.レイカーズと片耳 レイカーズと片耳 2004年6月××日火曜日 マンションの自転車置き場の前で、いい年した中年つまり僕は平日の真っ昼間から自転車のブレーキパッドを替えていた。 時折通りかかる近所のご老人達の視線が気にはなるのだけど、これを修理しないとより良い経済活動ができないのだ。ポンコツ3台より新品を一台。そう思わずにはいられない。 強い日差しにうだるような暑さ。 梅雨は気がつかないうちに終わったんだろうか。 ワイヤーを力一杯引っ張りながら、なんとか片方をつけた所で力を使い果たした。ヨタヨタと傍らの植え込みの隅っこに腰をおろして、パンツを膝まで巻き上げると空を見上げた。 「ネオ」とどこかで声がする。声ではない鳴き声だ。猫の。 左手を見やると自転車の間から黒猫が、目を光らせている。猫ってのは涼しい場所を探す天才だ。雨よけの屋根の下のあの日陰あたりが涼しいのだな。きっと。 じっと見てるとじっと見返している。そっと腰をあげる。と、猫はすっと後ろに下がる。でも逃げない。 飼い猫なんだろうか。綺麗な真っ黒な猫だが首輪もないし、少し距離を詰めると向かって左側の耳が欠けているのを発見した。喧嘩をしたのか犬に食いちぎられたのか、三角の耳は一部分が小さな半円のように欠けていた。 ちゅちゅっと唇で音を立てながら近づく。パンツの右ポケットにのど飴が入っているが、猫って飴を食べるんだろうか。おそるおそるポケットに手を伸ばし飴を探る。猫はちょっとした動作でざっと後ろに下がり、またちょっとだけ前に近づいてくる。 飴を投げると大きく飛び退きそれからまた近づいて匂いをかぐような仕草を見せた。 そこでハッと人の気配を感じた。 右手を見るとすぐそばの道の真ん中に男のすね毛が薄い足が見えた。見上げてちょっと後悔した。 高校生くらいのいわゆるB-Boyの格好だ。膝よりちょっと下までの太い深いグリーンのアーミーパンツにアディダスのスニーカーを素足に履いている。上はレイカーズと染め抜いてあるがパチモン風。すごく時代遅れな気がするのだけどまだレイカーズ、人気あるんだろうか。不敵な四角顔はキャップでよく分からないが妙に離れた小さな目はギラっと光っているし、右の耳には3つ左には2つの銀のピアスがついている。できれば近づきたくないタイプだ。 じっとこちらを見ているが、その間に猫がダッシュで逃げ出したのを見て「あ」とそちらに魂を奪われたようだ。 ちょっと僕の顔を見て「俺の猫だから・・・」と、言い訳めいた事をつぶやいて猫が走っていった方に少し小走りに去った。 顔に似合わず声は妙にまるっこかったのが気になって、いつまでもその声が陽炎みたく残っているようだった。 2004年7月××日土曜日 仕事があるので早朝に家を出ると、すぐ近くのコンビニの前で片耳の猫に再会した。コンビニの脇に積み上げた段ボールに背伸びするような形で顔を突っ込んでいた。 レイカーズはさすがにいないようだった。 2004年7月××日火曜日 深夜コンビニに向かう途中、隣の小さな本屋の駐車場の暗闇に4人ほどの男がたむろっていた。2台の自転車、2台の原チャリの傍らで地べたに座り込んで、ぼそぼそ話している。よく見る光景だ。 古い街灯が暗いスポットライトのように悪ガキどもを照らしているが、その中に見覚えのある顔があった。レイカーズ。ただ今日は普通のTシャツのようだったが。いつも見かけるあの連中の中に彼はいたのか。と、気づいた。 彼は間違いなくピアスを光らせながら、僕の顔を見たがすぐに顔を背けたようだった。気づいたかどうかは分からない。 まあ、面倒はごめんだ。今の僕なら逃げるしかないだろうし。 2004年7月××日金曜日 夕方、自転車でぶらぶらと帰宅している途中にマンションの誰もいない小さな公園で、レイカーズと片耳の猫を発見。ベンチに腰掛けて前屈みの姿勢でエサをやっていた。 片耳は彼の真っ正面に行儀良く座ってカンヅメのような物に口を突っ込んでいる。 心なしかレイカーズの顔も少年のように見える。 やたらとチェーンが垂れている強烈なアーミーパンツに黒のTシャツ。柄は見えないがクビの周りにはラスタカラー風のやたら太いネックレスがついている。 時折片耳は彼の顔を見上げて「ネオ」と小さく鳴いた。 「ん?ん?」という仕草で猫に顔を近づける。初対面の印象とは随分違う。見ている方もなごむようなコンビだ。と思った。 ちらっと僕と目があった。少し目だけが笑ったようにも見えた。 少なくとも彼は学校には行ってないよう。猫も飼い猫ではないことだけは確信した。 夕暮れのオレンジ色の光の中で彼の耳は鈍い銀色を光らせていた。悪くない絵だ。 2004年7月××日土曜日 打ち合わせから戻るのにバスを使用したのが間違い。うっかり一つ先のバス停まで乗り過ごしてしまった。 体調も優れないし、歩くのがツライ炎天下の日だった。 川沿いの美容室の前を通りかかったところでレイカーズを発見。ここの所外に出ると彼を見かける機会が多いような気がする。。多分ご近所さんなんだろうけど、今までそんなに彼を見た記憶はない。今まで見てはいたけれど眼中に入ってなかったということだろうか。あれほど強烈なルックスをしていたらそんな事もなさそうだけど。 今日はペンキを塗りたくったシャツのような物を来て、多分友人と喋っている。向かい側のたばこ屋のジュースの自動販売機を挟むようにして立っている男は、同じような格好のずっと幼い顔。彼はいくつなのだろうか そのまま反対側の道路を通過しようとしたら、突然話をやめて彼が向こうからちょっと小走りに近づいてくる。正直ドキっとしてちょっと身構える。 「あのー。すんません猫見てないすか」 例によってルックスとギャップのあるまるっこい声。思いの外丁寧なカンジ。 「うーん。最近ここらにいなかったから」 と、言い終わる前に「ああ、じゃいいすいいす」と、戻っていってしまった。挙げ句ちょっとだけ会釈すらする。 最近のコはよくわからない。ホントに。 ところが自宅の周辺に近づくと、片耳が自転車置き場近くの花壇をウロウロしているのを発見してしまった。 しばらく考えて、おせっかいな事にたばこ屋にもどってみた。 もう、彼の姿はなかった。 自分のバカさにあきれ果てつつ戻ると片耳はまだウロウロしている。 なんとも言えない気分。 教えてやりたいような、ちょっとレイカーズと言葉を交わしてみたいような。そんな気分だった。 猫はいきなり立ち止まって横を向いて僕の顔をみた。そして「ネオ」と例の変な鳴き声で鳴いてどこかに行ってしまった。 考えてみれば猫も野良なら、彼もどこの誰やらわからない。恐らくこのマンションの住人だろうけど。彼も恐らく居場所のない孤独な野良だ。そして彼らとしょっちゅう出会う自分もまた野良みたいなもんだ。 僕まで行き場が無くなったように、しばらく馬鹿みたいに炎天下に立ちつくしていた。 2004年8月××日日曜日 しばらく家を空けたり多少なり多忙だったりして、2週間ほど時間が空いた。 その日は雨。 病院との行き来に自転車も使えず、やたらと細かい霧雨のような雨の中を歩くのは鬱陶しいことこの上ない。気分まで凹んでしまいそうだ。一歩歩くと水滴の膜がぺっとりとついてくるようなそんな嫌な天気だった。 例のたばこ屋の前を通りかかると、久しぶりにレイカーズが軒先にしゃがんでジュースを飲んでいる。傍らには見覚えのある折り畳み自転車。こうやってパッと見ると、彼は実に立派なチンピラだが。実は心優しい少年なのだよ。とも思う。 視線は僕の方向を向いているのだけど見えていない感じ。つまり彼は魂が抜けているようだった。 ちょっと話しかけてみたい。そんな酔狂な気持ちがぐっと盛り上がってしまって興味本位な気持ちが抑えられなくなった僕はタバコを買うフリをして近づいた。 膝の上に両腕をだらんと乗せて、口からなにかが出てしまいそうな顔をしていた彼はふぅっと僕の顔をつまらなそうに一瞬見上げて、それからちょっと会釈をした。 「猫、見つかった?」 と、何気なく聞くと、前を向いたまま微かに首を左右に振るわせた。。 それでちょっと落ち込んでいるのだろうか。まあ、大人の悪い癖だ。僅かに知っている情報だけで世界中の事が関連づけられるような気になっている。元気なときもあればへこむことだってあるのだ。 霧雨のスクリーンは静かに僕と彼の間にカーテンを閉じようとしているようだった。 どうしていいのか分からない嫌な間があいたので、僕は自動販売機にコインを入れた。サーっという雨音にちゃりちゃりっというコインの落ちる音。ごとんごとん。タバコの落ちる音が気まずさを少し緩和する。 つまらない事を聞いた。さっさと帰ろう。 「死んだかもしんねえ」 彼は唐突に正面を向いたままそう言った。 「死んではないんじゃないか」 すると、はじめて彼は意志のある顔で僕を見上げた。てめえ根拠もなしにいってんじゃねえよ。という所か。 「わかんないか」 と、あわてて言う。 それきり彼は黙った。 「あのさあ。見つけたら連絡するよ」 どうやって?と自分で心の中でつっこんだが、彼は特に反応しなかった。 「死んでねえかなあ」 かなり間があってぼそーっと言う声に、彼にとって猫はかなり大事な物だったのではないか。という気がした。 「猫ってさあ、死ぬときは主人の前から姿を隠すっていうしなあ」 と、言ってそれはちょっと場違いな発言だと反省して、横目で様子をうかがうと、彼の見上げる視線とばっちり合ってしまった。気まずい。 彼は視線を外さず、ぼーっと僕の顔を見続ける。今度は真意がわからない。 「マジで?それ」と、彼は例のまるっこい声でささやくように言った。 「うん」 本当だかどうだか記憶はあやふやだが、彼は僕の言葉を聞いてからまた顔を戻した。 もう話すことはない。僕は傘を開いて無言で歩き出した。 「あのう」と僕の背中に彼の声が追ってきた。 ぴたり。と、止まる。 振り返ると霧雨のカーテンの向こうに彼は居て、そのままじっとしていたら彼はカーテンの向こうで雨と一緒に消えてしまうのではないかと思われた。彼は相変わらずぼんやりしているけど、口を両端に引っ張って笑顔っぽい顔をしている。 そして、ちょっと歯を見せて「うぃす」と会釈した。 「死んでねえと思うよ」と言ってちょっと笑ってやった。 小鼻のあたりに皺をつくって顔をくしゃっとすると、拳をやる気のないフックのようにゆるーっと顔の前で一振りしてまたちょっと歯を見せた。流行りの挨拶かも知れない。だけど僕は知らない。その時彼はホントは中学生じゃなかろうかと思った。初めて見たそんな彼を見ながらそう思った。 しばらく歩いてもう一度だけ振り返ると、彼はカーテンの向こうで本当にどこかに消えてしまっていた。まあ、多分どこかに帰ったのだろう。帰る場所はあるのだから。 それだけだ。 今思うと、彼の笑顔がよくわからなかったけどなんとなく思う。彼は自分が「主人」であることを確信して嬉しかったんじゃないだろうか。 それから今のところレイカーズは見かけない。片耳も。まあ、あまり出歩けなくなったりしたせいもある。 でもレイカーズは今も、どこかで片耳を捜している。きっと。だって彼らは野良だから。野良の僕はそう思うのだ。 Tin 2004.8