神」「髪」の音読みには「kam」という音がありません。
「神」は「しん、じん」、「髪」は「hat、hot」です。
「かみ」の読みはアルタイ系か南方系に求めた方がいいでしょう。
2003/09/09 21:32
>>No. 683
文ブン/ブン→ふみ
簡カン(竹簡/木簡)→かみ(紙)
蝉セン/ゼン→せみ
・・・がデタラメだって言う事。
母音は言意を左右スル重要な音だから「ウ」から「イ」に変化した場合、意味が変る。
更に「濁点」も言語の一部だからネ。
だから、無視しちゃあダメだヨ。
<「神」「髪」の音読みには「kam」という音がありません。
紙は音読みかい?
それとも「簡」=「紙」なの?
■「カミ」⇒「髪」「紙」の言意は意味解釈が共通してイル。
★「カ」は「見える部分と見えない部分の境を見える部分から見た」だ。
「ミ」は「味」。
ワシの言っている意味が解らなければ、紙の表と裏の境が見える方向から見てみぃ?
「髪」と同じだろ?
★「神」は「カムイ」だから「紙」や「髪」の言意と一緒こたんに意味解釈しちゃ、ダメ。
2003/09/25 00:30
>>No. 684
語源は同じでしょう。
髪は「上の毛」の略。
神と上は、精神的に上にあるか、物理的に上にあるかの違い。
よく分からないのが「紙」。
「簡」あるいは「巻」から来ているのかもしれない。
2003/09/25 01:05
>>No. 685
<髪は「上の毛」の略。
対語的使用には必ず、対語がアル。
「下の毛」の略はナイだろ?
だから、「上の毛」の“略”だなんて、デッチ上げなんだ。
2003/09/25 09:15
>>No. 1
日本語の起源ではありませんが語源で
白山神社の祭神菊理媛命の(ククリ)は高句麗ですよね。
居眠りのときの「コックリ」はどうなんでしょう?
それからおまじないの「コックリさん」の語源は?
2003/09/25 09:52
>>No. 686
上様もいるから下様もイルの?
下っ腹もあるから上っ腹もアルの?。
2003/09/25 10:01
>>No. 688
下世話もあるから上世話もアルんだな、言語無視の辞書には。
辞書つくれば?。
ダブハンどもが買ってくかもヨ。
2003/09/25 17:17
>>No. 688“略語”
2003/09/25 17:26
>>No. 689対語の勉強しなさい。
2003/09/25 21:00
>>No. 691
対語的使用には必ず、対語がアル。
これは言語無視の直接引用。
じゃ、「対語」って言語無視の辞書にはなんて書いてアル?。
「上」と「下」は「対語」ダロ?。
2003/09/26 00:14
>>No. 692は、「対字」。
2003/09/26 00:32
>>No. 693
「上」と「下」は対字関係。
「ウエ」と「シタ」は対語関係。
・・・だぐぁ、
「上様」の対語はナイ。
★「対」っていうのは比率が1:1関係で成立スル。
・・・ってぇいう原則がアルからだ。
「上様」っていう言葉を使用する場合、
●特定から不特定多数
●不特定多数から特定
この二種類しかナイ。
解ったぁ?
2003/09/26 10:10
>>No. 694
>「上」と「下」は対字関係。
「ウエ」と「シタ」は対語関係。<
私も賢くないのでよく分からない。
「字」とは記号。
「語」とは単語で意味を有する。
「上」も「下」も単語でないの。
「ウエ」と「シタ」はその訓読み。
2003/09/26 14:13
>>No. 695
<「字」とは記号。
「語」とは単語で意味を有する。
「上」も「下」も単語でないの。
「ウエ」と「シタ」はその訓読み。
うんで、
質問の意味がヨク見えんのじゃけど・・・
それから・・・
もう、“河童の屁”とか言ってキレんといてネ。
ワシの“口が悪い”のは堪えてつかぁサイ。
2003/09/26 14:55
>>No. 696
「対字」と言う語句が一般の辞書にないのですが。
それで私一般人にはよく分からない。
「対字」よ「対語」の違いですよ。
「キレんといてネ・・・」
大丈夫、私「キレ者」でありません。
2003/09/26 15:05
>>No. 697
という表現は適切ではなかったかナ?
“対的関係にアル文字”の事。
コレで如何?
2003/09/26 18:44
>>No. 685
檀君神話の熊は「コム」韓国語で「コムナラ」は神の国と言う意味です。
「コム」が変化して「神・カミ」となったと考えるのがもっとも妥当。
そして「神」は「天上」にいるというイメージから「上」も「カミ」と読むようになった。
>髪は「上の毛」の略。
は妥当でしょう。
2003/09/26 20:47
>>No. 698
「“対的関係にアル文字”の事・・・」
ちょっと淫靡な・・・。
2003/09/27 23:59
>>No. 699
考えると、「神」kamiの「ミ」はミ乙類、「上」kamiの「ミ」はミ甲類で、神=上説については、一応否定的に考えるべきでしょう。「髪」kamiの「ミ」はミ甲類で、「上」と一致するので「上の毛」の略で良いと思われます。
尚、「神」kamiは、古語「カム」の転と考えられています。
檀君神話そのものは、かなり後代になってから記録されたもので、高句麗や韓族が檀君神話を建国時に持っていた可能性は、検証する必要がありそうです。
2003/10/04 08:35
>>No. 699
タミル語ですが・・・。
*神(かみ)
●タ cam-i 1. lord(主), the supreme being(至高の存在);
2. Skanda(スカンダ神・・・仏教でいう韋駄天);
3. Arhatアルハット神・・・仏教でいう阿羅漢);
4. chief(長官), chieftain(首領), master(主君);
5. Guru(教祖的存在), spiritual preceptor(宗教上の指導者;
6. elder(年長者), senior(先輩), elder brother(兄);
そうだとすると、以下の日本語が対応語として成立する。
*守(かみ)・君(きみ)
○日 kam-i 神。the supreme being(至高の存在)、Skanda(スカンダ神・・・仏教でいう韋駄天) 、Arhatアルハット神・・・仏教でいう阿羅漢)に対応する。
○日 kam-i 守(かみ)。chief(長官), chieftain(首領), master(主君) に対応する。
○日 kim-i 君(きみ)。タミル語内部でa/e対応。列島内でe/i対応。master(主君) に対応する。「この倭国に、吾を除きてまた君は無きを」(雄略天皇)など。
*下(した)
●タ cit-aiyar low, mean people(育ちの悪い下品な人々);
●タ citt-ai lowness(低いこと), badness(悪いこと);
●タ cit-ai low persons(育ちの悪い人々);
○日 sit-a 下(した)。
*下(しも)
●タ cinm-ai 1. smallness(微小), fewness(わずか); 2. coarseness(粗末), vulgarity(下品); 3. softness, lowness, as of voice(<声のように>穏やかで低いこと);
○日 sim-o 下(しも)。
大辞林は「下(しも)」の意味として、最後に「地位・身分の低い人」をあげるが、実際はこれが第一義のはずである。
このように、「カミ」と「シモ」は神様と僕(しもべ)という地位の高低、「シモジモはカミを敬え」といった関係に由来すると考えられる。
[ref]
*上(うへ)
●タ uv-an upper-place(上の所)。
○日 uf-e 上。
◎鮮 u 上。(中期朝鮮語)
2003/10/04 10:28
>>No. 702
*雲
●タ kam cloud(雲);
○日 kum-o 雲(くも)。a/o対応。日本語内部でo/u交替。
*蜘蛛
●タ kav-an spider(蜘蛛);
○日 kum-o 蜘蛛(くも)。a/o対応。o/u交替。 v/m対応。
*猛禽という意味のカミ
●タ konm-a beast of prey, as lion, tiger, etc(ライオンや虎などの猛禽);
○日 kam-i カミ。
「韓国の虎という神を生け捕りに(万葉集3885)」など。o/a交替。
*狼(オホカミ)
●タ kokam a species of wolf(オオカミの種);
○日 o:kam-i オオカミ。ko-はco-と対応する。そしてc-はしばしば脱落する。kokamの-o-は長音なので、日本語ではオーカム>オーカミとなる。
*妖怪という意味のカミ
●タ cav-am 1. corpse(死骸), carcass(死体); 2. devil(悪魔), vampire(バンパイア);
○日 kam-i カミ。c/k対応。v/m対応。
*お女将(かみ)
●タ cam-i lady(貴婦人), mistress(女主人);
これは以下の日本語、「お女将(かみ)さん」の「かみ」に対応する。ただし、日本語の辞書では「上(カミ)」からの派生的意味と解している。
○日 kam-i 女将(カミ)。他人の妻に対する敬称。
*紙(かみ)
●タ kamp-ai slips of wood forming the binding of a book made up of palm leaves(シュロの葉で作られた本の装丁に形を与える木製の細片);
○日 kam-i 紙(かみ)? なお検討の余地あり。
*カミと呼ぶ山
●タ kam-ai mountain(山);
○日 kam-i カミ。
つまり、ここでも確かに「山」を「カミ」という場合があるが、それは「神」とは語源的に無関係の「カミ」であるということである。
カミシシ、カモシシという言葉がある。これは山羊と書き、カモシカのことである。おそらくこのカマ、カモも山の意味で、カモシカは山鹿のことであろう。
*大きいと言う意味での「神(カム・カン)」
●タ kan greatness(大);
○日 kam-u カム。大。o/a対応。神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)は大倭伊波礼毘古命の意。
*大きいと言う意味での「クマ」
●タ kon greatness(大), vastness(広大);
●タ komm-ai largeness(大), bigness(大);
○日 kum-a クマ。大。o/u対応。熊鰐は大鰐、熊蟻はクロオオアリ、熊樫は大樫。
*bear(熊)
●タ imai bear(熊);
○日 kum-a 熊(くま)。*kim-ai>*cim-ai交替後、c-の脱落。
2003/10/06 21:20
>>No. 703
神=蛇=母
という仮説を持っていますが何かタミル語と関連はないでしょうか?
2003/10/07 13:43
>>No. 704
確信はありませんが、以下のタミル語は、日本語の「はは」と「ばば」を統一的に理解できそうです。
avv-ai 1. mother;2. old woman
kavvai>cavvai>avvaiの古形kavvaiからk/h交替、v/f対応ででhafa、bab-aとなります。
前者はmother、後者はold womanですからまさにavvaiは意味上も対応します。また、タミル語内部でv/k交替しますから、avv-aiはakk-aiとなります。おそらくこの交替はkavv-ai時代にインドの一部地域で生じたものでしょう。つまりkakk-aiとなり、これは「カカ」となります。
蛇の「カカ」「ハハ」はkakk-am由来ですから、少なくともタミル語では、蛇と母は結びつかないでしょう。
神はcam-iやtev-i、vip-uなどがあります。前者はkam-i、後者はホホデミのdem-i。ホホはハハの交替形でしょうから蛇神となります。vip-uは日本語では三輪山の「ミハ」、神河(ミハカワ)のミハに対応しますが、神と母も結びつきそうにありません。むろん、タミル語では、という限定条件付きです。
2003/10/07 18:38
>>No. 705
そうでしたか。
蛇と母は結びつきませんか。
私も若干無理があるかなとは思っていました。
でも蛇と神はかなり関連がありそうですね。
ところで卑弥呼の「ピミ」は「タミル語」関連で何かないでしょうか?
2003/10/07 21:49
>>No. 677
壱岐へ行っていて遅くなりました。失礼致しました。言語虫さんの書かれたように、商品を並べて見せて売るので、みせ=店になったと思います。
ところで別れるとき「あばよ」と不良が遣う言葉が有りますが、この語源のもとはなんでしょう。いろいろ考えましたが分かりません。
2003/10/07 22:12
>>No. 707
「あんばいよう」
具合がよく、予定通りにいきますように。
ではないでしょうか?
2003/10/08 09:38
>>No. 706
●タ pill-ai daughter(娘); tender(幼い子),young age(若い年齢);smallness, littleness(小さいこと); word-suffix to the names of persons and of some animals, birds and trees(人や幾つかの動物、鳥、木の名に接辞する語);
○日 fin-a 雛(ひな)。
○日 fim-e 姫(ひめ)。日本語内部でn/m交替。
ただ、卑弥呼はヒミコとは読めず、ヒミハですから、形態素はヒ・ミハ、つまり日神のように思われます。
2003/10/08 09:52
>>No. 709
pill-aiのlが日本語rと対応し、日本語内部で歯茎音同士のr/n交替。カリ守とカニ守、ツロガとツルガ、ホロサとホノサなどあり。
調音点の共通によるn/m交替(n音節の前後にm、fがあるとnが唇音化し、n/m交替が生ずる)。
2003/10/08 10:16
>>No. 704
タミル語はお任せするとして:
意味:和語:アイヌ語
母:はは:totto
蛇:はは:tottoni → totto+ni=母木(おものき)とも分解可能
なお、正しくは tokkoni だが音韻転換の例に基づきtottoniもあり得ると判断した。
類似の並列
骨髄:すね:kir
足の脛:すね:kir
多くは挙げられないが興味ある並列だとおもふ
2003/10/08 18:47
>>No. 709
>卑弥呼はヒミコとは読めず、ヒミハですから、形態素はヒ・ミハ、つまり日神のように思われます。
については「狗奴國男王」卑彌弓呼と言うのがあり「ひ」と「みは」で分けるのはまずいのではないでしょうか?
「ピミ」と「ハ」で分けて考えるべきで「ピミ」は「ヘビ」と繋がる可能性があると思ってます。
卑弥呼がビミファと発音されたとNHKの歴史発見で放送されたと聞いた事があります。
「ビミ」「ベミ」とは古代朝鮮語で、「日」、「光」、そして、「蛇」の意味があるそうです。
タミル語では蛇をpavuとかpabiとか言う話も聞いた事があります。
これはどうでしょう?
2003/10/08 19:15
>>No. 711
>意味:和語:アイヌ語
>母:はは:totto
>蛇:はは:tottoni → totto+ni=母木(おものき)とも分解可能
>なお、正しくは tokkoni だが音韻転換の例に基づきtottoniもあり得ると判断した。
なるほどタミル語では関連が見出せなくてもアイヌ語を介すると関連が出てくる。
と言う事は南方語が日本に来てから分化した事を意味するのでしょうか。
母木(おものき)と言えば日本書紀に【神武天皇が敵に追われて逃げる時、木の陰に隠れて助かった。そこでこの木の恩は母にも勝る。その木をオモゴロの木と名づけた。】と言う逸話がのっているそうです。
また「伯耆風土記」逸文にも
【手摩乳・足摩乳が娘、稲田姫、八頭の蛇が呑もうとするので、山中に入った。
その時、母が来るのが遅れたので、姫の曰く『はは来々々』(ははきませ、はは来ませ)といった。
それで『母来国』と名付けた。後に改めて『伯耆国』とした。】
と書いてあるそうで「へび」の「はは」と「母」の「はは」を引っ掛けた駄洒落のような逸話です。
これは単に音が同じだと言うだけですが。
2003/10/08 20:18
>>No. 713
大野晋氏の「日本語=タミル語起源説」は、「季刊邪馬台国」10〜12号(1981秋〜1982春)で凄いバッシングに遭っています。
安本氏の「誤りと偽りの『日本語=タミール語』関係説」とか、
亀井孝氏の「学問公害・世間を惑わす日本語系統論」とか、ちょっと門外漢の素人には何でこんなに激しく批判されるのか、分かりませんが、とにかく凄い!
機会があれば読んでみてください。
2003/10/08 23:29
>>No. 712
倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和をはたして「倭の女王卑弥呼は、狗奴国の男王卑弥弓呼と素(もと)からうまくいっていなかった」と解せるかどうかの問題かもしれません。
普通、おそらく普通名詞のはずの「卑弥呼」の記述のあとに、それに類似した「卑彌弓呼」が出てくる場合、まず注目すべきなのは「卑彌(ヒミ)」という部分が共通しているということです。
むろん、タミル語による解釈ですが、「ヒミ」という言葉がどうしても見当たりません。「ヒミ」は「ヘビ」とは交替しますが、「弓呼」がどうしても見当たりません。
そこでこれはやはり「卑彌呼弓素」と読むべきではないのか、という疑問が生じます。そうすると、当時の中国の漢音であれ何であれ、「弓呼」はタミル語kacc-uに対応します。kacc-uはk-の脱落で日本語as-o(阿蘇)と対応します。「火」という意味です。
ここから、卑弥呼をヒ・ミハとすると「日神」、卑彌呼弓素は日神阿蘇となります。「ヒミ・ハ」とすると卑弥呼は「蛇ハ」、卑彌呼弓素は「蛇ハキャソ」となりますが、この「ハ」の意味がタミル語では不明です。むろん、あくまでもタミル語では、という限定条件が付きます。
2003/10/08 23:38
>>No. 715
>音であれ何であれ、「弓呼」はタミル語kacc-uに対応
これは「弓素」はタミル語kacc-uに対応
でした。訂正します。
安本氏の主張は根本的に方法論が間違っていると私は思います。少し長くなって恐縮ですが、以下のように反論できます。
安本美典氏は、統計学的方法でみたタミル語と日本語との一致は、偶然の範囲であるとする(安本「日本語の起源を探る…コンピューターがはかる”やまとことば”成立モデル」PHP研究所)。
同氏の精緻な統計処理は正しいと思う。しかし基礎語彙の選択方法に明らかな誤謬がある。例えば同氏は安本・本田編「日本語の誕生」(大修館書店.1978)で、タミル語基礎語彙200を挙げて東京方言と比較する(p281)。以下はその一例である。
英語 東京方言 タミル語
blood t∫i(血) kuruti
breast mune(胸) marpu
to bite kamu(咬む) kati
dog inu(犬) nay
to eat taberu(食べる) cappitu
fat aburami(脂身) koluppu
to fly tobu(飛ぶ) para
noze hana(鼻) mukku
saliva tsuba(唾) eccil
同氏はこの他にtakusan(沢山)をタミル語palaに、doobutu(動物)をタミル語mirukamに、kodomo(子供)をタミル語kulantaiに対比させるなど、日本語化した漢語もしくは複合語(子供など)をも基礎語彙に入れるという過ちを犯しているが、この英明な学究にしてはとても信じがたいことである。
ともあれこれらの基礎語彙比較を厳密に統計処理して、同氏は日本語とタミル語は殆ど一致しないとする。確かに、doobutuなどは一致するはずもない。
同氏が対比させているタミル語は以下のようなものである。
2003/10/08 23:40
>>No. 716
[血]
●タkurut-i 1. blood(血); 2. red colour(赤色); 3. mars(火星); 4. brain(脳);
[胸]
●タmarp-u 1. bosom(胸), breast(胸部), chest(胸郭); 2. woman's breast(女性の胸);
3. rim(縁), top(先端); 4. tank(池); 5. breadth(幅);
[咬む]
●タkat-i to bite(噛む), bite off(噛み切る); to bite and eat(噛んで食べる); to crop(食いきる), gnaw(齧る);
kat-iは「咬む(kamu)」とは対応しないが、日本語kad-iruと対応する。
*齧(かぢ)る
●タ kat-i 1. to bite(噛み付く), bite off(噛み切る); to bite and eat(噛んで食べる);
○日 kad-iru 齧(かぢ)る。-t-は巻舌音なので、ここでは日本語-d-と対応する。
[犬]
●タnay dog(犬);
[食べる]
●タcappit-u 1. to eat(食べる), drink(飲む); 2. to consume(浪費する), isappropriate(悪
用する);
なお「脂身」(これは本来「あぶら」と「み」で対比させるべきものである)についてはkoluppuとなっているが、TAMIL LEXICONには見当たらない。この-l-は弾音なので、おそらく辞書編纂者が-l-を-z-と聴いた可能性もある。
[脂身]
●タkozupp-u 1. fulness(肥満), richness(肥沃); 2. fat(脂肪), grease(油脂), lard(豚脂);
[飛ぶ]
●タpar-al 1. to fly(飛ぶ), hover, flutter or float in the air(空中に停止する・空中を羽ばたきして飛ぶ・空中に浮かぶ);
[鼻]
●タmukk-u 1. nose(鼻), nostril(鼻腔); 2. bird's beak(鳥の嘴); bill(細長く扁平な嘴);
[唾]
●タeccil saliva(唾液), spittle(唾);
このように、選択されたタミル語自体は間違いではない。しかしタミル語には異音同義語が非常に多いということを考慮に入れなければならない。同時に古代から現代に至る間に基礎語彙が変転するということもよくある。したがって、本来は現代語と比較すべきではない。タミル語には異音同義語が無数にあるのである。
例えば日本語「ti(血)」とまったく同じ意味のタミル語にkurutiの他、utiram、kurutippunal、cempunnir、nettam、pulanir、rattam、arakkam、conitam、cori、coni、eruvai、arattam、neyttor、purali、cempal、kilalam、punnir、arakam、ney、eruvai、iracatamなどがあり、これらはすべて「blood(血)」を意味するタミル語なのである。したがってこの豊富な語彙の中から、kurutiのみを選んで日本語と対比させるのは、甚だしく恣意的に傾かざるを得ない。
クレオール・タミル語としての原始日本語は、血を穢れたものとする習俗もあり、血を「汗(あせ)」とも云った。忌み語としてではないかもしれないが、血と膿を混同させた可能性がある。日本語tiは「膿」を意味するタミル語ciと対応する。
*血(ち)
●タ ci pus(膿汁);
○日 ti 血(ち)。c/s対応。日本語内部でs/t対応。英語bloodは「(下等動物の)体液;(血液に似た)樹液,果汁」の意味があるが、樹液などは血からの連想になるものである。原初には「噴出する」という意味であった。
[ref]
日本語「あせ」には、「物の表面につく水滴」という意味もある。おそらくこれが汗の第一義であったであろう。こ
れは以下のタミル語と対応する。
*汗(あせ)
●タ cott-u drop(滴);
○日 as-e 汗(あせ)。c-の脱落。o/a交替。t/s対応。
*胸(むね)
次に「胸」だが、marpuの他にmonni、kucam、vakkanam、urataram、mulaimarpu、cuvarkkavetiなどの単語があり、これらはすべてbreast(胸)を意味する。この中で日本語はmonni>muneと対応する。
「犬」もdogとして、mulavai、muvvai、vakkiravalati、cuvanam、akkan、ucci、ekinam、 kuran、acuzam、kukkan、cennay 、nali、namali 、carameyan、yatcam 、urokati 、nayakkan、cunagkan、cuva、nellai、purokam、paikiri、mirukatanc
akan、mutuval 、ju、cakutam、paki、paciなど非常に多くの語彙がある。この内、ucci、cennayとpatiが日本語となっている。
*獺(うそ・をそ)
●タ ucc-i dog(犬);
○日 us-o 川獺(かわうそ)の「うそ」。川獺はイタチ科の哺乳類だが、この「うそ」は日本語で犬を意味する古語である。
○日 wos-o ヲソ。u/wo対応。倭名抄に「乎曾(をそ)」とある。なお、南島諸語に、犬を’aso、’asu、wasuなどという(村山「日本語の比較研究」p180-188)。 南島諸語とタミル語との相互干渉はありうることである。
*ポチ
●タ pac-i dog(犬);
○日 pot-i ポチ。犬の愛称。
*犬(いぬ)
●タ cenn-ay brown-coloured dog(茶色の犬);
○日 in-u 犬(いぬ)。c-の脱落。e/i対応。
2003/10/08 23:42
>>No. 717
こうしてみると、基礎語彙から同系を求めるというのは、語彙が豊富な言語にあっては方法論的にそぐわないということが言えるだろう。
以下、同義語の列挙は省くが、to eat(食べる)と比較されたcappit-uの他に、タミル語では以下のような語がある。
*噛(か)む・食(は)む・食(く)う・食(た)ぶ
●タ kavv-u 1. bite(噛むこと), seizing by the mouth, as dog(<犬のように>口でくわえる); 2. eating(食べること);
●タ capp-u to masticate(かみこなす), chew(かむ); 2. to mumble in eating
(〈食べ物を〉もぐもぐかむ); to munch(むしゃむしゃ食う); 3. to sip(チビリチビリ少しずつ飲む, suck(吸う・しゃぶる);
●タ tuvv-u to eat(食べる);enjoy(楽しむ);to be strong(力がある);
●タ cav-ai to chew(かむ), munch(〈食べ物を〉むしゃむしゃ食う);
●タ cuv-ai 1. to taste(味わう); 2. to eat(食べる), chew(噛む), suck(吸う);
3. to kiss(キスする); 4.enjoy(楽しむ);
○日 kam-u 噛(か)む。kavv-uよりv/b対応。日本語内部でb/m対応。
○日 ham-u 食(は)む。kavv-uより、k/kh/h対応。
○日 kuf-u 食(く)ふ。kavv-uとcapp-uはタミル語内部でのk/c対応形である。「上位の者を負かしたり、立場をおびやかしたりする」という意味での「食ふ」はtuvv-uのto be strongに対応する。
○日 tab-u 食(た)ぶ。u/o対応。o/a交替。cav-uと対応する。
*しゃぶる・吸(す)ふ
○日 shab-uru しゃぶる。cav-aiと対応する。c/s対応。
○日 suf-u 吸ふ。口吸ひ(kiss)する。cuv-aiと対応する。c/s対応。
to eatに関しては、タミル語内部で上記のようなk、c、t交替がある。これに対応して、日本語もk、s、ch、tなどに分岐している。
「あぶらみ」は「あぶら」と「み」にそれぞれ対応させるべきことは既に述べた。安本氏はaburaをタミル語kozupp-uと比較するが、この語を選べばむろん対応しない。しかしタミル語には以下の語がある。
*脂(あぶら)
●タ pivar-am fat(脂肪) ;
○日 abur-a 油(あぶら)。脂。タミル語内部でi/u交替がある。したがって、puvar-a>wuvar-a>ubar-aからとし、日本語内部でu/a交替とすることも可能である。
以下は「飛ぶ」に対応するタミル語である。安本氏はpar-alと対応させるが、このto
flyも語彙が多い。以下のタミル語は日本語tob-uと綺麗に対応する。
●タ tav-u to jump up(跳ぶ), leap(跳躍する); to skip over(飛び越える);to fly(飛ぶ); 5. to move towards(の方へ移動する);
○日 tob-u 飛(と)ぶ。跳(と)ぶ。
タミル語「鼻」はmukk-u以外に以下の語がある。
*鼻(はな)
●タ kon-am nose(鼻);
○日 han-a 鼻(はな)。k/kh/h対応。
最後に、タミル語eccil(唾)以外に、日本語「唾(つば)」と対応する語を示す。
*唾(つば)
●タ tupp-u to spit(唾を吐く);
○日 tub-a 唾(つば)。日本語では名詞化。「つばき」はtuba・haku>tubaku由来。
以上のように、安本氏がまったく対応しないとするこれらのタミル語と日本語は、上記に示したものだけでもすべて対応することが分かる。
2003/10/09 00:03
>>No. 718
安本美典氏は以上のような誤謬を犯しています。これはとても学者のなすべき批判とは程遠いものです。
たとえば、蛇は日本語でクチナワ、マムシ、ハハ、オロチなどといいます。これを彼はfeb-iのみと比較しているようなものです。当然、合致するはずはありません。
学者がなぜこのような子供騙しの手品のような論法を公然と披瀝するのか、まったく理解に苦しみます。
2003/10/09 00:26
>>No. 717「ポチ」(犬の愛称)については、この間、TVで明治以降に日本語に入った「外来語」(確か英語から)だと、言っていたように思いますが・・・。
2003/10/09 00:33
>>No. 713
>なるほどタミル語では関連が見出せなくてもアイヌ語を介すると関連が出てくる。
と言う事は南方語が日本に来てから分化した事を意味するのでしょうか。
日本語の全部がタミル語からとか、南方語とか一カ所から来たわけでもあるまい、とおもうてます
神武紀に「オモゴロの木」ですか?
「オモノキ」なら知ってますが・・・
母来ませ、も、母木との語呂合わせと、はは=蛇の語呂合わせと二重になってますね。
2003/10/09 07:26
>>No. 720
>明治以降に日本語に入った「外来語」
そうかもしれません。一応、指小辞と判断して採用しました(これっぽっち、などと同系として)が、違う可能性もあります。その場合は、ヲソとイヌのみの対応ということになります。
タミル語の場合、かなり古くから印欧語族と相互借り入れがあり、それが回りまわって英語と日本語の語根が同一語源である場合があります。
たとえばマジックとマジナイはサンスクリット語マントラを介して東西に波及した可能性があります。以下にペーストします。
●タ mantir-am sacred formula of invocation of a deity(神への祈願のための聖なる言葉),magical formula(魔法の言葉), incantation(まじない),charm(魔法), spell(呪文);
○日 maz-inafi まぢなひ。-nt-/-d-対応。-r-/-n-対応。
ラテン語magice、中期英語magik、英語magic。
「まぢなふ」の「なふ」は殆どが名詞に接辞して「〜を行う」という意味を付加します。「まぢなふ」の場合は「マヂを行なう」、「あきなふ」は「アキを行なう」「うらなふ」は「ウラを行なう」。
これは以下のタミル語と対応します。
●タ nav-il to perform(なす),to practise(実行する),to intend(意図する);to bear(もつ);to desire(希望する);to exceed(超過する);
○日 naf-u なふ。v/f対応。-lの脱落。
●タ pok-i trader(商業を営む人);
○日 wak-i 商(あき)。p/w対応。wa/a交替。o/a対応。
●タ err-am determination(決定), decision(判断);
○日 ur-a 占(うら)。e/u対応。
益荒男の「マスラ」と英語のmatureも疑わしい一例ですがよく分かりません。
●タ mut-ir to become mature(完全に発達する); to grow ripe(円熟する); to excel(優る),surpass(勝る);
○日 mas-aru 優(まさ)る。勝(まさ)る。u/o対応。日本語内部でo/a交替。
○日 mas-ura 益荒男の「ますら」。
2003/10/09 19:05
>>No. 721
『飫悶廼奇』オモノキでしたね。なにかでオモゴロという言葉を聞いたことがあり、あまりに変った言葉なので間違えて覚えていました。
>日本語の全部がタミル語からとか、南方語とか一カ所から来たわけでもあるまい、とおもうてます
それはその通りでしょうが、一番多い基礎語彙のルーツは何処にあるかということです。
>母来ませ、も、母木との語呂合わせと、はは=蛇の語呂合わせと二重になってますね。
本当だ。そこまで気がつきませんでした。
2003/10/10 00:13
>>No. 723
mutoha さん
>それはその通りでしょうが、一番多い基礎語彙のルーツは何処にあるかということです。
そうですね。こういうレベル、枠組みでお話ができると判りやすいです。
さて、100語とか200語の基礎語彙表で「一番多い」のは何語との関連なんでしょう。私の読書の範囲では、何語との間にも十分な数の一致がなく、日本語は相変わらず孤立語、ということになってるのではないでしょうか?
安本さんが45だったかの言語と日本語を比較してみて、音韻法則の成り立つ言語がみつからず、頭子音の一致だけで統計処理をしてみた。とりも直さず、音韻法則で証明できるような親戚関係のある言語は見当たらない、ということなのでは?
2003/10/10 18:02
>>No. 722
あなたはいろいろタミル語について投稿
されているけれども、日本語とは無関係ですよ。
無駄なことはおやめなさい。確かに楽しいかもしれませんけど、事実ではないです。
2003/10/10 18:28
>>No. 724
>私の読書の範囲では、何語との間にも十分な数の一致がなく、日本語は相変わらず孤立語、ということになってるのではないでしょうか?
私は言語学の本をまともに読んだ事はありませんが、judaishiogakuさんが示してくれているようにタミル語は日本語と似ている所は偶然とは思えない位沢山あります。
私もタミル人が日本に来たとは思っていませんが似ているのです。
タミル語だけではなくネパール語との関係を研究している人もいるようです。
安本さんと言えば韓国語と日本語の分離は5000年以上前の事だと主張されているとか。
私もそれで良いと思います。
縄文人のルーツは一万年前の地球温暖化の影響で北上して来た南方(スンダランド)人であろうと思っています。
同じように韓半島にも南方人が住みついた事でしょう。それぞれ交流がなければ一万年たてばかなり変ってしまうでしょう。
韓国語と日本語の分離は縄文時代以前と言う事になりますから。
韓国語は日本より中国の影響を強く受けて大幅に変ったものと思います。
その結果日本人と韓国人の語彙にはかなりの差が出きた。
タミル語との相似もスンダランドの水没で西の方に行った人々の言葉と考えると判りやすいです。
2003/10/10 22:53
>>No. 722
*私(わたし)・私(あたし)・わて・我(われ)
大辞林によれば「わたくし」の意味は以下のようである。
(1)自分自身に関すること。個人的なこと。
(2)自分だけの利益や都合を考えること。自分勝手。私利私欲。
(3)内密にすること。
以上から「わたくし」とは本来「内密」という意味であったことが分かる。
これに対応する。するタミル語には以下がある。
●タ antar-am 1. that which is internal(内面的であること); 2. secret(秘密);
○日 wata-si 私(わたし)。ant-a>wat-a対応。-rの脱落。-siの付加。
○日 ata-si 私(あたし)。
○日 wat-e わて。関西方言。
○日 war-e 我(われ)。t/r対応。
○日 ware-ware 我々(われわれ)。
watasiの-siはタミル語t-em[(direction(方向), quarter(方角); a word used a locative case-suffix(位置を示す接尾語)]の日本語対応形t-e(「山の手」の「て」)、及びt/s対応したs-i(「ひがし」の「し」)である。
wareの-reが果たしてt-から対応するかどうかだが、元々antaramの-nt-は-t-にも-nd-/-d-にも対応する。そして、日本語内部ではd/rの交替が認められる(山口佳紀「古代日本語文法の成立の研究」p148参照)。したがって、wareはant-aramと対応する。
なお、複数の我(われ)を「われわれ」と疊語させて作るいわば安易さは日本語がクレオール語である特徴の一端をよく表わしている。
「わたし」と「わたくし」の語源は異なる。しかしこの両者の対応から、日本語-siは、前述のように日本語内部で後接されたことが分かる。
*私(わたくし) ・私(あたくし)
●タ atakk-am secret(秘密);
○日 atak-u-si 私(あたくし)。
○日 watak-u-si 私(わたくし)。a/wa対応。「あたし」の方が古形であろう。
大辞林も広辞苑も「わたし」は「わたくし」の転あるいは約とするが、タミル語からすると、この説には若干疑問がある。「わたし」はant-aram由来、「わたくし」はatakk-am由来のはずである。しかし、音と意味の類似から、上古においてすでに混同されたものと思われる。
*我(われ)ら
○日 war-e-ra 我ら。
2003/10/10 22:54
>>No. 727
*等(ら)
●タ ir 1. suffix denoting second person plural(二人称複数を表わす接尾語); 2. suffix denoting third person plural(三人称複数を表わす接尾語);
○日 r-a 等(ら)。川本崇雄「ピジン・クレオール化と日本語の形成」[「日本語の形成」(三省堂)所収]は南島祖語Da(三人称複数代名詞・複数接辞)とする(p162)。
この形態はタミル語助詞in(の)、in(に)、aka(が)、otu(と)、um(も)が日本語no、ni、ga、to、muが、大野氏の言われるように、日本語は開口音で終わる(CV、CVCV)ため、これに接辞する助詞などは重母音となってしまうため、頭母音を脱落させて末尾子音を開口させる方法と同じで、接尾語irは日本語ではr-uとなった。
なお、クレオール語の特長をよく示すごとく、この人称に付くraは日本語では同時に名詞、指示代名詞一般にも付く。大辞林は「等(ら)」を以下のように説明する。
(1)人を表わす名詞や代名詞に付いて、複数であることを表わす。謙譲・親愛・蔑視の気持ちを含んで、それと同類のものを漠然とさす。目上の人を表わす語には付かない。
(2)名詞に付いて、語調を整えまた、事物をおおよそにさし示す。
(3)指示代名詞またはその語根に付いて、方向・場所などをおおよそに示す語を作る。
*な(己/汝)
●タ nam 1. we(我々); 2. you, used honorifically(敬称として用いる「あなた」);
○日 na な(己/汝)。-mの脱落。
*汝(なむち・なんじ)
○日nam-uti 汝(なむち)。日本語内部でのm/n交替でのちnangiとなった。「なむち」の「ち」は上述のt-emに由来する。大己貴神の「なむち」とは無関係である。
namの単数形はnanはI(私・我)である(大野「形成」p337(OK269)。名前の「な」はここから来ているかもしれない。そうだとすると、自分のことを「手前」というのと同様、「名前」と言ったか。
以下、大辞林より引用する。
(1)一人称。わたくし。自分。自分自身。
「常世辺(とこよへ)に住むべきものを剣太刀(つるぎたち)何時汝が心からおそやこの君/万葉 1741」
(2)二人称。対等もしくはそれ以下の相手に対して用いる。おまえ。なんじ。
「吾はもよ女(め)にしあれば、汝を除(おき)て男(お)はなし、汝を除て夫(つま)はなし/古事記(上)」「ほととぎす汝が鳴く里のあまたあればなほうとまれぬ/古今(夏)」
〔上代には(1)よりも(2)の例が多い。(2)も中古になると「なが」という形でだけ用いられ、やがて用いられなくなる〕
なむぢ(汝)については、大辞林は「汝(な)」に「貴(むち)」が付いてできた「なむち」の転とするが、これは「なむ」に「ち」が付いたものとすべきである。
二人称、多く対等の人、またはそれ以下の人に対して用いられ、中世以降は目下の人や親しい人を呼ぶのに用いられるようになった。現代語では主として文語的な言い回しに用いられる。
「汝の隣人を愛せよ」「汝が持ちて侍るかぐや姫奉れ」(竹取物語)〔これは、本来、相手を尊敬して呼んだ語と考えられる〕
2003/10/10 23:05
>>No. 728この形態は、タミル語助詞in(の)、in(に)、aka(が)、otu(と)、um(も)が、大野氏の言うように、日本語は開口音で終わる(CV、CVCV)ので、これに接辞する助詞などは重母音となってしまうため、頭母音を脱落させて末尾子音を開口させる方法で、no、ni、ga、to、muとなるのと同様、接尾語irは日本語ではr-uとなった。
2003/10/11 07:17
>>No. 727
タミルとの関連は良く判りませんが
魏志韓伝辰韓条に『東方人名我爲阿』とあります。
辰韓では自分を「阿」と呼んでいたらしいのです。
ですから
>*私(わたし)・私(あたし)・わて・我(われ)
については全て「阿」からの変遷を推理した方が良いと考えます。
「あ」→「わ」→「われ」or「あれ」→「おれ」
「あ」の複数形「あ」+「たち」→「あたち」→「わたし」or「あたし」が単数に変化。
2003/10/11 10:21
>>No. 730
語源解釈には、ある程度、整合性が必要です。ある言語(X)からのクレオール語とする場合、Xから導き出せるものはまずXに拠る。浮気はXからではどうしようもない場合のみ、という節度を持たないと乱婚状態となります。
●タ y-an I(私);ドラヴィダ語語源辞典No.5150.
○日 w-a 吾(わ)。y/w対応。
○日 a 吾(あ)。wa/a対応。
「あ・たち」だとすると、「わたくし」の説明がつかないように思えます。
2003/10/11 11:34
>>No. 730
※九州弁に『あてィ』・『あてェ』が在ります。『阿弟』と自分を遜っての一人称では?と思っています。
※“atai”の二音節(ai二重母音)が、三音節化(aiの短母音化)すると『あたい』⇒『わたい』⇒『わたし』の変遷が起きたのでは?ないでしょうか。
2003/10/11 18:13
>>No. 726
》安本さんと言えば韓国語と日本語の分離は5000年以上前の事だと主張されているとか。
安本先生の議論がいかにいいかげんかという上代さんの発言の後で、その問題に何の言及もせずに安本の結論の上に発言を重ねていいのかなーーー。
》縄文人のルーツは一万年前の地球温暖化の影響で北上して来た南方(スンダランド)人であろうと思っています。
でも、土器は15000年も前から作られているんじゃありませんか。
》タミル語との相似もスンダランドの水没で西の方に行った人々の言葉と考えると判りやすいです。
全然判りやすくない。
タミル・日本語「族」に属する言語がスンダランドにあるという話など聞いたことがありません。きっと、このことばを話す人たち全員がインドと日本へ行ってしまったんでしょうね。
タミル語説というのは、日本語はドラビダ諸語の中でもとりわけタミル語と深い関係が認められるという主張です。スンダランド起源説では他のドラビダ諸語の分化はどう説明するのですか。
だいいち、スンダランドは「アトランティス」のように水没してしまったわけではありません。いまでもボルネオやスマトラのような広大な土地が残っています。毎年10cmずつ海が侵食してくるだけなのに、あなたは命がけで船に乗って海のかなたにあるかないかわからない希望の大地を探しに出かけますか?
ということでスンダランド説は全くナンセンス。
2003/10/11 20:58
>>No. 733
1.とりあえずは言語学が慣習として、に過ぎないとしてでも、扱ってきた基礎語彙の範囲に限って、同義異語が一杯あるなら一番似ているものでいいから、どれほど対応しているのか、見てみたい。(基礎語彙に限って貰わないと、他の研究との比較のしようがない。)
2.ついで、なぜ対応しているとするのかを示す音韻の変遷を提示して欲しい
(c 脱落 a/o 対応などでいいから)
3.ついで、それらの音韻の変遷はアドホック(特定の語だけに当てはまる)ではなく、数語に適用可能であり「音韻法則」と銘打って良さそうであることを見せて欲しい。(cが脱落する場合、しない場合の条件は何か、など)
なお、このスレの「日本語の起源」とは現代日本語のことではない、と考えるがどうか?>トピ主どの
おかみさん、かぢる、ぽち、しゃぶる、などが、出てきた途端に読む気が失せるのは「わたくし」だけか?
2003/10/11 21:18
>>No. 733
>でも、土器は15000年も前から作られているんじゃありませんか。
氷河時代のピークは3万年前だそうですからスンダランド人が来たのは1万5千年前でもいいと思いますよ。
>タミル語説というのは、日本語はドラビダ諸語の中でもとりわけタミル語と深い関係が認められるという主張です。スンダランド起源説では他のドラビダ諸語の分化はどう説明するのですか。
は未だ深く考えたことがありません。
もう少し時間を下さい。
>だいいち、スンダランドは「アトランティス」のように水没してしまったわけではありません。いまでもボルネオやスマトラのような広大な土地が残っています。毎年10cmずつ海が侵食してくるだけなのに、あなたは命がけで船に乗って海のかなたにあるかないかわからない希望の大地を探しに出かけますか?
それは違うと思います。
まず海進は気象変動のためです。温暖化ゆえに農作物が取れなくなるのです。
少しでも涼しいところへ行こうとするのが自然でしょう。
つぎにスンダランドは水深100mくらい均一の広大な土地です。
海進が始まったら一気に100mや200m進んだのでは無いでしょうか?
ベニスのサンマルコ広場だって30cmの高潮で水浸しになります。
2003/10/11 21:48
>>No. 731
>「あ・たち」だとすると、「わたくし」の説明がつかないように思えます。
「あ・たち」は思いつきですので取り消しても良いですが、「あ」から「われ」の変化は間違い無いでしょう。
「y-an」→「われ」は韓国語の「n/r」置き換わりに対応するのでしょうか?
2003/10/11 23:45
>>No. 736
>「あ」から「われ」の変化は間違い無いでしょう。
「れ」はどういう意味とお考えですか。
韓国語のことはよく分かりません。
ところでおかみさんなどと出てくると読む気がしないと言われた方がおりますが、何故でしょう。
文献に載っているものが日本語だとは限りません。
タミル語によると「殯(もがり)」や「荒城」「みささき」(今で言う古墳)などの意味もよく分かります。
古代、本葬前に仮葬として小屋を作り、一定の期間遺体を納めて、体から魂を遊離、つまり浄化させるという風習があった。天皇の場合は殯宮(もがりのみや)が設けられ、敏達天皇の殯は5年8カ月、天武天皇のときは2年2カ月、持統天皇のときも1年間に及んだがそれ以降は廃れた。
「殯(もがり)」は、死者蘇生の呪術としての側面を多分に含んだ祭礼であったとする説や、梅原猛氏のように「殯の期間というものは、人間の白骨化の期間なのであろうか」(「黄泉の王」)とする見方もある。
タミル語からすると、やはり死者蘇生のための儀礼のように思えるが、どういうことがそこでなされたのかが端的に分かる。
殯(もがり)は以下のタミル語が対応する。
*殯(もがり)
●タ mokkal-i to detain a person in his journey(旅立とうとする人を引き止める);
○日 mogar-i 殯(もがり)。-kk-/-nk-/-g-対応。
古事記に「伊邪那岐命、語らひ詔(の)りたまひけらく、『愛(うつく)しき我(あ)が那邇妹(なにも)の命(みこと)、吾(われ)と汝(いまし)と作れる国、未だ作り竟(を)へず。故(かれ)、還るべし』とのりたまひき」とある。
これはまさに「殯(もがり)」そのものといえるかもしれない。もっとも、日本書紀ではモガリと言うが、古事記ではモガリとは言わず、次項で述べるアラキという言葉を用いる。万葉集も同様である。
ではこの殯の間、これに参加するものは、黄泉へ旅立った人を引き止めるために何をしていたのであろうか。おそらくそれは天照大神が天岩戸に身を隠したとき、神々が踊ったり笑ったりしたことと同じことをしたであろう。今でいう「通夜」である。本来はこの世の方が楽しい、というメッセージを送るための呪法と考えられる。
このように、天岩戸というのは殯宮に他ならず、神々はそこで殯(もがり)を行ったものと思われる。とすると、天岩戸というのは墓ではなく喪屋であることになる。殯は喪屋で行われるからである。
天皇神話では、この天岩戸でのmokkal-iは成功したように記述されているが、これが現実の出来事を反映した神話だとすると、天照大神の後継者が現れたことを意味するように思える。喪屋(天岩戸)入りした卑弥呼と喪屋(天岩戸)から出てきた卑弥呼豊というように考えると、これは大王の王権の継承儀礼の反映と云えないこともないが、そこまで考えずとも、説明はつく。特にこの天岩戸神話では、安本美典氏の主唱するように、当時の、異常に短期間のうちに二度も生じた日食(A.D.247年及びA.D.248年)が影響していると見るべき必然性がある。ここで、これらを単にエウヘリズムとして片付ける合理的謂れはどこにもない。
なお古事記は天若彦が死んだとき、「喪屋を作りて日八日、夜八夜以って遊びき」とある。これも踊ったり笑ったりしたのであろう。「遊(あそ)ぶ」ということはどういうことなのか、当時の意味をタミル語は教えてくれる。
*遊(あそ)び
●タ att-am 1. motion(動き), vibration(振動), rocking(振動), swinging(前後左右に揺れる),rolling(回転), pitching, as of a ship(船のような縦揺れ); 2. play(遊び), sport(スポーツ), game(遊戯);
3. one's turn in a game(遊戯でする回転);4. dance(踊り), dancing(踊ること); 5. behaving like one possessed(取り付かれたように振舞うこと); 6. influence(影響), power(力);7. moving about(周囲を動き回ること), going here and there(あちらへいったりこちらに来たりすること);
2003/10/11 23:45
>>No. 737
○日 asob-i 遊ぶこと。遊戯。遊興。気持ちのゆとり。余裕。機械の部分と部分が密着せず、その間にある程度動きうる余裕があること。t/s対応。
これをみると、天鈿女(あめのうずめ)命が天岩戸の前で踊ったことを想起させる。おそ
らく歌舞飲食をしたのであろう。この伝統は今日の葬式にも受け継がれている。喪屋の死
臭は酷かったはずで、これは酒でも飲まない限り、耐えられないと思われる。
殯が終わると、天皇の場合、諡号が献呈されるが、これは現世との遮断を意味するであ
ろう。
この殯と混同されているものに「荒城(あらき)」がある。「時代別国語大辞典上代編」に
よると、「本葬を行うまでのあいだ、遺骸を安置しておくこと」とある。
タミル語arakk-uには以下の意味がある。
*荒城(あらき)
●タ arakk-u 1. to hide(身を隠す), conceal(隠れる);
○日 arak-i あらき。
万葉集441に、長屋王が藤原氏のおそらく策謀で自尽して果てたときに、倉橋部女王(くらはしべのおほきみ)が作った歌がある。
「大君の 命畏(かしこ)み 大殯(おあらき)の 時にはあらねど 雲隠(くもがく)ります」
この解釈として代表的なものに伊藤 博氏の「天皇の仰せを恐れ承って、殯(あらき)の宮などまだお祭り申す時ではないのに、わが王は雲のかなたにお隠れになっていらっしゃる。」(伊藤「万葉集釋注2」p311)がある。
しかし、タミル語の意味からすると、「大殯(おあらき)の時」というのは、「殯(あらき)の宮などまだお祭り申す時」というよりも、単に「お隠れになる時」と解釈すべきもののように思われる。つまり、「天皇の仰せを恐れ承って、まだお隠れになる時ではないのに、お隠れになっていらしゃる」という方が原意に近いはずである。
*陵(みさざき)の「さざき」
●タ taz to stay(とどまる), rest(休息する);to worship(崇拝する);
○日 saz-aki 陵(みさざき)。t/s対応。「みささぎ」は比較的新しい言い方。「さざく」という動詞があったはずで、その連用形が名詞となったものと思われる。「み」は「御」。したがって、ご休息(されている所)、あるいはご礼拝(されている所)となる。おそらくこの場合は「ご休息されている所」であろう。
竹取の翁の歌として、「いにしへ 狭狭寸(ささき)し我や はしきやし 今日やも子等に いさにやと 思はれてあれ」(万葉集/3791)というのがある。
この部分は最後の方の歌で、その前は、「春になり野辺を巡れば私に興味を持ってか、野の鳥が来て鳴き飛び回わり、秋になり山辺を行けば懐かしいと私を思ってか、空の雲も行きたなびき、帰りに都大路を通ると、官女たちや舎人(とねり)が、密かに私のことを、あのお方は何処の人だろうと噂するなど、そう私は思われてきた」とある。それに続けて、「(こんな風に)昔、狭狭寸(ささき)し私は幸せだった。(この私が)今日は子等に嫌われている」と続く。この「狭狭寸(ささき)し」が未詳語とされ、「(こんな風に)昔は扱われて私は幸せだった」「(こんな風に)昔は華やいでいて私は幸せだった」といったように前後の句から推理されて解釈されている。
「狭狭寸(ささき)し」という言い方は、これ以外の文献にはない。私はこの「ささき」というのは「陵(みささぎ)」の「ささき」のことだと思う。つまり「昔、to worshipされていた私」ということで、「(こんな風に)昔は崇拝されていて私は幸せだった」、より原文に即して言えば「(こんな風に)昔は敬愛されていて私は幸せだった」ということである。
2003/10/12 11:52
>>No. 735
》スンダランド起源説では他のドラビダ諸語の分化はどう説明するのですか。
》
》は未だ深く考えたことがありません。
だって、これが基本の事実です。ここから出発しなければ。
そもそもあなたは安本説を信用しているのではありませんか。彼は「極東古語」を想定しています。その辺の整合性はどうなんでしょう。極東古語がスンダランドから来たというなら、きちんと時間的経緯を含めて辻褄の合うモデルを作ってください。
その前に、安本のモデルがうさんくさい根拠の上に築かれているという上代さんの指摘をそのままにして、先へ進んでいいの?っていうのが私の発言の意図でした。
私は「思いつき」の重要性をよく認識していますが、全体として辻褄が合っている、というのが最低限のマナーです。
たとえば、恐竜の絶滅を説明するのに、哺乳類に卵を食われた、なんていうのがありましたが、これは同時に絶滅した生物種が大小を問わずゴマンといたことを説明できない、ナンセンスな思いつきです。スンダランド説はそれと一緒です。
2003/10/12 12:23
>>No. 737
>ところでおかみさんなどと出てくると読む気がしないと言われた方がおりますが、何故でしょう。
タミル語が日本語に入ったとか、日本語はタミル語から出来た、と考えるとき、その時期はいつ頃とお考えなのでしょうか?
おかみさん、という言葉が出来た(使われ始めた)のはいつ頃とお考えでしょうか。
>文献に載っているものが日本語だとは限りません。
意味がわかりません。まさか勝手に単語を発明しても良いという意味ではありませんよね。
2003/10/12 13:11
>>No. 740
疑問に感じるとはいえ、それを「読む気がしない」というのは、思考停止を自ら招来するようなもので、ご本人にとって好ましいことではありません。疑わしいときはまずその対象に真っ向からぶつかる必要があります。「文献に載っているものが日本語だとは限 らない」ということに対して、意味が分からないという意味が分かりません。話し言葉が文献に載りだしたのは、つい最近、この100年前後(部分的には十返舎一九あたり、また日葡辞典にも多少は載っていますが)だという最低限の知識は不可欠です。それ以前は、日本人、特に一般庶民がどういう日常語を話していたかまったくと言っていいほど分からないのです。
現代の日本語で「おかみさん」という言葉がある以上、これは英語あるいは朝鮮語であるとするのは考えにくいことです。つまりこれは日本語です。形態素は「お・かみ・さん」です。この「おかみさん」という言葉は記紀万葉集その他の文献には出てきません。出てこないからと言って、無視していいというものではありません。近代になって造語されたとする考え方もできますが、その場合でも、何らか基になった日本語があるはずです。
あなたの発言は、「おかみさん」という単語は勝手に発明されたとお考えのようにしか読めませんが、そういうことは日常的には生じることは稀にしかないでしょう。
たとえば「藪医者」とか「やばいことになった」などという言葉があります。これなどは古代の文献には出てきません。神武天皇が長髄彦に一時劣勢になって、「ヤバイ」といって逃げた、などとはどこにも出てきません。しかし古代から、庶民の間では使われていたはずです。
以下のap-ay(後接する-amは不定詞のようなものだとお考え下さい)のa-はタミル語の古形ではya-ですから、yap-あるいはyav-となります。日本語にはこの古形と交替後の新形の双方が入っています。ということは交替過渡期にタミル語が日本列島に流入したものと考えられます。
*藪医者の「ヤブ」
●タ ap-ayam danger(危険), misfortune(不運), calamity(惨事);
●タ av-ayam 同上。
○日 yab-u ヤブ。*ya>a交替の古形*yaより。
*ヤバし
○日 yab-a・si ヤバし。危ないこと。
なお、このタミル語内部でのp/v交替が日本語にも反映して次のような日本語が成立している。
*危(あぶ)なし
○日 ab-unasi 危(あぶ)なし。p/f/b対応。
*危(あや)ふし
○日 ay-afusi 危(あや)ふし。あぶない。危険である。心配である。気がかりである。あてにならない。v/w対応。w/y交替。
*危(あや)ぶむ
○日 ay-abumu 危(あや)ぶむ。よくない結果になりはしないかと心配する。危ないと思う。
*危(あや)ぶむの「ぶむ」
bumuはタミル語pav-i[1. to think(と思う),conceive(と考える);to imagine(想像する),fancy(心に描く)]>日本語*fum-u(a/o対応。o/u交替)のf-が連濁を生じてbum-uとなった。
タミル語の流入とともに弥生時代が始まりました。
2003/10/12 18:45
>>No. 739
古田氏を信奉されるEKさんには安本氏を少しでも肯定するような発言は癇にさわるのかも知れませんが、私は安本氏を全面的に肯定している訳ではありませんよ。
と言うより安本モデルなど殆ど知りません。何処かの掲示板で日本語−韓国語分離5000年前というのを聞いた事があると言うだけです。
私は畿内政権高句麗由来説ですから私の意見を聞いたら青筋立てて怒るでしょう。
私は言語学に詳しいわけではありません。
たんに日本語の語彙に南方系が強いという噂で南方から人々がやってきた理由を考えると、スンダランドの水没が候補の筆頭であろうと考えたのです。
古代、人が海を越えて知らない土地へ移動する為には海流に拠らなければ無理です。
海流に乗ってなら寝ている間に運んでくれますが、島伝いや陸路ではそこの情報を知り、そこに行くのだという強い意思が必要です。
ですからスンダランドなら海路ではるばるやってくる事が可能だった。
考古学的にも私の説は説明しやすい。
遺伝子分布などとも整合を取れます。
そう言えばEKさんがどのようなモデルを考えておられるのか未だ聞いていなかったような気がします。
EKさんの方は日本語の成り立ちをどの様に考えておられるのですか?
2003/10/12 23:40
>>No. 741
>しかし古代から、庶民の間では使われていたはずです。
それは無茶です。
2003/10/13 00:00
>>No. 743無茶と言うのは簡単です。無茶の理由を述べてください。どこの部分がどう無茶なのか、ということを示せなければ、空疎な意味のない否定以上のものではありません。
2003/10/13 00:31
>>No. 744ヤバイでも藪医者でも古代から庶民が使っていた言葉だ、という根拠はあなたが出さねばなりません。
2003/10/13 00:35
>>No. 744
izumokenminというのは、何もわからず、単に上代さんに
つっかかってるだけ。真面目に答えていちゃ、調子に乗って
つけあがるだけ。第一、日本語も読めへんらしい。
文質からすると中学生かな。
背伸びしたらあかんよ、坊や。大人が迷惑や。
2003/10/13 09:24
>>No. 745ab-から十分合理的に遡及されるということです。それで充分です。文献が全てではないことを理解する必要があります。
2003/10/13 10:09
>>No. 741
日本語との系統関係を探られてきた諸言語の中でタミル語が一番有力な音韻対応などを示しているようだと思っている。
しかしながら、方法論を洗練する必要があろうと思う。すなわち、
大野晋著日本語の起源新版で
「偶然似ているように見えるだけの単語を対応語として数え上げてしまう誤りを避けるには、対応語の実際の古典での実例を検索し、実際の文脈の中でその単語がどう使われているかを見て、日本語の用例と比較し、その上で「対応語」か否かを確定すべきだと私は考えていた。」(34頁)と述べている。
この本の下文に照らしてみて、この文章の精確な意味が分からない所がある。それは、「考えていた」という過去形の意味合いだ。以前このように「考えていた」がこの本では考えないのか、それとも、上記がこの本の基本スタンスなのか。
また、この文章で読みとれないのは、タミル語に関してだけは古典の実例に限ろうとしているのか(参照36頁)、日本語に関しても古典の用例に照らそうとしているのか、だ。(日本語がタミル語から出来たとすれば、日本語ができた後の出来る限り早い時期の両言語を比較すべきだ。その点サンガム(紀元前後)は理想的だろう。日本側は、まとまったものとしては、8世紀の文献が、得られる最良のものであろう。)
上のような疑問を持つのは「比較の結果の中から私はなるべく日本の古語を避け・・・」(36頁)とあるからである。なんで「古語を避け」るのか。現代日本語とサンガムの比較以前に、古代日本語とサンガムを比較すべきだろう。現代日本語は古代日本語との関連において日本語内部で(外来語の影響も含め)考えればよいことだ。
更に巻末の対応表を見ると日本の古語が結構出ている。私はこの日本の古語の比較の方を重用したいので、日本の古語を完全に「避け」てくれなくて良かったと思ってる。
また、日本側の比較対象に「方言」と記される語がある。そういう単語もいったいいつ頃から使われるようになったのか、ほとんど解明できていない。周圏論で説かれる場合もあるが、それは現代方言が近畿を中心にして、周圏的に地方に分布していて、それが古語に対応している場合に成立するものだ。あらゆる方言が古語に基づいている論拠は薄い。
このように、タミル語と比較する日本語の言語世界が規定されずに、時間的、空間的(地理的)にあまりにも任意になっている。
大野氏の説き方に既に上のような疑問を持ち、方法の洗練を要すると考えている。一つ具体的には、タミル語が日本語になった(入った)時期になるべく近い時期の日本語を対象とすべきである、と考える。
しゃぶる、やばい、藪医者など、日本の古語の時代(奈良朝)よりずっと後に出来たであろう語彙は日本語内部(含む外来語の影響)での発生メカニズム(語源)を論じる対象であり、紀元前後にタミル語から出来たというのは憶説にすぎず、タミル語説の信憑性の向上には役立たない。贔屓の引き倒しになろうと危惧している。
口語も日本語である。だが、古代の口語がどうであったかは、書き留められていない限り知るすべがない。書き留められたものは文献である。文献に載っているものを対象に絞らねば学説たりえまい。
2003/10/13 11:14
>>No. 748
大野氏の「日本語の起源」などは啓蒙書であり、ページ数の関係もあってか、多くの必要な事項が省かれています。したがって、彼の一連の啓蒙書を読んでも、南東語起源説やアルタイ語起源説と同等とは言わなくとも、半信半疑の域を出ません。
「日本語の形成」(岩波書店)で初めて、音韻対応、語彙対応、文法対応がサンガムと記紀万葉集などとの緻密な比較により展開されます。したがって、これ以外の著述は、時間つぶし用程度のものです。
大野氏は、脱クレオール寸前でタミル語の流入は停止したと述べています。脱クレオール寸前ということは、ほとんどタミル語の方言になりかけていたということで、このことは、日本語から漢語、西欧語などの外来語を除けば、まず大和言葉由来であると措定して考を進めても支障はないということを意味します。
魚(うを)、芋など、また一部地名などは縄文時代の言語の残痕でしょうが、これらはごく限られた範囲でしか残っていません。言い換えれば、これらはタミル語には見当たらないということです。
脱クレオール寸前であったとすれば、タミル語で対応できるものは、タミル語由来として対応を考えるのが比較言語経済に適っていると思います。その場合、「ヤバイ」などという言葉を無視するということは、恣意的に傾きます。ap-で音韻と意味双方に対応するのであれば、それを俎上に載せてみる、という試みは不必要とは言えません。
「やぶ連歌」という言葉があります。これは「危ない」という意味ではなく、「ルールを知らないで、大胆不敵に連歌に参加して歌っている」という意味です。この場合、以下のタミル語が対応します。
●タap-ayam fearlessness(恐れを知らないこと), intrepidity(大胆不敵);
○日 yab-u ヤブ。
一方、竹藪、藪竹という場合の「ヤブ」は以下が対応します。
●タamp-al bamboo(竹);
○日 yab-u 藪(やぶ)。
また、竹と同じイネ科のクスクス草は群生します。
●タapay-am cuscus grass(クスクス草)。学名Vetiveria zizanioides。イネ科。東インド原産。
○日 yab-u 藪(やぶ)? 草木が群がり茂っている所。クスクス草は竹と同じイネ科で群生するが日本にはない。したがって、名前だけが日本に齎され、それに似た竹林は草深を指すようになったと想像できなくはない。
むろん、これは想像に過ぎませんが、データベースとして記録しておくだけの価値はあります。
このように、文献にないものは発明語だとして事務的に一律排除してしまうと、見えてくるものも見えてこなくなります。
2003/10/13 11:23
>>No. 742
》古田氏を信奉されるEKさんには・・・
低レベルだなー。
私はこのトピで安本の「日本語論」をしっかり批判しています。
》何処かの掲示板で日本語−韓国語分離5000年前というのを聞いた事があると言うだけです。
ご自分の発言には責任を持とう!
》私の意見を聞いたら青筋立てて怒るでしょう。
なんで?
スンダランド説程度の根拠なら、多分無視します。
》考古学的にも私の説は説明しやすい。
》遺伝子分布などとも整合を取れます。
恐竜絶滅のお話を理解してくれましたか。
》EKさんの方は日本語の成り立ちをどの様に考えておられるのですか?
提示できるようなモデルを思いついていません。
タミル語説は正しいと考えていますが、タミル人が日本に相当数やって来たとはあまり思えないし。
言語は少しずづつ変化して、分化していくものだ、というだけの理解は正しくありません。新しい言語が一瞬で出来上がることもよくあるのです。あなたは、日本の幼児が日本語を獲得するのは、彼が自分で発明した言語がたまたま日本語だったのだ、ということを理解していますか。
2003/10/15 20:14
>>No. 750
>恐竜絶滅のお話を理解してくれましたか。
恐竜はこの際無関係でしょう。
>提示できるようなモデルを思いついていません。
モデルをお持ちで無いのに他人の説はぜんぜんダメと否定されるのですか?
>タミル語説は正しいと考えていますが、タミル人が日本に相当数やって来たとはあまり思えないし。
縄文時代の甕棺埋葬がタミル地方と日本と韓半島南部にあるというだけでも同族であると断定しちゃいそうです。
インドネシアについては竜宮伝説もあり、海中の古代城跡など未調査の遺跡の考古学的発掘が進めば明らかになるかもしれません。
>言語は少しずづつ変化して、分化していくものだ、というだけの理解は正しくありません。
私の田舎では言葉が山一つ、川一つ隔たると違うということが有ります。
交流が少なければたった数百メートル、数キロ離れただけで言葉が変ってしまう。
渋谷の若者言葉などテレビで解説してもらわなければ理解できません。
現代は情報社会ですから新しい造語がたちまち日本国中にひろまり定着してしまいますが、古代には地域ごとにいろんな言葉が出来あがっていた事も想像に難くありません。
すこしづつ変るものでしょう。
2003/10/15 20:50
>>No. 751
》恐竜はこの際無関係でしょう。
恐竜は関係ありません。絶滅についての「説」は大いに関係あります。もう一度読み直してほしいなー。
》モデルをお持ちで無いのに他人の説はぜんぜんダメと否定されるのですか?
根本的にだめな理由を説明しました。ドラビダ祖語の地がスンダランドではありえません。
》すこしづつ変るものでしょう。
言語を語るには、クレオールについての知識が不可欠です。
2003/10/15 23:57
>>No. 752
というならどの言語とどの言語が混じったかを考えなければなりません。
そして何時の時代か?
EKさんは何と何が何時の時代に混じったとお考えですか?
>根本的にだめな理由を説明しました。ドラビダ祖語の地がスンダランドではありえません。
どうしてそう言えるのですか?
それこそドラビダ語がクレオールである可能性はありませんか?
2003/10/16 06:53
>>No. 753
オーストラリア、インドシナからジャワ島に至る広大な大陸。
2万年前の最終氷河期の時代に、
スンダランドは現在より7度〜9度気温が低く、
この大陸の中、現在の赤道直下付近に人類の楽園がありました。
この時代は地球上の1/3が氷と雪に覆われ、
海水面は現在より120メートルも低下していました。
スンダランドの遙か北にある日本列島は、
この大陸と陸続き(一部は島づたいで)になっていました。
現在の日本人のルーツ(モンゴロイド)も、
この大陸の楽園で暮らしていましたが、
人口が増え、食料である大型獣の移動などによって、
5万年前にスンダランドからの拡散が始まります。
一部が北上を始め、小進化を経て2万年前にはシベリアに到達しました。
北上しながらモンゴロイドは、さらに小進化を繰り返し、
顔が平坦になるなど寒冷適応していきます。
http://members.jcom.home.ne.jp/at0127/sub0-1.htm
2003/10/16 08:04
>>No. 754
つまり、スンダランドは大昔の話。
ここに言語をかからめたらあかん。
2003/10/16 08:31
>>No. 755
<つまり、スンダランドは大昔の話。
ここに言語をかからめたらあかん。
イヤイヤ、そうでもない話。
大昔で有ろうが、彼らは言語を話した事は否定できない。
拡散スル過程で彼らの言語は個々に多様進化した。所謂、積み重ねが変わっていく。
日本語の起源を求めるなら、列島でいっちゃん古い言葉でアル、地名の発生年代を検証スルべきだと思う。
ソウすれば、貴方の言ってるスンダランドの子孫が話していた言語が解ると思う。
オモシロイ話を有難う。
2003/10/16 10:08
>>No. 756
<つまり、スンダランドは
あんさんの考えは↑これと同じや。
>つまり、スンダランドは
こうせなあかん。あんさんの考えに似てまへんか。
大昔の言語なんぞは、比較できまへんのや。比較言語学の基礎でっせ。
恥ずかしいこと書きなさんなよ。
2003/10/16 11:02
>>No. 757
言語は基が“一つ”だからネ。
多様進化で枝分かれした単語を比較スル言語学って、結局は言語理論を解ってない証拠。所謂、比較言語学は途中乗車ダ。
コレまでのタミル語との比較解説を見てもわかるだろ?同じ音が見当たらないとか、変化した音とか、都合のイイようにネジ曲げてしまう。比較言語学に矛盾が生じているのは明白だろ?
言語学って言うのはネっ、“一音一意”が基本なの。
比較言語学で日本語の起源を解明出来ると思うほうが恥ずかしいヨ。
2003/10/16 11:07
>>No. 758おまえ、馬鹿じゃないの?
2003/10/16 12:21
>>No. 758
比較言語学を否定するとは、いくら素人でも、一線を超えてるね。gengomushiさんはムー大陸の住人らしい。
すこしはまともになれよ、と言いたいところだが、ま、狂信ってやつだから無理だろう。
2003/10/16 12:48
>>No. 760
を否定してイル訳ではナイ。
言語学の中の一分野であって、基本じゃあナイって、言ってるだけだ。
2003/10/16 13:00
>>No. 761
はあ、そうかいな。
言語学なんぞの基本書くらい読んで書きなはれな。
想像で書いたらあきまへんで。
2003/10/16 19:56
>>No. 754
スンダランドって、なんで人気があるんだろう?
》オーストラリア、インドシナからジャワ島に至る広大な大陸。
オーストラリアとニューギニアはスンダ諸島と陸続きになったことがないはず。
》スンダランドの遙か北にある日本列島は、
》この大陸と陸続き(一部は島づたいで)になっていました。
これはなんかの思い違い?
》現在の日本人のルーツ(モンゴロイド)も、
》この大陸の楽園で暮らしていましたが、
多地域進化説の亡霊だなー。シベリアの遺跡は圧倒的に古い。
2003/10/16 20:03
>>No. 753
》>根本的にだめな理由を説明しました。ドラビダ祖語の地がスンダランドではありえません。
》
》どうしてそう言えるのですか?
私はあなたのモデルの欠陥を指摘しました。修復して出直してください。
必要な条件を明らかに満たしていないモデルは議論の対象たりえません。(だからもうおしまい)
2003/10/16 20:28
>>No. 764
ドラビダ族が南インドにやって来たのはアーリア人がインダス川に侵攻してきてからでしょう?
BC2500年以降BC1500年くらいに渡ってタミール地方に移動して来たのではないか。
その前にスンダランド人はタミール地方に住んでいたでしょう?
ドラビダ族とスンダランド人は交じり合ってタミル語を作り出したのではないかと考えましたが。
おかしいでしょうかねえ?
マダガスカルにもタミル語に非常によく似た言葉があるそうで、これも海流が人を運んだ事を示していると思います。
2003/10/16 23:12
>>No. 765
の言語とは、南島語族インドネシア語派の言語のことでしょう。
ドラヴィダ語族に属するタミル語との関係は薄いと思われます。
スンダランド仮説は、cyber ekさんの仰る通り、多地域進化説やその変種の二地域進化説の亡霊のようなものだと思われます。この間、二地域進化説の主唱者の馬場悠男氏が、頭部CT写真のデータなどから、二地域進化説を放棄したはずですが。
2003/10/16 23:47
>>No. 766
>南島語族インドネシア語派の言語のことでしょう。
インドネシア(スンダランド)の言葉がマダガスカルにあってインドには何の痕跡も残さなかったんですか?
いや、スンダランド人がインドに立ち寄る事も無くマダガスカルに行った訳ですか?
日本に南方から縄文人が来た事は疑いも無い事だと思いますが日本はアルタイ語族に属している。
ドラヴィダ語族に属するタミールでスンダランドの言葉が使われていても何の不思議も無いでしょう。
>多地域進化説やその変種の二地域進化説の亡霊のようなものだと思われます。
多地域進化説と言うのがよく判らないのですが、アフリカから出発した祖先がスンダランドに行って人口を増やし、そこから各地に移住したとしても問題無いのでは?
2003/10/17 08:27
>>No. 749
常陸(日立)はpirac-i[east(東)]>fitat-iのはずである。そういうことでは、日立は偶然にせよ原義に近い漢字があてられている。「ころもで」がこの日立の別名であるとするならば、以下のタミル語がこの枕詞の「ころも」の部分を担っているように思われる。以下、試論として述べる。
●タ ellav-an sun(日);
○日 korom-o ころも。*kallav-an>*callav-an>*cellav-an>ellav-anの古形*kallav-anよりa/o対応。
ころも=日であるならば、「手」は「出」であろう。「日出」ということになる。ちなみにこの常陸あたりを東(あづま)ともいう。
*東(あづま)
●タ ezuv-an the east, as the place of sunrise(日の昇る場所としての東);
○日 azum-a 東(あずま)。*azuv-an>ezuv-anの古形*azuv-anから。
吾妻(あづま)の枕詞は「鳥が鳴く」である。「あづま」は日の出の場所であり、この枕詞は、まさに「日の出」とともに鳴く鶏に相応しい言葉に掛かっているといえる。
*日下(くさか)
●タ kizakk-u east(東);low place(低地);
○日 kusak-a 日下(くさか)。東は日の出る下(もと)ゆえ日下。kizakkuに当て字したもの。川本崇雄「ピジン・クレオール化と日本語の形成」[「日本語の形成」(三省堂)所収]は、kusakaをkusaとkaの複合語とし、kusaを南島祖語qa(η)jahaw(太陽・日)と対応させる(p162)。
吉田東伍氏は、日を古くは「カ」と読んだところから、それが転じて「ク」となり、下はサガリの「リ」を省いたものとする。その他各説あるが、納得できる解釈はない。
中国で「日出る所」を言う場合、「日下」と書いた。ということは、元々あった「クサカ」呼称に中国の用語「日下」をあてたのかもしれない。つまり「クサカ」というのは、漢語では「日下」(日出る所」と同じ意味であったと思われる。それはeastということであろう。
2003/10/17 15:22
>>No. 1
はじめまして
昔太平洋にムー大陸というのがあって、そこでは朝鮮語に似た言葉が標準語として使われていた。場所は琉球と日本が陸続きになっていて、そこを膨らまし粉でぷーと膨らました状態。
あるとき中国と戦争になり、ムー帝国が勝った。朝鮮半島を手に入れた。そして日本が満州に進出したようにツングース、蒙古、トルコ、ヒンディと占領していった。
南インドに日本語との共通語が350、朝鮮語との共通語が500語がこのとき出来た。なぜここだけ残ったのか。いろいろあると思うけれど、まず半島の突端に位置して通り抜けの旅人がいなかった。朝起きて外に出かけても話するのは知ってるやつばっかり。また共通語に畑、田んぼ、米、泡などがあることからムー帝国も農耕民族だったのではないでしょうか。それと言葉を変えさせるほどの大きい戦争がなかったともいえると思います。
それに比べ北部はメイン通りで特に7世紀のはじめにイスラム教が出来、遠くはインドネシアからもメッカ目指して巡礼さんが通る。いつしか言葉もSOVと膠着言語を残して昔の言葉は消えてしまった。
朝鮮語が標準語?
あくまで憶測ですけど日本はムー帝国の中では隅っこに位置していた。いわば青森でしょう。それに比べ朝鮮は北海道どちらが標準語に近いかというと北海度でしょう。タミール語でも朝鮮語の共通語のほうが日本の共通語より多いと聞いています。こんな馬鹿な事言って怒られるかな。
MSNサーチムー大陸17にこういうのが載っていました。
プロジェクトK−「ムー大陸の人々は古朝鮮の末裔であった。」?そして伝説へ?
恐るべき学説が古朝鮮学術専門グループにより発表された。確証づけられれば我が国の歴史観も大きく変化を迫られ・・・
2003/10/17 21:27
>>No. 769
まじ?
海底地形図を見てないの?
2003/10/18 00:01
>>No. 770
>海底地形図を見てないの?
プレート・テクトニクスによって完全に否定されていますよね「ムー大陸説」など。
ところで「prezy0021」さん、古代史の方へは、もう遊びに来られないのですか?
2003/10/18 14:26
>>No. 771
もちろん私も太平洋の真ん中にムー大陸があったなんて思っていません。しかし沖縄あたりにかなり広い土地があっただろうとは思っています。これは私の祖先のプロフィールですがよかったら読んでください。
私のプロフィールを読んでもつまらないでしょうから、私の祖先のことについて述べさしていただきます。 南九州では南風のことを「はえ」といい、その南風に乗って南方からやってきた人々を隼人と呼びました。
その隼人は上陸するや否や海岸ぺたを捨て、鹿児島や宮崎の100から500mの比較的高台に居を構え、一部は「八重集落」を作りました。
[からかさばえ]、[からかさ八重][ひながはえ]、[日永八重][つづらばえ]、[つづら八重][なかのはえ]、[中の八重][きつばえ]、[橘八重][おはえ]、[尾八重]
[だいらがはえ]、[平八重][いのはえ]、[猪八重][おおはえ]、[大八重][ほんばえ]、[本八重][ひのがはちじゅう]、[日ノヶ八重][ひらばえ]、[平八重][たしろがはえ]、[田代ヶ八重][なかはえ]、[中八重][いたがはえ]、[板ヶ八重][うちのはえ]、[内の八重][まつがはえ]、[松ヶ八重][かしのきばえ]、[樫の木八重][とどろがはえ]、[轟八重][きうらたすかりばえ]、[木浦助八重][なかばえ]、[中八重][いもがばえ]、[芋ヶ八重][しらきばえ]、[白木八重][はじがばえ]、[枦ヶ八重][こばえ]、[小八重][なかばえ]、[中八重][はえ]、[八重][こはえ]、[小八重][したのはえ]、[下の八重][うちのはえ]、[内の八重][たけのはえ]、[竹の八重][のろがはえ]、[野老ヶ八重][おばえ]、[尾八重][いものはえ]、[芋の八重]
私が今までズーと不思議に思っていたことは、船に乗ってきたのだから、艘船術に長けているはずだから、すぐ食事にありつける漁師になればいいのに、それを避け、住みにくい高台に住んだこと。
2つ目は大量の人間が移動している。(少なく見積もっても10万人はいたのではないだろうか。)普通よっぽどのことがない限り引越しはしないものだ。南の島で何が起こったんだ。ということ。
この前テレビで八重山諸島の与那国島の海底の、遺跡らしいものが映し出されていました。そのときはただすごいなーと思っただけですが、ある日目を覚ました時、はっと思いました。もしかしたら祖先がここに住んでいて、徐々に沈んでいく島から逃げ出したんではなかろうか。急激に島が沈んだら10万人の移動はできなかっただろう。徐々に沈んでいく島に、土嚢を積んだり、ありとあらゆる手を尽くしたけれど、島を救う事ができなかった。海岸ぺたにいやな思い出しかない隼人にとって、高台に居を構えることは常識だったであろう。
振り仮名をみていただけるとわかるとおもいますが、「やえ」と読まずに「はえ」と読みます。
そういうことから、南から渡ってきた人を最初は「はえと」と呼んでいたのがなまって「はやと」になったのではないだろうか。
私がかなり大きな土地があったのではないかという根拠はこれです。1%の人が生き残れたとして1000万人です。しかしこれは皆目見当がつかない。
2003/10/18 23:20
>>No. 1
朝鮮語で「ヘビ」は「ベム」という。
「h」が「b」に変化する事はよくある事だから古語で「ヘビ」が「ハム」(沖縄にハブという毒蛇がいる。)だとすれば「は」が「べ」に変化したと考えられ、これでも韓国語と日本語の関係が推測できます。
タミル語の蛇pavu、pabiが日本語のヘビの語源である事も疑い様がありません。(古語では「h」音は「p」と発音されていました。
タミル語の「pavu」の方がより古形を保っているように見えます。
韓国語で「村」を「マウル」といい、日本語の「ムラ」と対応します。
タミル語に村や地域を示す言葉として「pal」というのが有るそうです。
一方九州では「原」を「パルorバル」と発音します。
「バル」はタミル語の「pal」から来たものでしょう。
九州の「原」は必ずしも平らな原っぱでは無さそうですからやはり「村や地域」を示したものでしょう。
朝鮮語では「ソウル」と言う首都の名前でも判るように「pal」が村や町の呼び名「ウル」に変化したものと考えられます。
ここで「ウル」に「マ」を加えれば朝鮮語の「マウル」(村)になります。
タミル語の「pal」は九州では「バル」に変化し、朝鮮では「ウル」に変化し、さらに「マウル」に変化した後に再び海を渡り、近畿地方で「ムラ」に変ったのではないでしょうか?
九州では古形を保ち、畿内では朝鮮の影響を受けているように見えます。
2003/10/19 16:17
>>No. 773
私も、朝鮮語の「マウル」(村)と日本語の「ムラ」は同源だろうと思いますが、その前に日本語内で、「ムル」(群る)、「ムレ」(群れ、群)との関係の検討が優先されるべきだと思います。同じように朝鮮語内部での「マウル」の検討を進めるべきで、仮に「マウル」が孤立しており、日本語の「ムラ」「ムレ/ムル」などのような単語家族が存在しない場合は、「マウル」は日本語「ムラ」の借用ではないかという検討も必要でしょう。
日本語「ハラ/ハル」(原)についても、同音の「ハラ」(腹)や、「墾る」(はる)などとの検討が必要です。ひょっとして、「ハラ/ハル」が、「開墾した」(墾り田など)土地を意味するようであれば、「村」や「地域」を意味したのではなく、土地を切り開いた地域の地名として「原っぱ」以外の地形(山腹や傾斜地など)に残されていても当然だと思われます。
「ソウル」は、かなり後代の地名でしょうから、もう少し溯った地名(中期朝鮮語などにお詳しい方もいるでしょう)で検討すべきでしょう。すくなくとも「そほり(そほり)」や「そらぼる」などの語形の検討もしないで、「ウル」云々は無謀の極みだと思います。その結果導き出された結論「九州では古形を保ち、畿内では朝鮮の影響を受けているように見えます」には、何らの説得力もありません。
2003/10/19 20:41
>>No. 774
*原(はら)っぱ
●タ paripp-u expanse(広大な広がり), extent(広さ);
●タ parapp-u expanse(広大な広がり), extension(延長), space(空所),surface(地表),area(地域);overspreading(一面の広がり);world(世界);
○日 farapp-a 原(はら)っぱ。
*原(はら)
●タ par 1.expanse(広々とした場所);2. central platform of a chariot(馬車の中央の乗降段); 3. long bar of the body of a cart(荷車の車体の長い棒);4. earth(大地); 5. earth, as an element(<万物の根源をなす要素としての>地); 6. land(国), country(国土);7. hard ground(堅固な地表); 8. rock(磐), rocky stratum(岩層), shelf of rock(磐だな);
9. bank(土手), border(へり), ridge(尾根);
○日 far-a 原(はら)。p/f対応。-rの開音化。
*縁(へり)
○日 fer-i 縁(へり)。タミル語内部で-a-/-e-対応。
*腹(はら)
●タ pant-am 1. belly(腹); 2. body(身体);
○日 far-a 腹。日本語内部で-nt-/-r-交替。
*天空が広がるという意味での「開(は)る」
●タ par-a 1. to spread(広げる), extend(伸ばす); to be diffused, as water, air, odour, epidemic, clouds or light(水などがはる/一面に満ちふ さがる);2. to be flattened, as by hammering(ハンマーで打つなどし て平らにする);to be broad(幅が広くある); 3. to be bewildered(当惑 する), perplexed(まごつく);
○日 far-u 開(は)る。展望が開ける。「谷しげけれど、西はれたり」(方丈記)。
*晴(は)るく
○日 far-uku 晴(は)るく(開く)。
*張る
○日 far-u 張(は)る。
*向こうを張るという意味での「はる」
●タ p-ay to attack(攻撃する), spring at(とびかかる), pounce on(急に襲う);
○日 f-aru はる。他人に負けまいとして張り合う。to attack(攻撃する)に対応する。
*凧糸がピンとはるなどという意味での「張(は)る」
●タ par-i to spread(張る);
●タ par-a to spread(張る);
○日 f-aru 張(は)る。ゆるみなくひきしまる。
*根を張る、肩を張るという意味での「はる」
●タ par-a extend(拡張する); to be diffused as water, air, odour, epidemic,
clouds or light(<水・空気・匂い・流行・雲・光などが>一面に満ち渡
る);
○日 f-aru 張(は)る。草木が根や枝を四方八方に大きくのばす。「大地に根を張る」「四方に枝を張る」など。
*腫(は)る
●タ par-u plump(丸々とする); to swell(膨れる);
○日 far-u 腫(は)る。張(は)る。腫(は)れる。大野「形成」p366(OK303)参照。
*欲の皮がはるという意味での「はる」
●タ par-u to become large bulky(大きくかさばる);
○日 far-u はる。
*肩が張るという意味での「張(は)る」
●タ vayir to harden(固くなる);
○日 far-u はる。「肩が張る」という意味での「張(は)る」。-ayi-という半母音を含む三重母音が-a-に収斂。
*墾(は)る
●タ par-i 1. to pluck(引き抜く), crop(刈り入れる), pick off with a twist(捻ってもぎ取る);2. to weed, eradicate(根こそぎにする);
○日 far-u 墾(は)る。大野「形成」p370(OK307)参照。
2003/10/19 20:53
>>No. 774
日本語が何処から来たかを考えている時に日本の中で語源探しをするのですか?
>同じように朝鮮語内部での「マウル」の検討を進めるべきで、仮に「マウル」が孤立しており、日本語の「ムラ」「ムレ/ムル」などのような単語家族が存在しない場合は、「マウル」は日本語「ムラ」の借用ではないかという検討も必要でしょう。
韓国語の古語が僅かしか残っていない状況で難しい注文ですね。私はハングルが読めないし。
日本から半島に移住した人間が大勢いたという記録は殆どないでしょう。
日本から韓国語に影響を与えたのは日本が戦前に統治していた時代だけではないでしょうか?
人が来なくても文物の流入が有れば物に付いて言葉の流入は考えられますが日本から韓国に文物が移動したのは殆どありません。
近年は日本文化の流入も多いようで再び韓国語に日本語が入り込んでいるかも知れませんが。
日本語は何処からか人と共にやって来たわけで、その上で国内で変化したものも当然あるでしょう。
日本の降臨神話の「くじふる」と首露王降臨神話の「クジホウ」や韓国からの渡来神「曾富理(そほり)神」なども「ふる」や「ほり」を含み地域を表していると思います。
「ソウル」は、かなり後代の地名ではなくこの「そほり」と関係があるのではないでしょうか?
島根県の物部神社の社伝に拠れば「曽保里(そほり)の兇賊を平定し」しと出てきますから「曾富理」は地名であった事は間違い無いでしょう。
2003/10/19 21:47
>>No. 776
》日本語は何処からか人と共にやって来たわけで、・・・
日本語がクレオールなら、何処かから来たわけではなく、日本で発明された、のですが。
2003/10/19 21:50
>>No. 775
私は昔からハラッパー(Harappa)が気になってます。でも paripp-u とは全然似ていませんね。
インダス文明を担った人々は何語を話していたのでしょうか。
2003/10/19 23:19
>>No. 777
なら何語と何語が交わってクレオールになったかを考えないといけません。
東夷伝によれば三世紀の韓半島においてさえ統一された言葉はなかったようです。
何時の時代に日本でクレオールが発生したのでしょう。
圧倒的多数の集団に違う言語を持つ集団が五月雨式に次から次にやって来たとすれば、最終的に同数の人数になったとしても言語はもとの集団の言葉に収斂してしまうでしょう。
2003/10/20 00:42
>>No. 776
>日本語が何処から来たかを考えている時に日本語の中で語源探しをするのですか?
比較したいと考えている言葉が、日本語内で変化して、その形になったとした場合、変化する前の形で、比較する必要があるからです。たとえば「あたらしい」(新しい)という言葉を、他言語のnewの意味をもつ単語と比較するのが、無意味だと言うことはお解かりだと思います。「あたらしい」<「あたらし」<「あらた(し)」と溯って「arata」という語形を日本語の語形として考えて他言語の語形・語義との比較が必要だということです。どんな場合でも日本語内部での比較(経時的、方言差、同系の語彙の語義・語形など)を経た上で、比較すべき語彙の「語形」「語義」を考える必要があるということです。勿論、一語のみで、他に同系と思われる語彙のないものもありますが、「ムラ」(村)などは、当然「群れる」<「群る」と関係があると思われ、その検討なしに比較することが、無謀なことは自明のことと思います。
例えば、日本語「モリ」mori(森)、琉球語「むい」mui(丘)、古代韓国朝鮮語「もろ」moro(山)、満州語「むれ」mule(山)、アイヌ語「もり」mori(丘)、ヤクート語(チュルク系)「むろん」mulon(琉球語以外は徐廷範「日本語の源流をさかのぼる」徳間書店1989,1,31より引用)を考える時、日本語「盛る」を考えないと、十分な比較はできないでしょう。
「盛る」を前提にして始めて日本語の「森」は、本来、樹木の生えている豊かな植生の日本列島に入って「丘、岡、小高いところ、高地、山」といった語義だったことばが、「森」「林」という意味に変化したこと、更に、「もり」という単語が「盛り上がったところ、盛り上がった地形」を原義とする言葉だったことがわかります。
2003/10/20 01:18
>>No. 780
判定はできませんが、DBとして。
*室(むろ)
●タ murr-u to abide(留まる), dwell(住む);
●タ pur-ai 1. house(家), dwelling(住処); 2. hermitage(庵); 3. temple(寺); 4. small room(小部屋); 5. compartment(区画);
○日 mur-o 室(むろ)。p/w対応。日本語内部でw/m交替。
○日 mor-o もろ。
*森(もり)
●タ mal-ai 1. hill(丘), mountain(山); 2. collection(堆積), aggregation(集まり); 3. abundance, bigness, as a mountain(<山のように>豊か・大きいこと);
●タ porr-ai 1. hillock(小山), mound(塚); 2. rock(磐); 3. mountain(山); 4. bush(茂み); 5.forest(森);
●タ vall-ai 1. strength(強さ), power(力); 2. extensive thicket(広大な雑木林); big forest(大きな森林); 3. hillock(小山), mound(塚);
○日 mor-i 森(もり)。杜(もり)。
*盛(も)る
●タ pur-i to be full(満たす);to be plump(丸々としている); to swell(膨れる); to thrive, as vegetation(<草木のように>生い茂る);
●タ pur-i to fill up(一杯に満たす);
○日 mor-u 盛(も)る。u/o対応。
2003/10/20 01:21
>>No. 781
●タ pur-am village or town in agricultural tract(農業地帯の村あるいは町);
○日 fur-e 触(ふれ)。壱岐に残る。
○日 mur-a 村(むら)。
2003/10/20 01:23
>>No. 778インダス文明を担った人々はドラヴィダ祖語を喋っていたと言われていますが、まだ十分な検証はされていないようです。
2003/10/20 11:03
>>No. 771
いかがですか。
#772は宮崎県内の八重で終わる地名を検索したものです。
重なった地名(同じ名前)は省いてあります。
また八重で始まる地名(八重尾、八重原等)も省いてあります。
それから鹿児島はやってませんが、鹿児島にもあります。
海岸ぺたには無いと申し上げましたが、実際は1箇所はあります。そこは入り江になっていて、そこから上陸したのではないかと思っています。
プレートテクトニクスで完全に否定なさるなら、もしかして昔のほうが水位が低かったとは考えられないでしょうか。
2003/10/20 13:35
>>No. 784
それから古朝鮮学術専門グループが発表した「ムー大陸の人々は古朝鮮の末裔であった」というのが気になりますが、そのことについて少しでも知っている方がいらっしゃったら教えてほしいのですが。
よろしくお願いします。
2003/10/20 18:20
>>No. 780
>「ムラ」(村)などは、当然「群れる」<「群る」と関係があると思われ・・・
なるほどそれもそうですね。しかし「paru」「baru」と「huru」「uru」を比べたら当然「paru」or「baru」→「huru」or「uru」になるものでしょう。
「ムラ」と「群る」では関係があったとしても「ムラ」が先だと思いますよ。
日本語「モリ」(森)と朝鮮語の「もろ」(山)を比較するのはちょっと離れすぎているような・・・
2003/10/20 21:18
>>No. 784
>プレートテクトニクスで完全に否定なさるなら、もしかして昔のほうが水位が低かったとは考えられないでしょうか
私が言いたいことは、プレートテクトニクスからは「ムー大陸説」は否定される・・・ということで、「八重」という地名の検証それ自体は意義のあることと思いますよ。地名は歴史の化石・・・といいますからね。
2003/10/21 12:46
>>No. 779
繰り返しますが、「日本語は何処からか人と共にやって来たわけで」という前提が必ずしも成り立たないことを指摘したかっただけです。この事実を受け入れないと、日本語の起源論の発展はありませんから。
もう降参した議論の続きをしようと思ったわけではないのですが、それでは無責任かしら。
》なら何語と何語が交わってクレオールになったかを考えないといけません。
目くじらを立てるほどではありませんが、クレオール自体は「何語と何語が交わって」できるわけではありません。
日本語の音韻システムはオーストロネシア諸語と共通するものがありますね。
単語は、私は自分なりの理由があって、タミル語起源のことばがたくさんあると考えています。
日本語と朝鮮語の構造が深いところでよく似ているのが気になります。
アイヌ語は、全然似ていないと思います。
追求されてもそれ以上のアイディアはありません。
2003/10/21 21:50
>>No. 788日本語の音韻システムがオーストロネシア諸語(南島「語族」というべきでしょう)に類似すると、仰っているのは、いわゆるポリネシア語派の開音節(母音終り)のことかと思いますが、現在の考え方では、南島語族の祖語はむしろ、台湾原住民(高砂族、高山族)やインドネシア語派の諸言語の方に近く、ポリネシア語派の開音節などは、後代に発達したもので、すくなくとも日本語の開音節の元となったとは現在考えられていないように思います。(だから私は、始めから日本語=倭人語が開音節構造をもっていたと主張しているのですが。)満州語などは、かなり開音節的だとされています。もっとも日本近隣の諸言語で日本語ほど開音節の程度が強い言語は見当たりませんが。
2003/10/22 23:35
>>No. 789
ポリネシアの開音節が後世に発達したものなら日本の開音節も後世に発達しても良いのではないですか?
言葉に付いては判りませんが、台湾のタイヤル族にアイヌと全くよく似た入墨があった事をご存知ですか?
今でも台湾の鳥来山観光でタイヤル族の踊りを見ると女性の化粧でそれらしい事をしていた事がわかります。
タイヤル族の着物はアイヌの着物にそっくりです。
またパプアニューギニアにある縄文土器にそっくりの土器についてはどのようにお考えですか?
2003/10/22 23:54
>>No. 1日本語の起源論で日本語の動詞活用と類似な活用をする言語は何語が上げられているのでしょうか、ご存じの方教えて下さい。
2003/10/23 01:08
>>No. 790
日本語の開音節も後代に発展したものだという説も、勿論あり、特に日朝同系論など、閉音節の言語(この場合は韓国朝鮮語)と日本語の同系論を唱える人に多いような印象を受けます。もし日本語が本来閉音節であれば、韓国朝鮮語のような日本語ともともと文法構造が酷似し、且つ語頭に濁音やラ行音が立たないなどの特徴を共有するアルタイ系の言語と、日本語の同系説が更に有力となるわけですから。
代表的な日本語が昔は閉音節だったとする説では、「五十音図」の成立がきっかけで、日本語が「開音節化」したというものです。しかし「いろは歌」の他、「あめつち歌」なども、開音節前提で成り立っていますし、奈良朝期の万葉集などの記録された「上代日本語」(7〜8世紀)の前の3世紀頃の列島の言語を反映する魏志倭人伝の「倭人語(倭国語)」も、長田夏樹氏(「邪馬台国の言語」学生社、昭和54年)や森博達氏は、上代日本語と共通の特徴(開音節、語頭にラ行音が立たないなど)を持ち、日本語であると考えており、3世紀の日本語もすでに開音節と考えられます。尚、早田輝洋氏は、日本語は顕著な開音節言語、モンゴル語や満州ツングース語も表面的には閉音節が結構聞かれるようであるが、実際には音節末母音が弱化して閉音節に聞こえているものが非常に多い、その点では日本語の無声化母音等も同様であると記されています(新疆省の錫伯語=満州語の後裔の実例を挙げられていますが、開音節です)。早田氏は北京語はかなり開音節的(音節末子音は四種のみ)であるが、多くの漢語諸方言、朝鮮語諸方言は閉音節優位というべきであろうと述べています(森氏、早田氏の説は「月刊日本語論」1994、11、収載論文に拠る)
2003/10/25 08:21
>>No. 782
*得(う)る
●タ oll-u to be able(し得る), possible(可能である), practicable(実行できる);to occure (発生する), happen(生ずる), take place(起こる);
○日 ur-u 「し得る」という場合の「得(う)る」。o/u交替。「思はずも まことありえむや さ寝る夜の 夢にも妹が 見えざらなくに(思わずにいることが本当にできるものであろうか。寝る夜の夢にも妹が見えるのに。)」(万葉集3735)など。日本語では、単語は母音終わりという特長のため、タミル語にはない活用が生じた。文献上では、上古は「得る」ではなく「う」である。
○日 ar-u ある。
*可能・自発の助動詞「る」
○日 r-u 可能・自発の助動詞「る」。y-u参照。
*可能・自発の助動詞「ゆ」
○日 y-u 可能・自発の助動詞「ゆ」。l/y対応。
大辞林から引用すると、
「(1)ある動作が自然に、また無意識的に実現してしまう意、すなわち自発の意を表す。
(2)他から何らかの動作・作用の影響を受ける意、すなわち受け身の意を表す。
(3)ある動作をすることができる意、すなわち可能の意を表す。実際には、打ち消しの語を伴って不可能の意を表す例のみが見られる。『ゆ』は中古以降は一般に用いられなくなるが、その残存形は、「いはゆる」「あらゆる」などの連体詞として、後世まで用いられる。
また、『聞こゆ(「聞かゆ」の転)』、『思ほゆ(「思はゆ」の転)』、更に『おぼゆ』などの動詞の語尾として残存するものもある」。
上代は、文献上においては、「ゆ」「らゆ」という形であり、「ゆ」の多くは自発、「らゆ」は一例のみ可能表現であった。
一般に、これらはヤ行子音yとラ行子音rとの調音位置の近接、及び連体形「ゆる」、已然形「ゆれ」におけるラ行音語尾の接辞によって逆行同化を生じ、「るる」「るれ」となったと説明されている。
しかし、タミル語からみると、元々文献上はともかく、oll-uの日本語対応形として(u)r-uとy-uの二種があったように見受けられる。これらにラ行音語尾が接辞し、ru-ru・yu-ruとなったのではないかと思える。
なお、この助動詞が、可能・自発(ある動作が自然に、また無意識的に実現してしまう意)であるのは実質詞oll-uがto be able(し得る), possible(可能である)という意味とto occure (発生する), happen(生ずる)の意味を併せ持つことに由来する。
以下の「得(う)る」は「受け取る」という意味での「得る」である。
*得(う)・得(う)る・得(え)る
●タ a-r to get(受け取る), obtain(得る);
○日 u 得(う)。a/o対応。列島内でo/u交替。
○日 ur-u 得(う)る。
○日 er-u 得(え)る。タミル語内部でar>er交替。
タミル語aはタミル語内部でeと対応する。このarは日本語ではおそらくoと対応し、後にuに落ち着いたものと思われる。
なお、以下も得(う)と対応する。可能の「う」ではないが、のちに類音同義語同士が習合した可能性がある。
*居(い)・寝(い)・得(う)
●タ ce 1. to dwell(居住する), abide(留まる); 2. to live(残る), remain(残存する); 3. to sleep(眠る); to obtain(得る) ;
○日 i 居(い)。寝(い)。c-の脱落。e/i対応。
○日 u 得(う)。*ca>ceの古形*caより、a/o対応。日本語内部でo/u交替。
*居(ゐ)る
●タ ir-u to exist(在る・居る); to be ready to act(行う用意がある);to be on the point of acting or going(行為や移動をまさにしかかっている);
○日 ir-u いる[上1]。上代の上二段動詞「う」を上一段に再活用させたものとする説がある。
大辞林は「る」は本来「立つ」に対する、すわる、その場を動かないでいる意で用いられ、動的な性格が強いのに対して、「おる」はある状態のまま存在する意で、状態性が強い、とするが以下のようにir-u、or-uは意味が同一である。
○日 r-u る。日本語「為(す)る
と対応するタミル語はcey(to do)-iru>se-iruであり、-ei/-u対応でsuruとなったものと思われる。
iruの頭母音iが脱落するのは、日本語では前に接続する動詞が母音で終わるため、母音同士がぶつかり合って一つの母音になるからである。
もっとも、このような現象は上古から日本語では必然的に生じるため、一般にiruは接辞させる場合はruであると認識されるに至ったものであろう。
2003/10/25 21:18
>>No. 793hn2602さんから提示されている日韓両方に共通する「語頭にラ行音が立たない」という特徴はタミル語起源説ではどのように解釈できますか?
2003/10/25 22:53
>>No. 794
タミル語もラ行音は語頭に立ちません。例外的に、r-が立つときは、その前に母音が前接します(rami→irami)。
また、サンスクリット語からの借り入れの場合は、r-が立つ場合があります。たとえば「良麻止(ラマト)」という日本語があります。幾つかの説がありますが、私はこれはサンスクリット由来のramakot-uのk/v交代形ramavot-uの約まった形ramat-oではないかと推定しています。
だとすると、「誓って宣る」という意味となります。
2003/10/26 18:56
>>No. 795
横レス失礼します。
「3重構造の日本人、望月清文、日本放送出版協会」に大いに賛同するところがあり
↓
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835209&tid=a5a4a5sa5ia1a6
a5ha1bca5ma5ca5q8lb2a2v&sid=1835209&mid=656
こうした投稿を行っています。現在中国古代神話を分析中ですが、雲南、チベット、
甘粛の3方向からタミール系の言語が中国経由で日本に縄文から弥生時代に流入して
いるという感じがします。洪水、竜などの神話に地中海、中近東との関連が伺えま
す。以上ご参考まで。
2003/10/26 19:14
>>No. 795
なるほど、日本語、タミル語、韓国語の間に同じ特徴が見られるという事は同じ言語をルーツにしている事は間違い無さそうですね。
問題は何処からどのようなルートを通って夫々の国に行ったかに絞られます。
2003/10/26 23:26
>>No. 789
》日本語の音韻システムがオーストロネシア諸語(南島「語族」というべきでしょう)に類似すると、仰っているのは、いわゆるポリネシア語派の開音節(母音終り)のことかと思いますが、《
そうです。ポリネシア語派、と言うべきですか。
》ポリネシア語派の開音節などは、後代に発達したもので、すくなくとも日本語の開音節の元となったとは現在考えられていないように思います。《
もしこれが「定説」なら、私は学者の言うことを信じません。開音節だけでなく、鼻母音も両方にあります。平行進化であると考えるのは無理です。
2003/10/27 12:44
>>No. 796
チベット-ビルマ語語順については下記研究があり、
http://linguistics.buffalo.edu/people/faculty/dryer/dryer/tibeto-burman.pdf
上記をクリック、アクロバットPDFViewer画面左タブ「ページ」をクリック、P53分
布図のグレーの丸印(下記では白丸と言及)を参照。「更にP52:だがこの西に
OV&GenN&AdjN&NumN
語群があり、地図上では白丸で表す。
これらはAdjNの点で先行類型と異なる。
この類型はインド、パキスタンの主流で、印欧、ドラビダ、ムンダ及びより多くの西
方ボーディック言語群に出現する。
それはまた中国語の北方に位置し、地図上ではモンゴル語、トゥングース語、朝鮮
語、日本語、アイヌ語の類型でもある。」とあり、他方、トルクメニア、アナウ農業
文明に原ドラビダ族が存在したことを主張する文献も多く、私は中央アジアの原ドラ
ビダ族の話したタミール語がパミール西麓で南北に分岐、満蒙日韓に渡来した流れを
想定します。さて、その時代が問題。
2003/10/27 13:17
>>No. 1
「日本語」と言う言葉は
江戸時代までは
なんと呼ばれてたのですか
和語?
2003/10/27 13:50
>>No. 800「やまとことば」でっせ。
2003/10/27 15:10
>>No. 799
6,300年前の喜界が島カルデラの世界的規模の爆発、厚くつもった死の灰(アカホ
ヤ)の後遺症によって、東北以南の動植物は壊滅、大陸からの文化の受け手はこの時
点以降東北以北に限定され、それを立証するように中国南部の文化が東北に流入して
いる。http://osaka.yomiuri.co.jp/kodai/tokushu/itoku/itoku02.htm
タミール語の影響がアイヌにまで達しているのなら、6,300年前の喜界が島爆発以降
のことと考える方が無理がない。
つまり、それ以前なら半島経由九州に入り縄文文化の影響を受けて伝播が難しかった
であろうからである。
さて、タミール語は半島から日本海を北上し東北、北海道に伝播したのであろう。
ヴェーダのインドラがヴリトラ(竜)を退治する話だとか、ギリシャ神話のポセイド
ンとか多くの西方の神話が裏日本の出雲神話、日本神話にある。
他方中国では共工は羌系の洪水神で,夏系の禹と対立する神であった。
共工の臣相柳(そうりゆう)は九首の竜で,そのゆくところは谷となり,血が流れて五
穀生ぜず,禹に殺された。
共工,后土,相柳はみな竜形蛇身の神で,夏系の魚形諸神の対立者であった。
(戦国時代中国の西北辺、今の甘粛・西蔵・青海方面に拠った)羌系の神々は,ま
た苗系の神々と対立する。
中国では、BC2200年頃南方ミャオ族と北方部族が渤海湾で戦い南方は破れ世界各国に
離散したとする説がある。
この北方部族を羌系とすれば、西方の神話の流れがわかる。
半島、列島への伝播は縄文晩期から弥生全期にわたる長期間流れ続けたのであろう。
2003/10/27 22:12
>>No. 1何かの本でみたのですが、私達が会話のなかで使う、「君(きみ)」と「僕(ぼく)」は、韓国の姓で多い、「金(キム)」と「朴(パク)」と関連があるのだと。真偽は不明ですが・・・
2003/10/27 22:20
>>No. 802
は縄文から弥生への変革期であったと思います。
中国大陸から渡来した人がいたのは当然でしょう。
2003/10/28 21:58
>>No. 795
面白いページ見つけました。
http://www.pref.miyagi.jp/kohou/kids/what/pride/word/word_3.htm
「デンデンムシ」「マイマイ」「カタツムリ」「ナメクジ」の語源について思い当たることは無いでしょうか?
これらの言葉は順に全て近畿で発生して広まったものでしょうか?
2003/10/29 08:20
>>No. 804
mutouhaさん、レスありがとうございます。
縄文から弥生は九州北部、東日本(後の奴国の板付に隣接する雀居遺跡の北海道から
北陸に分布する大洞C2土器の存在)、
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/fukuokaheiya/fukuoka.html#00
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/news/index.htm
太平洋岸、居徳遺跡と全日本規模で始まり
http://osaka.yomiuri.co.jp/kodai/tokushu/itoku/itoku01.htm
http://www.rui.jp/message/02/75/81_4880.html
http://www.rui.jp/message/04/76/17_6d35.html
http://www2.net-kochi.gr.jp/~kenbunka/maibun/mainsite/mainsites.html
そして金属利器で激しい闘争をし、独自の文様をもたらした中国人が渡来していたと
言うことは、御説の通り、当然で、よく言われるタミール語、地中海系遺伝子(羌の
感あり)についても殷周革命から春秋期の激動時代を背景にして伝播が行われたので
しょう。
2003/10/29 23:53
>>No. 806
については、私は、あまり南方系の流れを重視しないのですが、10月20日のNHKクローズアップ現代で、日本人30万人の遺伝子の提供を求めて、「生活習慣病」の原因遺伝子(多分一塩基多型SNIPの調査が主だと思われますが)を研究する話がでていました。疾病との関係を重視しているようなので、多分HLA型も研究の対象でしょう。
尚、イギリスでも同様のプロジェクトがあり、50万人の遺伝子を集めるようです。他にも国家挙げて研究に協力している国(確かアイスランド?)もありますし、日本近隣の国が、同様の研究の対象になれば、かなりはっきりとしたデータが得られ、もっと「倭人」の正体が改名されるものと思われます。(私の予想では、大陸での人の流れは、北方から南方へ、が主流であり、日本へも南方からの流れは傍流だと予想しています)
2003/10/30 07:06
>>No. 807
hn2602さん、こんにちは。
私も北->南。20,000年前の姶良火山と6,300年前の喜界が島カルデラ噴火。
特に後者ですが、中国では神話を基に「こうして、南蛮の首長大戎(ダイジュウ)
(蚩尤)、刑蛮(ケイバン)の首長億(オクセン)(?センギョク)の部落連
盟が形成され、海洋文明社会が出現する。大戎(億熊)は部下を率いて大竜口(現在
の湖南省懐化地区の大河口)から北上して、親族(億鬻オクシュク)と結合し、九
黎(レイ)国を建国、沿海、河川、湖、停泊地の中の野生のイネを採集、南方から北
方に向け次第に野生のイネの採集の範囲を拡大する。渤海湾で北方部族に遭遇、大戎
は九戦九勝、「天下を取るのに一切抜かることなし」である。北方游牧部族は強行戦
術が失敗したと見るや、硬軟両様の作戦に転換、双方は和平交渉をし、姻戚関係を結
び、大戎九黎は崩れ、九黎内部のシャーマン、知恵者は功を争い、腐敗分裂、シャー
マンブームが横行し、「言に正義がなくなった」。夏親(炎)、王姫(黄)は大戎
九黎に対して結盟し、天下を取る時間を稼ぐことができた。大戎の弟大キ(大)
(祝融)が投降、渤海湾においてあった餅(ツーパ餅)が廃棄され、食糧不足に陥
り、花火筒、羅針盤を献上、利器を失い、大戎九黎は内部分裂し、刑蛮の首長オクセ
ンが叛乱を起こし、炎、黄は機に乗じて反攻、大戎九黎は一敗地にまみれ、苗族はこ
の地より黄河下流の産米地方に退却を開始、史上初の万里長征が進行、東は米州に
至り、南は東南アジアに至り、西は新疆、中央アジアに至り、北は遼寧、黒竜江、シ
ベリア、モンゴルに至る。大戎は部落連盟の地位を失い、部落連盟を脱退し、改名し
て億戎(共工、部落盟長)となった。億戎は部族を率いて長江北部に帰還し、三苗国
を建国、第2次農業革命を発展させ、人的物的資源を蓄えた後、再度部族を率いて南
侵してくるセンギョクと帝位を争い、センギョクを大敗させた。この時海浸が到来
し、不周山が崩れ、億戎の罪によるものとされ、億戎はこのために部族連盟公推制に
よる部族連盟長の地位に登れず、改めて(億熊パン瓠蛮の末裔である)大堯を部族
連盟長に任じ、曰唐を建国し、曰虞と号した。」等といっているんですけど、この
「海浸」は6,300年前の喜界が島カルデラ噴火によって長江を逆流する津波、不周山
の崩れは地震災害を言っているんじゃないかと思います。噴火後列島は一時月世界同
様の状態が続き、南方からのアクセスを妨げたのでは。-続く-
2003/10/30 08:00
>>No. 808
hn2602さん、
長談義となりますが、
「広大な中国が統一される以前には,地域
的にいくつかの先進文化の地帯があり,神話もその地域に生まれた。
徐旭生はそれを華夏・東夷・苗蛮の3集団に分かち,それぞれの神話を,この3集団に
帰属させようとする。
考古学的にいえば,華夏は彩陶文化,東夷は竜山文化,大紅口(だいぶんこう)文化,
苗蛮は屈家嶺や江南の諸文化にあたり,それぞれが対立する関係にある。
また各地域においても,その内外に種々の損藤(かつとう)があり,神話はその対立と
闘争を通じて形成される。
たとえば華夏と苗蛮,すなわち彩陶文化と屈家嶺文化の間には羌(きよう)系の勢力が
あり,その河漢の地には殷,のちには楚が進出してきて,その地の洪水説話は多様な
様相を示している。
禹(う)は夏系の洪水神である。
その系列は紐柊(せんぎよく)にはじまり,鯀(こん)とその子禹につづくが,この3神
の神像は魚,または人面魚身の神である。
西安半坡(はんぱ)遺跡の彩陶土器はその文化のきわめて初期のものであるが,その画
文に魚や人面魚身の像がみられ,鯀・禹の洪水説話が,夏系の古い伝承であることを
示している。
共工は羌系の洪水神で,夏系の禹と対立する神であった。
夏系の紐柊と帝たることを争い,敗れて不周の山に頭を触れ,天が北西に傾いたとい
う。
その子后土は治水神であり,また土地の造成者でもあるから,禹に匹敵する神格であ
る。
共工の臣相柳(そうりゆう)は九首の竜で,そのゆくところは谷となり,血が流れて五
穀生ぜず,禹に殺された。
共工,后土,相柳はみな竜形蛇身の神で,夏系の魚形諸神の対立者であった。
羌系の神々は,また苗系の神々と対立する。
《書経》呂刑(りよけい)は姜姓呂国の神話を伝える文献である。
姜姓四国は嶽神伯夷の子孫であるが,苗民が帝意に従わず,帝が伯夷に命じて刑典を
作らせた次第をしるす。
苗民が虐をなして神と人との世界が乱れ,帝は重黎に命じて天地を隔絶させるという
天地開闢の説話がそこに語られるが,重黎は楚の祖先神とされるものである。
すると羌・苗の闘争に,楚が介入したことが考えられよう。
苗族はここでは邪悪なる異族とされている。しかし苗族の立場からいえば,共工こ
そ天地を傾けた大悪神であった。
天が北西に傾き,欠漏が生じたところを,女茅(じよか)が五色の土で補修し,それが
輝く星となった。
女茅こそ救世の主であるが,この竜形の神にはまた人類初生の説話があり,伏羲(ふ
くぎ)と相交わる竜形の神である。
伏羲,女茅にはまた洪水説話がある。
天地をひたす大洪水のとき,この2神だけが瓠(こ)に乗って逃れ,人類の始祖となっ
たという箱舟形式の説話である。」
と言う話がありますが、殷の正体は遊牧民族、異民族といわれます。
↓
http://eisityou.hp.infoseek.co.jp/kouza/lec18.html
殷の後にも遊牧系↓
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4490/country1.html
その中から北方、燕への進出がある↓
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/point21.html
上記にある「彩陶文化」、神話中の「箱舟形式の説話」、「九首の竜」等は中央アジ
アトルクメニアのアナウ(地中海系人種、タミール語、ドラビダ族)の農耕文化にあ
るものですが、アナウ文化は同様のイラン方面から来る農業文化ジェイトゥン文化に
押されどこかに移動します。
ジェイトゥン文化も同様にインドヨーロッパ系農耕牧畜文化に押されどこかに移動し
ます。
結論として、中央アジアを追われた地中海人種、タミール語、の民族はその後中国か
らも追われ燕の国に入り、更に南下を続け、九州経由故郷である中央アジアに似た
北海道にまで移動したのではないかと言うのが私の推理です。
2003/10/30 08:34
>>No. 805
ナメクジはタミル語からすると、「なんとも貧弱な蛇」ということになります。
●タ namp-u 1. anything lean(何とも貧弱なもの); 2. small climber(小さな這い登るもの);
○日 nam-e -mp-/-mb-対応。列島内で-b-/-m-対応。
ナメクジリという場合は、以下の語が後接したと思われます。
●タ kattir-am snake(ヘビ);
○日 nam-e=kuziri ナメクジリ(法華経玄賛・平安中期点);name-kattiraの転。
○日 nam-e=kuzira ナメクジラ。
ナメクジという場合は、以下の語が後接したものと思われます。
●タ kuz-ai dwarf snake(醜い蛇・ちっぽけな蛇);
*かたつむりの「かた」
●タ kott-an snail(かたつむり);
○日 kat-a=tu=muri かたつむり。以下のように、「かた 津(の) むり」と分解できる。かなり古い言葉と思われる。
*かたつむりの「むり」
●タ mur-al a shell-fish(貝);
●タ murr-il a kind of shell-fish(貝の一種);
タミル語からみると、「かたつむり」はkata-津(の)-muri、すなわち「かたつむりの貝」という意味となります。
マイマイ、デンデン虫は今のところ不明です。
2003/10/30 09:36
>>No. 810
大辞林によれば「まいまい」というのは「うろうろするさま」の意だそうで、そうすると、この「まいまい」はともかく、デデムシは以下のタミル語由来かもしれません。もっともこれは?付きです。
●タ tentanamati to loaf(当てもなくうろつく), loiter about(そこいらをのらくらうろつく);
2003/10/30 17:00
>>No. 809
このホームページにあるイ族 【彝族 Yi-zu】とペー族 【白族 Bai-zu】が今
から4000-3000年前日本に来た人々の子孫でしょう。
http://www1.neweb.ne.jp/wb/shonanjcfa/shaoshuminzu.html
2003/10/30 19:03
>>No. 812
前のレスの補足説明をすると、下記におい
て
http://www.uglychinese.org/prehistory.htm
Ah Xiangさんが以下の通り述べています。
「今日の中国南西部少数民族彝(イ)族 と白(ペー)族の祖先は横断(ホントゥア
ン)山脈沿いに南方に移住した古代羌(テイキョウ)族に行き着く。
羌族の古代中国への影響は余人の想像をはるかに上回ることに留意すべきである。
かれらはアイヌの祖先である日本縄文人と遺伝的な類似性をも持っていたのであ
る。」
2003/10/30 20:19
>>No. 813根拠のないことは書くな。
2003/10/30 23:20
>>No. 814
おそらく、Y染色体のデータによる説を引用したものでは?
まだデータはすくないようですが。
2003/10/31 05:43
>>No. 813
引用した米系中国人らしき作者のURLの「黄帝対炎帝伝説」の項目の上から9行目
からの1文全文がこれであり、遺伝的類似性とは具体的にどういう内容とかいう学術
的詳細はのべておらず、全体的に古代中国の神話に対する中国人学者の科学的な解釈
を紹介した内容のウェブサイト。
別のトピで倭人が遼東、朝鮮を南下したとする説を拝見し、卓見と思い、それを補強
する雲南省少数民族の日本語サイトを発見したものだから喜び勇んで書き込んだとこ
ろ短絡していたことを思い出し後付で補足説明したもの。
ただ、その別のトピの話はあくまでも倭人の話であって、私自身としては「日本人の
3重構造」(望月清文氏著)にある2番目に日本に入った日本人-2(ドラビダ系)のルー
トを模索していてこれはいい話だと飛びついた。
だが、私は中央アジアのアナウにいたであろうドラビダ系(地中海系)と羌族は一
緒にできないのではないかと思い始めている。
しかし、望月氏の説の裏づけが取れるものを見たいし、例の別のトピの裏づけも見た
い。
しかし、その別のトピの話の倭人はこれとは別の問題として捕らえるべきと考えてい
る。欲張りすぎて短絡が発生している。
\(_ _)
2003/10/31 07:48
>>No. 815
望月清文「日本人の3重構造」については、
下記URLに簡単な解題があります。
http://members.jcom.home.ne.jp/t-masami/zakki-01-1-6/z-01-03-10.html#道
3重構造の各層を、どの時代の どの人たちに当てるかは、難しい問題で、
この本のように、即断はできないと思いますが、
3重構造という考え方は重要だと思います。
バスク語の持つ能格性は、日本語では名詞化などに見られます。
バスク語・ギリヤーク語・イヌイット語のような能格性の強い言語は、
英語のような言語と違って、
言語的に揉まれて来なかった為、古い姿(音)、古い心を保っているという印象があります。
アイヌ語などにも残っているように思われます。
アイヌ文化に多大な影響を与えたオホーツク文化なども考えなければいけないのでしょう。
2003/10/31 10:07
>>No. 817
割り込んで恐縮ですが、takuhatachichihime 、hn2602さん方に同
時に語れ幸甚です。さて、例の本のような即断は実際的には無理もあろうかとは思う
ものの、サイバー世界においては孫悟空みたいなところがあり、桃源郷を駆け巡るの
も又格別なもので。で、アナウにいたものはドラビダ系らしいということはウェブ上
にも散見されますが、そうなると、小麦、牛、竜(治水)、洪水(農業災害)、太陽
/鳥・・・とまー、こういったものをシンボルとして含む集団であって、平原経由黄
河上流により進んだ経済を伴って入ってきた、つまり、地元の漁労採集(魚のシンボ
ルなどがそうか)を先に述べたシンボルに合体させたような集団であって、後に分解
して内蒙、満州、朝鮮経由日本に入ってくるものはなにかに眼を向けるべきだと思う
に至りました。そうなると、羌なるものはやはり山岳色が強くうまく当てはまらな
い。しかし、中国神話は複雑怪奇、プロでないと解釈しきれないところがあります。
漢籍を万巻こなそうと現地経験がないとわからないって言うこともあろうし、その逆
もあろうしで。uglychinese.orgも面白いので熟読しているところですが、こうした
関連でいい情報があれば御教示願いたいと思います。前には、馬のベルトにつけるエ
イのバックルがでたのが内蒙、渤海湾、遼寧を結ぶ辺であるらしき情報をいただきま
したが、魚のシンボル、海洋、騎馬民族、銅の加工技術が組み合わさり、まさに殷の
統一が破れ四方に文化が流れる様を表し、あの辺が「大いなる燕」の入り口かと言う
感がいたしました。どうもありがとうございました。
2003/10/31 20:54
>>No. 811
でも全てタミル語で説明されると「方言周圏論」とは反してしまうような気がします。
ナメクジあたりがタミル語でマイマイが高句麗語、カタツムリが新羅語だと私の仮説に合うんですが・・・。
2003/11/01 00:00
>>No. 819
もう一度、日本語の語彙については、まず日本語内部での検討を行ってから、他言語との比較に入るべきとの主張をするはめになろうとは・・・。
「方言の読本」(小学館1991年8月1日)より、
『柳田国男は、その著「蝸牛考」の中で、全国のかたつむりの方言をAナメクジ系、Bツブリ系,Cカタツムリ系、Dマイマイ系、Eデデムシ系の五類、その他に分類し、京都を中心に分布するEデデムシ系を囲んで、AーB−C−D−E−D−C−B−Aの順に並んでいると判断した。そして、この分布は、京都でA−B−C−D−Eの順に言葉が交替し、そのつど古い方の語が水の波紋のように外側に押し出された結果であると解釈した。』以上が方言周圏論の骨格ですが、文献的にも「デンデンムシ」類が近畿でもっとも新しく生まれた勢力であることは間違いなく、柳田は「デデムシ」は「出よ出よ」に由来すると考えています。
同じようにDマイマイ系は「舞え舞えかたつむり」の「舞え舞え」からの変化でしょうし、Cカタツムリ系とBツムリ/ツブリ系は各地で分布が隣接しており、おそらく起源も関連しているでしょう。
Aのナメクジ系がもっとも古く、沖縄の「ツンナメ・ツダミ」の「ナメ・ダミ」を「ナメクジ」の「ナメ」に当たる形と考えれば、ナメクジ系がもっとも古いという柳田説は全く正しいと思われます。
次に「ナメクジ(蛞蝓)」は、文献上は、「なめくぢ」次いで「なめくじ」「なめくじり」が現れ、「なめくじら」がもっとも新しい語形で、タミル語との関連など窺えないのですが。
尚「なめくじり」の語形は、この虫が樹木や野菜を「なめてくじる」という民衆語源から生まれたとされています。
カタツムリ(蝸牛)の最古形が「なめくぢ」乃至その類似形だとすれば、古くは「かたつむり」も「なめくじ」も区別なく「なめくじ<なめくぢ」と呼んだと考えられ、実際に」「ナメクジ」の方言の中に見られる「ハダカナメクジ」「ハダカメーメー」「ハダカナメト」「ハダカダイロ」などの語形は、かたつむりとなめくじを区別するために、ナメクジに「ハダカ(裸)」の接頭辞を付けたものと考えられます。
2003/11/01 11:19
>>No. 817
おもしろい説と思います。
記紀や風土記に、「すね」が長い部族が出てきますが、
これなど欧米的で、短足胴長の人種とは少し違うように思っていました。
昔、「新人類」と云う言葉がはやりましたが、
膝から上が長いのと、下が長いのとでは、基本的感性も異なると云う意見もあります。
2003/11/01 11:27
>>No. 820
「くぢ」というのもヘビを「くちなわ」と言う場合があります。
沖縄方言でカタツムリは「ちんなん」は「小さいヘビ」から来ているような気がします。
英語のsnail もsnakeのように同じ這うものとしての関連が似た言葉になります。
ナメクジのタミル語起源「貧弱なヘビ」というのもあり得るでしょう。
デンデンムシも複合語ですから「出よ」がタミル語や韓国語で説明できればそれなりに論拠にはなるのではないでしょうか?
つむりも「あたま」「丸いもの」=「つぶら」などとの連想が可能で、さらに韓国語の「もり」との関連を考えて見なければならないでしょう。
2003/11/01 13:40
>>No. 822
柳田「蝸牛考」によれば、蝸牛もヘビタマグリという地方があります。
新しい文献に載っているから新しい語とは限らない、と蝸牛考にも書いてあります。曰く「偶然それが学問ある人の筆に上がったからとて、少しでも匡正の力を持つ道理はない」(柳田全集5−p238)。
2003/11/01 16:56
>>No. 823
カタツムリをもナメグズリ(弘前方言)、ナメクジラ(盛岡方言)、ナメクジ、ナメクジリという地方もあるようです。
タミル語でカタツムリをkattiracagkamとも言います。カジラサガムです。kattiramは蛇、cagkamはconch(巻貝),shell(貝)という意味ですから、カタツムリは蛇(の入った)貝ということになります。蝸牛考の各方言を見ますと、日本も同様の理解をしているように思えます。
2003/11/01 21:30
>>No. 818
日本語の起源を考える上で重要と思われる日本語の特徴は、
・基本的に北方系(例えば、アルタイ系)
・相(Aspect)は持つが、時制(Tense)を持たない(例えば、インドネシア系)
(時間の概念が、シンタクティクでなく、セマンティク ─ 曖昧さを好む国民性)
・モルフォロジー的に敬語体系を持つ(例えば、ビルマ系)
(支配層が万世一系で貫かれてきた)
という日本人の3重構造でしょう。
2003/11/01 22:53
>>No. 825
(1)語彙的にはボレアール(印欧、フィンノウルリック、アルタイ、森林、河川、湖
沼、ステップ、漁労、採集的用語に共通性あり。単音節2子音。)共通の要素が強い
のでこれは賛成。
これが一番古いか。
(2)中国人日本語学習者は助詞「は」、「が」の習得において中国東北朝鮮族の習
得が早いことを特徴的としています。
コレアンに肉親謙譲はないものの「は」、「が」に相当するものはあるらしい。
同様の敬語体系とみなしてもいいんじゃないでしょうか。
支配層の万世一系など民族的な点を言うと儒教が実に韓国的であるし、韓国人は他民
族から儒教を教えられて素直に従う国民性ではない。
逆に孔子乃の生まれた魯の国が韓国との関係があると考えたほうが早いのではと思う
のです。
文法化された敬語体系を持つというのが1つの要素であることには賛成。
これは東シナ海沿岸の縄文草創期あたりか、非常に古い時代に成立している局所的
集団。
(印欧語がジプシー的ノマッドのサンデイスクール的なヴェーダのようなものを神官
による口述で思想、宗教教育を通じて普及されたのではないかと考えられますが、こ
の集団も殷のような大きな社会制度に入っ
て特殊な儀式を担当していた種族を祖とする時代があったのかなーなんて思っていま
す。)
(3)時制欠如は原印欧語、中国語など普遍的で、これは少々弱いものの1つの要素に
なりましょうか。
これはあるにせよ最も新しいものでしょうか。
これが長江下流方面からの弥生時代か。
こういうことではどうでしょうか。
2003/11/02 06:53
>>No. 826
お二人さんの特徴は、専門用語的なもの
をちりばめていながら、中身がないと
いう点については酷似するね。
ダブハンかい。
2003/11/02 07:27
>>No. 826
初め氷河時代大陸と地続きだった頃マンモスを追って旧石器人が大陸からやってきた。
氷河時代が終わり温暖化が始まると南方から海進に追われた人々がやって来て縄文時代が起きる。
春秋戦国の頃から中国南部の人が次々と列島にやって来て弥生時代が到来。
中国南部から戦乱を逃れて脱出した人々は韓半島南部にも展開し韓半島と北九州の交流が深まる。
弥生時代の後期になると武帝の4郡設置などの影響を受けて中国北部及び韓半島から列島にやって来た人々がいた。
九州では韓半島と密に交流していたので渡来人の増加でも特に変化は起きないが、山陰北陸ではそれまで少なかった鉄器なども増加し、四隅突出墓が作られる。
次に魏による高句麗掃討によって半島北部から直接列島にやって来た人により前方後円墳が作られ、古墳時代が到来する。
つまり大別すると「北」「南」「西」「北」の順で4回に渡って渡来してきた。
2003/11/02 09:42
>>No. 828
?千島樺太(オホーツク)経由集団、
?沿岸州(日本海)経由集団、
?朝鮮半島(対馬海峡)経由集団、
?中国(黄海)経由集団、
?台湾(太平洋)経由集団
2003/11/02 10:31
>>No. 828
私は3重構造中のタミール語をはなすラテン、というか地中海系コーカソイド、が何
時頃日本に入ったのかを知りたいもので、mutouha、nntri500さんのような細分化で
もって何かが洗い出されることに期待をかけてるんですが。
こういう見地からすれば「西」、「北」の頃か。
ツヌガアラシト、牛頭天王なんていうのは地中海農業文化のシンボルが牛であり、辺
境のバイキング等がそうした兜をつけているのを想起します。
日本の戦国時代の兜にもこうしたものがあります。
インドで牛を大切にするのもこれでしょうか。
2003/11/03 08:58
>>No. 826
(金田一京助氏は、「は」と「が」を使い分けることが出来なかった...)
(1)を(基層)とするところは一致しますが、
私とは、(2)と(3)が逆ですね。
(2)
<モルフォロジー的>と書いたのが悪かったようです。
(<文法化された>と言い替えて下さり、ありがとうございます)
現代語ですが、「です・ます」や態(Voice)の助動詞。
自動詞でありながら、受動態である
雨に降られた。
妻に死なれた。
などの表現や、
尊敬(れる・られる)表現を、
受動態に用いる形式と共用する言語は、
印欧語・その他にもあるのかしらん?
一応、ビルマ語系(3層)。
(3)
文献に現われる上代日本語には、時制があります。
一方、<被>支配層の言語には無かった特徴なのでは、なんて考えています。
ということで(?)、インドネシア語系(2層)。
> 時制欠如は原印欧語、中国語など普遍的
現代日本語で顕著なのは、過去時制の欠如(完了相との混合)ですが、
・活魚料理は、死んだ魚(死んでいる魚)ではなく、生きた魚(生きている魚)を調理したものです。
やはり、原印欧語、中国語などもそうなのかしらん?
2003/11/03 11:17
>>No. 824
はじめまして。
蝸牛考を確認しました。
蝸牛をナメクジ(リ)ともいうとは
知りませんでした。
そうすると、少なくとも蝸牛にかんしては、タミール語説を否定する
理由はどこにもないことになります。
しかし蝸牛がこれほどまでに対応する
ということは、対応相当性を敷衍する
ことは許されると思います。
文法対応はあるのでしょうか。
2003/11/03 12:19
>>No. 831
【1】 0層 北方→北方──→東日本
【2】 基層 北方────┐
【3】 3層 北方→南方─┼→西日本──→日本
【4】 2層 南方→南方─┘
【5】 0層 南方─────→東日本
これまでの別トピの話から、【1】と【3】に、西方の匂いを感じます。
2003/11/03 12:59
>>No. 831
takuhatachichihimeさん、こんにちは。
AAA (2)、(3)の順序は日朝両語の分離年代が相当古いのでないかと言うことが大きな
理由。
BBB 印欧語は名詞、動詞の複数化によって身分的差別、丁寧名詞、代動詞の置き換え
による尊敬っていったところでしょうか。
CCC 時制欠如ですけど、原印欧語-そんなアルタイックの丁寧さはなく本来形容詞に
つける語尾をちぎってくっつけたりした手荒なものが多いようで。
ただアオリストスのs等は動詞変化にincorporateされているとか。
中国語-了と言う言葉をワンパターンにくっつけたり、モード、アスペクト的に状
況が揃うと適当に了を省いたりと自由ですね。
「は」と「が」は主語部分と述語部分をメタ的に把握することにおいては能格性、主
格(対格)性の対立を含有する領域の問題であるといえるんでしょうかね。
2003/11/03 13:17
>>No. 833
【1】OK、あとの「西方の匂い」ですが、北方から南方へ入ったとすると平地農業のもの
が山岳農業に以降と言うことでチョット抵抗があるが、北方にいたままそこで南方稲作を
西方小麦農業の方式に組み込み、稲作に転換したもの、即ち【2】、その後に【3】【4】【5】
と来ると考えたい気がします。
2003/11/03 16:00
>>No. 832
対応相当性を敷衍する、という意味が分かりませんが、おそらくカタツムリでここまで対応しているのだから、他も対応しているであろう、という趣旨のことと思われます。
文法対応は岩波書店の大野「日本語の形成」に詳述されております。ここで述べるには書ききれません。
注目されるのは、係り結びが日本語にもタミル語にもあるということで、これは日本語から逆にタミル語にもある、ということが分かったほどです。
文法対応の一例としては、文中に「そ」「ぞ」が来て、文末が「む」で終わる日本語so・・・muとタミル語tan・・・umとの対応などがあります。
助動詞「む」「けむ」「なむ」は終止形と連体形とではアクセントだけに区別があって、万葉仮名では区別がありませんが、タミル語tan・・・um型も普通の終止と連体形終止とは区別が無い点で日本語muとタミル語umは軌を一にします。
このような例が豊富にあります。
むろん、日本語はクレオールタミル語の発展形と見られますから、タミル語そのものを聞いても、日本語と似ている部分がないことは、トクピシンと同様です。
2003/11/03 17:07
>>No. 1
ここかい? 妖怪が住み着いたのは?
>渡る世間は--jump!
さらば
a stiky end
ところで、良い始まりって何て言うの英語で?
まあ〜 お祓い お祓い !!!
こりゃ〜 また 失礼しました (^^;
2003/11/03 19:00
>>No. 835
レスありがとうございます。
色々と、ご教示下さり、とても勉強になりました。
今、自分なりに消化中です。
最後の「は」と「が」については、難しい問題です。
言語学(日本語学)的には、ご指摘の点が重要だと思います。
国語学的には、何となく思っていることですが、
「終止形の消滅」の謎、でしょうか。
この問題は、しんどい、ので深入りはしないでおきましょう。
日韓両語については、
その元を【2】に置いています。
安本美典氏の言う「古極東アジア祖語」ですね。
とりあえず、人と時間を無視して、道として、
【1】 中国北西部 → 中国北東部 → 東日本
【2】 中国北東部 → 西日本
【3】 中国北西部 → 中国南西部 → 中国南東部 → 西日本
【4】 中国南西部 → 中国南東部 → 西日本
【5】 中国南東部 → 西日本 → 東日本
と書き換えてみました。
一応、ふたつの全く異なる考えを歩み寄らせようとする努力として見て下さい。
例えば、【3】は、人の主流を、中国南西部と考えることも出来ます。
【2】は、【1】に、
【5】は、【4】に、そして、【4】は、【3】に押されて、
と考えています。
(人と時間を無視しているのですから、本当は、こんなこと、言えませんが...)
2003/11/03 19:58
>>No. 838最近の日本のバレーボーラーは美人が増えたな。ま、勝つかどうかはともあれ。
2003/11/03 21:34
>>No. 839
勝った。
ということとは別に、この顔の小型化、
そして脚の長脚化、そして一般に言う
眼の二重。
また、あまり言われないことだが、hip
がツルンと上がっていること。
これは、旧モンゴロイドの形質に類似はしているが、東京オリンピックには
見かけなへんだ。
こういう形質変化は、単なるハヤリ
でんかなぁ。
2003/11/04 02:08
>>No. 836購入してみます。
2003/11/04 07:20
>>No. 838
こんなのはいかがでしょうか。
【1】 アルタイ/中国北西部 → 中国北東部 → 東日本 マンモスハンタ、縄文人
に残る。
この後姶良(AT)火山灰層 24,000年前の最終寒冷期の降灰で,桜島火山の北側・姶
良(あいら)カルデラからもたらされた。
分布域は沖縄近海から東北地方にまで及ぶ。奈良盆地では泥炭層に挟まれて見いだ
され,厚いところで10 cmにもなる。
【2】 中国山東半島/中国北東部 → 西日本 古極東アジア祖語族 縄文時代
縄文人になる。
アカホヤ火山灰層 6,300 年前、縄文時代中期の降灰で、薩摩半島沖の鬼界(きかい)
カルデラから放出された。
AT火山灰層と似た分布を示し、奈良では山間盆地と奈良盆地の浅層に点在する。
【3】 中国北西部 → 中国東北部/中国南西部 → 西日本/中国南東部 → 西日
本/東日本 中央アジア・ドラビダ族(中国にヤンシャオ期に到来、殷商時代に西日
本経由東日本に到着。エゾとなる。)
【4】 中国南西部 → 中国南東部 → 西日本 【3】は朝鮮半島、九州経由東北
/北海道に向かったが、これにつられて春秋期の難民の九州西日本流入が始まる。
これが縄文人と混血し弥生人/倭人となる。
【5】 中国南東部 → 西日本 → 東日本 倭人の自称する呉太伯の子孫(彝
(イ)族 と白(ペー)族)【4】と同時期であったが太平洋岸周り。
これらは沖縄、薩摩隼人、エゾになる。
2003/11/04 09:07
>>No. 842いくら詳細に論じても、所詮はすべて想像じゃないか。フィクションを読ませられてもオモロないぜ。
2003/11/05 03:05
>>No. 842
私の稚拙な考えに対して提示して下さった改訂によって、
私の頭の中のイメージが、かなり鮮明になりました。
ありがとうございました。
更に、色々、考えてみようと思います。
ということで、ROMに戻ります。
以下は、
私が、今、考えていることの独り言です。
前にも似たようなことを書きましたが、
対格言語は、能格言語が<言語的に揉まれて>変化したもの、
と、私は考えています。
その時期・程度は、地理的・政治的など様々な条件によって異なるでしょうが、
対格言語にも、少なからず、能格性が、名詞・名詞化などに残っていると思います。
古い姿を保っている<余り言語的に揉まれていない>言語に対しては、
母音調和の、ちょうど、子音ヴァージョンとでもいうべき現象、
一語句の中に共に現われる子音(の組み合わせ)が限られる現象、
の存在を考えていますので、
能格言語同士の、或るいは、能格・対格言語間の類似語句には、
有意・偶然とは別に、<自然の>とでも呼ぶべき一致が、多く見られるのではないか、
なんて思っています。
アラブ系かインド・イラン系の言語に詳しい方の意見を伺ってみたいものです。
計量言語学にも、期待したいものです。
2003/11/05 10:04
>>No. 836
「魏志倭人条」に対馬が出てくる。この音は推定するに簡易表記すれば上古音でtuad magといったあたりであろうが、これはtumaと聞いたものを音訳したものであろう。
タミル語tun-i[pair(一対)、 couple(二つ)、brace(つがい)、two(二個)]がn/m交替でtum-aとなることは別項で論じた。対馬は見てのとおり、二つの島でペアになっている。その手前に壱岐がある。これは一つの島である。
早い時期にこのtumaはtumasima>tusimaに置き換えられたと思われる。
おそらく古代人は、この一つの島と二つの島をそのまま原始日本語で表現したものと思われる。壱岐というのは以下のタミル語に由来するであろう。
*壱岐(いき)
●タ ek-am 1. unit(一個); 2. that which is unique(唯一であるもの); 3. solitariness(単独), singleness(単一);
○日 ik-i イキ。e/i対応。
この壱岐はまたの名を天比登津柱(あめのひとつはしら)と言う。この「ひとつ」というのは壱岐の意味、つまりタミル語ek-amと関連しているようにも思えるが、対馬のまたの名である天狭手依比売(あめのさでよりひめ)と比較して検討すると、タミル語から興味深い意味が導き出せる。
タミル語pet-uにはsmallness(小)という意味がある。これは日本語pit-oと対応する(e/i対応)。他方、bignessという意味のタミル語にtant-iと言うのがある。
これは日本語sad-eと対応する(t/s対応。-nt-/-d-対応)。
つまり比登津柱は「小のハシラ」であり、狭手依比売は「大ヨリ姫」ということになる。大小でシンメトリーを構成しているということは、ハシラとヨリは同じ意味である蓋然性を担保する。
タミル語kattir-amはsnake(蛇)であり、k/h対応でhasir-aとなる。また、タミル語ar-a(snake)かol-am(snake)のいすれからでもyor-iに交替する。ということは、「ハシラ」も「ヨリ」も蛇という意味であることになる。
ここから、壱岐は「小蛇」、対馬は「大蛇」と観念されていたことが分かる。ではなぜ島が蛇と関連付けられたのであろうか。
それはおそらくタミル語cimmat-amもsnakeという意味であることと関連があるであろう。cimmat-amは日本語sim-aと対応する(-tの脱落)。
つまりこの連想から、島=蛇という語呂合わせが、のっぴきならない信仰あるいは観想へと凝縮したのではないであろうか。
2003/11/05 10:48
>>No. 845
*土蜘蛛(つちぐも)
●タ cutt-an fool(馬鹿), idiot(間抜け);
○日 tut-i 土蜘蛛の「つち」。
●タ kump-al company(仲間), crowd(群衆), group(群れ), mass(集団);
○日 kum-o くも。群れということであろう。
「馬鹿の群れ」となる。罵詈雑言の極みである。
*国栖(くず)
●タ kunc-an dwarf(侏儒);
●タ kuz-ai 1. that which is short; 2. dullness of intellect(知性が鈍感なこ
と), stupidity(馬鹿);
○日 kuz-u 国栖(くず)。国栖(くにす)。kunc-an>kunic-anとなる場合はkunisu
となる。短身長肢の土着の先住民。
*グズ
○日 guz-u グズ。のろま。
日本書紀に「又高尾張邑に土蜘蛛有り。其の人となり身は短くして手足長く、侏儒と相類たり。皇軍葛網を結いて掩襲ひ殺しつ。因りて其の邑を改め号けて「葛城」と曰ふ。」とある。
これを現代語に直すと、「高尾張村に馬鹿の群れがいた。彼らは背が低く、手足は長いので、まるでコビトのようである云々」となる。この部族が国栖である。
「古事記」には、神武天皇が紀伊の山中を抜けて行く時に、「尾生る人に遇ひたまひき。」とある。これが吉野の国栖の祖という。国栖がなぜ「尾生る人」なのかといえば、タミル語kuz-aiにはdwarf snake(小型の蛇)という意味もあるからである。蛇の体は尾状であるので、それに引っ掛けてそう言ったのであろう。
*荒(あら)ぶる
●タ alav-u to be troubled in mind(心が荒んでいる);
○日 arab-uru 荒(あら)ぶる。
*にし者の「ニシ」
●タ nic-am 1.meanness(下品),vileness(下劣);2. depression(憂鬱);3.lowness(低劣);4.cruelty(残虐),barbarity(野蛮),savageness(残忍);
●タ nic-an low, vile person(卑しく下劣な人間);ignorant person(無知な人);
○日 nis-i 荒ぶるニシ者の「ニシ」。ニシ者は「残忍な者」「下劣な者」「野蛮人」などが該当する。荒ぶるニシ者で「心の荒(すさ)んだ野蛮人」と云ったところであろう。
*隼人(はやひと)の「はや」
●タ veyy-a fierce(凶暴な), cruel(残酷な);
○日 fay-a ハヤ。隼(はやぶさ)は「性質の荒い鳥」をも意味する。
2003/11/05 13:44
>>No. 844
takuhatachichihimeさん、
そうした現象の解明によって言語発達の詳し
い過程が明らかにされることを祈念します。
2003/11/05 14:42
>>No. 845ほんとかねえ。ほんとかいな。
2003/11/05 14:45
>>No. 846
全国に国栖という姓がおりまんがな。
これ、馬鹿氏?
2003/11/06 10:25
>>No. 849
国栖の語義は文献時代にはすでに忘れ去られていたのでしょう。
格助詞「なむ」の語源、「祈(な)む」・「祈(の)む」及び係助詞「なも」「なむ」「なん」について
「なむ」は、古くは「なも」 であり、平安時代には「なん」と発音・表記された。
文献上は868年(貞観10年)以降に「なむ」の用法が見えるという。これらは、身分差のある下位者から上位者への会話で用いられ、「私は・・・と信じています」「私は・・・と希望しています」といったように、自己の判断は差し置いて、相手に判断を委ねるいわば「怯えた」表現であり、結果的にそれは丁寧な言い方として捉えられる。
大野氏によれば、それはこの「なむ」がタミル語namp-uに由来することによる。もっとも一般には助詞「な」と助詞「に」が複合したものと考えられている。
●タ namp-u 1. desire intensely(熱望する); 2. to trust(信頼する), confide in(信用する),rely
on(頼る),believe(信じる), have faith in(信仰する); 3. to hope(希望する),
expect(期待する); 4. to accept(容認する);
○日 nam-u 祈(な)む。大野「形成」p332(OK264)参照。南無阿弥陀仏の「南無」であり、サンスクリット語との干渉があったものと思われる。
○日 nom-u 祈(の)む。
○日 nam-o [係助詞]なも。なむ。なん。
*頼(たの)む
「頼(たの)む」は、タミル語tan[a word used as intensive(強意を表すものとして用いられる語)]+namp-u>ta・nom-uで「強く期待する」「強く頼む」となったものと思われる。
大辞林によれば「頼む」には以下の意味があるが、これは係助詞「のむ」の意味と同一である。
(1)相手に、…してくれ、または…しないでくれと願って、それを相手に伝える。依頼する。
(2)どう活動・処理すべきなのか知っている人に処理などを依頼する。
(3)(「恃む」とも書く)依存しうるだけの能力がそれにあると信じる。あてにする。
(4)信じる。信用する。
(5)主人・夫・主君としてよりかかる。
2003/11/17 12:37
>>No. 850
「「なむ」は、古くは「なも」 であり、平安時代には「なん」と発音・表記された。
文献上は868年(貞観10年)以降に「なむ」の用法が見えるという。これらは、身分差のある下位者から上位者への会話で用いられ、「私は・・・と信じています」「私は・・・と希望しています」といったように、自己の判断は差し置いて、相手に判断を委ねるいわば「怯えた」表現であり、結果的にそれは丁寧な言い方として捉えられる。・・・」
であれば、「な」は一人称の「我」に格助詞の「も」が付、その後を省略した言葉とは言えませんか?。
2003/11/17 23:24
>>No. 851
タミル語namp-uで奇麗に説明が付く以上、奇麗に説明が付かない仮説を持ち出すことは経済的ではありません。
もっともタミル語説が正しいという前提のうえでのはなしですが。
2003/11/20 19:00
>>No. 845
対馬=あめのさでよりひめ 壱岐=あめのひとつはしら の神話名の意味が調べ終わったと思ったらに壱岐と隠岐に共通して”岐”がついているのに気づき、その訳を調べたくなりました。これを究明することは出雲の古代史を解明できるような気がします。壱岐は古代史上倭国発祥に係わった重要な島でした。そこで今、隠岐の名前に興味を持ち、その由来を調べています。壱岐と隠岐はどちらも島でしかも名称に岐が共通についているのが謎です。
隠岐の名前の由来をご存じの方ご教示ください。また、どんな資料に載っているでしょうかお知らせください。
2003/11/20 19:21
>>No. 853・・・もネっ!
2003/11/20 21:59
>>No. 854
カグヤ姫と金
垂仁天皇は、「大筒木垂根」(オホツツキタリネ)」の娘「迦具夜比売(カグヤ姫)」を娶って「袁耶弁(オザベ)」を生む(古事記垂仁記条)とある。竹取物語はこの迦具夜比売がモデルとなっている。
オザベ、オサベはタミル語でatta-m[gold(金)]に対応する。-tt-は-s-もしくは-d->-z-と対応し、a-はo-と対応するので、osam、ozamとなる。また、日本語内でmはbと対応し得るので、os-abeとなる。筒木もtotukk-am(gold)由来と言えなくもない。カグヤ姫が竹から生まれたというのは、この筒木から連想したものかもしれない。というのも、このツツは竹とも読めるからである。竹の娘なら、竹から生まれて当然ともいえる。
●タ tut-anam bamboo(竹);
○日 tut-u
竹の筒の中から生まれたカグヤ姫が竹取の翁[讃岐造(さぬきのみやつこ))に育てらたというのも面白い。讃岐氏は、持統天皇時代あたりに、朝廷に竹細工を献上するため、讃岐国の氏族斎部氏が大和国広瀬郡散吉(さぬき)郷に移り住んで讃岐氏と名乗ったらしい。
タミル語で竹をサナキとも言う。
*讃岐(さぬき)
●タ canak-i bamboo(竹);
○日 sanuk-i サヌキ。
これからすると、讃岐という地名の意味は「竹」ということになる。
カグヤ姫も竹が輝いていた、などから「金」のようなイメージがある。タミル語のkagkey-amもgold(金)である。これは日本語kaguy-aとなる。つまりカグヤ姫は「金姫」とも取れるが、意味が抽象化して、「輝(かぐや)」という言い方があったのかもしれない。以下は想像に過ぎないが、讃岐は香川県にある。香川はkagkey-a>kagaw-aと対応する。讃岐と香川は竹と金で結ばれているようにも思える。
*かぐや姫の「カグヤ」
●タ kagkey-am gold(金);
○日 kaguy-a カグヤ。
2003/11/21 09:31
>>No. 852
奇麗に思えないから返信したんですが・・・。
でも感覚的なことは個人差がありますから、
これ以上追いかけません。
2003/11/21 10:19
>>No. 856綺麗に思えないという主観と、客観的な音韻交替を混同してはいけません。感覚の問題ではありません。
2003/11/21 11:33
>>No. 854
■「壱」「隠」「讃」は全て、「名詞」。
●「イ」⇒「日」で天照一族の支配する邪馬台国の国名。ヤマタ「イ」。
●「オ」⇒「火」で大国主一族が支配する大倭の国名。ヤマタ「オ」。
●「サヌ」⇒「サン」で天照一族の歴代王の一人讃の名前。
▲岐⇒支
★壱岐⇒ヤマイ(ヤマタイ)の支国
★隠岐⇒ヤマタオ国の支国
★讃岐⇒サン国の支国
讃岐は讃帝東征の拠点。
当然、本国があったワケで彼の国は筑国と豊国の“下”にあった。
壱岐という国名は邪馬台国(三○国体制)が建国されてからの名称。
詰まり、邪馬台国(三○国体制)の範囲は邪馬台国が建国される以前、
ヤマタオ(大倭)の範囲だったワケで、壱岐は「オ岐」だったちゅう事でがんす。
2003/11/21 18:30
>>No. 858
壱岐は邪馬壱国の支国、すなわち王家から分家した国となる
しかし倭人伝に「一大国」とあるので、もとは一大国王のいた壱岐が本家だったろう。その後、博多に上陸し都を壱岐から博多辺りに遷都したと考えられるので王は壱岐から遷都するに当たって分家を壱岐に残したと考えられる。壱岐が王のいた本家だったことは「一大国」の名称だけでなく壱岐から国内最古の王墓が発見されたことでもわかる。すると隠岐も大国主の元は本家、故郷だったのではないだろうか。なぜなら隠岐には縄文の宝、黒曜石が産出しているから。
2003/11/21 19:32
>>No. 859クルクルパーの独壇場だな。
2003/11/22 18:16
>>No. 859
⇒壱岐は邪馬壱国の支国、すなわち王家から分家した国となる
根拠は何でがんすか?
★「一大」は基からの国名じゃあナク、編纂上の表現用語。
■「一大」⇒「最少で最大」
特殊部隊が配備されていたから「一大」と表示しただけの事。
当時の大倭に対する戦略防衛システムが配備されていたちゅう事でがんす。
「一大」が配備されていたのは「壱岐」と女王国の本州側に接する北九州一帯。
その本部が伊都國。
【自女王國以北特置一大率檢察諸國諸國畏憚之常治伊都國】
2003/11/22 19:30
>>No. 861
★「一大」は基からの国名じゃあナク、編纂上の表現用語。
■「一大」⇒「最少で最大」
根拠は何でがんスカ?
2003/11/23 17:46
>>No. 861
壱岐=一大国は、日本で最初に鉄の武器をもった弥生前期の最強の国
隠岐は、沿岸交易で冨み、黒耀石の武器でこの辺りの縄文後期の強国、
従って壱岐がその力で博多に進攻し委奴国を立てた。隠岐はその力で出雲に上陸し大国を立てた。その主が大国主。これは有力な根拠のある仮説です。
壱岐は倭王の祖先の地。隠岐は大国主の祖先の地でしょう。
信じられない方は、壱岐原の辻遺跡を見学、又は資料を元にお考えください。
信じられない方は、隠岐の島前、黒曜石産出の資料を元にお考えください。
2003/11/23 19:42
>>No. 863
wazin419さんの根拠と「岐」とは全く、無関係と見えるんだけど・・・。
別に「壱岐」「隠岐」でなくても関係ないようだネ。
コレは単に物的証拠からの偏った推論だネ?
而も鉄の痕跡は偶然発見されたモノだから、他からも出て来る可能性は充分有り得る。
更に鉄は確実に大陸から入るから壱岐から出て当たり前。
★「○岐」は“本国”があってこそ、存在スル。
壱岐・隠岐・讃岐には本国があったという事。
何度でも言うけど「一大」は国名じゃあナイ。
編纂上の筆法デスっ。
天照一族が邪馬壹国(三○国体制)を建国した後から「イキ」って言ってたんだ。
編纂者によって表現が違うヨ。
「一支」もアルだろ?
2003/11/23 20:15
>>No. 864
壱岐と隠岐には共通して『岐』という漢字が使われている。
この『岐』という文字は分岐、岐路という風に使うことから分かるように
『道』という意味を表している。
つまり倭国から朝鮮半島への『道』すじにあった島ということだ。(←などと、断定的に書くところがウソっぽいけど。)
2003/11/23 20:33
>>No. 865倭人伝に「一大国」その後の史書に「一支国」とあるから、支には分家の意味があるので分家の国になったと考えます。つまり主家が発展して九州へ移り壱岐は分家の王の兄弟の治める国となった。やはり壱岐は交易ルート上の要地だからしっかりと王族をおいて押さえた。で「一支国」となった。その後国内でも鉄がとれるようになり8世紀?以降は「壱岐」になった。つまり交易の道を意味する名前となったと考えます。
2003/11/25 16:56
>>No. 1
はじめまして。
突然、スイマセン。
もう、議論を尽くされたかもしれませんが、
沖縄のチャンプルー
長崎のちゃんぽん
相撲のちゃんこ鍋
この「ちゃん」というのは、
どこの辺から来た言葉でしょうか?
韓国や東南アジアの方に、
似た言葉はありますでしょうか?
2003/11/26 20:07
>>No. 867
誰もレス付けませんね。
インターネットで検索したら
「チャンプルー」
についてはマレー半島やインドネシアに「チャンプール=混ぜる」と言うのがあるそうです。
「ちゃんぽん」も色々な具材を一度に混ぜてありますし、ちゃんこ鍋も混ぜてあります。
他にも夫々に色々ありましたが共通しそうなものはこれでしょうか?
タミール語ではどんなもんでしょう?
2003/11/27 17:56
>>No. 868日本語の起源とは関係なかろう。
2003/12/06 20:44
>>No. 866九州の呼び名の前は、何だったのでしょうか。筑紫でしょうか。その前は?さらにその前は? 謎ですね。これを究明するのも面白いと思います。
2003/12/08 22:44
>>No. 1
「白」
日本語シロsiro、モンゴル語シラsira(白)、満州語サラカビsarakabi(白髪)
「黒」
日本語クロkuro、トルコ語カラkara(黒)、モンゴル語ハラhara(黒)、韓国語コルkol・・・。
北方語であった可能性が強いと思えますね。
2003/12/09 16:07
>>No. 871
全部をROMしたわけではありませんので、既出だったら申し訳ありません。↓
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/koten13.htm
と言う事もありえると、僕は考えています。音訓とは別に、「谷」の読み方一つとっても「や」「やと」「たに」があります。「やと」と「や」は似ていますが、「たに」は全く別民族の言語に思えて仕方がありません。
2003/12/24 01:40
>>No. 871
>満州語サラカビsarakabi(白髪)
この出典をお教えください。
また、満州語で黒髪は何と言いますか?
2003/12/24 19:42
>>No. 873
>この出典をお教えください。
すみません。2CH掲示板で見かけたもので出典はわかりません。
>また、満州語で黒髪は何と言いますか?
これも「全身黒い馬」を「カラ(kara)」という位しかわかりません。
それから目下の者を呼ぶ「おい」という呼びかけを満州語でも犬などを呼ぶ時に使うそうです。
2003/12/24 20:16
>>No. 1
色々考えてみると中央アジアから東南アジアまでSOVの語順を持った言葉は中国を取り巻くように分布していて、中国だけがSVOの語順を持っている。
こう考えると初めにSOVの語順を持った民族がアジアに分布していて、後から自然発生したか、何処かからやってきたかして中国語が生まれたと考えた方が自然ではないでしょうか?
そう考えればインドネシアやインドや韓国、モンゴル、トルコに似た言葉があっても全く不思議はない事になります。
モンゴルや韓国等の大陸の国は中国語の影響を強く受けて語彙に日本との関連が薄くなってしまっています。
以外と日本語が一番古いアジア語の形をとどめているのかもしれないなんて考えるようになりました。
2003/12/25 00:02
>>No. 873
徐廷範「日本語の源流をさかのぼるーウラル・アルタイ諸語の海へー」(徳間書店、1989年1月31日)の141頁、
ヘ〜(hε〜、白い)「韓」
サラカビ(sarakabi、白髪)「満」、
サラカ(saraka、白髪頭)「満」、
サラムビ(sarambi、白くなる)「満」、
サンギャン(sanggian、白い)「満」、
シラ(sira、白)「蒙」、
シラ(尸蝋、白)高句麗地理誌(三国史記のことでしょう)
「黒」
コム〜(kom〜、黒い)「韓」、
カラ(kara、黒)「トルコ」、
ハラ(hara、黒)「蒙」、
一部省略と、文字化けの可能性があるので、正字でなく略字で表記したところ、及び「子音」単独の発音に原著(片仮名小文字で表現)と異なったところがありますので、正確なところは原著に当たってください。
2003/12/25 01:15
>>No. 876
有り難うございます。徐廷範氏の著書でしたか。
サラカビ(白髪)は、シラカベ(白壁)に似ているなぁ、と少し気になったものですから・・。(笑)
2004/01/07 00:44
>>No. 875台湾、フィリピン、インドネシアはSVOの語順では?
2004/01/14 23:14
>>No. 875
紀元前の数千年間、シベリアの一部〜モンゴル〜中国北部地域の文化圏、
プルトハングル語(?)圏が紀元ではないかと思います。
「ディオノソス」が、ギリシャで「ゼウスやメディ−ュサ」日本では
「天狗」や「歌舞伎の中の弁慶」になったという学説が根拠なのですが。
東アジア全域に広がった文化が、漢民族の台頭で、辺境に追いやられたと言うのが、
私の考えです。
そういう意味では、東アジアに広くSOV文化(言語)圏が点在するのも当然と思っています。
2004/01/15 02:34
>>No. 877日本語で名前、英語ではname(ネーム)、イント゛の言葉(ヒンテ゛ィー語)等ではナームって発音します。何故かちょっと似てるんですよね。
2004/01/15 12:42
>>No. 880
古いことばなんですか?
万葉なんぞには「名」と出てきますよね。「まえ」って何でしょう。
2004/01/15 19:13
>>No. 880大野晋さんですか・・・カレーはかれーf(^^;)
2004/01/26 00:03
>>No. 882
http://izayohi.hp.infoseek.co.jp/nihongokigen.html
いかがでしょうか。
2004/01/30 20:15
>>No. 883私には、安本説のどこが魅力的なんだか理解できません。よろしければ、どこに説得力を感じるのか、教えてください。
2004/02/02 00:20
>>No. 884前回と同じ方ですね。なんの回し者?
2004/02/16 22:34
>>No. 1
です。
まだ全部読んでないんだもん。
2004/03/02 01:40
>>No. 884統計学的であること。
2004/03/02 12:31
>>No. 887単純だねえ。「動物」を他言語と比較してどうする。
2004/03/02 17:19
>>No. 887
嘘だろ?
あ、”的”か。
なるほど
統計学とは別ね。
そうだろなー。
歴史や言語に
統計学使ってどうすんだろ
って
前から不思議だったんだ。
2004/03/02 19:15
>>No. 887前回のあなたの書き込み対して私が書いた安本説批判は、「統計学的」処理を施した結果の解釈自体が、ちょっと違うんじゃないかという疑問ですから、「統計学的であること」は答えになっていません。
2004/03/04 02:06
>>No. 1
「縄文語」は何種類ぐらいあったのでしょう。
100〜200種類、それ以上たくさんあったと考えたら変でしょうか?
アムール川沿いもニューギニアもアボリジニもたくさんの言語があったなら
日本列島も同様だったのではないかと考え始めたのですが。いかがでしょう。
2004/03/04 03:41
>>No. 891
hituji
tu は、日本式
ji は、ヘボン式
日本式とヘボン式を併せて、
訓令式と言います(多分)。
hituzi (日本式)
hitsuji (ヘボン式)
のいずれかに統一しましょう。
新庄は、
sinzyo
shinjo
昔の新庄は、
shinjyo (間違い)
これはありかしら?
shinjio
2004/03/04 07:32
>>No. 892
Shinjyow
か
Shinjew
でないと
要をなさんよ
きょうび。
縄文語は
いくつあっても良いよ。
まだ全国統一はずっと先の事だし。
まあ、
アイヌ語の祖語と南方系1つの
2語でいいんじゃない当面。
2004/03/04 08:32
>>No. 893
> 縄文語は
> いくつあっても良いよ。
というのでよろこんでいたら
> アイヌ語の祖語と南方系1つの
> 2語でいいんじゃない当面。
ですか。
わたしは方言のレベルを超えた、そのままでは通じ合わない数百種類の言語があったのではないか。
人々は必要に応じて母語以外に数種類の言葉を覚えて交流していたのではないかと。
そして、まさに
> まだ全国統一はずっと先の事だし。
その時期が問題で・・・。
2004/03/04 08:53
>>No. 894
こんな苦労は
ないですよ。
中学から大学まで
英語を勉強し、
NOVAうさぎにばかにされ
まだ
英語が出来ない。
数百語を混じらせて
意思疎通した祖先に
こんな
子孫ができるわけないでしょうが。
2004/03/04 11:24
>>No. 891
当時、かなりはずんで50万人が
列島にいたとする。
100言語があったとしたら、
5000人で1言語だ。
推定では、縄文時代の人口は10万人
を前後していたという。
とすると、1言語1000人だ。
今でいえば、これは保護対象になる。
1言語1000人と言うことは、
一家族5人として200所帯。
各200所帯が、それぞれ異なる
100の言語を話していた?
驚異的だね。
2004/03/04 18:11
>>No. 896
rwxrg572さん、prezy0021さん、レスありがとうございます。
だめですか。(i_i) もうすこし書かせていただくと。
例えばオーストラリアのアボリジニですが、18世紀には地域によって全く違った言語、生活習慣、食文化、芸術などがあり、700以上の部族に分かれていて、250を越える言葉が存在していたそうです。
(参考)http://www.dinkum-j.com/aborigine.html
500以上の言語集団に分かれていたと書いてあるサイトもあります。
それはオーストラリアに限らず、あちこちで同様だったのではないでしょうか。
>パプア・ニューギニア国内には750以上の部族があり,言語も異なっている。800以上の言語があると推定されているが,有力な言語はひとつもない
http://www.ne.jp/asahi/jumpingspider/studycenter/papua/mainreport.htm
>ネパールの言語は、大きく、インド・ヨーロッパ(印欧)語系とチベット・ビルマ語系に分けられる。また、ごく少数ながらオーストロアジア系、ドラヴィダ系の言語も存在する。
http://www.aa.tufs.ac.jp/~tagengo/nepal.html
などなど。
そして言語集団毎に孤立していたのではなく、母語以外にいくつもの言語を覚えて交流していたといいます。
縄文時代の日本も同様だったのではないかと。
自分の集落から出ることなく過ごす人もいたでしょうし、北はシベリアから南は江南まで交易に積極的だった人もいたでしょう。そういう人は必要に応じていろんな言語を覚えたはずです。
rwxrg572さん、確かにわたしも英語で日常会話できません。
だけど旅行でホテルに泊まったり買い物したりなら、ボディランゲージを加えてなんとでもなります。
例えば江戸時代の方言は、バラエティ豊かだったと聞きます。
縄文時代「数百種類」の言語が無理なら100〜200種類というのは・・・。やっぱり無理ですか?
2004/03/04 19:00
>>No. 897
いいですよ。
むしろ、
ありがたい。
日本語の起源の
手がかりが増える。
問題は
その1〜200言語が
どんな言語か
ということですね。
どんなのが、
いいですかね?
アイヌは外せない。
南方も欲しい。
沖縄は?
2004/03/04 20:30
>>No. 897
うーん。
1.アイヌ語、
2.東北は秋田弁、
3.関東は茨城弁、
4.東海は名古屋弁、
北陸は京都弁だが
朝鮮・弥生系でx
山陽は広島弁だが
朝鮮・弥生系でx
山陰は秋田弁と同じ
5.四国は土佐弁
北九州は博多弁だが
朝鮮・弥生系でx
6.南九州は鹿児島弁
7.沖縄は琉球語
こんなもんかね。
7〜10でどうだろう?
2004/03/05 05:18
>>No. 899
意地悪なんてとんでもないです。
> 問題は
> その1〜200言語が
> どんな言語か
> ということですね。
日本列島の四方八方からいろんな言語を使う人が入ってきたと考えているので「いろんな言語」です。
方言の差ではなく、文法まで違う言語が並立している状態です。
ネパールやパプア・ニューギニアでは実際そういう状態のようです。
はい、もちろん現在の日本列島ではほぼ全員日本語を使っています。
歴史のどこかで大きな圧力があったからではないでしょうか。
実はネパールの公用語がネパール語になった歴史を調べていて時間がかかってしまいました。
まだよくわからないのですが、18世紀以降のようです。
現在、ネパールの人は必要に応じて母語とネパール語と英語とネパール諸語を使い分けています。
日本にもそんな時期があったのではないでしょうか。
今の日本語はかなり強引に統一されたのではないでしょうか。
でもその痕跡が見つからなければ、無理な話なのかもしれないですね。
2004/03/05 12:10
>>No. 900
歴史のどこかで
圧力がかかって
日本語に統一された。
どこか?
1.
稲作渡来
2.
大和朝廷の全国統一
この2つしかないんだよ、
そんな強制力・インパクト
が有りそうなのは。
でも、
大和朝廷じゃ
新しすぎるだろ?
だから、
稲作渡来だよ。
そりゃ
食べ物なら
必死だよ。
100KM/年くらいで、
たちまち広まったんじゃない?
言葉も一緒に。
NOVAウサギ
の比じゃないよ。
2004/03/05 14:58
>>No. 901
rwxrg572さ〜ん。
ありがとうございます。
それなのに、楯突くようなことばかり書いてすいません。
日本列島は食料は豊富だったと思っています。
縄文時代の日本列島には余裕があったから贅沢な漆や装飾土器がたくさん作られたのだと思っています。
それに食べ物で言語の統一はないと思います。
技術だけ導入すればよいわけですから。
言語の統一は政治的なものではないでしょうか。
戦争とか。弥生時代に戦争が始まりますが、何のためだったんでしょうね。
戦争の理由がわからないのですが、勝者が敗者に自分の言葉を強要するのはよくあることです。
そうやって、最後に大和朝廷が後世に残る資料を残した。とか。
一昨日まではこんなこと考えてもいなかったのですが、参加してみるものですね。
ありがとうございます。
2004/03/05 15:32
>>No. 902
今では
日本漆は
浄法寺の市か、
東照宮の栽培したもの
しかないそうだ。
漆は、
銅鐸・米
と並ぶキーワードだろうね。
漆掻きは会津の技らしいし。
東北・縄文の匂いがする。
ただね、縄文時代は
食料は豊富じゃ無かったよ、
米が入ってくるまではね。
成長不良?
の人骨がでるそうだ。
2004/03/14 12:17
>>No. 891
落ちそう・・・。(T_T)
すいません。もう少しおつきあいください。
>世界中では 6000 以上の言語が話されていると言われるが,10 あまりの大言語の話者だけで,世界の人口の半分をしめる。他方,世界の言語の4割以上が話者が千人以下の小言語である。
http://www.kmatsum.info/introd/20020522.html
>インドネシア共和国・・・これらの言語は話者数が少なく,50-70人(タンコウ語)〜6,000人(ベンガウル語)である。
http://www.nihongo.aichi-edu.ac.jp/~kitano/A03/2001.html
> 例えば、宮岡教授が三十年以上調べてきたアラスカのエスキモーの言葉には、「雪」という単語はない。「雪の家を作る雪」「溶かして飲み水にする雪」など、それぞれ別のものだ。
> また、「これ」「それ」「あれ」に当たる指示語は約三十。空間分類し、例えば熊が出た、と伝えるのに、距離や熊の状態を的確に表現しているという。
http://www.elpr.bun.kyoto-u.ac.jp/news991124.htm
-----------------------------
縄文語を数百種類と書いたのは大げさだったかもしれないですが、少数言語の実体は興味深いです。
>・・・島ごとの言葉の違いは意志疎通を妨げるくらい大きい。さらにそのひとつひとつの島ごとでも、道を一本越えるだけで言葉が違うというくらい多様な言語群を持っている。
http://web.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~inui/kamitani/jyosyo.html
上の例は沖縄ですが、沖縄に限った話ではない、日本に限った話ではないようです。
多様だった日本列島の言葉が収斂して「大和言葉」に辿り着いた過程はどうだったのか。
万葉集の「日本語」はどの範囲の日本列島人に通用したのか。
しつこい書き込みになってしまいましたが「少数言語」は自分にとって驚きでした。
スレ違いかも。だけど、興味の基本は日本史です。
2004/03/14 12:30
>>No. 903
>縄文時代の人骨を、弥生時代の人骨と比べてみると、意外にも縄文時代の方が体格もよく、スポーティーで健康的な体系をしていたと言われます。・・・しかし、反面、縄文遺跡の墓地を発掘すると、・・・長生きした人の人骨も、よく調べると何本もの飢餓線が走っており、一生の間に、幾度となく飢餓状況に瀕していたことが推測されます。
http://www.workers-net.org/serialitem01.html
本当に「縄文時代は(弥生時代に比べて)食料が豊富でなかった」のでしょうか?
弥生時代に戦争が始まった理由ですが、中国が春秋戦国時代なので、その余波でしょうか。
弥生時代に入ると漆技術が途切れたのはなぜでしょうか。
2004/03/14 13:13
>>No. 905
いや途切れたかどうか知らんけど。
もし弥生時代になって漆使用が低調になったとすると、
1.
縄文人の中では漆は別に途切れないが弥生人が主流になったので途切れるように見える。
2.
弥生人が漆を重視しなかった理由は土器の進歩と関係が有るんじゃないかね。
弥生式土器は600度〜1000度で焼かれているようだ。
これは上薬さえかければ立派な陶器が出来る温度だ。つまり水漏れしない。
土器を薄く作れれば軽くなるし、木を削り漆で補強するより作り易く一度にたくさん作れる。
それに土を選べば上薬無しでも煮炊きに問題無い程度の水漏れ具合の土器が作れるはずだ。
簡単に言えば土とは水晶とルビーと水の集まりだ1600度以上で無いと溶けない。
ところが、絹雲母が入っていると1200度でガラス化が始まる。
また、焼き物用の土なら600度で焼き物となり、濡れても土には返らない。
縄文・弥生遺跡が良い粘土の出る地域に有るように、彼らは土選びのプロだったろう。
一日三食になったのは江戸時代らしいから
それまではいつでも食料不足・食料さがしで二食だったと考える方がよさそうだ。
弥生は縄文より水稲・水田がある分食料豊富だったろう。
弥生から戦争が始まったなんて変だね。
戦争は原始人の頃からあったはずだ。
ところで、
板が”落ちそう”とか”Age、あげ、UP"というのは何の意味なのか教えてね。
2004/03/14 23:25
>>No. 906
「日本語の起源」とずれてしまいましたが。
漆は補強剤ではなく漆の美を尊ぶ工芸品だと思っています。
土器の進歩とは関係なく。
だから
> 1.
> 縄文人の中では漆は別に途切れないが弥生人が主流になったので途切れるように見える。
でしょうか。
最近弥生時代と縄文時代の境界があやふやになっているらしいですが、戦争の始まりは
社会構造の変化でしょうから、戦争の始まりをもって弥生時代とするのはどうでしょう。
縄文時代は戦争が出来ない程度にレベルの低い社会だったのではなく、戦争を必要としない社会だったのだと思います。
(縄文時代を美化しすぎているかもしれません。)
縄文時代には狩りのための弓矢はあっても、人を殺すための武器はありませんでした。
それが覆されて、あるじゃないか!といわれているのが高知の居徳遺跡です。
http://www.inforyoma.or.jp/tosashi/bun05.htm
http://www.nnn.co.jp/tokusyu/kamijiti/kikou/kikou030413.html
この居徳遺跡から出土した漆は技法が独特で中国製だと思われる。と漆の講演会で聞きました。
山ほど発掘されている縄文遺跡の中のたったひとつ、それも縄文晩期の、中国製かもしれない漆器のある遺跡です。
場所も高知ですから江南から海流に乗って2日で到着します。
水稲について意見が違うのですが。水稲のスレッドってないんでしょうか。
> 板が”落ちそう”とか”Age、あげ、UP"というのは何の意味なのか教えてね。
えーと、書き込みのないスレッドは自動的に消えてなくなってしまうのではないのですか?
よく知らないで書いてました。
2004/03/14 23:30
>>No. 904
「少数言語」をキーワードに検索した結果、「一国一言語」なのは
韓国と北朝鮮、モナコとバチカンぐらいなのだそうで。
だいたい数世紀前まで「国境」というものがなかったのでしょうから
当然なのかもしれません。
25年ぐらい前、讃岐に旅行して、地元のおばちゃんの話が分からなかったこと。
10年ぐらい前、沖縄で、地元の人同士の会話が殆ど聞き取れなかったこと。
東北や北海道はもちろん。
などから日本語もたくさんの日本語語族みたいな状態なのでしょうか。
ところで「少数言語」を検索していて突き当たったのが「敬語」です。
ジャワ語は日本語以上に敬語が煩雑なのだそうです。
それでインドネシアで一番多くの人が使っている言語なのに国語になれなかったのだそうです。
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/
日本には平安時代からある敬語ですが、中国や韓国では日本ほど発達していません。
敬語は日本語の起源とも関係あるのでしょうか。
男ことば・女ことばについてはどうなのでしょう。
検索しても解決してくれるサイトが見つかりません。
http://www.nhk.or.jp/gr/qa/qa-so.html#
方言にはあまり性差がないようですがなぜでしょうか。
(女ことばは自然にできた言葉ではなくて、作られた言葉なのでしょうか。)
2004/03/15 13:51
>>No. 907
今では美でもあるが、最強の塗料でもあるんだ。
縄文時代の漆が残っているほどだ。
普通の塗料は溶媒が蒸発しきり乾燥すれば脆いもんだ。
漆は湿気を吸って別の物質になり固まり安定するんだね。
ただし、使うのが難しい。
ゴミがあればそれが核になって引きつって固まる。
湿気が不足なら固まらずやがて腐る。
湿気が過剰なら表面だけ固まり、やがて腐る。
気温が高すぎれば皺皺になる。
弥生人種には使い切れなかったろう。
土器のほうが使い慣れていたし改良が進んだだろう。
水稲はヤフーの検索で沢山あるよ。
まあ、弥生時代の境界は土器やめて
稲作にしたんだろう。AMSも使ってごまかしたわけだ、日本の考古学者が。
公開版の神の手の一種だね。
2004/03/15 13:55
>>No. 908
俺には苦手だな、あまり使わないし。
まあ、
捕虜に強要したのが起源か?
化粧品代わりに女が使い始めたか?
ひらがなに合った言い方が残ったか?
どうなんだろうね?
2004/03/25 14:34
>>No. 910オナラといわずにヘと言ってるのか。
2004/03/25 20:31
>>No. 911
言わないな−。
しーずかにしているか。
うっと言って犯人をさがすか。
どっちかだな。
2004/03/25 23:46
>>No. 912
あ、上がってる。
x26yyeeさん、はじめまして。
rwxrg572さん、いつもレスありがとうございます。
> 俺には苦手だな、あまり使わないし。
わたしは嫌いなのですが、若干染みついてしまっています。
いや、そうでもないかもしれない。ともかく。
>> 日本には平安時代からある敬語ですが、中国や韓国では日本ほど発達していません。
儒教と敬語はセットのような気がしていたのですが、違うのですね。意外でした。
『世界の敬語』(敬語講座/8巻 明治書院 1974)によると、
敬語の発生は身分制度とは関係ないらしい。
他の言葉の影響(借用)、言語類型、歴史的関係、いずれも当てはまらない。
これらのことから、
>太平洋地域において話されているということによって、敬語の体系が似てきたのではないかと思われる。(p28)
とあります。
一方、ブータンの公用語であるゾンカ語は、語順も日本語と同じで敬語も発達しているとのこと。
ネパールやチベットにも敬語があると聞きます。雲南地方はどうなのでしょう。
『世界の敬語』にはベトナムの敬語があって、日本と似ていました。
ブータン、ネパール、タイ北部、中国雲南地方などは風景も風習も人々も印象が日本とダブります。
とはいえ敬語がこうだから、日本語の起源はこうだ、とは言えないですもんね。
モンゴル語や韓国語との関係もぜーたいあるでしょうし。
あれでしょうか。
社会が重層的で、さほど不都合なく棲み分けて暮らしていて。
そのうちなんとなくみんな日本人になったんでしょうか。
(そんなことないですね。ダメですね。)
2004/03/26 11:44
>>No. 913
俺に言えるのは、
魏志倭人伝で大人が道を通ると土下座したり、
『あい』なんて答えるのは敬語の始まりだろうね。
俺なら『よし』とか『うん』と答えるからな。
2004/03/26 21:46
>>No. 908
何語なんですか?
ラテン語ですか?
実効的にラテン語ではないじゃないですか?
2004/03/26 23:54
>>No. 915
sathos_jpnさん、指摘ありがとうございます。
検索した結果を本文のみ、引用してしまいました。
国 名: バチカン市国
1.人口 813人(2000年4月現在)
2.面積 0.44km2(日本の皇居は1.15km2)
この他、市国外の伊領土内に治外法権を有する施設あり。
3.言語 公用語はラテン語。また、一般に外交用語はフランス語、業務用語はイタリア語。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/vatican/data.html
とありました。失礼しました。以後、気をつけます。
また間違いがあれば指摘していただくと、ありがたいです。
引用は難しいです。。(・・;)。
2004/03/27 08:04
>>No. 916
ラテン語、若しくはイタリア語ではVaticanoと表記されます。
バチカンをそのまま表記すればBaticanとなります。
正確な日本語表記で云えば
Vaticanはヴァティカンです。
日本語表記で言えばVとBの混同が多すぎます。
2004/03/27 11:18
>>No. 917罰館
2004/03/27 17:18
>>No. 918
はっはっは。
もう少し俺のいたぶれそうな
こと書けよ。
x君。
または、
邪馬台国かキリスト教トピにでも来い。
2004/03/27 17:25
>>No. 915
私が、実効的といったのは以下の経緯です。
新しい公共要理(カトリックの信者の
ための本です。)を作る時に、
何語でまず作るかが問題になりました。
ご指摘のとおりに、本来ならば、
公用語であるラテン語なんでしょうが、メンバーにラテン語が得意でない人が
いました。英語も同様な理由で、採用されず、
結局フランス語になったそうです。
2004/03/27 22:43
>>No. 920
反論はあるでしょうが、仮定として。
縄文時代から弥生時代、古墳時代にわたって日本列島に方言の域を超えたたくさんの言語があった。
(時代が下るとそれぞれの国の言葉と国の王の言葉が違うこともあった。)
言葉は違っても日本列島内はもとより、シベリアから東南アジアまで交流があり、そのためのピジン語があった。
そのビジン語にあたるのが日本語、でしょうか。
本当はラテン語のような基層語があったのだけれど。
実効的ではなく、消えていった? ・・・うーん。
---------------------------
■ラテン‐ご【ラテン語】
インド‐ヨーロッパ語族イタリック語派に属する、古代ローマ帝国の言語。その文語である古典ラテン語は今日でも学術・宗教の用語として用いられており、民衆の話しことばであった俗ラテン語は帝国各地で独自に変遷して現在のロマンス諸語となった。
(C)小学館 SuperNipponica2002
2004/03/31 16:43
>>No. 921
交易の存在(黒曜石など考古学的資料あり)をもってしても、
ピジン語の存在は、必ずしも必要ないかもしれない。
1)ある特定の集団が黒曜石をもたらして、
さまざまな地方と交易するならば、
成立可能性ありますが。
2)隣村同士の交易の結果、黒曜石などが散らばったとしたら、ピジン語は
必要ない。
しかし、1)2)にしろ、考古学的には検証不可能。
2004/04/03 02:38
>>No. 922
おっしゃるとおりです。
縄文語とか弥生語とか、原日本語、大和言葉など。
ここに書き込んだことで、言葉は(人は)モザイク状に存在できる。らしいと思うようになりました。
ところで、2)のような交易はあっても全体としては少ないケースだと思います。
富山の薬売りのように、商売をする人たちはいつの時代もいたでしょう。
商売するなら行動範囲を広げた方が見返りも大きいでしょうし。
隣村だと、日常のつき合いもあるから、あまり高くふっかけることもできないし。
商売相手は、日本人観光客とか、遠い国の人の方がいい。
2004/04/03 08:28
>>No. 923
縄文、弥生時代は商売が成立する経済体制が存在したかは疑問です。
さて、日本語の拡散ですが、弥生時代に始まったとすれば、苗代稲作に伴う、
農業技術の言葉として、広まった可能性
はないでしょうか?
新しい技術(農業技術)に伴って、ある言語が広まったとの仮説は、
バンツー諸語、インドヨーロッパ語で有力です。(RenFrewなどによる。)
2004/04/04 04:39
>>No. 924
> 縄文、弥生時代は商売が成立する経済体制が存在したかは疑問です。
商売の起源・・・、物々交換を商売と呼んでよいなら、村ができる頃には成立していたと思います。
人には得手不得手がありますし、その地方にしかない特産、黒曜石もあります。
> さて、日本語の拡散ですが、
日本語は収斂した結果だと思っていました。・・・実際はどうだったんでしょうか。
(もしピジン語現象があったとすれば、それは収斂ではなくて、拡散、ですか?)
> 苗代稲作に伴う、農業技術の言葉として、広まった可能性はないでしょうか?
現在のカタカナ英語と同じように技術用語として取り入れた。だけで済めばすっきりするのですが、
それにしてはドラビダ語と日本語は似ているらしいので、わかりません。
えー? バンツー諸語ですか?
おすすめの本がありましたら(専門書とか難しいのは無理です)、教えてください。
(エーゴの本などもってのホカです)
言葉は、交易による技術の導入では変わらない。
単語だけを取り入れればいいのだから。
言葉が変わるのは、人の集団そのものが入れ替わったか、
言葉を変えなければならないほどの強い圧力がかかったかどちらかだと思うのですが。
2004/04/04 09:55
>>No. 924
この点について、
”地理的な分布の拡大”に変えます。
言語の系統的意味で使用していませんでした。
2004/04/08 23:05
>>No. 1
本日の読売新聞(4/8)大阪本社版夕刊三版7面に、国際日本文化研究センター(日文研)が日本語の起源を探るために組織した研究班の報告書「日本語系統論の現在」をまとめた、という記事がありました。幹事の長田俊樹氏へのインタヴューが載っています。
内外の研究者二十人余が参加し、内18人が論文を寄せているとのことで、報告書の刊行が楽しみです。
2004/04/09 00:04
>>No. 927
本が出たら教えてね。
大野晋氏の
タミル語影響説を避けたか、
正面から批判したか、
認めたか。
非常に興味があるね。
多分あいまいなまま、
起源は難しいで終わりのような気がするけども。
2004/04/10 01:24
>>No. 928
日文研のHPで(出版の予定日をしるために)検索したところ、『日文研叢書』の一冊として、昨年刊行済みのようです。
ただ、日英両語の論文が雑じっているようですので、最近目が悪くなって英語文献など到底読む気にならない私としては、日本語に完全翻訳されたものが出版されるまでは、読む気になりません。
目次で判断する限り、余りタミル語の話は出ていないようです。
2004/04/10 12:09
>>No. 929
読む必要無いよ。
タミル語避けて何を誤魔化そうとしてるんかなー?
なさけない学者どもだなー。
計量してどんどん首にすべきだ。
情報ありがと。
2004/04/11 09:17
>>No. 1
副題…日本語クレオールタミル語説の批判的検証を通した日本神話の研究
田中孝顕著 きこ書房刊
920頁。上製。二色刷。
5月7日刊。
という業界情報あり。
2004/04/20 09:03
>>No. 931日本語とは無関係だよ。
2004/04/23 22:46
>>No. 1
http://plaza.rakuten.co.jp/katia/diary/2004-02-27/
いま東京の若者の間に語尾に「ジャン」をつける事が流行っているそうです。
この「ジャン」に初めて遭遇したのは大学で静岡県の清水市出身の同級生からでした。
なにやら「ジャン」は静岡が発祥でそこから山梨に広がり、山梨から東京に伝わり、そこから全国の若者に広まりつつあると言う事です。
30年くらい前に「ジャン」を聞いて違和感を覚えたくらいですから「ジャン」はまだ一般的ではなかったでしょう。
静岡県と山梨県だけだったかも知れません。
静岡がルーツと言われていますがそれほど古くからあった言葉でもないようです。
静岡や山梨では「ジャン」はどうして始まったのでしょう?
家内がNHKで「長崎にも『ジャン』があるといっていたよ」と教えてくれました。
そしてなんでも長崎から山梨県に入植した人が数百人いたらしいとも。
長崎ではいま百年以上続いた『ジャン』を使う老人はいなくなって消えていく運命にあるそうです。
そうなると『ジャン』の起源はまたわからなくなってきます。
2004/04/23 23:10
>>No. 933
>いま東京の若者の間に語尾に「ジャン」をつける事が流行っているそうです
これは随分と以前からあるようですよ。一種の「あんちゃん言葉」じゃないでしょうか?ショージ君のマンガや裕次郎の映画にもよく出てきたように記憶していますが。
もちろん「じゃない!?」の意味ですよね。かすかな疑問を残しながらも相手を下に見て断定したい気持ちで使うようです。また「そうだよね!」とかいう同意を期待したい気持ちもにじませています。
>長崎にも『ジャン』があるといっていたよ
どういうシーンで使われる『ジャン』でしょうか?半世紀以上、長崎人をやっていますが、記憶にありません。
>長崎から山梨県に入植した人が数百人いたらしいとも
岬一つ、尾根一つ越えると、風習・言語が違いますので、『ジャン』を使う地域があるのかも知れません。
2004/04/24 09:24
>>No. 934
>裕次郎の映画にもよく出てきた
裕次郎の映画は「太陽の季節」、「日のあたる坂道」、など古い映画しか見てませんでしたが裕次郎のセリフで「ジャン」を使ったのは気がつきませんでした。
私が就職して上京したころの同僚に横浜出身のがいてその男が使っていたような気がします。
東京より神奈川の方が先に流行していたかもしれませんね。
>どういうシーンで使われる『ジャン』でしょうか?半世紀以上、長崎人をやっていますが、記憶にありません。
私がNHKの番組を見たわけではないのではっきりしませんが長崎県の田舎の小さな町だったと言うはなしです。
そこでは100年以上前から使われていた?とNHK
7、80の老人が使っているのですから多分江戸時代から使っていたのでしょう。
使われ方は静岡と変わらないみたいです。
(ちなみに私の家内は静岡出身です。)
番組では先に山梨とか静岡の分布に時間をさいて、伝播した過程を推理する作業をした後、最後にちょっとだけ長崎県の『ジャン』を取り上げ、そこでは若いひとは全く使わず、60歳以上の人に使われているという話でした。
>>長崎から山梨県に入植した人が数百人いたらしいとも
>岬一つ、尾根一つ越えると、風習・言語が違いますので、『ジャン』を使う地域があるのかも知れません。
NHKによると入植は維新後の話らしく、『ジャン』は長崎からきたと言う事をにじませるエンディングだったそうです。
で、数百人の入植者でも地域の言葉が変わってしまう可能性がある証拠になるのか?
言葉で人間のルーツを確定するのは難しい事になるのか?
逆に少数であってもその地域から来た証拠になるのか?
いろいろ悩ましいですね。
2004/04/24 12:05
>>No. 933私は生まれてこのかた35年静岡人やってますが、語尾の「じゃん」はガキの頃から使ってますよ。60になる両親も子供の頃から普通に言ってたとのこと。流行りとかじゃなく方言です。また東愛知=三河地方でも、じゃん、だら、りん の3つを語尾に付けるよ!
2004/04/24 12:57
>>No. 935
「じゃん」って言えば横浜ことばじゃん!
でも音だけで用法を考えなきゃダメじゃんか。
横浜〜湘南方面じゃ同意を求める「デハナイカ」の意味じゃん。
音韻的にも用法的にも近いのは大阪方面やんけ、われ!
神奈川も西のほうにいくと「じゃんか」が「じゃんけ」になってくるじゃんけ!
遠州は同じ用法かな?
長崎なら浜つながり。遠州も横浜も大阪からの海運ルートでの伝播ちゃうか?
コチュジャンで高句麗の話題には振っちゃ駄目ニダ。
2004/04/24 13:37
>>No. 936
deha
↓
dja
↓
ja
dehanai
↓
djanai
↓
jan
dearu
↓
djaru
↓
dja…そうじゃの。
2004/04/24 22:44
>>No. 935
>裕次郎のセリフ
じゃなくて、脇役のあんちゃん、ちんぴらのセリフだったように思います。裕次郎は「だぜ」「じゃないか」とか・・・。裕次郎の歌は一通り知っていますが「じゃん」なんて歌詞はないと思います。
>長崎県の田舎の小さな町
話はずれますが、島原の乱で島原半島南部の農民が大勢死んだもので、その穴埋めに小豆島からの移民があったそうです。それで、今島原の名産「そうめん」は小豆島から伝来のもののようですね。なんでも言葉も残っていて、小豆島の人が島原半島南部を訪れたとき、同じ方言が語られていたのを聞いて、感動したとか・・・。
実際の話ですが、長崎市の式見地区の墓地はお盆になるとカラフルな布をはためかせて墓石を取り巻きます。初めて見たとき、異様な感じがしました。
「民俗学」という言葉を知った頃でしたので、すごく印象に残っています。谷川健一さんの本を読んでいた頃です。
支石墓、石棺、石室、石人石馬、石崖横穴墓、神篭石、石仏、石橋など九州は「石の文化」が色濃い所ですが、宮崎県に行くととたんに様相が変わります。これにもなにか由来があるのでしょう。
「古代史の周辺」の探索もまた、興味深いものがあります。
あれ?「じゃん」の話のはずだったのに・・・。脱線ジャン!
2004/04/25 01:25
>>No. 937
>「じゃん」って言えば横浜ことばじゃん!
静岡から富士川つながりで山梨へ。
山梨から行商で八王子or相模原へ。
相模原から相模川の下流茅ケ崎へ。
八王子から多摩川の下流川崎へ。
川崎から横浜へ。
>音韻的にも用法的にも近いのは大阪方面やんけ、われ!
北関東は「だんべ」。長野も「だべ」
よく判りませんが、NHKの事ですからある程度何時から使われているかの検証はしているのではないでしょうか?
この話単発物ではなく、数週間前にも放送していて、視聴者からの情報として長崎でも使われている、との情報を受けて長崎を取材したと言う事のようです。
>横浜〜湘南方面じゃ同意を求める「デハナイカ」の意味じゃん。
静岡も同じですし、長崎も同じ。
伊豆、駿河、遠州などは「ずら」のほうが古い言葉で、同じ意味の言葉「ジャン」は比較的新しい言葉だと思われますが?
「ずら」=「づら」?「づら」は古語「つらむ」からの変化。
江戸時代は人の移動はめったに起きないですからね。
会津には京都弁が伝わっていて、長年京都守護をやった関係と言われているそうです。
2004/04/25 01:52
>>No. 939
長崎のほうで「じゃな」を使うと言う事はないでしょうか?
「jana」から「a」が抜けて「jan」になった可能性もありかなと思いつきました。
2004/04/27 20:10
>>No. 940
>北関東は「だんべ」。長野も「だべ」
「だんべ」「だべ」の「べ」は「べし(可し)」(推量)からの変化。
「ジャン」より古いですね。
「ずら」と「べ」はどっちが古いのでしょうか?
2004/04/27 21:57
>>No. 941
>「jana」から「a」が抜けて「jan」になった
お年寄りの話のなかでは出てこないような気がします。あくまでも「じゃん」という言い回しは、若者言葉のような気がしますが。
ただし、一口に「長崎」といっても、港町ですし、様々な言葉のちゃんぽんでして、私自身、大学の仲間が結構広範囲から集まっていましたので、高知弁などもつい口から出ます。
しちゅーやいか!なんて・・・。
2004/04/27 22:46
>>No. 933
じゃ*
です*
そう*
に続くのは
け:黒潮沿岸
ち:九州
な:中部
ね:中部
へ:関東東北
(べ)
ということだ。
縄文人の発音の名残りだ。
2004/04/28 00:20
>>No. 933
朝鮮語に臍の緒を留める古代倭語・じゃん?。
“〜chianayo?”⇒「…ではないの?=…じゃないの?」じゃん?。
2004/04/28 19:42
>>No. 945
> 朝鮮語に臍の緒を留める古代倭語・じゃん?。
>“〜chianayo?”⇒「…ではないの?=…じゃないの?」じゃん?。
“〜chianayo”
で思い出すのが「けんちゃなよ」ですが、「大丈夫」とか「問題ない」と言う意味でしたよね。
「けんちゃなよ」の「〜ちあなよ」なのでしょうか?
2004/04/29 09:32
>>No. 940今日は敢えて静岡弁でかきます。俺が思うには「じゃん」に比べて、「ずら(だら)」の方が疑問詞的要素が強い様な気がするじゃんねぇ。だから敢えて書くと「そうじゃん!」に対して「そうずら(だら)?」って事になる。それと「ずら」は駿河以東の"山が"の衆、「だら」は"下(しも)"の衆が使ってる様な気がするやー。そーだら?静岡は標準語だけんね!(笑)
2004/04/29 10:27
>>No. 947
>今日は敢えて静岡弁でかきます。俺が思うには「じゃん」に比べて、「ずら(だら)」の方が疑問詞的要素が強い様な気がするじゃんねぇ。だから敢えて書くと「そうじゃん!」に対して「そうずら(だら)?」って事になる。それと「ずら」は駿河以東の"山が"の衆、「だら」は"下(しも)"の衆が使ってる様な気がするやー。
いや〜。私は静岡県人じゃないんで深いことは解かりませんが「ずら」から「だら」に変化した事もありうるのでしょう。
>そーだら?静岡は標準語だけんね!(笑)
私の家内も東京に来る前までは静岡弁を標準語だと信じていたそうです。
東京でみんなに笑われて初めて自分の言葉が方言だったと気がついたといってました。(^^)
でも静岡とか長野の言葉は古代の公家の言葉から来ているような気がします。
浜松の「やらまいか」も能の狂言によく出てくる言葉です。
わたしなど「やらまいか」と言われると「あ〜、やらないんだ」と思ってしまいますが。m(_ _)m
2004/04/29 21:31
>>No. 948バリバリの静岡人だけど俺は静岡弁が標準語だなんて思っちゃいんよ。 「ずら」の変形が「だら」なのは俺もそう思う。けど三河は「ずら」はつかわず「だら」のみなのがちょっと不思議です。「やらまいか!」は遠州弁だよね。駿河(静岡中部)では「やらざぁ!」になります。ちなみに標準語で言う「やろう(しようぜ)!」って意味合いだよ。なまってる!
2004/04/29 22:17
>>No. 949
>バリバリの静岡人だけど俺は静岡弁が標準語だなんて思っちゃいんよ。
家内のは30年も前の話ですから。
東京で笑われて結構ショックだったそうです。
今の若い人はテレビで十分東京弁知ってますからね。
私達の頃はテレビを見ていると親に怒られたし、今のように会話中心のバラィティは少なく、ドラマ、アニメ中心で言語を意識する事は無かったと思いました。
>駿河(静岡中部)では「やらざぁ!」になります。
信州に「〜ず」で「〜しようよ」という意味になるという話も聞きました。
どうやらこれは「やらむとす」「行かむとす」の「〜むとす」が「んず」に、さらに「ず」に変化したのではないかといわれています。
「やらむとす」が「やらず」になって「やらざぁ」に変わったのではないか?
なんて思いますが。
「やらざぁ」と言うのも普通にはやらないと言う意味に感じます。
「やらまい」は古語がそのまま、「やらざぁ」は「やらむとす」が、同じような意味の言葉がそれぞれ違う言葉を語源にしていると言うのも不思議ですね。
「ずら」も「つらむ」から、「べ」も「べし」から。
2004/05/08 23:08
>>No. 1
星を見ていると過去の事ばかり分かって今の宇宙全体の様子が却って掴めていないということがあります。
言葉の場合、自分の昔を探るのに他人の昔を却ってはやまって想定してしまっているようなことはないでしょうか。
また、あそこにも似ている、ここにも似ていると、独立のグループを過去に遡って想定することは一つの可能性にすぎません。
縄紋語の由来を要因的に腑分けするといういうことはあまりに早い仕事ではないでしょうか。ビルマにもあり、インドネシアにもあるからといって、先祖が独立的にビルマ的なものと、インドネシア的なものと二つあるとはいえません。
先生方のご努力で、タミル語との共通性が学会の常識となりつつあるようです。柔軟なルーツ探しが学問界の体質となりつつある証拠でしょうか。失礼ながら。このタミル語の場合も、日本原始語との歴史的な主従は決め付けにくいのではないでしょうか。
音韻的にはポリネシア語との一致が確定的のようですが、とりわけてポリネシア語に限るということがあるのか知りたいところです。
ところでなんとなく軽視されている感じがする韓国語との共通性が、目前の事実として比べるものがないくらい大きいことは、なんといっても日本語のルーツ探しでは重要視するべき第一番の基礎でありましょう。語彙については、共通性の欠如を重く見るべきです。
言葉の運びが合わせ符牒のように最後までぴったり合います。ある意味で言うと、このような一卵性双生児のような国語のペアの例は世界に二つとないのではないでしょうか。そして単語が違うのです。
中国語も一面、言葉の運びが日本語と似ています。西洋のs-v概念はここにもありません。場や主題の運びで文が進んでいく共通性は大きなものと思います。
半島と同じ文法を敷いた勢力が、江南あたりの米文化をもたらした前期弥生大勢力とは、全く別時期のものであるとはいえるでしょう。
遺伝子的には圧倒的に東北アジアにある型が、日本人の遺伝子を占めているそうです。その人達が江南から米も持ってきたと考えると、簡単だと言えるだけです。
2004/05/09 00:44
>>No. 951
横レス申し訳ありませんが、
>先生方のご努力で、タミル語との共通性が学会の常識となりつつあるようです。
という、私の予想外のコメントがありましたので、もしそうなら、私の抱いている「古代史像」を大修正する必要があるので、どこからご判断されたのか、根拠をお示し願えれば幸いです。
私は言語学のことはさっぱりわからないので、基本的に、学会の「定説」はそのまま受け入れて、日本の古代史像を思い描いていますので、もし、日本語の起源のような重大な基礎部分の「定説」が形成されたとすれば、それに従って「修正」せざるを得ないのです。
2004/05/10 20:49
>>No. 952
タミル語との共通性は少し読んで見ますと、決して表面的なフロックでない事はどんな先生でも認め得るような内容があります。いきなりタミル語を日本の上に戴くということでは決してありません。古ければ古いほど遠くとの繋がりが見つかるはずです。親子関係、尊卑関係は分かりません。
たまたま古い文献がタミル語に残っていたという事で、ルーツ探しにそのタミル語地区に飛び込むのなら間違いでしょう。
東南アジアや江南地域にでももっと近い共通性が存在していたかもしれません。ただ文献が残っていないから、何も言えません。
ところで、失礼ですが、古代史というと奈良平安の有史時代のことですが、タミル語などとの関連で探るのはもっと古い時代のことと思います。タミル語の文献の言葉がそのまま昔の日本語と通い合っていた事実はないものと思います。
考古学的な汎アジア語にも近いものを偲ぶ便の一つと思えばいいのではないでしょうか。
2004/05/12 07:54
>>No. 1言語としてはウラル・アルタイ語系で、民族としては南方系だと歴史の今日かょで学びましたが、違うのですか
2004/05/12 12:27
>>No. 954
自称縄文系弥生系を問わず例外なくタンソクです。
だから、おお元の故郷はシベリアでしょう。
本に書いてあること、偉い学者のお説は、すべて疑ってかかることをお勧めします。
最近は、「ウラル・アルタイ語」というグループなどないのだ、という意見がはやりのようです。
私の意見では、言語学者は「人が言葉を習得するとはどういう現象か」という基本の理解ができていません。
2004/05/12 12:39
>>No. 953
私は農民の子ですが、農耕というものは技術一式そろって初めて可能な人間の営みだなぁとつくづく感じることがあります。
3千年も前の農具がほぼそのまま使われてきたことが、博物館などに行くと分かります。動力がこの間変わったばかりです。
原理的には石包丁で穂をむしりとることだけが変わっただけではないでしょうか。
大切な言葉もそのまま残っている可能性があります。
タミル語も日本語も農耕文明語の同じひ孫筋に当たるのかもしれません。ぴったり合う農業単語があるからといって、タミル人が大挙して日本に渡来してきたと難しいことを考えなくてもよいと思います。
周辺圏古語論があります。その例と考えてもいいと思います。
韓国語のハントゥセを英語のワントゥスリと並べたくなりますが、恥ずかしくて誰も言い出しません。
周辺圏論でいえば、ラテン語やサンスクリット語、ヘブライ語など気にせずに、周辺同士で調べ合ってもいいはずです。
周辺圏古語の方が最も古い形を保っていることになるからです。
確かに、何千年も島や半島のはずれで使われてきた言葉というものは、珍しくも古いものを保っているのかも知れません。日本の方言にその典型例が数多くあります。
日本古語の孤独的環境というのも、世界的に見ると稀なほうではないでしょうか。
オーストラロだアルタイや農耕タミルだ漢語だと忙しいようでいても。
以上、大概聞いたようなことですが、参考になると思いますので、お届けいたします。
実際に証を上げて功を成すのはプロの先生方なのですから。
2004/05/12 19:11
>>No. 953
お返事有難うございます。
タミル語説については、大野晋氏の『日本語とタミル語』(新潮出版、昭和56年11/25発行)を購入し、読破しましたが、言語学を専門としない、日本語の一native speakerとしては、日本語がタミル語の後裔もしくは姉妹語だという「感触」を得られませんでした。(この本を購入したことも忘れていた状態で、つい、この間本棚の整理をしていて、発見し、びっくりした有様です。)
語彙の類似性のみでは、言語の同系の証明にはならないということらしいので、そのあたりを最近のタミル語説がクリアしたのかと思い、質問しました。
>ところで、失礼ですが、古代史というと奈良平安の有史時代のことですが、タミル語などとの関連で探るのはもっと古い時代のことと思います。
いや、この点については、私の興味は、「日本人の形成」が主で、日本民族・日本語・日本国家の形成全体が対象になり、むしろ、奈良・平安時代は、この観点からすると、「下限」の時代ぎりぎりということになります。
汎アジア語では、逆に年代が古くなりすぎるような気もします。
2004/05/13 21:17
>>No. 955
> 日本人は
> 自称縄文系弥生系を問わず例外なくタンソクです。
> だから、おお元の故郷はシベリアでしょう。
短足なのはシベリア人と日本人だけでしょうか?
-----------------------------------
最近よく「日本人のルーツ」という言葉を耳にします。体型や顔の特徴から、日本人は「縄文人」と「弥生人」の2つの系統に分かれると聞きましたが、私はどちらの系統に属するのでしょうか。又、最近の若者は人種が違うのではないかと思える程体型や顔つきが違ってきているように感じられます。ほんの20年位前までは日本人は「胴長・短足で顔は扁平、目ははれぼったくて出っ歯、眼鏡をかけてカメラを持っている」というのが国際的な共通概念だったと思いますが、最近の若者達は胴長・短足の親から生まれたとは思えない程足が長くなりました。
http://svrrd2.niad.ac.jp/faculty/ogiue/address/anthropology.html
また、短足、ガニ股(又はO脚や内股)、ずん胴などの日本人の特徴は、「気候や食生
活(草食に適合した腸の長さ等)」も影響があるけれども、「正座」や「日本帯び」な
ど、世界あるいはアジアの他の民族とは異なる(平安か鎌倉か室町時代以降の)日本固
有の習慣も原因になっていることは明らか。
http://homepage1.nifty.com/eigogakushu/end12.htm
-----------------------------------
頭の形も寝るときの姿勢で随分変わるようです。
> 本に書いてあること、偉い学者のお説は、すべて疑ってかかることをお勧めします。
これは最近、本当に実感しています。
言語からは、日本人は東南アジアや太平洋の人々と深い関係があるのではないかと思ってます。
敬語の有り様が共通しているからです。
2004/05/13 21:58
>>No. 956
いつから始まったのでしょうか。
苗代の遺跡というものは、発見されて
いますか?
2004/05/13 22:02
>>No. 955
>縄文系弥生系を問わず例外なくタンソクです。
縄文人は足が長かったのじゃなかったですか?
港川人や上野原人は体格が弥生人に比べ非常に劣っていたにもかかわらず足が長かったと聞いています。
名古屋博物館の縄文人の骨も足が長かったですよ。
神武東征に出てくる「土ぐも」も背が低く手足が長かったそうですがこれは縄文人ではなかったでしょうか?
2004/05/14 04:01
>>No. 960
パプアニューギニアの旅日記を見ていたら、写真がたくさん載っていました。
http://achikochi.cool.ne.jp/png03_MtHagen5.htm
個人差はあるでしょうが、短足はシベリア人と日本人だけじゃないようです。
もちろん、シベリア→日本列島→東南アジア・太平洋、というルートもあったでしょうが。
人の移動は一方通行ではないと思います。
mutouhaさん、こんにちは。
> 縄文人は足が長かったのじゃなかったですか?
> 港川人や上野原人は体格が弥生人に比べ非常に劣っていたにもかかわらず足が長かったと聞いています。
どこでお聞きになったのですか?
縄文人と「弥生人」 個人骨の事件簿(片山一道 昭和堂/2000年)に以下のように書いてあります。
>腕や脚の長骨はいずれも短く、その中心部をなす骨体と呼ばれる部分は細めだが、各筋肉の付着部が発達しているので、コンパクトで頑丈な印象を与える。(P14)
2004/05/14 19:34
>>No. 961
hituji3386さんこんばんは
>パプアニューギニアの旅日記を見ていたら、写真がたくさん載っていました。
パプアニューギニアといえば
http://www.online.net.pg/~pitomita/photo%20doki.html
はどうでしょう?
二列目二番目と三列目三番目なんか縄文土器そのものに見えませんか?
>> 港川人や上野原人は体格が弥生人に比べ非常に劣っていたにもかかわらず足が長かったと聞いています。
>どこでお聞きになったのですか?
たしかNHKスペシャル「日本人の遥かな旅」だったと思いますが
http://www1.ocn.ne.jp/~johmon/no41.htm
【 第一回放送。縄文人の祖先は遥かバイカル湖の辺からシベリアを越え、陸続きの北海道に移住して来た。シベリアは不毛のツンドラではなく、緑豊かな草原地帯だったらしい。最近沿海州の土器は縄文土器と同系だと分かった。同じ文化圏が大陸に跨っていたのだ。
二回目の今夜は南方起源説。氷河期にインドネシア、マレー半島一帯は、スンダランドという大陸だった。ジャワの古代ワジャク人の頭蓋骨は、沖縄の港川人(日本最古の人骨)の骨に酷似していると言う。彼らは大陸の消滅で海へ方々に船出した。一部は比・沖縄を通り黒潮に乗って日本列島に辿り着いた。縄文早期上野原遺跡(鹿児島)からは、南洋の丸木舟用の磨製石斧が多数出ると言う。
日本人のルーツは北方の内陸性民族説、南方の海洋民族説、朝鮮半島経由の内モンゴル説などの説があるが、通り相場は単一起源ではない。その後長い間に混じり合い、現代日本人に連なっているのは間違いない。】
この中で「上野原人は体格が弥生人に比べ非常に劣っていたにもかかわらず足が長かった。」
という話があったと記憶しています。
上記「バイカル湖の辺からシベリアを越え」て来た人はむしろ旧石器人(マンモスハンター)でしょう。浜北原人という3万年まえの人骨では足の長さまでは判っていないはずです。
マンモスハンターは1万8千年頃から始まった地球温暖化により北へ去り続いてやってきたのが南方から来た人がいたのでしょう。
1万5千年位前も旧石器時代といわれていますがこれは南方から来た縄文人の祖先だと思います。
旧石器の水迫遺跡と縄文早期の上野原遺跡はよく似ているそうです。
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/7234/study/mekarauroko/nihonjinnorutu.htm
では縄文人は足が長めとあります。
現代人の縄文人からの距離と言うのも興味を引きませんか?
地域によって骨の形に明確に差がある。下戸遺伝子の分布とも見事に一致している。
http://www3.boj.or.jp/shimonoseki/kikou/essey34.html
によれば「縄文時代の人骨は全国どこでも地域によって形態に差がなく、同じ民族だったことが分かる。」
弥生時代の人骨は山口以西しか解説がありませんが畿内はどうなのでしょう。
前の方のページから推測するに九州とは違いがあったのではないでしょうか?
九州でさえこれだけ人骨に違いがあるのですから全国ではどの程度差があるか判りませんね。
三つに分類されていますが縄文人と渡来人の混血の度合いに差があったのでしょう。
2004/05/14 19:46
>>No. 961
》パプアニューギニアの旅日記を見ていたら、写真がたくさん載っていました。
これはこれは! すみません、タンソク発言は取り消します。観察をやり直します。
》最近の若者達は胴長・短足の親から生まれたとは思えない程足が長くなりました。
これは半分だけ真実。相変わらず、胴長・短足の親から生まれた「としか」思えない若者もたくさんいます。「骨の成長に遺伝以外の影響も大きいことは明らか」にはちがいありませんが、遺伝の影響も大きいと思います。
》言語からは、日本人は東南アジアや太平洋の人々と深い関係があるのではないかと思ってます。
私もそう思います(でも、反対意見もあるようです)。
前にも紹介しましたが「ポリネシア語で解く日本の地名・
日本の古典・日本語の語源」というページがあって、なかなか楽しいです(牽強付会と言ってしまえばそれまでですが)。
2004/05/15 02:20
>>No. 962
> 二列目二番目と三列目三番目なんか縄文土器そのものに見えませんか?
ニッポン人異国漂流記(小林茂文 小学館/2000年)によると、江戸時代の記録に残る漂流件数は以下のようです。
八丈島 約200件
青ヶ島 12件
小笠原諸島 2件
パラオ諸島 7件
琉球 5件
朝鮮 33件
中国 40件
台湾 6件
バタン諸島 4件
ルソン(フィリピン)13件
香港 1件
安南(ベトナム) 3件
沿海州 5件
樺太(サハリン) 1件
千島列島 6件
カムチャッカ半島 4件
アリューシャン列島 4件
アラスカ 1件
カナダ 1件
北アメリカ 5件
ハワイ諸島 1件
南アメリカ 1件
このほか、太平洋上で漂流中、外国船に救助された船、多数。(P101)
ですから、ニューギニアに縄文土器があることは不自然とは思いません。
mutouhaさん> 港川人や上野原人は体格が弥生人に比べ非常に劣っていたにもかかわらず足が長かったと聞いています。
わたし> どこでお聞きになったのですか?
たいへんすいません。前回も引用した
縄文人と「弥生人」 古人骨の事件簿(片山一道 昭和堂/2000年)をちゃんと読んでいませんでした。
>腕や脚の長骨はいずれも短く、その中心部をなす骨体と呼ばれる部分は細めだが、各筋肉の付着部が発達しているので、コンパクトで頑丈な印象を与える。(P14)
この先、専門用語が続いたので勘違いしていました。つづきと結論を引用します。
>(P14・上のつづき)上肢下肢ともも遠位部に位置する骨、つまり上腕骨に対して橈骨や尺骨・・・・
>でも身長が低い割には、むしろ脚や腕などは長めである。それに細めの肩幅なのに、筋肉質の身体であるから、かなり均整のとれた体型といって良い。(P15)
>身長の割に頭が大きいから、おおむね六頭身ぐらいのプロポーションだっただろう。(P16)
以上、体格が劣っていたことはないですが、手足は長かったようです。失礼しました。
それから、縄文人と弥生人の比較ですが、縄文人の骨は数千個体分出土しているそうですが、弥生人の骨は北部九州と山口県の遺跡以外では圧倒的に少ないそうです。それも中期から後期にかけてのものがほとんどだそうです。(P22)
弥生時代初期の人骨は2000年の段階で5体しか出土例がないようです。
◎福岡県 新町遺跡(糸島半島・支石墓の成人男女ふたり)
女性は縄文人そのもの、男性も縄文人の特徴が濃い。縄文の抜歯をしている。
◎神戸市 新方遺跡(三人が並んで出土)
保存の良いふたりは縄文人の特徴をして縄文の抜歯をしている。
弥生式土器を伴いサヌカイト製の石鏃を体内に射こまれている。
それで著者の片山氏は次のように書いています。
>縄文時代の終末期から弥生時代の初頭にかけての頃、大陸方面から新しい文化や生活方式が大いに輸入された。でも、それらを積極的に輸入したのは一部の縄文人であった。つまり「人が動かずとも文化は伝わった」のである。自らの生活を根底的に革新させた彼らは、その必然として、自分たちの身体特徴を大いに変えることになった。今の日本人の間で起こっているのと同様、顔立ちや体形の変化が生じたとしても不思議でなかったろう。(P25)
わたしも同意見です。
もちろん現在、日本列島から出ていく人、入ってくる人がいるように、昔も人の移動はあったはずだとは思っています。
しかし骨格を変えるほどの人の移動はなかったと思います。
それから、縄文人の人骨数千個体分ですが、貝塚から出土するからたくさん残っているそ
です。
ということは、貝塚以外に葬られた人の骨は残っていないのだから、科学とか、統計とか、本当に慎重であるべきだと思います。
まして、弥生時代の人骨は統計を取れるような状態ではないということも、心しておきたいです。
2004/05/15 15:00
>>No. 964
>ニューギニアに縄文土器があることは不自然とは思いません。
わたしの仮説
「失われた大陸スンダランドに縄文人のルーツがあり、タミル人も縄文人もポリネシア人も全てここに起因している。言語(語彙)が似ていても当然であろう」
と言うものです。
【人が動かずとも文化は伝わった】
という部分は私も賛成です。
弥生の水田跡で有名な静岡の登呂遺跡では静岡大学のある先生が調査したところ、水田耕作は早々と止められてその水田跡では陸稲が栽培されていたと判ったそうです。
縄文人が水稲の栽培を教わり試してみたが手間のかかる水稲栽培をあきらめ陸稲の栽培に切り替えたと考えると判りやすいです。
弥生人というのは言われるほど多くはこなかったのでしょう。
北九州と中国地方の一部だけにきた。
この人々は韓半島と交流して金属文化を取り入れ弥生文化を生み出した。
そしてその文化は全国に広まったのだと考えられます。
そうなると胴長短足北方民族形質を強く持った現代日本人は何時どのようにして来たか?が問題になります。
現代日本人の遺伝子の65%は弥生時代以降に大陸から来たと言われています。
私は3世紀以降に前方後円墳を伴ってきたと考えているのです。
2004/05/16 20:41
>>No. 965
「失われた大陸スンダランドに縄文人のルーツがあり、タミル人も縄文人もポリネシア人も全てここに起因している。言語(語彙)が似ていても当然であろう」
タミル語のルーツがスンダランドにはありえないことは、以前に指摘しました。そのとき「考えてみます」とお約束したはず。いろいろ仮説を立てるのは結構ですが、ダメとわかっている部分は修正してください。
2004/05/16 22:21
>>No. 966
mutouhaさん> 弥生の水田跡で有名な静岡の登呂遺跡では静岡大学のある先生が調査したところ、水田耕作は早々と止められてその水田跡では陸稲が栽培されていたと判ったそうです。
そうなんです。同じ意見だと、とてもうれしいです。
トピズレしてしまうのですが、日本で水田が本格的に導入されたのは律令制以降だと思っています。
cyber_ekさんがスンダランドについて書いていますが、わたしもひとつ。
スンダランドが人類の発祥の地ではないのだから、スンダランドに渡って行った人たちがいたのですよね。
2004/05/16 23:27
>>No. 966
>タミル語のルーツがスンダランドにはありえないことは、以前に指摘しました。そのとき「考えてみます」とお約束したはず。
ありえないという根拠はなんでしたっけ?
近頃忘れっぽくって失念していました。
そこで検索して見ました。このトピ全部ではありませんが
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffckdc8la4n5af
8bb&sid=1835208&mid=764
ですか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffckdc8la4n5af
8bb&sid=1835208&mid=788
すごい時間が掛かってしまいましたがあたりで終わっていたような。
ところでサイバーさんはスンダランドがどうしてそんなにお嫌いなんですか?
2004/05/17 11:27
>>No. 968済んだランドというのは、言語を騙るには極めて古すぎる。
2004/05/17 12:19
>>No. 968
》ありえないという根拠はなんでしたっけ?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffckdc8la4n5af
8bb&sid=1835208&mid=733&thr=733&cur=733&dir=d
主要部分を再録:
c>タミル語説というのは、日本語はドラビダ諸語の中でもとりわけタミル語と深い関係が認められるという主張です。スンダランド起源説では他のドラビダ諸語の分化はどう説明するのですか。
補足:
ドラビダ諸語「主としてインド南部に住む人々によって使用され、インド・アーリア諸語と相互に影響しつつ発達してきた、古くて豊かな文化伝統をもつ語族である。」
「この語族は、大まかに次の三つの下位グループに分けることが可能である。(1)北方グループ(ブラーフイー語、マルト語、クルク語)、(2)中央グループ(ゴーンディー諸語、クイ語、クウィー語、ガドバー諸語、パルジ語、ナイキ語、コーラーミー語、サバラ語、テルグ語)、(3)南方グループ(バダガ語、カンナダ語、コダグ語、コータ語、トダ語、マラヤーラム語、タミル語、イルラ語)。」(C)小学館
つまり、スンダランドにタミル語があったとしたら(現実にその痕跡は残っていないと思うが)、矢印はインド→スンダランド以外にありえません。
m>未だ深く考えたことがありません。
m>もう少し時間を下さい。
c>だって、これが基本の事実です。ここから出発しなければ。
》ところでサイバーさんはスンダランドがどうしてそんなにお嫌いなんですか?
スンダランドが何かの揺籃であったとする納得できる根拠がないからです。スンダランドは失われたのか? そんなことはありません。フィリピン・ボルネオ・スマトラ・ジャワがあります。スンダランドといわずに例えばボルネオ(の海底)といえばよろしい。そういう具体的な名前を出せないいいかげんな説にかぎって、スンダランドを持ち出します。
2004/05/17 20:51
>>No. 970
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffckdc8la4n5af
8bb&sid=1835208&mid=733&thr=733&cur=733&dir=d
「いまでもボルネオやスマトラのような広大な土地が残っています。」
スンダランドから人々の流出が始まったと想定されるのが18000年前です。
そして今消えたスンダランドに匹敵する広大な平地はボルネオにもスマトラにもありません。
例えば8000年前にはスマトラやボルネオの湿地帯も海の中でしょう。
私は一万年以上掛けてスンダランドの流出が起きたと思っています。
「毎年10cmずつ海が侵食してくるだけなのに、あなたは命がけで船に乗って海のかなたにあるかないかわからない希望の大地を探しに出かけますか?」
土地が失われてそこで増えた人口を養う事が出来なければ当然飢え死にするのを待つか命がけで何処かに行くしかないでしょう?
海進は単に陸が消えるだけではないのです。
気候変動を伴っているのですからそれまで作った作物が取れなくなるのです。
多分、日本に二万年前に居た旧石器人も獲物が北進するにしたがって北へ、大陸に逃れていったでしょう。
>スンダランド起源説では他のドラビダ諸語の分化はどう説明するのですか。
ドラビダ諸語よりもスンダ語の方が古かったとしたら?
何しろ10000年前にはかなり流出したでしょうから。
ドラビダ人はアーリア人に追われて南下と言われているようです。
アーリア人がインドに来たのはそう古い話しては無いでしょう?
ドラビダ人は後から来て北方ではタミル人と交わりドラビダ語が出来た。
南端のタミル語は古いスンダ語を色濃く残している。
と言うのはどうでしょう?
>そういう具体的な名前を出せないいいかげんな説にかぎって、スンダランドを持ち出します。
「フィリピン・ボルネオ・スマトラ・ジャワの海底」と一々書けとおっしゃるので?
2004/05/17 21:46
>>No. 971
はがゆいのー。
>>>
「毎年10cmずつ海が侵食してくるだけなのに、あなたは命がけで船に乗って海のかなたにあるかないかわからない希望の大地を探しに出かけますか?」
>>>
毎年10cmで大陸棚が出来るわけないだろうが?
準備できる程度に一挙に沈んだんだよ。
多分年1mだな。
だから現在海底100m〜120mに
大陸棚が残るわけだ。
年10cmじゃ大陸スロープになる筈だ。
陸が沈み出せば
こりゃ
しっかり準備して高い山のある方向に
逃げるだろうが。
そこも沈んで島になっていれば
その島の高いほうに移住するしかなかろうが。
2004/05/18 12:32
>>No. 971
》「フィリピン・ボルネオ・スマトラ・ジャワの海底」と一々書けとおっしゃるので?
そのとおり。
1.ニューギニア、ボルネオ、スマトラにドラビダ語の痕跡が残っているなら、それを報告すべきです。
2.そうでないなら、ドラビダ語の故郷がなぜ中国南部、ベトナム、マレー、タイではなくニューギニア、ボルネオ、スマトラなのか、説明を提出すべきです。
こういう精密なモデルが構築できないから、「沈んでしまったスンダランド」でごまかそうという魂胆が見え見えなわけです。
》ドラビダ諸語よりもスンダ語の方が古かったとしたら?
ドラビダ「祖語」が一方では日本に渡ってクレオール日本語を作り、一方ではインドで多様な言語を生み出したことになりますが、その分化発展したドラビダ諸語の一つの枝の先にあるタミル語が、ドラビダ祖語と関係が深いはずの日本語ととりわけ深い関係にあるとしたら、実に不思議なことです。その可能なメカニズムを提出すべきでしょう。
結論:あなたの思いつきは、ハッキリ言ってゴミです。
日本に南インドのDNAがそれほど濃厚にあるとは思えないのに日本語が南インドの言語と近い関係にあるようだと主張する以上、その可能なメカニズムを提出する義務が私にある、他人に対しては私はそれに近い主張しており、自分は何のアイディアも提案できないのはけしからぬ話ですが、残念ながらアイディアはありません。ただ、あなたのアイディアの欠陥は指摘でき、そのあたりの精密化が必要というアドバイスはできます。
2004/05/18 20:26
>>No. 973
>1.ニューギニア、ボルネオ、スマトラにドラビダ語の痕跡が残っているなら、それを報告すべきです。
>2.そうでないなら、ドラビダ語の故郷がなぜ中国南部、ベトナム、マレー、タイではなくニューギニア、ボルネオ、スマトラなのか、説明を提出すべきです。
素人に酷な注文でしょう。
インドネシアだけで200も300もの言語があるそうでじゅうぶんな検証がされていないそうですから。
専門家がその気で調べれば何かわかるかも知れませんが私には調査能力はありません。
>こういう精密なモデルが構築できないから、「沈んでしまったスンダランド」でごまかそうという魂胆が見え見えなわけです。
言葉はともかく甕棺とか支石墓とかの共通する考古学資料はあります。
支石墓は縄文末期ですが甕棺は相当に縄文初期からあるでしょう。
支石墓はスマトラ、マレー、ベトナム、長江下流、沖縄、西北九州、北南韓、遼河下流のように点々と存在しています。
この中で長江下流、沖縄、西北九州、南韓の物は全く同じだそうです。
海の道を想定するのは当然ですね。
ところがインドからインドネシアへは海流が逆なのでこれない。
来るとすれば陸伝い。
北方騎馬民族のように草原を突っ走ってくる事はないでしょう。
流出したスンダ人がインドに住まい、もう一度故郷に帰るといった強い動機付けがなければ途中で吸収されてインドからインドネシアに辿りつく事は難しいでしょう。
そんなわけで人はインドネシアからインドへ行ったのです。
日本語が直接タミルから来たとするよりずっと合理的であると自負しています。
>ドラビダ「祖語」が一方では日本に渡ってクレオール日本語を作り、一方ではインドで多様な言語を生み出したことになりますが、その分化発展したドラビダ諸語の一つの枝の先にあるタミル語が、ドラビダ祖語と関係が深いはずの日本語ととりわけ深い関係にあるとしたら、実に不思議なことです。その可能なメカニズムを提出すべきでしょう。
私は「ドラビダ諸語の一つの枝の先にあるタミル語」ではないと考えていると言っています。
逆にタミル語はドラビダ語に影響を与えた、がタミル語はタミル語で独立した言葉であると。
>結論:あなたの思いつきは、ハッキリ言ってゴミです。
そこまでおっしゃるなら自分のアイデアを出すべきでしょう。
自分で精密モデルが構築出来ない人に言われたくありませんね。
>日本に南インドのDNAがそれほど濃厚にあるとは思えないのに日本語が南インドの言語と近い関係にあるようだと主張する以上、その可能なメカニズムを提出する義務が私にある、他人に対しては私はそれに近い主張しており、自分は何のアイディアも提案できないのはけしからぬ話ですが、残念ながらアイディアはありません。
日本人のDNAの65%は弥生時代以降に大陸からもたらされたのですから、「南インドのDNA」が消された可能性も否定出来ませんが、始めから極少数しかなかったのであれば前の方で書いた「ジャン」の起源のように一つや二つの言葉の起源になる事はあっても広範な言葉に影響することはありえないでしょう。
縄文人の骨は日本全土で同一人種である事が推定されています。
一方弥生時代の人骨は九州でさえ数種あり、近畿以東に弥生人が大挙して来た様子もない。
など考えれば縄文語が日本語の祖語であり、縄文人の骨は南方から来た事を示唆されているのですから私の仮説も捨てて物ではないと思います。
>ただ、あなたのアイディアの欠陥は指摘でき、そのあたりの精密化が必要というアドバイスはできます。
あなたの九州王朝説や邪馬台国九州説はそれほど精密化しているのでしょうか?
私も邪馬台国古田説の欠点を指摘できます。
サイバーさんはタミル語起源説を否定はしておられないようなのですが、タミル語がどのようなメカニズムで日本に伝わったかを話されなければお話になりません。
その上でアドバイス下さい。
2004/05/19 13:01
>>No. 974
》素人に酷な注文でしょう。
そりゃそうです。つまり、↓これを認めているわけですね。
>こういう精密なモデルが構築できないから、「沈んでしまったスンダランド」でごまかそうという魂胆が見え見えなわけです。<
さらに、こんなしょうもないことも言い出すし↓。
》私は「ドラビダ諸語の一つの枝の先にあるタミル語」ではないと考えていると言っています。
逆にタミル語はドラビダ語に影響を与えた、がタミル語はタミル語で独立した言葉であると。《
ありえない!
マ、それならそれで、OKです。私はもう議論はしない。
といいつつ、・・・
》支石墓はスマトラ、マレー、ベトナム、長江下流、沖縄、西北九州、北南韓、遼河下流のように点々と存在しています。
ほらね、「スンダランド限定特売品」などどこにあるんですか。
》ところがインドからインドネシアへは海流が逆なのでこれない。
海流から外れた陸に近いコースを進めばよい、帆を使えば海流に逆らって進むことができる、など、思い付きならいくらでも出せますが。
》強い動機付けがなければ途中で吸収されてインドからインドネシアに辿りつく事は難しいでしょう。
いえいえ、未知の世界への好奇心も十分な動機付けになりますよ。
アイルランド人がアメリカへ渡ったのは、飢饉のせいです。これは大きな動機になりますよ。
》日本語が直接タミルから来たとするよりずっと合理的であると自負しています。
ぜんぜん。
アーリア人の進入に伴うドミノ現象で多くのドラビダ人がボートピープルとなった。彼らは種籾と鉄の農具だけを携えていた(もちろん、農民に製鉄技術などない。製品としての農具のみ)。そして東南アジア各地に植民し、ついに九州・四国へとたどり着いた(男だけだな、多分。そして、たまたまタミル語を話す人たちだったのだ)。これはBC900年頃のことだ。
彼らは現地の女を娶ったので、子供たちはクレオールタミル語=日本語を生み出した。抜群の生産性を誇るドラビダ生産様式により、彼らの子孫はほんの3〜4世代で土着民を圧倒する人口となった。
十分合理的じゃん。あなたのお説よりはしっかりした根拠もあるし。
》あなたの九州王朝説や邪馬台国九州説はそれほど精密化しているのでしょうか?
十分精密です。具体的にご批判いただけれた、反論(または同調)します。
》私も邪馬台国古田説の欠点を指摘できます。
そんなものは腐るほどあります。だからといって全体としての古田説が崩壊するわけじゃありません。崩壊させてみて(あっちのトピが落ち着いたら)。
2004/05/19 19:41
>>No. 975
>》支石墓はスマトラ、マレー、ベトナム、長江下流、沖縄、西北九州、北南韓、遼河下流のように点々と存在しています。
>ほらね、「スンダランド限定特売品」などどこにあるんですか。
縄文人の来た道を指しているのです。
言い忘れましたがこれらはタミール地方にもあります。インドの南東部に限ってあるんです。
ドラビダ人の物ならもっと北にもあってよさそうですがね。
>》ところがインドからインドネシアへは海流が逆なのでこれない。
>海流から外れた陸に近いコースを進めばよい、帆を使えば海流に逆らって進むことができる、など、思い付きならいくらでも出せますが。
海流から外れても手漕ぎで行くのは大変でしょう。ボートの選手でもないと実質的には歩く方が早いかも。
海流に乗って行くのなら寝てても行けますが帆を使えば海流に逆らって進むなんてありえない。
一般的に地形が複雑な所などを除いて海流の方向と風の方向は一致しているのです。
海流が東から西に向かって流れている所では風も東から西へ吹いている。
赤道付近の風は東から西へ吹いているのです。
赤道あたりで東から西へ流れていた黒潮がフェリピンや中国大陸に当たって北上し、日本近くで偏西風の方向(西から東へ)に向きを変えるのです。台風の進路も海流の方向でしょ?
だから風があれば海流に逆らって進めるなどとは簡単でないのです。嵐のときくらいですか、海流に逆らえるのは。
>いえいえ、未知の世界への好奇心も十分な動機付けになりますよ。
ご自分で否定されませんでしたっけ?
「毎年10cmずつ海が侵食してくるだけなのに、あなたは命がけで船に乗って海のかなたにあるかないかわからない希望の大地を探しに出かけますか?」と。
>アイルランド人がアメリカへ渡ったのは、飢饉のせいです。これは大きな動機になりますよ。
スンダランド人も海進のせいで土地が無くなったのですから一時的飢饉よりもっと強い動機でしよう。
>アーリア人の進入に伴うドミノ現象で多くのドラビダ人がボートピープルとなった。彼らは種籾と鉄の農具だけを携えていた(もちろん、農民に製鉄技術などない。製品としての農具のみ)。そして東南アジア各地に植民し、ついに九州・四国へとたどり着いた(男だけだな、多分。そして、たまたまタミル語を話す人たちだったのだ)。これはBC900年頃のことだ。
>彼らは現地の女を娶ったので、子供たちはクレオールタミル語=日本語を生み出した。抜群の生産性を誇るドラビダ生産様式により、彼らの子孫はほんの3〜4世代で土着民を圧倒する人口となった。
十分合理的じゃん。あなたのお説よりはしっかりした根拠もあるし。
ドミノ現象でドラビダ人がボートピープルになった可能性は当然あるでしょう。
それが海流に逆らってまでインドネシアを素通りして日本まで来たというのですか?
>(男だけだな、多分。そして、たまたまタミル語を話す人たちだったのだ)
男から半分遺伝子を受け継いでも言葉は母の言葉を強く受け継ぎます。なんと言っても子供は母と接している時間が長く、母の言葉を先に覚えるでしょうから。
ですから少数のタミル人の男が来た程度でタミル語が日本に広まることはあり得ません。
ところで「クレオール」と言うのは二つ以上の言葉が入り混じってピジン語が発生してこれが定着したものと解釈していますがあなたは違うとおっしゃっていましたね。タミル語が弥生語なんですか?
BC900年頃といえば弥生直前くらいですよね?
元が同じ言語だったにしてもタミル語と日本語の差はかなり大きくとても3000年程度じゃないような気がします。
>十分精密です。具体的にご批判いただけれた、反論(または同調)します。
考古学や地勢学を抜きにドラビダ語が日本語になった話をしているのを見れば精密に理論構築されているとは思えませんね。
まあ同じ九州説ですから畿内説をやっつけてからにしましょう。
2004/05/21 19:46
>>No. 976
》ところで「クレオール」と言うのは二つ以上の言葉が入り混じってピジン語が発生してこれが定着したものと解釈していますが
「クレオール」は、不完全な言語環境を与えられた幼児が勝手に生み出すのです。その「不完全な言語環境」は、必ずしもピジンとして定着している必要はありません。タミール語を話すパパと縄文後を話すママの片言の会話でよいのです。そうすると、赤ちゃんは自分の「クレオール」を発明するのです。ここまでは何の疑問もありません。
そこから先、個々の赤ちゃんのクレオールから共通語として統一されたクレオールに発展する段階は、よくわかりません。村のレベルで子供が常にいっしょにいるような環境があれば、村の共通クレオールは直ちに出現するでしょう。したがって一世代20年も経てば、村レベルの全く新しい言語が生まれます。
現実に世界各地に共通語としてのクレオールがありますから、さらに広域の共通クレオールも似たようなメカニズムで生まれるものと思われます。
》タミル語と日本語の差はかなり大きくとても3000年程度じゃないような気がします。
つまり、タミール語が時間とともに変質して日本語になったというような理解は正しくないのでしょう。日本語はほんの1〜2世代で生まれたのでしょう。
ニューギニアで系統も定かでない1000もの言語が生まれたのは、こうしたメカニズムによると考えられます。
****
私は自分の思いつきが絶対に正しいと考えているわけではありません。ただ、あなたの思いつきと比べると、以下の点で「まし」です。
※ タミール語がインドで発展した言語であることを正しく位置付けている。
そして、これは絶対に説明を欠かせないポイントです。
大野晋のタミール語説は、言語と稲作を中心とした農耕文化をワンセットで考えています。したがって大野説をとるなら、タミール語がやってきたのはそれほど古いことではありえません。最近の弥生の開始年代見直しの議論を取り入れても、BC900年くらいがせいぜいでしょう。
あなたは大野説など捨て去って、日本語はスンダランドのドラビダ祖語に由来するのだという説を展開しているようにも思えます。それなら、私に異存ありません。「大野晋」「タミール語」というキーワードを排除することを希望するのみです。
》インドネシアを素通りして日本まで来たというのですか?
素通りのはずがありません。
「支石墓はスマトラ、マレー、ベトナム、長江下流、沖縄、西北九州、北南韓、遼河下流のように点々と存在」しているんでしょ?
つまり、考古学は考慮しています。
ただ考古学は意外と頼りなくて、支石墓文化の流れを明確にたどるまでに至っていないようです。私はインド→東南アジアの向きだと思いますが、これは絶対の要件ではありません。
》地勢学を抜きに
くどいけれど、「タミール語がインドで発展した言語であることを正しく位置付ける」ことが必須。
海流の向きなど、これに比べればどうでもよい要件です。現に後世のアラビア人も中国人もヨーロッパ人も、東へ進むことが可能でした。
》少数のタミル人の男が来た程度でタミル語が日本に広まることはあり得ません。
そうですね。しかし、現実にこれが起こったのでしょう。
私にはタミール語と日本語が深い関係にあるという確信があり、それを合理的に説明せよと迫られ、もっとましなアイディアを思いつかない。満足というわけでは、全然ありませんが。
》まあ同じ九州説ですから畿内説をやっつけてからにしましょう。
1)やっつけるのは永久に不可能でしょう。
2)私自身はもうやっつけ終わったと考えています。
3)「九州説」ってなんのこと?
2004/05/22 00:28
>>No. 977
》ところで「クレオール」と言うのは二つ以上の言葉が入り混じってピジン語が発生してこれが定着したものと解釈していますが
http://cobalt.lang.osaka-u.ac.jp/~yamasita/newpage225.htm
http://www.info.sophia.ac.jp/fs/fukusen/gengo/gen-0404.htm
あなたは何か変な本を読んでいませんか?
>※ タミール語がインドで発展した言語であることを正しく位置付けている。
正しくないかもしれないとは考えた事はないのですか?
私は定説と言われる物も一応は疑って見ることにしています。
日本語の母体になったのは縄文語であり弥生時代の言葉ではない。
なぜなら縄文時代の骨の特徴は全国均一であり、弥生人も北九州と中国地方に来ただけで全国に広まった様子はない。
従って弥生人の言葉は日本語のルーツにはなり得ない事を考えるべき。
>日本語はほんの1〜2世代で生まれたのでしょう。
ありえません。
数百人しか住んでいない小さな小島ならばあり得る事でも百万以上の人間が住んでいた日本列島では。
しかも縄文人は船を使って交流していたのです。言葉は地方によって大きな隔たりはなかったでしょう。
>あなたは大野説など捨て去って、日本語はスンダランドのドラビダ祖語に由来するのだという説を展開しているようにも思えます。それなら、私に異存ありません。「大野晋」「タミール語」というキーワードを排除することを希望するのみです。
賛同して頂いて有難う御座います。
私はタミル語と日本語によく似たところがあるのを認めるだけで大野晋を支持しているとは始めから言っていません。
これまで「大野晋」と言う名前も出さないで来ました。
>支石墓はスマトラ、マレー、ベトナム、長江下流、沖縄、西北九州、北南韓、遼河下流のように点々と存在」しているんでしょ?
「点々と存在している」事は沿岸を徐々に移動したのではなく、海流に乗って一気に進んだことを示しています。
前方後円墳が南韓、九州に現れる前に四国、近畿に現れたように。
歩く、又は沿岸航行で移動した物ならビルマやタイにも作られたたでしょう。
2004/05/22 02:27
>>No. 978
何という表現でしょう!
デレク・ビッカートンの
「言語のルーツ」
は、良い本でした。
その後の発展は知りませんが...
大修館から翻訳が出ていた筈(記憶曖昧)。
では、消えます。
2004/05/23 00:39
>>No. 978
》あなたは何か変な本を読んでいませんか?
まったくもう。せっかく講義をしてあげたのに。
クレオール現象は言語学者でも本質を理解できていない人がたくさんいるのです。ましてや、素人の書き散らしたものなど何ほどの意味がありますが。
この件で私と議論をしたいなら、取り合えずスティーブン・ピンカーの「言語を生み出す本能」と「心の仕組み」を読んでください。両方ともNHKブックスです。
あのね、日本人の幼児が日本語を習得するのは、彼・彼女が作り出したクレオールがたまたま日本語なの。わかるかな?
(わかるわけ無いから、言い換えると)母語の習得もクレオールを生み出すのも、脳の同じ機能です。クレオール現象の理解に「母語」というキーワードは欠かせません。
》>※ タミール語がインドで発展した言語であることを正しく位置付けている。
》正しくないかもしれないとは考えた事はないのですか?
ないよ。
》私は定説と言われる物も一応は疑って見ることにしています。
私も似たようなことを言っているけれど。疑う根拠が問題ですね。あなたはドラビダ語について何を知っているの?
》>日本語はほんの1〜2世代で生まれたのでしょう。
》ありえません。
すべてのクレオールは、極めて短期間に生まれています。
》日本語の母体になったのは縄文語であり弥生時代の言葉ではない。
これは常識的な理解ですね。
大野晋はタミール語説を言い出す前から日本語の起源について深い考察を重ねています。その時代の書き物を読むと、文献で知ることのできる古代の日本語がかなり新しい言語であるという漠然とした認識を持っているように思えます。
》賛同して頂いて有難う御座います。
「タミル語」も使わないで、スンダランド・ドラビダ祖語にしてね。
2004/05/23 01:01
>>No. 980
スティーブン・ピンカーの「言語を生み出す本能」と「心の仕組み」も名著です。
翻訳本は、チョムスキーの推薦オビ付きだった筈(曖昧な記憶)。
この件でcyber_ekさんと議論をしたいなら、
mutouhaさんは、
チョムスキアンの言語心理学者 大津由紀夫先生(慶大)のもとで修行すると良いですよ。
では、また消えます。
2004/05/23 08:17
>>No. 980
>クレオール現象は言語学者でも本質を理解できていない人がたくさんいるのです。
クレオールの定義が定まっていない事は初めて知りましたが、言語学者であれ素人であれ多数がピジン・クレオールを接触言語と理解しているならそれに従うべきでしょう。
>取り合えずスティーブン・ピンカー・・・を読んでください。
小林行雄の本を読めと言っているような。
彼の本なんぞ読まなくても三角縁神獣鏡は魏鏡ではない事はわかります。
>あなたはドラビダ語について何を知っているの?
何も。
>すべてのクレオールは、極めて短期間に生まれています。
先の「ジャン」でさえ4代掛かって一部地域に広がっただけです。縄文弥生時代ではその伝播スピードは遅かったでしょう。
1,2代で日本語が出来あがったという説は受け入れられません。
ピジンかクレオールかわかりませんが、日本語の語彙には南方語の要素が強く、一方北方の語彙もまぎれている。
南方語の方が古く、北方語は新しい。
弥生時代に南方語が来たと話もないでしょう。
2004/05/23 10:54
>>No. 30
こんにちは
千葉県の一番高いところに鹿野山というところがあり 昔 そこに船(カヌー)が たどり着いたところから 鹿野山という名前となったそうです。つまりそのころは回りは海の底であり鹿野山が陸に出ていたということになります。
また 船という言葉そのものも カヌーとは同じ言葉であり Kの音は簡単に落ちるため KHANOO が 船 HUNEに変わったのだそうです。
これがどこに書いてあったのか 鹿野山の縁起にかいてあったのか は忘れました。
私はこの話を思い出すたび 鹿野山と 旧約聖書のノアの洪水を 思い出してしまうのですが。
2004/05/23 13:24
>>No. 959
私如き素人が決め付けたようなことを述べ立てなくてもいいことですが、知れたことは報告しないと他の読者の方が疑問に思ったりすることもあるとおもいますので、調べただけのことを申し上げます。
登呂の遺跡では苗代育苗は無理であったと推理されています。
史料にあるかぎりは、日本の水田は苗代があるのが当たり前になっています。直蒔きものもあるというような表現です。
中国でも韓国でも田植えの歴史はあります。
田植えとともに農業が渡来したことはないでしょう。
鉄製鍬などの普及とともに始まったと大概の基本的な歴史書に書いていました。
2004/05/23 21:03
>>No. 984
百科全書に
>苗代は、水稲が直播(じかま)き栽培から移植栽培にかわった奈良・平安時代ごろから始まり、現在に至っているが、いろいろの形式が時代とともに変遷してきた。(C)小学館
とあります。以下、もう少し引用させてもらいます。
【ビニル苗代】
>苗代の上にビニルをトンネル状に被覆して保温するもので、・・・昭和40年代には寒冷地ではほとんどこの形式にかわった。(C)小学館
【温床苗代】
>ビニル畑苗代の床下に醸熱資材あるいは電熱線を埋設して加温するもの。北海道や東北などの寒冷地で、より早期により安全に育苗する方式として用いられた。(C)小学館
qhnjt072さん> 鉄製鍬などの普及とともに始まったと大概の基本的な歴史書に書いていました。
「鉄」無しには「苗代」は無理なのでしょうね。
今も昔も農耕技術の発展は鉄とか二ビルとか電気の発明と、農家の努力があってこそだなあと思います。
2004/05/24 00:38
>>No. 982
私は書きたいことを書きます。
》クレオールの定義が定まっていない事は初めて知りましたが、
そんなことは誰も言っていません。「クレオール現象は本質を理解できていない人がたくさんいる」がどうして定義が定まらないことになってしまうのか、理解できません。
》多数がピジン・クレオールを接触言語と理解しているならそれに従うべきでしょう。
なんだ、こりゃ? あなたも真理は多数決で決まると考えているようですね。
ところで、ピジンの定義こそ結構いいかげんです。
》彼の本なんぞ読まなくても三角縁神獣鏡は魏鏡ではない事はわかります。
スティーブン・ピンカーの「言語を生み出す本能」を読まずにクレオールを語ると、あなたのような恥ずかしい発言をすることになります。
》1,2代で日本語が出来あがったという説は受け入れられません。
新しい言語が短時間に出現することを認めないで、ニューギニアやオーストラリアやアメリカに何百も言語があることをどう説明しますか。
しかし、出来上がるのと広まるのは違います。広まるには時間がかかるでしょう。
日本は日本語で統一されています。しかし、西日本・中部・関東・東北に断絶があり、日本語以前の言語状況を反映しているのかもしれません。
》弥生時代に南方語が来たと話もないでしょう。
あなたが認めていない大野説があります。
2004/05/24 03:08
>>No. 981
志賀と知珂
同じ島ではないけれど、
志賀と知珂
同じ意味なのでは?
鹿という意味だったら面白いのに...
志賀 安曇、穂積、綿津見
知珂 薩摩、大隅、山津見
南から来た海人たち...
2004/05/24 19:43
>>No. 986
貴方が『スティーブン・ピンカーの「言語を生み出す本能」』読んだのは判りましたが他に言語学に関する勉強はされたのでしょうか?
例えばチョムスキーは?
貴方から聞いたスティーブン・ピンカーはチョムスキー「生成文法」のパクリのような印象を受けます。あるいは弟子?
(私もチョムスキーの本の解説程度しか読んでいませんが。彼の提唱した「生成文法」は、人間は生まれながら遺伝的に頭の中に「普遍文法」を持っているという超合理主義である。だそうです。)
その上で「あなたのような恥ずかしい発言をすることになります。」のような発言をされているのでしょうか?
「本能で母語を獲得する」などと言う仮説はアメリカの黒人はスワヒリ語を話すといったトンデモになりませんか?
これを貴方が支持するのは勝手ですが他の言語学者が支持しているとは思えませんが?
>》多数がピジン・クレオールを接触言語と理解しているならそれに従うべきでしょう。
>なんだ、こりゃ? あなたも真理は多数決で決まると考えているようですね。
言葉と言うより名前の定義の問題ですからね。
クレオールの命名者がスティーブン・ピンカなら彼に従うべきかも知れませんが、クレオールに他の人と違う意味を求めるなら違う名前を付けた方がいいと思います。
>新しい言語が短時間に出現することを認めないで、ニューギニアやオーストラリアやアメリカに何百も言語があることをどう説明しますか。
若者の間で新しい言葉が流行することは認めますよ。でもそれを「新しい言語」というのですか?
近隣との交流がなければ少しづつの変化でも大きく変わってしまうでしょう。
日本の方言も大和朝廷の日本統一や江戸時代の参勤交代がなければもっと大きく違ったでしょう。
>》弥生時代に南方語が来たと話もないでしょう。
>あなたが認めていない大野説があります。
弥生時代にタミル人が来たとして何処にどの程度来たか、考古的遺伝学的に合理的に説明できなければ説として完成しているとは言えません。
私の方が合理的な説明になると思います。
2004/05/24 22:27
>>No. 988
別に、言語獲得の問題を議論するのに、
チョムスキーとか、言語学を勉強していなくても構わないのですが...
因みに、言語獲得の研究は、言語心理学という確立された一分野に存在しています。
日本では、心理言語学という訳の方がよく使われますが...
・「本能で母語を獲得する」などと言う仮説はアメリカの黒人はスワヒリ語を話すといったトンデモになりませんか?
・若者の間で新しい言葉が流行することは認めますよ。でもそれを「新しい言語」というのですか?
こんな発言を繰り返すということは、cyber_ekさんの言っていることが理解できていないということですね。
消えては現われる外野席の観戦者でした。
内野席は、ファール・ボールが危険!
2004/05/24 23:16
>>No. 1
金田一春彦先生がお亡くなりになりました。
私らが中学生の頃は、お父上の京助先生が国語会の天辺に自然と君臨しておられるようでした。
誰もが文句も無く心安く戴いていたような感がありました。
そういう三角錐の揺籃期時代ってあるもんですね。
春彦先生は歌が好きな方でしたが、私も歌謡曲を人生の最高の出会いの一つに考えるほど尊んでいますが、全国民的に大御所の位置に安定して信を得られるスターの時代はもうないでしょう。
京助先生はフィールドワークに及んだ開拓者であるので、国語学会のようなところでは、圧倒的に重みがあったものとおもわれます。
また春彦先生が優しい方であるように、人懐っこい感じで、アイヌの人々との心置きない交流が想像されます。
同じ岩手県人の新渡戸稲造も人情肌の人で、夜学校とか結婚の世話焼きとか、アイヌの人々に積極的に介入していました。
遺伝学的にいえば、アイヌの人は唇が厚く二重まぶたの南方渡来系ですが、どうして新アジア系はこんなにもはっきりと氷地仕立てになるほど辺地にいたのか、スマトラボルネオで大繁栄してからゆっくりと中原に子孫が広がるのが自然でしょうが、決してそうはならなかった。
きっちり寒いところにいた一団だけがすっかり東アジアを占めている、これは人類史的人間の移動の目覚しい例の一つではないでしょうか。
プロの方の解明指摘があるとうれしいですね。
2004/05/25 00:08
>>No. 990
なんかテレビで
雨降りお月さんを
国語として解説した後
いきなり歌い出したのが印象的だったなあ。
しかもなぜか
歌のほうが本気だったなあ。
本来の言語学者には自分で音を再現できることも大事なんでしょうな。
ちなみに
金田一はただしくは2音節で
きん・でぃやーち、です。
言語学の先生が
本人から聞いたと講義で言ってました。
2004/05/25 00:46
>>No. 988
葛根湯さんから勝負あったと声が飛んでいます。もう打ち止めにしたらいかがですか。この調子なら私はいつまででも続けることができますよ。
》「本能で母語を獲得する」などと言う仮説はアメリカの黒人はスワヒリ語を話すといったトンデモになりませんか?
これは「恥ずかしい発言」の典型です。
スティーブン・ピンカーはMITの教授で、この分野ではスーパースターの一人です。敵も多いが、トンデモ説を書き散らして糊口をしのいでいるライターではありません。
彼は、言語学者というよりは脳の機能に興味を持っているのです。彼の研究のポイントは、幼児の脳が言語を獲得するとはいかなる現象か、です。チョムスキーの「人間は生まれながら遺伝的に頭の中に普遍文法を持っている」をピンカー流に表現したのが「言語を生み出す本能」です(もっともこの題は意訳で、原題は単に The Language Instinct です)。
》その上で「あなたのような恥ずかしい発言をすることになります。」のような発言をされているのでしょうか?
これはまあ、売り言葉に買い言葉で、「あなたは何か変な本を読んでいませんか?」が許されるなら、この程度はいいかなと思いまして。
》クレオールに他の人と違う意味を求めるなら違う名前を付けた方がいいと思います。
コロンブス以降に生まれたクレオール語は、疑問の余地無くクレオール語であると認識可能です。つまり「ピンカーの定義によるクレオール語」などといった概念は存在の余地がありません。ことばの定義の問題ではありません。
》若者の間で新しい言葉が流行することは認めますよ。でもそれを「新しい言語」というのですか?
いうわけ無い。
ニューギニア高地人の間には700の言語があるといわれています。谷ひとつ隔てた村で方言の違いどころではない、語族が同じとも思えないまったく異なる言語が使われていることがめずらしくないそうです。こういう状況は、何千年かの隔離により離れたしまったという説明が通用しません。
》弥生時代にタミル人が来たとして何処にどの程度来たか、考古的遺伝学的に合理的に説明できなければ説として完成しているとは言えません。
だから私は最初からアイディアは無い、と申し上げています。あなたのしょうもない思い付きより多少はましな思い付きだと申し上げています。
》私の方が合理的な説明になると思います。
ありえない!ことを説明しても納得いただけない。
九州王朝なかった派を「やっつけるのは永久に不可能でしょう」と言った背景はこれ。
2004/05/25 00:52
>>No. 990
》きっちり寒いところにいた一団だけがすっかり東アジアを占めている、これは人類史的人間の移動の目覚しい例の一つではないでしょうか。《
これは、「スマトラボルネオで大繁栄してからゆっくりと中原に子孫が広がるのが自然でしょうが」と明らかに矛盾するので、その前提を捨て去ればスッキリします。東アジア人はスマトラボルネオからやってきたのではありません。レバント地方からコーカサスを超え、マンモスを追って中央アジアの森林と草原の接するあたりを通って、先ずシベリアに現れたのです。あらゆる証拠が東アジア人がこのルートを通ったことを示しています。
2004/05/25 00:55
>>No. 993
南方形質の二重まぶたのアイヌ人
母音終わりのオーストネシァ語の影響。
これを説明するには
北方から南下して
また北上するしかないんじゃないかな?
2004/05/25 02:08
>>No. 994
> 北方から南下して
> また北上するしかないんじゃないかな?
アフリカから北に向かわず、ずーと東に移動して
北上した方がシンプルです。
以前から新旧モンゴロイドの説明に違和感を持っていたのですが、以下を読んでスッキリしました。
------------------------------------
【適応進化?】
人類学者の多くは、人種の特徴を単純に環境への適応として片付けてしまう傾向にあるが、これらは矛盾にあふれている。
・・・人類学者はネアンデルタール人が氷河期に存在した人々で寒冷気候に適応した結果、肺に送られる空気を少しでも体温で暖めるため大きな鼻と立体的な顔で肺との距離を稼いだためだという。
一方北方アジア人の・・・低い鼻や彫りの浅い顔は、ネアンデルタール人とはまったく対称であるにもかかわらず、やはり同じく寒冷適応の結果で熱を奪われないように体表面積を最小にした結果だという。・・・
北方アジア人の目が、細いのはやはり寒冷気候に適応した結果で、雪上での日光の照り返しから、目を保護するためだという。
では何故、ポリネシア人は目が細くないのだろう? 日光の照り返しは、南太平洋の海面の方がよっぽど強いはずだ。
更に北欧人といえば、スタイルの良い長い手足に彫りの深い顔が誰でも思い浮かべられるが、彫りの浅い顔やずんぐりむっくりの体形が寒冷適応の結果なら彫りの深い顔や長い手足は、熱帯適応の結果に他ならない。
事実、人類学者は黒人がスマートなのは、熱帯適応の結果、体表面積を増やすため手足がすらりと伸びた結果だという。
このように、人種の特徴は、それぞれを専門に研究する学者が環境にこじつけているだけで、相互にまったく関連性は見られず矛盾だらけなのだ。
http://www.gondo.com/g-files/aborig/aborig1.htm
2004/05/25 05:43
>>No. 995
バイカル湖のブリヤ−トのDNAが
宮古島やアイヌ人のDNAより古いのを
説明しにくくなる。
血液型DNAの亜細亜人の特徴の3因子の
割合が宮古島やアイヌ人が古く
ブリヤートにいたるまで薄くなる分布なら良いが、
現実は逆になっている。
2004/05/25 07:54
>>No. 996
> バイカル湖のブリヤ−トのDNAが
> 宮古島やアイヌ人のDNAより古い
現代人のDNAですか?
疎いのですが、現代人のDNAなら古いとか新しいとかないですよね。
同じですよね。(←ほんと、DNAなんて、難しいです)
しかしそよれよりもDNA鑑定は、まだまだサンプルの数が少なく、偏りもあると聞いています。
http://www.dai3gen.net/mt00.htm
その一例です。
>しかしながら、うまい言い方が工夫できていないようで、どうしても、日本人のDNAの種類、だとか、アイヌのDNAだとか、そういう表現、表記で記述がなされる。端的に云って尾本さんの本でいう「日本人116人」というのは静岡県三島市在住の人のことなのだ。そして、尾本さん自身がMtDNAの塩基配列には地域差が見られる、としているのだ。
http://www.dai3gen.net/mt04.htm
2004/05/25 12:20
>>No. 997
銅鐸さん》南方形質の二重まぶたのアイヌ人
銅鐸さん》母音終わりのオーストネシァ語の影響。
どうでしょうねえ。気分で判断してはいけないけれど、アイヌが南方から来たという雰囲気を、私は感じませんが。
銅鐸さん》これを説明するには北方から南下してまた北上するしかないんじゃないかな?
倭人は南からでしょうが、アイヌは保留。
ひつじさん》アフリカから北に向かわず、ずーと東に移動して
ひつじさん》北上した方がシンプルです。
シンプルでないことがたくさんあります。例えば東アジア人はいつごろ何処で薄い色の肌を獲得したか、南回りで説明してください。
私は(タミール語の来た道とは違って)、東アジア人北回り説に絶対の自信をもっています。
ひつじさん》以前から新旧モンゴロイドの説明に違和感を持っていたのですが、以下を読んでスッキリしました。
しかしねー、こんなのはありえません↓。
「レークマンゴーで、現代人の新たな血筋が発見された事により少なくともアボリジニに関しては、アフリカ起源の直系の子孫ではないと言えるだろう」
ひつじさんの違和感はごもっともですが、諸悪の根源は縄文人とかアイヌとかいったアプリオリなグループ分けにあります。日本本土の倭人全体が何処から来たかなど意味のない議論であることはいうまでもありません。
2004/05/25 13:06
>>No. 998
南だよ。
沖縄同様の毛深く彫りが深い。
最大の理由は、狩猟じゃなくて
畑作と漁労の民だと言うことだ。
シリカァプを小船に銛一本で仕留めるのは
山の民の仕業じゃあないんだ。
当然オホーツクやモンゴルのやりかたでもない。
南方しかないんだよ。
2004/05/25 15:47
>>No. 999そうか