.たったの10日間。 地元なんかに帰ってくると、街を歩いていても偶然知り合いにバッタリ会うなんてことが良くある。 偶然バッタリなんてもんじゃない。歩けば何度かに一回は会う羽目になる。 狭い街だし、職場もここだったし。 たいがいは会釈して通り過ぎたり、ちょっと立ち話をしたり、せいぜい型どおりの挨拶をしたりして「また一度飲みましょうよ」なんて、いつ来るとも知れない偶然を約束したりして。 ちょっと息苦しい気分になったりすることも多い。 今日もそうだった。少し特殊だけれど。 スターバックスで知り合いに会った。 僕はタバコを吸いたくって、外でダウンに首をうずもらせてラテかなんかをぼんやりすすっていた。 いい天気。寒いけど。 外の空気が恋しくなって、よく外でコーヒーを飲んだりする。 平日独特の気合の入っていない人々を眺めながら、ぼんやりするのは気分はいい。 この外の風景に埋もれていくような気がして。それは後ろ向きだが悪くないと思う。 そんな時に彼女と会った。 通りに向かって足を組んでだらしなく座っていたんだけど、肩越しに店内を見てびっくりした。 ガラス側の客席の間から彼女の姿が見えた。 僕の記憶にある彼女からすれば、母親のように見えるが決して僕をがっかりさせない、綺麗な年輪を重ねているように見えた。 僕の生涯で、一番短い期間付き合った彼女。たったの10日間。 もう2桁も昔の話。 その頃、僕は社会人2年生で前向きでやんちゃで自信満々で、ちょっと生意気だった。 彼女は。ガラスの向こうの奥の席に座る彼女の娘のようだった。 どことなく優雅に見えるが、細かなしぐさからはエキセントリックな性格が見て取れる。つまりいいトコのわがままな女の子だった。 その頃、いつも遊んでいたクラブの常連の一人だった。 ショートカットで目がくりくりして、針金のように細い、見るからにエキセントリックな風貌を持っていた。たまに話をする程度の知り合いだったのだけど。 ある日彼女が唐突に言った。 「つきあってくんない?」 とても驚いた。 「10日間くらい」 もっと驚いた。 そうやって、僕は彼女と付き合うことになったんだ。 会社が終わると、通用口の外で彼女は待っていて二人で食事したり、映画に行ったり。 彼女の家から会社に通ったことも2回。 いつも彼女の話は他愛も無くて、やれ同じ会社の同僚は不倫してるだの、生理の2日目に必ず貧血になる話だのを楽しそうに話した。時には僕のほうがつまらない話で圧倒するときもあった。すると彼女はもっと喜んだ。機嫌が悪いと貝のように押し黙った日も1日あった。 彼女のマンションは、親に借りてもらったらしくて随分立派なマンションだった。 淡いイエローに統一された、シンプルなレイアウト。ということは、たっぷりお金がかかってるということでもある。 円形の大きな天板に、スチールの細い足がついたテーブルの上にはいつも大きなカフェオレカップがあった。僕はどんぶりと呼んでいた。 キッチン側に彼女が座って、向かいがわに僕が座る。 そうすると一つだけ違和感のあるものが目に入る。それは居間にある高さ50センチくらいの古い桐のタンス。タンスっていうのだろうか。仏壇のような深いブラウンのサイドボードにも見える。 おばあちゃんが使っていた私の宝物だと、彼女は言った。 その話をする時の彼女は美しかった。身の回りに張り巡らされた、薄くて頑丈なバリアがふっと消えるような。無防備になるように思えた。 僕らはちょっと似た物同士だった。 お互い忌まわしいバリアを張って生きていた。他人が踏み込むことができない、強固な最終防衛線をまとっていた。本人にとってもどうしようもない、やっかいなシロモノだった。 しょうがないからバリアの外に肉付けをして、偽りの自分を作るしか無かった。 だけど、いずれは鋼鉄の壁を越えきれずにそっと離れていくのを見送るしかない。そんなダメなところがなんとなく似ていた。 彼女は明らかにヘンだったが、最初からうまくいく予感があった。 そしてそんな予感は、まるで嘘のようにあっさり覆された。 約束の10日間は実際は13日だった。僕が3日間粘ったからだ。 9日目の夜。彼女は激しく嘔吐した。 元々、あまり体が丈夫ではなかったらしい。病名は聞かなかったが、病院の薬袋から大量の薬をむさぼるように飲んでとりあえず落ち着いた。 彼女の体が心配だった。 もうちょっと一緒にいようよ、と僕が提案したのだけど彼女は別れてくれと僕に言った。 それは嘘だ。 嘘はいけない。体が心配だったのは口実だった。 実際のところ、僕はよもや10日間が本気だとは思ってなかったから。 到底理解できないことだった。 それは気の利いたやりとりではなく、彼女と僕の契約だなんて。 つまり、それは僕がいいように遊ばれたってことだろう。 だけど、彼女はそれは違うと言う。僕にはわからない。絶対にわからない。 3日後にあきらめた。 疲れ果てたからだ。彼女の申し訳ない気持ちが痛いほど伝わるからだ。スタイリッシュな彼女の、なりふりかわまぬ謝罪が余計に僕を混乱させた。 あとにはどうしようもない敗北感と謎だけが残った。 それからも彼女とは時々会った。出会ったというか。 いつものクラブで、そしてCD屋で。 彼女と僕のテリトリーはカブっているのでしょうがない。 そんな時、言葉少なに会話を交わしてそして何気ないように二人は別れた。 そして、そのうちにとうとう会うことがなくなった。 何度も何度も謎を解明したい思いで一杯になったけど、それは自分のプライドが許さなかった。つまらないプライド。弱い人間ほど頑なな虚勢で自分を苦しめるということ。 結局、その意味はわからなかったが。 それから半年後くらいに彼女はすでに結婚したと聞いた。 相手は僕も知っている人間だった。 結局、うまい具合に遊ばれたのだろうと思った。 あるいは、そうではないのかもしれない。けれど、その飛躍したストーリーを紡ぐには、あまりにも状況証拠が少なかった。 僕の決して短くない人生のたったの13日間。 普段は忘却のかなたにあるのに、これほど克明に思い出せる。 その彼女がガラスの向こう側にいる。 中学生のように僕の胸は高鳴った。なんて言えばいいだろう。どんな顔をしたらいいだろう。 やっぱり爽やかに、さりげなく「よう」とか言えばいいんだろうか。 意を決して振り返ると。そこはもう空席だった。 どうも知らないうちに、反対側の出口から建物の中に入ったようだ。 そういうもんだよなあ。 彼女はすっかりいい年になっていて、年輪が彼女を随分マイルドにしているように見えた。 そしてその向かいには、もっと若い女の子の後姿があった。娘かな。 彼女に会えたら何を話すつもりだったんだろう。 嬉しいような悲しいような。 そんなことを考えながら冷めたカップに口をつけた。 冷たい。 暖かいラテでも時間がたてば、味気ない。 ぐっと飲み干してそれでおしまい。 そうやって、さらにダウンに顔をうずめた。 いっそ風景に溶けてしまえばいいくらいだ。 tin2003.10.17